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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2011/04/12
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カテゴリ: 生活

 4月11日(月)
 ひと月がたつ、きょう。
「東日本大震災」が起きてから、ひと月。長かった……とも云えるし、あっという間だったとも云える。が、時の長短など、誰も考えてはおらず、ひと月の重みをそれぞれに抱えて立っているのが「いま」だという気がしている。



 夫が朝から仕事に出かけ、夕方もどってきた。
「震災後、電車に乗って出かけたのは2度めだったよ」と、夫。 自宅の仕事場にこもって映画の編集作業をしていたからだが、そうか、電車は2度だったのか。 
「久しぶりにSuica(ICカード)をチャージして、社会のオール電化ぶりに驚いた。ぼくもだけど、みんな、慣れきってる……」



 ともに1958年(昭和33年)の生まれの夫とわたしは、おぼえている。
 何をおぼえているかといえば、電車に乗るときには駅の窓口で行き先を告げて切符を買い、改札口ではそれにぱちんとはさみを入れてもらったことを、である。バスには黒革のかばんを斜めがけにした車掌が乗っていて、回数券でも切符でもそこからとり出して、わたしてくれた。切符は、やはりぱちんだった。
 あれよあれよという間に電化がすすみ、わたしたちはパネルや、無人の改札口相手に、切符を買ったり、検札を受けるようになった。改札が無人になったとき、新聞である老婦人の投書を読んだ。そのひとは、出発の駅の改札口に切符をさしこんだが、切符はそのままにして電車に乗ったこと、そうして、到着の駅の改札口を(切符がないから)通過できなかったことを、書いている。
「電車に乗る前に改札に入れた切符は、行き先の改札に届いていると思っていました」と。
 この投書を読んで、「そんなはずないじゃないか」と笑うひとがいたとしたら、それは、過去の改札風景を知らない世代のひとだろう。わたしは、この投書に深く共感し、身につまされもした。昔を知っている者にとって、改札に切符が飲みこまれるというのなんかは、魔法に等しかった。



 ICカードというのにも、なかなか手が出なかった。とうとう使ってみようと決心したときには、滑稽な目に遭ったなあ。
 あれは何年前のことだったか。用事で出かける夫に買いものをたのむメモをわたした。夕方、夫は、たのんだモノを残らず抱え、おまけに西瓜をぶら下げて帰ってきた。
「いい西瓜でしょ」と、得意顔に網に入った西瓜を持ち上げて見せる。
「……西瓜?」とつぶやきながら、わたしはやっと気づく。
 スイカ(Suica)という名のICカードを頼んだつもりだったが、夫はスイカを西瓜と思って買ったのだ。この西瓜事件は、わたしのなかに、滑稽なものとは別の何かも植えつけた。その後また、しばらくICカードを持たずに、その便利さにも、無味な一面にも触れずに過したのだった。



 思わぬ滑稽な昔語りをしてしまったが。
 わたしは……、ICカードも、自動改札も、自動販売機もない時代を知っている。コンビニエンスストアも、スーパーマーケットもなかったころを生きていた。けれど、生まれたときからテレビ(白黒の)も、冷蔵庫(冷凍庫はない)も、洗濯機(脱水機はついていない)はあった。電化製品のまったくなかった時代は、知らないというわけだ。
 もっと云えば戦争を知らない。
 自分が経験していないことばかりは、書物や映像や、ひとの話によってしかすることができない。そして、いまほど経験というものの重みを感じたことはなかった。経験を手がかりに、「これから」をさがすという意味において。
 戦争を知る70歳以上の人びとはその経験をもとに、これからのすすむ道、生き方をさがしてゆくのかもしれない。1958年生まれのわたしは、わたしなりの経験をもとに……。子どもたちは……。子どもたちは、この時代の経験を胸に刻みながら、この日日のなか、さがしさがし生きてゆく。



                *



 3月11日から、ひと月をめざして「日日のしおり」を書いてきました。
 その思いは、まさに百度参り。できることがほとんどなかった日日にも、ひと日ひと日を綴ることを祈りとして過してきました。そうすることで、いくらか冷静でいることもできたのではないかと思います。
「日日のしおり」ということばは、末の娘の名「栞」から思いついたものです。現在13歳(中学2年)の子どもも、日日、「これから」をさがしながら生きています。この世に生まれてから10年と少しのこの存在が、いまのわたしと同じ52歳になったころ、どんな日本に……、どんな世界に……なっているか。託す思いもこめて、名前を貸してもらいました。
「日日のしおり」へのたくさんのおたよりにも、感謝しています。学びと、誓いとをここでたしかめ、交わすことができたこと、忘れません。
 ひと月たったので、ここに「日日のしおり」はたたみます。が、百日参りですから、百日、わたしの手もとで記録はつづけるつもりです。
 どうか百日めには、いまの苦難が、それぞれの解決の道筋をみつけていますように。……と祈りながら。
                             山本ふみこ  







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最終更新日  2011/04/12 03:32:09 PM
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