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★二宮尊徳(金次郎)の生涯と報徳思想についての講演会に行って参りました。講師は静岡県掛川市の元市長の榛村純一先生でした。二宮尊徳とはどんな偉人だったのか。薪を背負って本を読む彫刻像。それ以外は知りませんでしたので、講演の内容などを参考にわかりやすくまとめてみます。★1787年現在の小田原市で生まれた思想家(報徳思想)、農政家。百姓の出身。26歳の時から小田原藩家老の元で働く。37歳の時現在の栃木県真岡市に移住。56歳の時幕臣に登用される。70歳で亡くなる。600余りの村づくり、村の再建(石高を増やすなど)を行った。著書は1万冊に及ぶ。尊徳の思想は神道、儒教、仏教の思想をいいとこどりしたもの。簡単に言うと誠実、勤勉、一生懸命、感謝、社会貢献など。(報徳思想はトヨタや松下電器の経営理念に取り入れられているらしい。)後に明治天皇が尊徳を知り、その伝記を高級官僚に配布した。昭和初期に全国の小学校に像が建てられるようになる。★以下は修身教科書からのエピソード。「14歳の時父が亡くなる。16歳の時母も亡くなり 二人の弟の面倒をみる。おじに預けられ一日中良く働いた。夜学問をしていると、油が無駄なのでやめろと言われた。(当時、百姓に学問は必要ないと考えられていた。おじは学問をさせない口実を考えたらしく、おじさんがケチだったわけではない…。たぶん)金次郎は自分で荒れ地をひらき油をそだて、学問をはじめた。するとおじに家の仕事をやれといわれた。金次郎は家の仕事をした後で学問をするようになった。」★尊徳の生き様は、身分制が一応なくなり努力すれば報われる世の象徴になった。日本も欧米に追いつけるのでは…。日本の近代化の道しるべになったようです。
2013年06月30日
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再放送は本日6月18日お昼12:25~12:50 NHKのEテレ幕末の日米修好通商条約は不平等条約といわれてきましたが、最新の研究では、日本に有益なことも交渉で勝ち取ったということです。ハリスと交渉をした幕府の岩瀬忠震は知っておきたい人物です。あと印象に残ったのは漁業交渉で日本全権を務めてきた小松正之さんの話。「歴史や文化を知らなければ外国人と話が合わない」といった趣旨のことをおっしゃっていました。なるほど。
2013年06月18日
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小倉百人一首についての本が数冊本屋に並んでいるので見てみましたが、どれもイマイチでした。一首目は天智天皇の御製と伝えられている歌です。「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ」現代語訳はどの本でも「稲刈りで仮小屋で寝ていると、小屋の苫の目が粗いので夜露で袖が濡れ続けている」といった内容と解説です。この解説だと、全く何が言いたいかわかりません。古文の勉強を思い出せばわかりますが、袖が露に濡れているというのは、つまり涙しているということです。では何に泣いているのか。それは稲刈りをする民の苦労を思い天智天皇が涙されている、つまり天皇の民を思うお気持ち「大御心」を詠んだ和歌だと思います。そうでなければ藤原定家らが一つ目にこの歌を持ってきた意味もわかりません。歴史も和歌も、もっと勉強したいっす。参考『天皇論』『昭和天皇論』
2013年06月16日
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明日6月10日は時の記念日だそうです。(これ、また修身の教科書からのネタです。)「なぜこの日かというと、天智天皇が初めて水時計で時を知らせた日だから。」で、修身の教科書でここからの内容がよかった。「どんな立派な時計をつくっても、私たちが時を正しく守らなければ意味がありません。時間を守ることは易しいことのようで難しいものです。」特に日本の交通機関などは時間に正確で好評のようです。日本人が築き上げてきたよい伝統を誇りにしたいものです。参考文献『精撰「尋常小學修身書」 [ 八木秀次 ]』
2013年06月09日
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ワールドカップ出場で騒いでますね。とにかく騒ぎたいだけの人たちもいるようにみえます。突然のお祭り騒ぎといえば江戸時代の伊勢参りです。江戸時代1830年には3カ月ほどの間に500万人近い人が伊勢神宮にお参りをしたそうです。人口が3200万くらいの時代ですから凄すぎます。江戸時代には60~70年周期でこの「お蔭参り」と呼ばれるお祭り騒ぎがあったそうです。へぇ~参考文献『なぜ国家は衰亡するのか』
2013年06月05日
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