あたしの気まぐれな毎日

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黒らぶ★ @ Re:たとえ悪気がなくても・・・(01/14) かおりんさんが心配です。 お話聞くこと…
はおめい1542 @ Re:たとえ悪気がなくても・・・(01/14) 実家に帰った方がいいよ、絶対。
かお☆りん @ Re:やだ(01/11) だははは~~らりらりほ~よ~~
tomo5n @ やっと 全部読めました。 あの事件、もちろん新…
2005.04.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
あたしの一番最初の記憶は3歳。弟が生まれた朝。

生まれてしばらく体の弱かった弟は入院が続いた。
母は付き添い、父は出張がちでほとんど留守。
あたしはいつもどこかに預けられていた。
よその家。両親との距離。甘えたくても甘えられない。
『人間は孤独だ。強い大人にならなければいけない。』
それが3歳のあたしが身に着けた最初の哲学だった。

そして小5くらいのときかな、母に

継母に育てられて歪んだ人間だから、本当の親子って
なんだかわからない。どうやって愛していいかわからない。」
って言われたの。そんなこと言われても・・・小5だよ。

そのときにね、思ったんだ。
「愛のない結婚で、やむを得なく産んだ子で、
愛されてないんだなぁ、あたしは。」って。

実際母子手帳みたいののメモに、
「妊娠がわかって、これで孫はまだか、と言われずに
済むのでほっとした」と書かれていた。
うれしくはなかったんだな。ただ、孫って言われる重圧から
逃れるために子供産んだ。それがあたし。


小さい頃から甘えるのが下手だった。
勝気で、ケンカも男の子にでも負けるのはイヤだった。
辛いことも辛いと言えず、悲しいときも悲しいと言えず
人前で泣いたことはなかった。
どんなときも明るく強気な自分を演じているうちに

親に甘えることもできなくて、相談もできなくて、
いつも自分で決断してから事後報告する子だった。

弟はその反対で、なんのわだかまりもないから屈託なく
親に甘えて頼ってそれが当たり前と思ってる子だったから
親からしてみたらそういう子の方がかわいかったんだろうね。
生まれたときに死にかけたから、親もかわいくて仕方ない様子
だったしね。見た目もすごくかわいかったのよ。

あたしはいつも3人家族+居候っていう気分で暮らしてたの。
だから愛情は外に求めてた。彼氏とか、友達とか。
そうなるとますます親とは距離ができて、親の嫌がる
男と敢えてつきあったりしてますますダメになっていった。
親とはもうやり直しがきかないし、弟とも気が合わない。
でも結婚して別々に暮らしてればそれなりに
物理的距離があることによって大人対大人っていう
ごく親しい他人、みたいに割り切ってつきあってきた。

結婚して半年で大発作で倒れたとき、夫は出張だった。
他に頼る人が思いつかなかった。母に電話をした。
実は覚えていない。電話したこともよく覚えていない。
息も絶え絶えだった発作中のあたしの声を聞いて、
すぐに両親が家に来てくれた。
ドアを開けて両親の姿を見たとき、あたしは覚えている限り
生まれて初めて親の前で涙を流した。

その涙から少しだけ親に頼ることができるようになった気がしていた。
母とは女性として大人としていい関係になれているつもりになっていた。
病気で辛いときには頼ることもできるようになった。
不思議なことだけれど、この年になってやっと親子として
まともに母と向かい合えた気がしていたんだ。
でも、違っていた。

今回弟が実家に戻ってきていて、そして父方の祖母が
越冬(笑)にきていて、だからあたしとだぁりんとチビタも
実家に遊びに行ったのね。

ところがそこで、弟が酔った勢いで酷い言葉を吐いたの。
「病気病気って、不健康自慢はうんざりなんだよ!」
で、泊まる予定だったのに「むかつくから俺は帰る」って
核弾頭落として自分は基地に戻ったのよ(笑)

あたしさ、弟に病気の話をしたことはないの。
PDだとは話したけど辛いとか愚痴とか言ったつもりないのね。
きっと母が弟に話していたと思う。
「いつも体調が悪いって愚痴ばかりこぼす」みたいな。
愚痴こぼしたりできるのも、甘えの一種だと思ってたから
「体調はどうなの?」って聞かれれば素直に
「今日は頭痛。」「吐き気が・・・」とか言ってただけなのね。
外食誘われたって、旅行誘われたって、いけなくて当たり前だしさ。

別に病気のことを理解しろとは言わない。無理だから。
だけど「病気じゃなくたって辛い人はたくさんいる」
とか言われちゃうとさ、「なら貴様がなってみろ、おらぁ!」
「死の恐怖を味わって見ろ、この野郎!」ってなるじゃない?
理解できないなら思いやりだけでも持て、と思うの。
病気理由に責めるのは勘弁してくれと思うのよね。
慰めも同情もいらないから黙っててくれって思うの。
あたしも売り言葉に買い言葉でなんか口走ったのよね。

実際祖母はすごく愚痴っぽい人で、病気でもないのに
「いいえ、あたしは体調が悪い」っていって、
今日はここが悪い、今日はあそこが悪い、もういつ死ぬか・・・
って毎日毎日口開けば不健康であることを一日中愚痴ってるの。
医者からみても不必要な薬を無理矢理出させてるのね。
でもなんの病気でもなく、誰から見ても食欲もあって色つやもよく
元気なの。調子が悪い内容をきけば、そりゃ年取ってるから
でしょってことばっかりなわけよ。86にもなりゃね。
だけど本人は年取ってることが認められないのか、どうしても
あそこが悪い、ここが悪いって。ちやほやされたい人なの。
弟は出張で数日滞在してる間中それを聞かされて、
うんざりしてたところへあたしが行って、祖母に当てつけで
あたしのことを「不健康自慢もいい加減にしろ」って言ったわけ。

でもあたしはホントに病気で、体調のいい時を探す方が
難しいわけだし、それでも誤魔化し誤魔化し生きてる。
なのにホントにただ愚痴こぼしてるだけの祖母と一緒
扱いされて、すごく不愉快だったのね。

それで兄弟げんかになったわけなんだけど、
弟が帰った後、両親は一切あたしのフォローはなし。
弟をかばう言葉ばかりだったの。
「いつも遠慮してる」とか「お姉さんも旅行誘いたいけど
無理だよね、って心配してる優しい子だ」とか。
あたしの知らないところで優しいこと言ってても
全然伝わってませんって。

挙げ句、「こんなに協力してて気に入らないなら
あんたたち夫婦だけで勝手にやって行きなさいよ」的な
言葉を吐かれて、(このときはもうだぁりんは出張のため
移動してあたしだけ実家にいたんだけど)
思わずそのまま飛び出しそうになった。
親兄弟の縁切ってもらって結構!って思ったのね。

親兄弟って、いればいいってもんじゃない。
実の親兄弟でも憎み合ったり愛せなかったりもする。
血がつながってなくてもいい関係を築けることもある。
それって、血縁とは全然別のところにあるものなんだな。
育ててもらった恩もあるし、今でも結局いろいろ協力
してもらわないと、だぁりん出張ばっかりだし、他人に
話して協力してもらえる環境にはないし、縁切れない。
それがもどかしい。改めて病気を恨んだよ。自分を呪ったよ。

あたしたちは病気と闘うと同時に、偏見とも闘ってる。
そういうのがメンタル系の病気の辛さを倍増させるよね。
血が流れてれば、手術の跡があれば、傷が目に見えれば
単純に「病気」扱いしてもらえるけど、あたしたちは違う。
気の持ちよう、とか、頑張って、とか言われちゃう。
挙げ句の果てには「精神科に通うキチガイ」扱い。
友達だって厳選された人だけになっちゃうよね。
ウツとかパニックとか言っただけで去っていく人もいるよね。

今回のことで、改めて「親に愛されてない自分」に
気づかされて、見て見ぬふりしてたっていうか、
あきらめてたっていうか、いろんな意味で
「脇に置いといた」感情を目の前に放り出された。
割り切って、割とうまくやれてたと思ってただけに
改めて3人家族+居候だった自分を、夫の前で
さらけ出されて屈辱だった。
だぁりんもあきれてたよ。
「弟君の擁護しかしないんだね。」って。
両親はいつも弟を過大評価して、あたしは褒められたこと
一度もないよ。ま、褒められるようなこともしてないけどさ。

でもだぁりんは「弟だけを擁護するのはおかしい。
病気で苦しんでるお前に対してのあの言葉は許せないよ。」って
言ってくれて、「俺は絶対味方だ。」
って言ってくれたのだけが救いだった。

そんな風に愛されてないと思って育ってきたあたしは
子供を持つことが怖かった。結婚するのもイヤだった。
自分も歪んだ親に育てられ、歪んだ人間に育ち、
自分も歪んでてそれをまた子供に与えちゃうって思って。
だから結婚することで、子供を産むことで、人を
不幸にするのはやめようと思っていたの。
結局結婚はしたけど、PD悪化して、子供なんて
あり得ないって状況に追い込まれたし、ホントに子供
を産んで育てる責任の重圧、というか、恐ろしさを
感じていたから、子供の話は避けてたのね。
でも避けられなくなって、結局子供が欲しいっていう
夫の気持ちと、最後のチャンスだろう、ということと
この人の子供なら、この人ならちゃんと父親として
子供に接してくれるだろうと思えたから決断したの。

でもいまだに、自分自身がちゃんと子供を愛してあげられてるか
子供が歪まずにきちんと育ってくれるか、あたしの二の舞に
させてしまわないか、と不安で仕方ないときがある。
みすみす不幸にするために子供産んだんじゃないかって
思って、懺悔の気持ちになることもあるの。
それでも産んだ責任があるから、投げ出したり逃げ出したり
しないで病気抱えてでもやり遂げる決意だけど。

そんなこんなで、一番身近でありながら、一番遠い存在である
両親と弟への感情をすぱっと断ち切って生きていこう、
しかし病気で辛いときにはボランティアとして多少は
利用させてもらおう、と気持ちの切り替えをしようとしている
最中なんだけれど、まだまだ、立ち直れてない自分がいます。

読んでくれてありがとう。
少しずつだけど、親のこと、ありのまま受け止めて
つきあっていく強さを身につけていこうと思います。

チビタは一人っ子でいいって、改めて夫と話した。
平等に愛せないでどちらかに寂しい思いをさせるなら
1人だけ大事に育てていこうね。って。

確かに上の子は寂しい思いするのは宿命。
でもあきらかに愛されてる実感を持てずに生きてきたあたしは
なんなんだろうね。
これからも一生、3人家族+嫁に行った人、だわ。

ちなみに、母の最初の記憶は、「自分の母親が火葬場で
燃やされている煙」だそうです。(苦笑)だめだこりゃ。





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Last updated  2005.04.06 01:23:41
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