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このブログはあまり読者が多くありませんが、それにしてもマスコミの横暴さは目にあまります。先日、下記のような記事をTECCMC's BLOG(但馬救命救急センターのブログ)で目にしました。-----------------------------------------------------4月23日 マスコミの人間に心はあるのか 本日,京都府亀岡市で悲しい事故が起こりました.当ドクターヘリも出動し対応しています.検証されるべき事項は沢山ありますが,1つの命をすくい上げようと誰しもが全力をしくしました.結果,望まない終末になることもあります.その後のご家族の心のケアには人として,医療者として十分な対応を心掛けております.当然,院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております.もちろん必要があれば病院から情報を伝えます.しかしながら,マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました.再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず,一番大切にしたい瞬間に,ズカズカと土足で割り込んできました.ご家族,医療者,関係者の心情を考えられないくらいマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか.このブログが多くの方に読まれていることは十分に存じ上げております.だからこそ敢えてここで述べます.------------------------------------------------ どう感じるかは人それぞれです。「それが仕事だ」という人もいるでしょう。マスコミの一部の人間の行動かもしれません。ただ、各々の記者は、各々が各自の新聞社の看板をしょっていることを思い起こしてほしいです。このような記者の行動を許している大手マスコミの品位が問われていると思うのでした。
2012.05.01
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4月もはや末となり、連休に入ります。大型連休とれる人たちも多く、この時期はhead&neckもやや予定手術が減り、体を休めることができます。 現在head&neckの病院の耳鼻咽喉科医は9名。部長は院長補佐に昇進し、現場のことは8名で回していますが、これは地方の大学病院なみの人数です。以前、マグネットホスピタルの話を書きましたが、その傾向が顕著に表れた結果だとは思っています。ただ、いつまで続くかはわかりません。世間では医師は高給取りとのイメージがありますが、決してそんなことはありません。とても満足とは言えない報酬で過酷な仕事量をこなしていることは間違いないので、いつか心が折れてしまえば人がやめて行ってしまう危険は常に隣り合わせです。 生臭い話はなるべく避けたいのですが、自分たちの正当な値段はいくらくらいだろうと仕事量から考えることもあります。世間一般のサラリーマンから比べるとやや高めの給料ではありますが、仕事の内容や拘束時間を考えると、世界の他のどの先進国の医師よりもはるかに低い報酬で我慢しているのが日本の勤務医です。かつて留学していたイタリアの医師は、個人差があるものの我々のおよそ3倍の給料をもらっています。カナダでは年俸制でやはり同程度の優秀な医師は億を超える年収があるようです。彼らに言わせると、日本人はそんな安月給で医師を続けているなどクレイジーだという話が返ってきます。 先日、とある科の優秀な医師と話をしているとき、自分たちのベストパフォーマンスはどれくらいまで続くのかという話をしました。外科系医師が何となく感じていることは、やはり50歳までが現役のピークだということです。合理的に考えると、この時期の医師の報酬を増額してもらうと現在のような立ち去り型の勤務医断念は防げると思うのですが、日本の土壌として、人に金をかけることは極端に少ないので、おそらくは我々が現役のうちは変わらないだろうという結論になりした。 そんなつもりはありませんが、もしhead&neckが院長になったら、やりたいことは職員の給与の改善です。患者サービスや医療器材の充実も重要ですが、それよりはスタッフが満足できるだけの給料を払いたいと考えるのでした。
2012.04.28
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4月も半ばを過ぎ、いろんな職場に新人が配属になっててんてこ舞いです。head&neckの職場では、これまで長い間がんばってくれたS医師が公立病院の部長に栄転し、代わりに3名の新人を迎えました。1人は医師13年目、あと2名は3年目の若い医師です。これでスタッフは合計9名となりました。市中病院で9名の耳鼻科医を抱える病院は数えるほどしかありません。大所帯となって、指導する側にも色んな注意が求められます。 医師が医療さえしていればよかった時代は過ぎ、現在はチーム医療が全盛なため部下の医師だけではなく看護師、技師、ヘルパーなど、多種多様の職種に対する指示やアドバイスはもちろん、新しい医療機器の選定、業者との交渉、電子カルテの仕様、ホームページの更新など、一昔前にくらべると事務作業の増大が明らかです。特に一つの医療行為をするために必ず書面での説明を求められるようになり、書類仕事が膨大になりました。カルテを電子化することで手書きの労力は省略されていますが、それ以上に必要書類が増えているため、勤務時間の中で書類作成に取られる時間は増えています。 新人、特に医師になったばかりの若い人たちは、こういった書類仕事を鼻歌交じりで無造作にこなせるようにならないとなかなか医師としての仕事ができません。たとえば外来で一人手術を組めば、それに伴って術前検査、CT予約と同意書、麻酔の同意書、手術の説明、同意書、入院診療計画書、入院指示書、手術申込書が発生します。これを要領よくこなさなければ次の患者さんを診れません。あらかじめある程度のひな形は作ってありますが、どうしてもケースバイケースである程度は手入力になりますから、これらを覚えてしまわないと、次の患者さんを診るまでに何十分もかかってしまうのです。長い間やっていると、ひな形から修正するべき場所が頭に入っていますから数分あれば処理が済みますが、最初のうちはなかなか大変です。どの職場、どの職種でもある程度こういったことはあると思いますが、4月になると、毎年医療事故が増えるのは不慣れなシステムになじむのに時間がかかるということがあるかもしれないのです。中には、「それは医療には許されない」などということを言う方もいますが、それであるならば医療のみに集中できるシステムにしたいものです。ところが厚生労働省と保険局、はたまた世論まで、「インフォームド・コンセント」を大事にしなさいという指導が来ていたりします。 こういった矛盾を抱えつつ、医師としてのスキルを上げてゆく努力をしなければならないので、今の若い先生たちは大変です。技術を身につけるまでの時間が長ければ長いほど、医師として活躍できる時間は短くなるわけで、長い目で見ると決して世の中のためになりません。医療行政側や報道、世間の人たちにも、この辺の難しさを分かってほしいと思うのでした。
2012.04.17
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head&neckの病院では敷地内禁煙を実施しています。他の病院でも敷地内禁煙は院内規則として施行されており、世の中の流れのひとつではあります。喫煙撲滅派の努力によって、日本での若い医師の喫煙率は徐々に下がりつつあるようで、学会によっては喫煙を禁じているところもあります。ここ数年で、レストラン等も禁煙、分煙が進み、法律の後押しもあって公共の施設や、私立の場所でも不特定多数の人間が集まる場所は原則禁煙というのが常識となってきました。これ自体は悪いことではありません。喫煙者にとっては形見が狭いのでしょうが、煙草を吸わない人からしてみれば不快に感じる方も多いでしょうから、正義は禁煙派にあります。病気という面から考えても、喫煙は体に悪いのは常識です。冷静に判断すると肺ガンの発生率にはデーター上やや疑問が残りますが、COPDなどの肺疾患や喉頭癌にかかる人のほとんどが喫煙者であることは明白です。ただ、副流煙による健康被害に関しては信用はできません。禁煙派が根拠にしている論文内容をたとえるならば、1人乗りのエレベーターの中で副流煙をめいっぱい吸い込んだ状況でのデーターで、人間燻製状態であり、これでは病気になるのが当たり前です。実際実地臨床をやっていても副流煙が原因と思われる癌患者は見たことがありませんから、結局は直に喫煙している人が一番被害を受けていることは間違いなさそうです。 一方、お酒の害も明白です。こちらは、煙草よりもはっきりと因果関係があります。飲酒機会の多い人ほど下咽頭、食道癌になりやすく、脂肪肝、肝硬変も惹起し、さらには依存症の問題も生じます。煙草には無い酩酊状態を作り出し、健康だけでなく泥酔での事故や障害を起こすことがあるので取り締まりの対象となっているほどで、考えようによってはこちらの方が社会的損害は大きいのではないかと思われます。しかし、世界的に煙草ほど厳しくいわれないのは、個人差が大きいこともありますが、その昔のアメリカの禁酒法時代の教訓等もあるのでしょうか。「どんなに禁止しても結局人は酒を飲む」のだそうで、節度ある飲酒を推奨する方向に向かってるのが世界の流れです。とはいえ、やはり道を外れる飲み方をする人は多くいようではあります。 個人的な考えとしては、どちらの規制もほどほどのところがよいと思っています。人は正義には惹かれ逆らいませんが、寄り添うことも少ないというのが実情です。喫煙も、飲酒も、それを楽しみとする人がいれば受け入れる寛容さが必要なのですが、昨今の世の中、他人を許すという行為が徐々に失われて来つつあると思うのでした。
2012.04.10
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かなりブログの訪問者が減ってまいりました。実は訪問者が増えると書きたいことがなかなか書けないのですこしブログから遠のいていた面が否めません。ブログを書き始めてからおよそ5年ですが、後半3年はほとんど更新していませんでした。この間にまたいろいろとネタがたまってきています。 3月も終わりに近づき、世間は送別会の季節です。head&neckの職場からも一人去り、そして4月には3人の仲間が入ってきます。朝夕はまだ寒く、気候は冬のようですが、職場の雰囲気は春に確実に近づいています。 この3月いっぱいで転勤となったS医師は、5年もともに働いた仲間でした。まだ研修医のころからhead&neckが教え、昨今では目を見張る上達ぶりで、手術の腕は県内1.2を争うまでになった感があります。head&neck自身も、彼がいると安心でかなり楽をさせてもらっていたことは事実です。そんな優秀な医師は引く手あまたなので、ついに医局に目をつけられてしまいました。県中部の基幹病院の部長として白羽の矢が立ったのです。 彼のより一層の活躍のためには良いことなのですが、技術的にも自分の分身であった医師を失うのはつらいことではあります。先日、彼の最後の勤務の日に送別会を兼ねて寿司屋に行き、言葉を交わした時に印象に残ったのは彼の眼の光でした。言葉はいつもの会話でしたが、目がさみしさを物語り、こちらの目も同じさみしさを返す。そういう送別会は久々でした。 さて、去年は地震が来たり、陛下が入院したり、時代は流れていきます。head&neckもほろほろと気まぐれにブログの更新を再開します。たまりにたまったネタを吐き出そうと思います。 とはいえ、頻度はお約束できませんが、医療のこと、日々のこと、いろんなことにまた思いをはせようと思うのでした。
2012.03.27
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2012年となりました。まったく更新しないままあっという間に1年が過ぎるとは、日々の早さを痛感します。ネットの世界もブログからツイッターやフェイスブックに主流が移り、最近ではhead&neckはもっぱらフェイスブックを愛用しておりますが、ブログと違って過去ログがみづらいのが難点です。たまに訪問してくださっている皆様には、ご無沙汰して申し訳なく思っていますが、私からの情報発信の場としてこのブログは残しておきたいと思っています。本年が皆様にとってもすばらしい年でありますように。
2011.12.31
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2011年となりました。皆様あけましておめでとうございます。更新にムラのあるこの不定期ブログ、いまだに読んで下さっている皆様には感謝します。 私生活と、仕事の忙しさだけではなく、文章を書くにはある程度のモチベーションが必要で、これが盛り上がったときにはやたらたくさん更新するのですが、なんとなく下がっているときにはなかなか文章自体が思い浮かばないものです。そうしてみると、小説家や、新聞記事なんかでも文章を生業とするかたがたの苦労は微量ながら想像がつきますね。どの仕事もなかなか大変です。 今年はhead&neckにとって、どんな年になるのでしょうか。代わり映えのしない一年になるのか、大変革がおきるのか。予想はつきません。皆様にとっても2011年が良い年でありますように。 本年も宜しくお願い申し上げます。
2011.01.02
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先日、head&neckの同期の医師が開業することになり、そのお祝いを兼ねて久々に同期会をしました。head&neckの学年で耳鼻科に入局したのは6名で、そのうち5名が男性と、当時の耳鼻咽喉科の医局にしては豊作の学年と言われました。耳鼻科医は5年も経つと、一般的耳鼻咽喉科疾患は一通り診れるようになります。もちろん専門性の高い分野の手術や、特殊な疾患についてはまだまだ経験が必要ですが、病院の外来でさえ来院される患者さんの9割は5年目くらいまでの知識でこなせるのです。head&neckが医師になったころは今のような臨床研修医制度は無く、いわゆるストレート研修で、6年目の夏には条件を満たせば専門医試験が受験できました。この専門医の資格を取ったころから医師個々の方向性が出てくることが多く、耳専門、腫瘍専門、はたまた開業志向と、それぞれの医師の今後の人生の使い方を考える時期でもあります。当然もう少し時間が経ってから決定する人もいますし、医師になった時からすでに開業を考えている者もいます。ただ、一般的な傾向としては耳鼻咽喉科の医師は6、7年目から10年目前後で自分の道を決めることが多いようです。 そうしてみると、同期の開業は15年目と、決して早いほうではありません。開業に必要な資金は借金ですから、その返済と年齢等を考えるとぎりぎりの決断といえるでしょうか。彼はもともと手術は余り好きではなく、小児耳鼻科を専門としているので、開業しても患者さんには事欠かないのと、大学病院での自分のやりたい医療と現実のギャップに戸惑って開業したというのが本音のようです。 それにしても、医局にこれまで残って勤務医として働いてきた同期5名、15年も経つと同じ耳鼻科でも専門は全く違います。head&neckは癌、A医師は耳手術と顕微鏡手術、B医師は腫瘍遺伝子研究、C医師は市中病院の一般耳鼻科、そして開業した小児耳鼻科と、それぞれが微妙に重なりつつ、得意分野は全く異なったものになりました。 勤務医でいる以上、専門の異なる同期がいるのは心強くて、一人減るのは寂しい限りです。5年後、10年後には自分たちはどうなっているのか、ふとそんなことを考えたのでした。
2010.12.03
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お久しぶりです。明日から12月、師走です。今年も残すところあと1ヶ月となりました。最近新聞の社会、芸能欄では、某歌舞伎俳優が暴行を受けた件が紙面を賑わせていますね。ことの経緯はhead&neckにとってどうでも良いことなのですが、気になったのは顔面の外傷を負って、東京の病院で手術を受けたという報道の内容です。以下、2010.11.30サンケイスポーツより抜粋です。自分を殴った犯人に逮捕状が出た29日、●●●●●(32)は東京・港区の総合病院で顔面整復手術を受けた。 関係者の話を総合すると、手術は午後5時ごろから2時間半ほど。左目の下の陥没骨折部分の修復と、殴られて顔の空洞部分にたまった血液などをメスで取り除くもので、耳鼻科部長が執刀した。術後は顔が腫れるため10日間の入院が必要で、その後は自宅療養しなければならず、完治には6週間かかるという。 詳細については不明だが、世田谷井上病院の井上毅一理事長は「海老蔵さんが受けた手術は、上顎洞(じょうがくどう=眼球の下にある空洞)の根治手術が中心と思われます。頭蓋骨(とうがいこつ)を軽くする機能を持つ顔の空洞部分に、殴られて血液がたまってしまったのでしょう。そのまま放置すると化膿(かのう)してしまうので、それを取り除く手術です」と説明。「形成外科医や眼科医が立ち会った可能性もあります」と語る。 気になるのは、市川家伝統の「にらみ」ができるようになるまでに、どれくらいの期間を要するかだが…。井上理事長は「私も歌舞伎をよく見に行くのですが、『にらみ』は両目を内側に寄せたり、斜めに動かしたり、かなり目の筋肉を使う。今回の手術と目の部分も殴られたことを考えれば、少なくとも1カ月半から2カ月はかかるでしょう」と指摘する。うーん。一般の方が誤解するといけないので、まず顔面外傷の治療について簡単に説明します。人間の顔の骨の中には副鼻腔という空洞があります。頭蓋骨を軽くするとか、声の反響をよくするとか色々と役割はありますが、構造上そうなっていると思ってください。このうち、ほっぺたの中の上顎洞と呼ばれる部分が一番大きく、他に篩骨洞、前頭洞、蝶形洞があります。顔面を骨折すると、この空洞も一緒に骨折しますが、一番問題になるのはこの空洞ではなく、眼窩といって、目玉を入れている窪みです。目玉には眼球を動かす筋肉がひっついていますが、これが上顎洞や篩骨洞に飛び出したり、骨折部分に引っかかったりすると眼球は左右対称に動かず、ものが二重にみえます。したがって、骨折の治療だけではなく、眼球の周りの修復も必要になることが多いのです。残念ながら、この分野の専門家は日本国内には少なく、head&neckの知る限りでは数名です。ちなみに、head&neckの病院の先生がこの分野の日本の第一人者で、日本全国から紹介患者がやって来ます。「左目の下の陥没骨折部分の修復と、殴られて顔の空洞部分にたまった血液などをメスで取り除くもので、耳鼻科部長が執刀した。」とありますが、この部分はまともに読んではいけません。上顎洞の中の血液など自然に排出されて滅多に感染は起こしませんし、左目の下の陥没骨折というのは恐らく上に述べた眼窩壁骨折で、これをブローアウトといいます。恥ずかしい話で、専門家が極めて少ないため耳鼻科医が片手間に治療して後遺症が残ってしまう症例が非常に多く、手の施しようがなくなってから当院へ紹介される症例も散見されます。この分野に関しては、日本の耳鼻科医の多くが勉強不足と言い切って過言ではありません。 報道は不完全かつ不勉強な内容でしたが、それでもそこから察するに、恐らくこの歌舞伎俳優の「にらみ」は簡単にはなおりません。(自慢でなく、早い段階でうちの病院に紹介されれば別ですが) 梨園の至宝が、医療情報の不足でその輝きを失おうとしていると危惧するのでした。
2010.11.30
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さて、前回の更新からしばらく時間が過ぎ、気がつけば11月も半ばです。 このところ、head&neckは色んな資格試験の受験やら講演やらであちこちに出かけ、ばたばたとしていました。普段はもっぱら病院で診療をする毎日ですが、一生懸命やっているからなのか、はたまたそういう年代なのか、最近は医療以外の勉強会や学会で講演する機会が増えてきました。 一口で学会発表といっても、いくつか種類、というか難易度があります。まず、医師になって誰しもが最初にする学会での経験は、一般演題の発表です。これは、地方・全国にかかわらず学会が開催されるときに公募されるもので、申し込めばほぼ誰でも発表することができます。もちろんその学会に所属していなければなりませんし、ある程度学会のテーマに沿ったものであるのは言うまでもありません。例えば耳鼻科の学会で整形外科の発表をすることはありませんし、内容はそれなりにup-to-dateなもので、何年も前から分かっていて珍しくないようなものに関しては学会本部からお断りを受けることがあるようですが、少なくともhead&neckとその周囲の医師で断られたというのは聞いたことはありません。 次に来るのが海外での学会発表でしょう。head&neckが初めて外国で発表したのは台湾での国際学会でした。この発表はポスター演題といって、自分の発表内容をポスターにして会場の定められた場所にぺたっと貼り付けるだけなのですが、国際学会の場合はまず間違いなく英語での内容です。この作成に四苦八苦しますが、出来上がってしまえばあとは気楽なものです。ところが、たまに学会場でうろうろしていると目ざとく発表者を見つけて質問を受けることがあり、いきなり英語で聞かれたりして、どぎまぎすることもありました。幸い、過去数回のその経験は何とか乗り切ることができました。 少し勤務医としての経験年数が増えて、それなりに発表もこなしていると、頼まれごとの講演が入ってきます。最初は、小さな研究会の教育講演とか、違う分野の人たちの前で分かりやすく専門分野を紹介するという内容が多く、これにはそれなりの経験とアドリブが求められます、時間も学会の一般発表の10分程度のものとは違い、1時間前後しゃべらなければなりませんから、それなりに内容のボリュームが必要になってきます。若い頃は専ら聞くほうでしたが、最近この類の仕事が多く、準備に苦労したりします。 だんだんと年をとるにしたがって、仕事の種類が変わっていくのは仕方ないことですが、これもまた医師の責務としてこなしている今日この頃なのでした。
2010.11.15
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先日まで、ほんのりと恋のお話を書いていましたが、気がつけばずいぶん間が空いてしまいました。10月は依頼講演が3件、学会の座長が1件、学会発表が1件とアカデミックな仕事で忙しく、更には合間に癌の手術が数件入っていて息継ぎがなかなかできなくて申し訳ありません。 忙しいと、ネタが貯まるので、今の状態がひと段落つけば、またおもしろいお話が書けると思います。現在、ラッシュで仕事をこなしています。 ところで、head&neckと同じ留学先に留学されていた先生のブログを発見しました。ずいぶんとお若いのですがしっかりされていて、自分よりも地に足が着いた勉強と留学ライフを過ごされていたんだなあと感銘しました。 懐かしいイタリア国内や、ピアチェンツァの写真もたくさん載っていてうれしかったです。専門的なことはともかく、イタリアの写真だけでも見る価値があります。よろしければ一度ご覧下さい。URLはhttp://acousticneurinoma.at.webry.info/です。私のお気に入りにも登録させてもらいました。 では、また。
2010.10.19
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手紙の名前に、見覚えはありませんが、苗字はよく知っていました。そうして、思い起こすと、彼女の母の名前であることがすぐに分かりました。 アパートの自分の部屋に入り、封書を開けると、彼女とよく似た几帳面な字で書かれた手紙と、さらに別の封書が入っていました。 前略、OOさま あなたと面識はございませんが、あなたのことはずいぶんと娘から伺いました。いきなり居なくなって、さぞ戸惑われたことでしょう。この手紙を出そうか、ずいぶん迷ったのですが、娘の希望もあり、ペンを取りました。 私の娘は、あなたのところからこちらに帰ってから、1週間で天国へ旅立ちました。 病名は急性骨髄性白血病と言うのだそうです。 大急ぎで治療をするべく、こちらの大学病院へ、そちらの病院から紹介状をいただいたのですが、息つく間もない出来事でした。 娘の葬式も過ぎ、遺品を整理していると、あなたへの手紙が出てきました。 歯茎や、鼻から絶え間なく出血している最中に、これを書いていたのだと思います。私たち家族でさえ、ほとんど病院で付き添いもできなかったほど状態が悪かったのに、あの子が唯一残したのはあなたへの手紙でした。 母として、女としてこの手紙はあの子の父と兄には見せずに、あなたに送ることが正しいことだと信じています。 娘を愛してくれてありがとう。 なにも考えることができぬまま、今度は彼女が書いた手紙の入った封書を手に取りました。宛名の部分に私の名前が書いてあり、封はしてありませんでした。 OOさん。 わたしが突然いなくなってびっくりしていることでしょう。あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。 今、私は実家の近くの大学病院に入院しています。ここは無菌室で、透明だけど波打っていて外の景色が良く見えないビニール製の衝立に覆われています。私はいまこの2m四方の空間から一歩も外に出られないのです。 何から話せばよいでしょう? 1月のはじめから、どうも体調が悪くて、いつ病院にいこうか考えながら過ごしていました。実は、あなたとの最後の日の少し前に、私は何度か近くの病院に行って、検査をしてもらっていました。しょっちゅう熱が出たり、生理の血が止まらなかったりしていたので、不安だったのです。あの前日、私はあなたの大学病院に紹介状をもらっていました。最初の先生は、もしかしたら治療が必要な病気かもしれないとおっしゃっていたので、ある程度覚悟はしていました。 病院にいくや否や、担当の先生からすぐに家族を呼ぶようにお話をされました。たまたま私の兄が名古屋に単身赴任していて、すぐに来れる状態だったので連絡をつけました。 兄が車で到着するまでの間、いくつか追加で緊急検査をしました。骨髄穿刺や再度の採血、心電図、レントゲン、尿検査などです。ここまで書けばあなたにはもうお分かりのことと思います。 兄と二人で先生から受けた病名告知は、「急性骨髄性白血病」でした。それも極めて急速に進行しており、即刻の入院治療を勧められたのです。その時には、もう私は長く生きられないことがわかってしまったのです。 兄は、私の両親と連絡をとって、いろいろと短時間で検討した上、とにかく実家の近くで治療することになりました。先生も、入院したらしばらく出れないかもしれないし、家族が近くにいるほうが良いと、すぐに紹介状を書いてこちらの病院に連絡をつけてくれました。 兄に、あなたのことを話し、とりあえずあなたの部屋にある私の日用品を持って行くのを手伝ってもらいました。大学病院に行く前から、なんとなく私はもう駄目なような気がして、さらには病気のことを言うとあなたと一緒にいる時間がなくなるような気がして、黙っていたことを許してください。あなたの部屋に断りも無く兄を入れたことを許してください。そして、突然いなくなってしまう私を許してください。 いつもあなたと行ったあの店の前を通ったとき、ふとおかみさんの顔が見たくなり、少しだけ挨拶しました。あなたが好きだった海老のマヨネーズソースとトマト、最後に作ってあげたくなって、机の上に並べておきました。時間が無くて、あれだけしかできなかった。 多分、私の命が残り少ない事を知って、神様はあなたに逢わせてくれたに違いありません。私の命が無くなるその瞬間まで、いいえ、天に召されてもあなたを愛しています。 いつもいびきかいて寝てたね、大好きだった 神経質そうに眼鏡を拭いてたね、大好きだった ご飯食べるの早くて、いっつも私が食べ終わるの待ってたね。 宵っ張りの朝寝坊で、ぎりぎりまでベッドから出なかったね。全部全部、大好きでした。大好きです。 あたしがいなくなっても、ずっとずっと元気でいてください。 忘れないよ、忘れない。 あなたが話してくれたあなたの実家のそばの公園の桜、見に行ってみたかった。いつか一人でも誰かとでも行ったら、ほんの少しだけ私を思い出してください。 愛しています。----------------------------------最後のほうは、涙で目が曇って読めませんでした。そんなふうに、私の恋はおわったのです。今でも、彼女の面影はありありと私の胸に浮かび、風化しない笑顔とともに私の中で生き続けています。最後に一度だけ彼女に言いたかった。愛していますと。
2010.09.27
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私は、あまりにも唐突な状況に戸惑い、うろたえ、おびえ、悩みました。 冷静さはどこかに消え失せてしまいました。もともと彼女が住んでいたアパートに急いで行ってみても、真っ暗で鍵は閉まっています。私は彼女の部屋の合鍵は持っていなかったので、中を確かめる方法はありませんが、少なくとも人のいる雰囲気は全くありません。 夜も遅いというのに、彼女との共通の友人数名に電話をしました。今のようにメールのない時代、夜11時をまわり、迷惑この上なかったでしょう。相手が寝ぼけ声の状態が4人目くらい連続して続いた時だったでしょうか、ついにあきらめてその日に電話で探すのはやめました。 とはいえ、眠れるわけもありません。いてもたっても居られなくなり、近場で彼女と行ったことのある場所は全て捜しました。公園、街中の遅くまでやっている飲み屋、海辺、彼女の好きだった道端の桜の木・・・・どこにも痕跡はありませんでした。 一睡もしないまま、夜が明けました。翌日も、大学はありましたが、ちょうど解剖学の実習はほぼ終了し、後は講義のみを残す状態となっていたのは幸いでした。とても勉強は身に付きません。講義終了と同時に大学を飛び出し、あてどなく彼女を探しました。 解剖学の試験が近かったので、勉強しなくてはならなかったのですが、とても手につきません。教科書や過去問を開いても数分すると上の空で、気がつくと時間だけが過ぎ去っていました。彼女がいなくなった日と、前日の様子を何度も何度も、どこかにヒントがなかったか思い起こしては否定し、また思い起こすということが続きました。結局私が最も気になったのは、「体調が悪いから病院へいく」という彼女の言葉「男の人と一緒だった/しばらくこれないと言っていた」というおかみさんの言葉「永遠に愛しています」という彼女のメモでした。 最初は、彼女が病院にかかると言ったので調べようとしましたが、何処の病院を受診したかさえ分からず、さすがに、学生で何のつてもなかったのでこれを調べることはできませんでした。すると、おかみさんが言っていた言葉が気になります。 男の人と一緒で、しばらく来れないと言うことは??もしかして他に好きな人ができたのだろうか?そんなそぶりはなかったし、このところ忙しくて一緒に出かけはしていませんでしたが、少なくとも一緒に暮らしていた様子を思い出してもそんな様子はなかったし、それにあんなメモを残すはずもない。じゃあ親に強引に見合いでもさせられて連れ戻されたのだろうか?それならしばらく来れないと言うのも納得が行く・・・ 思考は、止めどもなく続き、眠れぬ夜が続きました。解剖学の試験は散々で、見事に追試験にかかり、気分転換もできぬままに惰性で勉強をして追試を受けました。進級なぞ、どうでもよくなっていました。 3月の初め、解剖学の追試の発表をみて、ギリギリの成績で何とか及第したことを知ったその翌日、私のアパートの郵便受けに、一通の封書が届いてました。もう少しだけ続きます
2010.09.24
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その日、私はいつものように夜遅くまで実習室にこもり解剖をしていました。人気の少なくなった夜10時ごろ、そろそろ切り上げて同級の仲間と軽く食事して家に帰ろうと大学を出ました。 学生の行く外食店はいつの時代も安くて量が多いお店です。今でもはっきりと覚えているそのお店は、長崎から出てきたご夫婦がやっている定食屋で、ご飯とみそ汁はお代わり自由でした。遅い時間もやっているので、仲間たちはかなりの頻度でこの店を利用し、おかみさんは私たちの顔をしっかりと覚えている方でした。 私は、仲間と一緒の時も、彼女と一緒の時もよくこの店で食事をしました。この夜、お店に入ると、おかみさんが私に走り寄って来ました。「あんたの彼女が夕方に来たよ。なんでもしばらく来れないって言っていたけど。どうかしたのかい?」「え?全然しらないけど・・・何時頃ですか?」「ええと、5時過ぎだったかね。男の方と一緒だったけど。」 私は不安になり、食事もせずに店を飛び出しました。急いでアパートに戻りましたが、電気は消えており、人のいる気配はありません。鍵を開けて、部屋の明かりをつけました。 もちろん、彼女の姿はありません。 たくさんあった彼女の荷物も、全て無くなっていました。 いつも使っていたテーブルの上に、私の好物メニューの夕食が並べられていました。 その横には、彼女の字で一言だけ書かれた小さなメモが置かれています。「永遠に愛しています」 彼女が持っていたアパートの合鍵は、郵便受けに入れてありました。次回に続きます。
2010.09.24
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大学2年の2月には、私の大学では解剖学の試験がありました。解剖学は、大学に入学後、初の難関試験で、今後の医師としての基礎中の基礎ですから、試験自体もかなり厳しいものでした。人体の構造としくみを知らなければ、何科の医師になろうとよい仕事はできませんから、どこの大学の医学部でも解剖学はそれなりにしっかりしたボリュームと時間を割いて講義されていると聞き及びます。 解剖学は、講義が1/3くらい、実習が残り2/3と、実習に重きが置かれていました。実際に献体された人体を表面から深部にわたって教科書と突き合わせながら3カ月かけて細かく解剖してゆくのですが、それまで医学部とは名ばかりの講義を受けていた学生たちにとって、これはかなりのインパクトがありました。さぼりがちであった大学にもまじめに通いだす学生が増えてくるのもこの解剖学実習があったせいかもしれません。 多分にもれず私もこの時期は夜遅くまで解剖に熱中しました。実習終了時間は午後5時ですが、大学の方も学生に配慮して、終了時間は自由に決めてよいことになっており、一番最後に残った学生が実習室の鍵を閉めてゆけばそれでよいという風な取り決めでした。それまでは夕方にはアパートに帰って彼女とすごしていたのが、試験が近くなるに従って帰宅が徐々に遅くなり、9時、10時になることもありました。彼女は、起きて待っていることが多かったのですが、1月の終わりごろになると疲れているときは先に眠っていることが多くなりました。 今考えると、その頃に私が彼女の変化に気づけばよかったのかもしれません。しかし勉強というか、解剖学の面白さに熱中していた私は、試験が終わるまでの間だからとたかをくくっていました。 2月のあたまだったでしょうか、彼女がけだるげな様子で言いました。「わたし、少し体調が悪いの。明日病院に行ってくるね。」「分かった。おれ明日は上肢解剖の仕上げだから少し遅くなるよ。先に寝てていいから」それが、彼女とかわした最後の会話でした。
2010.09.21
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私たちの大学の医学部は、2年生の夏休みの明けた頃から解剖学実習が始まります。当時は、大学に入学してしばらくは医学と全く関係のない一般教養の講義が続いて、ややモチベーションが低下したころに、やっと医学の基礎中の基礎ともいうべき領域の勉強が開始されるとあって、否応なくやる気に満ちたのを覚えています。彼女の方も、時期を同じくして現場の実習に出始め、お互いにその日の出来事を話するだけで夜は更け、気がつけば2人で椅子に座ったままうたた寝してしまい、朝目覚めると肩に掛かっていたタオルケットと目の前にメモと共に軽い食事が準備されていて、彼女は先に看護短大に登校したあとなんてこともありました。 彼女はもともと関東の出身で、看護婦(現在では看護師といいます)志望のために大学を受験し家をでてきたのですが、実家の方に戻るという制約もなく、そのままこの近辺の病院に就職するつもりだと言っていました。私も実家は関西で開業医ですが、すでに医学部に入学していた3歳上の兄が居り、特に帰る必要の無い身でした。もちろん、つきあい始めたころからそんな未来まで見据えていた訳ではありませんが、いろんな条件も含めた上でのお互いの相性を考えるとこの上ないパートナーになり得ることを、二人とも漠然と考えていたような気がします。それぞれの家族のこと、家のこと、実家にいるペットのこと、幼なじみの友達、全てを共有するかのように話をしました。 学生の身で贅沢はできませんでしたが、二人でこつこつとバイト代を溜めて、あちこちに旅行に行きました。現在の様にインターネットは発展しておらず、調べ物はもっぱら本屋です。あらかじめここに行きたいと考えている場所をそれぞれガイドブックで調べると全く同じだったりして、目を見合わせて笑うこともありました。旅行とは、行っている最中と同じくらい計画しているときが楽しいのだという感覚は彼女に教わったのです。そうして、計画を練ってから旅に出て、計画通りに行かなくても結果として楽しい時間を過ごせれば旅行は成功でした。目当てのレストランが閉店していたり、お店が無かったりしても、二人で居れば楽しかったのかもしれません。 冬が終り、春の息吹が感じられる頃に、暗雲がじわりと近づいてきました。次回に続きます。
2010.09.10
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head&neckももはや40をすぎ、青春時代は遙か彼方の遠い昔となりましたが、たしかにそうよばれる時期を過ごしていたのは覚えています。今回からは滅多に書かないhead&neckの学生時代の恋のお話です。 大学2年の夏、私は21歳、彼女は19歳でした。 一年浪人したあとに医学部に入学し、一年間の一般教養を学んだ後にやっと解剖という医学の勉強が始まった、そんな時期です。医学生とはいえ、知識は全くの素人同然でした。高校生の時に無かった自由な時間が有り余るほど手に入り、人並みな学生生活を満喫していました。 当時、私の通っていた大学は単科大学、つまり医学部しかありませんでした。そのころの学生比率は男8女2といったもので、ほとんど男子校のようなものです。いきおい、男子学生たちは学外の同年代の女子学生に出会いを求めることが多く、私の場合も似たようなものでした。 出会いは、いつも突然です。当時私が属していたサークルに、彼女も何気なく入ってきました。皆でバーベキューに行ったり、海に遊びに行ったりした夏も終わる頃、お互いに恋に落ちました。 今のように携帯電話のない時代では、次にいつ会うか約束し、時間を気にしながら待ち合わせをしていました。私はいつも約束の時間よりも5分早く待ち合わせ場所に到着する癖がありました。町中の人通りの多い交差点で、信号が赤から青に変わり、こちらに渡って来る人ごみの中に彼女の顔を見つけるのがこの上なく幸せな瞬間だったのかもしれません。几帳面に時間通りに待ち合わせ場所に現れる彼女は、私を見つけるとはにかんだように横目使いに左手を挙げるのです。 左利きの彼女と、右利きの私は、立ち居地が決まっていました。彼女は私の左側、私は彼女の右側で過ごしました。聞き手に荷物や食べ物、飲み物を持って、空いている手はお互いの掌に着かず離れずと言うのが自然なポジションでした。 彼女は、近くの看護短大の学生でした。勢い、話題も共通なものが多く、気まずい沈黙などはほとんどないままに秋になり、冬がやってきました。このまま、彼女と美しい四季を一緒に過ごしてゆきたい、そう思っていました。お互い大学生活をこなしつつ、余暇をお互いのために使い、時間を共有するという付き合いを初めて経験するということもあり、大人の恋愛としては私にとってこれが初恋だったのかもしれません。ずっとずっと、そんな時間が続いてゆくと何の疑いもなく、信じ切っていました。若い日の、あまりにも純真で、無邪気な感覚でした。次回につづきます。
2010.09.10
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9月になりました。残暑というにはあまりにも暑苦しい日々が続いています。 この1ヶ月、head&neckは久々の試験勉強に追われています。というのも、もうすぐ「頭頸部がん治療専門医試験」というのが有り、これを受験せねばならないからです。昨今、医学会は専門医流行りの傾向がありますが、ついに耳鼻咽喉科の様なマイナーな科にもその波が押し寄せてきた感があります。 一昔前までは、医師の資格といえば医師免許以外では、博士号くらいのもので、勤務医はこれが欲しいが為に大学の医局にしばられている面がありました。博士号をとるには多くは基礎研究を数年行って、論文を書き、所属する大学で認められれば晴れて「医学博士」となるわけです。したがって博士号というのは「ある一定期間研究をしましたよ」という証明書であって、臨床の能力には関わりはなく、況やこれで給料が上がるなんてこともないのですが、その言葉の響きの良さゆえか、はたまた洗脳か、とにかく多くの医師がこれを取得するために躍起になっていたのです。 数年前、いや十数年前から、各学会が「専門医」というのを設け始めました。これはまさに臨床知識を問うという観点から学会主導で設置された資格です。これも別に専門医を持っているから給料が上がる訳ではありませんが、専門医の資格無く一人で医療を行い、ミスをすると責められるといった風潮になっていますから、現在では臨床の医師は博士号よりこちらを重視するようになってきています。 ひとつヒット商品がでるとどんどんコピーがでるのと同じで、医師の世界も現在専門医濫立の様相を呈していることは否めません。中には資格コレクターみたいな医師も居るようですが、多くは自分の専門にする分野の資格は取らざるを得ない状況になっています。head&neckが9月に受験する資格は今年から新設されたもので、第1回の試験になります。 勉強をしていると、これまであいまいであった知識の整理になって、良い面もかなり感じますが、それでも出題委員のお偉いさんには頭の硬い方々がいるもので、まったく実地臨床とは関わりの無いような分野もある程度は覚えなければなりません。この辺り、どの資格試験でも似たようなものだと思います。 いずれにせよ、40代になると暗記も遅くなり、それに日常業務の忙しさも相まって、なかなか勉強は遅々として進みません。20代の学生の時のようにはいかないのです。また微妙に年齢からくる衰えを自覚するのでした。
2010.09.02
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手術をすると、当たり前の話ですが、出血します。出血したまま創部を閉じたり、手術を終了することは無いので、必ず止血を確認してから手術を終了します。つまり、手術終了時点では血がびゅうびゅう出ているということはほぼあり得ないと思っていただいて良いでしょう。現在、止血するには大きく3つの方法があります。一つ目は結紮といって、糸で血管を縛って止めること。二つ目は焼灼で、主に電気メスやバイポーラという止血用の電気焼きごてみたいなもので焼き止めること。三つ目は薬剤で、止血作用のある薬を注射したり創部に当てたりすることです。上で述べた順番に確実性は高いので、明らかに出血している場所は結紮するのが基本です。ところが、場所に寄っては糸で結べない、または結ぶことが難しいところもあり、こういう場合は二番目の焼灼や三番目の止血薬剤を使用することになります。 頚部の手術に関して言うと、細い血管は焼灼で十分ですが、動脈や太い血管は結紮が必要です。しかし、これには何ミリという基準があるわけではありません。経験上、大体このくらいなら焼いてよく、これは結紮というのは、術中に術者によって瞬時に判断されます。同じ太さの血管でも、年齢や体格によって左右されますし、ときには電気で焼いてみてダメなら結紮ということもあります。 電気メスで焼灼して止血する方がもちろん結紮するよりは手間も少なく早いので、可能な限りは焼き止めたいのですが、これを過信しすぎると後の出血につながります。したがって、最初から、あ、これは無理だなと思えば結紮してしまうことも多いのです。 この辺りの判断は、さすがに経験がものを言う部分が多く、10年以上外科系の医師をやっていると大体似たような感じになってきます。同じ太さの血管でも、年齢や組織の柔らかさ、合併症などであるものは結んだりあるものは焼いたりしますが、まさに感覚の世界で、極論を言えば摂子でつまんだ感じとか、最初に皮膚を切った時の感じで決めることもあります。なかなか言葉で説明するのは難しく、この辺りの感覚の伝授が外科系には非常に重要です。結局、こういった手技というものはマンツーマンでしか伝わらないのですが、この辺りが、外科系医師が量産できない理由でもあります。 つくづく職人だなあと思うのでした。
2010.08.12
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ひとくちに「のど」と言いますが、我々耳鼻科医はのどを咽頭と喉頭に区別しています。分かりやすく言うと、咽頭と言うのは主に食事や飲み物が通る道、喉頭は空気の通り道です。のどぼとけの中には声帯というV字型の靱帯があって、普段は呼吸をするために開いていますが、声を出すときはこれが閉じて、両方の声帯の隙間がふるえることによって音が出るのです。この声帯が喉頭のちょうど真ん中にあります。 声の調子がおかしい時は、必ずといって良いほどこの声帯に異常があります。ただむくんでいるだけの場合から、癌ができている場合まで様々です。声がれのことを嗄声といって、これが主訴の場合は声帯を観察しなければなりません。 head&neckが医者になった15年前は、この観察に間接喉頭鏡というものを使用していました。名前は大仰ですが、ただの鏡で、歯医者さんなんかに行くとよくある先端の曲がったスプーンの様な形をしたミラーです。これは扱いが難しく、のどの奥を診るのにはちょっとしたコツが必要でした。まず温風で暖めておかないと曇って見えなくなります。暖めすぎると今度はのどをやけどするので、適度にしないといけません。また、のどに挿入する角度が難しくて、奥を診ようとしてつっこみすぎると患者さんは「おえっ」となります。のどの壁に触れないようにして奥深くまで挿入して、更には光の入れ方も重要です。昔もこのブログで書きましたが、額帯鏡というおでこの反射鏡でのどの中を照らして観察するのですが、この光の入る角度と喉頭鏡の角度が合っていないと声帯を診ようにも真っ暗で観察できないのです。研修医の頃は、この声帯の観察にかなり苦労しました。場合によっては患者さんをげえげえ言わせながら何とか所見をとり、上級医に見せると全くなっていないと叱られたり、患者さんにもう勘弁してくれと言われたり・・ 一時期、嗄声の患者さんを診るのがイヤでイヤで仕方のなかった時期があります。 そうこうしているうちに、ファイバースコープなるものが登場しました。いや、実は以前からあったのですが、当時はこれ、高価な道具で、病院の外来にあまり数が無く、研修医は使わせてもらえなかったのです。いわゆる胃カメラの孫みたいなもので、鼻から細い管をのどまで差し込んで観察する特殊な内視鏡です。現在では数も増え、いつでもこのファイバーを使えるようになっています。もちろんこちらの方が確実に見えますから診断精度も高く、患者さんにとっては良いことですが、若い研修医も最初からファイバーを使うので、彼らは間接喉頭鏡(ミラー)を使ったことがありません。実際の日常診療でこのミラーが使えないから困ることはほとんど無いのですが、死角になっている部分を鏡に映して観察する・直接見えない角度の場所を診るというこのテクニックがちょっとしたことで意外に役に立つ場面は多いのです。ファイバーが全部使用中の時にのどをみたい場合などは無論ですが、例えば鼻の内視鏡の手術のときに、先端が70度の側視鏡だとミラーと良く似た感覚で挿入したりして見ます。 以前の額帯鏡というエントリーでも書きましたが、新しくて便利な道具が出現すると、診断精度は上がりますが人間の器用さが失われて行きます。携帯電話がでて電話番号を覚えなくなったり、ワープロが普及して漢字が書けなくなったりするのと同じです。便利さと器用さの折りあいは重要ですが、微かな危惧を覚えつつ、毎日ついつい便利なファイバーを使ってしまうのでした。
2010.08.05
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耳鼻科医の天敵、土用の丑の日が過ぎました。この日は、かなりの高確率で呼び出しがかかるのです。 普段から、人が魚を食べて骨がのどに刺さった場合、簡単に取れないと大概は病院の救急に受診します。最近の食事形態を考えると、朝、昼はパンやパスタなどの洋食や、麺類が多いでしょうから、この魚骨異物は、おおむね夕食後が多いようです。つまり、我々がちょうど仕事が一段落ついた時間帯に救急から連絡がくるのです。 例えば夕食を7時に摂って、のどに異物が刺さると通常、ご飯を丸呑みしたりして何とかはずれないか試してみたり、しばらく我慢したりしますね。それでも刺さっていると、いよいよ病院に行こうということになりますが、なぜか大体夜10時をまわったころにおいでになります。このまま夜を過ごすのが不安になる時間帯なのか、我慢が極まったのか、とにかく皆さん例外なく恥ずかしそうに外来で事の仔細を話してくれるのです。 一番多いのはアジやサバの小骨で、これは無理なく納得がいきます。うっかりというやつです。これらの骨は細いのですが長さがあり、比較的あっさりと見つかります。ところが、土用の丑の日だけはうなぎの小骨が引っかかる患者さんがかなりの確立で受診します。皆、うなぎは骨がないものと思って食べるのか、心外そうな雰囲気を醸し出す方もいます。うなぎの骨は細い上に短く、なかなか見つけるのが大変で、見つかっても摘出に苦労します。 普段あまりうなぎの骨の異物で受診される方が少ないのは、通常あまり食べないからなのか、それとも忙しいのでうなぎ屋さんの捌きが雑になるせいなのか。仔細は分かりませんが、外来受診でうなぎの骨を見つけるたびに、「うなぎにも骨はあるんだなあ」と再認識するのでした。
2010.07.28
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head&neckが医者になった頃は、おじいちゃん、おばあちゃんというと明治生まれの方が結構おいでになったものです。カルテの生年月日をみて、43年なんて書いてあるから自分と同年輩のつもりで呼び込むとよぼよぼ(失礼)のおばあちゃんが入ってきて、良く見ると「M」:明治43年だったりする。あらびっくりでした。いつの頃からか、明治生まれの患者さんが減り、現在ではめっきりお見掛けしなくなりました。それもそのはず、明治は44年12月までですから、最後の明治生まれでも現在90代後半です。既に大正生まれのご老人も減少しつつあり、年号で時代の移り変わりを感じます。 先日、日本の平均寿命がyahooのニュースにのっていましたが、女性は86歳、男性は79歳だそうです。他の平均値と違い、人間の寿命はばらつきが少ないのが特徴だそうで、大体これぐらいの年齢になると天に召されてゆくということでしょう。 一口に高齢者と言ってもいろいろありますが、老年医学では、65歳から74歳までを「前期高齢者」、75歳から84歳までを「後期高齢者」、85歳以上を「超高齢者」と呼び区別しています。いま医療現場ではこの超高齢者が病気になったときの扱いに苦慮しています。ひと昔前ならば、高齢というだけで手術や化学療法を諦めていた感がありますが、最近は元気で比較的健康な方が多いため、全身状態が許せば可能な限り行ないます。とはいえ、高齢者では若い方よりもリスクは高く、時に思わぬ合併症が出たりする事があって注意が必要です。術後に痴呆が出たり、足腰が弱ったり、肺炎になったりと様々なことが起きるので、こちらも気が抜けません。それでも何とか退院できれば良いのですが、時には入院のまま回復されない患者さんもいます。50代、60代ならまず問題にならないような合併症で入院が長引く可能性はかなり高いし、その分周りへの負担も大きくなります。 本日もhead&neckの外来に90歳の中咽頭癌の患者さんが来院されました。10年前ならばおそらくは痛み止めの麻薬で対応していたのでしょうが、今では手術を前提にお話が進みます。今後はこれが標準となるのか、社会の高齢化と医療の進歩とともに現場への負担も増大しますが、行政レベルでの対応は全くありません。政府が後期高齢者制度を充実させるというのは掛け声だけで、実際にはころころと制度が変更されて、結果として高齢者を医療施設で長く療養させると赤字になるように変質しているようです。こんなところにも進歩しない政治のツケが浮き彫りになっていると思うのでした。
2010.07.26
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head&neckが医師になって初めてやった手術は扁桃摘出術といって、慢性扁桃炎や扁桃肥大に対して行う手術です。耳鼻咽喉科の中では最も数が多い手術で、おそらく今も昔も研修医はまず、いの一番にこの手術に挑みます。 何事も最初というのは忘れがたいもので、おそらく千例を超える手術をやっても、最初にやったこの扁桃摘出術は今でもはっきりと覚えています。その頃は現在のように上級の医師が傍について逐一指導するようなことも無く、教科書で読んで、先輩の医師がやるのを後ろから数例見ただけでいきなり「じゃあ次はやってみろ」と放り投げられた覚えがあります。 head&neckが担当したのは、12歳の女の子で繰り返す扁桃腺の炎症で手術適応と判断された患者さんでした。現在では20分で終わる手術も、その頃は1時間半かけてようやくなんとか終了し、終了後は術後出血が気になって眠れず、当番でもないのに毎日数回病室に顔を出して確認していました。退院後も、今では一度再診して異常がなければOKを出すのですが、その頃は心配で1ヶ月あまりも通っていただき、もう絶対に大丈夫な状態になるまで不安で仕方が無かったものです。逆に言えば、経過が良好でめったなことは起きないが故に、先輩の医師も何か無い限りは若かったhead&neckの好きにさせてくれたのだと思っています。結果として疾患が治ればそれでよかった時代です。 月日は経ち、先日、3歳になる女の子が慢性扁桃炎の診断で近くの開業医から紹介されて受診されました。月に一度はのどを腫らしては熱発し、肥大も強く、診断に間違いはありません。最初から手術目的の紹介であり、head&neckの病院では扁桃摘出術は年間100例を超えます。上にも書いたとおり、ごく初歩的な手術で、おまけに現在うちの科では最年少の先生でもこの手術はマスターしています。そこで、親御さんが希望する手術日である2週間後に手術担当になっている医師にやってもらおうとお話しました。 ところがこのお母さん、それでは嫌だといいます。なぜか「先生の空いている日でなきゃ困るんです」と言い張ります。折しも癌の手術や学会の予定が立て込んでいて、head&neckの予定は3ヶ月先まで空きがありません。子供のためには、早く手術をしてあげたほうがよいし、あまり先延ばしにするのは得策ではありませんが、どうにも譲りません。head&neck「お母さん、心配要りませんよ、いまうちの若い先生は手術上手ですし。」お母さん「でも、私には先生にやってもらうのが一番なんです」head&neck「はあ・・医者としてはありがたいことですが、私の予定と手術枠は3ヶ月先まで一杯なんですよ。勿論緊急手術は違いますが、子供さんはちゃんと予定組んでやったほうが安全ですから。K先生にやってもらえば再来週にはできるんですがねえ。」お母さん「いや、やっぱり先生がいいんです」・・・はて、そんなに信頼されるほどの仲でもないし、何しろ初対面だし・・途方にくれました。head&neck「なにか理由があるんですか?私の知人の知り合いとか、私の患者さんのお知り合いとかですか?」お母さん「あ、先生私を覚えてないんですか???」・・え?まじまじと患者のお母さんの顔を見ます。おそらく20代後半の綺麗な女性です。意味深なお母さんの言葉に隣では看護師さんが聞き耳を立てているのが分かりますが、head&neckには身に覚えがありません。お母さん「私、旧姓は●木です。●木×子と言います。覚えておられますか?」●木×子、●木×子・・はて、どこかで、、、あっ!お母さん「思い出されましたか?」 目の前のお母さんの顔を見て、面影が蘇ります。まるで映画の特殊撮影のように自分の脳裏でお母さんの髪が短くなり、背が低くなり、化粧が取れて若返ってゆきます。そこには、head&neckが初めて手術したあの少女が立っていたのでした。
2010.07.20
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1年間も放置したこのブログ、まだ読んで下さっている方がいるかどうかは分かりません。head&neck自身のモチベーションの低下、やや燃え尽き症候群なのか、ネットで、実生活での医療の分野での進展のなさに苛立ちを隠せず、なんだか色々と訴えても無駄なことをやっている気がして、日々目の前の患者さんを治すことに専念した1年でした。 民主党政権になっても世の中は変わらず、気がつけば私も中年。いつまでも若くないというのに改善しない現場の忙しさと報酬の少なさ、クレームの多さ、報道の偏りにはげっそりとしています。 自分自身、現場の医療に手を抜くことはありませんが、また一人同級生が勤務医を辞めて開業に踏み切り、仲間が減ってゆきます。臨床研修の悪影響か、私を超えていってくれるオペレーターにはお目にかかりません。手前味噌かもしれませんし、思い上がりかもしれませんが、head&neckは今、県内で髄一の頭頸部外科医とよばれています。もちろん日本一とか世界一ではありませんが、おそらく日本の中央部に位置するS県の頭頸部手術のオペレーターとしては気力、技術ともにトップレベルと自負することができます。しかし、かつて私の師匠が「外科医の旬は30代後半から40代半ばまでだよ。その後はどんどん腕は落ちてゆくんだよ。」と言っていた言葉が最近重く心にのしかかります。あと数年で、head&neckのピークは終わります。そのときに、後継者がいるのでしょうか?今なら出来ることが数年後には出来なくなる。そのときまでに私の技術を伝えることの出来る医者に出会えるのでしょうか?もし私が頭頸部の病気になったとき、私自身を誰が手術してくれるのだろうか?そんな焦りを感じる今日この頃です。 半分以上オープンのこのブログ、医療関係者が真剣に読めばhead&neckの身元は簡単に分かるはずです。head&neckの病院のHPには、後期研修医募集の要項もあります。どなたか、ヤル気のある若い医師はいませんか?
2010.07.17
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しばらく放置状態のまま気がつけば2ヶ月も経ってしまっていました。皆様お元気でしょうか。head&neckはあいも変わらずですが、いろんなことに少しモチベーションが下がっています。ブログを書かぬうちに、病院ではフィルムレスが導入されたり、安全管理に警察OBの方を雇ったり、知らぬうちに当直免除年齢になったと思ったら今度は超過勤務を削られたりと、いろいろと世の中が動いています。 現在の自分自身のヤル気の低下はやはり公私共に多忙であることが原因かもしれません。病院での自分の立ち位置、世間での立ち位置などを考えるとこのまま日常の業務に流されて埋もれてどうなっていくのかが判らないのです。 ここ1年で急速に白髪が増えた気もしますし、体の衰えを感じるとき、このハードな世界でどこまで生きて行けるのか、不安になります。 ブログも休止しようか悩みましたが、なにか皆様に訴えたくなったときの手段としてしばらくはのんびりのんびり更新しようかと思っています。 次は、いつになるかわかりませんがネタが出来たときにまた荒波のように書き始めるかも知れません。しばらくこのままのペースかもしれません。 では、また。
2009.07.27
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新型インフルエンザのニュースが連日テレビや新聞をにぎわしています。色んな情報が錯綜して不安になるのは当然ですが、果たしてどのあたりが正しい情報なのでしょうか? 現在、話題になっているのは豚インフルエンザから変異したA型インフルエンザで、正確にはH1N1型の季節性インフルエンザウイルスです。このタイプは弱毒性で、冬場にかかるインフルエンザと同じ程度の病原ウイルスだと言ってもよいでしょう。通常のインフルエンザの薬が効果があるので、もし罹患しても糖尿や心臓病などの合併症が無ければ数日で回復することが多いと思われます。このあたりは医師としては常識ですから、現在のマスコミの狂想振りは滑稽を通り越して異常といわざるを得ません。 ただ、新型と言う面で多少の不安点が残ります。免疫が無い人が多いのは事実で、いつ強毒性のものに変化するか予想がつかないのですが、これに関しては毎年流行するインフルエンザも同じで、リスクとしてはなんら変わりはありません。結局、冬場のインフルエンザ流行時期に注意するのと同じです。 先日、head&neckの病院で関西方面からわざわざ入院、手術をしにきた患者さんのご家族の面会を看護サイドが勝手に断ってしまうというちょっとした事件がありました。患者さん本人は子供さんで、その親の面会や付き添いを断るのは人道にもとるというのが主治医の主張で、head&neckも全面的に賛成です。現在のウイルスの特性を考えると症状の無い人に対する隔離はやりすぎで、更には感染している人に対する扱いは異常なまでの厳重さです。勿論、パンデミックに対する警戒は必要で、ウイルスの突然変異に対しては検査を怠るべきでは有りませんが、パニックをおこす必要性は低いと思っています。 具体的にはインフルエンザ様の症状がでた患者さんを診察した際にはウイルス抗体検査を義務付け、A型が確認されたらPCRにまわして新型かどうかの確認をとることは必要だと思いますが、罹患者の扱いは通常のインフルエンザと同等でよいと思っています。 まあ、これとて絶対正しいとはいえませんが、強毒性のものが確認された時点で柔軟に対応を切り替えることを前提にすべきだと思うのでした。
2009.05.19
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今週は大きな手術が多かったので、病棟の処置も結構時間がかかります。10時間以上かかる大きな手術をした患者さんはICU(集中治療室)に術後一旦入室し、創の状態が落ち着いてから病棟へ移動します。現在はhead&neckが手術した患者さんが2名ほどICUでお世話になっていて、経過は順調ですが、こういうときには病院を離れて遠出はできません。呼ばれればすぐに来れる範囲にいなければならないのですが、よく考えると文章でこれを決められているわけではなく、我々が自主的にやっていることです。したがって行動の制限に対する報酬は全くありませんが、何となく医師たるものこうすべきという習慣が身についていて、なかなか病院の患者さんを無視して遠出する気分にはなりません。 ところが、最近医師になった若い先生たちはある意味ドライです。もちろん仕事中はしっかりと働いていますが、お休みの日は一切病院のことを考えないという人も増えました。ナースが休み中に電話連絡すると「今日はオフなんで他の先生に頼んでください」という返事が返ってくることも多いようです。 これ自体は間違ったことだと思っていません。医師だって人間ですから、休みを取らなければ肉体的にも精神的にも疲弊してしまいます。しかし、「他の先生」たるhead&neckはその都度呼び出されるというしわ寄せに耐えなければいけません。上司である以上は仕方ないのか、それともhead&neckも「きょうは休み」と言って病院に行かないのか、まあ結局出勤してしまうわけですが。こういうのが現場の医師不足の実態なのでしょう。 心意気だけで医師はできず、かといって心意気は不可欠で、どちらにバランスをおくか。難しい問題だと思うのでした。
2009.05.16
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久々の更新です。しばらくご無沙汰しておりました。 仕事は通常通りやっておりましたが、なんとなくモチベーションが低下してあまりネットを見ない日々が続き、気がつけば前回の更新からなんと1ヶ月。気まぐれブログに訪問してくださっている皆様には感謝しております。 先月、head&neckはついに40歳の大台に乗ってしまいました。医者になって15年、気がつけば中年まっしぐらです。とはいっても日常業務に変わったことはありません。毎日朝から夜まで診療に明け暮れるばかりです。 このところ、上顎の腫瘍の症例が多く、術前術後に色々と手間がかかり、手術自体も10時間以上かかるものですから、やや体がしんどいです。この数ヶ月で体重が5Kgほど減り、ややスリムになったのですが、ウエストも5cm減るので、去年の夏用のズボンがゆるくて困っています。スーツもぶかぶかなので体裁が悪く、来月学会に行くときにどうしようか思案中です。 上顎腫瘍の手術は、耳鼻咽喉科の手術のなかでも難易度が高いもののうちの一つです。顔の中はもともと構造が複雑で、骨のような硬い組織と血管や脂肪、筋肉といった柔らかい組織が渾然一体となって存在しています。ここが腹腔と大きく違う点で、解剖学的特性を触って確認することが難しく、さらには人間の血液の1/3近くが頭部に集まるのですばやく手術しないと出血が増えるばかりです。頭の中で立体解剖が正確に出来上がらないとなかなか上手には出来ません。head&neckが上顎癌を摘出するのに要する時間は今は3時間くらいですが、最初の頃はやはり5時間はかかりました。更には上顎は摘出するだけでは駄目で、遊離皮弁といってお腹のお肉で新しく顔を作らなければなりません。結局手術自体は10時間ほどになりますが、連続でやると少しずつ時間は早くなってきます。 手術が終了し、患者さんが手術室から退出しICUに入室し、家族に説明し、術後指示を出して・・と、全てが終わるのは深夜になります。 上顎腫瘍は近年症例が減少し、手術が出来る術者も減っていると聴きました。抗癌剤や放射線の進歩で手術以外で治る症例が増えていることも原因のひとつですが、それでも手術でしか治らない患者さんは存在します。果たして我々の後継者に技術が伝承されてゆくのか?数年、数十年後に微妙な不安を覚えるhead&neckでした。
2009.05.14
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4月に入り、さくらも散り始めました。 この時期、どこの職場でも新人さんが入って、見慣れない顔がうろうろしていることと思います。head&neckの病院でも例年の事ながら、医師、看護師、技師、工学士、事務と、あらゆるところに新入社員が入り、一種独特の雰囲気を醸し出しています。彼らが入って忙しいのは教育係を任される中堅の職員で、本来の医療の他に教育が加わることになりますから色々と気を使わなければなりません。 head&neckも中堅ですが、うちの科には今年は新人は入ってこなかったので日常業務のまま4月の1週間がすぎました。ただ、手術室や外来や病棟では初期のオリエンテーションを終えた新人の看護師さんや技師さんが所在無さげに右往左往しており、いつもの4月の風景を感じています。とりあえず誰彼かまわず会釈して挨拶するひともいれば、緊張で無表情になっている者、妙にハイになっている者と様々ですが、自分自身の新人の頃は萎縮して毎日が緊張の連続だったような気がします。 現在head&neckの病院の医師は230名強ですが、そのうち35歳以下が半数以上を占めます。自分自身、いつの間にか年かさの医師扱いになっていることに多少のショックを受けています。最初の頃は研修医は仲間感覚だったのに、ここ数年は研修医室に入ると皆緊張してフレンドリーに話しかけてくれなくなってしまって悲しい限りです。 先日、会議に出ていて、副院長が「近頃の若い医師は・・・」と話していました。なんとなく自分のことを叱られているような気分になり、「でも先生、そうはいっても・・」と反論したら、「君の事を言っているんじゃ無い!君は若くない!」と言われてしまいました。 若くないと正面から攻撃を頂き、多少落ち込んでいるhead&neckなのでした。 ←参加しています。一日一回のぽちを。
2009.04.07
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毎年、この時期になると花粉症がひどくなります。今年はとくにスギ花粉の飛散量が多く、普段ならば症状の出ない人も結構鼻水や目のかゆみで苦しんでいるようで、head&neckの外来でもたくさんの患者さんが来院されています。花粉症とは、花粉によって引き起こされる鼻や目のアレルギーの総称ですが、正式な医学病名ではありません。正式には鼻の症状はアレルギー性鼻炎ですし、目の症状はアレルギー性結膜炎と名づけられています。 head&neckは耳鼻科ですので、主にアレルギー性鼻炎に対して処方をしますが、鼻の症状がある人は目の症状も併発しており、来院したついでにと目薬も処方します。すると、医療保険上は上記の二つの病名をつけることが必要になってきます。かくして、2月と3月の耳鼻科の病名で最多のものは「アレルギー性鼻炎」「アレルギー性結膜炎」となり、第二位に眼科の病名が躍り出るという妙な結果になるわけです。 それはともかく、この花粉症、当人にとっては大変です。鼻づまりで夜も寝れない、口呼吸になるのでのどは痛む、目がかゆくて充血し、ひどい人になると結膜(目の白いところにある粘膜)がぶよぶよにむくみます。いまや日本人の半分以上と言われる国民病ですが、程度は人それぞれで、少しかゆい程度で済む人から、生活に支障をきたすほどの激しい症状が出る人まで色々です。 head&neck自身もスギ花粉症がありますから、効く薬を探すのは必死です。だって、外来で症状を出しながら処方しても患者さんは信じてくれませんから、自分自身効果ある薬を飲まないとどうしようも無いのです。 少し専門的に話をしますと、アレルギー性鼻炎の治療にもちゃんとしたガイドラインと言うものがあります。まともな耳鼻科医ならばそんなものは読まなくても常識なのですが、開業の内科の先生方には役に立つ代物です。それにも記載がありますが、効果が強いのは飲み薬や注射のステロイド薬ですが、これは副作用が多く危険なので推奨されません。お勧めされるのは抗アレルギー剤といって副作用をなるべく抑えた内服を定期的に服用し、症状の強いときだけ点鼻点眼の外用薬を併用する方法で、これならば長期的に使用しても大きな問題は起きません。 しかし、世の中には即効性を求める患者さんと、即効性にとらわれる医師がいるもので、いまだに「1シーズンに一度注射すれば大丈夫」という治療を実践されている方もいます。これは上記のステロイド注射で、長期行うと内蔵がぼろぼろになり、糖尿や副腎萎縮、月経異常、不妊などを引き起こします。スポーツでも禁止されているドーピングと同じで、身体には決してよいものではありません。 というわけで、国民病の花粉症、専門医での診察をお勧めするのでした。
2009.03.15
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やや精神的に疲れて、しばらく更新を放置していました。訪問してくださっている皆様には感謝いたします。まだブログ閉鎖をするつもりはありません。これも自分の中のモチベーションでしょうか。 さて、先日、臨床研修指導医講習会なるものに参加してきました。 聞き慣れない方もいると思いますが、5年前から始まった臨床研修制度は、大学を卒業したての新人医師が各病院に散らばって、そこで臨床を学ぶわけですが、当然指導をする医師がいることになります。資格好き、制度好きのお役所が、「あなたは研修医を指導して良い資格を与えますよ」と言わでもがなのことを押し付けるようにひねくりだしたものです。 もともと、臨床の現場では新人医師の指導はごく当たり前に行われています。1年目の医師には2年目が、5年目の医師には2,3年上の先輩医師がお手本になるのは当然のことです。卒業したての医師がいきなり20年目の医師のようになれといっても不可能ですし、どうしても指導を仰ぐのは話のしやすい若い医師になってきます。逆に言えば、20年目の医師が1年目の医師を指導すると、若い医師の今求めている答えをなかなか与えられずに、時にはお説教で終わってしまう事が往々にして多いのです。 少し考えれば当たり前のことですが、お役人というのは全くそんな現場のことを分かりません。「臨床研修指導医」という資格を与えることで現場に一体何のメリットがあるのかなんで考えたことは無いでしょう。 2日間にわたり行われた講習会はワークショップ方式で行われ、一言でいえば臨床で忙しい現場の医師をいじめ抜くだけのものです。通常の講演、講義ではなく、小グループに分けてそれぞれのテーマを討議させ、1時間に1回ほど進行状況を発表させるような方式なので、ほとんど休み時間はありません。それでもテーマが実際に役立つものであればまだしも、作り上げた結論は何かに反映されるものではないので、講習のあとにはむなしい疲労感だけが残りました。この講習会の参加費用は三万円で、50人ほどが参加していました。150万円はどこに使われてゆくのでしょうか? あまりきついことは書かないように気をつけていますが、言わずには居れません。 厚生労働省も、お役人も、そしてそれにへつらう保健所や大学病院などのお偉い医師も、どこかネジが一本抜けています。腐ってゆくこの国の医療制度を何とかしなければいけないのですが、すくなくともhead&neckには具体的な解決策は見当たりません。現場で我慢するだけですが、我慢にも限度が来る日が近いのではないかと感じたのでした。
2009.02.25
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医師不足はもはや常識的な概念となり、いろんなところで医療の改善が提案され議論されつつあります。一向に改善されないことも大きな問題ですが、一般の人たちからは見えないところにもひたひたと崩壊の波は押し寄せて来ています。 先日、大学病院に勤める友人と話をしました。彼は今、生理学の教室で学位をとる、つまり医学博士になるために研究の日々を過ごしています。一昔前までは、医師と言えば8割方医学博士を持っていて、やや安売りされていた感は否めません。しかし、日本ではもともと医学部の卒業生がそのまま基礎医学の講座に入局する数は少なく、臨床医が大学院等に入学した期間、基礎医学の教室に在籍して勉強しつつ研究をするというシステムでした。こうした期間限定の医師たちによって日本の基礎医学は支えられていたという面は意外に知られていません。一方、基礎医学は全ての臨床医が学ぶべき学問で、どんな臨床医であっても有る程度の基礎医学、例えば生理学や生化学の知識なくしては正確な診断は出来ません。中学校の数学をやらずに高校の数学が出来ないのと同じで、詳細まで極める必要はありませんが、臨床を学ぶ上での土台となりますから、基礎なしで臨床をミス無くこなすのは危険なのです。 今、この基礎医学の講座が絶滅の危機に瀕しています。元々医学部に入学する人間の大多数は臨床医に憧れて入学してきています。6年間の大学生活で基礎に目が行く学生は少数派です。その上、基礎医学は大学以外ではポストは皆無に等しいため少ない人数でやりくりを余儀なくされています。それでも数年は基礎で過ごした後、臨床医になるという意識で基礎医学講座に入る人たちもいましたが、臨床研修医制度の施行で、医学生は卒業後臨床医として医療を行うために2年の研修が義務付けられ、最初に基礎医学を選ぶ学生数は激減しました。大学病院に所属する医師の減少で、期間限定で研究をする臨床医も減り、いま、基礎医学は人不足にあえいでいるのです。 基礎医学講座の崩壊は、そのまま医学教育の崩壊を意味します。マスコミや、政治家は臨床の医師不足にばかり目が行き、医師を育てるシステムまでは気が回らないようですが、医学教育の現場では静かに危機的状況が進行しているのです。 いつか、まともな医者が作れなくなる日がくるかもしれない。そう考えると、ぞっとするとともに不安を隠しきれないのでした ←参加しています。一日一回のぽちを。
2009.02.19
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さて、間が空きましたが、赤字と黒字の話です。 前回述べた病院の収入は複雑な診療報酬点数で国が定めて、2年に一度ずついじくりまわされます。その都度、病院や診療所は請求を変更しなければならないので、これだけでも相当な手間ですが、外来診療、特に病院の外来報酬は低く抑えられています。同じ病気で病院にかかるより、開業医にかかったほうが高いのですから、病気という不安を持つ患者が、検査機器のそろった病院を受診したがるのは当然です。病院のほうでは、医師の応召義務がありますから、来た患者さんは断れません。厳密に言うと「完全予約制外来」は医師法違反なのです。あちらこちらで言われる、「軽症患者が大病院に受診して混雑する」という現象は全く改善されません。受診にバリアをつけるため、特定初診料といって、紹介状の無い人からは2000円から5000円位の負担をしてもらうような制度が数年前に出来ましたが、焼け石に水です。かくして、軽症の患者の診療に時間をとられて重症患者を充分に診察できず、見逃しやミスに繋がります。 はっきり言うと、最も効果ある方法は紹介患者もしくは救急疾患以外は病院に受診してはならないという法律を作ることです。荒療治ですが、現在の医療崩壊を食い止めるには必要だと考えています。 次に、入院患者の診療ですが、これは技術料が圧倒的に低く抑えられているのは周知の事実です。たびたびこのブログでも述べているように、医師が10年以上かかってやっと身に付ける技術は全く評価されません。しかも全く根拠の無い改定に右往左往させられ、複雑怪奇な診療点数表が出来上がっています。個人的には、全面的な見直しと、先進国の平均並みの点数への引き上げが必要と思っています。更にドクターフィーが全く無いことも問題で、このあたりの意見を集約することは難しいのであれば、上限と下限を決めて医師自身に値段を決めさせる仕組みがいると思います。いわゆる悪徳医師や儲け主義を排除する罰則さえ設ければ不可能なことではないはずです。そこのところの手綱を引き締める役目こそが国や厚生労働省の役割ではないでしょうか。 いずれにせよ、老朽化してゆがみ極まる現行の制度は、小手先の改定ではもうどうにもならないところまで来ています。皆がそう感じていながら代えることの出来ない状況がこの10年続いていますが、崩壊する前に変わるのか。暗雲を見つつ今日も医療を行うのでした。 ←参加しています。一日一回のぽちを。
2009.02.09
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やたら忙しく、更新が滞ってすみません。元気でやっています。 さて、病院の医師の主な仕事は、1.外来診療 2.入院患者さんの診療 3.検査、手術等の業務4.病院組織のための会議等 5.論文作成等の学術業務 7.その他 に大きく分けることが出来ます。 これらのうち、病院の収入に直結するのは1から3までですが、まあどんな職業、会社でもお金にならない仕事というのはあるもので、仕事をしている側も最中に「これをやるといくらになって・・」などと考えながらやっているわけではありません。しかし、現在のように病院や医療の赤字がクローズアップされてくると、否応なしに有る程度意識の片隅にコストという考え方が存在するようになります。 現在の国の医療政策によって、総合病院での外来診療は赤字になるように設定されています。たとえば、head&neckの病院では、外来で100円稼ぐのに108円かかる仕組みになっています。つまり、外来をたくさんこなせばこなすほど赤字幅が拡大するのです。当院には医療事務の専任者がいて、なるべくコスト漏れが無いようにあらゆる業務努力をしていてさえこれですから、お役所仕事の公立病院では更に赤字幅がひどいはずです。聞いたところでは、ある大学病院では外来で100円稼ぐのに150円かかるところもあるようです。 この値段設定は国が決めていますから、病院の努力ではどうしようもありません。経済的見地から言えば、外来業務はボランティアに近いのです。総合的に赤字を出さないためには、入院収支と検査・手術で補填するしか方法がありません。ところが、患者さんを入院させて治療するにはどうしても外来が必要ですから、外来をなくすわけには行きません。経営側のジレンマは相当なものです。 なぜこういう値段設定になっているかというと、こういう設定にすることにより、いわゆる軽症患者を病院がなるべく診ない方向に持っていこうとする国の意志が働いています。責任転嫁は役人の専売特許ですが、国民にむかって直に「軽症で病院にいってもらっては困る」と言うのではなく、「病院が勝手に患者を断っている」ように見せたいのでしょう。今に始まったことではありませんが、あざとい手法です。 病院では、入院患者の治療と、手術や検査を行うことで、外来の赤字を何とかやりくりしていますが、なんと言っても医師も看護師も不足していますから、なかなか余裕のある状態にはなりません。規制でがんじがらめになった医療経済は医療者を救う財源にはなりません。我々のような末端の人間にすらそれはわかります。 では、収支を黒字とは言わないまでも、せめて赤字にしないためにはどうすればよいのでしょうか? 次回につづくのでした。 ←参加しています。一日一回のぽちを。
2009.01.26
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あまりTVは見ないhead&neckですが、昨今新聞の番組欄を見ていると、やたら医療ドラマが目につきます。救急医療、法医学、研修医、看護師等、医療現場をテーマにした作品が目白押しです。同じチャンネルでのニュース番組では相変わらずトップニュースは政局や経済で、福祉や医療は置いてゆかれている印象ですが、逆にドラマでは政局・経済をモチーフにしたものは少ないようです。 一種の流行でしょうが、内容は千差万別で、比較的詳細な取材に基づきリアルに現場を再現しているものから、これはちょっとと思うものまであります。詳しく内容を見たわけではないので印象だけで述べると、病院の内装や建物もぴかぴかで、真新しい医療機器に囲まれて最先端の医療を行っている部署をモチーフにしているものが多く、現在の疲弊した現場の雰囲気とはかけ離れている印象を受けます。しかし私たちの仕事を好意的に捉えるものも多いでしょうし、さらには医療現場で日々起きるヒューマンドラマの数々を題材にしていることは、医療と言うものを身近に感じてもらうにはよいことで、その意味ではそんなに否定的な見方をするわけではありませんし、むしろこういうドラマが増えてきたことは実際の医療者にとっては喜ばしいことなのでしょう。 その一方で、報道のほうは相変わらず「たらいまわし」「受け入れ拒否」といったこちらの神経を逆なでする言葉を連発しています。同じテレビ局の番組なのに、なぜこうも現実と理想のギャップが生まれてしまうのか、部署同士での意志の疎通や取材情報の交換は無いのか?などと考えてしまいます。 ドラマで理想の医師像を描き、報道で医師の悪徳をあげつらう。ここに悪意を感じるのはhead&neckの僻みでしょうか。いつか、せめて逆の姿勢をみたいとおもうのでした。 ←40位台に降下。一日一回のぽちを。
2009.01.13
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本日は当直です。現在、head&neckは月に2~3回の割合で病院の外科系当直をしていますが、年々自分の専門以外の患者さんを診るのが恐ろしくなってきますが、仕方なくこなしている面が大きいといったところでしょうか。 それにしても、お正月や休み明けの救急外来には、お正月ならではの患者さんがやってまいります。印象に残っている方々をご紹介しましょう。・52歳男性、いきなり意識消失、冷や汗にて救急車で搬送。既往に糖尿病あり。年末に糖尿病の教育入院で1ヶ月を過ごしたこの患者さん、お正月だからと自宅に帰り、ついつい甘いモノやお酒を飲み過ぎたので、反省の意味をこめてインスリンを倍量注射したとか。低血糖発作で倒れました。もちろんとっても危険な行為で、このようなことは絶対にだめと教育された筈なのですが・・・なんでも「休み明けに先生に叱られるのが怖かったので血糖を下げようと思って」とのこと。場合によっては命の危険がありますよときつく諭しましたが、また叱られたの思われると辛いので、「そんなことで糖尿の先生は怒りません、高血糖の患者さんはしょっちゅう診られてますからね」と一応フォロー。とんでもないことを思いつくものです。・5歳男児。外耳道の異物で外来受診。お正月休みで実家に家族で帰省し、いとこと銀玉鉄砲で遊んでいるうちに、何となく耳の中に銀玉を入れてしまいとれなくなってしまいました。父、母、叔母、みんなで耳かきや綿棒を使うも銀玉はどんどん耳の奥に入り込んでゆきます。そこにおばあちゃんが登場!婆「マッチ棒に接着剤つけて引きずり出そう」母「あ、瞬間接着剤がある。これ使おう」婆「よっしゃ、あたしにまかせなさい」てなわけで、父と母で痛がる子供を押さえておばあちゃんは自分のアイデアに、気合い満々で異物摘出を試みました。 顛末は、見事に失敗。小刻みに動く子供の耳たぶにマッチ棒はしっかりとひっついてしまい、外来受診時には右外耳道に異物、耳たぶにマッチをはやした状態で来院・・「生兵法は怪我のもと」です。 ・9歳女児。黒色便にて救急受診。 黒色便といえば、医師としてはまず消化管出血を疑います。それにしても9歳とは年齢が小さすぎ、腹部にも全く自覚症状なし、膨満感、緊満等の他覚所見もありません。便検査でも潜血は陰性。しかし実際の便を母親が持参したものを見ると、確かに真っ黒です。はて?? head&neck「昨日は何を食べたの?」 母「お餅と、おせちと・・別に変なモノは食べてません。家族もおなかこわしてないし・・」head&neck「○○ちゃん、おなか痛い?」患児「痛くないよ。平気。元気だよ。」ふと気付くと、洋服に黒いしみがついています。これは・・・head&neck「昨日、何してたの?」患児「ええと、あさからお兄ちゃんとたこあげして、昼からおばあちゃんと書き初めして・・」書き初め????よくよく聞くと、どうやら古式ゆかしく墨をすって書き初めをしているさいに、おばあちゃんが筆をなめるのをまねして筆を舐めたくった様子。そりゃ、便も黒くなります。患児「だって、ああすれば筆がとがって上手に字が書けると思ったんだもん」だそうな。 良くも悪くも、お正月はいつもと違う日々なのでした。 ←また30位台に下降。ぜひぜひ一日一回のぽちを。
2009.01.10
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新年になり、今日は仕事初めでした。月曜日はhead&neckは初診の日なので、朝から外来です。休み明けというのはたくさんの仕事が溜まっており、気がつけばこの時間になっています。 年賀状を出すのは日本の習慣ですが、現在head&neckは仕事上の知り合いには自分の住所を職場にしています。以前は自宅の住所を記入していたのですが、転勤のたびに自宅、職場ともに住所を変更することになり、郵便局のサービスは1年で期限切れとなりますが、病院の住所にしておくといつまでも転送してくれるので、重宝しています。もちろん学生時代の友人や親族は自宅に年賀状をくれますが、いまでは職場の自分のメールボックスに届く年賀状のほうが多くなりました。 数え切れないほどの患者さんを診ても、年賀状をくれる方は少ないのですが、それでも律儀に毎年欠かさずにいただける方もいます。多くは癌の手術をして一応は治療終了となり外来で経過をみている患者さんですが、遠方に転居された方もいます。 今年も、信州地方に転居された患者さんからの年賀状が届きました。7年前にhead&neckが喉頭がんでやむなく喉頭摘出の手術をした方です。70歳で手術をしたので、現在は77歳になられたはずです。 この患者さんは習字の先生で、毎年毛筆で芸術的な宛名と文章で年賀状を送ってきてくれます。今年の文章はこう書かれていました。「先生に手術をしていただいて7年が経過しました。当初は自分の声が出ないことに戸惑いを覚え、苦労の連続と思っていましたが、現在では食道発声も上手になり、電話に出ることが出来ます。生きているからこその苦労、生きているからこその悩みを今では愛おしく感じる今日この頃です。せっかく頂いた命尽きるまで精一杯前進致します。」 短い文章ですが、新年早々にこちらこそ仕事を続ける力をもらったのでした。 ←20位台に入りました。嬉しいです。一日一回のぽちを。
2009.01.05
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皆様、あけましておめでとうございます。 このブログも、開始して2年目。日々のことから、医療問題、細かい愚痴などさまざまに思うがままのことを書き綴っていますが、読んでいただいている方には本当に感謝しています。 私生活のことを書くのはなるべく避けて、医療の現場やニュースなどをネタに更新をしてきていますが、世の中の流れと自分の生活リズムに影響されるのは当然であり、時に忙しいときは更新が滞ったりするわがままブログですが、今後ものんびりと続けてゆくつもりです。 気がつけばアクセスも70000を超えました。宣伝もしていないこんなページに定期的に訪問してくれている皆様、ありがとうございます。 本年が皆様にとって幸せな1年でありますように。 ←30位前後。たまには上位に行きたいなあ。一日一回のぽちを。
2009.01.01
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大晦日です。head&neckは本日も待機番ですが、本日は病棟業務は午前で終わりゆっくりと昼食がとれそうです。 今年は医療にとって様々なひずみが明らかとなった一年でした。現場の疲弊、制度の矛盾、行政の怠慢が、国民の健康を守る医療を根本から揺るがして、一向に改善の余地が見えない状態のまま年の瀬を迎えています。 誰一人として自信を持ってこれをやれば必ずよくなるという意見を出せないのが現状ですが、それにしても何か考えなければ早暁にこの国の医療は荒野と化しそうな予感がします。 現場の世間知らずの医師の観点から、きわめて無責任ではありますが、少しでも医療者が現場にとどまれるような提案をして見ましょう。1.アクセス制限 何度もこのブログで述べたように、日本のようなフリーアクセスの医療はすでに限界です。病院に来れば必ず診て貰えるという一般の意識を変える必要があります。何らかの形で軽症患者にはアクセス制限をかけるべきです。現場の自主的な動きに任せていては埒があきません。保険点数での誘導など愚の骨頂です。一案として「病院の外来は全て予約制。救急は原則自費、緊急性を医師が認めれば保険適応」くらいの措置が必要です。2.応召義務撤廃 医師法にある、「医師は患者を診ることを拒んではならない」という文言を「正当な理由があれば患者を拒否できる。ただし拒否権を濫用してはならない」と変更していただきたい。理不尽なクレーム、暴言、暴力、専門外疾患に対応したときのトラブル回避のためにはこうするしかありません。3.国策による医師、看護師等への技術料評価 いくら保険点数をいじっても利ざやは製薬会社、病院に流れ込み、現場で頑張る人間のもとにまわってくる報酬は最後です。以前にも述べましたが、自分の技術料は自分で決めたい。手術であれば難易度によってランク付けし、簡単であれば通常どおり、難しい手術であれば少し割り増ししても良いと思っています。以前に出した案をもう一度述べておきます。 現行の医師技術料は一律で、医師の技量による差はない。これを改める。手術、GIF CF等の内視鏡検査、心臓カテーテル検査等、医師の技術により差がでるものは、 術者の裁量により規定点数の50%~200%の範囲で点数を決めることができる。ただしこの権利を有するのは各学会が定めた専門医に限る。保険で賄うのは規定点数の7割(現行の値段)外来初診料、再診料についても、現行の規定点数の50%~200%の幅で裁量を持たせる。裁量権は各医師に帰する。手術料、外来基本料のうち、ある一定の割合をドクターフィーとして各医師に還元する。ただし、一律に高率の点数を付ける医師については手術、外来についての監査が必要。(これは第三者機関を設置)1年間の請求点数のうち、6割は規定点数でなければならないものとする。6割を超えるものに付いては、やはり監査が必要。不適当と思われる場合には罰則を設ける。(特殊な疾患ばかり来る施設があるという意見に対しては、疾患に対しての点数上の優遇でもって対応し、施設として特例を認めることはしないのが望ましい)4.医師、看護師、医療職の増員と予算注入 圧倒的に現場は人手不足です。増員に加え、病院勤務に嫌気が差さないような方策が必要です。私もせめて人間らしい暮らしがしたい。超過勤務をせずとも生活に困らない給料が欲しいです。5.医師への労働基準法の適応 医師の平均寿命は一般の人より10年短いってご存知ですか?長生きできないとは思ってますが、命を削って医療をさせる制度なんて明らかにおかしいです。 ほかにもいろいろありますが、まあこんなところでしょうか。 ・・・実現は難しいだろうなと思うのでした。それでは、皆様良いお年をお迎え下さい。来年も宜しくお願いします。 ←30位前後。たまには上位に行きたいなあ。一日一回のぽちを。
2008.12.31
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昨日で一応一般外来は仕事納めとなり、手術室も緊急手術以外は休みとなります。病棟も退院できる人は退院、無理な人でもせめて外泊と、重症の患者さん以外は家に帰り、やや閑散とした雰囲気に包まれます。年末年始の病院は少しだけ穏やかな空気が漂います。 では、正月は完全休養かというと、そうは行きません。病院の職員のうち、6割ほどは交代で休暇がとれますが、通常の4割ほどの人数は院内に詰めています。この年末の病床占拠率はおおよそ50%ですから、300人を超える患者さんが入院のまま年を越すわけで、その人たちを放っておいて休みを取るわけにはいかないのです。比較的しっかり休みが取れるのは事務部門と検査、内視鏡、病理などですが、それにしても当番の人間は必ず交代で病院内にいます。 逆に、この時期は1年間フル稼働している検査機器や医療機器の点検をしっかりと行える唯一の期間でもあります。CEさんや、技師さん、施設課の担当者はむしろ総点検に大忙しとなります。彼らの仕事は医療の表面からはなかなか見えにくいのですが、病院での医療を円滑に進める縁の下の力持ちです。本日も病棟に行くと、空いた呼吸器やポンプを並べて点検していたり、廊下の蛍光灯を交換したり、ワックスを塗っていたりして、頭の下がる思いがします。簡単に年中無休と言いますが、どんな職場であれメンテナンスは欠かせないので、上手に時間をやりくりして順次整備計画を立てることも大切なことです。 医師になって15年、ゆっくりと正月を過ごしたのは数えるほどで、8割くらいの確率で元日は病院にいるhead&neckのような勤務医にとって、人並みのお正月は迎えられないことは判っています。せめて周りの医療職の人たちは休ませてあげたいのですが、緊急疾患が入るとそうもいきません。一人の患者さんを助けるために10人単位の医療者が動かなければならないのが現代の医療現場であり、それに見合った国の手当てが欲しいところです。 あまり期待の持てない政治情勢ですが、少しでも良い方向に動いてくれないかなと、人気の少ない年末の病院の廊下を歩きながら願うのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.12.27
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悪性腫瘍と言えば、まず最初に思い浮かぶのは癌ですが、「癌」と漢字で表記する場合、その腫瘍は上皮細胞から発生したことを意味します。その他にも様々な悪性腫瘍があります。骨肉腫、白血病、リンパ腫など、悪性の細胞の発声由来によって呼び名が変わります。しかし、専門的なことをくどくど言っても仕方がないので、患者さんに説明するときは、悪性のできものをひらがなで「がん」と表記しています。これらのうち、耳鼻科の分野で癌以外によくお目にかかるのは、悪性リンパ腫です。 悪性リンパ腫とは、簡単に言うとリンパ節に発生するがんです。リンパ節は体中にありますが、頚部は比較的外から触りやすいため、頚部のしこりとして自覚、発見されて外来に受診されることも多いのです。固形の癌腫と大きく違うのは、治療の主体が化学療法と放射線であり手術はほとんど無効であることです。化学療法は、リンパ腫の細胞の種類によって効果の有無がかなりのところまで判明しており、これを決めるためにはリンパ節の細胞が必要です。 手術は治療ではありませんが、治療の方針を決定するためには手術してリンパ節の細胞を採取しなければなりませんので、head&neckもよく血液内科に依頼をされてリンパ節を摘出します。摘出したリンパ節はその場で血液内科の医師に手渡し、生の標本のままさまざまな検査に提出してゆきます。 我々が協力できるのはここまでで、治療の主体は血液内科にゆだねられていますが、リンパ腫の発生する部位によっては治療中に耳鼻科の処置が必要になることもあります。たとえば鼻の中に発生すると、放射線の効果を高めるために軟膏のついたガーゼをつめたり、治療中の鼻出血を処置したりします。 こういう患者さんとかかわっていて、治療の主導権を自分たちが握っていない分、いろいろと質問されても答えられないもどかしさを感じます。もちろん自分は頭頸部の外科医で、患者さんには信頼できる血液内科の主治医の先生がいるのですから、横槍を入れる気も無いし、実際にリンパ腫の最先端治療の内容とhead&neckの持っている学生並みの知識では雲泥の差ですから、余計な事を言って患者さんを混乱させてもいけません。当たり障りの無い会話に終始することがしばしばあります。 「我々に協力できることはこれくらいのことしかないのですよ」とお話しながら処置をすることが多いのですが、それでも時にその患者さんの病気の第一発見者だったりすると、治って欲しい気持ちが強く出たりします。どんな患者さんでも同じ気持ちで治療しなければいけないし、実際に自分の分野では気持ちをプラトーに保つ努力をしていますが、他科の分野だとやや押さえがきかないこともあります。患者さんに、「見つけてくれてありがとう」なんていわれると、なおさらです。 治療する医師も人間、治療される患者も人間。複雑な気分になるのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.12.27
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12月も半ばを過ぎました。本日は当直です。昨日たくさん救急患者さんが入院されたせいか、たまたまなのか今日はここまでのところ余り忙しくありません。 今年は、年末年始の休日が長く、通常の外来や手術ではその分前後にしわ寄せがきています。8日間の休みの前後は病棟も外来も手術室も怒濤の自転車操業です。予め分かっている業務に加えて、「何とか年内に」手術してくれという患者さんが飛び込みで入ることが多く、詰め込みで手術を行なっているのも毎年の風景です。 手術は、やりっ放しと言うわけではなく、術後数日は入院となりますから、年末に手術を入れるとお正月も出てきて働かなければならなくなるのですが、手術予定表を見ているときは存外そのことを忘れています。ふと気がつくと12/31の時点での入院患者さんが通常とかわらなかったりします。 正月休みは、交代で当番を決めて、少しでも休めるように配慮はしますが、大事が起きると結局head&neckは呼ばれるので、あまり遠出はできません。せいぜい1時間以内に駆けつけられるところまででしょうか。働き始めた頃は呼び出し道具はポケットベルだったので、音が大きく、呼び出しに気付かないなんてことはありませんでしたが、現在は携帯電話での呼び出しとなり、電車や人の多いところでマナーモードにしていると気付かなかったり、はたまた電波が届かなかったりしてすぐに連絡がつかないこともあるので、現在は呼び出し拘束を優先順位をつけて1st,2nd,3rdと三人体制としています。(3rdは常にhead&neckですが。)医療を取り巻く情勢からも、単独での呼び出し待機を避けることは正しいことなのですが、この拘束に対しての給与面での手当がないのが心苦しいところです。 ともあれ、あと1週間、無事にすごしたいものだと思うのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.12.21
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早いもので、今年も忘年会シーズンです。口火を切って、先週末はhead&neckが所属する医局の忘年会と、病院の忘年会が開かれました。この時期の週末はダブルブッキングが多く、どちらに義理立てするかで迷うこともしばしばです。昨年は病院の忘年会に出たので、今年は医局の忘年会に出席しました。 昨今の事情を反映してか、はたまた秋口に別の大きな会合があったせいか、今年の出席者は例年の2/3とやや少なめです。それでも1年ぶりに顔を合わせる同業者がいて、久しぶりに会話をしているうちに瞬く間に時間は過ぎ去ってゆきます。もちろんOBの先生がたもお見えになりますが、多くは医局員であり、勤務医なので、それぞれの病院の事情もよく分かります。 数年前に比べると、中小病院の経営は確実に悪化している様子です。もともと勤務医は経営感覚に疎く、医業収益なぞてんから気にしない人間が多いのですが、それでも背に腹は代えられないというか、おしりに火がついたような状態に追い込まれて嫌々ながらもコスト意識が焼き付いてきているようです。さらには大学病院など、大きな病院は独立行政法人化され、収益を求められるようになったにもかかわらず、事務系の人間は相変わらず公務員で、ねじれが生じてきていると聞きます。 暗雲ばかりが目に付きますが、それでも若い人たちと話すと、まだまだ医師としての未来に邁進する姿が垣間見られ、自分にとっての刺激となります。狭い狭い医師の世界の、そのまた狭い耳鼻科医ばかりの宴会など、そうそうあるものではないので、専門分野の細かい話も忌憚なく出来ますから、数名のスタッフでがんばっている病院勤務医は話す相手に飢えているのです。 てんでに二次会、三次会になだれ込む人たち、少数で話し込んでいる人たち、宴会の終わりにはいつもと変わらない風景を目にして、お酒に弱いhead&neckは帰路についたのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.12.14
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12月に入り、日々ばたばたと過ぎて行きます。仕事も多く、この時期の1ヶ月は早く感じるのは皆様も同じことと思いますが、気がつけばもう12月初旬は終わろうとしています。年末には、「年内になんとか」と来院される患者さんが増えてきます。仕事のこと、家庭のこと、はたまた気分的なもの、いろいろと理由がありますが、とにかくこちらも予定がコミコミになって怒涛の自転車操業の日々が続きます。 この時期になると、数年前に年末の外来に受診されたある患者さんを思い出します。 30代半ばのキャリアウーマンであるA子さん、就職してから仕事一筋で独身。外見はモデルとみまごうばかりの綺麗な女性でした。以前から鼻に蓄膿をわずらっていましたが、仕事が忙しいのと、生来病院嫌いのこともあって、なかなか病院に足が向かなかったのですが、いよいよ鼻で呼吸がしずらくなって、臭いも全くわからなくなってきたため、意を決して病院を受診されたのです。 head&neckが鼻を見ると中はポリープで充満しており、これは手術が必要と判断しました。そのことを彼女に伝えると、「手術なんてとても無理。仕事が年明けから入っているし、そんなことでやすめないわ」との返事でした。疾患について説明をして、この状態をよくするには手術しかありませんが、悪性の疾患ではないので、良く考えてまた受診してもらうようにお話をして、1度目の診察は終わりました。 さて、外来最終週の12月20日。彼女がまた受診しました。「先生、手術することにしました。今週やってください」「ええっ?今週ですか?そ、それはちょっと無理ですよ。予定手術は込み合ってますし・・」「でも、年明けはもう予定が一杯なんです。そこをなんとかして下さい。決心がついたときにやらないともう一生やらない気がするんです。」「はあ・・少し待ってください」⇒手術予定表とにらめっこのhead&neck「12月24日なら何とかなるかもしれませんが・・クリスマスイブですけどいいですか??」「勿論大丈夫です。お願いします」 というわけで、クリスマスイブに全身麻酔の手術を行うことになりました。手術そのものは問題なく終了し、彼女は病室(個室)に帰室してきました。ご家族は病室で待っていて、head&neckが術後の回診に行き、異常がないか確認していたそのときです。バラの花束をもった青年が現れました。 一同、びっくりです。一体彼は誰なのでしょうか?勿論、親御さんも、head&neckも面識はありません。 彼は、いきなり彼女の枕元に立って、「A子さん。無事手術が終わってよかったですね。ところで、、、このバラの香りがわかるようになったら僕と結婚してください!」「お父さん、お母さん、ぶしつけなことをして申し訳有りません。でも今来なければもう二度とこんな勇気はでないと思ったんです」 そういい残すと、病室から走り去ってゆきました。 一同、呆然としました。A子さんも呆然と術後の顔を赤らめて、バラを見つめています。 head&neckは部屋を去るタイミングを逸してしまい、突っ立ったまま周りを見回すと、彼女のお父さんと目が合いました。head&neck「えー、あの、びっくりしましたね・・・あはは。」わけのわからんセリフ。お父さん「えっ?ああ、はい。いやあ、。。。そうだ、A子、あいつは誰なんだ!?」A子さん「えーと、その。あたしも良くわかんないんだけど。。顔には見覚えがあるんだけど・・・あっ!」 何か思い出した様子。 今しかない、と思い、head&neck病室を去りました。「それじゃあ、失礼しますね」 30分後。ナースステーションで仕事をしているとお母さんが真剣な面持ちで手招きしています。お母さん「先生、お恥ずかしいところをお見せしました。・・・で、はずかしついでにお尋ねしますが、あの子の鼻は治るんでしょうか?」head&neck「もちろんですよ。大丈夫です」お母さん「臭いもわかるようになりますか?」head&neck「おそらくは。でも、蓄膿がよくなってもたまに臭いが戻らない人もいますけど・・」お母さん「ええっ??それは困ります。あの子、香りがしなければ結婚できないじゃないですか!」head&neck「いや、そういわれても。。とにかく様子見るしかないですよ。でも香りだけでそんな結婚まで・・」お母さん「とにかくあの子の人生がかかってるんです、お願いします先生!」・・・さて、困りました。臭いの神経というのは鼻の上のほうに分布していますが、一度駄目になると戻らないこともあります。更には原因が本当に蓄膿なのかどうかが不明なのです。 A子さんが退院してからも受診するたびにどきどきしながら診察していました。なかなか嗅覚は戻ってきません。ああ、どうしよう。自分のせいかなあ・・・と気になります。 術後診察で嗅覚のことを尋ねるたびに、クリスマスイブのあの場面を思い出して、何となく気恥ずかしくなります。それでも、徐々に感覚が戻ってきているようでした。 数ヵ月後、A子さんの予約日に、彼女を診察室に呼び込むと、お父さんとお母さんが同伴して入って来ました。 その後ろから恥ずかしそうに入ってきたのは、スーツに身を包んだあのバラの青年ではありませんか。 無事に嗅覚が戻ったせいなのか、それとも彼の熱意が通じたのか。「先生、私来週から苗字が変わります」A子さんは、そういって艶やかに笑ったのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.12.08
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医療ニュースではありませんが、Yahoo!のトップニュースより。超勤上限、月60時間に=国家公務員、実態踏まえ指針見直し-人事院11月30日2時40分配信 時事通信 人事院は、東京・霞が関の中央官庁に勤務する国家公務員が連日深夜に及ぶ超過勤務を強いられている現状を踏まえ、これまで「月30時間」としていた超勤の上限指針を見直す方針を固めた。実態を考慮して上限を倍の「月60時間、年間720時間」とし、各省庁の意見も聞いて今年度中に通知する方針だ。 中央官庁では、特に国会での与野党議員の質問内容把握や閣僚の答弁づくり、予算編成作業などで深夜に及ぶ勤務が常態化。繁忙期には超勤時間が月200時間を超えることも珍しくない。このため、タクシーでの帰宅が続き、一部職員がなじみの運転手から缶ビールなどの提供を受けていた「居酒屋タクシー」問題も発覚した。 そこで人事院は、超勤の上限を勤務実態に合わせて引き上げる必要があると判断。一方で、過労死のリスクは超勤時間が「月100時間以上」で一気に高まると一般的に言われていることから、超勤の上限を「月60時間」に設定する方向で検討している。 これ、読んだ勤務医のほとんどが「ばかいってやがる」と思ったのではないでしょうか?おそらく地域の基幹病院の勤務医で、超勤が30時間以内なんて医師は少数派です。head&neckは耳鼻咽喉科ですが、月の超勤時間はおおよそ平均して70時間。呼び出しや緊急の多い産科や整形外科、心臓外科などは120時間を恒常的に越えています。上の記事には「繁忙期」とありますが、我々は一年中です。 さらに訳がわからないのは、「繁忙期には超勤時間が月200時間を超えることも珍しくない。過労死のリスクは超勤時間が月100時間以上で一気に高まると一般的に言われていることから、超勤の上限を「月60時間」に設定する方向で検討」とありますが、上限設定の数値の根拠がまったく不明ですね。上限60時間なんて決めるより、繁忙期は超勤した分をきちんと払い、暇な時期はしっかり休ませるのが当たり前だとおもいますけど。。 とはいえ、head&neckの病院でも超勤は上限50時間までしか支払われません。お役人を笑えないわけですが、理不尽にまみれて仕事をしているのはやはりやりがいと使命感に支えられていると思っています。 もちろん、まじめな公務員の方々を批判しているわけではありませんし、彼らだって忙しいことは承知です。しかし、あちこちでいわれているように、医師や医療職の労務環境は公務員の労働環境よりはるかに劣悪かつ過酷であるのに、人事院はまず身内と言うべき公務員の環境を改善する通達を出していることにゆがみを感じるのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.11.30
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やや更新が滞ってすみません。本日は当直中ですが、比較的落ち着いていて時間があります。とはいえ、当直というのは自分の専門外の患者さんをひたすら診なければならないのでかなりのストレスを感じます。医師になって10年以上経つ頃には、どの医師も概ね自分の専門とする分野は決まっており、逆に言えばいかに広い知識をつけたとしても10年以上前の知識なので、日進月歩のこの世界では専門外は古い医療をやっていることにもなります。その意味では現在の臨床研修制度はあまりにも時間的無駄が多すぎるといわざるをえません。 では、自分の専門分野はどうかというと、実はこれ、専門分野の中にも得意な疾患と苦手な疾患はあるのです。head&neckの専門は耳鼻咽喉科ですが、さらにその中でも頭頚部外科を専門としています。耳鼻咽喉科一般についての知識はもちろん身につけた後に腫瘍や手術を専門にやり始めたので、それしか扱えないということはありません。外来診療では耳、鼻の疾患や、めまい、味覚など、耳鼻咽喉科の分野の疾患に対する対応はほぼ漏れなく可能ですし、えり好みもしていません。 ただ、日々手術手術で過ごしていると、どうしても思考が外科的になってまいります。ということはどういうことかというと、めまいや耳鳴り、味覚障害などの内科的疾患の患者さんにたいする対応が苦手になってくるのです。このあたりの疾患の患者さんはお話を聞いてあげるだけで症状が軽くなったり、中には治ったりする方がいることは承知しているのですが、どうしても忍耐力が持たなくなったり次の患者さんのことが気になって話を途中で切ってしまい、あとで反省することもしばしばあります。逆に、head&neckの同期には、手術はあまり得意ではありませんが、外来でめまいや耳鳴り、難聴などの患者さんを診るのが好きな医師がいます。彼曰く、「だって話を聞くだけで治ることがあるし、原因を突き止めれば治らなくても感謝してくれるじゃないか。手術なんてうまく行けば良いけどうまくいかなかったり癌だったりしたら責められるだけで感謝なんかされないよ。」とのこと。 同じ耳鼻科のなかでもこれだけ考え方や得意分野が違います。「何でも診れる医師」なんて幻想に過ぎないと思うのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.11.28
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すでにあちこちのブログで話題になってますね。「社会常識欠けた医者多い」=麻生首相が発言、すぐに陳謝 麻生太郎首相は19日、首相官邸で開かれた全国知事会議で、地方の医師不足問題に関連して「社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多い。とにかくものすごく価値判断が違う」などと述べた。首相はその後、記者団に「まともな医者が不快な思いをしたというのであれば申し訳ない」と陳謝したが、医師の資質を批判したとも受け取れる発言で、今後波紋を呼びそうだ。 同会議で首相は、「地方病院での医者の確保は、自分で病院経営しているから言うわけじゃないが大変だ」と強調。その上で、「小児科、婦人科が猛烈に問題だ。急患が多いところは皆、(医師の)人がいなくなる」「これだけ(医師不足が)激しくなってくれば、責任は医者の(方にある)話じゃないか」と述べ、産婦人科に対する診療報酬加算などの対応が不十分との認識を示した。 問題の発言は、医師の多くが産婦人科などでの過重な勤務を敬遠して開業医に流れる現状に、知事側が懸念を示したのに対して飛び出した。首相は同日夜、記者団に「医者は友達にもいっぱいいるが、おれと波長が合わねえのが多い」としながらも、「そういう(社会常識の欠落という)意味では全くない」と釈明した。(時事通信 2008/11/19-21:17) 正直、腹立ちます。 まず第一声にその人のホンネがでますから、釈明は読む必要はありませんね。「医師は常識知らず」と言う言葉は、我々自身が自嘲の意味も含めてよく語るセリフですが、部外者からこうも堂々と言われて面白い筈がありませんね。 まあ、麻生総理や二階大臣も含めて、まだまだ医療を取り巻く環境に対する認識が低く、彼らの関心ごとはやはり選挙と経済なのでしょう。これに対する舛添厚労相のコメントを聞いてみたいものです。 この発言を受けて、麻生飯塚病院に医師の派遣を中止する医局が出るかもしれませんが、自業自得でしょう。現在のようなネット社会では情報の伝達スピードがこれまでの数倍であり、双方向の議論がされますから、よほど発言には気をつけないとその人の人格が裸にされてしまいます。head&neckが感じた麻生首相は、「俺は医者嫌いだよ、あいつら常識無いよ。医師不足なんか医者が何とかしろ。波長あわねえ奴らにいい顔するつもりはねえな。」と言っているようですね。 私のブックマークに登録してあるDr.Takechanのブログのコメント欄に、しーさんという(おそらく)医師の方から、下のようなコメントがありました。 医療崩壊を解決する唯一の解決策をはるか紀元前に成し遂げた天才がいます。それはローマ帝国の基礎をつくたったカエサルです。医師や教師が金銭で釣られる人種ではないことを悟ったカエサルは、人種にかかわらず医師や教師には無条件にローマ市民権を与え、働く環境を整えました。ローマ市民権を得るということは簡単に訴えられないという身分保障でもあります。すると世界から有能な人材が集まりローマ帝国の医療サービスが充実したということです。日本の現代の医療崩壊も根本は同じです。 医師は以前からきつい当直も、お金にならんことも、寝れなくても、ぼろぼろになってもやってきました。医療への探究心と、崇高な精神をプライドにやってきたからです。社会や患者個人から感謝されるというささやかな喜びを糧に生業としているわけです。にもかかわらず、そういう基礎の部分は論議の蚊帳の外。何かあれば医師が刑事告発される時代です。報酬がどうのこうの、医師の数がどうのこうの。論外です。救急がしたくないわけではない。報酬が見合わないこともありますが、根本は、こんなにきついことをしても感謝されるどころかプライドや人生まで否定されかねない状況が諸悪の根源です。 財源を増やさなくても、1.救急医療における医師の裁量権を不可侵にし、医師の身分保障をつけること。2.医師の時間外給与は非課税にすること。この2つだけでかなりの効果があると考えます。要は、公共財産として医師、医療をもっと尊厳して欲しいというのが現場の医師の訴えではないでしょうか!タロー君の発言は、最終的な解決策を踏みにじるような発言で、これを受け入れられる医師は一人としていないのではないでしょうか?なんとかがんばろうとしている現場の医師の最後の最後の望みを打ち砕くような発言に心はプッツンです。 現場の医療者の心を踏みにじって行く人間がこの国のリーダーで有る以上、まだまだ医療の崩壊は続くだろうと暗い気分になるのでした。 ←低迷中。一日一回のぽちを。
2008.11.19
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長く医師をやっていると、やたらに厳しい状況が立て続けに来る時期があります。自分が当直や当番のときに限って何事かが起きるのです。head&neckはここしばらく当番のときは比較的平和でしたが、先月から波が来てしまったようで、術後出血が1週間で3例あったり、当番の日に限って末期の患者さんが亡くなったりしてやたら呼ばれます。 これは看護師やCEさんにも言えるようで、現場では「いま良く引いてるから」とか、「いまやたらあたっているから」という表現をします。ランダムに当番を割り振っているのになぜか緊急事態や急変にめぐり合う時があるのです。head&neckも大学病院に居るときには「出血王」と呼ばれたことがありました。自分が手術した症例ではないのに、病院にいると必ずといっていいほど鼻血や術後出血、腫瘍出血などが重なり、「えー、先生今日当直ですか??また何かありそう・・」なんて敬遠されたり。不思議なことに、このサイクルが妙に合致する相手がいるようで、このところhead6neckが呼ばれるときは必ずおんなじ看護師さんとおんなじ麻酔科の先生が居たりします。顔を見合わせて「この組み合わせは良くないよねー」と苦笑することもしばしばです。他の医師に聞いてみると、皆同じような経験があるみたいですが、その頻度は多い少ないがあります。冷静に自分自身を見ると比較的多いような気がします。 縁起を担いでおはらいに言ったり、ひげをそったり、服を変えてみたり。いろんなことをしているうちに波は過ぎ去りますが、次の波はいつ来るのか・・やや憂鬱なhead&neckなのでした。 ←やや上昇。一日一回のぽちを。
2008.11.16
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医師冥利に尽きる瞬間は、なんと言っても患者さんが治ったときや、ありがとうと言われたときですが、逆に医師をしていることが辛い瞬間もあります。毎日の診察で嬉しいこと、辛いことが交互にきますが、やはり術後の経過が悪かったり、病気が進行してしまっている末期の患者さんのところに行くのは精神的に辛いものです。 癌が再発したり、手術で合併症が起きてしまった患者さんは一様にかなり落ち込んでいます。医師は治療するのが仕事であり、もちろん現状にあわせて処置や投薬をしなければなりませんが、人間同士である以上は元気のない相手を診るにはかなりの精神力がいります。辛い処置があるときにはご本人がぐったりしている隣でご家族が医師をにらみつけるような状態になることもあり、なかなかに疲れる作業ではあります。 昔の医療現場では、処置の際には看護婦さんがそれとなくご家族を部屋の外に出して、医師の処置を間近で見ないような状況が当たり前になっていました。ここ数年で、現場の雰囲気が変わり、最近では医師の指示がなければ家族は自由にしてよいという考え方が「患者さんの立場に立った医療」を推奨する看護師(呼び名も変わりました)さん達から提案され、徐々に処置時にも真横で見ていたりすることが多いのです。時代の流れで、すべての物事がガラス張りになって密室での出来事を減らすということでしょうか。 ことの是非はさておき、処置をする側の視点からいうと緊張感はかなり高くなります。さすがに医師になって10年以上経つと、見られているからといって処置をしくじったりすることは少ないのですが、やりにくい事は間違いありません。若い医師だと、じっと見られていることで固くなり点滴を失敗したり却って手が震えたりする事も多く、決してよいことばかりではありません。まあ個人的にはhead&neck自身はそういったプレッシャーをはねのけるほど強くなければならないと思って、むしろ自分たちの甘い部分を矯正するよい機会だと考えるようにしていますが、中には怒り出す医師も居たと聞きました。 家族が居ようが居まいが上手に手技をやるコツを一言でいうとすると平常心ですが、なかなかそううまくはいかない場面もあります。うまくいかないときは自分の焦りや緊張を押さえる忍耐力が必要になってきます。 ふと考えると、誰でも仕事をじーっと横で見られているとやりにくいものです。なにも隠す意志はなくとも、監視されている用で居心地が悪い。特に処置や手術のような、手技的な医療を行なう場合には、それを行なう医師の傍で家族が見ていることは、医師の集中力を奪うというマイナスの作用をもたらす面もあると思うのでした。 ←やや上昇。一日一回のぽちを。
2008.11.10
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先日、head&neckの勤める病院でこんなことがありました。(個人情報に配慮するため、ある程度創作が入っています、念のため) 若年性の脳血管奇形のため、6歳のA君がくも膜下出血を起こし、夜中に緊急手術となりました。もともとA君は3歳のときに一度意識を失ったことがあり、その際の検査で脳の動静脈奇形を指摘されたのです。いろんな治療法を医師に説明され、両親は注意深く外来で経過を見て、少し大きくなって抵抗力がついてきたら手術をしようという方針を選びました。小学校になる前に手術をする計画を立てている矢先の出来事でした。 その日、脳外科の医師は予定手術が深夜まで長引き、A君が病院に運ばれてきた午前3時にも手術室で執刀している最中でした。へとへとになりながらも何とか並列で緊急手術をこなし、A君は手術終了後、ICUへ運ばれました。小児の大きな術後は安静を保つことが難しいのと、脳の手術の後は呼吸が落ち着かないために、沈静といって薬でしばらく眠らせて、気管内挿管をした状態で数日観察することはよくあることです。A君もこの状態でICUに入室しました。 沈静して3日目。A君の状態は徐々に改善し、目を覚まさせる方向で、朝から薬は少しずつ量を減らしてきつつありました。 朝8時に、定期的に口の中の掃除をして唾液を取り除く作業を看護師が行っている最中にA君はいきなりむせ返り、胃液と胃内容の血液を大量に嘔吐しました。急いでたまたまその場に居た脳外科の医師が口腔内を吸引しましたが、A君の呼吸状態は乱れたまま元にもどりません。痰が多く、気管内チューブを通しての人工呼吸が徐々にしにくくなってきます。おそらくは嘔吐して激しくむせたためにチューブが浅くなって抜けかけていると判断した脳外科の医師は一旦チューブを抜去し、再度挿管することにしました。ところがいざ喉頭鏡をかけてみると、数日間の挿管と手術そのものの影響か、のどがむくんでとても再挿管できません。 ばたばたと何度かトライしているうちに徐々にチアノーゼがひどくなってきます。小児科の当直明けの医師も駆けつけて交代してみましたがやはりうまく行きません。 大急ぎでhead&neckが呼ばれました。たまたま朝からカンファレンスのために在院していたため、1分でICUに到着しました。head&neckが着いたとき、A君はすでに瀕死の状態です。酸素濃度を示すSaO2は50%、心停止寸前です。 挿管は不可能と判断したhead&neckは大急ぎで気管切開を行いました。子供でもあり、少し太り気味の上頚部がむくんだ状態だったので輪状甲状膜切開といって上部の開けやすい部分にアプローチしました。その最中に完全に心肺停止状態となりましたが、かまっておれません。切開部から気管内にカニューレを入れるまでおよそ20秒、気道確保し、蘇生をしているうちに再び心臓と肺は動き始めました。 状態は落ち着きましたが、輪状甲状膜切開をそのままにしておくと色々な合併症が生じるので、早いうちにこれは閉じなければなりません。10時ごろ、全身麻酔下にあらためて気管切開を行いました。その間、主治医はご家族に状況を説明し、何とかご理解いただいた様子でした。 さて、午後になると色んな物事が動き始めます。まず最初に動いたのはその場には居なかった安全管理担当のとある診療部長でした。彼の仕事は、今回の出来事の原因を調べ、そこに医療側のミスや事故が無かったかどうかを調べ、もしあれば対策や対応を検討することです。看護師は口腔内吸引の際に深くやりすぎなかったか、脳外科医は鎮静薬が少なすぎなかったか、気管切開のタイミングが遅すぎないか、麻酔科医は最初の挿管が浅すぎなかったか、チューブの固定がしっかりしていたか、耳鼻科医は果たして輪状甲状膜切開が妥当であったのか、主治医は家族にどのような説明をしたのか、それを文書に残したのか、などの質問をされました。 もちろん、安全管理部長も医師であり、総合的にみて今回の出来事は全く妥当な処置であったことや、それどころか通常ならば救命し得ない状況を実にタイミングよく各科の医師が揃い、看護師もよく動いて事無きを得た症例であることを後に理解してくれました。話は当日の夕方開かれた安全管理委員会を通して院長まで昇り、結局関係者はお咎め無し、というか翌日には院長にお褒めの言葉をいただきました。 とはいえ、事情を聞かれている最中の不快感はかなりのものです。ここまで無我夢中で一生懸命やって、必死で救命できたのになぜ尋問まがいのことをされねばならないのか、はっきりと不愉快さを出す医師もいました。head&neck自身も、これで責任を問われてはたまらないと感じました。 医師同士であっても、現場に居ない人間にその場の判断を即時に理解させるのは難しいのです。いわんや、医療に関して知識のない人にこれを判ってもらうのは至難の業だと思います。 医療に関連した不幸な出来事が起きたとき、マスコミや、司法が正しく医療現場の状況を判断することの危険性と、必死で頑張った現場を鞭打つことの理不尽さを感じたのでした。 ←50位近くまで低下。一日一回のぽちを。
2008.11.06
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