想い出記念

想い出記念

2007年09月11日
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カテゴリ: 硫黄島 体験記




上空に雲のない朝を迎えた。

東の空に若干雲があり、綺麗な朝焼けを醸し出している。

赤かった雲が太陽の上昇と共に白くなり、それを背景に鳥が南へと羽ばたいていった。

今日は良い天気になりそうだが、プロジェクトの仕事を考えると頭の中は乱気流に巻き込まれた状態である。



今日の写真は、「独立臼砲大20大隊本部壕(この上台上)」です。

この上の滑走路外周道にはP-2V乗員の慰霊碑「帰心」があるが、壕は滑走路外周道と島内一周外周道間の大きな窪地がある東側台上である。

 指揮官   水足 光雄 大尉
  第1中隊 西山 茂雄 中尉  南部落北西側

  第3中隊 大森 清  中尉  東山

第2中隊は西地区田原坂に西海岸に向けて陣地を構築し、付近の独立機関銃第1大隊主力と協力して、独立歩兵第311大隊(辰見繁夫 少佐)を支援していた。

米軍は予想していた西海岸に上陸せず、第1飛行場(千鳥)、第2飛行場(元山)方向から侵攻してきた。

このため、砲撃ができず、砲の特性上から陣地変換の時間的猶予もなく、一発の射撃できずに砲を破壊して大阪山に後退を余儀なくされた。

それ以後は中迫第2大隊長 中尾 猶助 少佐の指揮下で斬込肉薄攻撃で出撃したが次第に兵力を消耗し、3月20日頃までに殆ど全滅した。

大隊本部及び第3中隊は、東山に主力で東海岸。一部で元山飛行場に向けて陣地を構築した。

大隊長水足大尉は、東山砲兵群を指揮し、独立歩兵第314大隊の戦闘に協力することになっていた。

米軍は2月19日南海岸上陸後、第1、第2飛行場方向から侵攻したため、一部の砲で邀撃したが、主力は主として斬込隊に参加して3月5日頃まで陣地で交戦した。

独立歩兵第314大隊が3月5日師団命令で北地区に移動後は、西戦車連隊の指揮下に入り、東山各隊と共に同地区を確保し、斬込肉薄攻撃で敢闘した。

しかし、東山守備の各隊も兵力を消耗し、3月7日には山頂の一角を占領されて、戦車連隊に合流したが、3月13日頃までに殆ど全滅に至った。


 戦死 425名
 生還  25名

第145連隊が九州で編成されたために、西海岸には、九州の地名が多いです。

この碑の少し手前を右に下りると西大佐の碑や銀名水、日出浜に至る。

またこの先を行くと「サウナ壕」である。





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最終更新日  2007年09月11日 06時12分14秒
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