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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2008/08/26
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カテゴリ: 生活

■「メガネ、メガネ」



 老眼がわかったのは、年上の友だちの老眼鏡をかけてみたのが、きっかけだった。くっきりと、よく見えること。
 そのとき、わたしは38歳。
 幼いころから、目だけ(ほんとうに目だけ)よかったために縁のなかったメガネをかけられるのが、うれしかった。メガネは、期待したほど似合わなかったが、ずり落ちてきたメガネを、片手でくいっと持ち上げる仕草は、うふふ……と、思った。知的な女の気分で、「くいっ」とやる。
 老眼は、ぐんぐんすすんだ。
 最初は、メガネなしでも読むことも書くことも、それなりにできたのに、3年もたつと、それがむずかしくなる。これは、メガネというより、わたしの目なんだなあと、思わされる。
 メガネ歴約10年。
 この10年は、わたしにとって、そのままメガネ探し歴となる。
「メガネ、メガネ」と、メガネを探しまわる。全部で4つ持っているというのに。ときには、頭の上にメガネをのせながら、探している。



 メガネなしでは、文字と、事の細部が見えなくなったことは、ある意味、わたしを育ててくれた。
 ものを見るということは、視力でははかれないことを知る。 
 切実にメガネを探しながら、不便の値打ちを知る。



 そして。
 メガネをかけなければ、見えない汚れや曇りに向かって、
「見ぬもの清し!」と言い放つ、きょうも。



■ 手帖からの伝言



「珍紛漢紛」という名前の、手帖を持っている。
 毎年、暮れになると、同じ小さな帖面を1冊もとめて、表紙に、このコトバを書きこむ、小さく。
「ちんぷんかんぷん」。
 子どものころから、この境地にいることが多かった。そういうわけで、もっとも慕わしいコトバである。
 初めて出合ったコトバ。いいなあと思う、本の一節。異国の料理の名前。知りあったひとの名前と住所。切符の買い方。読みたい本の題名。——を、書く。
 何年か前の「珍紛漢紛」を、何気なく開いて、どきっとする。



「自分が与えるものを、受けとる」 ことになってるんじゃないか、この世は。



 と書いてある。



■ 焼き茄子



夏から秋にかけて。
気がつくと、台所のこころは、茄子を追っている。
 茄子は油、いろいろな香辛料、魚、肉、チーズのような存在とも相性がよく、どんな国の料理の舞台でも、すましていい役をもらっている。



 が、やっぱり焼き茄子かなあ、と思う瞬間がある。 焼き上げて、熱いうちに、あちち、あちちと言いながら、少し跳ねながら、茄子の皮をむくときの気持ちは、筆にも舌にも尽しがたいものが、ね。



〈焼き茄子〉

 熱いところを食べてもよし。冷やしてもよし。おろししょうがと、しょうゆで。
※わたしの好みは、酢じょうゆをかける、です。
※ 〈焼き茄子の味噌汁〉
 この焼き茄子を、椀に置き、上から味噌汁を注ぎます。とき辛子を添えて。


Photo



この3つが、わたしのまわりで、
わたしと一緒にうろうろしてくれる老眼鏡です。
もうひとつ、100円ショップでもとめたメガネが、
コピー機のところに置いてあります。

いまのところ「老眼」だけで、
ほかの症状はでていないので、
市販の「老眼鏡」(の、度のきついもの。+2,5かな)で
間に合っています。







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最終更新日  2008/08/26 09:53:51 AM
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