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寒くなってきたので、あたたかい下着を買い足すことにする。 いわゆる「婆(ババ)シャツ」。長そでで、伸縮率が高く、裾がながーいもの。あれは、あったかい。
わたしは暑さには弱いが、寒さには強く、冬は意気揚揚と(!)薄着である。
それでも数年前、たまには婆シャツを着ようかと、思いなおし、自分用にと買って使いはじめた。薄着でもぜんぜん平気なのだが、寒い日には気をつけて、少しはあったかくしないといけないという目に遭ったのだ。
その年の冬、ボウコウエンになってしまった。
病院に行って、主治医のせんせいとああでもない、こうでもない、と話すうち、どうやら薄着が過ぎることが、病気の原因のひとつかもしれない、というところに突きあたった。
そういうわけで、婆シャツを、買いに出た。
婆シャツってのは、町の洋品店で買うんだなと、当たりをつける。隣り町の吉祥寺にだって、婆シャツを置いていそうな店はあるのだ。
あそこだ!という店に、ねらい定めて、出かける。
——うかれました。
婆シャツのほか、遠赤外線をどうにかしたとかいうガードルももとめる。
「お母さん、いくらなんでも、これは完全無欠な婆シャツじゃないの」
と、上ふたりの年増の(失礼! しかし江戸時代には20歳を過ぎれば、年増と呼ばれたそうな)娘たちが言う。
完全無欠な婆シャツときたか……。
「文句があるなら、着なくていいよ」
このやりとりからわかっていただけるかどうか、わたしは、下着や衣類の一部を、娘たちと共有している。とくに、ほとんどいろんな寸法がそっくりな長女とわたしは——ちがいは、彼女のほうが全体に少し細く、わたしのほうが5センチほど脚が長いところ——共有率が高い。
まったく油断も隙もないんである。
出かける前に、さあ着替えよう、とワードローブを覗くと、目当てのものが見えない。
「やられたー」
目当てがあるときにかぎって、先に着られてしまうのだ。
靴になるともっと質(たち)がわるい。靴が、その日の装いを決定づけるというのに、靴箱をあけてはじめて、すでに履いて出かけた者がいることを知ったりすると、めげる。さいごの靴めざして選んだつもりの上のほうの服装をとり換える時間がなかったりすると、外出のあいだ、なんとはなしにちぐはぐな気分で過すことになる。
それでも。
なぜか、共有ってのが、好きなのだ。
なんとなく、相手と気持ちが寄りそう。
わたしが買った婆シャツに文句を言うのも然り。
「ね、この服買おうと思うんだけど、色、どうする?」と、通信販売のカタログを見せられるときも然り。
「あした、ブーツ黒、履きます、よろしく」と、宣言されるときも然り。
さて。
婆シャツはどうなったか。 文句を言っていた娘たちは、いちど身につけると、そのあったかさの虜(とりこ)になり、なんのことはない、毎日婆シャツを着ている。
わたしはわたしで、娘の買ったお尻にサクランボの模様入りの毛糸のパ○○履いて出かける日には、誰かにみせびらかしたくなる。ふふっ。

3階へ上がる階段のつきあたりにある戸棚のなかにに、
6段のひきだし——。
上から、「半そでTシャツ(ポロシャツ)」、「ブラ/スパッツ、2枚めパ○○」、
「長そでTシャツ」、「くつした」、「半そでシャツ/毛パ○○、ハラ巻」、
「キャミソール/長そでシャツ」。
冬期と夏季で、「半そでTシャツ」と「長そでTシャツ」のひきだしの位置を
かえます(活躍するほうを、とり出しやすい位置に)。また、ひとつひきだしの
なかに同居している「キャミソール」と「長そでシャツ」も、冬期と夏季で、
前後入れかえます。