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精も根も尽き果てた・・・そんな感じです。神様は本当にいるのでしょうかねぇ・・・わたしにどれほどの試練を与えたら気が済むのでしょう。ようやく入った犬歯は両隣の歯を削った為 前歯の神経が圧迫されているようで、顎関節症の顎も歯も最悪でオマケに頭痛が止まず今日2回目の入れ直しをしましたが、未だ涙目です。最近はランチの支度を終えると決まって吐き気がしてきます。なんなんでしょう?!キッチンシンドロームですかね・・・店でしか起きないのですが。せっかくメニエールのめまいが遠のいて、あと一歩と頑張って来たのに最後の山がデカイです。仕事も家事も放り出したいです。ずっと日記に書きたい事もへなちょこ日記しか浮かんできません。また体調が良くなれば再開しますので、しばしのお別れです。では寒くなりますが、皆さんまた会える日までお元気で。(^^)/~~~
2006.11.27
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久しぶりにランチの画像です。昨日のランチはお弁当。八宝菜と出汁巻卵、揚げ出し豆腐にお吸い物。出汁巻卵が綺麗に巻けませんでした・・・揚げ出し豆腐の生姜もちゃんと生生姜を擦ってます。ちょっと写真の色がボヤケていて、美味しそうに見えないところが味噌です・・・・耳が悪くてお客様の聞き取りにくい話にも入らなくて済むので忙しい日が一番です。
2006.11.22
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今日はそれほど寒い日ではないのですが、わたしの足元はこんな感じです。お風呂から上がったら即効靴下と靴下カバーにレッグオーマーの3段重ね。仕事中もこんな感じです。(もちろんズボンで見えませんよ)自律神経の調節が出来ていないのでしょうねぇ・・・メニエール病になってから足首が冷たくて寝る時も靴下が離せません。 足も冷たいけれど、それ以上にどうして足首がこんなに冷たいのでしょう。すっかり田舎のおばあさんで、トホホです。
2006.11.21
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顎関節症で、休み休みの歯医者さん。レーザー治療の甲斐あって痛みも顎が外れる回数も減り、やっと昨日犬歯を入れるための型を取りました。少し前までパンは潰して1cm位開けた隙間から押し込んで食べていました。たくわんなんて食べれられません。ボリッと奥歯で噛んだ途端 顎がズレてましたから。歯医者さんの先生は「無理しないで痛かったら言って下さいね。途中でも止めますから」と優しい言葉。しかし犬歯入れる為には麻酔を掛けてその左右の歯も削るんですね・・・・悪くない歯まで無くなる~~(涙)家に帰って店を開け、正午を回った頃からズンズン痛み出しました。削った歯なのか顎なのかもう何処が痛いのか分からない痛みです。鎮痛剤を飲んでも一向に楽にならず、とうとう4時のお客様の居なくなった隙に店を閉めました。久しぶりの早仕舞いでしたが、今朝には痛みは無くなっていました。歯医者さんでどれだけ緊張したのか肩も首もコリコリで、今も重たい石を背負ってるみたいです。メニエールのめまいが良くなって、顎もだんだん良くなって歯医者さんもあと一歩!そしたらわたしのネガティブ日記も終わるでしょう。
2006.11.14
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いじめについて。小学校を卒業して30数年。今まで誰にも話した事がありません。プライド・・・それですね。誰にも話す気にも思い出す気にもなりません。わたしには小学校の時の記憶が殆どありません。修学旅行?行ったんでしょうが何にも思い出せません。小さい時 わたしは地味な居るのか居ないのか分からない子供で、病気がちでいつも学校を休んでいました。学校は嫌いでした。誰も話す相手が居ないから・・・・・クラスの女の子の殆どがわたしの存在を無視するから・・・・・誰かがわたしに何をする・・というわけではありません。誰も何もしません。わたしはクラスに存在しない子でした。5~6年の2年間は教室で息を殺すようにしていて “消えてなくなりたい願望”が常にありました。中学校に入って部活を始め 少しずつ変りました。変れました。何の取り柄も無く自信なく下ばかり向いていたわたし。そんな小学校時代のわたしを知らない新しい部活の仲間が出来、笑っていいんだ・・大きな声で話していいんだ・・・とやっと顔を上げられた・・そんな感じでした。それでも小学校時代の話題の輪には入れなかったし、無感情な表情で聞いているしかなかったです。わたしは辛かった小学校の記憶が一生消える事は無いと思っていました。実際20歳を過ぎる頃までは“消えてなくなりたい願望”が時々起こりましたからね。結婚して子供が生まれて一番最初に思った事、それは(どうかいじめられる子にだけはなりませんように・・・)でした。子供の自殺のニュースを耳にする度、消えてなくなりたかった当時の感情がよみがえります。死んでいく子供の気持ちが分かりすぎるほど分かります。でも生きてると楽しい事もたくさんあるよ・・・と教えてあげたいです。いつか解き放たれて楽しい日が来るからその日まで いじめる周りの人間と居なくなりたい自分の感情と戦って欲しいです。生きてるとやがて全て忘れられる日が必ず来るよ・・・・
2006.11.10
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事の発端は3週間前の開店間際の事。店の電球が切れ高い所なので椅子を2個重ねて取り替えようとしていたところ、いつもいらっしゃる男性のお客様が来店し「やってあげるよ~」と椅子の上に上って取り替えてくれていたのです。そこへ別の男性のお客様がやってきました。2~3度来た事がありそうなお客様です。電球も換えてもらい椅子を降ろし、お水をお出しました。するとその後からいらっしゃったお客様が「一人で出来ないような仕事なら辞めれば?!」と。わたしがキョトンとしていると「しょっちゅう休んでいるし、一人でやれないんなら辞めりゃいいじゃない」と低い声で言いました。最近は休んでいないしその頃体調悪かったので・・・と言い訳しようにも言葉が出てきませんでした。多分週に何度も休んだり途中で閉めていた時に何度かみえていたのでしょう。軽く「この頃は休んでないので大丈夫ですよ~」と言えればよかったのに咄嗟には出てきませんでした。酷くショックを受け、「わたしはわたし~」と開き直る事が出来ません。・・・何かがプツンと切れました。ここまで頑張ってきたと自負していた自分の中で何かがプツンと。(無責任に放った他人の言葉なんか気にしない気にしない)と思えるまで随分掛かりました。先日夫の前で大泣きしたのもこの言葉が悔しくて頭の中を占めていたからでしょう。その後、布団相手に大暴れをし(爆)疲れ果てたり、店の中を必死で掃除したりしてやっと気を取り直し、今日の月曜日を迎えられました。今度はあの時のお客様に「最近は毎日開いてますからいつでもどうぞ~」と言えますが、浮上するまで随分時間が掛かりました。
2006.11.06
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モチベーションが上がりません。めまいは大分減って楽になったのに、レーザー治療中の顎関節症は歯医者さんで閉じれなかったりして心臓バクバクになっているからでしょうかねぇ・・・昨日は「小さな声で言えば聞こえないって言うし大きな声で言えば怒ってるって言うし、じゃあどうすればいいのさ!」と言う夫の一言で大泣きしてしまいました。メニエール病になってから全てにとても我慢して来たように感じられ、人の顔色ばかり気にする様になった気がします。いつもいつも謝っている自分がとても嫌です。ようやくめまいも一段落して「ちゃんと仕事をするぞ~!」と思わなきゃいけない時期に、なんて事ない言葉にドッと落ち込み この何週間か、とてもキツイです。初めて仕事をするのが嫌になりました。何処にも自分の感情をあらわにしていい場所を見つけられません。歯医者さんが終るとモチベーションもUPするでしょうか・・・
2006.10.29
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大変申し訳ありません。昨日の日記削除しました。書いた事でなんかスッキリして自己完結です。コメント頂いたのにすみません。今月末 市議会議員の選挙があり選挙カーが賑やかです。立候補者の中にわたしの小学校の時の先生の顔がありました。小学校3~4年の時の担任の先生です。前回落ちて2度目の立候補です。30年以上前の事なのに妙な事は憶えているもので、クラスの役員とかわいい子だけ連れてスケートに行ったり自宅に招いたりする先生でした。普通にクラス全員の前で「○○ちゃんと○○ちゃん明日待ってるね」と。30数年前でも普通の事じゃないですよね~あれは「頭のいい子やかわいい子は得をする」と教育したかったんでしょうかねぇ・・・わたしは一回も連れて行って貰った事ないです。はい。年齢から行くとあの頃は大学出たてだったのね・・・・今分かりました。選挙のポスターの先生の顔を見て思い出すのはその事だけです。情けないですが他には何にも記憶無いです。そんな事を思い出している教え子がここにいるなんて思ってもいないでしょうねぇ・・・先生じゃないですけど、公約で「福祉日本一を目指します!」なんて言っている候補者が居ます。求人倍率も所得も日本最下位で、生活保護の需給率が日本一の貧乏県。あまり大きな事を言っても遠い世界の話を聞いているようで真実味に欠けますね。選挙カーが通る度にドッキンとアホな耳に響いて大変なので皆さん優しい声でお願いします。
2006.10.25
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「警察24時」とか、「カメラは見ていた」とか、そんなテレビの万引きの映像を見る度に本屋だった頃の事を思い出します。うちは10年前に本屋を廃業しました。近くにバイパスが出来、コンビニが出来、人の流れが変わってしまったからです。書店の内訳を書くと 規模にもよりますが雑誌で利益が2割~2割5分。書籍で1割~2割。その頃の記憶にあるものなので、今はもう少し違うかも知れません。1000円の雑誌を売って250円の利益、1000円の書籍で、150円の利益です。うちの店は父親のいた頃でもわたしと姉の合わせて3人で、1日10万の売上げがありました。単純に考えて日に2万~2.5万の利益です。殆ど休みもナシで働いて月にすると60万~70万。そこから光熱費や本を入れる袋等の経費を引き残りが利益です。残った本は雑誌は返品が出来、書籍は返せません。(ここでもまた取次店(問屋)と小売店の規模で格差があるのですが・・・・・)うちが廃業した理由は売上げが落ちたと言う事もありますが、一番の理由は万引きの多さに根負けしたからです。防犯カメラを付け、自動で動く鏡を付け、それでも取る人には勝てません。一冊4~5千円の写真集が無くなったら、その分の利益を上げる為に少年ジャンプ何冊売らなきゃいけないか・・・・・週刊誌一冊売って利益は40円そこそこなのですよ。外に持って出るまで捕まえられず、外に出られたら追い掛けて捕まえるのも限界があり おまけにこちらはオンナですから相手によってはすごく怖いです。180円のカードが仕入れたばかりで箱ごと無くなりました。子供でしょうが、180円×20の3600円があっという間にパーです。信じられない気持ちで店中探し回っても無い物は無いです。交番に届けてもその後の処理が大変でした。子供の場合は学校や親とスッタモンダを繰り返しているうちに、うちは交番に届けるのを止めました。時間がとられて仕事にならないからです。父親が亡くなり姉は早々に廃業を決めましたが、平和でモラルのあった頃のままっだったら わたしは今でも細々と本屋のおばちゃんでいられたのに・・・・と思います。
2006.10.21
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わたしが最初に「コブクロ」を知ったのはデビュー曲の「YELL~エール」が携帯電話のCMで流れていた時。多分セルラーとか、そんなのだったかな?灯台が映っていたので、青森地方限定のCMだったのかも知れないです。「いい声にいい曲だなぁ・・・」と、そこから始まりました。あれが2001年の事。アルバムもシングルもすべて買い、店でも流し(実は営業でCDをかける事は著作権の関係で違反なのです)お客様には「コブクロウンチク」を繰り広げてきました。が、関西地方ではどんなに人気があってもその波は青森まではなかなか来ませんでした。CDがワゴンセールになっていると悲しくて持っているものでも買って来ました。3枚持っているものもあります・・・・・「この二人はきっといつか大きくなる!!」そう信じて応援し続けて6年。コブクロコブクロと言い続けて6年です。一昨年の12月クリスマスの日、念願かなって地元の大阪城ホールまで出掛ける事もしました。あの時の感動は忘れる事は無いでしょう。あれで一家中で大阪が好きになりました。今「コブクロ」はチケットもなかなか取れない状態です。この9月に出たアルバムはとうとう売上げ180万枚を越えました。・・・・本当に大きくなりました。「コブクロ」の唄には「いつか必ず夢は叶う!」そんなメッセージがこもっている気がしていましたが、身をもって証明してくれた二人です。
2006.10.20
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今日は夕方5時に卓球の練習が終る次男坊をわたしが迎えに行きました。次男坊が卓球のクラブに入ってからずっと夫が試合の付き添いも送り迎えもして来ましたが、このところ持病の方も落ち着いているので。5時キッカリに体育館に着くとまだ練習の最中で、車の中で待っていると「コンコン」と同じくラブのお母さんに窓をノックされわたしは引きずられる様に体育館の中へ・・・次男坊の練習している姿を見るのは始めてです。迎えの親御さんは 皆体育館の中で子供の様子を見たり、卓球の球を拾い歩いたりと手伝っているのですが、普段あまり親御さんやコーチと面識のないわたしには身の置き所を探すのが精一杯で何を如何していいのか分かりませんでした。仕事優先と体調不良もあってクラブのお手伝いをわたしは何一つして来ませんでした。卒業を祝う会や、バーベキューのお手伝いもすべて他の親御さんに任せっ放しで、息子は食べるだけです。それでも皆さん仰ってくれました。「シン君本当に練習一生懸命だよね。最近上手くなったでしょう?」とか低学年の子のお母さんからは「うちの子はシン君がいるから卓球続けるんだって~」とか・・・・次男坊は小さい子の面倒を見るのが好きなようです。試合に行ってもいつも小さな子とじゃれ合っていると夫が話していました。卓球を始めて2年と数ヶ月。クラブは一年半。わたしはこれほど次男坊が卓球にのめり込むとは思ってもいませんでした。実際見た次男坊は本当に一所懸命練習していました。試合でなかなか勝てない息子を哀れんで、(卓球で身を立てるわけじゃないから、イヤになったら辞めればいい・・)くらいにしか思っていなかったわたしなのです。お調子者で努力のどの字も知らずコロコロ太っていた息子が、今はひょろっと背も伸びて声まで太くなりました。小学校の2年間は成長大きいです・・・・下手は下手なりに必死にもがいて一歩一歩前進している息子がとても健気にみえました。
2006.10.15
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本当に寒い10月です。今年は灯油の値段が高いのに夏の来るのが遅くて6月までストーブを焚いていたと思ったら、冬の来るのも早いです。普段は11月までは大丈夫なのに一週間前からストーブ焚いてるんですから。顎関節症はレーザー治療中、歯科はもう何万円支払ったか記憶無し。加えてメニエール病の治療費と、次男坊の病院代・・・・病院代がかさみ、灯油代がかさみ、増える物は出費ばかり。自宅のポンコツパソは何度リカバリーしてもすぐダウンするし、洗濯機はだましだまし使っているし、外食もずっとしていません。次男坊は友達からディズニーランドのお土産もらって「ねぇ・・・うちは何処かへ行かないの?」となんとも切ない顔で言いました。あと大学の授業料2回!!仕送り一年半!!それが終わったら、パソコン買って洗濯機買ってその次何処かへ連れて行ってあげたいと思ってはいるのですが・・・・灯油の値下がりが待ち遠しい今日この頃です。
2006.10.13
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ユラユラはとても楽になり、顎関節症は相変わらず。仕事で、オットットとして「ちょっと待ってね」の言い訳も少なくなっています。言葉の持つチカラに支えられている今日この頃。オリーブさんの「人はみな平等に死ぬ。その中で生まれながらにして欠陥抱えていたり途中で壊れたりする」という言葉に納得。ねむの木のマスターの「言葉は嘘をつくけれど、行動は嘘をつかない。人を見るときは行動を見て判断し、他人もまたわたしの行動を見抜いて判断する」の言葉で振り返り。来た道は変えられないけれど、行く道は今日の一歩で変わります。言葉の持つチカラは大きいです。身に染みます。明日がいい日になる様に今日も頑張ります。(今日の課題は歯医者さんですが・・・)
2006.10.12
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メニエール病のめまいは立ち眩みする程度で無事仕事が続けられていますが、今度は顎関節症が酷いです。もうどれ位前から通っているか分からない歯医者さん。一時良くなった顎の痛みが、歯医者さんで口を開け続けているのが辛くなり 休み休みの通院に代わりました。犬歯を抜いて歯茎の肉が固まったら差し歯か何かが入る予定なのに、延々そのまま犬歯の無い状態で2ヶ月が経過。顎の痛みは話は出来るものの、硬い物を食べる事も口を大きく開け続ける事も出来ません。あくびで閉じ方が分からなくなります。(めまいがいいと思ったら今度は顎だよ~~)と我が事ながらうんざり。が!気持ちだけは明るくと張り切って仕事をしていました。なのに、なのに・・・・さっきお店のお客さんに言われました。 お客さん「ちょっと~横から見るとそこの歯無いと変だよ~」わたし「・・・だから歯医者さん行ってるんだってば~(泣)」お客さん「でも変!!絶対笑える!!」とお客様全員に聞こえる声で大笑いされました。正面からは見えなくても横から歯の無いところ見えるんざーますね。いくつになっても歯の無い事をズバリ指摘されたら泣きたいです・・・正直へこみました。明日からはおちょぼ口で正面だけ見て仕事しましょう・・・・早く歯医者さんも終わりたいのに、なかなか厳しいです。でもこんな事にゃ負けないけどさ~!
2006.10.05
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前回の日記のカロリックテストの後、わたしの酷かったユラユラは激減しました。去年5月にメニエール病を発病して、酷い耳鳴りと全く動けないめまい かなりしんどいユラユラのめまいと一年半続けてきましたが、お医者様が仰った「平衡感覚が完全に壊れた」結果なのでしょう・・・少しずつユラユラも減り今週はとても楽な日々でした。完全に壊れると左右の内耳でバランスを取ろうとする機能も失われ、片一方しか働かなくなりユラユラも減るものらしいです。お医者様が「これ以上良くなる事はない」と言われたのはメニエール病そのものの事で 壊れた機能が治る事はないと言う意味なのでしょう。身体のパーツの一部が壊れたら壊れたでまたそれなりに何とかなって来るものです。(わたしの場合ですが・・・)3日に一度寝込んでいたのが、ここ数週間 普通に起きてお弁当を作り子供を送り出し仕事も出来ています。幸せな事です。耳の爆音を除けば、急に立ち上がったり大きな音が耳に響いて心臓がバクバクする以外はかなり普通に仕事が出来るまでになったのですから・・・・・わたしはこれまであまり頑張った経験もなく生きてきました。でもこの病気にだけは頑張った自分がいると今思えます。いつもいつも励ましてくれた皆さん ありがとうございました。身内の支えと、ねむの木のマスター oliveさんをはじめ楽天の皆様 いつも心配してくれたうさちゃん・・・ありがとう。みなさん わたしはやっとここまでこれました。普通の生活ができる事に心から感謝です。
2006.10.01
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今日は午後から耳鼻科で検査を受ける為、仕事を休みました。カロリックテストと言って両方の耳からお湯と水を入れ、温度差で身体の平衡感覚を調べる検査と グルグル動くカーテンの中に入って眼球運動を調べる視刺激検査をして来ました。長い間めまいの治まらないメニエール病の判定検査のようです。検査なので、これをしたからどうなるってモノでもないのですが・・・・。検査の結果「左の平衡(バランス)感覚は完全に壊れている状態ですね」と先生。「年齢が若ければこれから元に戻ろうとするチカラが働いて良くなったり悪くなったりする事も考えられますが、年齢を重ねていると、悪くなる事はあっても良くなる可能性は無く、今は治療法もないですね」とキッパリバッサリでした。右耳は正常なので、右側のバランスで生きて行くしかないようです。先生はとても早口で なんだか酷くわたしに対する説明を早く終らせたい感じでしたが、その早口な口調から 診断の結果を伝え辛い雰囲気が伝わって返って先生の方が気の毒に見えました。何度も「年齢を重ねていると・・・」と言うところがムム?!ときたけど、それ以外はあんまりあっさり「完全に壊れています」と言われた事でわたしもスッキリしました。完全に壊れているんじゃこのユラユラも納得ですからね。しょうがないので、ユラユラを友達にしてまた明日から頑張りましょう!
2006.09.26
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今朝 長男が大学に戻って行きました。自分で車を運転し、夫は助手席で高速道路を走る事2時間です。わたしも次男坊も居残り組み。次男坊は卓球の練習があるし、わたしも長男の使った布団を干したり寝具の洗濯をしたかったので一緒には行きませんでした。それに何よりまだまだ命が惜しかったので・・・・夏休み 何度か運転をしてその辺を走る分には慣れた様でも、高速道路はわたしには無理!助手席も後部席も無理です。息子の運転する車で高速に乗るくらいなら自分で高速道路走った方がまだマシです。免許取って28年・・・わたし一度も高速道路を走った事無いんですけどね。「まったくいつまで居るんだ~~」と何度も思ってきたけれど、居なくなれば居なくなったでまた寂しいものです。いつでも居間にゴロンと居たのでね・・・夫と道中 いろいろ話をしたようです。「アルバイトでもして、人に使われる事や他人に叱られる事を覚えなきゃいけない」と夫が話したところ「・・うん。分かってる・・」と言ったそうです。身体が小さいので、なかなか積極的になれない自分を本人もこのままでいいとは思っていないのでしょう。高校受験の時も大学受験の時も殆ど勉強らしい勉強をした事がなく、ノラリクラリとこれまで来たので どこかで大きな試練にぶつかる気がする・・・といつか本人が話していました。・・・・わたしもそう思います。普段口数も少ないし、わたしが多少うるさく言っても言い返す事がないので考えている事が分かりません。車の中で夫と話せたのはいい機会でした。このままでは大きな試練は社会人になった時・・・その時が危ないです。高速道路を2時間運転して無事自分のアパートまでたどり着いた事が少しでも自信になって欲しいです。
2006.09.24
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仕事が終わり、食事を済ませると毎晩黙々と編み物をしています。ExcelはPC見続けるとクラクラするのを理由に中途半端で頓挫しました。姉は仕方が無いので新しい先生を見付けて一人頑張っています。編み物はぜーんぶ見事にいい加減ですが、その後2点出来ました。こちら編んでるうちに何かしらになれば幸いと出来上がった半そでのコットンセーターです。家にある材料ばかりなので色も微妙で、何故この時期に半そでかと・・・・そう!糸がこれだけしかなかったのです。まあ重ね着してもいいけど、それ以前に着られるかどうかが問題ですね。 少し頑張ったのは後のクマの刺繍です。 こちらは先ほど出来上がったばかりのバッグ。 毛糸は腐るほどあるのに、みんな1巻か2巻でバッグ以外には何にも出来ません。趣味は材料を揃えると以外にお金が掛かりますが、今の所出費は100円ショップで買った木のボタンだけです。嫌いな針と糸も使って裏地もしっかり付けました。やれば出来るもんです。 黙々と編み物をしていると耳の音があまり気にならなくて いい感じ~♪です。
2006.09.23
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グータラ息子の長男がこの日曜日ようやく大学に戻ることになりました。はぁ・・長い夏休みだった・・・・この息子 今大学で建設の勉強をしているけど、本当はガンダムだのトランスフォーマーだの、その手の玩具の仕事に就きたくて、材料の勉強がしたかったのに残念ながら希望の学部には入れませんでした。はっきり言ってオタクの部類です。小さな時からレゴと、合体の何とかレンジャーでばかりで遊んでいました。不本意ながら入った学部の「今やっている建設の勉強は理解出来ていない」そうで、3年前期の単位取れているかどうか大学に戻らないと分からないと・・・あと授業料3回!あと仕送り1年半!!と、親がギリギリの生活しているのも何処吹く風。あまりお金の話もしたくないので息子には実感がないのでしょうね・・・・借りているアパート代が月いくらかももう忘れていました。単位落としていたら また来年3年生・・・・・・考えただけでもゾッ~っとします。もう直ぐ後期の授業料の引き落とし・・一回でも授業料無駄にしないで欲しいです。
2006.09.22
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めまいは寝込むほどではないものの、断続的なユラユラと耳の爆音でいつ寝たきりになるか・・・と不安な数日を送っています。ユラユラはPCを睨んでいるとますます酷くなるのに、編み物はそれほど影響がないので今は編み物に没頭しています。モニターだけ見て文字を打ち込めるといいのに、なにせわたしの場合 手元のキーボードとモニター間を目がウロウロしているのがどうも悪そうです。編み物は手元だけ見ているのがいいのかもしれないです・・・・・先日、実家で飼っているワンコが急に耳元で吠え わたしはそのままめまいで寝込んでしまいました。耳にどんな影響があったのかよく分からないのですが、ビックリしたからなのか大きな声だったからなのか・・久しぶりにグルングルンのめまいでした。ここ数日も不安定なめまいが続いていて精神的に少し参っていました。毎日「今日一日続けられるか・・・・」とおっかなびっくりで仕事をしていました。少し前までは何としても店を続けたくて、開ける事ばかり考えていたのに、今は寝たきりが少なくなった分 代わりに常に恐怖が付きまとう・・・そんな感じです。土曜日になると「明日は寝込んでもいい日~~」とホッとするのです。そして今日 日曜日・・・・買い物を済ませ、わたしは実家に立ち寄りました。実家のワンコは長椅子でわたしの隣に寝ていたのが、外の物音に不意に吠えたのでわたしは咄嗟にワンコを思いっきりひっぱたいてしまいました。・・・本当に耳に響くのです。姉は「ちょっと~叩かないでよ~」と冷たい目で見るし、ワンコも「何?今わたしになにした?」みたいな目でわたしを見ていました。これじゃ先回の日記で書いた「カーッとして見境の付かなくなったお父さん」と同じです・・・・寝込むのが怖かったので直ぐ家に戻りましたが、このアホになってしまった耳に大きな音がどれほど響くのかきっと誰もわからないでしょう。人の声は聞き取れないのに、金属音や食器の音はやたらと響きます。おねえの怒った顔と、自分のした行為・・・ このわたしの耳の不快感は家族にも分かってもらえない・・・はぁ・・・明日からまた憂鬱な一週間が始まります。
2006.09.17
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夕べ子供達にご飯を食べさせた後 わたしは近所のスーパーに買い物に行きました。夜遅くまで開いている大きなスーパーで、通路も広く取ってあります。8時過ぎなのにお客さんもたくさん居ました。遠くからすご~~い声で泣き叫ぶ子供の声が聞こえていました。わたしは最近耳がおかしいので 子供のギャンギャン泣き叫ぶ声がとても耳に響くのです。随分長い事泣いてるなぁ・・・と思っていたら、180cm以上はありそうな30歳位のお父さんが泣き叫ぶ子供の片手を掴み 宙吊り状態で引き摺りながらわたしの横を通り過ぎました。多分 何処かにお母さんも居て お母さんの買い物を待っている間に何か駄々をこねていたのでしょう。お父さん・・・ズンズンズンズン引き摺ってサッカー台の向こうまで30mくらいは引き摺って行った後、思いっ切り子供を床に振り落としたのです。わたしには叩き付けたように見えました・・・その途端 子供の泣き声も周りのざわめきもシーンと静まり返って、レジ係のお姉さんまで床に臥した子が息をしていないんじゃないかとジッと見ている・・・そんな様子でした。数秒後、子供は床にペタンと座り直し、ようやく肩で大きな息をしました。片手をつかんで引き摺っていく姿だけでも「腕が抜けるよ~・・・・」と思ったのに、その後床に振り落として目を見開いて子供を睨んでいるお父さん・・・・胸がバクバクしてとても恐ろしい光景でした。・・・でもあんな時、わたしもそうですが周りの人も誰も何にも言えないんですよね。大きなオトコの人には特に何も言えず、子どもを見続けるのも怖い気がしました。(死んじゃうよ~~)みんなそう思ったに違いないのですが、・・・何にも言えないもんです・・・虐待されている子どもは泣いたり喚いたり出来ないと聞くので、たまたま子どもを持て余したお父さんなのでしょうが、わたしは車に乗っても足の振るえが止まりませんでした。
2006.09.14
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一ヶ月ほど次男坊がやたらと反抗的でわたしも夫もかなり呆れていました。元々反抗期なのが兄が家にいて 味方を従えた気分なのでしょう。わたしも本気で怒っているつもりでも、年なのか根気が無くなってすぐに「まあいいかぁ・・・・」と諦めてしまいます。長男の時には叱る時にはとことん言い聞かせた気がしますが・・・・それでも長男は今グータラなので、言っても言わなくてもそれほど大差ないのかな?と思っています。今日 次男坊は「小学校の卒業アルバムに思い出の写真を載せるので 家から持って来るように」とのお手紙を持ってきました。アレはイヤだ コレはイヤだとなかなか決まりません。小さい時の写真はイヤだといつまで選んでも決まりません。「もういつまでも!!勝手にすればいい!」と好きなようにさせていたら 本当につい最近の修学旅行の写真を鞄に入れていました。 何時間も写真を探させられて腹立たしいので、小さい頃の写真をここにUPです。よく女の子に間違えられアホな親にオカマにされかかっていた頃。こんな時も有ったのにね~・・・今じゃわたしより大きくなって生意気な口はもう一人前ですよ。
2006.09.13
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息子へのイライラ防止に始めた編み物がとても気休めになっていて、その後あまりストレスを感じる事も無くなりました。(グータラしてる姿見なきゃいいって事なのよね・・・)涼しくなってきたので毛糸でも引っ張りだそうと思っていた所、もう直ぐ50歳になる姉が最近仕事でパソコンを使うようになってわたしに教えて欲しいと言い出しました。おねえは今まで店のパソコンでネットを見る程度しかいじった事がありません。わたしも以前は日記をWordで付けていたので、Wordはなんとかなりますが、Excelはチンプンカンプン。「関数?なんですか~?!」状態です。おねえが汗!状態で必死なので放ってもおけずわたしで分かる範囲は教えようと46歳と49歳ががん首並べてExcelのお勉強中です。テキスト通りにやっているつもりなのに、思い通りに動いてくれなくて悲しいやら情けないやら・・・やってみて初めて教えるなんておこがましいと気が付いた次第です。それでは・・と、以前アップデートしないでリカバリーしてパーになったままだったので、家計簿を作りました。分からない所は息子に聴いても、したい事を説明する言葉すらわたしは出てきません。息子はチャチャっと動かして「後は何したいの?」・・・正直ムッとするけど、おねえの為 ガマンして指南いただかねばなりません・・・ストレスの種だった息子だけど、長い夏休みじっと家にいてくれてありがとう~~(嫌味含)です。せっかく出来た家計簿なので、また付けなきゃいけませんねぇ・・・
2006.09.12
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夕べ 修学旅行から帰って来た次男坊。取り敢えず元気で帰って来ればそれでヨシ!んで、その次に(お土産何買ってきてくれるのかな~?)・・なんて事に少しはワクワクするわけですね。・・・実は うちの長男は小中高と一度もわたしと夫にお土産を買って来てくれた事がないのです。頼んだ分だけ・・・餞別を頂いてお返しの分「○個忘れないで買ってきてね」と言うと本当にそれだけしか買って来なかったのです。物欲がないので、自分の物も買って来なかったですが・・・・わたしと夫は毎回「やっぱり何にもなかったね・・・」とガックリしていました。わたしは修学旅行から戻るとそれとなく、「お父さんがいるから修学旅行に行けるんだからお父さんにお土産買って来るもんだよ。」と言い続けてきましたが やっぱり次の修学旅行でも頼んだ個数の箱菓子しか持ち帰りませんでした。贅沢は言いません。キーホルダーの1個でも、ハンカチの一枚でもいいのよね。(いろいろ考えて買ってくれたのかな~?)って気持ちが嬉しいじゃないの。(まだ経験したことないけどさ・・・・・)長男で寂しい思いをした分次男坊に期待は膨らみます。ところがですね・・・・夫にはバイクのミニチュアのお土産があったのに、わたしには何にもないのです・・・・(涙)「え?・・・お母さんに何にもないの?・・・」と言ったら「あった!!忘れてた!」と出したのがこのクリオネカトちゃん。しかし、その後「やっぱりさっきの返して・・・」と・・・・どうも自分が欲しくて買って来たようなのです。クリオネカトちゃんどうしても欲しいわけじゃないので返しましたが、自分の物をそりゃあたくさん買って来ました。函館行ったのに網走番外地のTシャツになぜか扇子で、ご満悦の息子でございます。 わたし(こいつは気の利く子だからきっと何か買ってきてくれるに違いない!ムフムフ・・)と勝手に勘違いしていたのです。兄より少しはマシだったのは五島軒のバターサンドを買ってきた所くらいですね。それも自分が食べたかったからなのですが・・・ショックでしたねぇ・・・
2006.09.08
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3週間 めまいから遠ざかり 最近のわたしは耳が雑音というより爆音で聞こえ難いのとフラフラが時折断続的にやって来る以外はいたって元気です。耳鳴りはよその人には聞こえないので 他人からはわたしは以前のわたしに見えているでしょう。今日 以前学習塾をしていたおねえの友人が店にいらっしゃいました。おねえの友人は3ヶ月ほど前に特発性血小板減少性紫斑病という病気にかかり、入院していくら治療を続けても血小板の数字が上がらないので、今は在宅で週に2度通院して治療をしていますがそれを機会に塾は閉じました。生活の不安は紫斑病が公費の対象な事と、これから傷害年金を受給できれば何とかなるのでしょう。久々の彼女は体重も10kgほど減り治療薬のステロイド投与でムーンフェイスになっていました。風邪やウイルスに感染してはいけないそうで、わたしも長男の時に経験あります。自分で学習塾を経営し、順調に生徒さんの数も増やしてきた自信からか いつでもどこでも誰にでも上からモノを言うので、学校の先生以上に先生っぽくてお客様の中でも 少し煙たがられる存在でした。その彼女がすっかり弱気になっていて、因果関係をお医者様が否定しても 貧血の鉄剤を飲んだ事を悔やみ「わたしが何でこんな病気になってしまったのか・・・」と、延々涙と共に語ります。以前 oliveさんから頂いたコメントで「人はみんな平等に死ぬ その過程で、初めから不具合があったり、途中から壊れたりする」というとても心に残った言葉があったので、そういう風に思いましょうよ・・・と言いました。血小板の数が少ないので表面的な内出血よりも内蔵で出血が起こっても気がつかなければ命に関わるそうでが、まだ他にも治療法はあるし、今の状態では心の方が先に参ってしまいます。「えっちゃん(わたしです)はいいね。命に関わる病気じゃなくて・・・」と今日言われました。わたしは商売です。「命に関わる病気でもこれから先治療法のたくさんあるあなたの方がいいですよ」とは言えません。確かにメニエール病は命に関わる病気ではないです。でも命に関わらなくても辛いものは辛いです。病気の時は自分の事しか考えられないのもわかります。でも病気の辛さは本人しかわからないのです。「いいね」なんて軽く言われたって返事できません。あなたがわたしの辛さが分からないように わたしにもあなたの辛さは分からないのです。
2006.09.07
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いつも保育園の帰りに200円を握り締め ソフトクリームを買いに来る男の子。3歳くらいでしょうかねぇ・・・・前はお母さんかお父さんが付いて買いに来ていました。一月ほど前から、この男の子 一人でやってきます。「一人で来たの?」と聴いても返事は要領を得ません。何を言ってるのかわたしには理解不能です。オマケにやんちゃで思い通りにならないと、叫ぶし飛び出すし。その辺探しても、誰もいないので保育園に迎えに行ったお母さんかお父さんはさっさと家に帰ってしまっているのでしょう。店の前の道路は夕方は交通量が結構あります。一度お母さんが一緒に来たので「一人で来ると危ないから誰か一緒の方がいいですよ」と言った所返事は「いくら言ってもダメなのさ。いつ轢かれて死んでも仕方が無いのよ」と言いました。わたしの真意は伝わらなかったようです・・・・うちから飛び出して死なれたら後味が悪いのでわたしはいつも道路向こうの小路まで着いていきますが、繋いだ手は振り払うわ、突然走り出すわ・・・・恐ろしいです~それにそうそうお客さんの居ない時ばかりじゃないのよね・・・・道路の向かい側に車を止めて子供だけ買いによこしたり、最近こんな親御さんがやたらと目に付きます。
2006.09.05
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次男坊 明日から函館に2泊3日の修学旅行です。今朝 わたしが銀行などの用事を足しに出掛けている間に「修学旅行のしおりを忘れたので学校まで届けて欲しい」と次男坊から電話があったのだそうです。学校でしおりを使うとか。わたしは外出中。まだ寝ていた長男が電話を受け半分寝ぼけたまま自転車で学校へ届けてくれました。この夏 初めて(長男がいてよかった~♪)と思える出来事でした。「そうかそうか・・・まだ役に立つじゃん!」と日頃のイライラも少しは解消されたのでした。次男坊 明日の修学旅行のお小遣いは8千円。学校が管理していて2千円は自主見学の入場料や飲み物の購入代として財布に入れて自分が持ち、残りの6千円は最終日にお土産購入代として各自に渡すそうで、封筒に入れ学校側に提出です。長男の時はお小遣い6千円で財布2つに3千円ずつ別けて持たせた記憶がありますが、紛失等が多いのか9年で随分変わった気がします。ここで次男坊 「隠してお金をもっと多く持って行きたい」そうです。学校も財布の中を全部調べたりはしないと思うので、わたしは黙って見ていました。すると、財布の中に普通に2千円入れた他に、内側のファスナーに500円玉を一枚忍ばせました。気の小さい次男坊が約束のお小遣いより多く持って行きたいなんて いったいいくら持つんだろうと興味津々で見ていたわたしは思わず笑ってしまいました。財布の中には500円多く入り総額2千5百円。これでも精一杯らしくわたしにまで隠しておりました。しかし子どもっていうのは面白いもんだなぁ・・と思いました。次男坊が3日も居ないと寂しくてどうしよう~と思っていたら 何の事はない長男が居たので少しも寂しくないのでしたっ!
2006.09.04
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今夏休みのグータラ息子が家に居て、する事が多いからか一日置きに病院を駆け巡って気の休まる暇がないからか・・・・何かしていないと落ち着きません。だって!歯医者さんで、「キーン」とやられる度にメニエール病の耳に響いて心臓がバクバク。顎関節症の口は閉じなかったりで泣きたい日々なんですのも~~!!麻ひもでバッグを編もうとネットで材料を探していた所 いいお客様もいるもんです。手芸用の麻ひも15束ほど頂きました。手芸用の麻ひもの値段の高さには驚きました。頂いたのも525円の15束です。ほどいては編み 編んではほどきでようやく完成しました。15束はバッグ編むには帯に短し 襷に長し。病院代もかさむんでいるし、頂いた麻ひもも色合いがバラバラだったので一切自腹出費は避けたい!(ケチです・・・)なんだかダメ親父の顔みたいになりましたが、夏の終る前に完成しました。中に入ったチェックの柄は 古くなったパジャマの下をちょん切って、ポケット付けました。こんなの持つか持たないかなんて関係無いのです。今のわたしは 何かしていないとイライラが器から溢れ出そうなので・・・・
2006.09.03
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一昨年の10月 夫の友人のお母さんが亡くなりひとり息子は本当にひとりっきりになってしまいました。それからもうすぐ2年が経ちます。お母さんは元気だった頃うちの店にもよくいらっしゃって 自分が遺産相続で揉め兄弟とも行き来がなくなってしまった話をよくしていました。なので子供が息子一人の事も「後で財産争いをしなくていい」と言い放っていた上に近くに親戚もいません。どれほどの財産を残したのかは分かりませんが、夫の友人は最近変です。お母さんが具合の悪くなる前にリストラに合い その後3年以上仕事もしていません。色々な資格を持っている頭のいい人なのに、仕事が見付からないまま3年です。それでもお母さんの思い出話をいつまでもする以外は 仕事も探していたし普通に会話も出来ていました。お母さんが亡くなって一年を過ぎた頃、夫や友人がお酒を誘っても「家を開けたくない」と出て来る事はないし、刹那的な返事ばかりで会話も成り立ちません。「(自分は)いつ死んでもいい」「どうでもいい」「世の中がどうなろうが関係無い」・・・・一人になってしまった悲しみは彼にしか分からないでしょう。家も有り、そこそこお金も残っていると、どうしても仕事をしなければならない理由も無いでしょう。守らなければならないモノが何にも無いのです。・・・・でもその現実が辛いから刹那的な会話しか出来なくなるのでしょう。わたしも夫も 見ていて歯痒くて 腹を立てたり慰めたりしましたが“ひとり”になってしまった現実はどうやっても埋められません。寝ていてもご飯が食べられるだけのお金がまだあって、守るモノが何も無い・・・そこからは生きる意味も働く意味もなかなか見出すのは難しいのでしょう。見ていてとても辛いです。
2006.08.31
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昨日は次男坊の卓球の試合でした。普段土曜日の試合が多く わたしも行けても朝一の試合を観る程度で帰宅して仕事をしていました。朝一と言ってもその試合のみで終る事も多かったので 後は夫がただただチームの他の子が終るのを待っているばかりなのですが・・・・昨日は久し振りに日曜の試合でした。前回ベスト32の中に入った事もあって 仕事が休みの姉を誘ってビデオの充電なんかしてイソイソ出掛けて行きました。夫は朝早くから次男坊を連れ会場入り。わたしは体調があまりよくなく自分で運転する自信がなかったので 姉が一緒で助かりました。試合が始まり、一回戦はシード。2回戦は3対1でしたが、多分相手は5年生?もっと楽勝してもいい試合でしょう・・・3回戦、なかなか強い相手に接戦のセットもありで、3対1で勝ち。4回戦、対戦相手は偶然おねえの友人のお子さん。同じ6年生です。「絶対負けるなよ~~」とおねえの力がやたらと入り 神通力が通じたのか、フルセットの末勝ちました。5回戦、これを勝てばベスト8!こんな事滅多にないです!ここまで来ると相手はうちのとは雲泥の差ですねぇ・・・・3対0であっという間に終っちまいました。しかし、せっかく姉を連れて行ったので一回か二回は勝つシーンを観せたくてね。そういう意味では大満足です。クラブの親御さん達も「シン!快進撃だな~!」とか 子供達まで「すごい!シンまだ残ってる!!」と我が事のように言って下さるのが みんなの待ち焦がれた勝利のように感じられてとても嬉しくありがたかったです。おねえは「3回勝ったので!」と次男坊に3千円くれました。「シン!賞金貰ってプロ並だなぁ!」と夫に言われて次男坊も満足げな顔をしていました。ベスト8は叶わなかったけれど、ようやく戦う姿勢が身についてきた息子。疲れた様子でしたが、晴々とした表情でした。158人中のベスト16・・・あと少しで表彰台です。そこへいくと 長男です。言いたい事がたくさんありすぎて、何から書いていいのやら・・・近くで家の外壁をリフォームしているところがありガンガンうるさいのです。毎日昼近くに起きて来て「うるさくて寝てられない」んだそうです。「同じ位の年齢の子が足場に上って仕事してるじゃないか~!」それなのにこいつは毎日毎日グータラグータラ・・・起きてきたかと思えばテレビは付けっ放しでPCの前に根が生えたかのように座っているし。たま~に友人からメールがあっても見るだけで返事も返さない。(これじゃ友達出来ねえはずだわ)他にもたくさんたくさんあります。昨日夜 「肩が回っていないから・・」とか「足の運びが遅いから・・」とか 夫と次男坊は試合の検証をふたりであれこれ話しながら試合の録画したビデオが観ていました。すると長男は「自分のビデオ観てて面白い?」と言ったのです。他のテレビが観たいらしいのです。わたし、珍しく卓球の試合にビデオを持って行ったのには 次男坊の卓球している姿を長男に観せたかったからなのです。(なかなか上達しなかったけれど、あんたの居ない間にシンはこんなに頑張ってきたんだよ)と・・・感想の一言でも無いのかなぁ・・・と思いながらわたしは「自分の試合のビデオを観る事は大事なんだよ」と言うと「ふ~ん・・」と言いまたPCの前に戻って行った兄です。一事が万事この調子です。知能は低くないのにどこかネジが一本足りません。何かが欠落しているのでしょう。自分から愛情を掛けなければ人にも愛される人間にはならないのに、その事に気付く日は来るのでしょうか・・・社会に出ていくのにもう2年もありません。
2006.08.28
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わたし、病気になる前は13号という立派な体型でございました。この一年で“メニエール病寝たきりめまい2食抜きダイエット”に成功して9号サイズになりました。夫は「労せず痩せていいなぁ~」と言いますが、否応無しですから労せずと言えば労せずですが、「なら身体に合う服買うからお金くれ!」と言いたい所です。夏場は厨房が暑いせいもあって、何年も襟元のゆるいオーバーブラウス系しか着ていませんでした。今 その服を着ると肩は出るし 谷間どころかその下のお腹までべローンと見えてしまうので、とても着られません。ジーパンは多少ゆるかろうがベルトってもんがありますから、ぶかぶかでも何とかなります。ダメなのは下着と上に着る物ですね・・・下着の話はまあいいとして上着は肩幅なんかの格好がすごーく悪くて借り物を着ているみたいです。何枚か買ったけれど、言わずと知れた我が家は只今財政難。そろそろ後期の授業料もあるし、次男坊は9月に修学旅行。今月は車の保険も満期で、自分の洋服なんて経済的にはもちろんの事、時間的にも体力的にも全てにおいて後回し。ネットで探すとすぐにクランクランがやって来ます。生まれた時からブーでしたから、初めてMサイズの体型になったと言うのに 悲しいかな3枚のTシャツを代わるがわる着ている毎日です。
2006.08.24
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いい日記書いたばかりなのにこの2日間ユラユラがかなりきつく、なかなか思う様に動けません。寝たきりにはならないものの、土日を寝たり起きたりで過ごしています。まるっきり動けないとご飯も洗濯も放棄するけど、それほどでもないのよね・・・人間が普段より一人多い分(長男です)洗濯したりたたんだりも多いし洗い物の食器も多いです。いい加減ヒステリックになってきました。「自分の物くらい自分でたたんでよ!」と長男に言ったら本当に自分の物だけたたんでいました。アホか~!「具合悪いんだってば!!」とカナキリ声をあげてしまいそうです。起きているとあれこれしないと家の中はグチャグチャ。寝ていると家の中はお通夜の様でわたしが辛い。母親は動けるうちは動いて当然とでも思っているんでしょうかねぇ・・・・二日続けて朝食しか食べていないんですけど・・・普段でもバラバラにご飯を食べる事が多いので誰も気付いていないです。(悲し~ぃ・・・)「大丈夫?」と声は掛けてくれるけど、思いやりは態度で示して欲しいもんです!
2006.08.20
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7月の末からわたしの出掛ける先は病院オンリーです。自分の病院は耳鼻科と歯医者さん。3ヶ月ほど前から口が半分しか開けられなくなっていました。多分 アレです。顎関節症。夕方になると不用意に大きく口を開けると 閉じる時に「ぎゃ~」っと泣きの入る位 顎が痛かったのです。笑い話のようですが、どう口を動かすと閉じるのか分からなくなってました。これ本当です。でも朝になると痛みは何処へやらで病院に行くのを大儀にしていました。(そのうち良くなるべさ・・・)と放置していたのが運の尽き。ホタテの貝柱の干したのを食べた途端、奥歯のブリッジがポキンと折れ どうしても歯医者さんに行かなきゃならない結果になってしまいました。この際です。他も診てもらいましょう・・・・歯医者さんで口を大きく開け 先生が「はい うがいして下さい」と言う度にわたしの目からは涙がボロっと出る思いです。先生には顎が痛い事を話していたのですが、口が閉じれなくて顔を覆っていた手の指の間から「あんまり無理しないで下さいね」と言いながらも先生の必死で笑いを堪えている顔が見えました。先生は優しい先生です。わたしにとって歯医者さんはこの先生以外に有り得ない位の優しい先生です。笑ってくれてありがとう・・です。昨日はその歯医者さんの何度目かの通院日。続いて今日は小児科の日。いつもの次男坊の定期健診です。この間にも次男坊の矯正歯科の定期健診があったばかりで、わたしはめまいしている暇が無いようです。耳の調子の悪さに(明日 病院どうかなぁ・・・・)と毎日心配していても予約通り病院行けてますから凄いです。今日で3週間寝たきりのめまいナシ。嬉しい限りでございます。
2006.08.17
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昨日から我が家の男3人は夫の一家とキャンプへ。わたしは一人ぼっちの日曜日です。誰も居ない時じゃないと出来ないのでテーブルのペンキ塗りをしました。20年以上も使っているこのテーブル 何度塗装し直したでしょう・・・・生活の痕も誰かのイタズラ書きも全部塗料の下に閉じ込めます。 どんどん色が変わっていきます。本当の色はイスの色・・・ 誰がこんな事をしたのか・・・生活してきた歴史なので傷も穴も好きなのですが、デコボコになるのは許せません。元々は白木のテーブルだったのが 今じゃオークになってしまいました。常に体調が悪かった時は 何か作ろうとかテーブルのボコボコとかどうでもよかったので、一年と半年で随分楽にはなったんですね・・・夜になってから一昨日のバッグにリボンを飾って中にポケットをつけて完成しました。 こっちの方が本当の色に近いです。かわいくなったでしょ?お盆休みは今日一日なので 明日からまた仕事頑張ります。
2006.08.14
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わたし 針と糸が嫌いでして。編物はまだしもパッチワークや洋裁より、よほど大工仕事が好きです。 この画像にははっきり写っていないけど、店の中の棚は全部自分で造りました。かんなも掛けるし、ジグソーも使うし、塗装もします。扉付けても大概思い通りの物を造れますね。そこへいくと苦手なのが針と糸。今まで子供達のものもすべて母親任せにしてきました。この季節麻ひもで編んだバッグが欲しかったのです。アレコレ材料をネットで検索しているうちに(アレとコレをこう組み合わせて・・・・)と材料の届くのが待ちきれない勢いになってしました。はい。わたしは針と糸が苦手なので殆ど使いません。 ↑そうして出来上がったのがこれです。一応素材は麻ひもと革。材料費1200円。他両面テープ 飾りボタン2個古いストローバッグをほどいて土台に革テープを両面テープでグルグル撒き 上の口に当る部分の始末に困ったので ほどいたバッグの表地の麻ひもで編んだものを内側から外にかぶせただけです。そこも革に針が通りずらかったので両面テープです。制作時間2時間。針を使ったのは持ち手の部分の革を布団針みたいな針で付ける時だけで 殆ど夏休みの工作状態での完成です。この夏メッシュのバッグが欲しかったのに気に入ったのは高~い!!自作でガマンしました。
2006.08.12
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ねぶた祭りも終わり、無法者のライダーはやがて北海道へ。すぐ近くのフェリー乗り場でキャンセル待ちをするそのテントの数何百個。洗濯物を旗のようになびかせ、近所のスーパーからは 水から箸からうなぎのタレまで貰える物は何でも貰って行くスーパー泣かせのライダー達。水のみ場を提供しても長い列を待ちきれずにスーパーのトイレで洗濯やシャンプーしてるし。貧乏学生の旅行者も多そうだけど、中にはハーレーやドゥカティやトライアンフなんてのもいるし・・1000cc以上のバイクもいる。こんな立派なバイクに乗るんなら健康ランドにでも泊まればいいのに・・・・「次の世代にもきちんとマナーが引き継がれて来た結果 何年もここにテントを貼らせてもらえる状況にある」と全国ネットのニュースで言ってましたが??・・・ライダー達はそんなに立派じゃありません。祭りの後の恐ろしい実態が報道する側に届いていないのか、それとも数少ない観光事業、報道規制しているのか・・わたしがこの土地の管理者だったら絶対キャンセル待ちのライダーには貸さないわ。
2006.08.09
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わたしが高校を卒業して実家の本屋を手伝いだした頃、大学に進んだ友人が青森に帰って来る度に学生が羨ましくて仕方がありませんでした。大学に進んだ友人は 同じ大学の友人達を何人も引き連れて帰って来ていたのです。車数台にバイク数台。一度ねぶた祭りの楽しみを覚えた学生達は毎年やって来ていましたね・・・祭りの後は毎日夜中まで飲んで騒いで 翌日仕事のあるわたしには楽しくもあり、眠たくもありのねぶた祭りの期間を過ごしていました。日中うちの店に顔を出し、夜ねぶたに跳ね、祭りが終わると今度は北海道出身の学生の所へと、学生の実家を渡り歩く夏休み。ごろ寝や野宿もなんのその・・・・北海道からの帰りまた立ち寄ります。わたしは大学生はみんなこういう風になるもんだと思っていました。「大勢の人数で押し掛けられたら親は大変だ~」と 当時も思っていたので、おっかなびっくりでも覚悟はしていました。今日うちの長男が帰省しました。大学2年が過ぎ3年になってもそこはヒトそれぞれ・・・・やっぱり帰りは一人です。タオルケットが洗濯出来ないと大きなバッグにタオルケット担いで帰って来ました。息子の夏休み 学生寮のおばさんになっているはずだったわたしの予定・・・・うう~ん・・・そうじゃなくて大学生になった息子が大勢の友人に囲まれているはずだったわたしの夢。あと一回しかチャンスないです。本当に小さな夢だったんですがね・・・・この分じゃ無理っすね。
2006.08.04
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次男坊の卓球クラブのコーチが、ガス欠を起こしている様です。「スポーツを通じて地元の子供達の健全育成を目指す」のが目的で発足したらしいこのクラブ。それから10数年が経過して、40代だったコーチは50代半ばになりました。10数年間 土曜日曜は朝から晩まで、完璧にボランティアとしてコーチはクラブをまとめて来た様です。わたしはそのクラブ一筋の姿勢があまり好きではなかったので、(家族で出掛ける事も制限され、時間が延長になる日も多い)クラブに入る事に最初は賛成できませんでした。でも何度試合で負けてもクラブの練習を頑張っている息子の姿は見ていて嬉しかったです。愛ちゃんのいる卓球名門の“山田ジュニア”の対抗馬はうちのクラブしかない・・・そんな状況を10数年続けてきました。これもひとえにコーチの情熱以外には無かったのでしょう。ボランティアなので、完全無報酬です。あるのは試合の日のお弁当支給のみ。月千円の月謝じゃ、玉代にもなっていないのは決算報告書が物語っております。今年度に入り会員の子供数の減少で、ひとりふたり強い子はいるものの、残りはドングリの背比べ。チーム編成すら出来ない状況になって来ました。加えて子供達の練習に熱意が感じられないのだそうです・・・・・この夏休み コーチは自身の息切れもあるのか子供達に印籠を渡しました。「卓球を続けたい人はノートにその理由を書いて提出する」と言うものです。結果次第では「クラブ解散」もありうるとか・・・・事実休みの日も多くなって来ました。ノート提出・・・・子供達はがん首並べて頭をひねっています。卓球を続けたい理由は「わいわい 皆で絡まっているのが楽しいから・・・」。・・・それじゃコーチは納得しないでしょう。この事態に臨場感一つも無いのですね。さすが小学生です。わたしはクラブのお手伝いを一つもしていないので ただ見守るしかないのですが、やっと試合に出て一つ二つ勝てるようになって来たばかりなので、願わくばクラブの消滅は避けたいところです。これからクラブは何処へ向かうのか・・・・まだまだ次男坊は教わらなければいけない事がたくさんあるのです。先日の全国大会で神戸まで行った子はベスト16に入ったそうなので、この結果がコーチの情熱にもう一度火を点けて欲しいです。
2006.08.03
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今日から8月だと言うのに青森は寒いです。この7月 日中も25℃を越えた日はあるでしょうか?・・・・こちらでは「ねぶたが過ぎると秋」と言いますが、このねぶた前に既に朝晩の風は秋風を感じさせ この時間半そでは寒いです・・・・。きっとこの日照不足と冷夏は作物に影響が出るでしょう。ついでにうちの店も冷夏の影響大です。カキ氷もソフトクリームも出やしません・・・・普段見えるお客様も家に子供を残したまま 外で自分だけご飯ってわけにも行かないですからね・・・・ 次男坊は いつもお世話になっている家の子が卓球の全国大会の為神戸入り。ここ数日遊び相手が居なかったので、暇がってパソ相手に一人遊びです。わたしも日常的なユラユラにいつまでも付き纏われ、気分ワルワル・・・グルングルンのめまいから2週間間隔が開いたので、そろそろ危ないです。忙しいと多少のめまいがあっても「やっててよかった~」と思うのだけれど 暇だと「これじゃ休むんだったわ・・・」とヨコシマな考えがよぎります。いやいや・・・今は以前の休みを取り戻す為毎日開け続ける事が必須条件!しょっちゅう休む前の売上まではまだまだなので 今は辛抱の時期なのでしょう。
2006.08.01
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次男坊小6のこの夏休みは 毎日部活とクラブの卓球をし、その合間にプール通いと忙しく活動しています。午前中 車で15分程の所にあるプールに行き午後はクラブに行ったり、逆に午前中は部活の卓球で、午後プールに行ったり。それもこれも同じクラブの子のおばあちゃんが連れて歩いてくれています。70歳は過ぎているでしょう・・・でもとてもパワフルなのです。うちの次男坊合わせて男子の6年生は3人しかいないので、5年の子を含め部活にクラブにといつも行動を一緒にしている子供達はとても仲良しです。次男坊は兄が傍にいなくて、一人っ子同然。友達と遊ぶのも卓球もプールも楽しくてしょうがないようです。本当はわたしは最初このおばあちゃんが苦手でした。試合会場で会う度に「もっと動いて動いて~~!」「ドンマイドンマイ!!」と まあ威勢のいい事・・・わたしは自分の息子にすら声を出して応援が出来ません。会場で一緒になるとおばあちゃんはわたしの手を引いて、「もっと自分の子供の近くで応援しなさい!」と反対側のギャラリーまで連れて行かれたりしました。孫に当たる次男坊と同い年の子は 大会ではいつも決勝に残る程の腕前の子なので おばあちゃんの声援はさらにヒートアップ・・・・(何処からこんなエネルギーが出てくるのか・・・・)とわたしはかなり敬遠したいタイプのおばあちゃんでした。クラブの子みんなに対して同じ姿勢で声援を送るのです。この夏休み おばあちゃんはうちの次男坊を自分の孫二人と同様に送り迎えしてくれています。わたしは(知らん振りするわけにもいかないなぁ・・・)と、その内何か考えようと「お世話お掛けます」と電話一本しただけで済ませていました。今朝も次男坊は「プールに行く」といそいそ出掛けた直後 おばあちゃんから電話がありました。(あちゃ~あいつ何かした?)と咄嗟に思ったわたしです・・・・するとおばあちゃんは「私のわがままでシン君まであちこち付き合わせてごめんなさいね・・家にいるとゲームばかりしててね・・」と言うのです。下に小学2年生のお孫さんもいるので、ご迷惑になっているんじゃないかとそればかり心配していたのに、「兄弟二人で置くとケンカばかりしているから、シン君いると3人で仲良く遊んでいる」んだそうです。働いている息子さん夫婦に代わって上の子二人と合わせて4人のお孫さんを みなこうやって面倒見て来たらしいです。わたしはどんなに頭を下げても足りない位の気持ちになり「こちらこそ親が身動き取れないのを言い訳にしていて申し訳ないです」と言いました。わたしにとっては夏休みを暇がらずに、仲良く遊んでくれる友達がいるだけで心底ありがたく、世の中にはこんな人もいるんだなぁ・・・と自分の事しか考えていなかった自分自身が本当に恥ずかしかったです。最後におばあちゃんは「これからも仲良く 大事な子供達をみんなで育てていきましょうね」と言われました。涙が出るほどありがたい言葉でした。
2006.07.27
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夜中 長男の夢を見ました。夫が「コウ(長男です)に何日も前から電話しているけど出ない」と言うのです。目が覚めて夢なのか何なのか 夫に確かめずにはいられず寝ているところを起こして「コウに電話してないよね」と聴いた。寝ぼけながらも「してないよ」との返事。給湯器の事故のニュースが出ているからでしょうね・・・。大学生が一酸化中毒で亡くなっていたのに数ヶ月誰も気が付かなかったと言うニュースです。息子の部屋の給湯器は以前凍結して修理してもらっているのでそれが気になってしょうがなかったのです。眠れないまま朝になり、急に気になった事は先送りにしちゃいけないという思いに駆られ 次男坊を病院に連れて行く事にしました。いつも貰っている喘息の薬、吸入器に入れる液体の薬、アトピーにつける薬 全てもう少しで切れるので・・・。喘息の薬はわたしだけでも処方してくれるけど、最近酷くなってしまったアトピーはお医者様に診て貰わなきゃ~朝一で診察受ける為 家の中を走り回り着替えも朝ご飯も大急ぎ!飲み薬5種類と吸入液2種類、塗り薬 30日分で診察代と合わせて9千円が飛びました。「ジェネリックにして~」と言ってみようか迷ったけれど、なかなか言えません・・・・帰って来てから店を開けバタバタ。寝不足の上にクルクルとよく動いて 頭の中もクランクランになってしまいました。開店の時点で(午後までめまいが持つか・・)と冷や汗タラ~っと配していてけれど段々調子は↑向き。閉店のこの時間もいい感じです。・・・先ほど長男に「生きてるか~?」とメールしたら「あい」と返事がありました。愛想もへったくれも無い返事ですが生きているようです。
2006.07.24
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今日から次男坊は夏休み。この地域でも不審者がポツリポツリ現れている様で、一週間ほど前学校から腕章を持って帰ってきました。↑(これがその腕章)「地域で子供達を守りましょう」との事で、ちょっとそこまで出掛ける時にもこの腕章を腕に巻き 父兄全員が“パトロール隊”です。買い物に出かけてもその辺散歩していても、わたしはまだこの腕章を腕に巻いている親御さんを見掛けていません。そう言うわたしも腕章して歩いていないです・・・・・・ちょっと抵抗があります。地域で子供達を守るという主旨はよく分かるのですが、うう~ん・・・恥ずかしい・・・どうしてこんな世の中になってしまったのか、そっちの方が腹立たしいです。
2006.07.22
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今週月曜日まで18日連続グルングルンのめまい無しでした。週の始めの月曜昼過ぎとうとうユラユラになってリタイヤです。ご飯食べているお客様をせかして(お馴染みさんばかりだったのでゴメンゴメン!!で済ませました)シャッターを降ろし閉店し、後はいつもの爆睡です。3時間寝たところで動ける様になったこのめまいには ユラユラがいつまでも続くいや~なオマケも付くけれどまあうれしい誤算の内でしょう。いろいろ変動していくメニエール病ですわ・・・。ところで最近我が家は(住宅の方です)蟻地獄に襲われています。近くで下水の工事をしているからか、どこかから羽根蟻が侵入して産卵した模様で(泣)家中羽根蟻の大群で、日夜蟻と格闘して決着付くのはいつの日か・・・(涙)この蟻のお陰で朝から夫と珍しく衝突しました。殺虫剤「あれがいいんじゃない?」とか「吊るすのはどうかな?」とわたしが朝っぱらから騒ぎ立てるもんだから「店に行って殺虫剤みんな調べて来いってが?!」と夫のイライラ声。だ~れもそんな事は言ってません!!ただ聞いただけなのにさ~・・・・フン!!頭に来たので夫の弁当の上に次男坊のパンツ乗せてお弁当袋のファスナー閉めてやった。知らん振りして持たせようと思ったけど会社で笑い者になってもかわいそうだから、「弁当見てから持っていった方がいいよ!」と言ったら中からパンツ取り出してぶつけてきたけどね。「明日は洗濯前のパンツ(爆)弁当に入れてやるからね!」とわたし・・・。・・・しかしその後またユラユラかきつくなり手も足も出せなくなったけど、以前は衝突する度にだんまりを決め込んでいたわたしもこの何年かで随分変わりました。黙ってムスッとしていても後味悪いだけだから 適当にかわせる技身に付けたって事で自己満足のメデタシメデタシ!!です。こうやって女は強くなって行くのでしょうねぇ・・・・
2006.07.19
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今日で15日 寝たきりのめまいがありません。15日と言えば半月です。メニエール病になってこれほど普通の生活が長く続けられたのは初めてで、ようやくここまで辿り着いたというのが実感です。中途半端なユラユラもここ数日は朝の起き掛けがすこししんどいのと、耳鳴りがガーガーうるさいのを除けば当分このまま穏やかな日々が続きそうな予感です。これまでも何度もそう思っては期待はずれにガッカリしてきましたが、この数日は今までとちょっと違う気がします。いつもなら耐えらない雑音だったり 何の音でもガンガン頭の中に響く耳鳴りに、「あぁ・・そろそろだなぁ・・・」と動けなくなるめまいを察知していたのが、今回はゴーゴーうるさいのもガンガン響くのも日に何度も繰り返し起こっている感じです。これは内耳のリンパ液が少しずつ漏れるのと溜まるのを短い間に繰り返しているらしいです。「だんだんめまいに脳が慣れてバランスを取るようになる」とメニエール病の過程にあるらしいので 今わたしはその段階に来ているのかも知れません。メニエール病に完治は無いようなので、これからもこの状態を行ったり来たりの日々になるのでしょうが・・・。お客様が「休みかなぁ・・・と思って来てみたらやっててよかった!」と言って下さったりすると(放り出して寝ていなくてよかった~・・・)と開け続けてきた苦労が報われた気がします。わたしもこの一年と何ヶ月かの間に 自殺しようとは思わなかったけれど、「このまま生きていくんじゃ死んだ方がいい・・・」と、辛くてお医者様の前で泣いたり 家族の前でわんわん泣いた事もあります。これからもどんな事があっても、泣いても喚いても最後まで戦っている姿でいたいです。甲斐ちえみさん・・・他人には分からない事情が有ったのでしょうが、「自ら命を絶った姿」はあまりに残酷な姿で、残された子供がかわいそうでしょうがないです。
2006.07.14
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10日毎になった寝たきりのめまいも中間のユラユラがなかなかしんどく、憂鬱な日々を送っています。「寝ていたい!!ずっと寝たまま過ごしたい!!」と またまた放り出し症候群がわたしを襲っています。仕事をするとそれなりに笑っていられるし、いつ解放されるとも分からない苦痛に悶々と過ごすよりは働いている方が多分精神的にはいいと思うんですけどね・・・・。以前日記で書いた物忘れの大失態があり、印鑑探しの2連発と次男坊の反抗的な態度に苛立ちはつのり 中田ヒデの引退にまで「そんな終わり方するなよ~やっぱりそんな奴だったのか・・・」と絶望し・・・。一週間PC開くのさえ嫌な日々でした。夕べは近所の宵宮があり、普段は6時過ぎには閉めるわたしの店も遅くまで営業をしていました。普段馴染みのお客様が楽しみにしていて下さるので、休み返上で頑張りました。 久し振りにわたしもお酒を飲みました。何年振り?ってくらいです。「めまいがしそうだから・・・」と断っていたのに「同じめまいなら酔っ払って目廻った方が楽しいめまいだよ~」とのお客様の声に「まあいいか~♪」と缶チュウハイ2本空けました。ヘロヘロにはならなかったけれど、大雑把な掃除で切り上げたので今日は朝早くから店の大掃除をしておりました。これで今週は休み無しの営業となり、更に今日は一週間の始まりだというのに早くも疲れております。これ以上ドジ踏むとますます自分に失望する事になるのでしっかり気を引き締めていきましょう。
2006.07.10
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小6の次男坊 今日もまた卓球の試合でした。前回の県大会では市の予選をたった一勝して出場したけれど、健闘空しく一回戦で敗北。その前の試合では団体戦のアンカーを務めフルセットの末負けて涙 チームは予選敗退・・・・。その時の相手が今日の初戦の相手だったようです。どんなに負けても練習に行く息子をそれなりに評価してあげたいとジッと見守る事二年間・・・。「いいっていいって!プクンと膨らんだお腹が減っこんだだけでも卓球している甲裴があるよ。」夫婦で何度その言葉を繰り返して来たか分かりません・・・・。今日我が家は夫も仕事、わたしも仕事で誰も引率出来ず、次男坊は同じ部の親御さんに連れて行ってもらいました。父兄の方から電話が10時過ぎにありました。「シン君 一回戦3対0で勝ったよ~~!」(あらら・・・・・・・)団体戦でフルセットの末負けた相手にリベンジした様です。しかし、その後昼過ぎまで電話が無かったので(あら・・やっぱりもう負けたのか・・)と毎度の事ながら一回戦を勝っただけでもいいと思っていました。1時過ぎに二度目の電話 「シン君 今4回戦やってる~~!!」と息子の珍しい光景に興奮している様子が浮かぶ声でした。試合はそこで負けたけれど 初めて4回戦なんてすごいところまで行きました。出場人数149人中の32人の中に入ったのです!次男坊は試合の終わった後、またクラブで練習をしてニコニコ顔で帰ってきました。ニタニタ~~とずっと笑いっ放しです。滅多に無い試合の光景・・・見に行きたかったなぁ・・・と夫と話しました。普段は一試合終わると夫は手持ち無沙汰で他の子の試合が終わるのをただただ待っているしかなかったのですから・・・・・。わたし達夫婦にとっても 次男坊にとっても今日はとても嬉しい日となり 「いつか努力が報われる日も来るもんなんだなぁ・・・」と思いました。
2006.07.01
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昨日はやはり10日振りのめまいでずっと寝ていました。このところコンスタントに10日毎になっているわたしの大きな回転性めまい。朝からわたしは寝たきりで 次男坊は朝本読みしたりバタバタしていて 夫に叱られながらご飯を食べ登校していきました。ついこの間までは3日~5日毎のめまいだったので、毎晩次男坊の給食の箸と翌朝の着る物を用意して寝ていたのに最近は油断してました。それだけ軽くなってきた証拠でしょうね。一日中寝ていると変な夢ばかり見ます。昨日は次男坊が学校から泣いて帰って来た夢です。6年生にもなってわんわん泣いて帰ってきました。そんな夢を見たのは多分朝 夫に叱られて出て行ったからでしょう。その前は二人の子供と夫が「新しいお母さんのところに行くから」と大きな荷物を抱えて玄関から出て行くところでした。「新しいお母さんは台所もピカピカだし、掃除もいつもしてる」んだそうです。気の利かない長男は「何か欲しいものがあったら言って。貰って来るから」と夢の中でも気配りのかけらも無いセリフです。次男坊は(お兄ちゃん そんな事お母さんに言ったらかわいそうだよ)と言う顔で兄を見ていました。夢の中でもやっぱりかわいいやつです。夫はもう居なくなっていました。一番先に出て行ったのでしょうか?(こんな状態じゃしょうがないなぁ・・・)とわたしはあっさり「気をつけてね」と手を振り送り出しました。目が覚めても少しも悲しくなかったのは自分の事でいっぱいいっぱいになっているからでしょうかねぇ・・・心の何処かに 体調の悪い時は家の事も店の事も何にも気にしないでとにかく寝ていたいという気持ちがある様です。家の人間は散々わたしに気を使ってくれているのにひでぇ母親です。
2006.06.30
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久保田利伸さんがメニエール病で公演の延期や一部中止をされているとの事。そんな短期間で診断が下されるのはなぜ?芸能人だから?名医のいる病院だから?現在発病から10日だそうです。わたしは一年と2ヶ月です。HPの告知では最初の2週間の治療が大事との事。わたしは最初の2週間を含め2ヶ月個人病院だったからな~・・・・その後の総合病院では最初の治療が肝心と同じ事を言われましたけど・・・多分わたしと同じ様に2週間の点滴しながらツアー行程されているのでしょう。わたしの経験上では最初の点滴と投薬はは意外に効果でていたし。それで治ればいいですねぇ・・本格的なメニエール病になってしまったら耳は難聴と耳鳴りで音楽を生業とする人間には致命傷でしょう。めまいしていてはダンスも無理な事態だってあるでしょう。わたしは唄も踊りも生業としてなくてよかったです。当然ですか・・・・はい。本当に人は何処に落とし穴があるか分かりません。いつも順風満帆とはいきません。わたしの現在の状態は寝たきりのめまいは10日毎程度になりつつあります。日常的なフラフラもヨロヨロだったり、への河童だったり・・でも以前よりはかなり楽になったかな?耳鳴りも楽な時とそうでない時の差が激しく、「まだまだ頑張れる~~♪」と「もう嫌だ~(泣)」を行ったり来たり。明日の予定が立てられるまでにはもう少しです。あと一歩かも知れません。
2006.06.27
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ようやくW杯 日本の終息について書こうという気持ちになりました。書かないままで終わっても良かったけれど スポーツライター『金子達仁』さんのプログを読んでやっぱり今後の日本代表の動向がとても気になるからです。以下は対ブラジル戦後のブログからの引用です。勝手に引用しちゃダメなんでしょうが、良かったら読んでみて下さい。『8年前、川口能活は孤独だった。そうでなくても人づきあいが上手くなかった上に、たとえ相手が先輩であってもミスを容赦なく、それも苛烈に怒鳴りつけていたのだから、周囲が彼のことを疎んだのは仕方のないことだったのかもしれない。孤独な荒武者。あのころの川口をみて、我が輩はそんなふうに感じたことを覚えている。 8年前、中田英寿のまわりには人がいて笑顔があった。フィールド上での傍若無人にも思える振る舞いが信じられないほど、普段の彼は周囲に気を使う。日本代表の先輩たちは、ときとして生意気なティーンエイジャーにカチンとさせられることもあっただろうが、基本的には「しょうがねえなあ」と苦笑しながら見守っていたような印象がある。如才のない若殿。それがあのころの中田英寿だった。たぶん、だから村上龍さんあたりも彼に惹かれたのだ。 8年前、ジャマイカ戦にも敗れ、初のWMが3戦全敗で終わると、川口は泣きながら場内を一周した。悔しさ、情けなさ、不甲斐なさ、そしてファンに対する申し訳なさ。いろんな思いが入り交じった涙だったのだろう。たった一人でとぼとぼと歩く孤独な姿に、我が輩は胸が締めつけられるような思いを味わったものだった。 昨日、試合を終えて引き上げる川口のまわりには土肥が、楢崎がいて、笑顔があった。ちょうど、ジャマイカ戦のあとの中田がそうだったように。 中田のまわりには、誰もいなかった。ちょうど、ジャマイカ戦のあとの川口がそうだったように。 それを自業自得だとあざ笑う人もいるだろう。かつて川口能活が孤独だったのは、彼自身にも原因があったからであるように。 だが、中田英寿は本来、川口能活とは一番遠いところにいる人間だったのだ。 鬼だった川口能活は、勝つために笑顔を覚えた。 笑顔だった中田英寿は、勝つために鬼になった。 川口が仲間の信頼をえるために必死になって笑顔の浮かべ方を身につけようとしたように、中田は、勝利の可能性を高めるために必死になって鬼になろうとした。 そして、報われなかった。 彼自身の出来がよくなかったのも事実である。あれほど単純なミスを連発する中田英寿をみたのは初めてだった。ジョホールバル、ペルージャでのセリエAデビュー戦。節目となる試合では必ずといっていいほど結果を出してきた彼は、心のどこかで、絶体絶命の状況で迎えたブラジル戦も、なにかが起こることを予感していたのでは、という気がする。持って生まれた己の星に対する、理屈ではない信頼とでもいうのだろうか。それが木っ端みじんに打ち砕かれたショックは、間違いなくあったとは思う。 今回が自分にとって最後のWMであることを、彼は公言してきている。それが、あんな形で終わってしまったという悔しさもあったに違いない。 だが、一番大きかったのは、途方もない徒労感ではないか。他人への気遣いを忘れない男が、周囲から疎まれ、嫌われるのを覚悟でやってきたことが、なんの形にもならないで終わってしまったという徒労感。 あのとき、中田英寿はなにを考えたのか。周囲は、なにを考えたのか。ひょっとしたら、早い段階で中田の元に駆け寄った宮本が「いまは放っておいてやろう」と言ったがゆえの孤独だったのか。 中田英寿を軸として、核として起用してきたジーコ監督は、なぜドーハの際のハンス・オフトのように、へたりこむ大黒柱に声をかけなかったのか。去年の9月、中田英寿は「ジーコが監督じゃなかったら、もう日本代表にはいってなかったかもしれない」といっていたが、あれは彼の「片思い」だったのか。 真実が知りたい。たとえ真実はひとつでないにしても、真実のひとつぐらいは知っておきたい。』4年後の2010年 30歳を越えて成長した代表メンバーとして今と違う姿で戦う「中田 川口」を見たいです。中村俊輔を含めてみんなが不完全燃焼で終わったこのW杯。このまま引退はダメでしょう・・・。やっぱり「日本はもっとやれるはず!」です。
2006.06.26
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山登りと言うかの山下りと言うのか 生まれて初めて3時間ほど掛けて山から下りてきました。八甲田山のロープウェイで山頂まで登り 3時間掛けて下ってくるコースです。 出発前のまだ元気なわたしです。この酸ヶ湯温泉に車を置いてロープウェイの乗り場までバスで行きます。ロープウェイを降りて3時間後 この建物の後ろの山から下りて来るのです。 しばらくは緩やかな下り坂が続き「こりゃなんて事ないわ」とまだまだ元気。 雪です。途中まだたくさんの雪があり足元はグチャグチャで滑るしぬかるし 岩はゴロゴロヌルヌル・・道も分からなくなってビビリ始めました。ここでまだ3分の一くらい・・・・逆に下から登って来た人々がすれ違いざまに「どっちの方角から来たんですか?」とか「山頂まで後何時間くらいですか?」とか 標準語でアレコレ聴いて来るのですが答える余裕が無いです。皆さんしっかりリュックにピッケルの登山姿で、ハイキングの格好はわたしと夫くらいのもので 本当に日本中の各地からやって来ているんだなぁ・・・と思いました。だけどこっちは初心者なんだから(何にも聴かないでくれ!)って状態です。ここから後ろに写っている雪の阪道登りが始まりました。見たかった花は今年は寒くてまだ時期ではなかったけれど 何より足元に気を取られ花どころじゃなかったです。小川のおたまじゃくしの大群に驚き、雪解けの中にカエルの卵を発見し、滑ったのぬかったのとそりゃ~にぎやかに歩いてきました。途中 一度だけ休んでようやく車の置いた酸ヶ湯温泉に到着です。 この残り1・5kmの大変だった事・・・・足が完全に笑い出しヘロヘロで思わぬ方向に着地です。一枚目の写真の場所にやっと着いた時には疲れてしゃがみ込んでしまいました。その後蕎麦を食べ 酸ヶ湯温泉に入って来ました。気持ち良かったです。たまにはいつもと違った事をしてみるのも良いものですね。体調のあまり良くなかったこのごろ・・・気分転換が出来ました。ヘトヘトだったけど まだ頑張れる・・・そんな自信も付きました。次の目標は 同じロープウェイから下りて来る4時間のコースです。今度は紅葉の頃に行きたいです。
2006.06.24
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