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〇降雨を兆す雲には、黒色を帯びた重た気な雲と白っぽい雲がありますね。雲の色というのは、雲そのものの色ではなく、細かい水滴や水の粒が集まって出来ていますので、厚みの無い雲は太陽の光が雲の下まで届いている状態で白っぽくみえます。上昇気流が弱いので水滴が少し大きくなると直ぐ落下します。弱い雨がしとしと降り続く訳です。一方、黒っぽい色の雲は積乱雲(入道雲)などの分厚い雲だから、上昇気流が盛んで、水滴は長時間雲の上層部にとどまって大きく成長、上昇気流が弱まった瞬時に、一気に落下するのでどしゃ降り雨になる訳です。
2026.09.27
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〇『天下無双の大人の雑学』を繰っていたら、顔の右半分は「なりたい自分」、左半分は「本来の人柄」という項にぶつかりました。昔の喜劇俳優、落語家・柳家金語楼さんは珍しい左右対称のお顔でしたが、通常、人間の顔は左右対称ではありません。実際に鏡に映して見ればご納得が行くでしょう。右半分は優しい印象、左半分は自身の性格の厳しい面、邪悪な面も表しているようです。交渉ごとの折には知的で冷静でちょっと恐い印象を与える左を見せると良いのでは?
2026.09.26
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〇今朝ゴミを所定地に置いてから自宅への戻る時、天王山に抜きん出て聳えるモミの木の不恰好さを哀しく感じながら、クリスマスツリー状だった樹の上3分辺り丈が残り、その下部の枝がバッサリ21号台風に遣られたことを不思議に思いました。結論は、大きい部分はそれだけ風に吹かれる範囲が広い訳で、その上の枝木は何とか強風を凌いだのだと。そう言えば、大相撲の取り組みでもそれを証明して呉れています。小兵藤の川関は、その対戦相手の9分が自分よりの大きい力士であるにも関わらず、「なぎ倒す」と言う表現を使いたいほど、果敢に相手に挑み、予想を覆して勝利を収めています。彼こそ21号台風の申し子なのかも知れないなんて、軽口を叩いてしまいそう。川のほとりで、大小、いろんな石を時間をかけて積み上げるワザを持った人がいます。重心の探求に秀でた方なのでしょう。各石の重心をとらえ、積み上げてていく手品のような技術。相撲も全て重心の安定度の大小に関わってきます。自己の重心の据え方に長け、勢いと言う武器で叩きのめす、それが藤の川関の戦法なのでしょう。天王山、山頂付近(自玉手祭来酒解神社)近くに聳える樅の大樹を見て、そんな事を思いました。
2026.09.25
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〇古くなったり、廃れた状態を、蜘蛛の巣がはったようなという表現をしますが、蜘蛛の巣は張りっぱなしの糸を補修しながら暮らす女郎蜘蛛を例外として通常は毎日新しい糸と張り替えています。じゃあ古い糸は?古い糸は脚に巻き付け、丸めて食べているのです。粘着力のある新しい糸で、明日の糧を待ち続けるのです。加えるなら、食べた古い糸の95%が新しい糸に変わるので、凄いリサイクル率と言えますね。
2026.09.24
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〇土曜日の8時過ぎの阪急京都線に乗った時のこと、電車の扉が開くと同時に、補助席にサッと座った30過ぎと思しき男性。ああ、現代の都会人は斯くも疲れ切っているんだなと思いましたが、居眠りするわけでもなく、携帯のゲームを熱心に楽しんでいました。またその前日、理髪店の彼に萩の話を始めようとすると、萩って何です、聞いたことがありません。チューリップやヒマワリなら兎も角、萩はきっと今の若い人、小学生すら知らない筈と宣いました。こんな日本に誰がしたのでしょう。先ほどの座席に座した人は別として、今の都会人は疲れ切っているのかな、刹那的な情報しか吸収するユトリが無いのかなぁ~とそら恐ろしく感じました。まずは礼節と日本の歴史そして生きてゆく上で大切な基本的なものを小・中・高の教育で徹底して欲しいなと感じた次第です。
2026.09.23
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〇蒸し暑かったり、車中や室内が暑く感じるとつい手にするのは扇子。扇子の源流は中国のうちわで、日本はこれを真似て棕櫚の一種のビロー樹でうちわを作成。 + +このビロー樹の団扇は少し力を加えると簡単に畳むことができることからヒントを得て、携帯できるよう、薄い木の板を糸で綴じ合わせました。板扇と言ったようですが、これが扇子の始まりなのでした。板扇はさらに改良され、板を細く・薄くし、糸の代りに紙を貼り付けるものが平安期に登場しました。 + + 本来、中国から渡って来たうちわが扇子となって中国に輸出され、中国人がその扇子を欧州に輸出したのでした。日本製のはヨーロッパで人気を博し、扇(セン)は英語のファンの語源になったとも言われています。 + +以前、滋賀県は安曇川に遊んだ折、扇子の骨を作っている家を何軒か見ました。京に運ばれ、雅やかな京扇子となって花街や茶道、華道、舞踊界、そして一般客にも愛用されているのですね。
2026.09.22
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〇秋の気配が日増しに濃厚になるにつれ、落ち着きを取り戻して来た感が致します。秋を彩るものは多々ありますが、一番ポピュラーなものは所謂「秋の七草」。七種類の名前を覚える方法を思いついてから、すらすら言えるようになりました。「お好きな服は?」→女郎花、薄、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩。 源氏物語の手習いの巻には、<垣根のあたりに植ゑてあります撫子もおもしろく、女郎花、桔梗なども咲き初めてゐるのでしたが、色々の狩衣姿の若い男共を大勢連れて、・・・>と書かれていたり、みのりの巻には紫の上の御歌 おくと見る程ぞはかなきともすれば かぜにみだるゝ萩のうはつゆまた桐壺の巻では桐壺帝の 宮城野の露ふき結ぶ風のおとに 小萩がもとをおもひこそやれやどりぎの巻では中の君の 秋はつる野辺のけしきもしのすゝき ほのめく風につけてこそ知れ夕霧の巻では一条御息所の 女郎花しをるゝ野辺をいづことて ひと夜ばかりのやどをかりけんあげまきの巻の中宮大夫の 見し人もなき山里の岩がきに こゝろながくもはへる葛かなそして藤袴の巻には夕霧の おなじ野のつゆにやつるゝ藤袴 あはれはかけよかごとばかりもなどの歌が添えられてあります。少しは雅の世界に浸っていただけましたか?
2026.09.21
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〇15年前の9月10日、長岡京市調子の発掘調査地で、長岡京期の酒醸造施設跡とみられる建物跡や、明智光秀が山崎の合戦で羽柴秀吉を迎え討つために構えた陣城の堀跡などの現地説明会がありました。既に立命館中・高校の移転先となった、元大阪成蹊大の構内に、それらの跡地がありました。市埋蔵文化財センターが発掘した場所は長岡京時代の右京八条二坊七町などに相当しますが、醸造施設とみられる建物の跡や大甕の据付け穴、甕の破片、時代は下って光秀が築いた陣城の堀の跡も発見。そもそもこの跡地からそう遠くない地に「恵解山(イゲノヤマ)古墳」があって、其処から火縄銃の鉄砲玉が発見されているので、納得の行く話です。
2026.09.19
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〇長男に生まれ来て嬉しいことは、ご先祖様を祀るお仏壇と一緒に暮らせ、人々の健勝・治癒を祈念できる事です。日々、先の日の無事などを感謝し、今日の無事・幸せ・事の成就などをお願いし、再びその事を感謝できるから。亡くなった父・母や祖父・祖母などのご先祖様を身近に感じる事ができるから。大雨の後の快晴は素晴らしいですね。そして毎年、秋の彼岸の頃、律儀に咲きだす真っ赤な彼岸花。西洋の巨匠が描いたフレンチカンカンの衣装のような、原色の妖しさに戸惑いを覚えてしまいます。この花がどういう訳か墓地の卒塔婆の周りなどに群がって咲くので、「地獄花」と呼ばれ、忌み嫌われています。また「曼珠沙華」という名は、赤い花という意味のインド梵語です。父の親しい句友で私とも音信のある女性の句、 曼珠沙華斬れば返り血浴びさうでは忘れ得ない名句だと思っています。 金田一春彦さんは、八丈島の宇喜多秀家の事に触れておられ、その墓の近辺にも彼岸花に似たアマリリスが豪華な花を咲かせていると書かれていますが、今も咲いているのかな?因みに宇喜多秀家は秀吉亡き後の五大老の一人で、岡山58万石の太守。関ヶ原の合戦で敗北し、前田家・島津家のとりなしで死罪を免れ、八丈島に流刑の身となりました。福島正則公の廻船が八丈島に漂流した折、ひとりの老人が福島家の旗印を見つけ、広島から運んでる、それらの酒を所望したとか?
2026.09.18
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〇平安貴族に愛された紅花の濃染めは、後年、経済の崩壊につながると禁じられたので、着物の裏地や襟元から少し覗かせる工夫をいたようです。身の丈五十センチ余もある京保雛の十二単。その襲の見事な事。みちのくの女にとって、妖しい赤いきれはどんなに小さくても大切、まして紅花染をや。最上川を下り、日本海、敦賀、琵琶湖を経て京・大坂へ運ばれた紅花。袱紗や風呂敷にも応用されました。紅花売り商人は代わりに京土産を持ち帰ったとさ。摘んだ紅花は籠のなかで揉み洗い、筵に並べ、上からも筵をかぶせ、三日寝かせます。朝昼晩、三度如雨露でたっぷり水をかけ発酵させるのです。それを擂鉢にて砕き、木綿の袋に入れて一夜水に漬け、今度は灰汁を入れると真っ赤に。藍を加えると、緑、紫、赤紫、青紫と自在に豊かな色彩が生まれます。父の親友だった新関一杜氏のふるさと。紅花生産地の故か、お雛様も山形では盛んです。
2026.09.17
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〇加齢が進むと心配になるのは認知症。そこで趣味と実益?を兼ねてカラオケの知らなかった曲や新曲へのチャレンジに力を入れています。以前は真木ことみさんをそこそこ覚えましたが、最近は川野夏美さんや椎名佐千子さん、杜ことみさんや入山アキ子さんや田川寿美さん等々。川野「カクテル」 、三代沙也可「東京ひとりぼっち」、竹川美子「流氷海峡」、亜蘭「半夏生」これらの曲は本人が歌っているものよりも、AIを使い、流麗なピアノ伴奏付の別物の方がずっと音楽的で迫力満点。AIは高音になればなるほど凄味が出ますが、優しさには欠ける感じ。米倉ますみ「望郷恋唄」、田川寿美「女人高野」入山アキ子「江差恋女」「シアワセをありがとう」杜このみ「湯けむり情話」「郷愁おけさ」「残んの月」「夕霧港」真木ことみ「旅路川」「もどり舟」、岡田しのぶ「なみだ望郷風岬」。椎名佐千子「恋勿草」「いごっそ海流」「丹後なみだ駅」「君津・木更津・君去らず」など。ファルセットやセリフ言い回しが好評の長岡京の出て来る細川ガラシャ「お玉」や「おつう」、ファルセットを効かせる「それからの港町」「いのち陽炎」などが持ち歌です。(写真は堀川丸太町西、「ふるさと」)
2026.09.16
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〇初代新七を失って4年も経たない内に、52歳の若さで2代目新次郎が没した高島屋。5男2女を抱えて途方にくれる未亡人歌子、26歳の3代目らと毛利元就の3本の矢に倣うことにしました。木綿の仕入れは長男直次郎。帯地類担当の鉄三郎は血の滲む努力と根気で織屋から直接仕入れる道を開拓しました。高島屋にあった店歌 雲井に高き 比叡の山 小波寄する琵琶の湖 雪の曙 月の夕 ああ、麗しき国近江そしてこの秀麗の地を出でて 建てし心は高島の~~江戸時代の理想の商人象として 主人は大坂、女房は京都 番頭は江州、蔵番は長崎 小僧は江戸とされていました。 粘り強く、全国津々浦々まで足を延ばす近江商人、高島屋は、この根性で地道に発展を遂げるに至っています。
2026.09.15
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〇桂の小学校に上がった時分、すぐご近所に2階建ての倉庫のあるお家がありました。姉と一緒にそのお宅に伺い、主のおばあさんの了解を得て倉庫の2階へ上がり、暗闇の床にいっぱい落ちているレッテル、醤油だったのか、清酒だったのか、ワインだったのかそれは記憶にありませんが、いろんなレッテルを拾い集めて宝物として姉が大切に持っていました。また姉たちは飴玉やキャンディのセロファン包装紙の皺を指で伸ばし、大切にしていたように思います。 男の子の宝物と言えば、先ずはメンコ、そしてビー玉、独楽と紐。私の場合は愛車であった柄の付いた足蹴りのスケート。何処へ行くにも、このスケートに片足を乗せながら駆けていたような記憶があります。冬近くの夕方、路面には自分の身長とスケートの柄の影が妙に長く伸びて映っていました。
2026.09.14
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〇某日、サザエさんの母フネさん役の声優がお亡くなりになりましたが、「磯野家の謎<サザエさん>に隠された69の驚き」(東京サザエさん学会編)を繰ると緊張が解れてきます。磯野家のトイレは71冊のうち、11カット登場し、古い家に4つ、新しい家に3カ所もあります。推定によれば、波平54歳、フネ48歳、サザエ27歳で、フネさんは後妻だったと思われるなど、この本では肌理細やかに調査しています。独身時代のサザエは典型的なアプレ・ゲール(放恣・退廃主義)、男女同権を主張していたものの、男っ気は皆無。波平の趣味は釣り、囲碁、清元、盆栽、骨董。フネは長谷川一夫のファンで時代劇映画大好き。サザエは推理小説、カツオは俳句・短歌、ワカメは算術には弱いけれど、童話を書くことに秀でています。+戦後の貧しい暮らしから次第に豊かな日本へと成長してゆく世相を会話や服装、調度品などから読み取れるのがサザエさんの魅力なのでしょうか。ところでわが家の場合、一緒に出かけた回数から割り出すと、亡父は長姉に宝塚歌劇の良さを、次姉には映画の魅力を、そして私には歌舞伎という舞台芸術の粋を学ばせようとしていました。波平は出世主義でなく、人間として心豊かに暮らすことを重んじた人物像として見えますが、ステテコ姿の、あの禿げ茶鬢と亡父とが、私の中では重なりあうのです。
2026.09.13
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〇京の町家で生まれながら町家の暮らしを知りません。余りにも幼かったので記憶にないのです。しかし、父方の祖父・祖母に会いに行く時は、京都銀行本店の真裏にある借家まで出向き、春休み、夏休み、冬休みには寝泊りしました。借家は心なしか右側に傾いているように見えましたが、造りそのものは頑丈に出来ていてビクともしません。道路に面する部屋は”店”と言って、木綿製品を並べたり、客の応対をする場所でしたが、戦時中に廃業していましたので、今や祖父夫婦の居間でした。奥には二階へ上る階段、食事をする居間があって、その正面は台所で井戸もあれば水甕もありました。階段の下は富山の薬箪笥のように物容れになっていました。その又奥の部屋は寝室兼仏間で日中は暗い部屋でした。縁側の向こうには小庭と厠などがありました。台所が比較的明るいのは天窓があったからでしょう。布袋さんが並んだ荒神棚もありました。店の真上に当たる二階は屋根裏部屋で、殆ど物置き場になっていましたが、後年、叔母の手で綺麗な部屋になっていました。犬矢来、虫籠窓、紅殻格子、ばったり(ん)床几なども懐かしい造りでしたが、今はありません。 近頃はこの京風の町家がリフォームされ、画廊や喫茶店や和装小物の店などに再利用されていることは喜ばしいことですが、出来るだけ”本物”の京ものを販売して欲しいなぁと思っています。光の明暗がくっきり浮かぶのは空気の澄んだ秋。入日も風情があるし、ほんのり橙色の灯火の入った町家も心を落ち着かせることでしょう。
2026.09.12
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〇白百合が綺麗に咲く季節になりました。世界中におよそ80種類。日本には15種程度。『古事記』や『日本書紀』にその名が記され、『万葉集』にも10首詠まれています。茎が細いのに大きな花をつけるので、風に揺れ易く、その「揺れる」から「ユリ」と称されたのでしょう。 中国語ではユリを「百合」と表記し、それは根の部分が幾つもの鱗茎の球根になっているから。多くの鱗片が重なり合っている形態から百合の漢字を割り当てたようです。 宝塚歌劇団46期生には、甲にしき、古城都、上月晃らがトップになりましたが、同期生の玉梓瑠美、新入研究生の紹介号で選び、密に応援していましたが、確か~白百合学園出身者だったと記憶しています。
2026.09.11
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〇私は今でこそ普通の背丈ですが、高校生になるまでは成長が進まず、朝礼の並び順番は前から2、3番でした。一番辛いなあと思ったのは散髪屋に行った時です。小児は小さいので補助の板を渡しますが、実は私の場合もその処置をされました。只でさえ高所恐怖症なのに・・・椅子から落ちないかと踏ん張っていたのでした。 小学校の正門前には時々ひよこや手品を売りに来ていました。細長い鉄製の棒をポケットに入れたかと思うと、10円玉が出て来る。また別の子供のポケットに突っ込んでは新しく10玉が湧いて来る不思議な手品。この勢いで10玉が増えたらおっさんは金持ちになる筈なのに・・・といぶかしんだりしていました。籠に入れられる小鳥以外は動物を飼うことを許さない父でしたので、ひよこも手品も只見るだけにしていました。後日、小学校近くの中学校に入学した時、古墳で怒鳴った人が先生の一人だったので驚いたのでした。 同じ社宅の諒一君は同学年だったので、よく遊びました。彼は背も高く、私よりは積極的だったので彼をリーダーとして言われるままに野球や将棋やプロレスごっこをして遊びました。彼の家の飼い犬は尻尾が無残にちょん切ってありました。獅子にも引けを取らない強い犬になるのだとか?あんまり皆で可愛がったものだから、二タ月もしない内に死んでしまいました。遺体は敷地内に埋められましたが、後日その辺りの植物の生育が抜群に良く、うす気味悪い気がしました。
2026.09.10
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〇安価なノートパソコンでは思うように変換できず、難儀したことが再々ありました。 で、清水義範著『日本語がもっと面白くなるパズルの本』には、「ワープロ誤変換実例集」なる頁があって、+地方公務員 → 痴呆公務員(一部には懲りないそういう人もいるが)変動為替相場制 → 変動買わせそう罵声(なるほどそうなっていたか)煙草は二十歳から → 煙草は畑地から(自家栽培してはいけません)農用地整備公団 → 脳幼稚性尾行団(かなり困ったストーカー?)応接間 → 逢瀬妻(官能小説向け変換例)研究学園都市 → 研究が食えん都市(学者が暮らしにくい町)巨人対阪神 矢印巨人大半死んだ(’97はそのとおり)出来次第発送 → 溺死大発想(どんなことを考えようというのか)入会金 → 乳解禁(トップレスOKということ)会社概要 → 会社が異様(そんなら入社したくない)今夜も愛をさがして → 紺屋も藍をさがして(商売だもの当たり前)結婚披露宴招待状 → 血痕疲労炎症退場(怖い結末が待っていそう)という具合に、清水さんが頭の中で思いつかれた熟語を組合せ、この一文をしたためられたものと思われます。+お題をいただけたら、いろいろチャレンジできそうですね。皆さんも時にはこういう言葉遊びをどうぞ。
2026.09.09
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〇生まれたての赤ん坊や生後一か月の乳児を見ていると、牛乳瓶一本の食事で、よくおあんなに手足を動かし続けるもんだなと感心してしまいます。忙しい時など。食事を摂る事にも面倒臭さを覚えたり、無の心で食事していた事も。最近は、家内が用意してくれた食事を目の前にして、このように、当たり前のように食べるものが得られ不思議さを思わないでもありません。米やパン粉を作る人々、野菜や魚を提供して下さる人々、私たちの口に入るため、命を捧げてくれたお雑魚や牛や豚、鶏・・・。 雑食の人間ですが、その犠牲になる生きものから見れば、さぞや恐ろしい、鬼の形相の人間ども・・・・。「箸とらば・・・父母の恩」確か~グリークラブ在籍中の合宿で食事の都度、こんなフレーズを耳にした事が・・・・。
2026.09.08
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〇最近、電車や市バスにて日本人や他国の人々から、席を譲っていただく事が多くなりました。時には、虫の息のような、明日をも知れない不安をいだきながら出かける事もあって、ご好意を感じる一方、自分がそれ程老け込んで見えているのかと案じないでもありません。それでも、実は私なりに努力している事があります。例えば阪急電車や市バスの席に座っている人々の中で、凭れず背筋を張っている人は一人程度。でもこの努力と心の持ち方に依って、のちのち大いな差異をもたらせる事でしょう。外出中は背もたれに凭れず背筋をピーンと張る見栄を通す事。もう一つ、歩く速度の急激な低下に気づいていて、自分より年上と思しき人々に追い抜かれ、追い越される事実。これではいかんと、意識を歩く事に集中して、出来るだけ美しく、迅く歩く努力をしています。
2026.09.07
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〇京都府乙訓郡大山崎町の天王山山麓にある宝積寺の十一面観音さまの話題です。聖武天皇の行幸に際して、流されていた山崎橋を架け直す工事をしている折、川の流れの勢いに、なかなか捗らない時、一人の老人が工事に加わり、水際立った働きをしてくれたお蔭で無事橋を架けることができたので、村人がその後をついていくと宝積寺の本殿辺りで姿を見失いました。そこで本殿に立っておられる十一面観音の裳裾に触れてみると、明かに濡れていました。ああ、あの老人はこの十一面観音さまの化身だったのだと村人は感謝し、爾来、「橋架け観音」と呼ぶようになりました。 ところで、私が一番美しいと思う十一面観音さまは、近江の国は渡岸寺の観音さま。<鶴林寺のそれに較べると、いかにも貞観時代の豊満さ、むっくりとよくふとった足の指、右足をふみだしたひざの肉、それにくきっとひきしまったウエストのくびれ、ほどよくはりきったおなかに、美しいくぼみをみせたこのまろい腹部の、なんというあったかさ、うるわしさであろう。おもわず頬ずりしたくなるような十分の蟲惑をひそめ、見事な充実を示す腹部は、女ながらも眺め入って飽きない。>とは随筆家・岡部伊都子著「観光バスの行かない・・・」(新潮文庫)にある感想です。
2026.09.06
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〇数年前、加茂さくらさんの妹・加茂みどりさんのお誕生祝にゆっくり回転しながら色が次々変わる地球儀の飾り物をプレゼントしました。 その後、図書館から借出した中の1冊に地球儀に触れている文章を発見しました。平面的な地図では北方、南方が巨大に拡大される不便さや、ラグビー球の形に表記した等積図法の地図も頭の中で継ぎ足さなくてはならないので不都合。そこで團伊玖磨さんは専門店のリブルーグル社に出かけ社長、専務の案内でショールームに入られたそうな。 国別に色が強調して変えてある政治区分地球儀 山や谷のでこぼこが鮮明な地球儀 渋いクラシック調の色合いの地球儀 中に電灯が点くプラチック製の地球儀等大小いろんなサイズの地球儀が展示してあって、最大級の直径81.2センチのものは90万円。團さんはさんざん迷った挙句、直径50.8センチ、中に電灯が点き、木目の美しい果樹材の木枠製の、政治区分と海流が鮮やかに描かれた逸品を買われた由。なおインターネットでリブルーグル社、地球儀で検索されたら、幾種類もの地球儀がお分りになりすよ。
2026.09.05
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〇春夏秋冬、季節によって選者が異なりますが、掲題の歳時記は虚子の目を経ていますので、数ある歳時記の中でも範に足る優れた歳時記と言えましょう。不思議なことに、6,700頁に及ぶ分厚い書でありながら、頒布価格表示がいずれの書にもありません。また鈴鹿野風呂先師の師でもあった穎原退蔵先生も監修メンバーのお一人だから、実に詳細を極めています。芭蕉やその弟子、その後の俳人の季節の捉え方に起因した歳時記だと思われるので、俳句の王道を歩む者には、「寄らば大樹」と評せそうな歳時記に間違い無さそう。父の愛読書とも思われます。
2026.09.04
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〇果たせそうで果たせていないのが”風の盆”の見物です。高橋治氏の小説と亡父すばるの俳句によって、伝統的な八尾の盆行事、影絵のような男舞い・女舞い、空の暗さと奔流する水音・・・などが既に脳裏にインプットされているのですが・・・ 風誘ふ手振りとも見ゆ風の盆 風の盆権現立ちの男振り 風の盆反り身で決まる女振り 暮れんとす空濃く濃く濃く風の盆 天界に風の盆あり戻りバス平成5年にすばるが詠んだ”風の盆”30数句の一部です。
2026.09.03
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〇夏と言えば何杯もの麦茶を喉に通しますね。私の酷暑バージョンの必須グッズは予めペットボトルに3分の1ほど麦茶を入れ、凍らせた中に冷やした麦茶を足したもの。それプラス、厚手のタオルハンカチに水道水をじゅくじゅくにしたものをビニール袋に包んでカチンカチンに凍らせたものを、別のタオルハンカチに包んで持ち歩きます。 ところで昭和40年代には確実にあった麦を炒った麦茶は何処へ行ったのでしょう。煎じているとあの香しい匂いが厨中に充満。それを冷やした麦茶は心の飢えを癒すものでした。もうひとつ、青臭いトマトは昭和40年代には、ほぼ無くなっていました。現在は種類も豊富で極暑を乗り切る手頃な野菜。でも、あの青臭いトマトへの郷愁は断ち切れないのです。
2026.09.02
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〇1974年(昭和49)12月発刊の季刊誌「銀花」(第20号)には「らんぷの美」という特集が載せられています。 いつも睨むランプに飽きて三日ばかり 蝋燭の火にしたしめるかな 石川啄木観光地での土産物屋のちゃちなランプと違って、明治の御世を照らしてくれたランプには言葉で表わせない風情というか重みがありますね。そこにはあらゆる才知と努力が塗り籠められた燈火の道具。ライオンが飛びつこうとしているシルエットの赤地のランプうす青地に薄い白地の横線の並んだランプ金魚鉢そっくりの形をしたランプ黄土色地に龍や花模様のランプ昔懐かしい電灯の笠を逆さにしたような緑美しいランプ白地に草模様を彫り込んだランプ切れ込みがあって所々隙間のある華奢なランプ実にいろんなランプがあるものですね。秋の夜長はランプで演出するのも一考かと・・・・。
2026.09.01
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〇大阪城天守閣に蔵されている宝物に混じって、浪速のことも夢のまた夢と詠んだ太閤殿下の手紙が保存されています。宛名はまんところ殿つまり正妻のおね様。<返々、久しく御訪れなく候まゝ、心もとなく候て申しまいらせ候。懇ろに返事待ち申し候。こなたは、再々雨降り候て、道悪く候。敵八州に持ち申す城五つまではこれなく、早、城々百ばかり取り申し候。五つの城も大たわら(小田原)はじめて城を渡し申すべく間、命を助け候へと申し候へども、なかなかとりつき候物も曲事(者)の由申しつけ候間、誰々もけよう申さず候。いよいよとめでたき左右申すべく候。この間は、文にても申しうけ給はり候はず、御ゆかしく候まゝ、申しまいらせ候。そなたより御訪れなく候まゝ、御心もとなく思ひまいらせ候て、わざと筆を染め申し候。又申し候。大政所殿・そもじ・若君・小姫・金吾息災に候や。大さか殿も久しく。 政所殿 てんか最後の4行を解り易く直すと、<このところ、そちからの手紙が来ておりません。そなたの手紙が久しくないものですから、心配になって筆を染めました。母上大政所様、そなた、鶴松君、養女の豪姫(又は信雄の娘おひめ?)、小早川秀秋(のちに関が原の戦で西軍から東軍へと裏切った人物)も達者でいますか?この小田原の戦でも先に城を建てておきながら、前面にある林を伐り取って、一夜の内に出来たと思わせたり、一晩の間に白壁が出来ていたと思わせたけれど、それは白い和紙を貼り付けた秘策とも。遥か大阪に居る正妻へ宛てた手紙には家族への秀吉の気遣い、優しさが感じられますね。
2026.08.30
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〇2007年9月20日の日記では<寝室の出窓から眺める天王山の稜線に、ひときわ抜きん出る大樹が見えます。視力のコンディションが良くない時など、恰も天文観測所の円形建物にすら見えてしまうほどの出っ張り具合です。ガイドの折、天王山山頂近くの酒解神社本殿前にあるこの樅(モミ)の樹は30メートルほどありますと説明していますが、大山崎近辺よりも、少し離れた長岡京地区から眺めた遠景の方がより鮮明に見えるのです。 まるでクリスマス・ツリーのような形をしたこの樅の樹と天王山との取り合わせを一つの絵画として季節の移ろいを愉しんでいます。天王山に限らず、京都へと向かう西山山系の頂きにも大きな樹木が時折抜きん出ているのを目にします。>と書いていますが、新関西空港、大阪地区に爪痕を残した2018年の台風21号で見るも無残な姿に変貌しました。もう僅かしか残っていないわが寿命では、あの素晴らしいツリー形は目にすることができません。
2026.08.29
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〇在籍していた頃の日記ですが、大山崎ふるさとガイドの会では、外に出る学習会と室内で行う学習会を各班の輪番制の割り当てで実施しています。例えば6月19日は1班の現地学習で「鳥居前古墳見学」、7月18日の2班室内学習は「日本神話と酒解神社」そして3班の現地学習は9月18日の「平安京創生館」見学と元本能寺界隈探訪、といった具合で、12月18日の1班の学習会は「ご神領を守った大山崎惣中の智恵」と題して過去67枚に及ぶ「禁制」の幾つかを採り上げ、勉学したいと思っています。特に明智光秀公が信長公を襲ったと聴くや早々に明智の禁制を莫大な寄贈と引き換えに手にし、また、秀吉公が「中国大返し」で姫路を目指していると聴くや即刻羽柴秀吉公の禁制を掌中にしてご神領内を守りました。
2026.08.28
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〇東の隣家との境には酔芙蓉や白夾竹桃、時計草などが一角を占めていますが、その陰に抜きんでいる十本ほどの茗荷、先日家内が折よく見つけ、かそけき花の咲いているのを一つ摘んで来、昨夜の薬味として味わいました。高橋治著『くさぐさの花』の「茗荷」からそっくり引用すると<どこかで、柿と茗荷は仲が良いという文章を読んだ。拙宅に毎年休まず実をつける柿の木があって、勤勉さに感嘆していたのだが、どうも茗荷の側面援助らしい。・・略・・そもそも庭に植えたのは、韮、大蒜、辣韭、匂いのするもの一切御法度の父が、茗荷だけは大好物だったからだ。父が出張に出かけると、それっと、母が韮の味噌を作ってくれる。母子で賞味して首をすくめている。・・・略。 * 茗荷掘る市井の寸土愉しめり 西島麦南 人しれぬ花いとなめる茗荷かな 日野草城迂生食うばかりに精出して、とても花を楽しむ大悟には程遠い。> ショウガ科の多年草、日影を好む。春の若芽を茗荷竹、晩夏に根元から出るタケノコ状の花穂を「茗荷の子」と言って、共に食用。ランに似た淡黄色の花。
2026.08.27
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〇神前でお祓いをする時、必ずや榊をお供えしますね。なら、どうして榊は神聖なのでしょうか。古事記を繙けば、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時、大御神を岩戸から誘い出す為、 イホツマサカキ天の香具山の五百筒真賢木を根こじにこじて、多くの枝に八咫鏡、勾玉、木綿や麻布をかけ、岩戸の前にかけたと記されています。日本人が古来より崇める神は、透明で目に映らないので、 ヨリシロ神様の拠り所となる依代に降臨して戴きます。天照大御神の依代として五百筒真賢木が立てられています。このことから真賢木が神聖な境の木として考えられました。この境の木が神に関係の深い木ということで木偏に神を充てて、サカキと読ませ、神に捧げる木の意味を持たせるに至りました。 なお伊勢神宮などで用いられている榊はツバキ科の常緑樹でマサカキと呼ばれるもの。長楕円形の先が尖った葉には光沢があって、ギザギザがありません。近畿以西に自生します。(参考図書:瓜生 中著「神社と祭り」)
2026.08.26
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〇大山崎山荘に因む加賀正太郎の叔父、加賀豊三郎の集めた蔵書庫が東京都立図書館内にある「加賀文庫」(洗雲亭文庫)で、凡そ2万4千点を数える貴重な収集品が所蔵されています。その目録を木版刷りのものに纏めたのが『洗雲亭清賞』で、戦前における木版印刷技術の最高水準を示す美しい書物で、表紙などには京都竜村に特注した布を使用、装丁も凝っているとか。題字等は清浦奎吾・市島春城、序は徳富蘇峰という著名人が参画しています。例えば『箔の考』山東京伝自筆・・・深川生れの本名岩 瀬醒。浮世絵を学び、黄表紙の画工を皮切りに 黄表紙の作者に転じました。谷文晁の直筆画・・・”なんでも鑑定団”でお馴染み。柳亭翁雑録・・・『偐田舎源氏』の著者、柳亭種彦の日記や雑録2冊。元は3代目種彦(高畠藍泉)が所蔵していたものです。画工歌川国貞と一緒に隅田川花やしきへ出かけた様子など。『南総里見八犬伝』曲亭馬琴自筆。あの壮大な物語の稿本。全9輯106冊の大作は、その執筆途中で馬琴は失明、一子宗伯の未亡人お路に口述筆記させ、完成まで28年もの時を要したようです。図書館だから、ここで挙げきれないほどの貴重な文献の集積庫なのです。
2026.08.25
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〇明治以降の画壇の巨匠の一人、横山大観画伯は、その名の通り、雄大な風景と荘厳な世界を遺しました。東京美術学校(現東京芸大美術部)の一期生として入学し、岡倉天心の薫陶を得、菱田春草らと新しい美術の先駆者として努めました。昭和33年に享年90歳で没したのですが、彼の脳を保存しようと医師たちが働きかけ、執刀した医師によると、その脳は60歳前後、重さも平均値を越え、動脈硬化の兆候さえ無かったようです。大観のほか、夏目漱石や斎藤茂吉らとともに東京大学医学に脳が保存されているようです。(参考図書『日本史「その後」の謎』・雑学総研)
2026.08.24
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〇花押には草名体、二合体、一字体、別用体、明朝体の種類があって、能書家と言われた藤原行成のような柔らかな書体や王と義を組合せた二合体、実名の一字だけから成る平忠盛の花押のほか、時代と共に複雑化したものまであるようです。足利一門は、三十四代・義輝、その次の義昭の二人を除けば、初代の尊氏の花押からそれほど変わらないものを踏襲。信長を翻弄した義昭公は五度も書体を変更。一方疑り深くならざるを得なかった信長公は七種類の花押を残し、のちは天下布武の印に。信長公から一字貰った長政(旧賢政)は「長」の字を右に倒した花押を作りました。勝海舟公の花押は信長公五度目の花押にそっくりな花押にして居たり、三好某の花押はまるで水鳥そっくり、徳川歴代将軍は慶喜公を除けば、家康公の書体を忠実に守っています。また明治から昭和に至る政治家や文豪、画家なども花押を愛した人たちでした。
2026.08.23
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〇長岡京市の図書館では、最近一度に10冊も借り出せるシステムになっています。家内が借り出した8冊のうち、先般話題にした日本手ぬぐいの他、新名史典編『洗浄と殺菌のはなし』・・・画像に あるように、汚れが落ちる仕組みや菌とウイ ルスの違いなど解り易く解説。 汚れの判断 と洗剤の選び方など親切に解説。 ベニシア・スタンリー・スミス著『ベニシアの庭づくりノート』・・・黒谷友香さんの「お庭つく ります」という番組はとても楽しい。同じ雰 囲気の書物、左頁に画像と解説、右頁は自由 に書き込めるメモ・ノートになっています。 新津春子著『1か月に1回物を動かせば家はキレイになる』・・・掃除と片付けとのバランスや、 整理どきのポイントなど。いずれも親しみやすい書物です。
2026.08.22
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〇縦15センチ余り、横11センチ、厚味3センチほどの紙のケース(表にはトランプのダイヤのQ、箱の裏面は柳川、沖ノ端の風景写真)に容れられた北原白秋の抒情詩集。これは明治44年6月5日、東雲堂書店から90銭で発刊されたものを彼をこよなく誇りに思う野田宇太郎氏が昭和53年2月15日東京堂筑後柳川版として復刊されたもので、<この書物は故郷柳河を生涯愛した詩人北原白秋を永久に記念するため、日本郷土文芸叢書の趣旨により柳川市に於てのみ発売するものである。>という但書きが付されています。頒価1500円。白秋自身がカット絵を施した、実に洒落た詩集です。亦<この小さき抒情小曲集をそのかみのあえかなりしわが母上と、愛弟Tinka Johnに贈る。>とTonka Johnのサインをしています。Tinka(ちんか)=小さい、 Tonka(とんか)=大きい、John(じよん)=坊ちゃんという意味の筑後全般の方言のようです。 序のページ数はローマ数字で表記、9頁の<わが生ひたち>に始まって、序詩からはアラビア数字表記に変えています。骨牌(カルタ・トランプ)の女王・・・11編断章・・・・61編過ぎし日・・・20編おもひで・・・19編生の芽生・・・36編TONKA JOHNの悲哀・・・19編柳河風俗詩・・・4編酒の黴・・・・・25編其の他18編など2百編以上網羅されています。大切にしたい贅沢な詩集です。
2026.08.21
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〇NHK大河ドラマ「光る君」が現代人に解り易いようなタッチでお茶の間に届けられていたので、往時にも女性が職業婦人として活躍しておられた史実が生ま生ましく感じ取れますね。文学にみる『日本女性の歴史』(吉川弘文館)の中の、黒田弘子さんの『女性職人の活躍』七十一番職人歌合の論評を見ると、「職人歌合」なる史料が鎌倉期に二点、戦国期が二点残されていて、戦国時代の七十一番職人歌合には、 右:ー紺掻koukaki 壺こうの只一しほのそら色に 光そへたる秋の夜の月 shikama左ー機織hataori 飾磨川逢瀬もいつとちぎらぬに あながち人の恋しかるらん前者の歌意~一度だけ染汁に浸して染める一しお染 のそら色が秋の月夜に映えて美しい。後者の歌意~いつ逢いましょうと約束したわけでは ないのに、何故あの人が恋しいの?これらは働く女性を観て、貴族たちが詠んだ歌なのです。男女比は男百三人、女性はその約四分の一の三十四人。第一グループに 縫物師、機織、紺掻などの衣料関係第二グループは 魚売、米売、豆腐売、素麺売など食品関係第三グループには 炭売(大原女)、灯芯売などの日常生活物資第四グループは 白物売などの化粧関係第五には、 白拍子や巫などの芸能関係さてさて驚くなかれ、亀屋五位女という女性は帯座の座頭職というトップの座に居ましたし、布袋屋玄了尼という後家さんは、扇の販売の専売権の半分を掌握していたという事です。更に宣教師ルイス・フロイスは、日本では妻が夫に金を貸して利息を取っていると記述していて、中世の女性たちが自己の労働の主人公であり得たことを証しているのです。
2026.08.20
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〇ほおずきには二通りあって、植物のほおづきと巻貝の卵のうからできた海ほおずき。後者は何の加工の必要もなく、クリーム色または赤紫色のもので、神社の夏祭の夜店でも売っていて、しょっぱい味覚と鳴らせ易さが特徴。盂蘭盆が近づいて来ると大型スーパーでは盆用品が大々的に積み上げられますが、そのグッズの一つに茎ごと売り出される「ほおずき」が挙げられます。父が勤めていた職場の社宅は二十坪ほどの敷地に客間、居間、台所、洋間、和室がありましたが、子供部屋の濡れ縁から正面に見る黒塀の前に、この時期ならダリアやカンナが咲いていて、そばに鬼灯も毎年彩りを見せていました。緑色と赤、オレンジ色の織り成す鬼灯は視覚的にも黒塀によくマッチしていました。赤く色づいたものをちぎり、萼を除いた実の部分を掌に包み、辛抱強く袋が破けない程度に優しく揉みます。実の皮越しに幾つかの種が泳ぎだす頃合を見て、楊枝を使い、実の中から種を取り出します。種は甘酸っぱい味がしました。揉むことによって浮遊した種は容易に取り出せますが、全ての種を取り払っても、最後の軸になる部分を小さな穴から抜き取る工程が大変なのです。荒っぽくやると穴が壊れてしまい、これまでの苦労はすべて水泡に帰してしまいます。穴の状態を警戒しながら、軸の部分を取り出すのです。見事取り出せたら、これで鬼灯の完成です。 口の中に含み、穴の部分を唇に押し当てながら、舌を巧みに使いながら、ほおづきの中にある空気を押し出し、鳴らせるのです。やはり姉たちは殆ど失敗もなく上手に取り出し、私より三十分も早くから鬼灯を鳴らしていました。夜店などで買った鬼灯は一周り、二周りも大きく、種を巧く引き出せた後は、音色も大きく、喜びも一入でした。
2026.08.19
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〇今朝は火曜日、燃えるゴミを出す日。軽い傾斜がありますが、起床後2時間足らずでは心臓への負担を感じ乍ら捨てています。その復路、東側の建物(ご近所のご居宅)の陰が随分延びてきて、私の身体がはみ出ないことに、ふと気が付きました。週に2回もあるのに・・・・。起承転結の転になる訳ですが、昔の人は時間に急かされ事が少なかった筈で、たっぷりとある無駄な時間に頭脳を巡らし、新たな発見、法則を手にしたのではあるまいか?人間一日の持ち時間は等しく(明暗はあれど)、公平に享受しています。無駄な時間を無駄に過ごすか、試作や、散歩、或いは実験等に費やすかで、その人物の一生に中味の濃淡の差が生じて来るように感じます。星座や太陽の位置の変化から古代の人々は一種の法則を導き出しました。わたし達はその恩恵の中に、生かせて貰っている事を忘れないで居ましょうね。
2026.08.18
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〇「ヤバイ」という言葉が新旧両方の意味で使われ、同時に飛び交う局面に居たとすれば、理解する側は大変。古語でも「なかなか」という語は、中途半端、なまはんか、かえって、とうてい、かなり、その通りという具合に時代によって意味が変化しています。全然という単語もつい最近までは否定的な意味を持つ言葉を誘引する使い方が主流であったものが、程度を表わす用法となって肯定の言葉を伴うようになりつつあります。平成10年3月第3版発行の鈴木棠三著『日常語語源辞典』(東京堂出版)は父が亡くなる1、2年前に購入したと思われますが、俳句を嗜む者として言葉の語源を知っておくべきと父も考えていたのでしょうか。鈴木棠三氏は中世から近世の庶民生活風俗研究家のようで諺や語源に明るい人。興味あるジャンルの書を沢山書いておられます。太古の頃に生まれた言葉が万葉、平安、鎌倉…と時代を経て表現が直されたり、或いは埋もれてしまったり、逆に新語として根付き現代に及んでいるなど、言葉の歴史が日本歴史の一面を物語っているようです。幸い、この本は五十音順にならべてあり、愛敬、相槌、敢えて、青、あかぎれ…と続き、田舎、稲妻など、どれ一つをとっても面白そうな内容です。俳句という十七文字の芸術・文学に身を置く者として、日本古来の言葉を知ることは、いわゆる温故知新を地で行くものと思われます。毎日少しずつ味わってみる積りです。
2026.08.17
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〇1995年に発刊された大沢在昌著『天使の牙』が裏面にあることでこの新聞の切抜きシリーズ「こども俳景」も時代が解りました。鈴鹿呂仁「京鹿子」主宰や坪内稔典氏らと京都新聞の紙上俳句の選者である岩城久治氏の玉梓に触れることができました。シリーズは21回続いています。祭、遠足、父の日、梅雨、螢、七夕、水泳、祇園祭、盆、炎、地蔵盆などが各表題で、いろんな例句とそれにかかわる文章が快く届きます。例えば「水遊び」では片山由美子氏の 水遊びする子が庭にひとりきりご自身の句 ひとり子の遊びいきなり浮いて来いまた吉田成子氏の 木漏れ日の衰へはじむ水遊び最後にまた 一夜経し水生臭き浮いて来い 久治でこの項を締めておられます。
2026.08.16
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〇小学校や中高生の時はクラスメートの名前を覚えるのが早い方だったと思っていますが、哀しいかな、今や覚えることよりも、記憶から呼び戻すことに難渋しています。おそらく脳内の海馬という組織の衰えに拠るものでしょう。それはさておき、目的地に辿り着くまでに、阪急電車や京都市バスにのる道すがら、対面に座っておられる人や傍に立っておられる人のお顔を見て、即座に、直感であだ名をつけてしまいます。例えば、阪急の河原町駅下車寸前に見たお嬢さんは、はっきりとした両目を持っておられた美人→ツタンカーメン。あの黄金の人面の棺にそっくりだったから・・・。また、市バスの上品な老婆さんは、動物のアルパカ、その後ろのやや鉤鼻の高齢さんは魔法つかい。もうひとり、六角形の輪郭をお持ちの老婆は、元阪神タイガースの小山投手似、山鉾の龍紋といった具合にです。
2026.08.15
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〇亡父の新聞の切り抜きにある高橋治さんの文章。挿絵は色鮮やかに風間完氏。宝物にしたいような素敵なシリーズで大事に仕舞い過ぎたから、今となっては所在不明。さて以下にある本文は全てわが拙文です。 祭笛吹くとき男佳(よ)かりける 橋本多佳子 普段パッとしない男だが、紺色の浴衣を着て、首をかしげるように一心不乱に祭笛を吹く様は、男の色気を感じさせる。 顔寄せて団扇のなかの話かな 下田 実花 寄り合いの席や夕涼みの縁台に並んだ女性同士の秘密めいた話。表情が隠れてしまって尚更気になる内緒ごと。 身にひしと乙女の頃の水着着る 赤松 恵子 脂肪がのった身体に無理やり通した水着。ひしとの一語に女性の覚悟のほどが表現されている。 手加減のなき夫のあと泳ぎ行く 成田 清子 男の身勝手さをよく捉えた句。 単衣きりりと泣かぬ女と見せ通す 鷲谷七菜子 夏浴衣の女性は美しい。日本の女性は栄養が足りているのか、欧米並みにグラマーな体形になった。残念なことに、着物はズンドウに近い、細身の小柄な女性の方が似合うとは皮肉なことである。 籐椅子の飴色の艶離れの間 吉田 星子
2026.08.14
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〇鯔(ぼら、いな)に背と書いていなせと読みますが、広辞苑をひきますと、<一説に、江戸日本橋魚河岸の若者が髪を「鯔背銀杏」に結っていたところから粋で、いさみ肌の若者やその容姿、気風を言うとあります。 さて1975年の季刊「銀花」第二十三号の特集には印伴纏・江戸庶民の旗印と銘打って、粋な伴纏を数多く載せています。纏に伴うものとして町火消しの揃いの伴纏から始まり、職人、商人たちに至るまで、印伴纏は、江戸八百八町を屋台骨のところでぐんと支える人たちが掲げた旗印でした。祭り用は神輿、鳶職はそのまま纏、乾物屋には萬、漁師なら大漁、材木屋は山垂れに木、獅子舞なら渦紋に朱色の獅子、大工の司の中がト、 ヲトコ料理屋の蓴菜など主力は黒地に白抜の紋が漢ぶりを増しますね。
2026.08.13
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〇大昔から日本人の暮しの中には籠がありました。子供の頃、母に代わって市場への買い物には買物籠を提げて行った記憶があります。山仕事に携わる人々には背負い籠が無くては生活が成り立たないでしょう。蔦などの植物の蔓で編んだ籠は雨に濡れても重くはならないし、乾きも早い。その上、籠に弾力があるので身体に馴染み易く、入れたものも傷みません。或る写真集にはアケビの実が詰めてあるものや蕨などが入った籠が写っています。海浜に於いては魚を、畑にあってはピーマンや南瓜など・・・。整然と並んだ編み目の美しさ。ぎっしり編まれた籠にはいろんな模様さえ組み込まれています。子供の頃には、竹を編んだ大きな籠に鶏を入れて育てていた光景もありました。そう言えば、祇園祭鶏鉾の浴衣の柄は竹籠の模様でしたね。
2026.08.12
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〇先日の西陣産業会館での吟行会場で句友が1冊の本を見せて下さった。縦11センチ、横15センチ、幅1センチほどの小冊子「俳句吟行用語集」杉本直猪偏(博文社)、ケース入りですが、先ず吟行用語として施設部門では *神社・仏閣・教会・城郭・港湾・船舶・道路橋・鉄道・町・学校自然部門では *山・樹木・海・波・河川・滝・湖沼・野原・空・鵜飼・漁・島・住居・厨事・茶事・風呂出湯・花火・便りなど文法的用語として *詠嘆・限定・添加・程度・禁止・否定・推量・断定・反語・その他、擬音や擬態語など全て網羅されています。例えば「町」でも *城下町、武家町、寺町、門前町初め、十字路、交差点、街頭、老舗、花舗、書肆、茶房、画廊、昇降機、夜店、苗木市、陶器市、羽子板市などなど。 *例句も適宜添えてあって頗る便利な手帳でしたから、アマゾン経由で安く手に入れました。
2026.08.11
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〇十二支をテーマにした推理小説として「十二支殺人事件」(山前譲編、天山文庫)によれば、 *子・・・「ねずみ穴」泡坂妻夫丑・・・「牛に引かれてお礼まいり」赤川次郎寅・・・「人食い虎」遠藤周作 *卯・・・「うさぎさんは病気」仁木悦子辰・・・「切手収集事件」中町信巳・・・「蛇の環」高木彬光 *午・・・「幻の馬」皆川博子未・・・「二匹目の幸せな羊はいま」新羽精之申・・・「踊る手なが猿」島田荘司 *酉・・・「東宮鶏」日影丈吉戌・・・「白い騎士は歌う」宮部みゆき亥・・・「イノシシを買いに来た男」斎藤肇 *と言った作品が挙げられ、また、今西錦司著「自然と山」(筑摩書房)には、子ノ泊山(三重、907m)、牛松山(京都、627m)、虎子山(滋賀・岐阜、1181m)、赤兎山(福井・石川、1629m)、竜門ケ岳(奈良、904m)、蛇谷ケ峰(滋賀、901m)白馬山(和歌山、958m)、羊蹄山(北海道、1893m)、 *猿ケ山(富山、1448m)、鶏冠山(滋賀、491m)、犬伏山(広島、791m)、白猪山(三重、620m)など記されているとか。
2026.08.10
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〇紺のれん 吹く秋風になよなよと しるした文字も柳屋の 香う楊子がすんなりと 銀杏娘の立姿 あはす両手や白魚の 指も切りましょ願いごと 観音様へ願かけて そっと見上げるまなざしは 江戸紫の藤の花 娘千両色ざかり<お家取り潰しで町娘になったお藤の話。浅草寺の境内には大銀杏があって、仲見世や茶屋の看板娘を銀杏娘と呼んでいました。浮世絵師・鈴木春信のモデルにもなった美人でした。花見の頃に酔っ払いに絡まれたお秋という娘を助けた時の、投げの見事さに、江戸界隈で評判の娘になったとか。小唄の歌詞の語調が快いのは、七五調になっているからです。私も調子の良い日は、朝から晩まで鼻歌やリズムに乗って生活しています。
2026.08.09
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〇中川弘文著『小倉百人一首と古川柳』によれば、クスッと笑いが込み上がってきます。 鶯も蛙も鳴かぬ小倉山『古今集』の仮名序に、やまと歌は、人の心をたねとして…略・・・花になくうぐひす、水にすむかはづの声をきけば・・・>とあるのに、百人一首には、鶯の歌も蛙の歌が一首も無いと揶揄しています。 <秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇 庶民の生活を気遣われた天皇の御歌から 百人のかつゑぬやうに詠みはじめ <春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 持統天皇お二人の和歌を参考に詠んだ川柳が 干すは夏ぬれるは秋の御製なりでは 花の色はうつり替りて卒塔婆なりと川柳が皮肉ったのは <花の色はうつりにけりないたづらに わが身よにふるながめせしまに 小野小町昔の人は教養が深かったゆえ、このように詠めたのでしょう。
2026.08.08
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〇河出書房新社編集部による『かわまぬ手ぬぐい百科』はこれどもかこれでもかと懇切に日本手ぬぐいの至便性と江戸気質の「粋」、恰好良さについて手を抜かずに説いてあります。ハンカチの代わり、風呂敷の代用品、頭のかぶりもの、布巾・塵除け、下駄の鼻緒、ショール・肩掛け・前掛け、日除け、ランチョンマット、壁掛け美術品、鉢巻、ネクタイ風、半分をおしぼり(暖・冷)、応急手当(血止め)、手ぬぐい運動、アイロン掛けの焼け防止、おしめの材料、雑巾、そしてハタキの材料・・・。小粋でお洒落センスのある小道具としていろいろ使い勝手のよい切れとして是非お手元に。
2026.08.07
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