Q輔とU子と「不妊治療」 0
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あれは第五の波の真っ只中のこと。 僕の身近でコロナの感染者が連続して確認された。 僕は濃厚接触者ではなかったのだけれど、そこは一応念の為ってんで、自分もPCR検査なるものを二度も受けた。 その後も、念の為ってんで、仕事場でも家庭でも、実にソーシャルディスタンスな距離を保たれながらの生活をしていた。 そんな時、妻から、満を持してこんな提案があった。「あんたも、これを機会に、ウレタンマクをやめて、不織布マスクに変えたら?」 当時、僕はウレタンマスクをしていた。 でさ。 瞬く間に夫婦喧嘩になりましたので、以下、その記録っす。 ※ ※ ※ ※ ※ 絶対に嫌だ。何でじゃ? 何で不織布マスクを強制されにゃならんの?「あなた、知らないの? ここ最近は、ウレタンマスクの効果について世間は懐疑的なのよ」 へー、コロナ発生時に、あれだけウレタンマスクに世話になっておいてか?「街では、ウレタンマスクの人を公然と注意する市民、人呼んで『不織布マスク警察』なる者も発動しとるらしいよ」 うむ。それが誠であれば、僕はそのポリスにぜひ会いたい。ぜひ注意されたい。徹底的に不織布ポリスと議論がしたい。「は~い、あんたの悪いとこ、全開になっとるよー。あんたねえ、ウレタンマスクは不織布マスクに比べて、効果が劣るのよ」 それは知っている。でもフェイスシールドよりは優っているよ。「だから何なのよ! 今できるベストの対策をするべきでしょう!」 ちなみに、不織布マスクは、医療現場で使用されるN95マスクよりは劣っているよ。 ベストの対策をすのであれば、みんなN95マスクをするべきではないかい?「N95マスクは極めて呼吸が困難で、長時間装着出来ないの! 日常生活での実用性は劣るの!」 なるほど、そこに不織布マスク警察のお歴々も、いくばくかの妥協が生じているわけだね。 不織布マスクより効果のあるマスクがあるにもかかわらず、ベストを尽くしていないわけだね。 ちなみに、僕にとっての不織布マスクは、暑いし、痒いし、極めて呼吸が困難で、 ウレタンマスクに比べ、日常生活での実用性は劣るのだが……。「ちょ。ちょ、ちょ、怖いんですけど。あなた、それ、正気で言っているの? ウレタンマスクは、巷では、言わばマスクをしていないのと同じだとも言われているのよ?」 そちらこそ、正気で言っているのかい? 『していないのと同じ』とは、具体的にどういう意味だ? つまり『していない』ということか? いやいや、していないわけがないじゃないか。 マスクを物理的に装着しているのだ。マスクが見えていないのか? 効果はゼロではない。絶対にある。「だ、か、ら、その効果が、不織布マスクより劣るんだよ、この大バカヤロー!」 だ、か、ら、不織布マスクは、N95マスクより劣るだろ、コノヤロー! 防毒マスクより劣るだろ、コンチキショー!「てか、さっきから、あなたは何と戦ているの? 世間の風潮の逆張りをしていればカッコいいの? 戦うべきは、コロナでしょう? 今は、みんなで協力して一日も早くコロナを終息させることでしょう?」 ……んまあ、それを言われたらぐうの音もねえっす。「じゃあ聞きますけど。だいたい、あなたは不織布マスクの何がそんなに嫌なの?」 暑い。そして息苦しい。夏場なんか、たまらん。「あんた、いつの不織布マスクの話をしているの? 今は涼しくて、呼吸のしやすいマスクが沢山あるのよ」 あら、そうなの? それから、不織布マスクの色が気にいらん。白は苦手。だって、汚れが目立つから。「頭痛くなってきた。あのねえ、不織布マスク、イコール白ではないよ。色のついたオシャレな不織布マスク、いくらでもあるよ」 ……マジ?「マジっす!」血色マスク 不織布 アイリスオーヤマ カラーマスク プリーツマスク APN-60L 60枚入送料無料 マスク 風邪 花粉 不織布 飛沫 ウイルス ほこり 【メール便】【代金引換不可・日時指定不可】価格:898円(税込、送料無料) (2022/1/23時点)楽天で購入 試してみました。 わーーーーーお! 涼しいいいい! じぇんじゃえん息苦しくにゃーーい! カラー、むちゃんこあるううう! そんなこんなで、どんなこんなで、今じゃオイラも、すっかり不織布マスク。 ビバ! 不織布! 凝り固まったアホみたいな先入観は、とっとと捨てましょう。 というお話でしたとさ。 マスクを正しく装着して、感染拡大防止に努めましょう。 それでは、みなさん、よい休日を!にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.01.23
「ノーマスクだと下着なしで外出しているようで落ち着かない」「コロナが終息しても条件によってはマスクを着用して生活したい」 という若者が増えているそうです。 今や、マスクは下着。 人呼んで「顔パンツ」だそうです。 しかしまあ、言うに事欠いて顔パンツとは、まったくトホホだよ。「顔パンツ」なんて言われたら、思わず「変態仮面」を思い浮かべてしまうのは僕だけでしょうか? マスクが顔パンツであるならば、 パンツは、言うなれば、ちんこマスク。 マスクが顔パンツであるならば、 あらゆる飲食店は、ノーパン喫茶。 マスクが顔パンツであるならば、 マスクについたカレーは、パンツについたうんこ。 マスクが顔パンツであるならば…… すみません。もうやめます。 えーーー、でも、だって、そういうことじゃん。 違う? うーーーーむ、解せん。 マスクって下着かあ? 百歩譲って上着じゃね? んまあ、どうだっていい話っすけど。 何にせよ、今後マスクが文化として定着するのは間違いなさそうですね。 良くも悪くも、ことこの日本という国においては。 にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.01.09
トンテキ、どーん。 コストコのお肉です。 大変美味しゅうございました。 さて。 39度出たっす。 コロナワクチン二回目の副反応、漏れなく、高熱ゲットンっす。 接種後半日を経過しても何ら不調を感じなかったので、 フン、ワクチンめ、楽勝、克服してやったりニャロメロン。 なんつって余裕ぶっこいていたら、夜中に激しい悪寒に襲われ、ガッタブル。 僕、普段から風邪もあまりひかず、おかげ様で体調も崩しにくい体質なので、 逆に高熱に対する免疫が心身共にまるで備わっておらず、 もうそっからは、隣で寝ていた妻を叩き起こし、 さささ寒い! 毛布を持ってこい! まままだ寒い! 毛布をもう一枚持ってこい! おい君! アイスノンを持て! おい君! 解熱剤飲ませろ! こら君! 余は喉が渇いたぞ! 君よ! 頼む! 体をさすってくれ! 君よ! そっと手を握っておくれ! 何だかなあ、さっきから君は、もっと何つーか、病人を献身的に励まそうという気がないのかあああ! と、晒せるだけの弱音と醜態を晒しまくったのであります。 一晩中毛布に包まって、ガタガタ震えながら考えていたのは、今の若者たちのこと。 ワクチンを打ちたくても打てない若者たちよ、誠に申し訳ない。溢れんばかりの未来を抱えた君たちを差し置いて、先々長くもない将来に何の希望もないこんな中年のおっさんが、君たちより先にワクチンを打ってしまった。 僕は心の未熟な若者たちより幾ばくか分別のついた大人です。僕には理性をもって自粛生活、感染拡大防止に努める人生の経験値があります。僕のことなら心配ご無用。どうか、ワクチンは未来ある若者たちへ優先的に譲ってあげて下さい! と声を上げて勇退することだって出来たのだ。でも、実際はどうだ? そんな選択肢はまるで頭を過ぎらなかった。他の多くの年配者と一緒に我先にとワクチンの接種権を奪い合った。普段から偉そうなことをほざいている政治からも世論からも、是非とも未来ある若者に優先的にワクチンを! なんて声は微塵も上がらなかった。僕たち年寄りは若者のことなど眼中になく、至極当然のように挙ってワクチンを接種し散らかした。 要するに今の若者たちは、このコロナ過において、青春を自粛せよ、恋愛を自粛せよ、と迫られているのだ。友と肩を組み合い恋人と唇を重ね合うことが当たり前だった我々の世代では、想像しがたい事態だ。酷な話だ。青春も恋愛も、大人からすれば不要不急であっても、若者からしたら重要緊急だ。それは今も昔も変わりはしない。 若者の皆さん、ごめんなさい。こんなポンコツが我先にとワクチンを接種してしまって。きっとこの副反応は、バチなのだ。バチかぶったのだ。本当にごめんなさい。許してください。もうしません。ごめんなさい。もうしません。ごめんなさい。もうしません…… 自責の念にうなされ朝が来た。 翌日は大事を取って会社を休んだ。 日中は熱が上がったり下がったりで、夕方になって何とか平熱に戻った。 その晩、僕は、何事も無かったように平静を装い妻に言った。「まあ、今回あえて、老後に君が僕を介護する時の予行練習を行った訳だけど。うん、良しとしましょう。昨晩の君の介護につきましては、概ね合格点をあげて差支えないでしょう。あは。あはは」 妻のやつ、額に入れて飾りたいぐらいの見事な呆れ顔。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.09.19
実はぽっくん、この数日間で、PCR検査を二度受けました。先日僕が担当する工事現場で接触のあった人が、コロナに感染したのです。濃厚接触に該当しない条件下での接触でしたが、まあ念のためです。土曜日の夜に緊急情報を得て、それから大至急妻にPCR検査の出来る病院を予約してもらい、翌朝9時には検査を終えました。陰性でした。ちなみに以下は、一度目の検査の朝の、僕と妻のラインのやり取り。「朝ごはん持って来ようか?」と妻が訊ねているのは、僕が書斎に隔離されているからです。部屋の扉の前に置かれた食事を書斎に籠って食すのです。 朝一番で検査を受けて陰性の結果を妻に報告、これで一安心。と思いきや、週明けに出勤したら、また別の担当現場でコロナが発生したとの情報を得る。 これまた濃厚接触者には該当しなかったが、感染者が直近で同じ会議室で会議をした人であったので、これまた念のためです。もともと昨日今日と会社の出勤日であったが、仕事にならんし、周りへの配慮も兼ねて、いっそのこと休んだ。んで、本日朝っぱらから二度目のPCR検査を受けてきた。「朝ごはん食べる?」と妻が訊ねているのは、僕が書斎に隔離されているからです。部屋の扉の前に置かれた食事を書斎に籠って食すのです。 一度目と同じく9時過ぎには陰性の結果を得た。結果を妻に報告するのを何となく怠っていたら、催促のラインが来た。その後はとても四十代の熟練夫婦のやり取りとは思えん低俗な会話となってしまった。 いやはや、随分近いところをうろつきはじめたなあ、コロナ。 何だかもう僕の周辺は(特に真夏の建設業界は)何が起きてもいちいち驚いていられない状況です。 万が一に備えて、このお盆はどこにも行かず、静かにしています。 家族は、ひとまず実家に帰しました。 何や知らん、腹立たしいやら、悲しいやら、虚しいやら、 そんな世にも複雑な深呼吸を吸ってたり吐いたりしています。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.08.11
昨日。早朝5時45分。スマホのアラームが鳴る二分前にいつものように目が覚める。朝を告げる寸前のアラームを解除して、2階の寝室から1階のリビングへ降りる。リビングでは5時に起きて僕と夏休み真っ只中のゴールデンシスターズの弁当をせっせと作る妻がいる。「ぶえええ! 最悪ううう!」 卵焼きを巻きながら妻がテレビに向かって叫んでいる。ごめんなさい。今日もっとも運勢が悪いのは水瓶座のあなた。なるほどね。「めざましテレビ」の今日の占いのコーナーで、妻の星座である水瓶座が、栄光の最下位なのだ。「もおおお! 今日に限ってえええ!」 実は昨日、妻は一回目のコロナワクチンを打った。妻はかねがねワクチン大賛成論者で、未知なる異物を体に注入されることを本能的に恐れる僕を連日叱り飛ばし、僕の意思など関係ナッティング、問答無用で僕のワクチン接種日を予約したりする人です。そんな妻でも、当日となると、やっぱり副作用とかいろいろ不安みたい。「んもおおお! 昼からP子とコストコ行こうと思ってたのにいい!」何と、一回目のワクチンを打った後に、あわよくば長女を連れて最近名古屋に出来たばかりのコストコを初訪問しようと目論んでいやがる。「ででで、でも大丈夫よ! 今日のラッキーアイテムが、きっとアタシを救ってくれるわ!」 寝ぼけまなこの僕に、妻が金切声で矢継ぎ早に喚き散らかす。次の瞬間、最下位の水瓶座の皆さんに向け、今日のラッキーアイテムがテレビ画面いっぱいに表示された。水瓶座 今日のラッキーアイテムまぐろの山かけ妻「…………何が?」僕「…………何ゆえに?」 昨日、コロナワクチン接種会場で両手にマグロの山かけの入った容器を持ち、 器から溢れんばかりのトロロ芋をタップンタップンさせながらワクチンを接種している女性を見かけた方。 それ、僕の妻です。 僕は8月18日に一回目のワクチンを打ちます。 にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.08.07
今回の首都圏一都三県への緊急事態宣言は、主に感染リスクの高い飲食店などを対象として、限定的に対策を講じる方針だ。槍玉に挙げられた飲食店業界はいよいよ、てか、んもお~とっくの昔に死活問題であろう。生まれてこの方飲食店から多くの素晴らしいサービスを受けてきた我々としては、今後も感染防止対策を講じつつ粛々と個人利用を続け、あとは政府の惜しみない助成を望むばかりだ。そんなこんなで、この新型コロナ渦中にて、「飲食」という文化が、これからどうなっていくのだろうかと考えてたんすけどね。ふと、昔読んだ漫画を思い出したっす。不二子・F・不二雄の短編SF漫画、タイトルは「気楽に殺ろうよ」。ある平凡なサラリーマンが、ある朝パラレルワールドに迷い込んでしまう。何とその世界では、「食文化」と「性文化」の価値観が、この世界と真逆であった。食事は秘め事。親しい者だけが、カーテンを閉め、部屋を暗くして行うべきこと。妻が、顔を赤らめ囁き声で「お食事が出来ました」などと言う。方や、性はあけっぴろげ。昼間から公園のベンチで若者が人目をはばからず行為をしていたり、子供の絵本の「こうして、シンデレラと王子様は結婚して幸せに暮らしましたとさ。おしまい」の場面で、シンデレラと王子様が思いっきり行為をしていたりする。彼は、自分はいよいよ気が狂ったのだと思い、精神科医のカウンセリングを受ける。その時、その世界の精神科医は、彼にこう言うのだ。性欲、食欲、ともに最も根源的な欲望ですね。どちらが欠けても人類は滅亡する。ところでこの二つのうち、恥じすべき行為はどちらでしょう?食欲とは何か? 個体を維持するためのもの。個人的、閉鎖的、独裁的欲望と言えます。性欲とは何か? 種族の存続を目的とするもの。公共的、社会的、発展的欲望と言えます。さて、恥じすべきは? 隠すべきは?その世界の彼は、深く考え込んでしまう。ははは。んで。この世界の僕も、今、ちょっくら考え込んでいるのである。命あるものを殺戮して自らの食糧とし、それを大勢で集い、騒ぎ、喰らい、食べ物に感謝することもなく、その挙句大量に食べ残す。この世界で、ごく当たり前とされる行為は、たしかに少し見方を変えれば、大変恥じすべき行為なのかもしれない。そもそも「食」の根本的な目的は、個体を維持すること。ところが僕たち人間は、縄文とか弥生よりもっと昔、遥か古の時代から、どうせ食べるなら美味しく!どうせ食べるなら楽しく!どうせ食べるなら大勢で!てな感じで、「食」というただの個体維持行為を「文化」にまで高めてきた訳である。さて、いよいよこのコロナ禍で、そんな飲食の文化が根本からくつがえろうとしている。忘年会が無いなら無いで、今まで何故あんな無駄なことしていたのだろうと、逆に思う。帰省が無くなり、会いたくない親族との楽しくない宴が無くなり、ほっとしている主婦も多い。その食べ物は、行列になって何時間も並び、ぎゅうぎゅう詰めで相席までして食べなければならないものか?この会話は、食事の席でしか話せないことか?この気持ちは、酒の席でしか伝えられないことか?料理は、ワイワイガヤガヤ食べるのが一番美味しいってのは、本当に本当に本当か?飲食の目的とは、本来は個体維持。であるならば、基本的には単身で、または本当に親しき限られた者たちと、大地の恵みに感謝し、命をくれた肉や魚に感謝し、作ってくれた人に感謝し、静かに、ゆっくり、食に集中して頂くというのが、本来の姿ではなかろうか?と、このコロナ渦中にて、個人的には、はんなり気付き始めているのである。だから外食も、少人数で、静かに、安全に、味も雰囲気もゆっくりと味わえる店であれば、これからも是非行きたいし、きっとこれから、そういう店が増えていくような予感がする。パラレルワールドに迷い込んでしまった彼じゃないけど、今日までの僕たちは何故、恥ずかしげもなく、当たり前のように、何時間も大勢で唾を飛ばし合いながら、だらだらとメシを喰い、酒を呑んでいたのであろう?そう考えてみると、探せども、探せども、そのもっともらしい理由が、この世界の僕にも、見付けられずじまいなのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!僕の胃袋を掴んで離さない妻のルーム↓
2021.01.10
【原始人の会話①】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、ウンコとか、道端でしてんじゃん、あれってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか野グソって、僕らの常識でしょ」原始人A 「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。伝染病っつーの?これ、野グソが原因だと思うんだよね。よくよく考えたら野グソって、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前でお尻丸出しで脱糞ってどーなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは排泄行為は限定した場所で隠れてするようにしねえ? さしあたってその場所を【トイレ】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、好きな時に好きな場所で脱糞するからな!だいたいトイレの効果だって限定的なものだろ!このトイレ脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかトイレで排泄をするようになった。その結果、伝染病の死者は減少したという。やがてトイレは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、限定した場所で隠れて排泄をするのである。【原始人の会話②】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、全裸で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素っ裸って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。流行り風邪っつーの?これ、全裸が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら全裸って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で乳放り出して生活ってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは動物の毛皮や植物の繊維を身にまとうことにしねえ? さしあたってそれらを【服】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、すっぽんぽんのぶ~らぶらで生きていくからな!だいたい服の効果だって限定的なものだろ!この服脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしか服を着るようになった。その結果、流行り風邪の死者は減少したという。やがて服は人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、服を着て生活するのである。【原始人の会話③】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、素顔で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素顔って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。新型コロナウイルスっつーの?これ、素顔が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら素顔って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で顔面むき出しってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは口元を布で覆い隠すことにしねえ? さしあたってその布を【マスク】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、むき出しのツラ晒して生きていくからな!だいたいマスクの効果だって限定的なものだろ!このマスク脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかマスクをするようになった。その結果、新型コロナウイルスの死者は減少したという。やがてマスクは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、マスクを装着して生活するのである。ちなみに、会話の①と②は、ネアンデルタール人あたりの原始人を想定して書いた。また、会話③は、数万年後の未来人から見た我々現代人を想定して書いた。我々が、ネアンデルタール人も、クロマニョン人も、北京原人も一括りで「原始人」と呼ぶように、数万年後の未来人から見れば、ネアンデルタール人も我々も所詮は一括り。サルが二足歩行をはじめて間もない時代の、同じウホウホ扱いであろう。酷な話かもしれないけれど。一度排泄を覆い隠した以上、人がそう簡単に野グソフルライフに戻れないように。一度服を着てしまった以上、人がそう簡単に全裸フルライフに戻れないように。一度マスクをする生活が定着してしまった以上、現実問題、そう簡単にノンマスクライフなんて戻ってこないと思う。良くも悪くも、この新型コロナウイルス禍において、我々は、他人の吐く息の恐ろしさに気が付いてしまったのだ。例え新型コロナウイルスが完全に終息したとしても、恐らくマスクや消毒の文化は根付くと思われる。泣くな。喚くな。で、あるならば、したたかに進化あるのみ。お前さんはひょっとして、我々が人類の最終形態であると思うたか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。お前さんはひょっとして、今を末世と嘆いているのか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。しょせんウホウホ。まだまだウホウホ。僕らは、今だ、進化の途中なのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!恐るべき愛妻のルーム↓
2020.12.04
新型コロナウイルスの第一波が終息しかけた頃、麻生太郎財務相が、日本での新型コロナウイルスによる死者が欧米に比べて少ない理由について、「民度が違う」と発言したことについて、賛否両論が巻き起こった。賛否の「ぴ」の方は、まあ大方文句ばぁ~っか言っとりたい輩の、取るに足らん雑言だったが、賛成意見の中にも「たしかに日本人の民度は高い、しかしその内訳に政治家は含まれない」というシビアな意見が多かった。第一波を最小限に食い止めることができたのは、これ全て国民の力だ。政府は何もしていない。むしろ無駄な事ばかりして国民の足を引っ張っていただけ。これまでも日本と言う国は、いつだって政治はダメで、首相は馬鹿ばかりであったが、民度の高い国民の力で、いかなる国難をも乗り切ってきた稀有な国である。という意見だ。本当にそうだろうか?日本国誕生以来、奇跡的にいつも政治はダメ、トップは馬鹿であったが、奇跡的にいつの時代も国民のみ優秀で、奇跡的に国民の知性と努力で発展してきた奇跡の国家。本当にそう思っているのなら、いやはや、なかなか・・・。僕は、この地上にそんなユートピアは存在しないと思う。国家に限らず、スポーツチームであれ、町内であれ、企業であれ、地方公共団体であれ、トップがダメなら、遅かれ早かれ、そのコミュニティは確実に崩壊する。これはあらゆる歴史が物語っている歴然とした事実だ。選手や社員や国民だけの力で維持しています!なんて妄想だ。あり得ない。何が何でも現行の政権を認めたくない気持ちも分らんでもないが、問題点は問題点、良い点は良い点、そこはフェアに評価するべきだ。さもなくば、思考はネジくれるばかり。本来辿り着けるはずの簡単な答えにも、辿り着けない。第一波を最小限に抑えられたのは、国民もがんばったし、安倍総理を中心とした日本の政治家もがんばったからだ。このシンプルな事実さえ認められない、認めたくないってのは、いやはや、なかなか・・・。そもそも、みなさんは、この国の歴史を振り返ってみて、「ああ、あの人のあの政権は素晴らしかった!」と全国民が称賛するだろうと断言出来る時代はありますか?それはいつですか?小泉さんの時?中曽根さんの時?田中角栄?吉田茂?伊藤博文?結局のところ、全国民が称賛する時代など、ありはしないのである。モノゴトには二面性があるのは必須。表と裏。水と油。賛成と反対。文句ばぁ~っか言っとるヤツは、いつの時代も一定数存在する。それだけのことだ。ちなみに、僕は会社では、もっぱら反体制です。僕は会議で、よく社長と対立します。真っ向から意見出来るのが、僕ともう一人の部長ぐらいなので、立場的に社員の総意を託され、会社のトップと喧々諤々とやり合うわけです。社長は自分の方針を押し通すことがほとんどですが、まれに僕の意見を採用する場合もあります。ここまでは反体制ですが、僕は長い会議の末、不本意ながら「社長の方針」が採用されたその瞬間から、先ほどまで真っ向から社長の方針に反対していた自分を一転させ、社長の方針を、迅速かつ精巧に遂行する実務者に豹変します。自分が気に入らない方針だからといって、絶対に手を抜いたり足を引っ張ったりしません。会社の方針として決定した以上は、成功させるために誰よりも最善を尽くします。僕の仕事の流儀です。まったく、時々後ろから、思いっきり頭小突いたろかしらんと思う存在ですが、トップが馬鹿なら、漏れなく会社は潰れます。僕がおまんまを喰えているのは、社長のおかげ。何だかんだ言って師ですし、僕は社長を尊敬しています。さて。我が国のトップが辞任を表明しましたね。みなさんの、お望みどおり。万々歳ですね。安倍総理、お疲れ様でした。東京オリンピック、成功させたかったですね。コロナさえなければ・・・悔やまれます。我々が総理から布マスクをいただいた頃に、同じ自民党員ですら着用しないそのマスクを、メディアや一部の国民から散々馬鹿にされながらも着用し続けた、総理のお姿を、僕は一生忘れません。あれは、かっこよかったなあ。指導者のひとつの在り方を、学びました。重ねて、お疲れ様でした。今後は、どうかご自愛ください。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.29
「新型コロナウイルスの感染者数の発表に意味はない」という意見をよく見聞きします。ここ最近、有識者・学者・タレント・インフルエンサーがこぞって申していることだ。何や知らん、頭のいい連中が、また訳の分らんこと言い出したな。というのが、ごくシンプルな僕の意見。正確には、感染者数の発表だけを取り上げることに問題はあると思うが、感染者数の発表それ自体は、じぇんじぇん無意味だとは思わない。というのが、僕の意見だ。【もはや感染者数の発表は、気象情報や交通渋情報や今日の占いのようなもの】「新型コロナウイルスの感染者数の発表に意味はない」何故このロジックに、有識者たちが、こぞって陥るのかというと、単純に、仕事柄「持論」を常に発信し続けねばならないという立場が影響しているのだと思う。我々庶民からすれば、もはや感染者の発表とは、気象情報や交通渋情報や今日の占いのようなものだ。そもそも、さからしく持論を展開するには無理がある類の情報なのだ。「今日の天気は、晴れ時々曇りです」という天気予報について、独自の意見なんて持てない。同じように「今日は東京で、200人の感染者が確認されました」と言われても、有識者としては「ふーーん。・・・で?」としか言いようがないのであろう。今日の天気は晴れ時々曇りです。ではコメンテーターの○○先生、天気についてご意見を。今日は帰省ラッシュで渋滞が予想されます。さあ、ご意見を。今日の射手座のラッキーカラーは黄色です。さあ、どうでしょう?今日は200人の感染者が確認されました。さあ、何でしょう?いや、どう答えいっちゅーの!そもそも、この発表に意味あんのかっつーの!だいたいが!検査数が!分母が!何たらかんたら!と、彼らが苦し紛れの文句を言いたくなる気持ちも、分らんでもない。これじゃあ、机上で独自の持論をもっともらしく発信するという彼らの生業が成立しない。んがしかし、地に足をつけ実社会で汗を流して働いている庶民にとっては、その日の天気や最高気温・交通情報・花粉情報・インフルエンザの発生情報と同じように、自分のコミュニティで発生したコロナの感染者数を知るということが、無意味であろうはずがない。我々庶民は、掴んだ「情報」を迅速に実生活で活用できる「知恵」に加工し、日々おのれの「実生活を生き抜く力」として活用せねばならない。生活とはリアルで、時に残酷なものだ。キレイ事ばかり言っていられない。自分が感染すれば、職場に迷惑がかかるのだ。濃厚接触者ともなれば、何日も自宅待機となり、仕事が止まるのだ。偏見も、差別も、中傷もある。職場・学校・家族・田舎のコミュニティなどの、旧態依然とした見えないルールやしきたりの中で生きているのだ。有識者の正論が何だ?正論はどこまで行っても正論でしかない。現実社会では、正論も数ある選択肢のひとつでしかない。むしろ正論が通らない局面の方が多い。国が現段階で把握しうる情報は、僕としては、検査数がどうあれ、分母がどうあれ、信憑性がどうあれ、先ずは知りたい。「検査数が平等でない県ごとの感染者数を比べることは無意味だ」という人もいるが、何でじゃ?何でそうなってしまうんじゃ?僕は、県単位と言わず、市町村単位ぐらいまで、大ざっぱにでも比べて把握したいけどな。不確かな数値だとしても、自分が住むコミュニティの現状を、大枠で掴むことが出来るから。県単位に意味がないと言う人は、「国」という単位も必要ないのでは?僕たち、みーんな地球人。地球単位で数値を掴んでいれば、それでよいのではないのだろうか?【そりゃ、重症者・死亡者数も大事か知らんけど・・・】「感染者数に意味はない。大事なのは重症者・死亡者数」何でじゃ?「新型コロナより、インフルエンザの方が死者が多い。だからコロナなんて大したことない」何でじゃ?「新型コロナより、交通死亡事故の方が死者が多い。だからコロナは恐るるに足らず」何でじゃ?「多少の犠牲には目をつぶり、今は最優先で経済を回せ!このままでは自殺者が増えるぞ!」何でじゃああ?そりゃ、重症者・死亡者の数値も大事か知らんけど、感染者の数値も同じぐらい大事だと思うけどな。非感染者がある日突然死者になるわけあるまい、死者は必ず感染者から出るのだから。まあ、百歩譲って、同じ感染症である新型コロナとインフルエンザを同列で語るのは理解するとして、まさか交通死亡事故と同列で語るとは、ちょっくら論点のすり替えが甚だしいかと。その考え方が通るなら、国内のコロナの死者より、年間の殺人事件の死者の方が少ない。だから殺人なんて大したことじゃない。今年はコロナで沢山人が死んだけど、核兵器では死んでいない。だから核兵器は恐るるに足らず。今のところ、コロナの死者より、経済破綻による自殺者の方が少ない。だから経済は後回しでよい。という考えもまかり通ると思うけどな。「たまに死ぬけど、滅多に死なないから大丈夫だよ!」なんつって、憑りつかれたように言われると、逆にすんげー怖えーっつーの。「カゼだから!コロナなんて、ほぼほぼカゼと一緒だから!」なんつって、必死で説得されると、逆にすんげー用心するっちゅーの。「情報は鵜呑みにしちゃダメ!情報操作されちゃダメ!」なんつって、得意気に力説されると、逆にアンタを、すんげー疑ってしまうっちゅーの。感染するわけにはいかない。お金を稼がなければいけない。家のローンを払わなければならない。家族を養わなければならない。会社でも、処理せねばならない諸雑務が山積みだ。感染してたまるか!今の僕は、検査数の分母が何たらかんたら、というもっともらしい正論より、三丁目のラーメン屋で感染者が二人出た、という実用性のある情報が欲しい。愚民です。ぐみんなさい。どうぞ呆れてくんなまし。朝起きて、ニュースで天気予報を見る。傘の必要はなさそうだ。最高気温が37度になるという。熱中症に用心しなくちゃ。名古屋第二環状線で事故の情報だ。現場へ向かうルートを変更しよう。今日の蟹座の運勢は、最悪だって。とほほ、ベストを尽くそうじゃないか。おっとっと、忘れちゃいけない。昨日のコロナの感染者数は?名古屋市で150人か。増えたなあ。用心用心、ベストを尽くそうじゃないか。では、今日も元気に仕事にいってきまーす!コロナはもう、対岸の火事でも、机上で語る、空論でもない、コロナはもう、僕らの日常なのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.12
新規の工事を担当するたびに、初めてお会いする元請建設業者や役所の担当者が必ずいるのであるが、この新型コロナウイルスの渦中では、当然ながら初対面からお互いにマスク着用で名刺を交換したりする。コロナ発生初期の頃は、こういったビジネスの場ではマスクを外すのが礼儀とされたが、今は外さないのが礼儀だ。この頃は、短い期間の工事であれば、お互いに素顔を見ぬまま、お別れする人もいる。また、いつもマスク着用の相手の素顔を、リモートで久しぶりに拝見すると新鮮だったりする。まあ、僕などは、相手の人相や表情から交渉の糸口を見出すようなところがあるので、マスクを着用している相手の考えているコトは、正直読みにくくて困っている。先日、会社の健康診断を最寄りの保健センターで受けたのだが、会場は、コロナ対策として、例年のような野戦病院の如きギュウギュウ詰めを避け、密を避ける時間割や座席の間隔が徹底されていて、とてもスムーズで有意義だった。検査ごとに消毒も徹底されていて、逆に今まで随分と不衛生な状態で受診していたんだなあと痛感した。外食をする時は、混む時間を避ける。昼食も10時~11時、または14~15時の時間帯なら大抵の店はガラガラだ。その日お目当てのお店が、あいにくその時間も混んでいるようであれば、そん時は諦める。別の空いた時間に来店するか、別の空いた店を探す。場所も時間も予定に縛られず、柔軟に対応することだ。美味しいものは逃げないのだから。はっきり言って、飲食店をはじめとするサービス業の接客対応は、総合的にコロナ前より今の方がいい。店内環境もとても衛生的で、ゆったりと食事ができ、何度でもリピートしたい店が急増した。我が家は、相変わらず、一度でも外出したら、帰宅時の玄関先での物品消毒の徹底。その後、手洗い→うがい→風呂場へ直行。を続けている。もしもの時の日用品・防災用品の備蓄も欠かしていない。人が「習慣化」に必要とする日数は? たしか21日とか?66日とか?僕などは、いまだに馴れん日々だが、間違いなく、この習慣は緊急時の一時的なものではなく、もはやスタンダードだということだ。たったこの半年で、これまでの常識が、あれよあれよという間に、いとも簡単に崩壊してしまった。なんつったって、これからは、ウィズのコロナなんだから、しょーがない。僕たちが、コロナを手の平で転がし、首輪をつけて手懐ける。いつか、そんな日が来る。たぶん。きっと。お願い。今僕たちは、二つ目の大きな波にノッテケテケテケ、もといゴボゴボ飲まれて溺れているわけであるが。最近だんだん分かってきたことがある。まあ、これは、あまり口にしたくないし、あまり認めたくないコトなのだけれど、現実的に、どう考えても、コロナ以前のような生活様式に戻るのは、無理。絶対に無理。ど~やらこいつぁあ「戻りたいけど、戻れない」のではなく。時代の意思が「戻さない」のだ。ひとつの時代が、コロッと終わり、新しい時代が、ニョキっと始まっている。コロナと共生しつつ、経済を回すのは大切なことだ。んが。古い時代に戻す努力は、無駄だと思うな。もう、あの時代は終わった。それは、確かに終わったのだから。今ココ。コロナを工夫して、ウィズするしかない。なーんつって、必死で自分に言い聞かせている、今日この頃である。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.11
どっかの検事が、賭けマージャンしてたんだって?ったく、許せん!検事ってあれっしょ? 偉いんしょ? 国の大事な仕事っしょ? お金いっぱい貰ってるんしょ?か、考えられへん! ・・・あ、ちなみに、僕たち庶民の間では、マージャンで金賭けない奴なんて一人もいねーし、ゴルフで「にぎり」は常識だし、トランプや花札での賭博なんて日常茶飯事だけど。それはほら、権力者と庶民の賭博は別だから。俺たちゃ、けなげな庶民だからね、庶民の賭博は、大目に見ていただかねーと。コロナウイルスの影響で、主にサービス業の個人事業主の経営がヤバいんだって?国は何しとんじゃい!さっさと救済せんかい!・・・あ、ちなみに個人事業主の中には、マイカーを社用車として経費で落としたり、プライベートの食事を接待交際費としたり、領収書の額を水増しして書いたり、売り上げを別口座に振り込ませると言った、「節税」という名の「脱税」をするヤツが多くいるけど。そこはほら、政治家と庶民の脱税は別だから。俺たちゃ、かよわき庶民だからね、さっさと救ってくんねーと。上級国民が運転する車が暴走して死亡事故を起こしたんだって?警察は何にとんじゃ!老人だろうが上級国民だろうが関係ねー!さっさと刑務所にぶち込め!・・・あ、ちなみに僕たち庶民にとって警察の「ねずみ取り」なんてクソだし、てか、正直まじめに制限速度を守っているドライバーなんて日本にほぼゼロだし、違法だろうが何だろうが、周りの流れに合わせて走るのが第一だと思ってるし、そこはほら、上級国民と庶民の運転は別だから。俺たちゃ、けなげな庶民だからね、警察に捕まんなきゃゴールド免許だから。検察とメディアが、実はズブズブだったんだって?呆れてものが言えん!・・・あ、ちなみに民間企業と議員と役所のズブズブたるや、まるで底なし沼・・・・・・きりがない。ここらで止めとこ。駄目だねえ、僕。権力者を批判する時は、庶民が我が身を省みていちゃあ、論点がボヤけるばかり。権力者を批判する時は、自分のことは棚に上げて、相手を再起不能にするつもりで。権力者を批判してりゃあ、とりあえずカッコつくじゃん。権力者を批判してりゃあ、国のこと真剣に考えてるっぽいじゃん。分かっちゃいるんだけどねえ。ついつい、自分たち庶民のズルさに目がいっちゃうのよね。僕の星の数ほどある欠点のひとつです。山口良忠という人を知っていますか?戦後の、日本の裁判官です。山口氏は、太平洋戦争終戦後の食糧難の時代の裁判官として、主に闇米等を所持して食糧管理法違反で検挙、起訴された被告人の事案を担当していたという。当時の日本は建前上、配給食糧以外を口にすることは違法であったが、んなこと馬鹿正直に守っている国民はどこにもおらず、庶民も国の偉いさんも、当たり前のように闇米を食べていた。そんな国民総アウトロー化した当時の日本にあって、この山口氏。闇米を取り締まる自分が闇米を食べる訳には絶対にいかないと、裁判官の信念を貫き通し。その結果、なんと、33歳という若さで、餓死した。栄養失調に伴う肺結核のため死んだのである。今の政治家のなかに、山口氏ほどの覚悟をもって職務を遂行している人はいるか?また、庶民のなかに、山口氏ほどの覚悟をもって政治に物申している人はいるか?少なくとも、僕たちの先祖は、餓死しなかった。法を犯して闇市で買った闇米を食べたからだ。だから今、僕たちがこうしてここにいる。これが、生き残りの血だ。多くの人は、この山口氏のことを「信念もここまでくると狂人の域である」と評したが、果たしてそうだろうか。当時の日本で唯一常人であったのが、山口良忠氏だったのではないだろうか。山口氏を、ただの狂人だと、どの口が言えるのであろうか。言うのは簡単。つくづく思う。言うのは簡単なのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.27
母が交通事故で死んだ時、僕は母の代理として警察から事情聴取を受けた。先ず警察から、事故の詳しい報告と、加害者の見解を伝えられ、その後は、生前の母の生活の様子を事細かに聞かれた。僕は、母が車の免許を生涯取得しなかったこと、昔から横断歩道を渡る時は、ドライバーに苦笑されてもお構いなしで、ピンっと手を上げてテキパキと渡る、ちょっと変わったオバちゃんだったこと、などを伝えた。そして事情聴取の最後に、被害者の遺族として思うことがあればお聞かせください、と言われたので、加害者を恨んではいません。僕の発言で罪の重さが変わるなら、どうか出来るだけ軽くして下さい。この度、母を交通事故で失って分かったことがあります。車を運転するということは、ピストルに弾を詰め、引き金を引き、銃口を人に向けながら街を歩くようなものです。もちろん、誰だって好き好んで人を殺したいわけじゃありません。でも、小石に蹴つまづいた拍子に、うっかり発砲してしまう。車を運転する以上、誰もが加害者になりうる。車は便利な乗り物であると同時に、時に恐ろしい凶器になりうる。べつに車の運転そのものを非難しているわけではありません。自分もこれからも運転は続けますし。只々、生涯を通じて安全運転に努めたい。そう肝に銘じるだけです。と警察に伝えました。この新型コロナウイルス禍で、ふとそんなことを思い出しました。緊急事態宣言が、多くの地域で解除されましたね。そんなこんなで愛知県も緊急事態宣言が解除されたのであるがしかし。いつまでも「ステイホーム」とは言っていられない。経済のため、教育のため、もはやウィズコロナは否めない。感染者を非難するような風潮は、絶対にあってはならない。感染するのも、感染させてしまうのも、悪いのはコロナだ。はい、解るんです。正直、僕自身、この自粛生活、も~限界です。で、あるからこそ、今、僕が、かつての日常を取り戻すために、一歩街へ出るということは、ピストルに弾を詰め、引き金を引き、銃口を人に向けながら街を歩くようなものだ。ということを、あらためて肝に銘じなければならない。悪気はなくとも、小石に蹴つまづいた拍子に、うっかり発砲してしまう可能性はあるのだ。ちなみに、交通死亡事故を無くすためには、「道路交通法」というルールと、「交通マナー」というモラルの、双方によって厳しく呼びかけられます。ピストルを無くすためには、「銃刀法」というルールと、「人は人を殺してはいけない」というモラルの、双方によって厳しく呼びかけられます。ところが不思議なもんで、この新型コロナウイルスについては、全世界で30万人の死者を出す恐怖のウイルスであるにもかかわらず、この国は、大方「モラル」のみに軸を置いた呼びかけであるようです。空き缶のポイ捨ては止めよう!列を乱さず並ぼう!あ、そうそう、それからマスク、手洗い、うがいをしよう!ってなもんです。ところが、そんな呼びかけにもかかわらず、何故か、なかなかの自粛の成果が得られちゃったというニッポン。問答無用のルールで国民をガチガチに縛った諸外国と比べると、良くも悪くも一線を画す、実に珍奇な国風と言えますニッポン。誇るべきか。嘆くべきか。ここが思案のしどころよニッポン。交通事故やピストルや自然災害やなんかの、ダイレクトな恐怖と違って、感染症の恐怖って、まるで五感で察することが出来ないじゃん。迫り来る恐怖が、見えない、聞こえない、臭わない、味しない、触れない。そんな至極単純なことが、多くの人々の恐怖心を希薄にしている原因ではないかと。ここからは、あくまで僕のファンタジーだけれど。仮に新型コロナウイルスの一匹一匹が目に見えたとしたらさ。例えば濃ゆ~い紫色かなんかでね。感染者が街に出て、咳でもしようもんなら、濃ゆ~い紫のウイルスがぶわーーっと空中に舞う。街行く人の手にも、こってり付着している濃ゆ~い紫が見える。てな状況であれば、も~呑気にモラルなんかで呼びかけてる場合じゃないよね。そっこーで激烈なコロナウイルス法が執行されるよね。感染者に対して「逮捕」とか「罪人」なんて言葉が飛び交っちゃうよね。想像するだけで、ちんちん縮み上がる。銃口向けられてる度、ちょ~高め。ウイルスの脅威は同じでも、見えると、見えないでは大違い。見えない。ただそれだけで、僕らは余裕しゃくしゃくだ。そんなこんなで、愛知県は、緊急事態宣言が解除された途端に、明らかに県民の気の緩みが、街に色濃く出ていますよ、ここだけの話。どうなることやら。まあ、人の価値観は十人十色。モラルを軸に呼びかけている以上、それぞれが正しいと思う価値観で行動するわけです。日本人が道徳心を貫いてコロナを終息させるのであれば、それはそれで、素晴らしいことだがね。んが、まあ、どう考えても、第二波は避けられませんね、こりゃ。ははは。まあ、この先何が起きようと、それは、僕たちが出した答え。僕たちが、あえて選んだ道です。また、出直しましょう。悩んだり。学んだり。わーわー暮らしとります。お時間です。さようなら。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.19
ちーーーっす、でやんす。本日の、尾張名古屋の空模様、グズついた、ウジウジした、ハッキリしない、この意気地なし!つって罵りたくなるよなお天気です。おや? 庭の家庭菜園、キューリもトマトも、根付いたみたい。さて、今日は、災害の原体験についての話。ちなみに、原体験とは、人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与える事柄のことである。僕には、災害の原体験はありません。幼い頃から「東海地震」ってのが、いつ来るか解らぬ災害の恐怖としてありましたが、「南海トラフ地震」と名称を変えた今日も、いまだ幸いにして、ぐらッときてません。実は僕、これまで大きな地震や台風、豪雨、豪雪、噴火、津波、感染症など、いくつかの災害が、身近をかすめていった経験は何度かあるものの、いつも大事には至らず、どこかいつも「対岸の火事」的感覚だったのです。ゆえに「我が身に降りかかる実体験」となったのは、このコロナウイルスが、生涯ではじめてです。当然、うちの娘たちも、はじめてです。彼女たちにとっては、このコロナウイルスが、まさに災害の原体験となり、この自粛生活が、彼女たちの、今後の思想・人格形成に大きな影響を与えることは間違いない。てか、コロナ以前に大きな自然災害や人的災害を経験した子供たちを除き、日本中の、いや、世界中の大多数の子供たちの災害の原体験は、このコロナウイルスになるのであろう。ゴールデンウィークの終盤、子供たちがカレー作りに挑戦しました。姉妹揃って、IKEAで買ったエプロンとコックさんの帽子。形から入るタイプです。デティールにこだわる長女は、一流シェフよろしく、髭を装着。ははは。アホっすわ。子供に生肉はいろいろとアレなので、肉はウインナーにしゃーした。野菜も、皮むきから。子供用の包丁で、とんとん切ります。ちなみに。うちの妻は、2000年の東海豪雨の時、避難した経験があります。実家の近くの庄内川が氾濫する危険があった為です。U子さんは、当時18歳。避難勧告が出されると、父さんの指示のもと、家族はテキパキと準備を終えた。んが、いざ避難所へ!という時になって、父さんが、「避難所へは、お前たちだけで行け!俺はこの家に残る!この家を守る!」と言い出した。家族は「危ないよ!お父さんも一緒に逃げよう!」と必死で説得。さながら、ホームドラマのワンシーンのような涙ながらの局面を経て、父さんは「畳だけ二階に上げたら、すぐ避難所へ向かう!」と約束。U子さんと母さんと弟は、一足先に避難所へ向かった。避難所は、近くの小学校の体育館。家族は、一番乗り。・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。あれ?・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。待てど暮らせど、だーれも来やしねえ。え? 避難勧告、出たよね?・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。それから一時間以上経ってやっとこさ、近所のご家族がだらだらと、雑談しながらやって来たらしい。温度差あり過ぎて風邪ひくわ!と、U子さんは叫んだとか叫ばなかったとか。その後、その人混みに紛れて、父さんが、防災頭巾を深々と被り、首から速報流れるラジオをぶら下げ、巨大な防災リュックを背負い、まるで戦時中の軍人のような出で立ちで現れ、ご近所さんに冷笑されていたとのこと。結局、避難所で一泊過ごし、翌朝解除されたらしい。すんげー恥ずかしかった。と、妻は当時を振り返るが、あの日、もし早い段階で地域の堤防が決壊し、川が氾濫していたら、助かったのは、妻の家族だけだ。そう思えば、今日の妻の危機管理意識の高さは、あの日の体験が影響しているのかもしれない。僕の家族も、かくありたい。ディテールにこだわる長女が、眉毛とホッペを!・・・ったく、よ~分らんわ。お米をといで、ご飯も炊きました。おーい、火傷するなよー。重ねて申しますが。このコロナウイルス禍の自粛生活が、世界中の多くの子供たちの災害の原体験となります。今の生活が、あらゆる災害に対する、大きな思想基準となるのです。いつの日か、この子たちが大人になって、この時代を振りかえり、「コロナの頃、何してた?」なんつって、皆で思い出を語り合った時に、うち、こっそり旅行してた。お父さん、平気でパチンコしてた。お母さん、マスク爆買して転売してた。なんつって、答えねばならぬ人達は、いずれ彼らを襲う災害の渦中にあっても、漏れなく、人に迷惑をかけたり、漏れなく、逃げ遅れて死んだりするわけです。・・・不憫な話です。今、世界中の親たちは、重要な教育の真っ只中。今、世界中の子供たちは、重要な学習の真っ只中。災害時、人は、いかに行動すべきか?日本の大人たちよ、そこんとこ重々踏まえてヨロシクどーぞ。長女、大きくなったなあ。この先、顔や体が完成に向かう兆しがあったら、こうしてブログに写真を上げるのも、ちょと考えようかな。次女。いとしのおバカさん。ぎゃはは。教えたり。教えられたり。わーわー暮らしとります。お時間です。さようなら。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.10
この生涯で、テストで0点を取ったことが、五回あります。小学生の時に二回、高校生の時に三回。エグイね、馬鹿さ加減が、我ながら。ちょーテキトーに書いても、どれか当たりそうだけどね、ふつー。ちなみに、更なる僕の致命的なエグさは、振りかえれば、問題に答えられなかったことが、一度もないのである。いつも、すぐに答えが解った。いつも、自分は100点取る気、満々だった。したがって、一問たりとも解答欄を埋めずにテストを終えたことは、ない。いつだって、僕は、答案用紙をびっちり記入してきた。だ、だのに、なぜ、0点、五回? ははは。重ねて申すが、ちょーテキトーに書いても、どれか当たりそうだけどね、ふつー。さすがは自分。流線形の馬鹿のフォルム。1月末頃から今日までの、自分のブログをね。取り分け新型コロナウイスに関連する日記を読み返しているとね。どえらい、面白れーでかん。その、ぐわんぐわんっぷりに、我ながら感心してしまう。ああ、この時期は、まだ余裕ぶっこいてたな、とか。うわあ、恥ずかしげもなく、やっちゃいかんことやってたな、とか。おお、この発言は数か月後の日本を見事言い当てたな、とか。あらら、この時期と今では、自分の考えは、180度違うな、とか。なんちゅーか、こう、迷うことなく、迷っているのである。悩むことなく、考えているのである。答え無き問に、懸命に答えているのである。自分軸のブレブレ加減に、我ながら惚れ惚れしてしまう。ニンゲンたるもの、こーでなくちゃいかん。にゃはは。さすがは自分。まが玉の思考のフォルム。てかさ。なんちゅーか、ほどほどの言い表し方が思い浮かばないので、ついつい大袈裟な表現になってしまってゴメンナサイですが、今、僕たちは、試されてるんじゃないかと。人類は、試験の真っ最中だぞと。もちろん、テスト問題は「新型コロナウイルス」。参考書はない。過去問題集もない。予習も復習も出来ようはずがない。てか、今のところ、正解なんてどこにもない。でも、答えは出さねばならない。ったく、難儀な試験だっちゅーの。でもね。答え合わせは、もうちょい先。まだまだ、時間はある。このクソ難儀な試験に解答する権利を得た、選ばれしニンゲンの一人として、せっかくだから、答案用紙は白紙で済ますな。なんとかして、答案用紙は埋めとけ。今ここ、答え合わせは、もうちょい先。今ここ、正解なんて、どこにもない。だからこそ、今ここ、自分なりの答えを書き続けてみようかなんて。例えそれが、生涯六回目の0点だとしても、それなら、それで、いい。いーーーーじゃん別にぃ。にゃはは。さすがは自分。円周率のニンゲンのフォルム。にほんブログ村↑ポチッと一枚!次回は「置き配」について書きまする。おたーしみにい。
2020.04.21
N95マスクが医療現場で不足しているらしい。・・・知らなかった。N95マスクとは、粒子状物質の吸引防止に用いられ、元々は製造・建設現場のマスクとして使用されていたが、結核やSARSなのどの感染症防止に効果を上げたことから、医療関係でも用いられるようになった。もちろん新型コロナウイルス最前線の医療従事者の感染予防にも使用されている。・・・知らなかった。てか、N95マスク。うちに、40枚ありましたけど。・・・知らなかった。しっかり者の妻が、東日本大震災の原発事故の時、被災地から遠い愛知県に放射能が飛んで来るのを恐れ、いち早く備えたらしい。・・・知らなかった。・・・ひとこと言ってくれればいいのに。つったら。さんざん伝えたっつーの、てめ! ふんふん返事してたろっつーの、おめ!と、こっぴどく叱られちゃいました。・・・人の話、全然聞いてなかった。「このマスクを病院に寄付したい」と、妻が言う。「全部? 全部あげちゃうの? ただで?」と、僕が訊いたら。「当たり前だろ!」と、妻が言う。「でも、また原発がどーにかなるかもしんないし、万が一の緊急事態に備えておいたら?」つったら。「今でしょ!今がその緊急事態でしょ!」と、妻が言う。「ちーせえな、ったく、おちょこの裏」と、妻が言う。・・・そーか、僕の器、おちょこの裏か、知らなかった。というわけで、妻、貰ってくれる病院を探すことに。はじめは、家族がお世話になっている町医者の先生に相談してみようと思ったが、やはり、新型コロナウイルス最前線の医療従事者に届けようと思い直す。妻がツイッターにて、有効な寄付の方法を集ったら、寄付者と医療機関との間に入ってくれるボランティアがあることを知る。妻は先方とツイッターにて数回やり取りをしたのですが、直接病院に電話してみるのも一考ですよ、とアドバイスを受ける。そんなこんなで、僕の妻は本日、愛知医科大学病院に、直接電話をかけました。恐る恐る、「あの、N95マスク40枚を寄付したいんですけど、貰っていただけますか?」つったら、電話口の人、食い気味で、すごく欲しい!って叫んだらしい。ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!恐縮するほど、お礼を連呼されたらしい。現場は、とても切迫しているようです。「よろしければ、直接お届けましょうか?」と、妻が尋ねると、郵送して下さい。と強くお願いされる。ちゅーわけで、明日送ります。ほんのひと粒の励ましですが、子供のメッセージを添えまする。もし、このブログを読んでいる人のなかに、N95マスクをお持ちの方がいたら、今まさに、緊急事態かと!今まさに、あなたのマスクを生かす時かと!新型コロナウイルス最前線の医療従事者に使ってもらうことが、あなたのマスクの本懐かと!れっつら、寄付!てか、こんなことが出来るのも、妻が、たまたま備えていたから。人に貰っていただくという行為は、備えなくして出来ない選択。この気持ちの余裕は、日頃の備えあればこそ。いやはや、うちの奥さんってすっげーなー。つって痛感、痛てて。それに引き替え、お前はいったい何をしてきたのだと、ああ、歴史が僕を問い詰める、眩しいほど青い空の真下で。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.14
長女、現在、小学校を臨時休校中。次女、長女の休校に合わせ、保育園を自粛中。二人とも3月2日から、誰一人友達と会っていない。一日に一時間、ひと気のない時間を見計らって、妻と公園で遊ぶ。休校と同時に、妻のパートも一旦ストップ。しかし、保育園には妻の在職証明がいるため、退職は出来ず。いよいよ、ここ最近、週に2回・3時間程度でパートを再開。しかし、これ以上事態が悪化したら、妻のパートは考える。上記の例外を除き、基本的に妻と子供は自宅から出ない。数か月間、銀行やATMに行かなくてもいいように、引き落とし口座にまとまった金を投入。買い物は、ほぼネットスーパー。野菜の定期便というのも始めた。近々、冷凍庫を購入する予定。僕が帰宅すると、刑務所に入る前の受刑者のように、財布、ガキ、携帯電話、弁当、水筒などの所持品を全て玄関先に置く。何処にも触らないよう注意しながら、洗面所へ直行し、手を洗う。しゅっ。しゅっ。しゅっ。しゅっ。しゅっ。僕が手を洗っていると、玄関で妻がドアノブや僕の所持品を除菌スプレーする音がする。床から壁から、拭きっからかしとる。それを後目に、僕、着ている服を洗濯機に直接放り込み、風呂へ直行する。基本的に女性陣は先に風呂を済ませているが、不意に僕の帰宅が早い日などは、僕が風呂に入った後、そのお湯を全部抜き、妻が入念に掃除した後、再度湯はりして女性陣が入る。たとえ一歩でも外出する時は、マスク。たとえ数秒でも外から戻ったら、手洗い。一度たりとも外気に触れた衣類は、洗濯機。自宅でも、ウンコをしたら、手洗い。←これ只今修行中。僕は建設業なので、テレワークとはいかず、これまで通り出社。水道設備業というライフラインに関わる業種なので、今のところ不況の影は見えない。ありがてぇこった。今のところは。てか、仮にロックダウンとなっても、何らかのカタチで業務を続けなければならぬ業種かもしれない。先の緊急事態宣言に合わせて、社長と相談して、社員のマスク着用の徹底。出社前の検温の徹底。残業の自粛。まめな社内換気や三密の防止の促進。一部の社員の就業時間短縮の実施を行う。僕が帰らないと、皆が帰りにくいようなので、五時になったら、さっさと帰る。まあ、社の体制も、これ以上事態が悪化したら、考えねばならぬ。手を動かしてナンボの建設業は、我々の労働が叩けば鳴るように売上に直結する為、長期自粛が続けば、会社はころっと傾くだろう。みんなで仲良く共倒れるか?または、残るべき人材を残すため・・・というボスの苦渋の決断も、近い将来大いにありうる。僕は、はじめから国に期待はしていません。過去に、期待しては裏切られ、期待しては裏切られ、そんなことが幾度かあれば、さすがに学習します。でも。この国がダメなら、どの国ならいい? どの国へ行きたい?と、自分に問うた時、僕には具体的な国名が浮かびません。あの人がダメなら、どの人がいい? どの党の誰に任す?と、自分に問うた時、僕には具体的な人物が浮かびません。どーしよーもないけど、この国が一番だと思います。どーしよーもないけど、僕たちが選択した現実です。今ここ。出来る限りのベストを尽くし、しゃくしゃくと、しゃくしゃくと、行こう。ガタガタ言ってもしゃーない。今ここ。しゅくしゅくと、しゅくしゅくと、がんばるしかない。しゃくしゃくと。しゅくしゅくと。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.12
よー、そこの若いの。もーこれ以上、子供たちの小さな背中に、背負わせるのはやめてくれ!【ゆとり・さとりの若者たちへ】も~ね、ゆとってる場合じゃないよ。のん気に、さとってる場合じゃない。ぶらぶら出歩いてる場合じゃねーっての。君たちの爺ちゃんやひい爺ちゃんが、かつて君たちぐらいの歳の頃に見た、戦後の焼け野原と何ら変わらぬ風景を、いや、むしろもっと絶望的な風景を、いずれ君たちは見るだろう。かわいそうに。君たちは、本当にかわいそうな世代だ。なんて気の毒な青春なんだ。イヤミじゃねーっての。心から同情する。かわいそうに。出来るだけがんばってみる。今となっては、君たちより、うんと幸せな青春を過ごさせてもらった、僕たち、四十代・五十代が、出来るだけふんばってみる。でも、僕たちが力尽きたら、次は、君たちの番だ。次は、君たちが、この国を支えるんだ。君たちが、この世界を救うんだよ。どうか、倒れ伏した僕たちの屍から学んでくれ。僕たちの失敗から、成功の糸口を見出してくれ。も~ね、ゆとってる場合じゃないよ。のん気に、さとってる場合じゃない。ぶらぶら出歩いてる場合じゃねーっての。今の若者は、体が成人しても、心はまだまだ未熟で、三十ぐらいで、やっと心が成人するのだ。三十ぐらいで、やっと社会の一員としての自分に目覚めるのだ。と言う人が時々いるけど、果たしてそうだろうか?であるなら、いくら君たちを注意したとて、この緊急事態にふらふら出歩く大きなお子ちゃまを注意したとて、それは無意味なことだっちゅーの。君たちの老いたパパやママを、大きなお子ちゃまの保護者を厳重注意しなきゃね。てか、本当に君たちは未熟なのだろうか?僕たちは忘れていない。君たちが、昨今の自然災害の後、いち早くボランティア活動を行ったあの姿を。困っている人のために何かしてあげたいと、ひた向きにがんばるあの眼差しを。高度成長・好景気・不景気を経た後の、円熟した時代に生まれた者だけが持つ、あの安定した道徳心を。僕たちは忘れていないのであ~る。ったく、若者なめんなっちゅーの。馬鹿にしてもらっちゃ困るっつーのなあ。自粛みたいなもん、なんぼでもしたるっちゅーの。むしろ無自覚なジジやババを叱ったるっちゅーのなあ。ほーんと、失礼しちゃうわ! も~ね、ゆとってる場合じゃないよ。のん気に、さとってる場合じゃない。ぶらぶら出歩いてる場合じゃねーっての。託したぞ、この国の未来。おっさん、勝手に期待してっからね。頼むぞー、ゆとり世代、さとり世代。以上。バブル崩壊後の不景気を生き抜いた、とあるロスジェネ世代の中年より。もとい。いずれ君たちの下でこの国を再建するであろう、君たちよりもっとかわいそうな「新型コロナ世代」の子を持つ親より。よー、そこの若いの。もーこれ以上、子供たちの小さな背中に、背負わせるのはやめてくれ!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.09
いや~、日々目まぐるしいねえ。目まぐるって、くらっと立ち眩むよね。まじ、鼻血出るっつーの。さあて。我らが愛知県の大村知事が6日の記者会見で、小中高の臨時休校の延長を表明しました。県民、ぎりぎりセーフだったねえ。県民、きりきり舞っちゃうとこだったねえ。てゆーか。うちは、あれだから。はなっから行かせる気なかったから。ははは、行かせらんねーっつーの、どー考えても。愛知県さん、ごめんなさい。ちなみに、長女の小学校は昨日が入学式で、今日が始業式でしたが、僕たちは、たった数時間出校する本日の始業式も、長女を欠席させています。ついでに、うちは長女の臨時休校に合わせて、次女の保育園もず~っと欠席させています。園長先生曰く、百人を越える園児のうち、欠席を続けているのは次女だけだそうです。ゴメンなすって、ゴメンなすって。もうねえ、うちは妻がね、妻が断固として「動かざること山の如し」だから。ヤバいよ、ヤバいよ。まあ、オイラはね、仮にもお上のお達しですからね、ちったあ登校させるコトも考えたんすけどね。念のため「自分が教員だったら」つってね、シュミレーションしてみるわけですよ、教育現場を。全校生徒の検温の徹底。過剰な換気の徹底。生徒のマスク適正使用の徹底。生徒間の離隔確保の徹底。二分間以上の手洗いの徹底。授業中のみならず、登下校時・給食・放課後に至るまで、あらゆる生徒の濃厚接触防止の徹底。この環境下にて通常授業の遂行と、休校中に停滞した教育の挽回。むり、むり、むり。出来る人、神だね。頭の中で何度シュミレーションを繰り返しても、僕が担任するクラス、どーしても大量の感染者が出ちゃうのよね。やっぱりね、自分の想像の世界で、必ずクラスターが起きるような場所へ、我が子を送り込むわけにはいかぬと判断しました、僕は。しっかしまあ、意固地になって学校再開させようとしたねえ、知事。あれ、たぶん、本人の意思ではないと思うよ。さもなくば常軌を逸している。きっと何らかの他からの圧力だと思う。それが国の圧力とは限らん、民間の圧力の方がよほど怖い。それぐらい、妙に不自然な意固地さだった。なんかさあ、国が愛知県を犠牲にして社会実験しようとしたんじゃねえかとすら思えた。今この状況で半ば強制的に学校再開したら、どうなるか?愛知県をモルモットとして、データが欲しかったんじゃねーかって。まあ、さすがにこればっかりは、我ながら考えすぎだと思うけど、ははは。子供に家族を殺させないで!これは妻がツイッターでたまたま見つけた、ある学校再開を反対する親御さんのツイートです。僕は思わず、ドキッとしてしまいました。さすがに物言いが大げさっちゃあ大げさですが、この新型コロナウイルス禍において、ある意味、これほど子を持つ親の気持ちを言い表している言葉もない。例えば、学校で無自覚に感染した子供が、自分のおじいちゃんを感染させ死なせてしまったら?まわりがいくら「君のせいじゃないよ、ウイルスが悪いんだよ」と慰めたところで、その子は重い自責の念から生涯逃げ切ることが出来るだろうか?人が死ななきゃいいという問題でもない。もし、我が子が、クラスメイトから感染したら? 逆に、我が子が、クラスメイトを感染させたら?もし、我が子が、先生から感染したら?逆に、我が子が、先生を感染させたら?もし、大規模なクラスターの原因が我が子だったら?学校で新型コロナウイルスが原因のイジメや差別が発生したら?そんな事態になった時、身も心もボロボロになった子供たちを、惜しみなくケア出来る立派な教育者や保護者がどれだけいるのだろうか?少なくとも僕たち夫婦に、その自信はない。どうしたらよいのか、さっぱり分からない。僕たちは、勇気をもって親としての不甲斐なさを自覚しているがゆえに、今の愛知県の状況下において、絶対に我が子を学校へ行かすことは出来ない。ちゅうこった。生きている以上、死のリスクを回避することは出来ない。いつ死んでもいいように、今この瞬間を、精一杯生きよう。したり顔で言う奴がいる。んーなこと、もっともらしく言われんでも、本能的にみーんな分っとるわ。曲がり角から車が飛び出してくるかもしれない。ビルの上から鉄パイプが落ちてくるかもしれない。いきなり通り魔に刺されるかもしれない。ある日大きな地震に襲われるかもしれない。わーっとるわ、アホ。でもそれは、あくまで予期せぬ出来事でしょう?新型コロナの発生時から今現在に至る大惨事は、ある意味すべて予期した出来事だった。現在進行形でピストルの銃口をおのれの眉間に突き付けられているようなこの時に、いつ死んでもいいように、今この瞬間を、精一杯生きよう。なんつってほざいてパコーンと撃たれて死んでいくような生き方を、僕はこれぽっちも、カッコいいと思えない。僕は、ピストルの銃口を向けられたら、恐れ慄き泣き叫んで逃げ惑う者でありたい。人類の歴史とは、極度の臆病者たちが、おろおろと逃げ惑いながら、恐怖や痛みをいかに克服して来たかの歴史ではないかと思う。生物的に生きる本能の強い者は、今この時、間違いなく静かに自粛している。僕は、そう思う。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.07
例えば、厳粛な葬式にて。僕の目の前でお経を読むお坊さんの頭に、どこからともなく飛んできたハエが、同時に2匹止まったら。僕は葬式の最中とはいえ、大爆笑してしまうだろう。これは「緊張と緩和」という笑いの方程式であって、「緊張」が大きければ大きいほど、その後の「緩和」が人の笑いを誘うわけである。この場合、ハエの数も重要で、1匹では物足りない。10匹では、逆に怖い。引いてしまう。2匹だから、大爆笑できる。そして、ここが更に重要なポイントであるが、僕はあくまで「ハエが2匹お坊さんの頭に止まったこと」を笑ったのであって、決して、お坊さんの存在自体を笑ってはいない。死者を、笑ってはいない。間違っても葬式そのものを笑ってはいないのである。ここのところを、人は不思議と混乱しやすい。このたび安倍総理が表明した「1世帯あたり布マスク2枚を配布する」件も同じだと思う。迫りくる新型コロナウイルスの恐怖。緊迫した世界情勢。熱を帯びる政府の対策会議。官僚①) 総理!国民への具体的な対策案を!官僚②) 総理!早急に対策案を!官僚③) 総理!さあ!対策案を!総理)・・・マスク二枚配ります。一同)ズコーーー。そりゃ、みんな笑うわ。この場合も、2枚というのが効いている。使い捨てマスク30枚なら、それほど笑えない。ドクター中松のサンバイザーマスク1個では、狙いすぎ。布マスク2枚というのが、絶妙に笑いを誘うのである。ただし、この場合も重要なポイントは、この「緊張と緩和シチュエーションで発生した笑い」と「政策の内容」とは別である。ということ。なんで「思わず笑ってしまった」=「国の政策、ふざけている」となるかね。政策は政策として、冷静に検討したいところだ。新型コロナウイルスの感染防止対策の一環として、国民の1世帯あたりに、布マスク2枚を配布します。この文章だけを読む。先入観なく読む。どこが笑える?そんなにおかしいか?僕には、いたってマトモな政策に思えるが・・・。少なからず、停滞も後退もしていない。少なからず、一歩前進したと思う。うーむ、僕がズレてんのかな。僕は決して安倍政権支持者ではないし、むしろ政治的思考として、思いっきりアンチの側だと自覚していまますが、それでも公平な選挙で選ばれた内閣総理大臣ですから、僕が選んだ安倍総理だ。そう思っています。てか、そもそもみんな、真面目に選挙行ってからモノ言ってんのかよって話っすけど。僕は、中学三年の時、卒業式の練習で生徒会長の挨拶の妙な節回しが可笑しくて、一人でゲラゲラ笑ってたら、先生に全校生徒の前に引きずり出され、体育館の舞台の上で、ぱっちーんって気持ちよく響くビンタをされたことがあったけど、そん時、先生にこう言われたんだよ。真面目に頑張っている人を、笑うな!そのことを、今回の「マスク2枚」の件で、何十年ぶりに思い出しましたよ。今回の件を境に、今後必ず安倍総理が国民に要請するのは、マスクをして下さい。間違いなく、これだと思われます。ひとまず2枚配ることで、その公言権を得るつもりではないのかなあ。てかさ。安倍総理、今いったいどんな気持ちで仕事してんだろうねえ。ちゅうわけで、今回はちょっくら、安倍総理の身になってスピーチしてみようかな。相手の立場になって考えることで、見えてくることがあるかもしれねっす。それでは、我に憑依せよ~安倍総理ぃ~~。【以下、僕に憑依した安倍総理のスピーチをお楽しみください】マスクをして下さい。お願いです。マスクをして下さい。あなたは感染者です。マスクをして下さい。これからは「感染しない対策」ではなく「感染させない対策」が急務です。私もあなたも、すでに感染者かもしれない。だからマスクをして下さい。私は、もっと早い段階で国民へのマスク着用の要請をしたかった。「マスクの効果は限定的だ」なんて、ばればれの嘘はつきたくなかった。「無自覚感染者のウイルス飛沫防止」に有効なのですから、誰がどう考えても、感染拡大防止に有効に決まってるじゃないですか?感染者、非感染者、双方が適正にマスクを装着すれば、誰がどう考えても、感染拡大防止に有効に決まってるじゃないですか?でも、言えませんでした。皆さんご承知のとおり、世界は深刻なマスク不足だからです。ぜ~んぶ私のせいなんですよね?マスクの買い占め騒動が起きるのは、私のせい。マスクの生産が追い付かないのも、私のせい。マスクが医療機関に行き届かないものも、私のせい。国民の半数以上がいまだマスク未着用で外出しているのも、私のせい。ぜ~んぶ、私のせいですよね?だからマスクを配りました。これで皆さんマスクをしてくれますよね?2枚じゃ足りないって?では何枚必要なんですか?全国民が納得する枚数を、どなたか具体的におっしゃって下さい。その判断や交渉をするためにも、まずは基準が必要ですよね?だから先ずは2枚配りました。全国民にマスクが行き届くことによって、感染率がどう変わるのか。そのデータを取り、今後の対策に生かす為にも、先ずは2枚配りました。国民にマスクを配るより、医療機関にお金を使えって?それは、我々国民はこれまで通り自由気ままに感染し続けるから、それを受け入れる医療機関を強化しろってことですか?何をいわんや。物理的に感染者数が減れば、医療崩壊は起きないのですよ。だからマスクの方を優先しました。緊急事態宣言なら、いつでも出します。でも、経済はどうなります?お望み通り、経済のことは後回しで、都市封鎖をしましょうか?崩壊するかもしれませんよ?そうなったらなったで、あなたは文句を言いませんか?それも私のせいですか?この度の私の政策を笑ったあなたですから、きっと届いたマスクを着用してくれるのでしょう。私を笑ったあなたですから、きっと正しい再利用法で大切に使ってくれるのでしょう。私を笑ったあなたですから、きっと届いたマスクの構造を学び、複製を作ってくれるのでしょう。政策を笑うのはあなたの自由ですが、自由という権利には義務が伴います。ぜひ国民の義務を果たして下さい。私の小さいマスクを笑ったニュースやワイドショーのコメンテーターは、今後は、さぞや立派なマスクを装着してメディアに登場し続けることでしょう。まさかマスク未装着でテレビに映るなんてことは無いですよね、影響力のあるあなた方ですもんね。海外でも、私は笑われているらしいですね。「アベノマスク」とか。日本の恥とか。マスクをせず大量の死者を出した国に、何故笑われなければならないのか?今更マスクの重要性に気付いてわちゃわちゃする国に対し、何を恥るべきなのか? 私にはさっぱり分かりません。250億円分の200円のあなたのマスクです。まさか、受け取らないとか言わないでくださいね。どうか、捨てたりしないでくださいね。あなたが必要ないのなら、あなたが責任をもって必要な人を探し、あなたが責任をもって渡してください。難しいコトですか?え? それすら私がやるべきことでしたか?あたなの矛先を向けるべきは、本当に私ですか?あなたの隣人ではないですか?あなた自身ではないですか?もうね、私は疲れました。・・・もう、どーでもいーです。ぐっすり寝たい。今の個人的な望みは、それだけ。ただ、それだけです。と、まあ。僕のようなゲスが総理大臣になったら、こんな風に嫌味ったらしい発言を、国民にガンガンかましちゃいますが、今のところ、安倍総理はゲスじゃないみたい。文句も言わんと、ったく立派です。なんかもう、安倍総理になったつもりで書いているだけで、まじ猛烈に疲れた。今日はもう、ぐっすり寝るとしよう。そう、僕たち国民は、安倍総理と違い、グースカピーと寝ることが出来る。ぐっすり寝ることが出来るのである。ありがたいこった。さあ、ぐっすり寝て、目が覚めたら。また、みんなで笑おう。みんなで選んだ内閣総理大臣を、みんなで笑おう。それが正しい国民のあり方。ね、みんな。私の敵は、私です。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.05
新型コロナウイルスが国内で猛威をふるい始めた時期のこと。国策として小三の長女の小学校が休校になったのに合わせて、うちは次女も保育園を休園させました。また、妻も比較的シフトの融通が利くパートを休み、子供達の世話をすることにしました。先行きが見えぬとは言うものの、恐らくは短期決戦で終息するであろう。多少の無理は承知の上で、出来る限りの感染防止策を講じようではないか。というのが差し当たっての我が家の方針でした。今思えば、その頃から、遥か遠くにボンヤリと光が見えていたのです。今週明けから立て続けに、仕事でとても大きなトラブルが三件続きました。直接的には、部下や協力会社の失敗なのですが、最終的には、管理者である僕の大失敗として、僕はその対応に追われていました。そもそも僕は人間の型式として、プレッシャーやストレスを感じにくい機種らしく。どんな過酷な状況下にあっても、鼻歌まじり鼻クソほじりで、淡々と業務を処理していく僕の姿を見て、いつも周りからは「強いっすね」「人としてありえないっすね」「てかマジきしょいっすね」などと散々な称賛をされてきたし、自分としても、心の強さには自信があったし、単純に自慢でもあった。んが、今週は、違った。なんだか、心の調子が変なのである。いつもの僕なら、数分・数秒で切り替えが利く、感情のコントロールが上手く出来ない。ずーーーっとイライラしているのである。また同時に、ドキドキして不安なのである。心が、重いのである。新型コロナウイルスが猛威をふるい始めた頃、遠くに見たボンヤリとした光は、この時、確実に視界に入っていました。あの光は、決して希望の光なんかじゃない。あの光は、深海にボンヤリ浮かぶチョウチンアンコウの光。見ちゃいけない!近づいちゃいけない!危険だ!と分っていても、ついつい小魚が引き寄せられ呑み込まれてしまう、不思議な光。ははーん、あれかあ、あれが世に言う「憂鬱」ってやつだな。このところ、夫婦の間も、ギスギスしていた。僕が、ずーーーーっと不機嫌だからだ。このまま、あの光を凝視し続けてはいけない。まだ遠い。まだ間に合う。一刻も早く進行方向を変えたい。ちゅーわけで、妻に正直に打ち明けました。これまで、腹が減った、腰が痛い、足が臭い、今日も無慈悲に毛が抜けた、など、体についての相談は、逐一報告してきた僕ですが、妻に、心の相談をするのは、初めてのことでした。でさ。正直に話したら、すーーっと楽になりました。てか、話半分ですっきり解消。心に決着っすわ。途中から、なんだか馬鹿々々しくなっちゃいましたからね。「相談」って、マジすげーって思いました。ははは今回なぜ心の調子が変になっちゃったのか?もう自分なりの分析結果は出てるっす。僕はこれまで「ルーティーン」というものに依存する人があまり好きではなかったのですが、結局のところ僕も知らず知らずに「家庭内のルーティーン」に依存しきっている人間だったらしく、ルーティーンをもってして、多くのプレッシャーやストレスを解消していたようなのである。それは、とてもささいなコトなのです。どれだけのトラブルを突き付けられても、家に帰って、先ずは冷たい焼酎の水割りを呑めば大丈夫。どれだけのプレッシャーを前にしても、子供達が楽しそうに学校の話をするのを聞きながら晩飯を喰ったら上機嫌。どれだけのストレスを抱えようが、平凡な日常が規則的に繰り返されるこの家に帰って来さえすれば、自分は無敵だ。そうやって無意識に自己暗示をかけていた。それぐらい、僕にとって「家」というものは、絶対だったらしい。その「絶対」が、この新型コロナウイルスの襲来で、ぐわんぐわん揺さぶられはじめた。帰宅したら酒を呑む前に手を洗って、服を全部洗濯機に入れて、風呂に直行して。子供達は学校へ行けず、いよいよストレスの前兆が表面に出はじめ。マスクやトイレロールのように、これまでの「あたり前」が、突如として「特別」になる日常。などなど。本当に、ささいな原因の積み重ね。ん~なことが原因かと、鼻で笑われてしまいそうなほど、ささいな。妻に相談した時、僕の告白を聞き終えた妻の第一声は、えーー!あんたがそんな腰抜けだと、あたしら、ちょー困るんですけどー!でした。・・・なんて正直な女だろう。ははは。僕は新型コロナウイルスが原因で心の調子を崩しているので、妻は今後コロナの話は極力避けるだろう、それが人の道ってもんだろう、と思ったのですが、逆にその直後に、コロナの話を延々一時間ぐらいされました。容赦なしでした。コロナは、適正な対策をすれば、いかにもろいウイルスであるか。という建設的な内容でしたが、総じてただの説教でした。その後突然何を思ったか、おい、あんた、ちょ、来い、ちょ、来いってば。と、僕をソファーに座らせ、ハグしました。んーか、んーか、んーだったのか。と、言いながら、頭なでなで攻撃もありました。一刻も早くこの場を抜け出したいと思いましたが、しばらく身を委ねたりもしました。ははは。ちなみに、その日から、寝る時間になると必ず、お~い、大丈夫か?添い寝したろか?と訊いてきます。まったく敵わん。てゆーか、これまで、自分は妖怪だ、もののけの類だ、と疑わずに生きてきましたが、なーんだ、僕もふつーの人間でした。心、ありました。よかったよかった。それを証明してくれる有難い出来事でしたので、忘れないようここに記録しておきますね。ちゅーわけで、我が家はこの件を期に、新型コロナウイルス対策を、短期決戦から長期籠城戦の陣営に変えます。コロナの感染を避けるが故に、心の病にかかっていては、意味がねーっつーの。これまで通り入念な対策は講じつつ、徐々に平凡な日常を掴み取りに行くぞ。この毎日は、もう非日常ではないのだ。コロナウイルスと共存する生活を、日常とするのだ。その第一歩として、昨日は久々にモリコロパークに行ってきたぞ。写真の花々はその時撮影したモノっす。やっばい、春、すっかり忘れとったがや。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.03.22
みんな、みんな、生きているんだ、友達なんだ。ふと、そんな友愛の念に、ひったひたに浸ってみたくなり、このように、手のひらを太陽にすかしてみました。んが、しかし、ミミズだーーって!オケラだーーって!アメンボだーーって!どうしてもあの歌の主人公のように、健気に生きている昆虫たちを、思いっきり上から目線で、見下す気にはなれず。・・・ああ、僕って、根っから虫ケラなのかなあ。こんにちは、Q輔です。手のひらに、ホクロがあるのです。昔から、話の流れでやむを得ず、この手のひらを人に見せると、その道に詳しい方々の格好の餌食となってしまい、「手のひらにホクロが出来る人はガンになる!」とか、「手のひらにホクロがある人は、ろくな死に方しない!」とか、かと思えば逆に「君はきっと大きな福をつかむ!」とか、まったく、言いたい放題言われ続けてきたわけです。僕的には、聞いているだけでけっこー疲れる内容なので、とある時期から、「これは子供の時、シャーペンの芯が刺さって、抜けなくなった跡ですよ」と言っては、その場を濁してきました。ははは。手相占いほどメジャーな占いは無いと思うのですが、同じ「相」を見るならば、「手の相」なんちゅー解りにくいものを、まじまじと見ずとも、相手の「人相」、シンプルにその顔つきをよ~く観察すれば、その者の「性質」や、その者の「この先」などは、超心理学的観点ではなく、あくまで生物学や統計学の観点から、ある程度見出せるような気がします。おいおい、知った風な口を利くな!はーい。まあ、体の部位で「相」を持つものと言えば「人相」と「手相」しかないわけで、遥か昔から、手も顔と同じく、その者の特性を読み解く重要な入口だったのであろうことは否めませんけどね。んじゃあ、何故「顔」と「手」だったのか?ちゅう素朴な疑問が浮上しますよね。相なら、足にも、お尻にも、背中にも、ありそうじゃんね。で、これは、あくまで僕の持論で、かつ、決していやらしい意味ではないのですが、結局のところ、「顔」も「手」も、どこか剥きだしの性器みたいなところがあって、性器的部位には、その者の存在理由が顕著に表れるのではないかと思われる。だからきっと「人相占い」や「手相占い」なんかより、本当に当たる占いは、「ちんちん相占い」だと、僕は密かに睨んどる。ただし、易者の前で、下半身を放り出して「さあ、占ってください!」とお願いしたところで、「あなたは、今すぐ、公然わいせつ罪で捕まるでしょう」と告げられ、どこからともなくサイレンの音が聞こえてくるってのが、オチっすけどね。さて。長過ぎる前置きは、ここまでにしてっと。手を洗っています。新型コロナウイルス感染予防の最も有効な処置は、手洗い・うがい。故に、手を洗いまくっているのです。恐るべき妻が、後ろでじーっと見てますからね、文字通り手が抜けない。とほほ。なんかね、妻が言うには、少なくとも30秒間しっかり洗えと。その30秒を越えるために、手を洗いながらハッピーバースデーの歌を2回歌えと。ちゅうわけで、どんな些細な外出であれ、帰宅のたび、洗面所でおのれの誕生を祝う日々。毎日、二つぐらい歳を取っていくのよね。ハッピーバースデートゥーミー。ハッピーバースデートゥーミー。ハッピーバースデーディアQちゃーん。ハッピーバースデートゥーミー。僕、今日で、ちょうど100歳。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.03.04
新型コロナウイルスの感染拡大の防止策として、政府が全国の小中高校などに対して休校を「要請」しましたね。うちは、今日が、その臨時休校の初日。うちは、長女の休校に合わせ、保育園児の次女も自宅待機させています。さてさて、おネーちゃんと、おチビちゃん、この度、この長期に渡る自宅学習の「時間割表」を、二人で真剣に話し合い、考えに考え、作ってみたそうです。ほ~、感心感心、どれどれ・・・。ゆ、夢の時間割表!こらー、しっかり勉強せーよー。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.03.02
「マーリン症候群」まだ見ぬ先のことをあれこれ考え過ぎ、過度な防衛策を巡らしてもなお、何や知らん、常に不安や心配にとらわれ続けている人たち。マーリンとは言うまでもなく、「ファインディング・ニモ」に登場するニモのお父さん。異常なまでに心配性な、あのパパのこと。あ、一応お伝えしときますけど、こんなパーソナリティ障害、どこにも提唱されてませんからね。僕がついさっき、勝手に作ったワードっすから。なにはともあれ、「マーリン症候群」、僕の妻のことである。先日、早朝。妻)ねえ、Qちゃん、Qちゃんったら・・・。僕がいつものように快眠していると、妻が僕の布団を引っぺがし、僕の肩をゆっさゆっさ揺さぶる。僕)むにゅむにゅ、・・・な、何すかああ。悦楽タイムを突如奪われた僕は、寝ぼけまなこで、いささか不機嫌に妻に問うた。妻)Qちゃん、私、考えたんだけど。僕)・・・はい?妻)マスク、防災グッツ、日用雑貨、食料、今回のこの新型コロナウイルス対策として、私、出来る限りの備えはしたつもりだったけどさ。僕)・・・うん、そりゃもう十二分に。妻)でも、ひとつだけ、備えてないものがあったのよ。僕)・・・はあ。妻)最後に必要なのは、結局のところ「種」なのよ。僕)は?妻)野菜の種。僕)は?妻)新型コロナウイルスで、この世界が滅亡したとするでしょ。んで、農家の人がいなくなってしまったら、私ら自給自足を余儀なくされるじゃん。て~ことは、荒野に種を撒き、野菜を育て、糧とする必要があるでしょ。僕)は?妻)トマト、ジャガイモ、ミカン、リンゴ・・・僕)おま、何時だと思っとん? 朝五時だぞ。んで翌日、早朝。妻)ねえ、Qちゃん、起きて、Qちゃん。僕)・・・ったく、何すかああ。妻)Qちゃん、私、考えたんだけど。僕)それは、恐らく新型コロナウイルスの件っすね、奥さん。妻)そう。私、このパンデミック、AIのしわざだと思うの。AIが暴走を始めてるのよ。近いうちにAIの人間選別が始まるとか何とか「やりすぎ都市伝説」で言ってたもん。僕)・・・朝五時だぞ。妻)ミスター都市伝説、関暁夫が、次の特番で、もっともらしく言いそうじゃん。さあ、始まったよね、パンデミック。いよいよAIの人間選別の幕開けだよね。俺は、二年前この番組で、ちゃんとこのことを予言していたからね。VTRに残ってるからね。みんなもう分ったよね、つまりは秘密結社であり、火星移住であるから、マイクロチップなんだよね。僕)・・・言いそうだけども。さらに翌、早朝。妻)おい! Q! 起きろ! Q輔!僕)・・・・・・・・・・。妻)Qちゃん、私、考えたんだけど。僕)お願いだから、お前はもう、何も考えるな!妻)最悪の最悪、この新型コロナウイルスで、みんな死んじゃって、あんたも死んじゃったら。私と子供たちだけじゃ、とても生きていけないと思うの。僕)連日お伝えしているね。朝の五時だよね。妻)そん時は、私、死ぬううううううう!(泣) 僕)ちょ、ちょ、ちょ、朝っぱらから物騒なこと!落ち着け!落ち着けってば! 妻)子供たちと刺し違えてええええええ!(泣)ちょ!ちょ!ちょ!い、いかーん、妻のなかでは、すでに二・三回、世界が滅亡しとる。ったく、なーーーーぬかしとん! アっホらしい。これぞ、マーリンシンドロームの最たるもん。ぎゃはははは。長女が、心配性のママを見かねて作ってくれたお守り。表はママの似顔絵。裏には、こんなメッセージ。わ、めっちゃ子供に勇気づけてもらっとる。ほらあ、シャキッとせい!ニモから学べい!ぶわはははは。かつてマルティン・ルターはこう言いました。たとえ明日世界が滅ぶとしても、私は今日リンゴの木を植えるだろう。妻よ、悪りいけんど、万が一世界が滅ぶとしても、君は死ねないよ。死んでいる暇などないのだよ。何故なら、君は、僕と一緒に、リンゴの木を植えるのだからね。お分かり? マイ、マーリン。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.02.29
いよいよこの日本で猛威を振るい始めましたな、新型コロナウイルス。もともと極度の心配性の僕の妻、U子さん。連日、ど、ど、どーしょー!ねえ、Qちゃん、どーしょー! つって、うるさぁ~てかん。感染したらどーしょー!監禁されたらどーしょー!メイド・イン・チャイナの品が不足したらどーしょー!妻、さながらファインディング・ニモのお父さん、マーリン。ちなみに、言うまでも無く、僕、ドリー。はいはい、わーった、わーった、U子さん。僕は君の危機管理能力を信じとるよ。君が思うよ~に、君の心が安らぐよ~に、策を講じなさい。さあ、という訳でえ~~、みなさん!うちの過剰反応を笑え!先ず、これが、うちのマスクのストック。僕等がこれを購入した時、そのドラッグストアの若い店員さんが、「最近、急にマスクがバカ売れしてんすよね~。何かあったんすかね~」つって、首を傾げていたぐらいだから、思えば早期対応ゆえ、この数を購入出来たのだろう。んで、最悪の場合の自宅籠城に備え、日用雑貨を購入。って、買い過ぎだバカヤロー!返品してこいコノヤロー!ぎゃははははは!んもぉ~腹痛いわ。てか、さらにこの後、米、酒、食材が、ネットスーパーから箱買いで届きましたよ。はぁ~、うちの妻の馬鹿さ加減ときたら、ったく。まあ、我が家は今、こうして妻の過剰反応を笑い。万が一、最悪の事態が起きた時も、「ああ、やっぱり備えておいてよかったね」と言って笑い。そして、これ以上蔓延することなく、しらぁ~っと沈静化したらば、「ほら見ろ!買い過ぎだっつーの!この量どうすんだっつーの!」なんつって、その時こそ、家族みんなで、心の底から大笑いするつもり。まあ、何だかんだ言って、いかなる事態も、笑ってやり過ごす系のスタンバイは出来ている。ははは、笑っちゃうでしょ?てか、みなさんちは、どうっすか?何系のスタンバイっすか?まあ、どれだけ用心しても、感染する時は感染する。僕たちだって、それぐらいのシビアなリアルズムは持ち合わせてたりしますけどね。てかちゅか、聞いてよ、U子のやつ。今回、防災用品やら防災備蓄やら床に広げて、バタバタ忙しく仕分けしている時に、防災グッツで足滑らして、滑って転んで、頭打って死にそうになったんだよ。ったく、気を付けろっつーの、マーリン。だって、ウイルスで亡くなるのも悲しいけどさ。死因「防災グッツ」なんて、前代未聞じゃね?死んでも死にきれねーよ?遺族、「いったいぜんたい何がしたかったのか、理解に苦し人だったねえ」なんて愚痴っちゃうよ?ちゅーわけで、明日は愛する妻のため、「防災グッツ」から身を守る「防災グッツ」ってのを、探しに行こうかな。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.02.22
マスクはありますか?うちには、家族四人が数か月しのげる数のマスクがあります。もともと自然災害時の防災用にしっかり備蓄してありましたし、買い占め騒動が始まるほんの二週間前、コロナウイルスが日本に上陸するか否かの微妙な時期に、妻の判断で、さらに適正数のマスクを買い足しました。新型コロナウイルスの進攻は、その時期の情報では実に曖昧なものでしたが、万に一つウイルスが上陸したら、間違いなくマスクの買い占めが始まる。このことを、僕たちは極めてシンプルに予測したからです。もう少し様子を見てから。必要に迫られてから。大半の人がそう判断するわけですから、その大半の人と同じ行動をしていては、間違いなく買いそびれる。ということも極めてシンプルに予測しました。ちなみに、僕たちが薬局へ出向いた時には、すでに「お一人様二箱まで」の販売規制がはじまっていましたよ。僕たちより、さらに危機管理意識の高い方々は、大勢いるのです。妻は、うちのマスクの備蓄のことをブログに書くのは、時期が時期だけに、やめておいた方がよいのではないか、と忠告するのですが、僕は、決して自慢話がしたいわけではないのです。新型コロナウイルスについて、やたら難しく、わざわざややこしく考えず、みんなが、もっとシンプルな危機管理意識もって対応していれば、今のこの最悪の局面は、もう少し変わっていたのではないか、と思えてならないのです。僕は、新型コロナウイルスが日本に上陸する直前、会社の朝礼で社員にこう言いまいた。これから未曾有の生物災害が始まる!自然災害と同じく防災意識を高めましょう!うちはマスクをたくさん買いました!防災備蓄も見直しました!みんなも家族とよく話し合って、それなりの対応を早急にしたようがいいよ!でも、そん時の大半の社員の対応は、「でたでた、部長の過剰反応、うざ。」ってな感じで。とほほ。結局僕は今、彼らにマスクを分けてあげてますよ。まあ、過ぎてしまった事をあれこれ言っても、致し方なし。問題はこれから。これから、どのような対応をするか。という訳で、明日は妻と食料品や日用品の備蓄の更なる見直しを図り、買い出しに行きます。最悪の場合の長期籠城に備えてっす。当たり前のことですが、まだ、販売規制も何も始まっていません。スーパーマーケットもドラッグストアも、穏やかなものです。今のところは、ね。まさか、この日本の街が閉鎖されたり、市民に外出禁止令が出たりするなんて考えられないでしょう?でも、それはきっと、武漢の市民も同じだったんじゃないっすかね。更に言えば、まさか、こんなに大きな地震がくるなんて!まさか、こんなに大きな津波がくるなんて!まさか、こんなに大きな台風がくるなんて!という、これまでの「まさか」から学んだ経験を、我々はこのウイルス災害においても、ぜひ活かさねばならない。さあみんな、パニックになろう!と言っている訳では、決してなくて、逆に、早め早めに備えておけば、いざという時、落ち着いた行動がとれますよ。と言いたいのです。ちなみに、防災備蓄のことを、節約とか、食品ロスとか、ミニマルライフなどと絡めて、出費がかさむとか、もったいないとか、必要以上の物を持ちたくないとか、やたら難しく、わざわざややこしく考えるのは、絶対によくない。防災備蓄は、まったく別ごと! シンプルに割り切るべきである。向こう数か月、本来月ごとに購入する品を、事態に応じ、まとめて購入するだけの話。仮に事態が速やかに沈静化したならば、その大量の食材はどうなるかって?その大量の食材は、単純に「それ相応の時間をかけて消費する」に決まっとる。それ以上でも以下でもない。マスクの着用法やその効果についても、限定的であるとか何とか、様々な情報が飛び交っていますが、それらの情報全て知った上で、うちはこれからも外出時は家族全員マスクを着用し続けます。これまでも、これからも、うちの一貫した考えとして、感染した人、感染したことに気が付いていない人、感染していない人、全人類・全国民がマスク・手洗い・うがい・消毒を徹底し、人混みを極力避けていれば、もっと速やかに沈静化したはずだったし、将来的にもそれしか封じ込めの方法はないと思うからです。ちょいと目の休憩。長女のイラスト。さて、これから先、僕たちが注意しなければならない事は何でしょうか?僕は水道設備業者ですが、先週、このような情報を得ました。TOTOのウォシュレット系機械部品は中国の工場で生産されているが、中国の経済がストップしている関係で、発注を受けても具体的な納期の返答はしかねるとのこと。また、その煽りで、リクシルの商品が納期未定になるのも時間の問題であろうとのこと。衛生機器に限らず、給湯機・食洗機などの機械部品、自動車部品、日用雑貨類。中国の工場で作られている様々な製品が、いよいよ不足しそうです。土壇場になってパニックにならないように、今から対策を講じておきましょう。もうね、国の政策が悪いとか何とか、グダグダ文句言ってる場合じゃないですよ。元はと言えば僕たちが選んだ人達ですからね、吐いた唾が自分に返ってくるだけです。ぜひ、次の選挙で、正しい人を選びましょうよ。俺っちなんか、はなっから期待してねーもん。国が何かしてくれるんなら、それはそれでラッキーって感じぃ。とどのつまり、自分の身は、自分で守るしかない。だから、世界の心配、中国の心配、今のところしている余裕が、僕にはありません。先ずは自分。次に家族、次に地域、次に国、そして世界です。いずれ必ず世界を想う為にも、先ずは自分の身の安全です。自分や、自分の家族すら守れぬ者が、どう考えても世界を救えるはずがない。と、僕は、極めてシンプルに、思うのだけれど。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.02.16
こちらは無印良品の「素材を生かしたカレー」シリーズ、「三種の唐辛子とチキン」のカレー。昨年の暮れ、いろいろ買ってきたの、忘れとったでかんがや。そのうち、一番味の想像がつくものから頂いてみましたよ。さて。バイオハザード=生物学的危害・生物災害。新型コロナウイルスの件です。どうやら、中国全土に蔓延した模様ですね。多数の死者が出ているとか。・・・怖いね。てか、日本もやばいっすね。中国は旧正月の真っ只中、大型連休を利用して大勢の観光客が日本になだれ込んできている。どうなることやら・・・。うちは「危機管理能力の権化」ともいうべき、ちょービビり屋の妻の方針に従い、迫りくる「生物災害」に、今出来る限りの対策を講ずることとしました。ちなみに、妻の方針は下記のとおり。①最悪の場合の「籠城」に備え、市民の買い占めが始まる前に食料備蓄を見直す。②防災用品を見直す。(マスクなど、生物災害予防に関するものを中心に)③デマや風説に惑わされず、正確な情報収集に努め、落ち着いて行動する。④危険な場所には行かない。(ウイルス封じ込めの見通しが立つまで、人混みはなるべく避ける)⑤手洗い、うがい、消毒をする。以上、こう並べてみると、「自然災害」の防災対策と基本的には変わりませんね。最善の策を講じたら、あとは、いつも通りの生活を、慎ましく生きるのみ。まあ、ポイントは、新型ウイルスは「災害である」と捉えることかと。か、かんらっ!本格的な辛さでした。僕は辛いの大好きなので、すんげー美味しかったです。しばらくの間、胃がほんのり熱を持つような、いわゆる「唐辛子の辛さ」が楽しめます。じつは、僕たち、ウイルス感染症には、つらい思い出があるのです。あれは、次女が、生後まだ二週間のこと。次女は、「RSウイルス」という、乳児が感染すると、重度の場合死に至ると言われるウイルスに感染しました。妻は、当初から次女の異変に気が付いていたのです。次女を出産したばかりの妻は、退院してこの方、何だか元気がない次女が心配になり、近所の小児科へ診せに行きました。しかし、その病院の診断は、「ま、様子見ましょ。」ってな感じで。その数日後、やっぱり様子が変だと再度検診へ。しかし、診断はやはり「様子見いぃ。」さらに数日後の夜中、でもやっぱり絶対様子がおかしいよ!ってんで、大病院へ緊急搬送。んが、ドクターの見解は、「てか、この子、厚着し過ぎじゃね?」とのことだった。その時僕等は、病院側から明らかに「モンスターピアレンツ」的な扱いを受けたことを、今でも憶えている。それでも、それでも、それでも、やっぱり次女の様子がおかしいってことで、妻は翌日、次女を出産した産婦人科の出産後の定期健診の場で、間に看護師などを介さず、ドクターに直接これまでの経緯を直談判した。そのドクターだけは、「分かりました」と即座に紹介状を書いてくれたらしい。妻、その招待状を握りしめ、その足で数日前夜中に緊急搬送したばかりの大病院へ。やっとこさ、やっとこさ、やっとこさ、紹介状の力で精密検査が行われました。診断結果は「RSウイルス感染症」。その日その場で「ただちに緊急入院して下さい」との指示がありました。その時の次女ときたら、泣きもしない、目も開けない、くたんくたん、瀕死。この事態、誰にどんな文句を言えばよいのでしょうか?当時も今も、よく分らんでかん。結果として「誰も恨んではおりません。関係者の皆様、その節は、あーしたっ!」と、歯を食いしばって感謝するしかない。感謝しか、すべがないのである。ははは。妻はその日から、生後二週間の次女の付き添人として、同じ病室に入院することになりました。全身管だらけになった次女はベット、付き添いの妻にベットは無く、一週間ソファで寝起きしました。死んだお義母さん、この子を助けて。死んだお婆ちゃん、この子を助けて。死んだ親戚のおじさん、この子を助けて。死んだおばさんのいとこの・・・。思いつくあの世へ行った親族に片っ端から次女のご加護を願いつつ、妻は眠れない夜を連日過ごしたらしい。ちなみに妻、その時、その病室で、幽霊を見た。もし霊感を測るバロメーターがあるならば、僕などは、その針がゼロどころではなく、マイナスを差すであろうほど、この手の話には、まったくもって疎いので、正直理解に苦しみますが。・・・妻、見たらしいっすよ。夜の病室の窓に映る、自分の後ろを動く白い人影を何度も見た。という。普段からちょービビりの妻であるが、その時は恐怖で気を失いそうになるのを必死で堪えながら、「我が子を守らねば!」その一心で、その白い影に、夜通し怒涛の啖呵を切り続けた。ちょっと、あんた! あんただよ! そこの白いの!おい、こら、どこの誰だか知んねーけどさ!うちの子に手ぇ出したら、ただじゃおかねーぞコノヤロー!こちとら、どれだけの思いで産んだと思ってんだバカヤロー!とっとと立ち去れコンチキショー!その甲斐あってか、次女、一週間後には無事退院することが出来た。先日、妻があの日のことを振り返り、こんなことを言いました。よくよく考えたら、あの時の白い影、あたしがご加護を求めたご先祖様の誰かだった気がする。きっと、次女を助けに来てくれたんだと思う。やっば~い。あたし、ボロッカス言っちゃったんですけどお。・・・相変わらず、何が何だかよくわからんが。母は、強し。母は、強し、なのであ~る。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.01.26
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