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クリント0312

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2010.08.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類


この人はまさに波瀾万丈というか、死線を越える経験をいくつも重ねてきた強者である。

戦争末期、神戸薬専(現神戸薬科大学)の学生だったとき、神戸の大空襲に遭遇、命からがら逃げ延びたのが、まず手始めであった。
おまけに、この学校の修了が戦争中のことだったので卒業証書の授与は後回しになり、戦後改めて授与されることになり、はるばる上神した。ところが目出度く卒業証書を手にして九州への帰路、搭乗した客船が大阪湾内で浮遊機雷に接触しあえなく沈没してしまった。
九州の我が家の隣家に疎開していた双子の同級生2人と、ボディガード役として同行していた男性一人がこの遭難で行方不明となり、姉が一人だけが救助され九州に戻ってきた。

次は私が学生時代、夏休みで帰省していた郷里の九州から東京に戻る途中、神戸に途中下車した。たまたま姉はお腹の具合が悪いから診て貰うと言って私を留守番にして病院に出かけた。ところが病院から電話があり、輸卵管が癒着していて腹膜炎を起こしていて、すでに重篤な状態にあり、即手術が必要とのことであった。ご夫君の義兄は海外航海中だったし、やむなく手術の承諾は私がして、その日に手術を受けることになった。
お陰で退院するまで神戸に留まることになったが、その間常連のお客もあり薬局を閉めるわけにもいかず、心許ない店番と幼い姪甥2人を餓死させないための賄いと、なんとも心細い日々を過した。しかしこれもまさに間一髪、奇跡的なタイミングであった。

そして今度はご存知の阪神淡路大震災の罹災である。神戸市灘区に薬局兼自宅があるが、これが全壊の認定をうける大被害に遭ったにもかかわらず、またもや奇跡的に命は助かった。
その後、気丈な彼女は自らが罹災者であるにもかかわらず、薬剤師として地域の被災者に対するボランティア活動を一生懸命に務めた。


この姉が先般、孫子5人のお供を引き連れて、いや引き連れられてお国入りしてきた。私の家にはまるで犬の散歩みたいに、僅かばかりの匂いだけを残して去ったが、孫にレンタカーを運転させ、自分の生まれ育った場所から始まって、甥姪が幼い頃に大家族の中で暮らした実家の跡地やその周辺の数々の思い出の場所を余すところなく走破し、一泊二日の強行スケジュールをこなして帰神した。
その彼女から先日お盆のお供えと一緒に、震災の後に地域の方々への講演会に出席したが、そのときの原稿が出てきたのでと送ってくれた。
少し長くなるが、折角なので抜粋して書き残すことにした。

「昭和33年神戸に出てきまして、主婦と子育てをしながら薬局を開きましたが思っていたような仕事が出来ませんでした。
先ず知らない土地、それも辺鄙な場所、その上知らない人達の中で30歳初めの若い薬剤師、良い条件ではありませんでしたが何とか続けてきました。
年月を重ねるうちに家も人も増え、年齢も充分あり余る程になり、子育ても主婦も卒業していました。
そして今度の災害で、ボランティア活動をしましたとき、「心のお薬」を少しですけどお渡しできるようになっていることに気がつきました。
歳を重ねると云うことは大事なことで良いことです。私は孫に「偉そうに・・・」と言われると、「口惜しかったら同じ歳になってみいー」と威張るのです。
別に威張ることことではありませんが、年月が解決することは沢山あります。

先日、週刊朝日の編集後記に、編集長さんのお父さんが50歳のときガンと知らされずに入院しましたが、お母さんが泣いてばかりいるものだから、お父さんは自分がガンだと云うことが分かってしまいました。ところがお父さんはガンなんかに負けてたまるかと勝手に退院し、85歳まで元気だったと書いてありました。
もう一つ、これはお客さんから聞いたお話なのですが、お友達が胃潰瘍で手術しなければならなくなったそうです。入院したらお酒が飲めなくなるからと、「消毒も兼ねて浴びるほど飲んだる!」と言って、ほんとに浴びるほど飲んで入院したそうです。ところが手術前の検査をしたところ、なんとその時はすでに手術をしなくて良いような状態になっていたんだそうです。


でも私達はそんなに強くありません。しかし「心の常備薬」ぐらいなら持つことが出来ると思います。私の母は、大変良く効く「心の常備薬」を持っていました。
85歳になっても九州から神戸まで遊びに来ていましたが、大変なおしゃれで、朝起きますと先ず化粧して、それも時間をかけてゆっくり化粧し髪をきちんと解き、背中は丸くなっていましたが、着物をきて散歩をし、近所の人に「おばあちゃん、綺麗ね」と言われると大変嬉しそうでした。
毎晩寝る前、なにかブツブツ言っていますので、「何て言っているの?」と聞きますと、笑いながら「私は18歳で皺などありません。若くて別嬪さんです。背中もまっすぐでぴょんぴょん跳ねることもできますよ!と言って眠るんだよ」と教えてくれました。

お昼には腰が痛いとか、足が痛いとか言っていたのが、嘘のようにいい顔して眠っていました。これが母の「心の常備薬」でした。
晩年、母は弟の家で暮らしていましたが、それなりの元気さで、少々物忘れはするようになりましたが、88歳まで寝込まずに頑張りました。

どうも母の様子がおかしいからと九州から電話連絡がありました。取るものも取りあえず神戸から駆けつけましたが、なんとか間に合うことが出来ました。そして幸いなことに天国に旅立つ瞬間の母を見ることが出来ました。
母の顔が刻々と美しくなり、ピンク色に染まり、18歳の乙女のような顔になっていきました。ほんとにびっくりしました。
母は父と駆け落ち結婚をしたのですが、なんと10人もの子供に恵まれました。丁度母が60歳のとき、父は先立ってしまいました。
私達は母に言ったものです。「お父さんはやさしいから天国でももててるよ。お母さんがあっちに行った時、もしお父さんに彼女がいたらどうする?」
すると母は真剣な顔をして、「そーだね。お父さんはようもてたからね」と心配していました。それで思いっきり若造りして父の許に行ったのだと思います。
母は「心の常備薬」で精一杯生き、おかげさまで美しく天国へ旅立つたのです。

さて私の「心の常備薬」は時々変わりますが、現在は「♪ケセラ セラ。なるようになる♪」であります。  ご静聴、有り難うございました」





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Last updated  2010.08.03 10:55:40 コメント(12) | コメントを書く


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