メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

不妊症とお姑ごん




子どもが特に大好きという方ではなかったが、結婚して暫くすると「子どもがいてもいいな」から「子どもが欲しい」に自然と変わっていったのを今でも覚えている。

結婚した当初は、周りからさんざん『子どもの予定は?』などと訊かれて、子どもは作らないといけないものなのかと、子作りをまるで義務のようにしか思っていなかったのだが、いつしか段々と子どもが欲しい病にかかる程になっていた。
その理由はなんなのか、今でも私には分からないままなのだが、純粋に子どもが欲しいというのは殆ど女性の本能に近いものなのではないかと最近思ったりする。


結婚して5年、通院して3年、そして不妊症と判明してから約2年になるが、1年前までは子どもが出来ないプレッシャーで苦しくて仕方がなかった。
今なんて『子ども作らないの?』などと訊かれても、飼い犬を指差して『子どもはいないけれど、この子はうちの子ども同然なんですよ。』なんて冗談まじりに交わしたりするのだが、昔はそんな質問に余裕さえ持てなかったのである。
何処へ出掛ける度にも、特に親戚の家などでは、当たり前のごとく子どものことを訊かれ、何年も何年もそれが続いた所為か、「子どもが欲しい」から「子どもを作らなければ」の焦りに変わっていったのである。


お姑ごんも最近まで『子どもはいつ作るの?』と私と顔を合わせる度・話す度に訊いてきたのだが、『不妊症ですから、いつになるか分かりませんし、出来ない可能性もあるかもしれません。』とはっきりと断言してからはピタリと訊くのを止めてしまった。
この時ばかりは、はっきり言って本当に良かったと思ったのだが、『子供はいつ作るの?』の台詞が私が不妊症と知った時点で、『私は孫の顔も見ずにあの世へ行かなければならないのね、、、。』の台詞に変わった時には、私はがっくりときてしまったのである。

勿論、私の父母やお舅ごん、そして、お姑ごんにも孫の顔を見せてあげたいのは山々で、それをすぐに叶えてあげられないことに関してはとても申し訳ない気持ちで一杯なのだが、お姑ごんが困ったちゃんに見えるのは、れっきとした孫がいるのにあの台詞を吐いたからである。

その孫と言うのが、私の小舅ごん(私の義弟)の子なのだが、その孫も小舅ごんの元婚約者に養育権があるので、お姑ごんにとってもその孫と滅多に会えないのが不満なのだそうだ。
お姑ごんが『養育権が向こうにあって顔もろくに見られないんじゃ、孫がいないのとほとんど同じだわ、、、。』と悲しげに台詞をいうものだから、『でも2週間に1度は会えるし、元気な孫がちゃんといるじゃないですか。孫がいないなんていうとあの子が気の毒ですよ。』と私は慰めの気持ちを含めて答えた。

そうすると、『あの子の出生証明書に私の息子の名前さえないのよ。だから正式には孫じゃないことになるの、、、。私の妹には正式な孫もちゃんといるし、何枚も何枚も孫の写真を送ってくるのよ。私にはそういうことも出来ないから嫌なの。』と返す始末、、、。(ーー;)

しかも、私が不妊治療のための病院通いから帰ってくる度に、お姑ごんは『どうだった?どうだった?』と必死こいて訊いてくるのだが、その必死さには『そんなに簡単なら私もここまで精神的に苦しんでいないわいっ!』と言いたくなってしまうほどである。

お姑ごんがそこまで必死だと、赤ちゃんもさすがに怖くなって出てくるものも出てこなくなってくるんじゃないかとさえ思ってしまうくらいなのだが、いやはや、病院に行ってすぐに赤ちゃんを授かるのなら、私もこうして何年も何年も通院するはずがないということをお姑ごんは全く理解していないし、また、理解させようとするのも疲れるので、不妊治療の報告を訊かれるままにして、後はすーっと話を流すことにしている。

まあ、しかし、ラッキーか否か、お姑ごんがうちに滞在している間は、例え通院中であっても、お姑ごんによるストレスで手一杯で、不妊症で悩む暇さえない私、、、。(ーー;)
赤ちゃんが出来たら出来たで、また色々な騒動が待ち構えているのかと思うと、不妊治療や子どもが居ないことをつべこべお姑ごんに言われることは、きっとあくまでも第一ラウンドに過ぎないんだろうなぁと思うのである・・・。(ーー;)


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: