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今日、裏バスを攻略中に眠気覚ましのために横でテレビをつけて、音だけをきいてたんですが。
ヤンキー先生こと、 義家 弘介 氏が出ていた。
ラジオでいじめられている子からのメッセージに対して助言をしたり、いじめをしてるやつにたいして、いろいろいっていたが。
彼の人生のドキュメントみたいなものをやっているのをみて、かれの発言への違和感の理由がよくわかった。
彼は、
「いじめっ子側」
なのである。
彼がいう、居場所がない奴の気持ちがわかるとか、そういうのは根本的に間違っているから違和感を感じたんだ。
かれは、自分でヤンキーをしていて、居場所を捨てた。
これは、正直自分で居場所を 「捨てた」 のだ。
自分の手で、捨てたのだから、拾うことは可能だろう。
だが、いじめは、居場所を捨てるのではない。 「破壊」 されるのだ。
修復できるわけではない。直そうとすればそれをすぐこわされる。
何かをすればつぶされる。
彼が感じたものとは別のものなのだ。
所詮かれは、
「いじめる側」
なのだ。
どんなに、彼がわかるとか、理解できるとか、いっしょにとかいっても、彼は違う人間なのだ。
上から見下ろしている。同じ立場ではない。見下ろしているのだ。
過激な発言も、なにも、かれは自分と違うものに対していっているのだから好き勝手言える。
そんな奴が、いじめをどうのこうのと・・・道化すぎる。
いじめはどんどん「進化」している。陰湿に。
私がされていたことよりも、さらに。
どんどんと、加速度的にいじめは進んでいく。
「NHK教育」で放送されていた、いじめの放送の真似をされていじめられたこともある。
もう一度いう!奴はいじめる側だ、いじめられたことの無い、いじめた側だ。
奴は、いじめられている人。いじめられていた人の心など、わからない。
絶対にな。