イナエ羊のブログ

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入院中の事(覚書)入院~退院まで


入院したのが3月30日でした。
お昼ごはんを食べてから入院です。
まずベッドに案内されて大体の家族の病歴とか病気になった経緯とか宗教とか苦手な食べ物とか聞かれます。
それからまあお腹を切るので除毛します。
これが看護師さんが実にシステマティックにやってくれます。照れる瞬間を与えません。
照れる方が馬鹿みたいな感じです。
散々、兄に「明日はついに腹をカッツだね」とからかわれます。私は分かりやすくおびえてました。兄の師匠が実に入院慣れしてる方なのでさくさく物の置き場を決めてくれます。
兄がからかうたびに「大丈夫、寝てる内に終わるから」となだめてくれました。
そうこうする内に夕食の時間になりパクパク食事をしました。
夕食がすむと兄と師匠が帰りました。
その後が気だるいのですが浣腸をするんです。
思い返してみると浣腸したのって初でした。
・・・かなり嫌ですね。終わった後が震えるくらい体温が下がった気がしました。
消灯までドラマ版「ハゲタカ」を見ました。
そして夜9時から手術後の翌日まで水抜きでした。
緊張して眠れないと思ったので睡眠薬を飲んだらすぐに眠りました。
手術当日が3月31日でした。
もちろん水抜きの食事抜きです。
そして朝からまた浣腸です。
手術着に着替えて足にむくみ予防のストッキングを履きます。
9時くらいから点滴が始まりました。
手術当日はナースステーションの一番近くの部屋に移動となりました。
後はひたすらすることがありません。
ひょっとしたらラストになるかもと縁起でもないことを考えて「ハゲタカ」の続きを見ながら心を静めました。ちょうど、ゴールデンパラシュートの辺りで兄と師匠が昼ごろに来ました。
忘れない内に携帯も貴重品ボックスに入れて鍵を師匠に預けました。
手術の時間が二時でしたが本当にぴったりの時間にお迎えが来ました。
笑ったのが手術室まで歩きなんです。
兄が「またハワイへつれてってやるから頑張れ」と言いました。
師匠が「聞いた?ハワイへつれてってくれるって!」と言ったのに対して頭が真っ白になりながら手を振りました。
この辺りからもう心の余裕がなくなり手術室の看護師さんに挨拶して執刀医の先生に挨拶して後は麻酔医の先生に挨拶しましたが名前が全部飛んでます。まったく覚えてません。
意識があるまま手術着を脱いで下着も脱ぐとまず手術台に横向きで寝て背中を丸めて痛み止めのロケットを付けてもらいます。これがひたすら体を丸めてるのがきつい。
背骨の間接の間にかなり針が刺されて痛みは最初だけですが、つる様な感覚があります。
それがきちんと固定されると今度は仰向けに寝てシートがかけられます。
口元に酸素マスクみたいなのをあてられて「そろそろ眠くなりますよ」と言われて「はい」と答えたものの「全然眠くないけどなぁ~」と思った瞬間に寝てました。
次に起きたのがやはり手術室で「終わったよ!起きて!イナエさん」と声をかけられました。
心底眠い感じです。すごく眠かったのですぐ寝てしまいましたがすぐ起こされました。
頑張って目を開けてうなずくと意識が大丈夫だと分かったのかもう手術室から移動が始まりました。喉に軽い違和感がありましたが手術中に喉に入れられる管を抜いた感覚だったようです。
気持ち悪い思いはまったくしませんでした。
手術室の前室みたいな所で執刀医の先生が私の患部を切った物を見せてくれたんですがメガネをかけてないので赤い塊みたいなのが2個くらいあったのがぼんやりしか見えませんでした。
先生が「こっちが卵巣でこっちが癒着してた組織」みたいな事を言ったのですが眠いし良く見えないしでうなずくのが精一杯でした。
しばらく前室で手術室の看護師さんと病室の看護師さんで引き継ぎをしてるようでした。
それが済んで寝たままストレッチャーで移動されたのですがちょっとした段差の振動で非常に腹が痛かったです。
気が付くと病室でした。ひたすらトイレに行きたい感覚でした。
膀胱がパンパンでひたすら大小ともにしたい感覚ありましたが看護師さんが「そういう気がするだけですよ。実際は出ませんしおしっこもちゃんと管から出てますから大丈夫ですよ」と言いましたが何の慰めにもなりませんでした。
体質的なものらしく大丈夫な人は大丈夫でなんとも無いらしいですが辛い人は泣くぐらい辛いらしいです。
私はどちらかというと後者でした。
何度もトイレに行きたいと言ったのですが「絶対安静で動いては駄目です」と言われました。
本人的には腹は痛いけどかなり歩ける感じがするので頭がはっきりしてる分辛かったです。
そして熱が出て体が非常に熱くなりました。
看護師さんに寝返りをさせて貰いながら喉がカラカラなので「すごく喉が渇きました。水が飲みたいです」と言いましたがもちろん「明日までの我慢ね~」と返されました。
何度か言ってたらついに「そう・・・」というテンションの低い返事しかもらえなくなりました。
明日の朝一でトイレまで歩けたら管を抜いてあげるから一晩我慢してね。と言われてひたすら我慢しました。
手術翌日は4月1日でした。
うとうとしては起きるを繰り返してようやく朝になりトイレまで歩かせて貰いました。
洗面と歯磨きを済ませると部屋に戻ってすぐ抜いて貰えました。
着替えを手伝って貰いやっと楽になるかと思ったら中々違和感が消えません。
要は腹を切った痛みも半分混ざっていたようです。
最初のトイレは数回は沁みる感じでした。出来るだけ歩くように言われたので調子に乗ってふらふら下の売店まで行きました。
後は眠くなると寝ました。
お見舞いに兄と師匠が来てくれましたが何を話したかよく覚えてません。
また部屋の移動がありました。窓際ですごく明るくていいベッドでした。
下手すると家に居るときよりぐっすり眠れました。
診察が済んで水が飲めるようになりすごく嬉しかったです。
点滴があったので熱が下がるとそれほど喉も乾きませんでした。
夕飯にゼリーが出ました。
しばらくゼリーとおかゆみたいな生活でした。
この翌日に調子に乗って動きすぎたせいか痛みがきつくなり殆ど寝てました。
4月2日で点滴は終わりました。
大分お腹の痛みが和らいだのもこの辺りでしたが背中の痛み止めのロケットを取った途端にびっくりするほど痛みがぶり返しました。
その夜に痛み止めを貰ったのですが水が無くて汲みに行く時が地獄でした。
この痛みから翌日も辛くて歩きにくかったです。
歩かないでいると「出来るだけ歩きましょうね」と注意されました。
4月3日から確かシャワーが出来るようになりました。以前、他の病院の時は風呂に入れなかったので非常にこれが嬉しかったです。
シャワー浴が可になってからは毎日シャワーを浴びてました。
4月5日の夕方の食事から普通の食事になりました。
その前は殆ど離乳食でした。
かぼちゃの煮つけが黄色いキューブだったり、ほうれん草のなんたら煮が緑のキューブだったりしました。
ブタの生姜煮が茶色いキューブだった事もあります。ついでに魚の煮付けがタイヤキみたいな型のゼリー状の物だった時に食べたらちゃんと魚の味がしたのが衝撃でした。
それに三分がゆでした。ポカリ味のゼリーと栄養がありそうなゼリーが付いてました。
普通の状態なら箸をつけたくない感じですがこれが美味しくてしょうがなかったです。
結局退院するまで私は一度も食事を残しませんでした。
もう少し余裕があったら全部写真を撮っておけばよかったなぁ~と思いました。
ご飯が本当に美味しかったです。
朝食はパンでしたがマーガリンとジャムを両方使うとカロリーオーバーらしくたいてい
ジャムとパンの組み合わせでした。
それとスープとチーズ、牛乳とちょっとしたおかずでした。
食事がちゃんと計算されてるせいかすとんと体重が3キロは落ちました。
入院前に体重量ればよかったと思うほどです。
4月7日に抜糸でした。先にシャワーを浴びておいてからホッチキスの針みたいな感じの物を抜きました。
痛くは無いのですが軽く痒かったです。
4月8日に診察してシャワーを浴びても良いと言われました。
後は退院まで「ハゲタカ」とか「クローズゼロ2」とか「プルコギ」とか絶対爆笑しないタイプの内容を知ってる物を観てました。
下手にバラエティー見ると酷い目にあいそうな気がしたので「龍馬伝」と後は絶対大丈夫そうなニュース番組を観ました。
4月9日に「わが家の歴史」を観たときが一番危険でした。
4月10日の昼前に退院しました。
まだ歩くのがやっとという感じでした。
兄が車で迎えに来てくれたんですがこの車の振動が非常に辛かったです。
ちなみに兄は数日を除いて見舞いに来てくれたんですが爆笑させたり驚かしてくれたりで嫌な見舞い客でした。
悪気が無いのが分かるんですが内心「来ない方が快復しそうな気がする」と思いました。

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