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2011.07.21
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カテゴリ: 放射能汚染
 購入者レビューも書いたのですが、この本はオススメ!っと思ったので、日記にも書いておこうと思います。(私の書いたレビューも、よろしかったらお読み下さいませ→ こちらです
【送料無料】世界の放射線被曝地調査

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価格:1,029円(税込、送料別)



 自宅の一室を芸大を卒業されたピアノの先生のお教室として週に一度開放して差し上げて、家にその生徒さん達が通って来ていた事があった。教育熱心だった母は、限られた経済の中で、私たち兄弟三人の分のお月謝をおまけして頂いて、全員にピアノを習わせてくれていたに違いないと思うのだが、まあそういう事はどうでも良い。
 生徒さんの中に、私よりも1年か2年年下で、私よりもすごく「出来る」女の子が居た。
 いつも物静かで、殆ど話もした事もなかった相手であるが、母からはいつも、「○○ちゃんは、あんなに小さいのに、もうソナタまで進んでいるんだって。頑張り屋さんね」とか、「毎日1時間以上は必ず練習するんですって」とか言われて、えーん、どうせ私は根性の無い万年ソナチネ女ですよっ!と、大変コンプレックスに感じていたものだった。

 ピアノのお教室のあったある日、珍しくその子がお休みした。熱が八度か九度くらい出たという事だった。

 それから、本当に間もなくだった。二週間くらいもあっただろうか。

 その子が亡くなったのだという報せを母から聞いた。白血病だったのだそうだ。

 あまりにあっけなくて、現実感がなくて、でも、なんであの頑張り屋さんでピアノが大好きな○○ちゃんが?と、不思議に思う気持ちで一杯だった。

 当時は雨が降っても濡れっぱなしだったりなど、全く無頓着に過ごしていたものだが、私の子供だったその時代は、世界各国で核実験が繰り返し行われていた時期だ。ある日、遠くの南の空が見た事もない様な変な黒っぽい色をしていたと思ったら、どこかの国が核実験をしたというニュースがあった様な、ちょっとあいまいな記憶もある。

 ○○ちゃんが白血病になってしまった原因が、必ずしも放射能のせいだったのかどうかは、今となっては誰にも分からない。
 ただ、あの頃と比べて、今大騒ぎになっている福島第一原発の事故による影響が、実際のところどの程度のものなのだろう、と、それが気になって知りたくなり、この本を購入した。

 レビューにも書いたのだが、このブルーバックスシリーズは新書版で、少し突っ込んだ専門的、科学的な知識を、専門ではない読者にも理解できるようにという趣旨の元に書かれているシリーズだ。あまりにも淡々と書かれているせいか、読み進むのには多少骨が折れるけれど、買って読んでみて本当に良かったと思った。

 一番有難かったのは、各被曝地が、いつ頃にどのくらいどの様に汚染され、何年も経った後の著者達の調査の時には、どの程度の汚染レベルになっていたのかが、具体的に数値で分かったところだ。

 こういう事をしても著作権法に違反しないのかどうか知らないのだけれど、一部をご紹介すると、例えばソ連の原爆実験の跡地の調査では、爆発後、52年も経って著者が現地で行った調査で、爆心地から80メートル以内の所で、毎時10マイクロシーベルトもあったのだそうだ。これは飯館村の一番酷い所くらいの数値だ。

 私は自分でもガイガーカウンターを購入し、色々な所を測ってみたが、家の周りで一番高い所でも、毎時0.15マイクロシーベルトくらい。一番高かったのは、夫が測った都内の港区あたりの植え込みの地面近くで、毎時0.7マイクロシーベルトくらいだった。
 これと比べてみても、昔の核実験から放出された核物質が、いかに多かったかが想像できる。その場所は砂漠みたいな所で、一般の人は立ち入り禁止の区域になってはいるが、特に覆いがかけられている訳でもなく、もしかしたら今までにも嵐などで巻き上げられて、拡散して来たのかも知れないのだ。

 今まであまり知らなかったのだが、この本によると、原爆や水爆が爆発すると、中性子線が放出されて、それが当たった部分の普通の物質が放射性物質に変わってしまうのだそうだ。
 広島の原爆の後に降った「黒い雨」には、ウランの核分裂で生まれた放射能の他に、中性子線で放射化した物質も大量に含まれていた訳だ。
 発電所の燃料には、原爆の何百倍もの放射能が含まれていると聞くと、随分怖い気持ちになってしまうが、福島第一原発は軽水炉なので、もしも臨界に達していて中性子線が出ていたとしても、少なくとも中性子線を防ぐとされる水で「一応」覆われていた訳で、放出された放射性物質は、いわゆる「黒い雨」とは全く性質が違う物なのではないかと思った。

 他にも、1954年にビキニ環礁で行われた水爆実験の後では、爆心地から175キロメートル離れたロンゲラップ島という島に、珊瑚が砕けた放射性の白い粉が2~3センチメートルも積もったのだそうだ。島民が救出されたのは50時間以上も経ってから。島民達には皮膚炎や脱毛などの症状が出た。
 1957年に米国の安全宣言を受けて一度島民たちは島に戻ったが、その後、放射能を恐れて、1985年に再び自主的に島を脱出し、
 1998年に再定住計画が米国との間で作成され、クリーンアップの工事が行われ、著者らは、第三国の視点から、工事の成果を調査し、島民が島に戻っても安全かどうかを確認する目的で、1999年に現地に入った。
 地表は、基準を設けて、その基準に達するまで土や砂が除去されたのだが、30センチも除去した所もあり、地表面の放射線量は、0.02マイクロシーベルト位にも下がっていた。もう島に戻っても安心、というのが調査隊の判断で、それを実験当時の村長さんに伝えると、涙を流して喜んでいらしたという。
 このロンゲラップ島から北へ二時間半ほど行った所の、工事が行われなかった島にも行って、著者は調査をしている。
 実験後50年近くも経っているのに、線量率が毎時0.73マイクロシーベルト、セシウム137の汚染が1平方mあたり3400キロベクレル。

 50年間、波や風に洗われてきて、その結果がこれだという事は、それまでの放射性物質は一体海のどこに行ってしまったのかしら??

 福島原発から海に放出された放射性物質と比べてこれがどの程度桁が違うのか同じなのか、また、日本に住んでいる私たちが、他の核実験などによって放出された放射性物質も含めて、どのくらい今まで汚染にさらされて来たのか、私の頭ではちょっと分からないし、調べる根性もないのだけれど、現在の海産物をひたすら気にしていた私は、今までにもかなり汚染されて来ていた事を再認識してびっくりですわ。

 世界中で癌の発生率が増えているのは、食生活の欧米化とか肉食が原因、などと言われているが、実は環境中にばらまかれ続けている放射性物質が本当の原因なのではないだろうか。

 ちなみに、ロンゲラップ島の村長さんのお子さんは白血病で亡くなり、他にも多くの子供たちが白血病で亡くなったそうなのだが、この本にはその手の事は書かれていない。
 ただ、核燃料に含まれる核物質は、使用後に1000万倍になり、それが使用前に含まれていた量の10倍にまで減るのは約千年後、といった事は、淡々と書かれている。この本は、その保管技術は開発可能だろうとしているし、この「無限に」増える資源は使うべきだという立場だろう。
 私は個人的にはやっぱり、核の技術は、使うのだとしたらもっともっと技術が成熟してから使うべきだと思う。現在のところは、原発の運転は徐々に減らして行って、最後には今の原発は全部止めるのが、科学的にも社会的にも正しいのではないかと思う。

 この本には、放射能に被曝した時の対処法として、ヨウ素剤がない時の効果的なコンブの食べ方なども載っており、とにかく充実した内容になっている。
これから復旧、復興にあたる地方公務員さんとか、原発事故の際に住民の避難のガイドラインを作る立場の文系の方などには、是非読んで頂きたい本だと思った。それだけではなく、これからの日本には一家に一冊置いておいて、国民がみんなで理解を深めると良いのではないだろうかと思った。






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Last updated  2011.08.01 17:11:37
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