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さてさて僕も不惑の年になりました。ここいらへんで心機一転、このブログを閉鎖します。新しくどこかでまたやるかもしれませんが今のところ未定。すべての書き込みはできない設定に変更します、お付き合いいただきありがとうございました。
Nov 13, 2007
美術ブログばかり更新していてこちらはほおって置いたのでたまには更新。いまはネットもmixiでつながったり、Google Earthとかを使えば軍事基地も見えるとかではまるとやみつきになるらしい。僕も夜中までネットやっていたこともあった。しかしいまは出かける前と帰ってきてからの二回、ちょうど牛乳一本を飲みながらネットやっているのがせいぜいだ。時間にしたら一時間くらいだろうか。見るのも美術サイトと介護サイト中心。スキンシップという。人間は肌触れ合って同じときをすごすのが一番大切なのではないか。ネットにはそこがない、だから自然と足が遠のく。
Jul 6, 2007
東大、京大の合格発表があったのが昨日だ。しかしもう今日には「週刊朝日」「読売ウィークリー」がその合格ランク速報の雑誌を出した。今年は例年に比べて東大は開成が大幅に合格者を増やしたらしい。しかし国立の筑波大駒場や、学芸大付属などはまだ集計中なのか載っていない。いささか急ぎすぎの速報という感じもある。実際長年東大の合格者にこだわっている「サンデー毎日」はまだ並んでいない。情報をより集めてから最新号を出すのだろう。東大の合格ランクなど一般の人からすれば無縁だが、子供を持つ親、特に公立学校に不信があり、お金もある程度ある親にはたまらないだろう。実際中学、高校の人脈が社会に出てからものをいうということもある。その意味で国立の筑波大駒場の団結力はものすごく強い。東大のすぐそばに学校があるので入学と同時に東大を意識せざるを得ないのだろう。それはさておき相撲の八百長問題に踏み込んでいる「週刊現代」、裁判沙汰というが、よりによって今日の初日に横綱が敗れるという事態があった。今場所、横綱は何勝できるだろうか、それによって八百長の真実もおのずと明かされるかもしれない。雑誌はやはり面白い。
Mar 11, 2007
「週刊朝日」が創刊85周年ということで大々的な特集を組んでいる。日本初の週刊誌をうたっているが「週刊朝日」は当初は「旬刊」だった。最初から週刊誌としてスタートした「サンデー毎日」とどちらが古いか詳しいことは知らない。ともあれ昔の記事を読み直すといって安直にページ数だけ増やして値段を上げるのは賛成できないが、徳川夢声「問答無用」を読み直すなど、確かに今の人にはない深い味わいがあることは確かだ。最近週刊誌はスクープものが多い。「週刊朝日」は「あるある大辞典」の捏造を指摘し、「週刊現代」はJR革マルの問題を延々と掲載したと思ったら今度は大相撲八百長問題だ。一方「週刊ポスト」は球界の薬物汚染だ、実はこの問題はロッテが日本一になったとき「週刊朝日」が取り上げたのだが、細部までつめきれずに二回か三回の検証で終わった経緯がある。「週刊朝日」としては内心忸怩たるものがあるだろう。問題は週刊誌の現場はがんばっているのに部数に跳ね返らないことだ。実際電車の中で「週刊朝日」や「週刊現代」を読んでいる人はほとんどいない。疲れてぼんやりしているか、ケータイを操作している人がほとんどだ。もはや週刊誌のジャーナリズムは時代の雰囲気にかてないのだろうか。雑誌を愛するものとして週刊誌の復権を強く願っている。明日は月曜祭日の関係でいっせいに週刊誌が出る、どんな記事が載るかわくわくしている。
Feb 9, 2007
久し振りにここも更新しよう。母の特養ホームにものすごく態度の悪い入居者がいる。自分勝手でいつも南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏といっては騒いでいる。手づかみで食事をする、薬を飲もうとしない、食事を床にばら撒く、僕が持っていった雑誌を破ったり、自分の服の中に隠したりするーまあなんとも形容しようがない。南無阿弥陀仏と騒いでいたが、だんだんもうろくしてきたのかナムになり、最近ではナになった。ナ、ナといっては騒いでいて僕は面白がって「ナさん」とよんでいた。どんな暮らしと育ちをしたのか知らないが傍若無人な振る舞いにほかの利用者がうるさいといってユニットを交換して去っていったこともある。元気のいいのだけがとりえかと思っていたが阿弥陀仏の怒りに触れたのかここ二日容態がおかしいという。何を食べても嘔吐してしまう、施設のほうでは本気にノロウイルスを疑っている。今日も職員と看護の人が入れ替わり立ち代り指示を出したりその人の部屋にはいっていったりしていた。ノロウィルスとすれば大変だ、その人一人ならいいが母を含めてまともな利用者に罹患する恐れがある。天罰かなどといってはいけない、阿弥陀仏はどんな人も救ってくれるはずだ。その人が個室に隔離されてユニットは静かになった、しかしやはりさびしい。またあの元気なナさんが戻ってくると信じたい。
Jan 20, 2007
さてさて大晦日だ。家にこもっていようと思ったが、昨日オークションで80円で落札した日本橋三越「川崎小虎と東山魁夷」のチケットが届いたので行くことにする。普通郵便ではなくメール便だから届いたのだ。その前に神保町で本あさり。それから母の特養ホームへ行って夜の七時まで滞在。それからまた東京駅に戻って東京国際フォーラムでやっている「クリスタル・イルミネーション」を見物して帰宅することにする。テレビは見ない、特養ホームでちょっと見るだけだ。そういえば去年は大晦日に明治神宮に参拝したっけ。今年は銀行が正月三が日もやっている、お金を下ろす心配もない。今年最後の日、いい一日になりますように。
Dec 31, 2006
六月から行きだした歯医者だ、もう半年にもなる。入れ歯を作って調節してさて終わりとはなぜかいかない。いまだに歯医者通いが続いている。年を越すことになる、歯医者のほうもそんなにかかるとは思っていなかったであろう。問題は歯が浮くとか突発的に歯茎の具合が悪くなり、それが何箇所か続いていまだに通っているのだ。十月からは領収書の発行が義務付けられた、それまではレシートもらっていないから、それまでの分は確定申告に使うのでまとめて領収書をくれた。今回が今年最後の受診で、年末年始の痛み止めももらったが驚いたことにその歯医者、自宅の電話番号まで教えてくれた!年末年始急に何かあったら自宅にいるから連絡してくれということだ。こういう医者はなかなかいない。当番医の制度があることは僕も知っているが、その歯医者言うに当てにならないと。しかし歯医者にずっと通っているといろんな人をみかける。初診でやってきて、レントゲンとか撮るから費用がかかるし、初診料も含まれるから当然初診は金がかかるが、会計で金がないという人もいる。あるいはやはり初診でやってきて、時間がないといって急がせる人もいる。その歯医者はどんな人にも「いいからいいから」といって怒ったりすることはない。いい人ではある。年末年始、歯が痛まないことだけを今は祈っている。
Dec 28, 2006
困ったことにどこに置き忘れたかをまったく覚えていないのである。母の特養ホームを出たときは持っていた、コープのトイレを出たときも持っていた、それがJR立川駅に向かう途中にないことに気づいたのだ。すると多摩モノレールの車内か駅構内に置き忘れたと考えるより仕方ない。中身はうすべったいカタログとチラシ数枚、後今日出たシャルル・ミュンシュのCD三枚で、カードとか鍵とか、携帯電話とか個人を特定できる重要な書類とかは一切ない。僕は外にいると緊張感がはしる性質でめったなことに置き忘れなどしない。どうも疲れがたまっているのか、緊張のたがが緩んでいるのかは知らないが、昨日もマフラーを落として見知らぬ青年に声をかけてもらった。多摩モノレールに電話すると遺失物センターに落し物が届けられるのは二日後ということだ。さてさて僕の落し物は届くだろうか、明日からはもっと注意して町を歩かなければー。
Dec 20, 2006
テロの心配がなくなったためか、駅にゴミ箱が戻ってきた。すると必ずいるのである、「新聞、雑誌」のゴミ箱を血相を変えてあさる人が。周りの迷惑になっているのだがそんなことはお構いなし、自分ひとりで広いスペースをとってこの雑誌はよし、これはだめとゴミ箱からつかみ出しては袋に入れていく人だ。こちらはジュースの缶とか捨てたいのだが、ゴミ箱あさりがスペースをとっているために捨てられないー迷惑きわまる。もちろんその人が自分で読む雑誌ではないだろう。週刊○○、○○円と定価よりかなり安い値段で売っている人たちのところへもっていくものだろう。大都市にはそんなことを商売にしている人もいるのだ。そんなこんなで思い出す、高校時代柔道の時間に教師が語った四方山話だ。僕の出身校は国立大の附属で偏差値的には高い学校だったのだが、その教師の目にしたところ、明らかにそこの学校の卒業生でゴミ箱の雑誌をあさっている人物がいたと。まあ教師は最低限の品位は保てと教えたかったようだが、しかし目を変えれば、そういう人物にはごみとしか映らない古本や現代美術が高い値段で取引されているのも事実ではある。何がごみで何が価値があるものかー人さまざまというべきか。
Dec 11, 2006
坂部恵さんの「坂部恵集」の刊行が岩波から始まった。第一巻は「生成するカント像」、第二巻は「思想史の余白に」と一ヶ月に一度のペースで刊行されるらしい。坂部さんというと演習でカントの「純粋理性批判」をよんだ。学部のみのゼミなのになぜか大学院生がいっぱい来ていて、彼らが高度な発表をする。みんな黙って聞いているが、いったい大学院生が何を言っているのか把握できたのだろうか、僕にはちんぷんかんぷんだった。悔しいから夏休み、純粋理性批判をドイツ語の辞書片手、岩崎武雄の解説書片手に毎日少しずつ読んでいった、これが面白い作業だった。カントの著作はすべてが宗教へと帰着するといってよい。カントにとって宗教とは「あらゆる道徳的義務を神的命令とみなすこと」だ。ここでカントが「神の命令、Gebot Gottes」ではなくあくまで「神的命令、gottlich Gebot」という言葉を使うことに注意する必要がある。神様の命令だから従うというのでは意志の他律になってしまう、カントが一番避けたところだ。意志の自律を保持すべく、「神的命令」を使うのだが翻訳ではほとんどすべての研究者が「神の命令」としている、ここいらの機敏は原書を読まないとわからない。さて坂部さんの本では「単なる理性の限界内での宗教」と普通訳されているところを「blossに制限的意味はむしろ薄い」として「もっぱら理性の限界内における宗教」と訳しているところが興味深い。
Dec 2, 2006
もう師走、年末だ、年末といえば日本ではベートーヴェンの第九だ。今年はチョン・ミョンフンが東京フィルを振ったベートーヴェンの交響曲全集が出るし、歴史物ではマタチッチがN響を振ったライブ録音も出た。しかしベートーヴェンの第九といえばフルトヴェングラーがバイロイトを振った1951/7/29のライブにとどめをさすことは言を待たない。東芝EMIから昔から擬似ステレオだの足音つきだの、純金だのといろいろなものが出ていたが、ここへきて各社からLPからリマスタリングされたという音質向上をうたったCDがいろいろとでている。昨日驚いたのはあの廉価盤で有名なナクソスからもバイロイトの復刻がでたことだ。「エンジニア、オバートソンの力を結集してのCD」とうたっているがよくわからない。しかし980円であの第九が聴けるとは安いものだ。フルトヴェングラーに匹敵する第九は僕のみるところミュンシュがボストンと入れたものだ。ものすごい迫力で一気呵成に突き進む。ボストンといえばミュンシュの後を受けたラインスドルフも忘れがたい。ついこのあいだ、ケネディ追悼のモーツァルト「レクイエム」が出たばかりだが、ベートーヴェンの第九ははじけるようなリズム、強打されるテンパニィで躍動する音楽を作り上げている。ラインスドルフはあまり評価されておらず、録音がCDになってもすぐ廃盤になるがもっと再評価されてよいと思う。
Dec 1, 2006
週刊誌の部数減少がとまらないようだ。一番売れている「週刊文春」「週刊新潮」で50万部台、「週刊現代」「ポスト」は40万部台、「週刊朝日」が20万部台、「サンデー毎日」にいたっては8万部台で、「アサヒ芸能」なんかよりも少ないようだ。しかし僕が一番思い入れがあるのは「サンデー毎日」で、高校生のときからずっと読んでいる。一時は「日本にもピラミッドがあった」なる変な連載を載せたりもしたが、イエスの箱舟が単なる宗教カルトではないことを丹念な取材で明かしたのも、宇野元首相のスキャンダルを報じたのも、野村サッチーが全マスコミからバッシングされたとき、唯一彼女をかばったのも「サンデー毎日」だった。今日は、来週に祭日が入るため新聞社系の週刊誌がすべて駅の売店に並んだ。「週刊朝日」「サンデー毎日」を買ってきたが、お金がなくてどちらか一冊を選べといわれれば僕は迷わず「サンデー毎日」を選ぶだろう。来年早々にも「週刊現代」もが女性にも手にとってもらえるようソフト化するという。そうでなくても「週刊新潮」の最近の記事に見られるようにネットから手軽に情報を取った記事が多い。それでも僕は雑誌が好きだ、だからいいたい。丹念に取材を積み重ねて本当の「スクープ」を取れる特集記事が復活してほしいと。
Nov 18, 2006
マコロンさんがブログをやめて改めてホームページを作られるゆえきいていましたが、そのURLがわかりません。マコロンさんあるいはホームページをご存知の方URLを教えてください!差しさわりがあるようなら私書箱まで。北海道はもう冬景色なんでしょうね。
Nov 15, 2006
かつての僕も学校が嫌いだった。別にいじめを受けていたわけではないが、学校に居場所がなかったのだ。いつも一人ーそれは耐え難いことである。いじめ自殺がマスコミをにぎわせている。たかがいじめという人もいる。しかし子供にとって世界とは学校と家庭の往復でしかない、基本的に。その学校で居場所がなかったりいじめられたりするということは、世界の半分が否定されているというに等しい。子供の世界と大人の世界はまったく違う。そこのところを理解しないでいじめくらいでといわないでほしいと思う。僕だったら悩んでいる人にこういいたい、高校卒業まで我慢しろと。高校を卒業し大学に入る、あるいは社会人になるーこれでいっきに人間の世界は広がる。学校と家庭にプラスしていろいろなものが自分の視界の中に入ってくる。僕も大学入学と同時に本当に世界が開け自分が自由だと感じたものだ。いじめの問題、これは公立私立学校のランクまったく関係ない。学校を辞めたっていい、今はフリースクールとかなんとかある。肩身が狭いしつらいだろうが、繰り返し大学入学まで待て、そこで世界は変わる。僕ならこういうだろう。
Nov 11, 2006
宇都宮芳明氏の「カントの啓蒙精神」が出たので買ってくる。帯には「人間的理性への信頼を取り戻すために」とある、久々の正統的な学術書だ。この人は北海道大学名誉教授だが、北海道大教授のときに集中講義にこられた。何を話されたのかはもう忘れたが、当時の主任教授が「倫理学の第一人者」と紹介したことを覚えている。どういうわけか経済学部の学生が多く聴講に訪れていて、研究室で話題となった。この人の著作は「人間の間と倫理」「カントと神」などがある。ちょうど集中講義に訪れていたときカントの注釈書を出版しておられた。確かに岩波文庫の篠田訳はひどい。カントの文章というものが関係代名詞で延々と続いているので意味がとりにくいことは認めるが、篠田訳では、たとえば「実践理性批判」の最高善の議論も、カントは神によって来世に恩寵として与えられる最高善と、われわれの義務であるところのこの世の最高善の二義的なものが混じっているのだが、篠田氏が最高善を一義的に解釈しようとするため翻訳がめちゃくちゃになっている。そもそも自分の最高善の促進が義務と捕らえると、それは幸福の追求を禁じたカント倫理学の基礎と矛盾するから誤解が出る。カントとしては世界福祉Weltbesteとしての最高善を義務としたというほうが正しい、「目的の国」のこの世での実現である。それはともかく宇都宮さんの集中講義が終わって、この人が「カントの理性信仰Vernunftglaube」という題で長大な論文を書いていることを教授に教わり、コピーさせてもらった。「理性信仰」からよくもこれだけ引き出せたと感じたものだ。その宇都宮さん久しぶりの本格著作となる、2960円とそれほど高くないのもいい。
Oct 27, 2006
長年のファンとしてこれだけは書いておかねばならない。日本ハムファイターズパリーグ優勝のことだ。前の優勝は大沢親分のときで、楽天を除く球団では一番優勝から遠ざかっていたチームだ。東京時代は東京ドームに行ってもお客さんも少なく修学旅行生が席を埋めていた、相手チームの応援のほうが大きかったりもした。北海道移転は経営難からの一か八かの選択であったろう、しかしその賭けは吉と出た。外国人ヒルマンを監督に迎えて新しい出発をしたが、北海道民は球団を温かく迎えてくれた。このチームは一年おきにいい成績と悪い成績を繰り返すという不思議な球団だ。ヒルマンが監督になってからも、一年目と三年目はBクラスだった。データ的には今年はいい成績となるはずだがまさか優勝とは思ってもみなかった。人気者新庄はこの監督は最高の監督、この監督を胴上げしたいといった、そしてその願いはかなった。ヒルマンはアメリカ式の練習法では結果が出せないことがわかったのだろう、今年は投手陣の投げ込みや犠打の多用など日本式の練習法を取り入れて結果を出した。もともと打撃は優秀のチームだが今年はダルビッシュ、八木若い投手がすばらしかった。シーズン最後にエース金村の監督批判があった。その背景にはおそらくヒルマンが外国人の投手コーチばかりの意見を聞いて日本人投手コーチの意見を軽んじているという采配批判もあったのだろう。しかし金村の批判があったことでかえってチームはまとまった、ソフトバンクに二連勝してプレーオフ一位となり、そしてまたソフトバンクとのプレーオフ対決も制した。新庄は札幌ドームが満員になったことに満足して引退を決意したという、しかしチームのことをよく考えている男だ、ムードメーカーの後継者として森本を育てたのはほかならぬ新庄だ。小笠原のFA取得とか、金村の処分とか今後のファイターズに気がかりもある。しかし今はチームのリーグ優勝を素直に喜びたい。気がかりなのは今年のロッテのように去年日本一に輝いたのに今年はBクラスに転落するという事態もあることだ。常勝軍団にならなければファンの熱も冷める、毎年優勝を争うようなチームに成長すること、ファイターズにはまだ課題が残っている。
Oct 14, 2006
翌週の月曜が祭日だと月曜発売の週刊誌は土曜にキヨスクなどでは並ぶ。しかし来週は別に月曜が祭日ではないのに、今日新聞社系の週刊誌「週刊朝日」「アエラ」「サンデー毎日」「読売ウィークリー」がいっせいに発売された。どういう事情かは知らないが全部買うと重いので「サンデー毎日」と「読売ウィークリー」だけを買った。これで月曜には出版社系の週刊誌「週刊現代」「週刊ポスト」が店頭に並ぶ。実のところ今一番面白い雑誌は「週刊現代」だ。一昔前のオヤジ系雑誌から脱皮して「革マルとJRの真実」「世田谷一家殺人事件の真相」「平成大都心大地震が起こったら」などの連続ものを載せている。一方の「週刊ポスト」は何を狙っているのかわからない、まことに面白くない雑誌になった。そこで僕は「週刊ポスト」と「アエラ」「週刊文春」はわざわざ買うのをやめて立ち読みですませることにしている。「アエラ」は会員登録もしたが、最近の記事は中身が乏しい。「読売ウィークリー」のほうが、「最高の授業」「法廷の迷宮」など面白い。木曜発売の「文春」「新潮」の右よりの雑誌は雑誌不況の中でものびているという。確かに「新潮」は例の19歳殺人犯の氏名と顔写真を公開した。身柄確保が第一との理由からで、犯人が自殺した後に氏名を公開した新聞を笑った記事も載せたがひとつの見識といえるだろう。今日朝日の夕刊配達の人が一緒に「週刊朝日」をかごに入れて配達していた、定期購読者だろう。「週刊朝日」を明日は買おうと思いつつ新聞配達屋を眺めていた。
Sep 30, 2006
抗うつ薬パキシルをのみはじめてからだいぶたつがまことに調子がいい。調子がよくてメンタル系など見もしないでいたが、たまたま手に取った本「薬でうつは治るのか」を読んで感じたことを書く。僕が飲んでいる薬はSSRIといって、もはや抗うつ薬ではポピュラーなものになった。擬似的に脳内伝達物質のセロトニンを増やすものでアメリカでは「ハッピードラッグ」などといわれたりもする。しかし作用は従来の薬に比べて強くはないそうだ、副作用が少ないため長いこと飲み続けても平気という。しかしこの薬がうつの治療だけではなく強迫性障害やパニック障害、さらには社会不安障害にまで適用されるとなると、いったいこの薬は何の薬なのかという疑問がある。実際僕自身いったいいつまでこの薬を飲み続けなければならないのかという疑問はある。この本で言えば「今日多くの人々が、病気でもなければ、治ってもいない、維持療法の多彩なプログラムに組み込まれてしまっている」ということになる。先日の精神障害者ホームヘルパーの講座で「脳の十年」というのはもう終わりつつあるという話が出た、脳内の神経伝達物質について解明がなされたということだろう。それならば「維持療法」ではない本当に症状をすっきり治してくれる薬が出てもいいはずだ。メンタル系の本を読んでいるとカウンセリングのすすめなどというものに出会うことが多い。しかし簡単にカウンセリングをうたうのはやめたほうがよい、カウンセリングには基本的に保険が利かないのだ。患者は一回の診察で膨大な金額をむしりとられる、しかもカウンセラーの基本は「傾聴」だ、基本的にクライアントの話を共感的に聴くだけで問題を解決してくれるわけではない。僕の行っているクリニックは例外的にカウンセリングに保険が利く、で払っている金額から推測すれば一回の診療に一万円がかかっていることになる。もし保険適用でなければこんな高額の治療費を払える患者がどれだけいるのか疑問だ。で、結局「維持療法」という名前の下にほとんどの人はSSRIを飲み続け、精神科との関係が切れないでいる、笑っているのは医者と製薬会社だけではないのか。
Sep 24, 2006
最近パソコンやる時間のない僕ですがリンクを二件付け加えました。読書家で新婚ほやほやの船長ハリーさんの「トート号読書日誌」と夫婦仲むつまじいオットさんとツマさんの「さかなのはなぢ」です。船長さんはメルマガも活発に出しておられて、特に遠藤周作に造詣が深いです。オットさんとツマさんは猫好きで日常をありのままに書いておられます。
Sep 23, 2006
オウム真理教の麻原の死刑が確定した。今でも鉄道では「テロに対する警戒」をうたっているが、日本にイスラム勢力はいないので、地下鉄サリンのようなものを警戒しているのだろう。昨日の中央線の快速は夜乱れた、何でも武蔵境駅周辺の踏み切り警報ブザーが四箇所作動して確認におわれたためという。子供か何かのいたずらだろうが、置石と同じく立派な犯罪だ。しかし電車の中を見ると実にいろいろな人がいる。この前は小学生が二人優先席に腰掛けて余った優先席のスペースにかばんを置いている。いったい親の教育はどうなっているのだろうか。そうかと思えば若い女性が立ちながら弁当を食べていたりする。弁当が座っている人にこぼれたらどうなるのか考えもしないらしい。もはや携帯電話の通話や女性の化粧などたいしたことではないのかもしれない。トラブルも多発しているようで、駅員はすぐさま警察に通報する。駅の中で警官に囲まれた乗客を何人も目撃してきた。列車テロは起こらないにしても、電車内でのいろいろな行動に罰則を設ける必要もあるかもしれない。そのうち警備員が電車の中の乗客を監視する社会がくるかもしれない。
Sep 20, 2006
秋祭りの金魚すくいで掬ってきたのだろう、金魚をビニールに入れた男の子と母親が電車に乗っていた。よほどうれしかったのだろう、男の子は座席から立ってあちこち行ってはしゃいでいる、ちょっと目障りである。そこで事件は起こった!なんと男の子が金魚が入ったビニールの袋を電車の床に落としてしまったのだ。ビニールから水が散乱、金魚も散乱、慌てふためく親子!水はちょうど反対側の座席に腰掛けている人が床に置いたヴィトンのバックを直撃!みんな興味津々で事態の推移を見守る。その親子、さっさと逃げればいいのに金魚を拾って残り少ない水の中に入れて、ティッシュで女の人のバックを拭いている、女の人は当然憮然とした表情だ。電車に乗ってくる人はばら撒かれた水にぎょっとなる。母親は少しずつ床を拭いていく。小さくなって、おそらく針のむしろにいるような気持ちなのだろう、一駅一駅が相当長く感じただろう。幸運だったのは怒鳴りつけたりする人と遭遇しないことだった。楽しいはずの秋祭りが帰りの電車で恥ずかしい思い出になる。憮然とした女性は僕と同じく立川で降りた、親子は小さくなってまだ乗っている。どこまで乗っていくのだろう、金魚は生きて家までたどりつくのか。秋の始まりのちょっとした出来事。夕方の太陽はニコニコと親子を見守っている。
Sep 9, 2006
ヘルパーなんて何もできなくていい、講師が独り言のようにつぶやいたことが脳裏に残っている。この国では精神疾患は特別視されてきた、精神病というだけで何をするかわからないやつというイメージが人々の頭にはある。しかし自立支援法の成立で周囲が好むと好まざるとにかかわらず病院から出て地域の中で生きていかねばならない精神疾患を患った人が大量に出る、具体的に数を挙げれば七万二千人だ。そういう人たちのお手伝いをするのが精神障害者ホームヘルパーなわけだがそこで冒頭につながる。何食べたいと利用者に聞くー目玉焼きがいいと利用者が答える、普通のヘルパーはさっさと手際よく作るのが優秀なヘルパーだろう。精神障害者に対するときは違うのだ。目玉焼き、僕もわからないや、一緒に作ろうかーフライパンを焦がして手を油だらけにして利用者と一緒に作るーそれが求められるヘルパーなのだ。これを専門的には「経験の共有化」という。この話を聞いてふと老人介護よりこっちのほうが自分に向いていると思った。今日渋谷に行くバスの中からヘルパー二級の資格をとるとき行った知的障害者施設の前を、僕が足浴介助させてもらった知的障害者の人が歩いているのをみた。彼らも地域に戻ってくるのだろうか、彼らや精神障害者を受け入れてくれる地域社会が早くできてほしいと思う。
Sep 4, 2006
精神障害ホームヘルパーの資格習得が終わった。こんなもん大学院時代の勉強と比べればたやすい。内容は障害者自身が参加したピアカウンセリングということで板橋がすでに実践していることを全国市町村に広げることに尽きよう。板橋の美術館見に行くついでに施設見学してみたいものだ。障害者という呼び名も良くない。人間は潜在する力がありその力を引き出してあげるのがヘルパーの役割だ、施しをするのでは決してない。詳しくはパソコン戻ってから書きます。
Aug 31, 2006
本日から精神障害ホームヘルパーの講義が始まった。詳しくはパソコンが直ってから書きます。ヘルパー実習と併せ忙しい夏休みとなった。体調管理気をつけなければ
Aug 29, 2006
パソコン故障により当分ネットから離れます。ご了承ください、これは携帯投稿テストです。
Aug 21, 2006
昨日おとといと目黒の知的障害者施設に現場実習に行ってきた。知的障害者と接するのは初めてで初日はかなり緊張した。職員の対応もずさんで、職員がいる部屋には職員だかチンピラだか実習生だかわからない人がいろいろ出入りしており、又障害者も部屋にしょっちゅう入ってくるのでにぎやかなことおびただしい。二日目は責任者というか上のほうの人の指示がきちんと出され、トイレ掃除、入浴介助などいろいろ体験できた。二日目になると心に余裕が出てくるのでいろいろ見えてくる。しょっちゅう話しかけてくる人がいる、こちらは初日は内容を理解しようと懸命に努力したが結局同じ内容を繰り返してさしたる意味もないことを呟いているだけで聞き流すのがよいということがわかった。それより思うのは一人で本当は生活できるかもしれない人も施設の中にいるということで甘えが出てくるということだ。僕が介助しているときは足が動かない振りをするが、一人になればきちんと歩いている。一人社会にぽんと投げ出されたらルンペンでも何でも生きていかなければならない。彼らには本当は社会の中で生きる力もあると思う、施設の中にいるのは一生のことだと職員さんがおっしゃっていたがそれが彼らにとって本当にいいかどうかわからない。わずか二日の実習では何もわからないとも批判されようが僕はそう思えた。心は純粋なんだろう、帰り際「お兄ちゃん、明日又来るの」と呟いていた女性が心に残った。
Aug 18, 2006
今日は練馬区立美術館へ行き、展示をゆっくり眺めてもまだ時間があったので階下の図書館へ行ってみる。ここは一階が図書館、二階が美術館になっているのだ。なんといってびっくり、ここは美術館展覧会カタログコーナーがあり、豊富な図書がそろっている。もう美術館では販売していないカタログもあるが、ほしければ借りてカラーコピーすればいいだけの話だ、練馬の図書館はみなこうなのだろうか、それともこの図書館だけなのだろうかともかく羨ましい。哲学の書籍も数は少ないが趣味はいい、長崎浩「日本人のニヒリズム」などかえってアマゾンで早速注文してしまった。ところでここの図書館は防犯システムが導入されている。無断で本を持ち出すとアラームがなるあれだ。今日僕がトイレへ行って戻ってみたらちょうどアラームがなった。すぐさま図書館の人不審者を探しに出てくる。しかし挙動不審な人ー逃げるように出て行く人がいないのだ。ゲート近くには三四人の人がいたがみんな平然としている。図書館の人は誰を尋問していいのかわからず、きょろきょろするだけ。アラームの誤作動、そう思いたい。
Aug 6, 2006
介護実習は模擬実習も含めてすべて終了した、後は現場あるのみだ。もう教室に行くこともない、そんなわけでみんなで食事会をした、離婚経験者の多いのには驚いた。さてヘルパー二級は介護の資格のすべての基本だ。僕はさらに精神障害者ホームヘルパーの資格をとることにした。自分も鬱で苦しんだ時期もあった、幸いいまは体力はないが気力はある。精神障害者ホームヘルパーの資格はヘルパー二級を持っていれば精神障害の理論を学ぶだけなので三日の講習で取れる、視覚障害者のガイドヘルパーと同じだ。それにしても介護の世界はおくが深い、まだまだ学んでいきたい。
Jul 31, 2006
テレビを観ない僕だが昔から楽しみにしている番組が一つだけある。テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」だ。はじめのうちは西田ひかると森本レオが司会をして午後6:30からやっていたが、いろいろ試行錯誤があったようで、今は司会なし、時々レポーターを使い、午後11時ごろからはじまる。日曜洋画劇場とサッカー宣伝番組のあいだに、テレビ朝日が「青少年に見てもらいたい番組」とするこの番組を入れる理由は知らない。午後11時だ、もうすぐ番組が始まるのだが番組サイトを見ても「次回の放送は休止です」となっている、しかしテレビ番組表にはきちんとやることが掲載されている。つまり番組のサイト管理人は先週の放送がゴルフ中継で休止したのでそのままほったらかしているらしい、困ったことだ、ちなみにサイトはhttp://www.tv-asahi.co.jp/earth/番組最後の加藤登紀子さんの歌など実にしみじみとしていい。しかしこの番組に限らずドキュメンタリーものはテレビ局はあまりとりあげない。同じテレビ朝日の「テレメンタリー」なんていい例で、夜中の三時に放送する、一体誰が観るというのか!NHKの不祥事問題がいまだに尾を引いている。しかしNHKはドキュメンタリーについては時間帯、内容、いい番組をやっている。民放はドキュメンタリーはNHKに任せて、軽々しく視聴率をとる路線をしているのではないか。
Jul 30, 2006
大都市渋谷に実習に通っていた。三時間講座なので、始まる前にたいていマクドナルドで百円バーガーと百円の飲み物で腹をこしらえてからいっていた。よくわからないことがある。店員の眼の届かない席がある、二階○席、地下一階○席などという店だ。どういうわけか何も手元にマクドナルドの商品がないのにずっとしゃべっている、あるいはくつろいでいる若者がいるのだ。当たり前だが商品を注文して、持ってきてくつろぐのが普通だ。百円あったらマックに行こう、という、百円の商品でも何でも買えばよろしい。それなのに、やってきて商品も持ってこないでずっとケイタイをいじくっている若者がいる。無料休憩所と勘違いしているのではないか。たまには店員も見回りに来るが、店員も不審そうな顔はするが、商品を買ったのか訊くこともしない。無用のトラブルを恐れているのだろう。まあ世の中いろんな人がいる。しかしマクドナルドは百円商品でかなり損失を受けたのではないか。
Jul 27, 2006
自分の娘を橋の上から突き落とし、それが「事故」と判断されると近所の男の子まで殺した事件ーいうまでもなく秋田の事件だ、しかしこの事件の本質はなんだったのか。マスコミは「容疑者」とされた女性の実家に24時間体制で張り込み、週刊新潮などは「犯人はわかっている」とまでする記事を書いた。中には「容疑者」がフウゾクをやっていることを書いた雑誌もあり、反対に「容疑者」の女性の反論を載せることでかえってその女性が怪しいとこちらに思わせた雑誌もある。そもそも風俗をやっているとされた女性は「女児の母」と雑誌に掲載されたわけではない、「近所に住む女性」とされた、であるから女児の母とは別の人物が疑われているとの印象も受けた。すべての週刊誌を読み合わせれば同一人物が疑われていたことは明らかだったのだがこの異様な報道合戦はなんであったのか。警察の捜査も傍目にはマスコミの過熱をおったようにもうつる。この事件は第二の松本サリンか第二の和歌山カレー事件のどちらかになるといった人もいた。ちょうどその頃週刊誌には適当なねたがなく、この事件を追及するしかないとの事情もあったろう。しかしマスコミの「正義」とはただ「容疑者女性」の過去を洗い出したりすることなのか大いに疑問だ。意味不明の犯罪を受けて今度は心理学者があれこれこの女性の心理をのたまうだろう。何よりマスコミはこの事件がおきた小さな共同体を破壊しつくした、それでもマスコミに反省の声は聞こえない、自分たちが考えたとおりこの女性が犯人だったことに満足しているのか、一言「やりきれない」と掲載する雑誌はないものか。
Jul 19, 2006
今日は多摩地方で豪雨と落雷があったようだ。JR中央快速も多摩都市モノレールもとまつた。僕は多摩美術大学美術館の展覧会を見学してから母の元へといった、多摩都市モノレールを使うわけだが簡単に復旧するだろうと考えていたら甘くはなかった。モノレールの駅に行くと「この電車の次は三十分くらい次の電車はありません」あわてて乗る。しかも行き先が立川北だ、母のところは立川からもう少し上のほうに行かなければならず、モノレール数駅ある。立川からタクシーかと思いつつ乗っていたら行き先変更、終点の上北台というところまで行くという。やれやれと思っていると今度は運転間隔の調整とかで待たされる、まあ大変だ。帰りのJR中央快速はもっといただけない。三鷹駅に着いたら中央特快が来たが、中央特快よりただの快速が東京駅まで先に到着するとのアナウンス。停車駅が多いただの快速が先に東京までいくというのだ。どういうことやら意味もわからず中央特快からこちらの快速に人がぞろぞろ。しばらくすると又アナウンス、やはり中央特快を先に走らせるという、又人ぞろぞろ特快へと戻る。まあおかしなアナウンスだ。いつも思うが自然災害に乗り物は無力だ。しかし宇宙にまで人は進出しているその叡智を生かせないものか。自然災害でも止まらない乗り物が早くできることを祈りたい。
Jul 15, 2006
介護実習も最終盤、次回はレクリエーションだ。認知症のお年寄りと仮定した参加者と一緒に遊ぶ、その前に自己紹介をおもしろおかしくやらないといけないという。僕は母の特養ホームにおいてある招き猫の人形を使おうと思う。明治神宮で買ってきた招き猫で、電池ではなく電気に反応して半永久的に体を動かせている。メス猫みたいだが、うちではなぜか福太郎と呼んでいる。福太郎ー見ているだけであいらしくて可愛い、しかもいつも動いている。皆さん、これはなにで動いていると思いますか。皆さん幸せですか、幸せを感じていますか?この猫は皆さんが喜ぶと動くのです、楽しくて喜んでもらえるとそのエネルギーを感知して動くのです。僕は皆さんと楽しく時間を過ごしたいのです、福太郎をいっぱい動かしたいのです。そのためにきました。そんな風に自己紹介しようと思う、認知症と仮定した参加者相手だからまあうまくいくだろう。幸せを探す猫ー帰りのバスの中で思いついてなんとなくこの発想が気に入っている。
Jul 10, 2006
親戚から妙な手紙が来た。母方の親戚だ、実は母の父、つまり僕のおじいさんは相当の資産家でその相続問題で親戚が仲たがいしてばらばらになったという経緯がある。問題は長男、母の兄が財産を相当横取りしたことにあった。で長男の子どもはマンションの管理で何もしなくてもお金が入ってくるような生活をしていたのだが、長男とその妻が意識不明になり又問題が発生したようだ。なんでも長男の子どもー僕の甥に当たるとその妻が長男の財産をめぐってあれこれ陰謀を図って収集がつかなくなったらしい。長男の子どもと妻は離婚して、せっかくの大きな土地を離れて別々に暮らしているようだ。僕にはどちらが正しいとか悪いとかは勿論判らない、一方的に自分が「正しい」と書いた手紙を親戚一同に送付したようだ。お金はないと困るがありすぎるのもまた困る。ほどほどがいいのだろう。はっきり言ってそんな骨肉の争いには巻き込まれたくない、母の父のときですでにばらばらになった親族は今頃になってなに騒いでいるのかというのが本音だろう。僕はその点幸せだ、母一人を守る、それだけ、誰にも手出しはさせない。今日特養ホーム行ってその珍妙な手紙を見せて笑わせてやろう。
Jul 5, 2006
実習と同時に歯医者にも通っている。いまの歯医者は暇なのだろうか、毎日のように来てくれと言われるがいつ行ってもお客が少ない。いまの歯医者は神経をとらない、僕は子どもの頃から歯が悪く、「根幹治療」とか言われて神経を抜いていたので歯が弱くなって精神的ストレスも重なったのだろう、歯が一本とれ、又とれとぼろぼろになってしまったのだ。幸い歯の根は残っているのでインプラントではなく入れ歯を作ることになった。今日入れ歯の型をとったのだが驚いたことにその先生、okiさん、四十分くらい時間ないかな、セメントが固まったら噛みあわせを調節したいという。で喫茶店でコーヒー飲んで戻ると待っている人はまたもいない、もうセメントが固まって噛みあわせの調節をした、来週には入れ歯ができるという。確かに駅の近くを見ると歯医者だらけだ、どこの歯医者に行ったらいいか迷うほどだ。歯医者は供給過剰なのだろうか、それともやはり混んでいるところは混んでいるのだろうか。何はともあれステーキをレアで、あるいはすしでもタコとかイカとか硬いものをかじりついて思いっきり食べたい。入れ歯がうまくはまればその望みもかなえられる、まちどおしいな。
Jun 30, 2006
雑誌の話ばかりで恐縮だが本当に雑誌は売れていないのだろう。今週発売、つまりは全国的にはあさって発売する「週刊朝日」がなんと340円になった!300円がずっと定価で、ついこの間320円にあがったと思ったら又二十円値上げだ。で、内容はというと「日本一早い総選挙予想」で小沢民主が勝つだろうというどうでもいい内容だ。一方「サンデー毎日」は表紙写真をサッカーの写真にして「戦犯はどいつだ」と銘打っている。内容を見ると「ジーコジャパン「ニュルンベルク裁判」」とただ事ではない気配だ。しかしサンデー毎日はコラムのほうが面白い。保阪正康の「昭和史の大河を行く」は「靖国という悩み」の連載だ。時期が時期だけに靖国問題は国民が知っておくべきだ。ところで「週刊朝日」と「サンデー毎日」は渋谷、新宿では日曜の昼に並ぶ。書店を経営している人によると雑誌のはや売りは禁じられているという。しかし「アエラ」「読売ウィークリー」など書泉グランデで土曜日に堂々と並べられている。書店の側では入荷している雑誌を売って何がいけないということになろうし、雑誌ファンは早く内容を知りたいのも事実だ。書籍の世界でも正直者が馬鹿をみるのだ。
Jun 25, 2006
今日の講習は口腔ケアという簡単な内容で、人数も若者二人が休んで七名。必然的に時間が余るので四方山話に花が咲く。そんな中で第一回目からエプロン着用、運動靴持参なのはなぜかという話になった。講師によるとなれさせるためだという。施設実習のときにエプロンを忘れた、運動靴を持ってこないという人もなかにはいるそうだ。そもそも受け入れ先にとって実習生などはいなくてもいい目障りな存在に他ならない。それなのにもってくるべきものを持ってこない実習生などは施設からすれば迷惑千万だ、今日はお引取りくださいということになる。そんな事情があるから最初から身だしなみをそろえさせるのだと。さてその施設実習、知的障害者の施設に決まった。障害者自立支援法のためだろう、この講座を終了すれば介護ヘルパーと同時に障害者に関する資格も取得できることになるという。四方山話に続けて僕が親を施設に預けている身として一番心配なのは緊急時の対応だということを話した。誤嚥などで救急車が来るまでどう応対したらよいかわからないからだ。すると講師は実はそういうときの資格を学ぶ教室をこの次紹介してくれるという。早速興味がわく、時間があればその資格も取りたい。ヘルパー二級からどんどんと次の資格へと話は広がるー面白いことこの上もない。
Jun 22, 2006
昨日の実習は衣服の着替えだった。用意するものは前空きのパジャマかガーディガン、後は教室で用意してくれる寝具を使った。で、今日母の元へ行って早速復習しようとして困った、なんと着ているものがボタンのついた前空きのものではなく被り物だったのだ!被り物の着替えの仕方というのは実習にはなかった。特養ホームでは入居するとき着替え○枚と一応の指示があるが、それについていちいち前空きのものにしろ、被り物はやめてくれなどという指示はない。こちらは枚数をそろえて名前を貼り付けるのに精一杯で介助する立場に立った考えなどしていなかったことに気づいた。率直に言って被り物より前空きボタンの方が介助するのには楽なのだ。半分入れて体を動かせて又半分入れて最後にボタンを締める、こうやる。利用者の羞恥心を配慮してバスタオルを使う場合もあけるところで調節して最後に引き抜く。被り物の場合半分入れて動かせるということができない。今日ああそうか、介助する側の論理としてはー気がついたのだ。しかし介護する家族の方も相当負担を抱えている、率直に介助する側の論理を考えてキモノを用意せよなどと命令することはとてもできないだろう、ヘルパーの講座をとってよかったとつくづく思う。さて前に書いたように僕の所属する教室は基本は九人だ。講師によると通常は16-18名くらいらしい。つまり僕の教室は同じ値段で他所の教室の二倍の時間を使えて繰り返すことができる。逆に言えば普通の教室は通り一遍のことしか教わらないということにもなる。「介護技術」などといっても名前だけだ。次回は食事介助、僕がホームでやっていることをそのままやる。ああだこうだ率先して教えてやろう。
Jun 16, 2006
いきなり、ヘソ出しルックの若い女性がケイタイもって教室に現れたときは何者かと思った。講師の講義中にメモしているかと思ったら話がつまらないのか、紙に書いていたのは後で見たらドラえもんの顔だった。ヘルパー実習は三回目、都合によりほかの教室から移ってきた人だが、そんな人とロールプレイをやることになるとはー。設定は38度の熱のある老人のお宅に伺って帰るまでどう接するかと、気難しくて他人の世話にはならないという老人を息子夫婦の依頼で接するときどうするかー。けど話してみると明るくて気さくな女性ではある、おばあさんが特養ホームに入っているというからまあ優しい人なのだろう。しかしその専門学校生、テキストなどまったく読んでいないのには驚いた!基本的に四回のレポートを提出してからこの実習にのぞむことにはなっている。講師の先生にokiさんは真面目だからーといわれたがこういうテキストなど読んでいないで教室に来る人が多いのであろうかー。今日は開始直後に就職に関する事務の人の話もあった。だんだんヘルパー二級が現実味を帯びてくる。それにしても井の頭線は勤め帰りの人でごったがえす。分厚いテキストに運動靴を抱えて帰る身にはたまらない、次回からタクシーにしようか。あの女性のメールアドレスを訊いてレポートの答えを教えてやろうか/笑。
Jun 5, 2006
相変わらず雑誌の話だ、今週は「週刊朝日」がリニューアルされたが「週刊ポスト」を今日は取り上げる。曽野綾子さんのエッセイにアフリカ南部でエイズと苦しむ男の子のために北海道の中学を卒業した女子学生四人が千羽鶴を半年かかっておった話に曽野さんは「人間の善意なら誰もが感動するはずだという安易な前提の基に書かれた記事たが、ここには無知と見当違いが幾重にも重なっている」と断ずる。千羽鶴をもって南アフリカまで行かねばならないユニセフの人はさだめし迷惑な話であったろうと続き、自分なら一キロある千羽鶴より一キロの抗生物質があれば確実に何人かの命を救えるのだから自分ならそちらを選ぶという。そして話は続き「四人の少女たちは少しも悪くない。しかし彼女たちの行為が善意であってもあまりにも現実とかけ離れているその幼さを、誰一人指摘してやらなかった周囲の大人たちの無知は看過できない」「千羽鶴を折っていいことをしたと思い、悩みから解放されるのが一番卑怯なことであると、曽野さんの指摘は手厳しいが日本財団を運営していた人らしく話は現実的だ。もう一つポストにはジャーナリスト江川紹子さんの「老い行く刑務所」という記事がある。高齢の受刑者が増えているという話だ。真面目に働くこともせず金もなくなって万引きを繰り返してはわざわざ警察に出頭し実刑判決になった人の話が載っている。彼は「ルンペンはエライ。わしはルンペンはようせんわ」路上生活者はいかにも大変そうだからわざわざ刑務所に入るのだという、「自由」はなくてもくってはいける、刑務所には正月のおせちもある。満員電車に揺られ、住宅ローンを抱え、それでも必死に生きている多くの人々にとって納得のいかない話ではある。善意志を強調し、行為の動機の純粋さをといたのは言うまでもなく哲学者カントだ。しかしカントには神による来世での報いの思想があった。「純粋理性批判」最後のほうの道徳を述べた箇所でこの哲学者は神による来世での報いがなければ立派な道徳的行為も賞賛されても決して行為の動機たり得ないとはっきり書いている。僕はカントの晩年までの著書を検討したが決してこの思想は彼の若さゆえの未熟な思想ではない、カント哲学を貫くモティーフである。ではと考える、神の存在そのものが不確かな現在、キリスト教思想そのものが揺らいでいる現在カントは今でも善意志の思想を貫いたろうか。正直者がバカを見るという、それが現実で来世も無ならば善意志だけでたりるのか。
May 30, 2006
実際に勤務しておられるヘルパーさんのお話は説得力がありいちいちうなづいた。今日が介護ヘルパー資格習得の実技初日。僕は夜間コースだが昼間のクラスとは雰囲気が違うという。昼間のクラスは四十台の女性がサークル感覚だが夜間は年齢層が広い。参加者は全部で11人だが初回から欠席者二名あり、9名で始まる、男女半々だ。大学生の若い女の子から、出版不況で次の道を介護に選択しようとしている中年までいろいろ。中学や高校の夜間学校もこんな感じなのだろうか。話のなかに2015年介護問題というのがあった。何のことやらと思うといわゆる団塊の世代が介護保険の給付を受ける問題だという。元気な老人がやたらと多くなる、そんな人たちにまで介護給付をしていたら国の財政はとてももたない、今年の保険改正の一つの狙いはここにあったと知ってなるほどとうなづいた。そこで「介護予防」の考えが出てくる。要支援1と2は介護予防給付となるという。でもってヘルパーの現実も大変らしい。たとえば病院への送り迎えはヘルパーの仕事だが、病院内は医療の現場だ、病院へ送っていって帰るまでは待合室で待っているしかないという、でその時間のお金が出るかどうかは事務所しだいという。まあなかなか面白かった、心地よい疲労のなかでこの原稿を書いている。
May 29, 2006
母の特養ホームに行っているといつもTBSの六時のニュースを見てから帰るが、そのなかで毎日新聞社の「まいまいクラブ」のコマーシャルが流れる。なんでも「読者が参加するサイト「まいまいクラブ」始まる」といって、「論争がある、毎日新聞」と締めくくられるコマーシャルだ。「論争がある」というのだからさぞ活発な議論の応酬が展開されていると思うが、どうも見た感じそうではない。http://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/投稿の数も多いとはいえないし、各人が勝手なことを述べている感じだ。毎日新聞といえば三月まで存続していた「毎日フレンド」の個人情報六万人分がネットに流出したことでも記憶に新しい。僕も入っていたが、六万人もいたのかという感じだ。「毎日フレンド」のときは展覧会の招待券もよくあたった。しかし「まいまいクラブ」になってからはまったくあたらなくなった。加入者がさらに増えたのだろうが、それならもっと議論の応酬が盛んになってもよい。新聞社のキャッチフレーズは朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」が波紋を呼んだ。毎日の牧太郎は「生き物である言葉を軽々しく無力だなどと呼ぶな」と反論した。毎日のキャッチフレーズは「主張を押し付ける新聞はもういらない」だったろうか。讀賣と産経、右よりの新聞社がどういう戦略を取るのかにも注目したい。
May 26, 2006
先週号の「サンデー毎日」で、小玉節郎さんがポイントカードについて書いていた。どこの店に行ってもポイントカードお持ちでしょうかと聞かれて「うっとうしくてしようがない」と。毎日買い物に出かけてポイントがたまる主婦ならともかく、そんなカードを作ってもらってもどこにやったか忘れてしまう自分のような人にはその分割り引いてほしいといった趣旨だ。今週の「エコノミスト」を見ると、別にその記事に触発されたわけでもなかろうが、日垣隆さんがやはりポイントカードに触れておられる。日垣さんによれば「答えは明白」だそうだ。「いずれケータイに吸い込まれてゆく」ものであるからここら辺を経営陣に問うべきという趣旨だ。なるほどとも思う、しかし小玉さんおよび僕ならこう反論するだろう。ケータイにポイントカードの機能をいちいち付け加えてもどこをどう操作したらいいものやらと。一日中ケータイをいじくっているような若者はポイントカードの機能を付け加えても理解できるだろう。しかしこちらはメールもろくに小さな画面でできない中年おやじだ。現に中高年向けにいろいろな機能をわざと付加しない単純なケータイも発売されていると聞く。雑誌を読む楽しみはこういうところにもある。小玉さんの意見、日垣さんの意見、世の中どちらが優勢なのだろうか。
May 17, 2006
いろいろ書きたいことはあるが今日は母の日だ。特養ホームにカーネーションを持っていくまでもなく施設のほうで各部屋に配ってくれていた。でホームの職員だが一人態度のよろしくない女性職員がいる。僕が行っても挨拶もしない、老人への態度は投げやりで、○×チャンなどと「チャン」付けで呼ぶ。いやしくも人生の大先輩方にチャン付けはなかろう。相談員に苦情というか文句というかを言ったら注意するという。問題はプロとしての意識だ。忙しいのは判る、大変なのは判る、しかしそれでも笑顔をたやさないのがプロというものであろう。実際多くの職員はプロ意識を持っていると思う。しかし心に余裕がなくなるとそれが態度に表れるのも事実だ。心に余裕をなくす多くの原因は金がらみだ。警備員さんとも話して、施設に苦情を言ってくるのは生活保護を受けている家庭の人が多いという。僕なんかがヘルパーの資格を取って施設でボランティアをしようというのは、はっきり言えば自分が恵まれているからだ。財産はまだかなりある、土地を売れば億という金が入ろう。ボランティアは素敵だ、しかしある程度恵まれていないとできないことも事実なのだ。安い給料と悪い待遇ーそれでも職員にプロ意識を持ってくれというのは残酷だろうか。
May 14, 2006
東京駅で「たっぷり春野菜弁当」というのを買ってくる。それを見ると一日に350gの野菜を食べないといけないらしい。しかし野菜だけ食べていればいいというものではなかろう。たんぱく質、フルーツ、ビタミン、魚介類ーそれぞれが計算する必要量の食物を食べていたら一日どれくらいの量の食物をとらないといけないことになるのか。しかもモノの本によれば巷で売っているお惣菜は化学物質だらけという。いわゆる「アミノ酸等」という表示に隠れて実はおびただしい化学物質が使われているとか。そうであればわれわれは一体何を食べたらよいのだろう!しかしながらものの少なかった戦争中、必要量など食べられなかった時代でも人間は生きてきたのである。スーパーサイズミーという映画が話題になった。一日三食ハンバーガーを食べ続けた男の物語だ。しかし人間はよくできている。あまり同じものばかり食べていると飽きてくる、ほかのものも食べたくなるものだ。そうやって人間はバランスをとっているのだろう。好きなものを食べればよいと思うー何を食べようか思い煩う必要などない。
May 9, 2006
世間は大型連休の真っ最中、新聞も明日は休刊する。しかしながら雑誌は動いている、「週刊現代」「週刊ポスト」は明日発売だ。明日新聞が休むのだから雑誌の広告は今日の新聞に入るはずーしかし週刊誌の広告がない!ヨミウリウィークリーのブログを見ると新聞が休刊のため社内は閑散としており、週刊誌の部署だけが働いている状況という。電車の車内吊りもなく、明日雑誌が発売されるのかと思うが、僕は繁華街で「週刊ポスト」を購入してきた。竹島問題が「スクープ」ということで、話題のダヴィンチコードの話もある。やはり明日雑誌が発売されるのは確かなようだ、ヨミウリウィークリーも校了したという案内がある。しかし「週刊ポスト」は前に比べるとまことにお上品な雑誌になった。ある意味「週刊新潮」のほうが下品なことこの上もない。そんなこんなで連休も終盤になり、日常生活が戻ってくる。
May 5, 2006
介護ヘルパーのマークシートの添削が三回送られてきた。こんなものテキストを見ながら回答すればいいのだからと甘く考えていたら世間はそう甘くはない、回を重ねるごとに点数が減っていくではないか。一回目は95点だった、全部で20問あるから1問5点で1問間違えた。二回目は85点、ちょっと難しいので後回しにして回答せずに措いた質問があった、その設問に回答せずにうっかり忘れてそのまま送ってしまったのが原因だ。で、今日返ってきた三回目は80点、四問も間違えた。マークシートは後一回回答すれば終わるがこの調子だと70点台になりかねない。テキストをよく読み、判らなければネットで調べるなどちょっと挽回しなければいけない。マークシートといえば思い出す、共通一次試験。数学の問題だった、最後の最後の問題だった。ああできたとほっとして見直しをせずに提出したらなんとその問題だけ計算間違いをして満点を逃したのだ。何だこんな程度のものという気の緩みがいちばんいけない。さてもう一息だ、こころしてのぞもう。
May 2, 2006
下に書いた予定通り順調に進む。ヘルパーのテキストは三冊「介護の理念と社会的役割」「介護技術の基礎と実践」「介護保険と社会福祉の制度」からなり、初めの二冊は相当分厚い。しかし一日百ページほど読むので一冊は読み終えた、でマークシートの試験を回答する、易しいのでどうということはない。二冊目を読んでいるが、ベッドメイキングとか排泄介助とか理屈はわかるのだが実践しないことには仕方がない、実践が始まるまで待ち遠しいことおびただしい。しかしながら「高齢者は豊かな人生経験を持っているから学ばせていただく姿勢で望む」とかまあいいことが書いてあるが実際は難しいものがあろう。何を考えているかわからない老人、不可解な言動、暴力的な言動を取る高齢者に「学ばせていただく」といっても難しいものがある。言い換えれば理論ではなんとでもいえるが実際問題人間関係を支配するのは感情だ。あいつはいけ好かないやつだと思えば、すべては悪く相手を考えてしまう。実際特養ホームでもこの二月に待遇やら何やらを巡って職員が大量辞職した。いま残って、開設以来いる職員はホントに偉いと思う。で何を言いたいのかといえば早いとこ僕も一人前のヘルパーの資格をとりたいということだ、理屈だけではなく実践できる人間になりたいということだ。
Apr 22, 2006
前から書いているように週刊誌ばかり読んでおり、その代金もバカにならない。大体電車移動の際は週刊誌を読んでいる、もしくは展覧会のカタログだ。そうこうしているうちにヘルパーの教材が届いた。教材を読んで三回ほどマークシートの試験に答えなければならない。試験といっても教材を見ながら回答すればよろしいのでどうということもないが、七十点を下回ると再提出となる。僕のヘルパーの実技は五月末からなのでそろそろ教材を読みマークシートに回答する必要がある。家で教材を読んでもいいが、せっかくだから母の元にいく途中の電車の中で読もう。すると必然的に週刊誌は読めない、しかし週刊誌をまったく読むのをやめて教材ばかり読むのもなんだから特養にいく行きの電車では週刊誌を、帰りの電車では教材を読むことに決めた。すると必然的に読む週刊誌の数が限られてくる。朝日、毎日、ヨミウリと新聞社系の週刊誌は読むことにしよう。あと「週刊金曜日」、これは家に郵送されてくる、金は前払いだから読まないとそんだ。そんなこんなで勉強といつもの日常を組み合わせていこうと思う。実技が始まっても美術館めぐりと両立させたい。どうせだから楽しくやりたいものだ。
Apr 16, 2006
国家に金がないのはわかっている、しかしいろいろ工夫すべきだろう、公務員住宅が都心にあるなどどうもおかしいことが多いのに政府は弱いところから金を取ろうとする。その一つが自立支援法だこの四月からスタートした。精神障害ではいままで32条といって5%の負担ですんでいたものが原則10%の負担になる。収入が多い人はもっとむしりとられる。今日はこの法律が施行されて初めてクリニックに行く日だった。送られてきた「自立支援医療受給者証」というものを持ってクリニックへ行く。待っているとおばさんが窓口にやってきた。「なんかいろんなものが送られてきてよくわからない」といっている。そういう人が多いのかクリニックの受付も慣れたもので、この書類に書いてくださいと書類を差し出す。するとおばさん「私手が震える病気で字が書けない」と言い出す。受付「他人が代筆するのは禁じられているのでがんばって書きましょう」おばさん書き出す、「○という漢字はどう書いたらいいのでしょう」受付「○へんに△です」こんな調子で延々と続く。一人を相手にするのにこんな調子だ、全員を相手にするのにさぞくたびれるだろう。精神疾患の重い人は受付にすら来られないかもしれない、しかし書類を出さないと自己負担になる。天下の悪法というしかない、それでも従うのは弱い立場だからだ。
Apr 7, 2006
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