想い出記念

想い出記念

2007年10月22日
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カテゴリ: 硫黄島 体験記



今朝は抜けるような青空です。

隣家の延長線に太陽があり、家々のシルエットや朝日が当たっている家はきらきらと光って綺麗です。

昨日は家の中でも寒さを感じ、書斎でもストーブをつけました。

娘が妻の誕生日の前祝いをするということで、食事に行くことにした。

数百メートルの距離だが、どうも風邪をひきそうな気配がしたので車で行くことにしたら、「軟弱者」扱いにされてしまった。

寒さが気になる今日この頃です。



今日の写真は「師団貨物廠壕」です。

この碑には複数記されています。



師団通信隊壕「第109師団通信隊壕(この奥100米)」

島内の有線通信は艦砲射撃で寸断され、小型無線は敵の電波妨害でしばしば通信不能になり、通信網の確保に奮闘した。

米軍の上陸後は、第一線部隊の情報及び指令の伝令に活躍した。

3月に入り米軍が北地区に接近するや挺身斬込隊にも参加し、3月9日までに大本営通信担当の土田英司少尉以下十数名が戦死し、3月15日頃までに中隊の兵力は半減し、通信機も多くは使用不能となった。

3月17日、大本営に対し最後の訣別電報を送り、通信機を破壊して本土との通信を絶った。

大本営はこの日を硫黄島玉砕の日とした。

3月17日夜、師団の出撃に際しては、川合昌一軍曹の1個分隊5名を残して司令部の存在を誤認させるために偽電波を発信させた。

森田隊長以下の残存者は師団出撃に参加し、3月25日夜半父島の派遣司令部(堀江芳孝少佐参謀)に「師団長以下敢闘中高石大佐」との最後の電報を発して斬込隊として出撃玉砕した。

 指揮官 森田 広吉 中尉
 総員  64名
 戦史  59名

 出身地 全国

(右)

独歩14大隊戦闘指揮所「独立歩兵第314大隊戦闘指揮所(この奥50米)」

 後日紹介

(正)



 壕写真は後日紹介予定

師団の貨物補給に任じ、船舶工兵と協同し、父島からの輸送に奔走した。

制海、制空権を失ってからは食料の確保が困難となり、ついに12月から各部隊主食の定量を減量せざるを得ない状態となった。

米軍上陸後、3月1日には書類通貨等を消却し、3月5日には地下壕を東地区より移動してきた独立歩兵第314大隊に明け渡し、師団司令部に合流した。

以来、師団司令部の直援部隊に編成され、切込隊等に出撃し、3月13日までに殆ど全滅した。

 指揮官 中村 初五郎 主計中尉
 総員  73名
 戦死  56名
 生還  17名
 出身地 関東、東北













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最終更新日  2007年10月22日 17時04分43秒
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