可愛いに間に合わない(ファッションと猫と通販な日々)

可愛いに間に合わない(ファッションと猫と通販な日々)

2017.08.23
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第百四十段 ~ケイレブ~

★☆★☆

第百四十一段

ホワイトはバーンを残し自室を出ると医務室に向かった。

五人乗りの屋内用ウォーカーを使って。

エネルギーを倹約している場合ではない。

護衛兵三人とともに瞬く間にエアカーテンで仕切られた

医務課の無菌ゾーンに着き

外に兵たちを待たせて受付まで歩きかけたところで



と同時に診察室のドアが開いた。

敬礼に応える暇も惜しんでホワイトは中に入った。

ドクターに聞いておかなければならないことがあった。

シアンの体調だ。

今朝、シアンはドクターを訪ねている。

そのような出来事は逐一ホワイトに連絡が入るようになっていた。

シアンの健康状態はホワイトにとって火星そのものの健康状態に

等しい。

分化過程に入ったというドクターの正式な診断は昨夜中に出ていたし、

これからは毎日精密な検査が必要になって来る。

シアンの正常な分化はドクターの腕にかかっているのだ。



長身、がっしりとした体つき、ごま塩頭に髭もじゃの顔、

そして丸眼鏡。

いつも洗い立ての糊のきいた白衣。

患者ごとに着替えているという噂もある。

いかつい体形だが戦場に居るタイプではない。



試験管を振っている。

あるいはPCのモニターにじっと見入っている。

そして寡黙。

この医者の人生の目的が何であるのか不明だ。

家族もなく、訪ねてくる知人もいない。

邸内に親しくしている人間がいるようでもない。

質素に官舎に居を構えているが

ほとんどは邸内の医務課、

とりわけ研究室に入りびたりといった生活ぶりだ。

数人の選りすぐりのインターンを抱え、教育熱心であり

自らも学ぶことに骨身を惜しむことはない。

官邸を任せている部下である若い医者たちには

畏怖と親しみを込めてドムと呼ばれている。

その彼はドールに詳しい。

貴重な存在だった。

何故なら彼は、以前ドール付きのドクターだったからだ。

この屋敷に住んでいたドールたちの健康管理をしていた。

ホワイトは彼等とは面識はないが

-というのも、ホワイトが火星に乗り込んだ時には

この屋敷の元主人とドールたちは去った後だったので-

その主人は超弩級の高等遊民とでも言うべき最上位カースト出身の男で

火星がホワイトの手に渡ったと知るや、

パンデミックから逃れるような素早さで

とっとと生まれ故郷土星の、彼と同等かより財政豊かなお仲間の住む

特別区へと引き揚げたというわけだった。

よほど慌てていたか、面倒だったのか、

豪華なしつらえはそのままの居抜きという気前の良さ。

他の奉公人たちもホワイトたちを恐れてちりぢりに。

ただ一人ラクロアだけが医務室にぽつんと残っていた。

『医者が必要でしょう?』彼は言った。

『私たちが怖くはないのか?』とホワイトが訊くと

『前主人以上に忌むべき人物は世の中にそうはいないでしょう。

例えあなたが悪党だとしても、彼以上ではない。

私がここを辞められなかったのは、ドールたちが

気の毒だったからですよ。』と応えた。

『ではなぜ付いて行かなかったのか』と尋ねると

『私は捨てられたのです。

私の苦言が気に入らなかったのでしょう。

彼の今のドールたちもそう長くはないに違いない、

かわいそうに。』と言った。

それを聞いてホワイトは言った。

『医者は何人でも大歓迎だ。是非、私の下で働いてくれ』

ドールに詳しいなら渡りに船だ。

もちろんすぐに信用した訳ではない。

試用期間はあった。

その間にラクロアの素性を調べ上げ、人と成りを見てようやく

シアンが王子であることを打ち明けた。

『そうかもしれないと思っていました。』彼は言ったが

それ以上は何も訊こうとしなかった。

のちにそのことを何故かと尋ねると、ラクロアは

『私も生命は惜しいですから』としごく真面目な顔で応えた。

『王子のためとあらば、あなた様は誰の生命であろうと取るでしょう』

そしてにっこりとした。

『私は何も知らないほうが良いのです、違いますか?』

その時初めてホワイトは

彼が言った通りの自分であることに気がついた。

自分の中の冷酷無比。

シアンのためなら何をするか分からない。

ホワイトは大股でほとんど走るように歩きながら、

バーンの声が広い無人の診療室内に響き渡り

厳戒態勢をひとランク引き下げる指令を流すのを聞いた。

だがしばらくは油断できない。

おそらく自分が土星から戻るまでの間、

これ以上の緊張を保たなくてはなるまい。

あらゆる可能性を俎上に乗せてナイフを研いでおく。

バーンならやってくれるだろう。

彼が居るなら大丈夫。

後は王子だ。

自分が居ない間、彼を守ることが出来るのは、ドクターと、、

後もうひとり。。

見当どうりラクロアは奥の研究室に護衛兵たちと共に居て

お茶を入れて待っていてくれた。

『これをお飲みください、閣下。疲れが取れますよ。』

ホワイトは言われるままに腰かけて

すぐにティーカップの茶をすすった。

ミント系の香りがする。

悪くはない。

ホワイトは目くばせで護衛たちを下がらせた。

『王子はどうなんだ?』

後味の苦さに顔をしかめながら

護衛が居なくなるやホワイトは訊いた。

『よくありません』

ラクロアはきっぱりと言った。

『そうなのか?』ホワイトはカップをテーブルに戻した。

その返事を、予想していないわけではなかった。

だが医者からはっきりと聞かされると

ずんっと鉛のように重たいものが胸に衝撃を与えた。

アレクとの通信で

何よりも真っ先に彼が言ったことが思い出された。

彼は当然のことシアンの分化を危ぶんでいた。

『本当なのか?』というのが第一声だった。

ジョンとの結婚のことなのかとも思ったが

そうではなかった。

『事実です、陛下。医者の診断データをお送りします。』

ホワイトは応えた。

『医者と一緒に王子はいるのだな?』

『そうです。ドールの専門医です。

その前は陛下のお膝元の王立医科大学で特待生で主席でした。

資格取得後はしばらく大学に残り遺伝子の研究を続け

その後、大学の紹介でドール牧場での二年間の研修、

そして牧場の要請でリー家のドールたちの主治医になりました。

十年以上その家のドールたちの健康を管理してきました。

牧場での経験と合わせると百体近くのドールの治療経験があります。』

ドール百体は少ない数字ではない。

世界中探しても、雇われ医者でこの経験は稀だろう。

『ふーん。リー家か、、』

アレクは顎を撫でた。

リー家でのドールたちの待遇がどのようなものか

彼も知っているに違いなかった。

だが嘘は言えない。

どのみち皇帝の知るところとなるからだ。

牧場がリー家に優秀なラクロアを派遣したのは

牧場にも少しは良心があるということの現れだとしても

ラクロアは多くのドールを救い得なかった。

それは彼の責任ではなく、

ラクロア自身はあるゆる手を尽くしての結果であることは、

屋敷に残されたカルテで明らかではあったが

アレクがそれを知ったところで

彼の気休めにはなるまい。

『その医者のデータもよこすのだ』

アレクは言った。

『そうします、陛下』

その時スクリーンの中でアレクの目がいっそう冷酷に光った。

すぐに光はホワイトを離れて虚空をさまよった。

王は指先を噛んでいた。

その仕草を見た時ホワイトは、血のつながりはなくとも

この王は確かにシアンの父親なのだと

確信しないわけにはいかなかった。

そしてふとひどく怯えた子供を見ているような気がした。

だがほどなく王は歳相応に戻り言った。

『朕が今何を考えているか分るか?』

『いいえ、陛下』と答えながらホワイトは

最低最悪のことを狂王が考えているということだけは

分かるような気がする、と思った。

シアンにもしものことがあれば

火星が終わる。。それだけでは済まないに違いない。

アレクは全霊をかけてシアンを愛している。

もしシアンが人質のまま彼の居ない彼の知らない場所で死ぬなら

災厄がホワイトにだけ限定で降り注ぐなんてことはあり得ない。

世界中に火の玉が降るだろう。

世界すべてが復讐の対象になるだろう。

父親として無理のない狂乱、と言えるかもしれない。

その胸中を思うと、ホワイトは自分たちのしていることの非人道に

心は沈んだ。

そして息子に会うこともできずに

息子を死なせてしまうかもしれない

皇帝の懊悩は他人ごとではなかった。

シアンの死は、ホワイトにとっても世界の終わりだ。



『全部お飲みください。あなた様がお倒れになるのは困ります』

『うん』ホワイトはもう一度カップに手をやったが

それだけで、もう一度ラクロアを見て言った。

『どんな具合なのだ?』

『そもそも、一度の交渉で分化が始まった。

それは良い兆候とは言えませんからね。』

静かにそう言いながらラクロアはホワイトの真正面の椅子に座った。

『うむ。詳しく話してくれ』

ホワイトはカップに触れている手が震えだしそうになっていた。

『殿下は分化の時期を外し過ぎたのです。それについては

私は殿下にはご忠告申し上げておりました。

あなた様にも何度かお話しいたしました。』

『ああ、そうだ。だがこういうことになった。

殿下も私も承知の上だ。

いずれこうなる、と私は言ったはずだ。

何とかしてほしい。』

ラクロアは虫の良すぎるその話しには返事を返さず

眉を寄せ中指の先でずれた眼鏡を押し上げた。

『今朝殿下は、しばらくドール性コーマを回避したいと

おっしゃったのです。』と言った。

『それで、そのための薬を私は処方いたしました。

お止めしたのですが、言うことを聞いてくださいませんでした。

私が処方しなければ、王子はご自分自身を傷つけてでも

コーマを遅らせるとおっしゃったからです。

身体に与えられたダメージは、その回復を優先するために

分化の速度を鈍らせます。

そしてそれは薬によるブレーキよりもっと危険なのです。

私がなんとかしたくとも、王子自身がそういうお考えでは

どうにもなりません。』と言い、もう一度眼鏡に触れた。

そしてさらに渋面になると

『王子にご自分を傷つける以外の交渉術を学ばせなければ

なりませんよ。』

ラクロアは冗談でも皮肉でもなくそう言った。

全くその通りだ。

医者の言葉は共感に値した。

だがシアンのその捨て身の交渉術こそが

火星を、ホワイトの人民を守っているのも事実だった。

この世界相手に王子の切り札はただひとつなのだ。

生命。

それ以外の何を彼が持っている?

吐息ひとつであっけなく消えそうなほど弱弱しい

おのれの生命以外に。


コーマを忌避するシアンの狙いがどこにあるのか

ホワイトには分かっていたが

それを逐一ドクターに説明するつもりはなかったし

必要とも思われない。

『私は薬の処方のことで君の判断を云々するつもりはない。

それに君もその心配をしているわけではないだろう。

王子の希望にはそれなりの理由があるのだ。

できるだけ応じてやって欲しいが

それはたいそう危険なことなのだな?』

『ええ。分化過程には一時的な昏睡(コーマ)が必要なのです。

その間に身体が変化することになる。王子は時期を外しているから

通常のドールの分化よりは身体が急激に変化しようとしている。

それなのにそれを人為的に遅らせるとなると、内分泌系に多大なる

負担をかけることになります。

そして最も問題なのは、

王子にはその性腺系に器質的障害があるということ。

もとより分化前期のドールは類宦官症に似ているが

正常なドールは障害としてではなく

精巣も卵巣も機能の大部分が未熟なまま』

『待て』

ホワイトは遮った。

『その話しはいい。障害について要点だけ言ってくれ。

奇形があるということか?それとも病気か?』

『奇形です』

『なんてことだ。で、どうなる?

どういうことになる?分化にどう影響するのだ?』

『王子の異常箇所は複数です。

それらの器官の分化過程での働きは脳も含めて複雑を極め

私の知る限りオペの前例はなく、投薬などの治療データもない。

牧場が削除させているか機密扱いにしているか、いずれにせよ

移植をするにしても牧場の許可とドナーなど牧場の協力が必要ですし

私では牧場との交渉は不可能です。

しかしたとえ許可が下りたとしても、分化過程に入った今、

危険だ。論外だと思う。

はっきり申し上げて、対処療法で後は見守る以外手はないかと。

おそらくアズールにも同じ奇形があったはず

そのせいで彼女も分化プロセスの途中で死亡したのでしょう。』

『そのような重篤な奇形が、なぜ今ごろ分かったのだ?』

ホワイトはアズールの話しにすくみ上っていた。

アズールの死はアレクの発狂とセットで伝説化している。


『今だから顕現したのです。

私も驚いています。

分化前の定期検査ではいつもすべてが正常にみえた。

分化プロセスに入って初めて異常が現れたのです。

シアンタイプの大半はこれが原因で死亡しているに違いない。

分化途中かその後であっても

若くして亡くなるのはこの奇形のせいだと思う。

そもそもドール牧場は

商品の不具合についての情報を開示しようとしない。

私が在籍したころの牧場ではすでにアズールは生まれていたが

特に彼女については皇帝の妃であるという理由から

いっさいのデータは門外不出、

特に私のような外部からの研修生には

少しのデータも漏らされることはなかった。

それに牧場は

アズールそのままを商品化するつもりは最初はなかったのです。

だから育種の過程で偶然生まれはしたが

研究対象としてそう熱心に扱っていたとは思われない。

皇帝陛下が興味を示したので譲ってはみたものの

分化期を迎えるほどの長生きは予想外だったかと。

そしてアズールに皇帝があれほどご執心なさるとは

さらに想定外だったことでしょう。

それさえなければ、シアンの製造はなく

今普及している安定した知能型が誕生するまで

知能型は販売されることはなかったはず。

シアンタイプは購入者側でも長生きできないと知っている。

訴訟を避けるために購入段階で誓約書が取り交されるからです。

言葉は悪いが不良品です。

それでも彼等が争うようにシアンタイプを購入したのは

皇帝の妃に興味をそそられたからに過ぎない。

私の元主人のジュリアン・リーは最悪のサディストで分化期以前に

ドールを何体も死亡させてきた。

シアンタイプも二体いましたがご多分に漏れず彼等の分化を

私は経験することができなかった。

可能ならば、シアンタイプの治療経験のある医者との交流で

情報を得たいところだがそうもいかない。

なにしろシアンタイプを購入できる財力のある手合いは

外に情報を漏らすのを嫌いますからね。

ただ一番の懸念は案外、世界のだれ一人として

不具合の原因究明はできていないのかもしれない、

治療法の糸口さえ掴めていない

その可能性の方が大きいように思う。

つまり陛下の命令によってだけではなく、

牧場の側にも生産を中止する理由があった、というわけです。』

『そういうことか。。』

震えを抑えるためにホワイトはきつく腕組みをした。

シアンがもうすぐ死ぬ?

『彼のヴィジョンに彼の死はないのだ。』

思わず口をついて出た。

それは祈りの言葉のようでもあった。

ホワイトの歯は今にもがちがち鳴り出しそうだった。

『仰らないだけかもしれません』

ラクロアは医者らしく冷徹に言った。

『いや、そんなはずはない。こんな大切なこと。』

ホワイトは腕組みをほどき両手で顔を覆った。

そしてごしごし頬をこすった。

確かにシアンタイプの一般的な評判はホワイトだって知っている。

王子の寿命が自分たちに比べて短いだろうということについては

覚悟ができていないわけではない、とホワイトは今まで思っていた。

どのような状況であろうとも

それを忘れることはなかったが

今こうして現実を突き付けられると

ホワイトはそれをすんなりと受け入れることができなかった。

なんという。。。

自死以上の危険。

王子は蜻蛉(カゲロウ)のように儚い。

彼はラクロアを凝視した。血走った恐ろしい目だった。

『彼を救うのだ』

ホワイトは命じた。

それは理不尽な要求なのだろうか?

だがなおも言った。

『彼を死なせるな』

ラクロアは無言でホワイトの凝視をしばらく受け止め続けた。

『はい』とついに言った。

彼の命を賭する覚悟が見えた。

ラクロアはホワイトに自分の心臓を捧げたのだ。

ホワイトの目には血濡れて脈打つそれがハッキリと見えた。

まさか本当にシアンは未分化のまま死ぬのだろうか?

ラクロアの覚悟は、

いっそうホワイトの不安を駆り立てたに過ぎなかった。

なぜならラクロアは、

ホワイト以上にシアンが分かっているからだった。


今はまだ駄目だ。

早すぎる。

シアンを結婚させてやりたい。

シアンを旅立たせてやりたい。

彼らを。

俺たちを。

あの地へ。

シアンが生きているうちに。


『何か言ってくれ。一パーセントでもいい。

希望のある言葉を聞きたい』

ホワイトは切望した。

『一パーセントでよろしいなら、いくつかありますよ』

とラクロアは応じた。

『そのひとつは、ドールは謎だらけ、ということ。

私はもちろんのこと

牧場も生産者でありながら

彼等のすべてが分かっているわけではない。

生物学や解剖学だけで、彼等を判断できない。

希望と言えますでしょう?』

ラクロアは生真面目な顔で霞をつかむようなことを言った。

ホワイトはため息とともに肩を落とした。

『なんとも心強い言葉だな』

彼はさらなる落胆を隠せなかった。




つづく



↓次回です♪
第百四十二段~エスコート~








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Last updated  2017.09.15 09:37:51


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