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ペットショップで運命的な出会いをしてから早11年。ちーちゃんはとっても元気です。久しぶりのお散歩&毎年恒例のお花見。ぼく、お花に興味ないでつ・・・💦うちの近所にもきれいな桜並木が。日本の春はやっぱりきれい。こんな街路樹も。月も綺麗だった!
May 25, 2019
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マーレが旅立ちました。イースターの夜に。我が家で初めて生まれた、またリリーのたった一人の子供でした。ほんの1時間前まで私の手をかじっていたのに。。。でもだいぶ呼吸が苦しそうだったね止まり木から落ちる音が聞こえて、手に取った時はもう私の声は届かなかったね。。。思えば、あなたのお母さんリリーは、14年前のイースターにユリの花と一緒にお迎えしたんだよ。頭にある白い模様がチャームポイントでした。さみしくなるよ、マーレ。
April 2, 2018
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酷暑の夏を乗り越えたたった一羽のひながずいぶん大きくなりました。元々世話好きなリリは、この一人っ子を溺愛。ママと二人暮らしの息子は今も甘えてばかりです。 そして、赤ちゃんはよく寝ます。 「ぐぅ・・・」ママの色をもらいました。顔もそっくりです。 マーレと言います。どうぞよろしく~。
September 18, 2010
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今日、リリの卵が初めて孵りました! 巣箱の中から小さな鳴き声が聞こえ、そぉっとのぞくと小さく赤い雛が・・・!待望のベイビーでした。そして、我が家でも初めての赤ちゃんです。冬に6歳になったリリ。この年になって初めての産卵をし、そして7個目にして、やっと孵った雛です。平均で7年ぐらいしか生きられないというセキセイインコ。リリは、命を削って卵を産んでいるようにも見えて、とても心配しました。でも、妹分のピヨロが巣籠りすると、ものすごくやきもちを焼いて、自分もお母さんになりたくて仕方がないようでした。(気が立って、私の指を出血させたり・・・涙。)だから、卵を産み始めたときのリリは、よっぽど嬉しかったのでしょう。今までに無いほど、穏やかで優しい様子に変わったのです。まさか、この超高齢出産で無事に雛が産まれるとは思いませんでしたが、私にとってもかけがえのない存在のリリが子供を残してくれたら・・・という願いもありました。今日は、そんな私の小さな夢がかなった日になりました。
July 12, 2010
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大変ごぶさたしておりました。1年ほど前に私の過失でピーちゃんを失い、あまりのショックと私自身の生活も大きく変化したのもあってずっとブログを書く気になれずにいました。でも本当は、一番落ち込んだのは姉妹のように育ってきたリリでした。ご飯も食べなくなり、すごく心配した私は一人にならないように新しい子を迎えたのですが、なかなじみませんでした。でも1年たったある日、初めてリリがその子と毛づくろいをしあっている姿をみたのです。彼女が心を開くのに、それほどの月日が必要だとは思いませんでした。インコって夫婦でも一生添い遂げると聞きましたが、本当に一途なのですね。誰でもいいわけじゃなかったんだなって思い知らされた1年だったし、ピーちゃんの存在の大きさを改めて思わされた1年でもありました。そんなわけで、今はリリにも新しいお友達が増え、性格も前より活発になった気がします。他の子たちから脱走の手立てまで習い(?)、扉をひとりで開けて出てしまったり、いたずらっ子にもなりました。でもやはり、ピーちゃんといたときと同じ表情はみせないんだなって思います。ピーちゃんの姿が見えないといつも心配して呼び鳴きしていたリリとは違うけれど、今は今なりに幸せに感じてほしいと願うこの頃です。今日はリリの新しい妹分のピヨロを、まだ幼い時の写真で紹介します。今でもこの愛くるしい顔は変わらないのですが、なぜかすごく臆病で、寄って来る相手を攻撃してしまうため、一人で遊んでいることが多い子です。 どうぞよろしく。
May 22, 2009
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みなさま、残暑お見舞い申し上げます。さて、我が家では、念願の羽衣インコさんをお迎えいたしました。まだ挿餌中の赤ちゃんです。でも独立心旺盛でしっかりしています。さっそく、好奇心旺盛のリリ姫が側に寄ってきました。羽衣ちゃんは、新しい仲間に少しドキドキ・・?きれいな空色なので、名前は ルシエル(Le ciel)です。どうぞよろしく~☆
August 12, 2008
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最近みつけたペットショップ、ヒナコーナーに足を踏み入れたら・・・やってしまいました・・・「運命の出会い」。かわいい子が居たものです。それも前からほしかったオカメちゃんのルチノー。まだ挿餌も卒業していないその子は、とてもおとなしく、手に乗せてなでたあとにプラケースに戻すと、こちら側に寄ってきて「もう行っちゃうの・・・?」 そのあどけない表情にやられました。何度かお店に通ってさんざん迷った挙句、昨日、とうとうお迎えいたしました。家に着いて体重をはかってみてびっくり。なんと40gそこそこ。モカちゃんのヒナ時代の半分です。あまりの軽さに不安になり、食も細かったことから、パウダーフードに切り替えました。そうしたら、今日になってずいぶん元気に動くようになりました。今夜は止まり木にも止まれて、なんと、粟穂もついばんでくれました。そして、とてもひとなつっこい子です。なんて名前にしようかな。。。
June 9, 2008
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オルガンのCDを無くしてしまったことがある。私の大学院のときの先生が何かのご褒美に下さったものだったのだが、肝心なのはそのCDの演奏者。先生がドイツに演奏旅行に行ったときにたまたま知り合って友達になったというオルガニストで、アメリカにツアーに来たときは彼女の家に泊まったことがあった。彼女は彼を「ゲスト講師」として学校の授業に連れてきただけでなく、生徒の私達に彼女の自宅のオルガンで無料レッスンまで受けさせてくれた。(学校が謝礼を払ってくれたらしいけれど。)そのあと、ちょうど近くのホテルでうちの先生主催のコンサート兼パーティがあり、そこにも一緒にご招待されてお出かけしたりしたのだ。そういうエピソードがあるだけに、無くしたCDに未練たらたらで、何とか手に入らないか、いろいろ検索してみた。そしたら・・・なんかすごく有名な人らしいということが発覚。特に、日本には何度も来日していて、横浜のみなとみらいホールでのコンサートもしたりしたらしい。会ったときに本人も「サントリーホールで米良美一と共演したよ~」とか言っていたのだが、最近では、ソロコンサートでもすっかり人気を博しているようだ。こんな感じ・・・このベーニッヒさん、ケルン国立大学の教授だというのは知っていたのだけれど、レッスンを受けたときに、余りの奥の深さとそして自分の余りの無知さにものすごくショックを受けてしまって、数日間、練習が手につかなかったくらいだった。彼に指導を受けたことが、今のドイツ人の先生に習いに行くきっかけにもなったし。なんていうか、やはり自国の歴史的ヒーロー、バッハについては、彼らは半端じゃないプライドを持って研究しているんだなとしみじみ思った。彼のちゃんとしたコンサートは聴いたことが無いのだけれど、先生の自宅にあるオルガンで弾いてくれたのを間近に見たときも、言い様のない衝撃を受けたのを覚えている。それにしても、自分はなんて恵まれている環境に置かれていたんだろう・・・と改めて実感。いつかは、私の大の憧れのカルロカーリー氏とも実際に会えただけでなく、お友達にまでなれちゃったりしたし。(なんと当時は友達の”彼氏”になっちゃっていたのだ・・・汗。)アメリカ生活のハイライトとも言える瞬間だったかもしれない。そして、ベーニッヒさんと一緒に撮った写真も、今では宝物ですよね。。。
January 26, 2008
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今日はモカちゃんの実家に寄るチャンスがありました。ちょうど今、モカの弟妹たちが生まれていて、写真をとってもらうことができたのでアップします。手のひらにのせているのは3羽なのですが、一番ちびっこが後ろに隠れてしまって、よく見えないかも。先週の金曜日に生まれたヒナで、そのときも仕事の帰りに立ち寄って、巣箱をのぞいていたら、なんと、その瞬間に卵が割れ始めて・・・。孵る瞬間を見ることができました。生まれたてってすごく動くんですよね。巣箱の中をごろんごろんと転がりまわって、自分で卵の殻をはずしていました。すっかりとれるまで5分くらいかかっていたような。一緒にみていたその家のお父さんが、「殻を取るの、手伝ってあげなくていいのかな・・・?」というほど、もどかしい感じでした。でも生まれた瞬間からあんなに一生懸命なんだなぁと感動しました。 こんな、小さくてハゲハゲだったのが、数週間ですっかり大きくなるんですよね・・・。↓こんな風に・・・。 グレイの子はモカのお姉ちゃんです。妹の面倒をよくみるいい子でした。今日会ってみたら、初めての無精卵を産み落として、抱卵の練習中でした・・・。まだ一歳にもなっていないのに・・・(笑)。小鳥の成長ってホントに早いものです。
January 24, 2008
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あけましておめでとうございます。ブログの更新をサボりにサボったまま新年を迎えてしまいました。夏のバードシッター記も「続き」を書くつもりだったのに、もう冬になってしまい・・・。でも写真があるので、なんとか書きたいと思います。スミマセン。12月は日本に居てもアメリカにいても「師走」だなぁとつくづく。年が明けるまで走り続けて、1月はどっと気が抜けて、をいつも繰り返している気がします。今年は少しでも計画的に日々生活したいものです・・・笑。こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 (まだ子供だったころのリリ。お昼寝にお付き合い~☆)
January 5, 2008
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久しぶりに写真をアップできたので、この頃思うことを少しだけ徒然なるままに・・・。オカメインコをお迎えしてからもう半年以上になりますが、何しろ末っ子ちゃんなので、手がかかります。年の離れた一人っ子のようなもので、他に相手がいないせいか寂しがるし、姿が見えなくなるとすぐに私を呼んで鳴き続けます。表情も豊かになってきて、話しかけると返事をするので、相手をしていても楽しいのですが、その分、セキセイたちがおろそかにならないよう、努めて毎日時間をとるようにしています。彼女達は、2人で遊んでいられるので、それほど私を必要とはしないのですが、それでも手にとって話しかけてあげるとやっぱり嬉しそうです。最近しみじみ思うのは、私はやはりセキセイインコのような小さい子たちに魅力を感じるんだなということ。私の肩や手で背中の毛づくろいをしている姿なんか、もう愛らしくて仕方ありません。小さくてちょこちょこしていて、でもちゃんと一人前に一生懸命いろんなことをして。ドライだといわれるセキセイだけれど、リリなんかはすごくヤキモチを焼くし、彼女なりにコミュニケーションしてきます。私の気持ちも読んでくれるようです。オカメチャンも可愛いのだけれど、やっぱり違う魅力なんですよね。モカを寝かせつけた後、リリを肩にのせて、ヒーターの前でこれを書いていると、暖かいので気持ちがいいのか、小さい声でお話してくれています。この頃は、オカメと一緒に放鳥しても、それほどいじめたりしなくなりました。なんといっても、モカちゃんがお姉ちゃん達に混ざりたがるんですよね。かごの周りで2人が遊んでいるところに自分から行っています。やっぱり鳥同士がいいのかな。親(?)としては嬉しい限りです。 (左がぴーちゃんで右がリリ。ぴーが威張ってリリがちょっと引いている、そんな2人の関係が表れているようなショットです。)
December 19, 2007
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うちのリリちゃんは、何と、朝が苦手です。カバーをはずしても、しばらくはぼ~~っとしていて、目が覚めていない様子。そして、何よりも、よく「あくび」をするのです。 こんなのはまだかわいい方で、夜遅くにつきあわせていたら、人の膝の上で・・・ この写真を友達に見せたら、「チョコボールのマスコットみたい・・・」とかいわれてしまいました(汗)。そして今日は、起こしたばかりのリリを、いわゆる「にぎコロ」状態でなでていたところ、いかにも眠たげな彼女は、手のひらの中で 仰向けにされたまま、「ふぁぁ~~」。・・・ど、どこでもリラックスできるのですね、お嬢さま。。。(大汗) それにしても、朝が苦手な鳥なんているのか・・・??きっと、芸術家体質なのね、ということにしておこう。。。
November 2, 2007
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この三日間、知り合いに頼まれてバードシッターをしてきました。まだ新婚さんの若いご夫婦なのですが、両方それぞれを、結婚前から知っていて、ダンナさんは私の教えているschool of music のギターの先生、奥様は、大学時代からなんとなく顔見知りの、とても素敵なシンガーさんです。(今日写真を頂いたので、載せてみました。)「うちもインコを飼い始めたの~」と話していたのがきっかけで、一度彼らの家にインコ連れで遊びに行き、そこの3兄弟(?)インコたちとも仲良くなっていたので、「旅行に行くんだけど、お願いできるかしら・・・」と言われて二つ返事で引き受けちゃいました。ついでにハウスシットもするよ~、と言って、素敵なコンドミニアムに泊まらせていただき、1人でのびのびとインコ三昧?の数日間を過ごせました。もちろん、うちの子たちも一緒です。友人のところの三羽は、たぶん、まだ一歳くらいの、若鳥たちです。全部男の子っていうところがすごい。見ていても、仲良しなんですよね。。。そのウワサのボーイ達は・・・「兄ちゃん、父ちゃんと母ちゃんは?」 「兄ちゃぁん、僕達の平和な生活が・・・」「わかってる、耐えるんだ、弟たちよ・・・」そこに、うちの子たちが合流して・・・リリ:「あ、写真だぁ♪ おすましおすまし☆」 ピー:「ん? ママ、また撮ってるの?」なんだか、二つのグループが一緒になっている、という感じで、いまいち個人的に溶け込み合わなかった彼ら。たぶん、りりたちの方がずっと年上(3歳)だったからでしょう。このガールズ、強いの何の・・・。彼らのケージに入っていっては、「ちょっとどいてよ!」とばかり片っ端から突っついては追い払っているという、態度のでかさ。。。見ている私の方が恐縮してしまいました。これで男の子達、「女ってコワイ・・・」というトラウマにならなければいいんだけれど・・・(汗)。続きはまたアップします。
August 8, 2007
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梅だよりさんのバトン、うちのオカメインコのモカちゃんが引き受けることにしました!初めてだけど頑張るぞ~☆Q1 無条件にときめく人の条件3つ怖がらないでくれる人肩に乗せてくれる人♪えさ入れを手にもってご飯を食べさせてくれる人♪Q2 無条件に嫌いな人の条件3つ怖がる人指でつんつん突っつく人頭の冠羽を引っ張る人Q3 無条件に好きな物3つティッシュ(見るとかみかみせずにはいられない~♪)ひまわりの種♪ (「お手」を上手にするともらえるんだ☆)パソコンのキーボード♪(怒られちゃうんだけどつい・・・踏み踏み&かじかじ)Q4 無条件に嫌いな物3つりりお姉ちゃん(だっていじめる・・・)オカメインコのぬいぐるみ (パニック起こすじょ!)インコ用はしご(なぜかコワイのよね・・・)Q5 バトンを回す人5人鳥さんでまだやってないかた、よろしく~☆ ★ある夜の二羽★オカメチャン: 「ひえっ、お姉ちゃんが来ちゃった・・・ ここあたちの場所なのに・・・泣」オカメチャン: 「いじめないで・・・ね?」リリ: 「(怒)・・・なんか文句あんのかよ~」オカメチャン: 「いや~ん、やっぱりお姉ちゃんコワイ! 離れておこうっと。。。」オカメちゃん、たじたじ。だって、りり姫さま、見るからにすごみがきいていて、こわいです・・・汗。
July 21, 2007
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うちのりり姫さま、最近お鼻の色がきれいなピンク色です。少しずつ茶色の皮がむけていったようで、これって脱皮・・・?という感じ。ちなみにぴーちゃんも一足早く、真っ白なお鼻になっています。眠いところを無理矢理撮ったので、顔がいかにも眠たそう。でも、何となくわかっているのか、撮っている間はお利口さんでした。明日は結婚式の仕事が入っています。責任が重くて緊張するからやだなぁ。。。
July 14, 2007
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最近、とうもろこしに目が無いおかめちゃん。初めて見たときは、その大きさにとまどったのか、「待ってました♪」とばかりにたかり始めるピーちゃんたちをよそ目に、ただ後ずさりしていただけなのですが、一度味をしめたら、もう夢中。この日も私が食べているのを早速発見して、テーブルまで降りてきてしまいました。「あ!ママがコーンを食べてる!あたちにも~☆」「いただきま~す☆ むしゃむしゃ・・・」「ん~、おいち♪」「うふ♪ 満足☆」相変わらず分かりにくい写真で失礼しておりますが、正面から見ると、この子って「ひよこ」みたいです。もう少しでそんな名前にするところでした・・・笑。
July 11, 2007
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最近とみにいたずら好きなりり姫。TVの脇にある金魚鉢と観葉植物の鉢のすき間がすっかり気に入ってしまったみたいで、「私、通り抜けられるかしらん?」とばかり身体をよじってもぐりこんでいます。そんなおねえちゃんには素知らぬ顔のマイペースっ子ぴーちゃん・・・。「もぞもぞ・・・」 「お姉ちゃん、どこいったのかしら?」「金魚さん、こんにちは!」 「・・・変ねぇ、居ないワ。。。」「居た~☆ お姉ちゃんったら、また金魚さんのお水、飲んでるのぉ?」 「だっておいしそうなんだもん♪」・・・そして、おかめちゃんは、というと、、、「きぃぃ~! また私のご飯を横取りして食べてるわねぇぇ??」「あっ! しまった! みつかっちゃった☆」最近お姉ちゃん達に負けていないおかめちゃんでした。(鍛えられて強くなってるという気も・・・。)
July 6, 2007
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・・・ものすごく久しぶりの更新です。なんてことはない、他の人のブログを読んでいてふっと気まぐれに書きたくなっただけなのですが、最近はといえば、家に居る時間はインコたちの世話とガーデニングにほとんど費やしているという感じです。特に、新しいオカメちゃんをうちにお迎えしてからは、お互いべったりになってしまって、古参のりりちゃんがちょっと影が薄くなってかわいそう。(ぴーちゃんなんかもっと忘れられてるかも・・・汗。)それにしても、オカメインコって本当に甘えん坊で、姿がちょっと見えなくなっただけでも必死で呼び鳴きはされるわ、少し離れただけで飛んできては肩によじのぼってくるわ、ものすごい密着型です。かわいいんだけれど、まるで手が離せない赤ん坊がいるみたいでちょっと大変。早く大人になってくれるといいなぁ。
June 29, 2007
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J.S.Bachの"BWV598"に取り組んでいる。これは唯一のペダル用練習曲なのだが、BWVナンバーの中でもこれだけ別扱いのジャンルにされている。(番号はコンチェルトからコラール前奏曲に移る間にひょこっと挟まれているのが不思議。)今の先生に習い始めてから、オルガニストのバイブル的存在と言われるGleasson教本(ハノンとかチェルニーみたいな)をやっているのだが、それにペダル練習の総仕上げとしてこの曲がのっていたのが出会いだった。譜読みとゆっくりの練習を始めて2週間くらいたった頃だろうか、あることに気が付いた。練習を終えて家に帰ってきても、この曲が頭の中で繰り返し鳴っているのだ。それだけ印象的で、なおかつその旋律に何ともいえない魅力があるということで、たかが技術向上のための練習曲でも、こんな風に聴く人や弾く人を虜にする音楽を書けるバッハはやっぱり非凡な才能を持つ偉大な作曲家だったのが改めて解るような気がした。ピアノを始めて一年以内の子供達でも、教材にバッハが出てくると、それに夢中になって繰り返しいつまでも弾いているのを良く見かける。単純に見える短い曲でも、それだけ他には無い何かがあるのだろう。驚きである。そんなバッハと本格的に格闘し始めて一年余り。ようやくフレージングやアーティキュレーションなどの解釈が少しわかりかけてきて、レッスンに行っても細かい注意は幾分減るようになってきた。ところが、仕上げの最終段階で「今日はOKが出るかな?」と張り切ってレッスンに行っても、なぜか先生からは「よく出来上がったね!」というお言葉は出てこない。ほぼノーミス、言われたところをくまなくチェックし、更に暗譜までして持っていくのだが・・・。大概は「もう一週間やり直し」のお達しが出る。私はというと、当然がっかりするわけで、え~、合格じゃないの?という不服そうな顔で先生の言い分に耳を傾けることになる。その時は言われたことを理解したつもりで家に帰るのだが、次の日から練習しようと思うと、はて?何が足りないんだっけ?となることが妙に多い。その理由がいまいち、自分でも良くわからずにいたところ、先日、他の人のブログに寄せられたコメントを読んで、衝撃を受けた。フランスで学んでおられるその方は、ドイツ人審査員の前でベートーベンを弾いても否定的なコメントが多いという。うわ、ドイツ人ってそんなに厳しいんだ、と思ったと同時に、でも考えてみれば、当たり前のことかもしれないとも思った。私だってアメリカ人が日本のおはやし風民謡を弾いているのを聞いて「え~、おはやしに聞こえな~い」と思った経験がある。要するに、私のバッハも、ドイツ人の先生の耳にはバッハに聞こえないというわけだ。だから最後の仕上げ段階で、その曲想というか全体の雰囲気に「どうもなんか違う・・・」という先生なりのクエスチョンマークがついてしまうのだろう。彼の弾くバッハがアメリカ人演奏家達の中で誰にも劣らずバッハらしく聞こえるのはやっぱりそのテクニックだけではない。モーツアルトを弾いたときも同じで、「これがモーツアルトだよなぁ」としみじみ思わされたのを覚えている。きっとドイツ人は特に自国の文化と音楽に高い誇りを持っていて、やはりそれはそれらしく再現されなければ納得できないのだろう。思えばこんなことはどこの国、文化でも起こりうることで、よその国の文化を学ぶ者が直面する必然的な課題のはずだが、それにしても・・・彼にとってもバッハは特別なんだろうな、と言葉の端々に感じてしまうことが多い。難しいな、とつくづく思う。
June 12, 2006
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仕上がらない曲がある。何でここまで時間が掛かるんだ、というくらい長い間練習しているのだが、未だに出来上がらない。泣きたくなって、もうギブアップします、と先生に言いたくなった。何がそんなにややこしいのだろう?と考えてみたら、元凶はフィンガリング。バロック音楽の専門家が研究してつけたというこのエディションの指使いは、まず普通ではちょっと考えられないような「例外」がたくさん出てくる。それが覚えられないのだ。ペダリングもしかり。どうしてここで右足が続くわけ?みたいなのがごまんとでてくる。それがバッハ時代のオリジナルに一番近いはずだからその通り弾いて学びなさいと先生はのたまう。でもね、でもね、ただでさえ難しいバッハなのよ?音だけで充分ややこしさ極まりないのに、その上こんな不自然な指使いを覚えろと・・・?もっとやっかいなのが、左手が、いってみれば弦楽器パート(バイオリン&ビオラ)、ペダルがチェロ、そして、右手がオーボエのソロ、みたいな曲なのだ。右手だけが全くかけ離れた独自の世界を展開する。それも・・・トリル付きまくり。このトリルがまた、、、わからないのだ。何しろ記号でしか書かれていない上に、そのタイミング、長さがつかめない。そして種類も多い。極め付けが・・・ 曲自体が長い。 まず、左手とペダルを暗譜同然にしなければ、右手になんて神経がいかない、と考えた私は、暗譜を頑張ってみたのだが、こんなに覚えにくいのに出会ったことがあるか?というくらい頭に入らないのだ。普段は知らないうちに暗譜なんて出来ているくらいなのに。たぶん、音はもうすっかり頭に入っている。問題は前述の指使いなのだろう。それでも頑張った。まだ60%くらいだが、少し左手とペダルが流れるようになってきたので、右手パートをやることに。これも、普段は絶対やらないのだが、苦渋の選択で先生の演奏のCDを聞いてひとつひとつのトリルをまねした。先生は「トリルはその時その時で変わっていいんだよ」とおっしゃるが、それにしても基本線というものがある。だから演奏から学べばまずはずれることはないはず。ワンフレーズ毎にCDを止めて、自分でも弾いてみて、の繰り返しで一つ一つ確認していった。そうやってじっくり聴いてみて改めて思った。何て綺麗なアーティキュレーションなのだろう、と。トリルは指が良く動いていないと音同士がくっついてべたっとした感じになりやすいのに、そういうのが一切無い。オルガンという楽器の特徴を知り尽くした先生らしい、パイプを良く歌わせた演奏だった。私はやっぱりこの先生のテクニックを少しでもゲットしたいんだな、と改めて思わされた日だった。
June 5, 2006
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学校に行ってきた。今日のクラスは先生が兼ねてから計画してくれた、特別講師による「アレクサンダーテクニック」の講習会だった。何年も前に、あるワークショップでほんの導入だけを見たことがあり、それ以来興味を持っていたので、今日は楽しみにして出掛けた。(そればかりか、ビデオカメラまで持参して意欲満々)講師の先生はなんと、北アフリカ生まれでイタリア育ちの白人のおじさま。(50歳くらいかな。)とても笑顔が素敵で、その上何とも感じの良い、気さくな方。私と初対面で「日本人でしょ?」と当てられたのにはびっくりした。彼は4カ国語を使いこなせるらしい。それもすごい。。。最初は皆で簡単な呼吸法とエクササイズをし、その後一人一人、オルガンで実際に演奏しながら、その姿勢を矯正してもらった。最初見ていたのだが、まるで粘土で彫像でも作るように、演奏者の背中や肩、腰など上半身全体を始終手で押さえながら身体のバランスを直していく。学生は女子ばかりなので、これって不快に思う人もいるんじゃないのかな?とかひそかに思ったりした。いざ自分の番が来て見ると、これがまるで整体医院で受けるマッサージみたいな感覚で、なんとも気持ちが良い。考えてみれば、身体の余計な緊張をほぐすのが目的だから当然なのかも。最初、起立姿勢で身体をリラックスさせることを教わったのだが、その時に使った例えが「リマって動物知ってる?あんな風にやってごらん」だった。実際、それが何だか良くわからなかったけれど、言われるままに上半身を脱力するように頑張った。おじさまにはずっと「リマになってごらん!」といわれ続け、最後には「そうそう!良く出来た!いや~、オルガンを弾くリマを初めて見たよ~」とか、「これからキミのニックネームに"リマ"って入れるといいよ~」とかジョークで笑わせてくれた。家に帰ってからいろいろ調べてみた。まず、リマっていう動物はなんと、「キツネザル」。ひえ~、私はサルにされてしまったのか!それから、その講師先生にもらったウェブサイトを見てみると、なんと、彼は元俳優さんだったんだそうな。どうりで(お年の割には)スレンダーできれいな体型でしかもハンサムだったわけだ。話し方や笑顔で人をひきつける不思議な魅力も、きっとそういうところからきているのかも。イメージを頭の中に描いてその世界に「浸りきる」というのも役者さんらしい指導法だったし。私たち演奏家も或る意味同じはずなんだけれど、そのイメージになりきるのは私にとって苦手な分野。それと、演奏自体を楽しむ、リラックスするというのも実際人前でやってみて、やっぱり難しかった。授業が終わってからお話をして、今まで日本人に教えたこともあるけれど、どうしても「完璧じゃなければならない」というプレッシャーの方が大きくて身体が緊張状態になってしまうんだよね、と言われ、思い切り大きくうなずいてしまった。ど根性精神とでもいうのだろうか、苦労して痛みを伴って初めて良いものが出来る、楽しんでいるうちはまだまだだ、みたいな風潮が日本には伝統的にあるような気がする。それだけ勤勉というか、真面目というか、「ちゃんとやらなくちゃいけない」という責任感の方が強いのだろう。以前、誰かに「昔は、生活の中に楽しみを追い求めるのは或る意味"罪"だった」と聞いたことがあるが、きっと「楽しむ」ということに否定的なイメージが強かったのだろう。(怠けているとかいい加減だとか真面目じゃないとか・・・。)その辺が、現在でも多くの日本人のストレスの原因になっているのかも。海外にいると、確かに、日本製品の精巧さ、品質の高さに驚かされるし、どの世界でも日本人はトップクラスで活躍し、その勤勉さの評価はだんとつである。でも、完璧さばかりを追い求めず、人間らしさ、心の豊かさのバランスをもっと大切にしていけば、一人一人がもっと「生きる」こと自体を楽しむことができるだろうし、更に別な意味で日本は伸びるんじゃないかな、としみじみ思う。(そして自殺者の数で世界二位という喜ばしくないランキングからも外れるかも。)
June 1, 2006
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今日、超久々にビーチへ行った。去年の夏の終わり以来だからほぼ一年ぶり、この夏の「初ビーチ」になる。仕事先が海沿いの街なのだが、家から遠く、長距離ドライブでやっと到着するという矢先にレッスンのドタキャンTELが相次いで二件。そのため時間がぽっかり空いてしまったのだ。次のアポまで2時間もあるし、まだ少し寒いかなと思いつつも、思い切って行ってみることにした。ローカルを運転して10分、着いてみて驚いた。家を出るときは小雨模様で肌寒かったのに、どうしたことか、海辺は雲ひとつ無い、抜けるような青空。たった50マイルしか離れていないのに、こうも天気が違うとは思いもしなかった。しかも気温も暖かく、人もまばらな砂浜を越えると、そこには爽やかな初夏の風が舞う穏やかな海が眼前一杯に広がっていた。あまりの絶景に思わず一人歓声をあげてしまったくらいだった。来てよかった、としみじみ嬉しくなり、砂浜に寝転んで、最高のお昼寝タイムを過ごすことに。海辺にはたくさんのかもめたちもいて、空を優雅に飛んだりしていたのだが、団体で飛びながら何か落としている。あれ?っと思ったのもつかの間、自分の足にも「ぴとっ」と冷たい落下物が・・・。ひえ~~、かもめって飛びながらそういうことをするんかい!とびっくりしつつ、仕方が無いので海に入って洗い落とした。水もそこまで冷たくなくて意外だったけれど、今って暖流が回ってくる時期なのかな。カリフォルニアの海は真夏は結構冷たいので、これも新しい発見だった。それにしても一年ぶりの海ってこんなに感動するものとは。ずっと休日もほとんど無しで張り詰めていたせいか、私に必要なのはこういうリラックスタイムだったのね、と実感。どこかに旅行する余裕は無いけれど、こんなミニバケーションでもリフレッシュするには充分効果がある。大イベントがあった昨日の疲れもこれでかなり取れたかも。
May 23, 2006
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noon concertに行ってきた。ミサが終わって数分で開始というセッティングなのだが、オルガンの近くの席に集まった聴衆を見て驚いた。なんと子供達の一団。後でわかったのだが、中学2年生200人余りが先生達の引率の元、いわゆる「音楽鑑賞会」みたいな行事で来ていた。最後まで比較的大人しく聴いていた方だとは思うが、それでも落ち着きの無さは否めない。若干の居心地の悪さをこちらも感じながら音楽を聴くにもいつもより集中力を要する結果になった。私が座った席からは、先生の姿を横から見ることができたのだが、これが貴重な体験だった。普段、オルガンはコンサート用に設定されるときは聴衆に背を向ける形になる。でもこの日はミサ終了後そのままだったので、ステージの端の方に据え置かれたままだった。横から見ると、演奏している姿はとても優雅だった。そしてまた軽やかな足鍵盤さばきにも見入ってしまった。普段、基本練習のエクササイズで先生が微に入り細に入り指導してくれることの集大成がそこにあった。「百聞は一見にしかず」と言うが、本当に、実際に一目みただけですべてが納得できることってあるものだなと思った。そして、その無駄の無い動きと凛とした姿勢、音楽を身体全体で表現する様子はまさに美しい芸術そのものだった。クラスメートで韓国人のNさんも来ていて一緒に聴いていた。彼女も実は一ヶ月前にそこで同じくヌーンコンサートに出演している。先生も一目置く存在で、私も聴いたときは「うまいなぁ・・・」としみじみうなったものだが、今日、改めて先生のを聴いてみると、やはり一段も二段も上だろうと思った。彼女とは違った上手さなのだ。彼女自身も彼のリズムの歯切れの良さにいたく感心していたが、その小気味良いリズムとびっくりするほどすっきりクリアーなアーティキュレーション。音響の良い大聖堂でもべたっとした響きにならないよう、しっかり歯切れよいタッチを持続していた。オルガニストはその楽器や会場の音響によって弾き方を若干合わせなければならない。そういう意味で、彼の見事な演奏は豊富な経験と長年のキャリアの賜物という気がした。・・・終わってから少しゆっくり話ができた。前の日記に書いたように、やはり、予定されていた演奏者の「代役」を急遽、頼まれての出演だったらしい。「そうそう、急だったんだよね。。。予定の人が都合悪くなっちゃったらしくて。」とさらっと言ってやってのけちゃうところがすごい。きっと中学校が課外授業の一環で来るのを見越して、ただの演奏家ではなく教授としても活躍している彼に白羽の矢が立ったのだろう。終わってからも生徒達との質疑応答やデモンストレーションにしばらくは忙しそうだった。(これは大分前にあった子供向けワークショップでのもの。webから拝借。)(今日先生が弾いたオルガン)少し前にある人から「大聖堂のnoon concertで弾いてみない?」と突然言われたことがあった。責任者と知り合いだからキミのことを紹介してあげるよ、とのたまうのでびっくり。一緒にいた別の友達も同時に誘われ、二人して顔を見合わせながら「え~?!」と返答に困ってしまったものだが、やっぱりこんなすごいところで弾くのはまだいいや、とかしみじみ思った一日だった。
May 11, 2006
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写真添付にちょっとはまってます。前回のが余りクリアーでなかったので、新しいのを取ってアップしてみました。何しろ当方、この時代にデジカメを持っていないという・・・ 携帯についているカメラなので画像はちょっとお粗末。でも可愛くとれたかな。。。最近、カメラ(携帯)にも慣れてきて、「何してるのぉ~?」って好奇心満々の顔で見るようになりました。ついでにちょっとかじってみたりも(汗)。肩に乗せたまま長電話していると、必ず電話をかじってきます。アテンション欲しいよ~というサインなのかな。今週はレッスンがあるはずだったので一応確認のメールを入れてみたら、悪い予感的中で、先生から「その日、noon concertで弾くことになっちゃったんだ・・・」というお返事。2週間前には何も言ってなかったから突然入ったのは間違いなし。きっとまたピンチヒッターみたいな形で頼まれたのかな。それにしてもLAのノートルダム寺院でのコンサートをそんな急に頼まれて引き受けちゃうあたりはさすがとしかいいようがないけれど。そしてどんな時でも質を落とさない、その演奏の完成度の高さにはいつも度肝を抜かれます。その辺がプロ意識というものなんだろうな。
May 9, 2006
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写真添付第二弾に挑戦・・・(って大袈裟・・・☆)これはうちのりりちゃんです。前のぴーちゃんの義姉です。ぴーちゃんはうちにやってきてお姉ちゃんを見るなり「一目惚れ」状態で、その日以来、何につけても「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」です。前のルーミィに「copy cat」と呼ばれたほど、何でも真似します。このりりちゃんの方はゴーイングマイウェイタイプで、冒険も率先してやる方。それにぴーちゃんがいつもついて歩きます。その上、とっても面倒見の良い(多少おせっかいオバサンっぽい)お姉ちゃんなので、ぴーちゃんの毛づくろいはもちろん、私の毛づくろいまでやろうと必死で背伸びしてきます。かわいいですよ~。この写真は夜中に撮ったのですが、彼女は眠くて仕方ないため半分ウトウトしていて、この顔も目が腫れぼったい感じ。「ママー、まだ寝ないのぉぉ~??」と訴えている表情です。今日はな~んだか調子が悪くて早めに帰ってきて夕食を食べたら、ついそのまま眠ってしまいました。はっと気付いたら真夜中過ぎ。明朝までdueのお仕事があったので、今頃起きて開始です。。。また寝不足になっちゃうよ~ん
May 3, 2006
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日記に新しい機能がついたようなので、いろいろ試してみています。今日は写真添付に挑戦。うちのぴーちゃんです。とても負けん気が強くて、いつもお姉ちゃんをやっつけてしまいます。(なぜか宣戦布告してレスリングを開始する・・・。)でも何でもお姉ちゃんの真似っ子で、これって典型的な妹ですよね。。。(この顔見ても、いかにも自意識過剰でしょ?)どうも落ち着きが無くていつもそわそわ、何でもすぐカジカジ。この写真を撮るのも苦労しました。でも結構怖がりで、お風呂に入る(いわゆる水浴びする)ときも、そぉ~っと用心深く水に入り、ゆっくり羽を片方ずつ伸ばしながらおそるおそる泳いでいる姿は笑えます。
April 29, 2006
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今日、大学院に行っている友達のtutoringしてきたというか、宿題を手伝ってきた。内容は「曲の構成と分析」の授業のプレゼン準備。課題として与えられた曲がドビュッシーの交響曲。(しかも楽章二つ分・・・。)ひとつ聴くだけで10分間とかかかるわけで、オーケストラのスコアにして一体全部で何十ページあったのだろう。見ただけでうんざりする長さだった。特に三楽章は、まずざっと目を通して予測を立てるにしても、あまりにな・が・い。構成のキーになる主題と思われるフレーズを次々と頭にインプットしてそれが再び出てくるのを探しながら見ていくのだが、曲が長すぎると一体どこに何が出てきたのか、いちいち覚えているのが至難の業だった。しかも「自由」で「新しい」のが当たり前の印象派。その上フランス音楽。伝統的な形式がそう簡単に当てはまるわけがない。次々と移り変わっていく調性を言い当てるのはほぼ不可能に近く、スコアを見て判断するなんてもっての他だった。(何しろ楽器によって書かれている調が違う・・・。)この三楽章、一番びっくりしたのが、人の声(女声合唱)が、オーケストラの楽器の一部のように取り入れられていることだった。スコアの中でもほぼ真ん中に位置し、ソプラノとメゾがそれぞれ二声ずつに分かれている。歌詞は無論書かれておらず、CDを聞くまでは、そこに合唱が含まれていることにさえ気付かないほどだった。(たぶんボカリーズ的に歌われている・・・。)実際に聞いてみると、これがものすごく違和感を感じた。こっちの耳は、それぞれの楽器の旋律を聞き分けようと注意深く聴いているのだが、まず最初に思ったのが、「この人の声、邪魔!」。声は声、やっぱり楽器にはなりえないよ、というのが正直な感想。曲の途中でフーガ形式のように、主題がいろんな楽器に移動しながら繰り返し出てくるのだが、それがソプラノやメゾに出てきたときは、何か違うものに聞こえてしまう。なんていうのだろう、人間の耳(或いは脳)って、楽器の音と人の声では認識する方法が違うんじゃないのかな、とまで思ってしまった。よく言われる、右脳と左脳みたいな、使う脳が違うっていうことはないんだろうか、とか。オーケストラを聴いていて、オーボエが出てこようとバイオリンだろうと、それがディストラクションに思えることはほとんどないのに、どうして人の声だと不自然なんだろう?(これって私だけがそう思うのかな。)でも、だからきっと多くの作曲家たちは、合唱は合唱、オケと一緒のときでもそれぞれを違う役割同士として書くんだろうな、とも思った。ところで、あの曲は一体なんだったんだろう?と気になって眠れなくなったので、音楽辞典を開いてみた。そうしたらあったあった。。。Debussyの作品のところに、「Works for voices and orchestra - La damoiselle elue」と。たぶんこれじゃないかと思うんだけれど、形式もあってないような、そんな感じの曲だった。Debussyって、私の大好きな作曲家の一人だったんだけれど、今日の分析で、ちょっと”嫌い”になってしまった。というか、この曲だけが特殊なのかも。うーん・・・もうちょっとリサーチしてみようっと。
April 28, 2006
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少し前のことになるが、「即興演奏ワークショップ」に行ってきた。講師は演奏会でLAに来ていたパリ・ノートルダム寺院のオルガニスト。パリのコンサバトリーで教授もなさっているようで、教えることにとても慣れておられた。ハンドアウトを用意され、目の前で実際にデモンストレーションしながらの講義なので解り易いはずなのだが、驚いたことに内容はほとんどが初めて聞く新しいことばかりで、目がぱちくり。即興演奏経験者の私でこうなのだから、ほとんどやったことのないオルガニスト達にはどれ程難解だったか・・・という感じだった。簡単に言うと、フランス風の「モダルコード」というのがあって、ロマン派、古典派でおなじみの和音とは違った、独特のコードとコード進行を使うらしい。(たぶんノートルダム楽派の流れ・・・?)グレゴリオ聖歌にどう和音を付けていくか、その時は先生の実演も間近で見ながらいたく感心してフムフムと聞いていたが、帰ってきていただいたプリントをみても、「これ、何のことだっけ・・・」というほどわからなくなってしまっていた。ただ、とても印象的だったのが、そのコード進行の中の一つに、それぞれの調で音階に合わせて弾いていくパターンがあって、それを「ピアノで言う、ハノンのように、毎日、最初にこれを練習しなさい。全ての調で、考えなくても弾けるようになるまで」といわれたこと。なるほど、そうやってコードを頭に叩き込んで、数多くのパターンを持つことがやはり鍵なのだな、と納得した。即興演奏をする時に、いかにコード進行や和音を瞬時にまた多彩に組み換えができるかが大切なのは自分でも経験から解ってはいたけれど、それに対して理論的なエクササイズまであるところが、さすがフランス、と思った。(私のフランス語の先生はフランス人はとても考え方が「ロジカル」だと言っていた。)また、彼が二言目には「これがフランスの音楽です」と言っていて、自分の文化や音楽にとても誇りを持っておられるのがよくわかった。うちのドイツ人の先生も即興演奏の達人で、実際そういう授業も去年やっていただいたのだが、一つ気付いたのが、ドイツ系の即興演奏はもしかしたら、「メロディを飾り付けていく」方が主ではないかということ。その授業では、同じグレゴリオ聖歌の旋律を題材にして即興演奏するにしても、左手は無しで、あくまでメロディを発展させることが課題だった。コラールを題材に用いた時でも、メロディとベースだけの2声にし、それをそれぞれ独立した旋律として交互に装飾していくやり方で、基本の線から外れすぎず、でも同じパターンにも陥らずに華麗に装飾していく。これをやらされた時はどうもなかなかうまくいかず、和音による「色付け」に頼ることなく旋律そのものを美しく仕上げるというのは私自身、あまりやってこなかったことなのだと気付かされた。仕事で良くパッヘルベルのコラールパルティータなどを使うが、いわゆるこれも変奏曲で、同じような原理が使われている。うちの先生のやり方はそこに基づいているのだろう。フランスとドイツの音楽の方向性ってこんなところにも違いがあるんだなと気付かされて大きな発見だった。私は個人的にはフランス音楽の方が好きなのだが、それは和音に凝るのが好きだからかもしれない。(考えてみれば、モーツアルトとかは旋律が美しいもんね。。。)ちなみに、ジャズピアノの即興を習った時は、結構やりやすかった。センスの有る無しは別として、決まったコード進行の上にメロディを自由に作って乗せていくという方法には慣れていたからだと思う。先生からはお褒めの言葉をいただいたが、"昔取った杵柄"というか、子供の頃習得したものは大きいなとしみじみ思う。
April 19, 2006
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今日は夜8時までピアノのレッスンをするはずだったんだけれど、6時過ぎからのお宅(ヘイニーさん一家)に伺ったら、携帯が鳴って「先生?今まだタイコンドウ(韓国の護身術・・・空手みたいなの)のレッスンが終わらないので、中にお入りになって待っていてくださる?玄関、鍵かかってませんから。」とのこと。どうやら「帯」の昇段試験があったらしくて、実際には30分くらい遅れて戻ってきました。そこでは二人の娘さんを教えていて、お母さんはいつもレッスン後に夕食をご馳走してくださるんだけれど、今日は帰ってくるなり、お母さんが「もうすっかり遅くなってしまったから、先生、このまま外にご飯を食べに行きましょうよ!」とのたまうではありませんか。「(年に一度の)ピアノフェスティバルも先々週無事に終わったことだし。いいでしょう~?」びっくりしたけれど、せっかくのお誘いだし、じゃぁ・・・とOKしていたら、おちびちゃん(6歳)が、ピアノのいすにぴょんと乗って弾き始めました。つまり、「先生、聴いて!これ弾けるようになったんだよ!」という意思表示です。一週間一生懸命練習したから聞いてほしかったのでしょう。ちゃんと上手に出来上がっていたので、「合格」のシールをあげました。そうしたら、「もう一曲あるんだよ」とさらに続けて弾いてくれて、彼女はほんの5,6分の間にしっかりシールを2個ゲットし、超短縮レッスンを受けました。その後、おねえちゃん(6年生)の方も負けずに「先生、これ弾けるようになった!」と、新曲を1ページ披露。彼女にしてはかなりハイペースの譜読みだったし、よくできていたので少し指導を加えました。せっかくお母さんが「今日はレッスンは無しにしてゆっくりしましょう」といったのに、ある意味子供達の方はレッスンを心待ちにしていたのがわかって私もびっくり。本当にピアノが好きなんだなぁと感心しました。・・・その夕食でのおしゃべりで、先々週のピアノフェスティバルでの仲間内の一人、エミリーちゃん一家の話に。彼女はちゃんと間違わずに演奏したのに、審査員が妙ななんくせを付けて、一人だけ「最優秀」のブルーリボンを逃してしまいました。そうしたら、そのお母さんが、まぁ~長い間たいそう悔しがっていたそうで、「私、撮ったビデオを30回も見直したんだけれど、何が悪かったのがさっぱりわからないわっ!!」とかなりのご立腹。そしたら、傍にいたお父さんが「あー、テンポがいつもより遅かったからじゃないの?」と一言。その途端、「あなたっ!!曲のこと何もわからないくせに余計なこと言わないでっ!!!」とすごい剣幕でかみつかれたんだそうな。これを聞いていたヘイニーさんは「I was dying!」と大笑いだったとか。しかも、その当の本人エミリーちゃんは、帰りの車の中でもしきりと悔しがって審査員に対する文句を続けるお母さんに、「Mom, she is old and she could not hear it well. So let's get over it.」と慰めたというから・・・爆笑ものでした。いやはや・・・お母さん達ってホントに気合入ってるんだなぁとしみじみ。私も指導者としては審査に納得できなかったし、かな~~り悔しかったけれど、やっぱりこのお母さんには負ける・・・。30回も録画を見直すまではしないもんなぁ(笑)。
March 28, 2006
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最近、再び絶不調の波に襲われている。あらゆる方面でlost気味の上、方向性や目標、おまけに趣向まで変わってきている。きっと自信を無くしたりするたびに試行錯誤が始まるからなのだろうけれど。この日記すら、どういう方向に持っていこうかなとか思ってしまう。よく遊びにいくサイトに、ピアノ弾き+先生をアメリカでやっているりえさんという人のブログがあるのだが、彼女の日記は日々の苦労も含めて本音を叩きつけまくりで、すごいなと思ってしまう。私は性格的にどうしてもそういうぶっちゃけた内容にも文章にもならないみたいで、その辺が苦しくなってくる理由かもしれない。小さな不運も重なって滅入っているのもある。大分前にメーターパーキングでほんの5分程の駐車時間オーバーで取り締まりの巡回にぶつかりチケットを切られたのだが、「申し開き」を提出した後の結果を待っていたら、どうやら郵便物が届かなかったらしく、二通目の「最終通告」が届いた時には、罰金の支払期限オーバーで金額は倍以上に跳ね上がっていた。元の違反金額は仕方ないとして、郵便が届かなかったのはどうしようもない、と電話で掛け合ってみても、「自分からどうなっているのかをチェックしなかったのが悪い」と言われ、為すすべ無し。こんなことなら最初から素直に払っておけばよかったと思っても後の祭りでしかない。似たような話で、昨日聞いたばかりなのだが、友人がクレジットカード番号を他人に悪用されたらしく、身に覚えの無い多額の支払いを滞ったということで「クレジットヒストリー」に傷が付いてしまい、今後ローンを使うことが困難になってしまったというのがある。これも、いつのまにか勝手に買い物をされていたことに気付かなかった彼女が悪い、ということになるらしく、こまめに自分のアカウントをチェックしていなかったことが責められるのだとか。買ったのは自分じゃない、悪用だということを立証するすべもわからず、電話で話してくれた友人の声はほとほと疲れきったという様子だった。日本でこういう問題が起こるのかどうかは知らないけれど、こんなとき、アメリカ社会の面倒くさい部分を見せられるというか、自分がしっかりしていないと誰も助けてくれないという孤独で辛い戦いが多いのを実感する。どこに問い合わせたらいいのか、何をしたらいいのかが全く見当がつかず、泣きたくなることもしばしばある。そして、世の中がハイテクで便利になっていけばいくほど、社会の仕組みもtrickyになっていくような気もする。すべてがコンピューターで処理され、人の勘や思考を介在しないシステムは、不可抗力の手落ちがあったときでも話し合いや弁解が受け付けられない。それでいて、人の手を介する従来のサービスは正確さからは反対方向の、時には粗悪とさえ言えるものになっていく。そんな、矛盾だらけで融通の利かない冷たい社会がこれからも発展していくのかと思うと淋しさを通り越して恐さをも感じている。今日はメールのサーバーの調子も悪く、大事な所用のメールを何度送っても戻ってきてしまう。小さなことなんだけれど、そういう一つ一つが順調にいかないことが疲れを呼んでしまう。今日のフリーウェイもすごかった。事故が2件くらいあったらしく、4車線のうち2車線が閉鎖、ほんの10km程度進むのに1時間かかってしまった。当然仕事のアポにも大幅遅刻だった。昨日だったか、ウェブの新聞を読んでいたら、ある心理学者が「現実」をテーマに書いたコラムに「私にとっての「生活」は、目が醒めれば決まりきった朝が来て、決まりきった場所に行くと、決まりきった人に会う。決まりきった夜が来ると、今日も終ったと思いながら、決まりきった眠りを眠る。ただそれだけのことだった。」という表現を書いていたのだが、ここLAに住んでいると、そういう現実は存在しない。良い意味で言えば刺激が多いといえるが、目まぐるしい変化が起こる毎日の中には、悪いこと、うまくいかないことも多いわけで、細かい「余計なこと」が連続すると、まさに忙殺されてしまい、心身ともに疲れ切ってしまう。便利になっているはずなのに、ちゃんと機能していないことも多いから、問題が起こるたびにその分逆に手を煩わされ、二度手間だったりするのがアメリカ社会の常とも言える。近い将来、日本が同じようにならないことを祈るばかりだ。
March 24, 2006
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先週の話になるが、久々にベルギー人ピアニストStevenのコンサートの行ってきた。「コンサート、やらないのぉ~?」とメールを出してみたら、数日して友人達向けお知らせメールが来て、「来週やるけれど、来るならタダのチケットあげるから連絡して」とのこと。取りあえず二人分、will-call(当日入り口で受け取る)でお願いした。何人か誘ってみたが、平日のためみんな仕事で都合が付かず、結局一人で行くことに。渋滞に巻き込まれ、若干遅れて到着し、私宛の封筒を受け取ってあけてみたら、なんと、チケットが6枚も入っていてびっくり!うっそ~、こんなことならもっといろんな人に宣伝するんだった~、と大後悔。でもなんでこんなにいっぱいくれたんだ・・・と不思議だった。中に入ったら超満員。それもそのはず、オーケストラとの共演で、シューマンのピアノコンチェルト。しかも、彼はそのコンチェルトのためのコンクールで優勝し、この晴れの舞台をゲット。主催は彼がマスターの生徒として通っている音楽大学で、そこってこの辺ではNo.1、全米でも No.8くらいに入るトップクラスの音大なのだ。だから学生オケとはいえ、レベルは一級、それに彼のピアノの美しさといったら・・・もう絶品というか、極上というか。私は二楽章から入ったのと、満席に近かったので一番後ろで立ち見したんだけれど、その素晴らしい響きにすっかりとりこにされて疲れも忘れて聞き入ってしまった。終わってからステージの袖にいってとりあえずチケットありがとうって言おうと思ったら、まぁみんな来てる来てる・・・。以前あった彼のホームパーティに来ていたロシア人やフランス人のピアニスト、そして私のクラスメートだった奥様ももちろん応援に駆けつけていた。改めて彼の凄さに圧倒されたのと、でもそんな人からチケットを6枚も貰っちゃったよ、という不思議な現実に、自分でも面食らって、しばらくクラクラしていた。・・・ここにいて、自分自身は別に大したことはないのに、何故か一流の人たちと「お友達」になれるチャンスに恵まれたことがとにかく自分でも不思議で仕方ない。きっとアメリカ(しかもS.CA)という土地柄なのだろうが、みんな気さくで、お高くとまっているところもないからすごい。うちの先生もそんな感じだし。日本じゃまず考えられない環境じゃないかとしみじみ思う。(だからここの生活はやめられない・・・。)
March 10, 2006
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昨日フランス映画を観た。といっても、クラスの一環として。先生が喉をやられて声が出なくなったとのことで、授業が急遽「映画鑑賞会」になった。(ラッキー♪)もしかしたらフランス物を観たのは初めてだったかもしれない。もちろん英語の字幕付きだったのだが、何しろ移り変わるのが早いのと、一番前の人が座高が高くて一部画面をブロックしていたので完全には読み取れなかったのが残念だった。タイトルは「The Chorus」。久しぶりに思い切り、はまった。そしてすごく泣かされた。音楽の先生と不良で施設に送られてきたような子供達との葛藤と触れ合いを描いた作品だったが、飾り立てたところのない、きついくらいの現実味のある生々しさと、その反面人の心にあるせつない思いや相手への深い情というものがひしひしと伝わってきたように思う。長い間忘れていた何か大切なものに触れたような気がした。この映画に惹き込まれてしまった私は、現実に戻ってくるのにとても苦労した。とにかくインパクトが強すぎて、なかなか抜けられず、ほぼ丸一日掛かってしまった。映画や読書で、その世界にすっかり入り込んでしまうのはいつものことなのだが、これ程だったのも珍しい。私が普段余り映画を観ない理由はきっとそんなところにあるような気がしている。(現実として、一日夢心地でいるわけにはいかないもんね・・・。)
March 3, 2006
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久しぶりに結婚式の仕事が入り、今日弾いてきた。このお役目、実は余り好きではない。いつも同じ曲とはいえ、この時にしか弾かないシリーズなので、普段は全く練習しておらず、仕事も忘れた頃にやってくるので、また一から練習し直しである。しかも、使われる曲が何故か主にバロック音楽、それも一番習得の難しい、それでいて技量が一番ばれてしまいがちなJ.S. Bachが多いという、なんとも不利な設定なのだ。そういうマスターピースばかりを選んでプレリュードでは30分くらい延々と引き続けなければならない。レパートリーとしてはちょっとしたコンサート並である。その後の入場も大概は3パートに分かれ、それぞれの場面チェンジを音楽で行うため、タイミングをミスるのは決して許されない。大体、こんな忙しい楽器(両手両足を常に駆使している)を演奏しながら、いつ出るか解らない遠くにいるウエディングコーディネーターの合図を気をつけて見ていろ、というのだから、かなりの至難の業で、本当に緊張を強いられる仕事なのだ。今回も、リハーサルは本番前夜にちょこっと、そのとき初めて式次第をもらい、そこからそれぞれの所要時間を読みながらの曲の選定、レジストレーションの設定、万が一長く掛かった、短くなったときのリピートの場所の準備、等々、練習以前にすることが山のようにあった訳で、もう精神的にstress out してしまった。大体、プレリュードなど、ストップウォッチで時間を計りながら何度も通して見るわけで、30分のセットを数回繰り返せばすでに数時間かかってしまうのだから、半端な練習量ではない。そんな日に限って、親しい友人の誕生日お祝があったりする。それも高速を飛ばして30分の場所。ボロボロの状態でとりあえず駆けつけ、顔を出したりもした。それから教会に戻って再び下準備。家に帰ったのは朝の4時だった。本番は何とか無難にこなしたというところだろうか。とにかく花嫁さんの入場と退場だけは絶対にメロディをミスらないように、と、まるでフィギアのジャンプを一つ一つ確実に決めていくときのように、慎重に進めていった。何しろ、以前、ターンタータターン♪のメロディで思わぬアクシデント的にいらないところに♭を付けてしまったという「ヒサンな」トラウマがある。誰でも聞きなれたメロディなだけに、誤魔化しはきかないし、バージンロードを歩いている花嫁さんがこけちゃったら大変である。そういう責任重大さを感じれば感じるほど人間、緊張するものだから、自分を平常心に持っていくのは本当に大変だった。思わず心の中で「もう、CDでも使ってやってくれよ~~」と叫びたくさえなったのだが、自分達のセレモニーのために音楽家をやとって生の音楽を流す、というのはもしかしてこの西洋文化の中では一種の「贅沢」とみなされているのかもしれない。昔は宮廷音楽家など、貴族やリッチな人達はお抱えミュージシャンをそれぞれ持っていたわけだろうし、庶民にしてみればそれは憧れのステータスなのかも。日本人だったら優れた演奏家によって精巧に作られたクオリティーの高いCDの音楽を流しちゃいそうだけれどね。フィギアのエキシビションを見て思ったのだが、荒川さんも競技のときよりずっと生き生きしていて力の抜けた、美しい演技を見せてくれたと思う。プレッシャーから開放され、自分の世界を表現すればいいという場面で伸び伸びと滑ったのだろう。もちろん自信もついたに違いない。私自身も、今の先生に出会ってから、ちゃんと弾こう、と思うより、美しく弾こう、と思うことで、演奏に余裕が出て、芸術性の高いプレゼンテーションが行えるということを学んだ。今日も知らない人の結婚式とは言え、自分が好きで選んだ曲を弾くのだから、その曲の持つ美を最大限に引き出そうと心を込めて弾くことに専念した。そんな気持ちが聞く側にも伝わっていればいいなと思う。
February 26, 2006
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いよいよフィギアのフリーということで、自分の練習時間をずらしてまでTVに見入ってしまった。一応VTRも予約録画したのだが、やっぱり直接放映を見たくなってしまったのだ。こちらではオンタイムの放映ではなく、夜のゴールデンタイムにあらかじめ編集されたものが毎晩流されている。(ケーブルに入っていれば別なのかもしれないが。)心待ちにしていたものの、実際はこっちもドキドキものだった。ネットでニュース速報を見れば結果がわかったのだが、それも敢えて我慢して実際の演技を先に見ることにした。見事ミスをしないで滑り終えたのを見た時は、さすがに歓声を抑えられず、TVの前で拍手を送ってしまった。こんな大舞台に果敢にチャレンジし、無事に成し遂げた姿にはつい涙がこぼれてしまった。どれほどの重圧だっただろう。練習の成果を充分出し切れたというのは、そんなプレッシャーを跳ね除けて自分に打ち勝った証拠以外の何ものでもないだろう。普段の素朴な表情を脳裏に何度も思い出しながら、良く頑張ったねと声を掛けずにはいられなかった。ロシアの彼女もアメリカの彼女も、SPでは「瞳に炎が宿っている」と言われたほどのアグレッシブで自信にあふれた、挑戦的な表情だったのに、フリーを始める時点では、あの迫力はどこにと言うような厳しい表情だった。先に上に立ってしまった者が余儀なくされるプレッシャーに負けてしまったとしか言いようが無い。或いは勝ちを取りにいくことを意識しすぎてしまったのか。欲が出たときに人間は平常心を失うものなのかもしれない。その点、こつこつとひたむきに努力を重ねてきた日本人がやっと日の目を浴びた、という気もしないでもない。昨日うちの先生とオリンピックの話をした時に、「SPをちょっとだけ観たんだけれど、(彼らのために)緊張しちゃって見ていられなくなっちゃうんだ」と言っていた。「ハラハラしながら固唾を呑んで見守る」というのは誰にでもあることだろうが、先生は殊更、パフォーマーの気持ちがわかるだけに耐えられないんだろうな、としみじみ思った。私から見れば彼も大舞台で演技するプロの一人。舞台をミス無くこなす姿と内に秘めた負けん気の強さにはいつも圧倒されてしまうほどだ。私自身もそういう意味ではパフォーマーの端くれとして彼女らの勇気と成功には格別の尊敬の念を抱いている。特に高校生ぐらいでこんな大役を果たしたりするのは本当にすごいことだと思った。それにしても・・・金メダルだなんてすごすぎる。あの大人しくて無口だった少女が見事に成長して世界のトップを誇る表彰台にのぼってしまった。これ以上は無いという嬉しそうな笑顔がこちらも嬉しかった。本当によくやったよ。長い道のりをここまできたことが何より偉かったと思う。惜しくも敗れたロシアの選手が、滑り終えて点を見ても驚くほど吹っ切れた表情をしていたのも印象的だった。ベストを尽くした自分に対して等身大になれた姿は見ているこちらにもすがすがしい感動を与えてくれたと思う。病魔と闘いつつも諦めずにやれるだけのことをやった不屈の精神は私たちにも多くの希望を与えてくれた。オリンピックには本当に様々なドラマがある。それが何よりの魅力だ。
February 24, 2006
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・・・何だか変な一日だった。物事が上手くいかないという程ひどかったわけではないが、妙に骨折り損のくたびれ儲け的なことが重なった気がする。朝、久々のレッスンに張り切って出掛け、幸運にも渋滞に遭わずに済んだかと思えばキャンパスに着いてからパーキングの空きが全く無い。同じところをグルグル回って空きが出るまで待つこと15分。折角オンタイムに到着できたのに結局遅れるはめになった。夜は疲れた老体に鞭打ってフランス語のクラスに行ったのだが、小テストがあると言われて20から60の数字をせっかく勉強して覚えて行ったのに、結局テストは無いまま終わった。その代わり手違いでやり損ねた宿題の答え合わせがあって当てられても答えられずじまい。他の生徒も大半が連休明けとあって宿題をやってなかったため、そんなに目立ちはしなかったけれど、それでもやっぱり恥ずかしかった。クラスが終わってから同じく夜のクラスを取っているはずの友達とお茶でも飲んで愚痴ろうかと図書館で待機しつつクラスが終わる頃を見計らって電話をしたら、「あれ?今、家だよ?」。あれれ?なぜだ??とよ~~く考えてみたら、曜日をすっかり勘違いしていた。まさに大ボケもいいところ。なんだかなぁ・・・とすっかり意気消沈して帰宅し、遅い夕食を頬張りながらこうして日記を書いているというわけだ。レッスンに行く日は長距離運転と渋滞、そして先生に見て貰う為の緊張感でそれだけでも疲れて帰ってくるのだが、今日は殊更疲れた。というのは、授業である生徒がキャンパスにあるスポーツ店が「閉店大セール」をしていると話していて、私はその場所がいまいちつかめないで聞いていた(何しろキャンパスが半端なく広い)のだが、レッスンが終わった後、先生が「今からさっきの閉店セールに行ってみようと思ってるんだけど、一緒に行く?」とのたまうではないか。場所を知っているからという気遣いから言ってくれたので、こちらも「あ、はい、ぜひ」と気軽に返事をしてしまったものの、そこからがちょっとしたパニック(?)だった。何しろ私にしてみれば相手は大学の先生、しかも超憧れている演奏家である。そんな人と一緒に"お買い物"(?)に行くのだから緊張しないわけがない。外はものすごくよい天気でさわやかなのだが、こちらは何を話そう、粗相の無いように・・・と人波をかき分けながらぶつからない様に一緒に歩くので精一杯だった。(しかも英語で話題を考えるのだから必死である。)たどり着いたお店は一時閉店で結局買い物はできずに戻ってきたのだが、ちょっとしたお散歩とも言えるひと時を過ごした後、私はどっと疲れて帰ってきたのだった。今思えばバカみたいだなぁとかせっかく誘ってくれたのだからもうちょっと楽しんでくればよかったのにとかいろいろ思ったりもするのだが、何しろそういうことに慣れていないから仕方がない。しかもバリバリの縦社会で育った日本人だし。ある意味これって哀しい性分だよなと実感した出来事だった。
February 23, 2006
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相変わらず毎晩オリンピックにはまっている。今まで観戦したことのなかったアイスダンスまで今回は規定、オリジナル、フリーと三夜ぶっ続けで観てしまった。ロシア勢がフィギアでは圧勝しているが、今日は国毎の演技前後に見せる表情の違いに目を奪われた。まずイタリアのペア、オリジナルで大きなミス(リフトでなんと女性を落としてしまった)をしたために、初日のトップから思い切り順位を落とされ、最終日は二人が全く会話をしないほどのピリピリムード。ロマンチックな雰囲気が売り物の二人だったし、それを見せるべき競技でもあるので、この険悪ムードは全くいただけなかった。きっと彼女は怒っていて、そんな状態でベストな演技ができる訳がない、と私は前評を下していた。それでも気合と根性で無事に全演技を終えた二人、最後のポーズが決まった途端、彼女は半ベソの顔で相棒にひしと抱きついた。そんな彼女を安堵と労わりの表情で抱きしめる相棒。その時初めて、彼女がどれほど不安と戦い、プレッシャーを跳ね除けるのに必死だったのかが分かり、観ていた私までもらい泣きしそうになった。何しろ金メダルの期待を一気に背負っていた矢先に身を預けて滑っていた相棒から落とされたのである。信頼関係が一気に崩れたとしても無理がないし、それでももう一度信じて自分を預けて滑らなければならないとなれば、そりゃぁ不安の極みだよな。自分がベストを尽くすだけでなく、相手とのチームワークを「身も心も」一致させて成功させなければならないのだから、こういう状況になってくると、シングルの競技よりももっと厳しいものがあるかもしれない。だから演技前の「無言」は、きっと怒っていたのではなく、それほどの緊張と必死で戦っていたのだろうと今なら思える。無事に務めを果たしたことでやっと笑顔が戻り抱き合って喜びをかみしめる二人に私は思わずよかったねと声を掛けてしまった。二日目の演技では転倒するペアが続出だった。そのせいだろうか、最終日は他の選手達でも、ノーミスに近い状態で滑り終えた途端に涙ぐむ姿が目立った。シングルやペアなどの競技に比べれば、ジャンプも無く比較的ミスが出にくいといわれている競技なのに、終わった途端にプレッシャーから開放されて泣き顔になる選手が多かったのには驚いた。ダンスなんていうとどこか優雅な印象しかないのだが、彼らは競技としてこんなに必死で頑張っているんだなということを妙に印象付けられた。そんな中でちょっと違っていたのがアメリカの二人。出だしの表情からして違う。若い二人はまるで自信たっぷりとでも言えるような挑戦的な笑みを浮かべて踊りだす。カナダ出身の彼女は飛び切りの美人で元々文句なしの笑顔なのだが、それに加えてその相棒の笑顔にも何とも光るものがあった。二日目のダンスのスローモーションでも思ったのだが、とにかく楽しくて仕方ないといった様子で「ダンス」している。なんていうか、ものすごく”はじけて”いるのだ。最終日の演技の後も、とりたてて感無量になる様子もなく、割と淡々としていたのが他のチームに比べると対照的だった。結果は銀メダル。その後のインタビューでも、金に届かなかったことなどは全く気にするふうでもなく、「本来なら市民権が間に合わずオリンピックに出られないところだった。今頃、家のソファでTVを観ているはずだったんです。いろんな人に助けてもらってトリノまで来られたのだから、こうして出られただけで充分満足です。(銀メダルまでもらえたのだから)これ以上いいことはありえないでしょう」と答えていた。アメリカにとってもこの競技での何十年ぶりのメダルだったらしい。数日前の女子スノーボードでもトップを走っていたアメリカ人選手がゴール直前で転んで銀メダルだった。このときの彼女のインタビューにもどこか似ているものがあった。競技の直後はさすがに泣きベソをかいていたが、その後割りとあっさりと、「トップでゴールインできるとわかった時、興奮したあまり油断して集中力が切れてしまった。でも転んだとき、自分を追い抜いていった選手が一人だけだったのをみて嬉しくなった。だからメダルが取れて嬉しい」と語っていた。要するに、転んだ瞬間、もうメダルは無理だと思ったのだろう。起き上がって戻ってそれでもまだ二位だったのは彼女にとって思ってもみなかった幸運だったのかもしれない。観ていた方もインタビュアーもしきりに金メダルに届かなかったことを悔しがったし、日本だったらきっと「惜敗」と言う形で伝える内容だ。でも本人にとっては「惜しくも負け」ではないのだ。ベストを尽くし、それにメダルがついてきたのだから素晴らしい、というところか。もちろんまだ若いということもあるだろうが、何というか、アメリカ人の欲の無さ、自分が得たものでハッピーというある意味お国柄のようなものを感じさせられた。他の国に見られがちな「必死の形相」というものとは余り縁がないのがアメリカなのかもしれない。
February 21, 2006
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冬季オリンピックが何故か好きで、どんなに忙しくてもつい観てしまう。最近では夜中の録画放送にはまって寝不足が続いてしまっている。いつもそこで起こる数々のドラマに感動し、また考えさせられることが多い。アクシデントにも負けずに必死で頑張る選手の姿を涙なしでは観られないことも。今日のフィギアペアの中国組はすごかった。転倒、壁に激突したその後に、痛みをこらえて演技を再開したその気力と根性には圧倒された。膝に怪我を負いながら、それでもジャンプをこなし、しっかりと足で身体を支えるのはどれ程苦痛だっただろうと想像するのも痛々しい。大きな大会だからと歯を食いしばって頑張った彼らにスタンディングオベーションの嵐が巻き起こったのもうなずけた。むしろ、観ていた人たちの方がずっと大きな感動をもらったのだろう。優勝したロシアのペアも、転倒によって記憶を失ったりするほどの障害を乗り越えてここまできたという。ここからはあくまで私の意見だが、ロシアでも中国でも「上へ上がるため」の競争は激しいと聞いている。簡単に言えば豊かになるためには他の人よりずっと優秀でなければならないという危機感を持っているらしい。ちょっとだけ訪れた中国でも、資産家の両親たちは子供達の教育に半端じゃないほど熱心だったし、ロシアでは有名な音楽院の教授たちでさえ、スタバのコーヒーが買えないくらい給料が少ないと聞いた。もちろん、自分のやっていることが好きでなければここまで頑張らないとは思うが、それにしても不屈の精神というか、何が何でも頑張る姿がすごいと思った。アメリカ勢もいろんな種目で追い風に乗っているように見える。ここにいて思うのは、アメリカでは「天才肌」の人が成功する例が多いようで、「努力の賜物」とか「苦労話」というのは余り聞かない。もちろん練習に練習は重ねるとは思うが、得てして天賦の才がある人がThink positive的な姿勢で運もつかむように思えるときがある。(あくまで私の勝手な個人的見解ですのでご了承を。)日本では才能の上に「練習の虫」として頑張りぬいた人が頂点を極めると思うが、ここ一番で気迫負けするのか、今ひとつ実力を発揮できずに終わるのを見るのがとても悔しい。期待もプレッシャーもあるのだろうけれど、気負いすぎず、かといって「怖いもの知らず」にもならず、練習の成果を発揮するために「克己」を成し遂げて欲しいと願う。日本勢、頑張れ!!
February 14, 2006
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夕方、かなりヘビーな渋滞に巻き込まれた。普通なら5分で通り抜けるところを30分、車の中に閉じ込められた。ピーク時は避けてフリーウェイに乗ったはずだったのに、それでもまだひどかった。ほとんど進まない状況の中で、仕方が無いのでクラシックのラジオを聴き始めた。ちなみに普通に走っているときは騒音でクラシックはほとんど聞き取れないし、自分が集中してしまうのも怖いので滅多にかけない。掛け始めてすぐにとても美しいピアノの音色が流れてきた。といってもほとんど単旋律のメロディだけ。それでもしっかりした力強い音だ。ピアノコンチェルトだな、と思い、それにしても綺麗な音を出す人だなぁとしみじみ感動しながら聴いていた。作風は古典派か初期のロマン派、どう考えてもドイツあたりっぽい。素直な基本的ハーモニーに解りやすい楽曲の構成だ。ベートーベン程凝っていないし、メロディの華麗さを考えるとやっぱりこれは・・・と自分なりに予想を立てたら、珍しく(!)当たった。(実は音楽史の授業を取っていたとき、期末テストなどでの曲当てクイズの部分は余り当たったことがない。)曲目はモーツアルトのピアノコンチェルトEb major。そして気になるピアニストの名前を頑張って聞き取って頭に入れた。「キース・ジャレート」、そしてドイツの室内楽。家に帰ってパソコンで検索を開始した。調べてみてびっくり!この、"Keith Jarrett" なるピアニスト、なんと、クラシックだけでなくジャズのピアニストとして活躍、しかもジャズの即興演奏の名手として有名ではないか。7歳で早くもリサイタルにて演奏、そして10代の早いうちからすでにプロとして活動を始めている。その上、ソプラノサックス、オルガンまで(ひえ~)こなすという。アメリカ人ということで、どちらかというとジャズ演奏家としての方が活動が多かったようだ。それでもしっかりドイツのオーケストラと一緒にこんな素晴らしいクラシックの演奏も残している。率直に言わせて貰えば「ずる~い!」という感じだ。でも逆に、そのピアノが音色の美しさだけでなく、とてもよく「歌っている」ように聴こえたのは、やはりジャズからも影響された豊かな音楽性と、即興演奏には欠かせない「自分を表現する歌心」がしっかりあるからなのだろうな、という気がした。魅力的な演奏家には、幅広い分野への好奇心を持った人が多い。言い換えれば、一つの事のみの「職人肌」というよりは、いろいろな経験を栄養にして自分の音楽を豊かにしているように見える。良い物に触れ、自分の感性を磨き、そこから表現することにつなげていく。音楽は本当にその人自身を表していくものだなと思う。
February 10, 2006
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車の中では大抵FMを流している。一日のうち3時間程度を運転しながら過ごすことになるので、退屈しないよう、soft rock のチャンネルなどから流れるポップスを何気なく聞いている。先日もいつものようにラジオをかけていた。高速の騒音もあってそうそう音楽が聞き取れるわけではないが、その日に限って、思わず耳を傾けたくなる曲があった。特別凝ったコードを使っているわけでもない。メロディは同じ音が連続する、むしろ単純なくらいのシンプルなものだった。でもその中に、何ともいえないセンスが光る。他の楽曲にはない魅力があった。"I would never make you cry... I would never make you blue..."そんなスイートな歌詞も手伝って、私はすっかりとりこにされてしまった。「誰の曲なんだろう・・・。」最後まで聞いて、DJの言葉を待った。それはイーグルスの 「No More Cloudy Days」という曲だった。それで初めて納得。イーグルスのことは全くといっていいほど何も詳しくないのだが、いくらそんな私でも、洋楽の大御所、ということくらいは知っている。巷で猫も杓子もというくらい大勢のミュージシャンがポップスを歌っている中、やはり一味違う「個性」と「センス」をみせてくれた気がした。さすが、である。
February 8, 2006
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先日、LAでNo.1か 2と言える大聖堂のコンサートに行ってきた。ローマ法王が昇天された時にもLAでのミサの様子としてTVに映ったところだ。まだbrand-new で、たぶんできてから1,2年といったところだろうか。建物が斬新できれいなだけでなく、素晴らしいパイプオルガンが設置されている。そこでうちの先生のコンサートがあったのだが、彼にとっても「今年一番の大きいコンサート」だったらしい。プログラムにも工夫を凝らし、自分の瞑想風即興演奏でintroduction、そこから止まらずにバッハのプレリュード(前奏曲)へと繋げていった。そしてその同じ曲のフーガでプログラムをしめくくる、という全体にストーリー性を持たせた展開だった。中間の曲にも、カトリック教会ということを意識した曲目が多く、特にグレゴリオ聖歌を題材とした曲を(自分の作曲も含め)多く取り入れていた。chantのテーマをソロのシンガーに歌ってもらい、その後にその変奏曲を弾く、というあたりが、音楽のひとつひとつの意味を提示することを忘れない先生らしいやり方だった。それにしても彼の作る曲のジャンルは幅広い。ミサ曲からジャズ、ポップスまであるし、モーツアルトの交響曲をオルガン用に編曲までするからすごい。約2時間という盛りだくさん、大サービスの内容をこなした後に、満場のスタンディングオベーションと拍手喝さいを受けたら「アンコールは用意してこなかったんだけれど、やらないと申し訳ないと思うので・・・」と言って、そこから即興演奏をしたのである。会場からテーマを幾つか貰って。そんなエネルギーが最後の最後に残っているということ自体がもうびっくりだった。どうやってそれ程の集中力を保てるのだろう。その上、このコンサートは土曜日だったのだが、その同じ週の日曜にも別の場所でコンサートを終わらせたばかりで、平日は学校での教鞭もとり、ほとんど休む間もなく土曜を迎えたはず。その気力、精神力、スタミナは信じがたいほどだった。そして、絶対に妥協しないクオリティの高さとプロとしてのプライドで、演奏は必ず成功させる。・・・その辺が、私がこの先生から一番見習いたい部分かもしれない。
February 7, 2006
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今日もはるばる遠くまでレッスン&クラスに行ってきた。クラスでFranckの曲を弾くように言われていたので、仕上げに向かって練習して臨んだのだが、弾き始めてすぐに先生が珍しくストップをかけた。「・・・何かすっごく急いでるっぽく聞こえるんだけど(笑)。」あれ?と思って「え・・・これって早い曲じゃないんですか?マリー・クレール・アランのCD聴いたらめちゃめちゃ早く弾いていたんですけど」と私。そうしたら先生と博士課程の生徒が笑い出した。「あぁ~・・・彼女は何でも飛び切り早く弾くんだよね。だから参考にならないよ(笑)」がびーん・・・。そんなぁ。何のためにメトロノームを駆使して曲の最初から最後までひっきりなしに続く左手の16分音符アルペジオを練習したんだ。。。先生曰く、「僕も彼女のワークショップに参加したけれど、見ていてもまーず、落ち着き無いっていうか、何でもちゃっちゃと終わらせちゃうんだよね」。世界的に有名な演奏家だから大丈夫だと思ったのに。それとおふらんすの曲をフランス人が弾いたから必ずしも「正統派」とは限らないってことか。「キミの解釈(テンポ)で弾いていいんだよ。自分の良さを失わないで」と言って貰った事でちょっとはほっとしたが・・・何だか気が抜けてしまった。ちなみに先生がちょっとだけ弾いて聞かせてくれたのだが、ゆっくりのテンポでもすごく美しい。ほんの2,3小節でこんなに違いが分かってしまうんだな、としみじみ思った。「さすが」としか言いようが無い。レッスンでは4声コラールの初見演奏を指導してもらったのだが、演奏を見た先生が一言、「右手はメロディのソロ演奏だけにできる?」・・・一瞬耳を疑ったが、思い切って言葉を返した。「あの~、右手ってソプラノとアルトを弾くんじゃないんですか?」「う~ん、それって実は正しいやり方じゃないんだよね~・・・」。が~~~ん。そ、そんなこと、知らなかったよぅ。常任でchurch organistを務めて早○年。今までのやり方は正統ではなかったというのか。そして今まで習った先生の誰も、そんなことは言わなかったではないか。ショックの余り絶句している私に「今回のオーディションはいいとして、これから練習は始めてね。」と先生。知らなかったということに加えて、一番不器用な左手が「アルトとテナーのラインを同時に弾く」べきと知って、一瞬頭がくらっとし、目の前の道のりがすご~く長く思えた。でも、それを言われて初めて、有名なオルガニストの賛美歌伴奏がメロディだけソロリードで聞こえてくる理由が良く分かった。あ~あ。今まで何やってきたんだろ。でも仕方ないか。また一から出直しだ。それにしても、ピアノからオルガンに移行すると余りに弾き方の違いが多くて戸惑ってしまう。キーへのタッチはもちろん、休符の扱い方/音の伸ばし方も違うし、今日の賛美歌の弾き方の違いは極めつけだった。帰ってきてピアニストであるうちのルーミィにこの話をしたら、彼女も「ひえぇ~」と驚いていた。アルトパートとテナーパートを左手で弾くなんて、誰が聞いてもやっぱりそういう反応になるよな、と妙に納得できた。・・・とにかく頑張ろうっと。
January 26, 2006
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今日、ピアノを教えに行って驚いた。生徒のうち二人が、発表会用の曲を「いつの間にか暗譜しちゃった」と言う。まだ仕上がってはいないのだが、かなりゆっくりながらも「楽譜見ないで弾いてみたらできちゃった」のだそうだ。なぜ驚いたかというと、私自身がそれと全く同じ過程を踏むからなのである。ただひたすら練習していて、ある時何かの拍子で楽譜を見ないで弾いてみると弾けちゃったりする。しかも先日、私の先生からも「こんな風に自然に暗譜できちゃうのって(僕の生徒の中でも)キミだけだよ」とか言われちゃったのだ。その時は、皆が出来ることだと思っていただけにちょっと意外だったが、なんと、うちの生徒達が出来るではないか。これはもしかしたら、曲を学ぶときの手順に何か違いがあるのかもしれない、とか思った。他の人がどうやっているかは定かではないが、私は常に頭の中でドレミで歌っているし、子供達にもそうやって教えてきたからそのせいなのかも?その代わり、私も生徒達も譜読みはとてつもなく「遅い」。これも私から伝授されたとしたら気の毒としかいいようがない。その辺は意識して教えてきたつもりなんだけれど、あまり効果は現れていないっぽい。知らないうちに生徒って「似てくる」もんなんだなぁと思ったら、ちょっと嬉しいような怖いような感じがした。でも彼女達には「これってきっと特技だよ♪」と言ってあげた。人によっては苦手と感じることができちゃうんだから、まぁポジティブに考えてもいいよね~。「三歩下がって師の影踏まず」これは、「師の影を踏むほど近くにいってしまうと、師の視点と同じものしか見れなくなってしまい、師の劣化コピーになってしまう。師を超えていくためには、同じところをクリアーしなければならない」というのが、元来の意味なのだそうだ。ということは、自分を超えられる生徒を育てて初めて"師"も一人前、ということになるのだろうか。やっぱり教育は奥が深い。
January 24, 2006
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昨日は久しぶりにスティーブンのピアノコンサートに行った。小さな会場だったが、ほぼ満席。ベルギー人のピアニストという物珍しさも手伝ってだろうか。一曲目のバッハは遅刻したせいで聞き逃したが、二曲目のベートーベンで、その落ち着いた演奏ぶりに改めて驚かされた。まず全くもって不安気なところが無いのだからすごい。ステージと客席が妙に近かったのだが、緊張している様子もなく、アルファ波が出ているんじゃないだろうかと思うくらい、とてもゆとりを感じさせる演奏だった。ひょろっと背が高いのだが、美しい姿勢で座り、凛とした、それでいてしっとりした安定感を持っている。曲紹介のトークではジョークを混ぜるくらいの余裕もみせてくれた。一緒に行った友達が「彼は私と一つしか違わないのに・・・すごい大人だ。。。」と言っていたが、本当に若干24歳とは思えない。きっと人前で演奏することが全く苦にならないんだろうな、と心底羨ましくなってしまった。そして、とにかく上手い。いつもながら彼の解釈を明確に表現していて、何が言いたいのか良く分かる演奏だった。個人的にはプログラム後半のラベルの「鏡」と、アンコールのプーランクの「Babar」がすごく良かった。プーランクは自分でも弾いてみたいと思った。コンサートが終わってから話した時に、近いうちにコンクールに出るのでそのリハーサルとして自分の教会でまたコンサートやるよ、と教えてくれた。今度はハチャトリアンなんかも弾くらしい。楽しみ。それと、「タケミツ」(武光徹)が好きという話にもなって、日本ではそれほど注目を浴びない作曲家だが、彼の海外での評価の高さを改めて感じた。今度弾いてもらおうっと。。。コンサートからそのまま学校に直行して自分の練習に取り掛かった。更に次の日の準備(一曲だけ)もあってそれにもしばらく時間を費やして練習した。なのに・・・今日になって実際本番で弾いてみると全然ダメ。要するに緊張してしまったのだ。あんなに何度も練習したのにどうしてレジストを替え損ね、一番coolなコードをはずすんだ・・・と本当に悔しくなった。聞いていた人達からはstanding ovationと拍手をもらったが、自分の出来としては「B+」。そりゃミスしても(特に自分のオリジナル曲だから)聞いている人には分からなかっただろうけれど、自分としては「あれ程練習した箇所」が出来なかったときほど悔しいものはない。昨日のスティーブンのことを思い出して、なんでこんなに違うんだ・・・と自分の度胸の無さに腹が立った。このStage frightは、初めて発表会で弾いた時から始まって、未だに克服できていない。(最初のミスがトラウマになっているという気もするが。)それともこれって持って生まれた性格なのかな、とただひたすら落ち込んでふて寝した午後だった。
January 23, 2006
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久しぶりに Brian McKnightのCDを聴いた。アルバムのタイトルになっている"Back to One"が頻繁にラジオから流れるようになってから久しいが、この曲以外は少し切なくなるような曲が多い。他にあまり類を見ない凝ったコードや美しいメロディには何度聴いても心惹かれる。車の中で聴いていたら、多少のフラッシュバックも相まって、何となくノスタルジックな気分になった。取り立てて特別なことがあったわけではなかったが、I had a good day today.と言えるような一日だった。たぶん、レッスンやクラスでの演奏がある程度順調だったからだと思う。指導を受けた通り、思い切りmusicalな表現を付けて弾いてみたら、クラスメート達からも拍手をもらえた。先生から「musicalに弾くことは正しい音を弾くことよりも大切だよ」と言われ、「表現するってことが私の苦手な部分なんですよね」と言ったら、"You are gifted, so you have to share it with others."といわれた。これと同じことを前にフランス人のピアニストからも言われたことがあるが、そういう感覚が私の中には無いため、今でも正直なところ「そうなのかなぁ」と思ってしまう。でも、私から見れば雲の上といえるような素晴らしい演奏家である先生からそんな風に励ましていただくと、その言葉を信じて弾いてみようかな、と少しだけ勇気が出てくる。・・・頑張ろうと思った。
January 19, 2006
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数年ぶりでBuxtehudeの曲に取り組んでいる。彼は、若い頃のBachがそのコンサートを聴くために遠くから足繁く通ったと言われる作曲家/即興演奏家だったが、意外に知られていないように思う。その作風も、Bachとは大分違った趣であるが、それでもBachなりに相当影響は受けたのだろう。今やっている曲は、かなり前に一度習った曲なのだが、もう一度おさらいして今の先生に見てもらった。音楽的な解釈がちゃんと出来ている自信は無かったので、弾く前に"I just play the notes."と一応断っておいた。単純に楽譜通りに弾き、昔習ったレジスト(音替え)を使った。結果的に基本的な解釈はそう大きくはずれていなかったのだが、レジストは大部分を直されたので驚いた。場所によっては”強”と”弱”が全く反対のところもあった。でもその新しい解釈で練習してみると、まずこれが凄く納得がいくのである。曲の構成、作曲者が意図したところがピンとくる。更にすごく「かっこいい」ので嬉しくなってしまった。(このかっこよさがBachが憧れた所以なのだろうと思う。)その新発見に感動したあまり、思わず先生にemailして"It sounds cool more!" と喜びを伝えてしまった。この曲が彼のオハコだというのは知っていたが、それ以上にさすがドイツ人。ドイツの伝統音楽が身体に染み付いているとでも言おうか。感覚で知っているのである。前に習ったときの先生はアメリカ人だった上に、彼女はフランス物専門だったので、少々ずれていたのもある意味当たり前なのかもしれない。それにしても彼の音楽性は本当に凄い。指示された通りに表現を付けていくと、曲が本当に生き生きとしてくる。同じ曲でも違って聞こえてくるし、弾くのが楽しくなってくる。こういう先生に習えて、本当にラッキーだなとつくづく思った。
January 17, 2006
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先日久々にSt. James教会のオルガンコンサートに行った。そこにはLAで私が一番好きなオルガンがある。そんなに大きな楽器ではないが、音響の良さも相まってとても美しい音色を聞かせてくれる。今回は地元のオルガニスト、Smith氏。彼とは数年前から顔なじみだが演奏を聴くのは初めてだった。この小柄で少し背の丸い、一見大人しそうなスミスおじさん、でもひとたびオルガンベンチに座るとまるで違う世界を展開してみせたからすごい。一言で言えば「ミニ・カルロカーリー」という感じ。フランスの近・現代音楽を中心に、ダイナミックで情熱的な、そしてとても安定感のある演奏を聞かせてくれた。曲の合間に短いトークがあったが、そのユーモアたっぷりのお人柄はやはり演奏にも表れていて、どこかエンターテイナー的なおもしろさも感じさせてくれた。それと、レジストレーションの見事さはあまり他に類を見ないだろう。音のコンビネーションのやり方次第で、そのオルガニストの音に対するセンスはわかってしまうのだが、まずこれが美しかった。選び抜かれた音の組み合わせと絶妙なバランス、それに滑らかなクレッシェンドやディミニュエンドを細かく加えたことで、音楽がとても表情豊かになったのは確かだった。フランス印象派の魅力をここまで引き出せる人もそう簡単にはみつからないだろう。私が一番好きだった「パストラル(牧歌)」も、緑の草原に羊や牛たちがいるのどかな情景がちゃんと浮かんできたくらい、その絵画的な演奏は絶品だった。カルロカーリー氏には友人を介して何度か会ったことがある。彼はまず大柄な方なので、演奏がダイナミックなのはうなずけるのだが、その「大きな」足で、非常に細やかな足鍵盤演奏を華麗にやってのけるペダルテクニックも圧巻である。とてもきさくな方で、"フランス風"のご挨拶を教えてくださったり、私の地元のコンサートホールのオルガン設置にかかわった秘話を教えてくださったりもした。何よりも十数年前、私がオルガンに本気で惹かれたきっかけとなった演奏家でもある。その正確なテクニックに加えて聴衆を楽しませようとする精神が彼の最大の魅力であり、私が尊敬してやまないオルガニストの一人である。・・・私自身ももっと伸びやかに堂々と自分を表現する演奏ができるようになりたいとしみじみ思う。サービス精神が足りないのか、テクニックが足りないのか、或いは両方なのかもしれないけれど、とにかくまだまだ、だ。進むべき道のりは長い。
January 13, 2006
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今日教えにいった生徒の中に、5歳の女の子と7歳の男の子がいる。それぞれ別家族だが、母親同士が仲良しでお互い良く知っているらしい。7歳の子の後に5歳の子の家にいってレッスンしたが、気付いてみると、二人とも同じ本のほぼ同じページに行き着いている。5歳の子はもう1年以上習っているが、7歳の子はまだ半年だ。彼女にふっと言って見た。「パーカー君が後1ページのところまで追いついてきちゃったよぉ~。追い越されちゃうかも~?」彼女は思わず顔を上げ、飛び切り大きな目で私をみつめた。「それやばいっ!」と言わんばかりの表情。そのびっくり顔があまりにおかしくて私は笑いをこらえられなかった。レッスンの後、それをお母さんに話した。そうしたらすっかり同じ「大きな目」で私をみつめ、「え・・・うそぉ」という顔。さらに「良く練習していると思ったけど、もっとやらせたほうがいいのかしら??」と尋ねられた。いや、彼女はマイペースでよく頑張っていますよ、と慌てて答え、"そういうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ・・・”と思いつつも無意識のうちにお母さんの「競争心」を駆り立ててしまったことに気付いた。お母さんによると、彼女はクリスマス直前にマスターした「きよしこの夜」のピアノアレンジを未だに毎日弾き続け、家族のみんなが「聞き飽きている」ほどらしい。「だから先生、早く次の(彼女にとっての)大曲、お願いしますよ」と言われてしまった。対照的なのが7歳の男の子。彼は気が向くと、本の宿題のページより先の方まで開いて弾いてみている。好奇心が強いらしく、耳で聞き取ったものも一人で弾いていたりする。性格の違いもあるだろうが、得てして男の子は新しいものへのチャレンジが好きで、女の子はお気に入りをいつまでも大事にしているのが好きなんじゃないかな、とか思ったりした。それにしても「好奇心」って大事だな、とつくづく。結局それが「やる気」に繋がるわけなんだな、と。この二人、まだ語彙が少なくて余り言葉では通じないんだけれど、一番気持ちが伝わる生徒達だったりする。母親達に言わせれば「忍耐力がなくて大変な子」たちだったらしいが、ピアノの前ではそれを微塵も感じさせない。口答えひとつせず、指示を注意深く聞いて出来るまで粘り強くやってくれる。(別に私が怖いとかいうわけではない、念のため。)メモもほとんど残さないが、良く覚えていてくれる。きっと本当にピアノが好きなんだろうな、としみじみ思った。そしてそういう可愛い生徒達に出会えた私は幸せ者だと思っている。
January 10, 2006
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今日コンサートを聴いた後、久々に学校へ行って練習した。スタジオにあるトラッカーオルガンはドイツ人の職人によって作られたもので、音響の良い小さな建物の中でとてもよく響く。そして鍵盤のタッチが独特だ。アーティキュレーションをきっちりやらないと、パイプも中途半端にしか音を出さない。簡単に言えば、フルートやリコーダーと同じなのだ。空気を送り出す勢いやタンギングがあいまいだと、音も不明瞭になるのは誰でも経験済みのことと思う。それを指のコントロールでやらなければいけないので、これはかなりの訓練と経験を要する。一見ピアノと同じように思われがちだが、ピアノは弦を叩いて音を出す「打楽器」とみなされるのは意外に知られていないかもしれない。その点から言えば、オルガンは「管楽器」である。木管楽器や金管楽器と同じような管(パイプ)が備えられているからだ。だから鍵盤にしても、叩くのではなく、「押す」スピードと「離す」スピードがその音の明瞭さを決めるとも言える。ちなみに、バッハなどのバロック派の曲は、音と音を微妙に切り離すような弾き方をするのが主流になってきているようで、どんなに早い16分音符でも、ある意味「non-legato」の奏法で弾かなければならないわけだ。この練習は、キーボードとパイプが直接つながっているトラッカーオルガンでないとほとんど不可能に近い。電子の楽器で弾いても、キーのタッチまでは違いが出ないのである。・・・最初に書いたように、練習したのが久しぶりだっただけに、自分の指の鈍り具合があきらかで、呆然としてしまった。さて、どうしようかと思案した挙句、ほとんど出来上がっている曲でも、、まず一手ずつ、ゆっくりとパイプから出る音の「タンギング」を耳で確かめながら復習することにした。特に左手が16分音符の連続になると、音がつぶれて聞こえてくる。残響が良いだけに、まるでペダルを踏み変えずに引き続けるピアノのようににごってしまう。粒のそろった歯切れの良い音を目指して注意深く聴いていたら、そのフルート管の音の美しさに魅了されてしまった。普段テクニックに気をとられていかに音を聴いていないか、である。ちゃんと聴いてみれば、さすが本物の楽器なだけに、音も極上なのだ。(電子の楽器ではこうはいかない、残念ながら。)この美しさを楽しまずとただひたすら弾きまくっていたなんて、なんともったいない。自分でその美しさに酔いしれるくらいじゃぁないと、聞き手を唸らせることもできないぞ、と改めて実感した。10時でmusic buildingが閉館になるのは知っていたが、警備の人が来ないのでラッキー♪としばらく引き続けていたら、30分オーバーのあたりでとうとうノックされた。「スタッフの方ですか?」「いいえ・・・あっ、今日は日曜でしたね、早く閉まるんでしたね~」としらばっくれて「今出ま~す」と愛想をふりまいたら、やさしい警備のお兄さんは「よろしく~」とすぐ行ってくれた。ほっ。・・・それにしてもせっかく味をしめたところだったので、もっと練習したかったな。
January 9, 2006
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最近、キリ番を自分で踏んでいることが多いって気付いた。555番も666番も、踏んだのは自分。なんだかちょっとサミシイ気もした。まぁどうでもいいことだけれど。ところで、うちにはメスのインコが二羽いて、最近はすごくケンカをするようになった。といっても、妹分の方がお姉さんにケンカを「しかける」ので、お姉さんは逃げ回る、という図。追い詰めると上に乗ってまるで足で踏みつけるような仕草までする。余りしつこいので、普段物静かなお姉さんもさすがに「やめて~!」という悲鳴をあげるようになった。小さいときはあんなに仲が良かったし、今でも相手の姿が見えないと心配して呼び合うくらいなのに。。。どうしてこうなったんだろう?と首をかしげている。インコについて詳しい人がいたら教えてください。
January 8, 2006
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今夜は新入りのルーミィが夕飯を作ってくれて、それにつられたKorean-Americanのハナが遊びにきた。彼女は元々モスクワのチャイコフスキー音楽院にいたという凄腕のピアノ専攻大学生だ。「どうして戻ってきちゃったの?」とちょっと質問したところ、思いもしなかった幾つものエピソードを彼女から聞くことになった。まず、寮生活だったらしいが、一人一部屋、なんとピアノ付き。そして、練習していると、お隣さんから、"同じ曲"が聞こえてきて、「それはもっとこうだよ」といわんばかりに競争心丸出しでわざと弾いて聞かせるんだそうな。もちろん彼女より早いテンポ、しかも調を変えてみせたりもするらしい。どっちを向いても何らかのコンクールの入賞者ばかりで、そんな中にいても彼女は、レベルの高さに圧倒されつつもやる気がでたんだそうだ。それから、ある隣人は、"ウォームアップ"に、"ショパンのエチュードNo.1~24"を全曲、ノンストップで"毎朝"弾くんだとさ・・・。想像を絶する世界に、私も目が点になってしまった。彼女曰く、ロシア人はmeanでcrazyならしい。それから早起きする人がロシアではほとんど見られず、朝の10時前にはクラスも始まらないんだとか。また、共産党時代のなごりか、国がまだ余り豊かではなく、人々(特に音楽家)は国を出ることやお金を得ることをいつも考えているということだった。そんな過酷な生活環境で2年も頑張った彼女は偉いと思った。精神的にものすごく追い詰められ、「切れやすく」なった自分に危機感を感じて帰ってきたという。何だか考えさせられる話だった。夕食後(なんと10時半)、そんな彼女とうちのルーミィと私の3人で学校のプラクティスルームに向かった。まだ冬休み中とあって入り口が閉まっていたが、中でずっとこもって練習し続けていたクラスメートにハナが電話し、開けてもらった。閑散とした練習室で彼らはチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの大曲をバンバン弾きまくっていた。私自身もちょっと刺激されて、久々に練習に燃えた夜となった。(それにしても・・・ミュージシャンってホント、夜型だよな。。。)
January 6, 2006
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