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マローの花も小さな花も変色してしまっています。このファイルの作品はほとんど変色してしまっています。
October 1, 2026
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忘れられることがない五羽の雀、あなたや私はなおのこと。
September 30, 2026
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シクラメンの押花作品です。
September 29, 2026
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秋の、ユリオプシスデージーが咲き始めました。花の無い日が続きました。その間は、押花作品紹介をてきました。やっと生花の紹介ができるようになりました。
September 28, 2026
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聖書の言葉マタイ 21:28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。 21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。 21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。 21:31 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。 21:32 なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」(新共同訳)
September 27, 2026
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野生種のバラの押花作品です。一重の素朴な花姿が大好きです。
September 26, 2026
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真ん中の余白に聖書の言葉や便りに用いることができます。
September 25, 2026
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葉が変色してしまったクレマチスです。葉の色が緑たと雰囲気が違って見えるはずです。
September 24, 2026
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桜の押花作品です。ずいぶん古いものですが桜とすぐにわかります。
September 23, 2026
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どこから種が運ばれ、来たのか、野生のスミレが押し花作品になりました。
September 22, 2026
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生きているものは流れをさかのぼることができます。
September 21, 2026
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聖書の言葉マタイ 20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(新共同訳)
September 20, 2026
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レリオカトレアの押花作品です。
September 19, 2026
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アジサイの押花作品です。
September 18, 2026
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スミレの押花作品です。
September 17, 2026
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フリージアの押花作品です。黄色が主なのですが色んな種類の色があるようです。
September 16, 2026
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猫じゃらしの緑の時期のものが押花作品になりました。
September 15, 2026
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セージの花でいっぱいです。今はセージの花はみられません。懐かしい庭が思い出されます。
September 14, 2026
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セージと桜草の押花作品です。
September 13, 2026
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カーネーション三輪、押花は花びら一枚一枚を組み合わせて作りました。
September 12, 2026
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野の草花、緑とピンク、名前を忘れてしまったようです。
September 11, 2026
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スノーフレイクの押花作品です。葉は水仙のようです。
September 10, 2026
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四階のベランダからは白い花に見えました。一階へ降りて見るとキノコでした。
September 9, 2026
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庭で咲いたクリスマスローズを何回も描いたようです。
September 8, 2026
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何の花かな、クリスマスローズかもしれないな・・・・・・
September 7, 2026
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「ピりピ人への手紙」お寄りをいただきました。巻末に「ピりピ人への手紙」がありますのでお読みください。
September 6, 2026
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サザンカの絵が描けました。
September 5, 2026
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水仙の絵が描けました。
September 4, 2026
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野の花の押花作品です。(昨日、楽天ブログの名前で警告がきました。このブログには「12坪庭物語」と言うテーマがついています。しかし12坪庭物語にふさわしい記事がありません。このまま続けると12坪庭物語は削除されます。と警告されました。返信には今は押花作品の紹介が多くなっていますとしました。押花のほとんどは花です。その花は12坪ではありません。もっと広い畑の植物です。いたずらメールかも知れませんが弁解文を書きました。)
September 3, 2026
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久しぶりに文字入りの選びの登場です。
September 2, 2026
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キンギアナムの押花作品です。
September 1, 2026
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ダリヤの花びらの押花作品です。
August 31, 2026
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カラスノエンドウと四つ葉のクローバーの押花作品です。
August 30, 2026
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スズメのエンドウの押花作品です。
August 29, 2026
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カトレアの色がよく残った、カトレアを中心とした押花作品です。
August 28, 2026
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朝6時だいの朝顔が満開です。
August 27, 2026
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ビオラの押し花がいい感じ桜も裏返しで押されていました。
August 26, 2026
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記事が逆になっています。先頭にさかのぼってお読みください。ピリピ4:20~234:20 私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。4:21 キリスト・イエスにある聖徒の一人ひとりに、よろしく伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。4:22 すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。(新改訳2017) ピリピの人々への手紙の最後の部分になりました。パウロの祝福です。手紙の初めも祝福の祈りでした。しめくくりも祝福の祈りです。祝福の祈りの先頭は「私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。1:1」と神賛美から始まります。パウロの手紙の書き方にならって手紙の初めは、栄光在主とか、み名があがめられますように、などと神さんびで始まります。今は手紙を書かなくなってしまいましたが心は失わないようにしたいものです。そして安否の共有です。「よろしく」という言葉に込められています。そして最後は「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」と祝福の祈りで終わります。 一月四日から始まったピリピ人への手紙もこれで最後となりました。次週からは聖書の言葉だけにしたいと思ってます。最後までお付き合いくださりありがとうございました。祝福をお祈りいたします。ピリピ4:14~194:14 それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。4:18 私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。4:19 また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(新改訳2017) ピリピ教会の人々のことをパウロは感謝を込めて語ります。「一度ならず二度までも物を送ってくれました。」と物質的な支援でした。ここには書かれていませんが、なぜパウロはなぜこれほどに感謝したのでしょう。パウロは働きながら福音の宣教に携わっていた時がありました。専心して宣教活動にあたることができたことを限りなく感謝したのでした。働きながらの福音宣教は簡単ではありません。働きながら宣教活動に当たられた牧師さんたちは良くわかります。パウロは感謝しても感謝しても足りないほどのものであったのです。「私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」とピリピの人々への祝福を祈っています。ピリピ4:10~134:10 私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。4:12 私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。(新改訳2017) パウロとピリピの教会の人々は「案じ」あう関係だったようです。案じ合う関係は執成しの祈りが伴ったことでしょう。互いに祈りをもって支えあうものだったでしょう。パウロはキリストを明確にいたしました。ピリピの人々はそれによって信仰生活がより豊かになりました。ピリピの人々はキリスト知る豊かさに預かりました。そしてパウロを支援する献金や物の提供によってパウロは宣教活動に専心することができたのでした。お互いに喜びがあふれていたことでしょう。続いて「私は、どんな境遇にあっても満足する」ことを学びましたとパウロは謙虚です。つまりピリピの教会の人々と持ちつ持たれつの関係だったのです。パウロは「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得て」いるといって環境によって振り回されることなく宣教に取り組むことができたのでした。パウロの姿はピリピ教会の人々の大きな大きな慰め励ましとなりました。そしてパウロは「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」と自分の力量を誇ることなく強くしてくださるお方が居ますことをそしてピリピの教会の人々の支援に感謝しました。これがパウロの活動の原動力だったのです。自分の努力を否定することなく、強くしてくださるお方がいることをもっともっとピリピの教会の人々と共に感謝したいものです。ピリピ4:8.94:8 最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。4:9 あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。(新改訳2017) パウロは再び「最後に」と言ってピリピの人々に教えています。①「真実なこと」➁「尊ぶべきこと」➂「正しいこと」④「清いこと」⑤「愛すべきこと」⑥「評判の良いこと」⑦「徳とされること」⑧「称賛に値すること」と言っています。そして「心を留めなさい」と勧めます。八つの言葉をそのまま受け止めて心を留めながら生活したいものです。ピリピの人々も私たちもパウロの勧めに心に留めて生きるならば素晴らしいことです。一人一人も教会も変わることでしょう。続いて九節です。ここでも言葉が並びます。①「私から学んだこと」➁「受けたこと」➂「聞いたこと」④「見たこと」とパウロからさづかったことが並びます。またパウロは授けた意識が強かったようです。だから授けたことを「行いなさい」と勧めます。パウロのピリピの人々への思いが伝わってきます。そして最後に「そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」仲たがいも解消するでしょう。益々福音の前進のために用いられることでしょう。私たちもこうありたいものです。ピリピ4:4~74:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(新改訳2017) 再び喜びなさいの登場です。ピリピの人々の教会へ繰り返し喜びなさいと呼びかけて大切なメッセージが届けられます。第一は「寛容な心」です。ピリピの人々に寛容な心がなかったのではなくすでに持っている心を引き出すように語ります。第二は「主は近い」つまりキリストの再臨は近いということです。第三は「何も思い煩わない」と具体的には言いません。ピリピの人々が一人一人思い出すように語ります。読んでいる私に語り掛けられているようです。第四は「感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」と祈るべき内容が示されます。神に知っていただく祈り、何と豊かな祈りでしょう。この個所を読むたびに思い煩いを主に委ねてしまう思いを何時も持ちます。それは自分のなすべき努力の放棄とは違い、知っていただく報告のように思えます。子どもの祈りを聞いていると報告です。報告は知っていただくことです。祈りは報告そのものです。最後の第五は「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」つまり神からの平安が心と生活をうるおすのです。イエスさまが持っておられた平安が、心と思いの中へ飛び込んで来る思いです。いつの間にか平安を生きている自分を発見して感謝するのです。ピリピ4:1~34:1 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。4:2 ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。4:3 そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。(新改訳2017) ピリピの人々はパウロにとってどのような存在だったのでしょう。一節に「愛し慕う・喜び・冠・愛する」と出てきます。ピリピの人々に対するパウロの思いが伝わってきます。そして二節では個人名をあげて勧めます。ユウオディア、シンティケに「主にあって同じ思いになってください。」と勧めます。二人は一致した思いと行動がとれていなかったようです。そして三節ではピリピの教会の人々に「彼女たちを助けてあげてください。」とパウロは言っています。そして「クレメンス」の名も上げています。「そのほかの私の同労者たち」と言って名前こそあげませんが協力者がいました。その人たちのことも覚えてピリピの教会の人々に協力を願っています。パウロの取り持つ心が伝わってきます。それは福音の前進のためだったのです。ピリピ3:21.223:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。3:21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。(新改訳2017) 今日の個所はパウロと共に共有したいところです。「私たちの国籍は天にあります。」ただただアーメンと同意する以外ありません。国籍は天に何度励まされたことでしょう。あこがれたことでしょう。かといって今の生活をないがしろにはいたしません。むしろ大切にいたします。大須教会の保浦牧師は私たちは二重国籍を生きているのですと言われました。今の生活を営みながら国籍は天にある生活です。パウロは天国へのあこがれと地上の今の生活を「そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」と言って地上の生活はイエスさきが再び来られる再臨待望の生活を送っているとしています。これこそ地上の生活そのものです。私たちキリスト者は再臨待望者そのものです。ピリピ3:17~193:17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。3:18 というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。3:19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。(新改訳2017) 前回、目標を目指して生活していることを語ったパウロは「私に倣う者となってください。」と呼びかけます。パウロが語るキリストについて反対する人々を強く意識して「私に倣う者となってください。」と言います。パウロはキリストの十字架否定者を許しておくことはできませんでした。続いて「私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」といわれる人がどこの人たちか記されませんが多分テサロニケの人々でしょう。続く18節には「キリストの十字架の敵として歩んでいる」人たちをほおって置くことは出来ません。ピリピの教会の人々が汚染されないように強い言葉で「その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。」と言います。決してキリストの十字架否定をする人々に目を向けてはなりません。どうしても強い言葉にならざるをえなかったのです。ピリピ3:7~93:7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、3:9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。(新改訳2017) パウロの信仰告白と見ます。これこそ国を超え人種を超えたすべての人の信仰告白です。自分の努力や熱心ではなくイエスをキリストと信ずる信仰義認です。イエス・キリストを救い主と信じることが義と認められることは何と素晴らしいことでしょう。これは他宗教の難行苦行を否定することではありません。他宗教の難行苦行を尊敬の目で見ます。しかし難行苦行で人は救われると断言されては困ります。どこまでも信仰義認を大切にいたします。これがキリスト教徒の姿勢です。ピリピ3:4~63:4 ただし、私には、肉においても頼れるところがあります。ほかのだれかが肉に頼れると思うなら、私はそれ以上です。3:5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、3:6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。(新改訳2017)パウロは「ただし」と言って自分のことをピリピの教会の人々に話し始めます。「頼れるところがあります」と言いながら自分のことを明確にしています。ピリピの人々の教会にはユダヤ教の誇りを持っている人がいたようです。それに影響される人たちが居て、それを止めるためにあえて語ろうとしています。パウロは生粋のユダヤ教徒であったことを5節6節(もう一度読んでください)で明確にしています。割礼を大切にしていたユダヤ教徒の思いを先頭にあげて出身は「ヘブル人の中のヘブル人」と言って誇らしげです。「律法についてはパリサイ人」と言ってこれも誇らしげです。しかも「教会を迫害したほど」であったことを語ります。なぜパウロは自分のことを語ったのでしょう。ユダヤ教徒の生活が優先ではなくキリストを信じる信仰が優先されることを明確にしているのです。人の救いはキリストを私の救い主と信じ受け入れることが優先することを明らかにしているのです。ピリピ3:1~33:1 最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。3:2 犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。3:3 神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。(新改訳2017)パウロは再び「喜びなさい」と言い、それが「安全のため」だと言います。迫害で苦しんでいる最中に喜ぶことは「面倒なこと」ではなくピリピの人々の安全になると言います。日本でもキリスト教が理解されない時代がありました。その時代の人々も笑顔が絶えなかったようです。隠れキリシタンになって生活した時代もありましたが心は晴れていたようです。苦しい時にこそ笑顔があるのはキリスト者の恵みのようです。つづいてパウロは「気をつけ」なくてはならないことを「肉体だけの割礼」を強調する人たちに「気をつけ」るように助言しています。割礼は男性の性器の先端の皮かぶりを取り除く宗教儀式です。割礼が真のユダヤ人だとした人々がいて、それに対する注意の呼びかけでした。パウロは人が救われるのは割礼ではなくキリストを信じて受け入れることが真の救いになることを明確にしたのです。結びのように「神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。」といって締めくくっています。ピりピ2:25~302:25 私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要があると考えました。2:26 彼はあなたがたみなを慕っており、自分が病気になったことがあなたがたに伝わったことを、気にしているからです。2:27 本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。2:28 そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。2:29 ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。2:30 彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。(新改訳2017)ここではエパフロディトの登場です。パウロはエパフロディトのことを「私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者」と言っています。偉大な指導者が部下に当たる者のことを「私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者」と言うのです。これがパウロのやりかたとと言えばそれで済んでしまいます。私ならパウロからどんな紹介をもらうのだろうと思うと身がしまります。これだからパウロの弟子たちは育てられたのだろうと想像します。そのエパフロディトが「彼は死ぬほどの病気にかかりました。」と書いています。エパフフロディトをピりピの人々の所へ送り返さなくてはと考えたようです。パウロはピリピの人々とエパフフロディトを理解していたことを知ることができます。そしてエパフフロディトは自分の命を投げ出すほどにパウロの働きに協力したのでした。こんなエパフフロディトをピリピの人々の所へ送るのは当然なこととして紹介しているパウロの姿に圧倒される思いです。パウロの隣人愛に倣わなくてはと思うのでした。ピリピ2:19~242:19 私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、だれもいません。2:21 みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。2:22 しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。2:23 ですから、私のことがどうなるのか分かり次第、すぐに彼を送りたいと望んでいます。2:24 また、私自身も近いうちに行けると、主にあって確信しています。(新改訳2017)この個所ではパウロの弟子テモテのことが記されます。パウロはテモテを自分の身代わりのようにピリピ教会へ派遣しようとしていたことが分かります。その推薦文の内容は、「真実にあなたがたのことを心配している者」であり「イエス・キリストのことを求め」る人であり「適任」者であり「私とともに福音のために奉仕してきました。」としています。テモテは信頼の厚い人でした。そのテモテを送るのはパウロが「あなたがたのことを知って、励ましを受けるため」でした。テモテは絶えずパウロに手紙を書く人であったようです。だからピリピの人々の情報が分かりパウロは安心と励ましを受けるため大きな期待をしていたようです。師弟関係の模範のように思えます。ピリピ2:14~182:14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、2:16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。2:17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。2:18 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。(新改訳2017)ピリピ教会の人々への勧めは続きます。「世の光として輝く」生活があることをパウロは語ります。きびしい時代の中で世の光として輝く生活ができているならばパウロは労苦したことは無駄でなかったと語ります。パウロの労苦は並みのものではなかったようです。ここでは具体的には記されていませんが他の個所から知ることができます。パウロは将来起こることを見ているかのように「注ぎのささげ物」と言う言葉で表現しています。つまり殉教を覚悟していたと言うことです。押しつぶされそうな気持ちになりますがパウロは「私とともに喜んでください。」と言っています。ピリピ2:12.132:12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。2:13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。(新改訳2017)パウロは短い言葉でキリスト伝を書いた後にピリピ教会の人々に勧めをしています。それが「従順」でした。パウロは従順をどうとらえていたのでしょう。神に対してか、人に対してか、パウロに対してか、どれも当てはまることでしょう。今は聖書の言葉に対して従順でありたいと思います。聖書の言葉に従順である人に決まって志があるものです。信仰偉人伝を読むと決まって聖書の言葉に押し出されて働きをしていることを見ることができます。聖書の言葉に押し出された志のある生活は信仰生活の力ともなるようです。ピリピ2:6~112:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。2:10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。(【新改訳2017)本日は2:6~11です。パウロのキリスト紹介です。先ず声を出して読んでください。音読するだけでキリストを明確に理解することとなります。あなたがキリスト信者でしたら感謝です。もしまだキリスト信者出ないなら「イエス・キリストは主です」と告白してください。キリスト信者であることをご一緒に喜びます。shinotomo@hotmail.comへメールください。ご一緒に喜び合いましょう。ピリピ 2:3~52:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。2:4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。2:5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。(新改訳2017) 3節でパウロはごくありふれたことのように思えることを語ります。しかし、よくよく考えたら決してありふれたことではなく教会にとっても社会にとっても家庭にとっても心にとめなくてはならないことです。この手紙はピリピの人々の教会に宛てて書かれたものであることを忘れてはなりません。「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」続いて4節です。「それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。」これはできそうでなかなかできないことではないでしょうか。他の人のことも考えていたら争いは起こらないように思えます。どうとしても人様のことよりも自分を大切にしてしまいます。これが自然なことなのかも取れません。だからこそ「ほかの人のことも顧みなさい。」と言う勧めが必要なのでしょう。自分の生活の中で取り入れたいものです。きょうの最後は「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」とイエスさまのうちにあることとしています。つまりイエス様の心を自分の心としたら争いごとはなくなってしまうと思います。ピリピの教会の人々にとって最も必要なことであり私やあなたにも必要なことです。喜びであふれていた人々はますます喜び一杯になったこでしょう。ピリピ1:29~2:21:29 あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。1:30 かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。2:1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、2:2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。(新改訳2017) パウロの言葉は続きます。1:29節のように「受けた恵みは」「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」と激しい迫害という苦しみをパウロと同じように受けていると言います。それは「恵み」と言うのです。今では考えられないような方法で迫害をまともに受けている、それを恵みとしているのです。ピリピの人々はそれを受け入れるかどうかは課題だったでしょう。だからこそパウロはピリピの人々を励ますために言わないではおられなかったのです。ピリピの人々もパウロと同じ恵みに預かっていると受け止めたことでしょう。だからパウロは30節のように言うことができたのでしょう。「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」続いて二章に入ります。2:1.2.をまとめて受け止めたいものです。どうぞ2:1.2節を声を出して読みましょう。パウロの願いは2章2節の「私の喜びを満たしてください。」だったのです。パウロは迫害を喜びと受け止めていたのでしょう。ピリピの人々にも迫害を喜びと受け止めてくれるように願ったのです。ピリピ1:27.281:27 ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、1:28 どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。 (新改訳2017)本日は27.28節です。ここでパウロはピリピの人々への勧めをします。「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」と、これはどういう生活なんでしょう。それを 1、「霊を一つにして堅く立ち、」と2、「福音の信仰のために心を一つにして」そして、3、その生活は、「戦って」いるとしています。先ず「霊を一つにして堅く立ち、」でした。つまり信仰一致です。同じ信仰をもって「戦って」いたら迫害を恐れることはありませんとパウロの手紙を読んだピリピの人々はどれほど大きな慰めと励ましを受けたことでしょう。続いて28節です。このころからパウロの語り教える福音に反対する人々がいたようです。それに対してパウロは「反対者たちに脅かされることはない」と励ましを送ります。しかも反対者には「滅びのしるし」ピリピの人々には「救いのしるし」と言います。これを聞いたピリピの人々は反対する人々への宣教意識が強まったのではないかと考えます。パウロの言葉は実に正確そして励ましに満ちたものだったのです。ピリピ1:21~261:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。1:22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。1:25 このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。1:26 そうなれば、私は再びあなたがたのもとに行けるので、私に関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。(新改訳2017)本日は21~26節です。再び生き死にの登場です。なぜパウロは生き死にを語ったのかその理由が「1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。」と語ります。生きることはピリピの教会の人々のために必要と言っています。ここで立ち止まって自分の生きる必要を考えてみましょう。活躍中であればあるほどに生きる必要が浮かび上がって来ます。教会の人々のために、お仕事の場のために、家族のために、なくてはならない存在です。もし私は必要とされていないと考えたなら立ち止まって考えて見てください。きっと誰かのために必要と気づくことでしょう。もっとも大切なことはイエスさまが必要としていることに気づくことです。その必要のために生きるのです。パウロにとって「1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。」としたいものです。押花作品が出来ていますので紹介します。ピリピ1:19.201:19 というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。1:20 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。(新改訳2017)本日は19.20節です。ここではパウロは自分が支えられいる理由を先ず語ります。その支えはピリピの人々の祈りと御霊の支えだと言います。自分の努力や力量とはしません。これは学ばなくててはならないものでパウロのように自分の能力としないことでしょう。続いてパウロは期待し望んでいることに移ります。それはパウロ自身の救いでした。支えられることが自分の救いだとしています。続いて20節では、パウロ自身の願いが明らかにされます。投獄されていることを恥じることなく福音の宣教が進展することでした。パウロの願いはいつも福音宣教に落ち着くようで大いに励まされます。そして最も大切な生き方を語ります。「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」次回再び冒頭に登場するのでその時にします。今はパウロの言葉そのままを受け入れましょう。「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」を生きたいものです。ピリピ1;15~181:15 人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。1:16 ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、1:17 ほかの人たちは党派心からキリストを宣べ伝えており、純粋な動機からではありません。鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。1:18 しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。(新改訳2017)本日は15~18節です。15節には「キリストを宣べ伝える」ことをめぐって善意から行うものと党派心からの者とがあったことが語られています。パウロは党派心からの者も否定しません。「キリストが宣べ伝えられ」ているとして喜んでいます。何と大きな心を持っていることかと驚きを覚えます。「これからも喜ぶでしょう。」と言って福音宣教が前進し語られているのです。私たちは現在異端とされる活動があることを知っています。パウロはそれも容認したとするのは少し違うと思います。なぜならパウロは異なる教えを語る人を激しく非難しているところがあり何でもよかったのではありません。このことをとり違えないようにしなくてはなりません。安心して耳を傾けていただけること「キリストが宣べ伝えられている」ことを受け入れて入信する人々が一人でも多く起こされるように願っています。ピリピ1:13~141:13 私がキリストのゆえに投獄されていることが、親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり、1:14 兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。(新改訳2017)本日は13.14節です。パウロはピリピの人々に前回も説明したように再び投獄されていることを話します。投獄されたことが益となり「親衛隊の全員と、ほかのすべての人たちに明らかになり」と言って神のわざが進展していることを語ります。「親衛隊の全員」と「ほかのすべての人たちに明らかにな」ったと話します。まず親衛隊は当時のお偉いさんを守る特別に訓練されている人たちで強力な力と知恵のある人たちだったようです。その親衛隊がパウロの警護をしていたのでした。その親衛隊の「全員」にパウロが投獄されている理由が知られることとなり、しかも「ほかのすべての人た」ちにも明らかになったと説明しています。獄中にいても福音は前進していることをパウロは語り、続いてピリピの人々もパウロの現実が「主にあって確信」されることとなったと感謝と喜びを込めて語ります。ピりピの人たちの多くが「恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました」と喜びを込めて語ります。パウロのピリピの人々に対する喜びは福音の前進だったのでした。このことから吸収したいことは何を喜びとするかです。福音がもっともっと人々に知られるようになることを願うのです。ピリピ1:1~12 1:1 キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。1:7 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。1:8 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。1:9 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、1:10 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。(新改訳2017)本日は12節です。パウロはピリピの人々に自分に起こったことを理解してほしい言います。ピリピの人々は良く理解していたはずですが理解できない人々が居たのかもしれません。パウロはピリピの人々全員に知ってほしかったようです。その起こったことは獄中生活です。続いてパウロはピリピの人々にもう一つ知ってほしいものがありました。それはパウロが獄中にいても福音の前進は止まることがないことをピリピの人々に知っ欲しかったのです。パウロの宣教意欲に圧倒されるほどです。こんな福音宣教の意欲を持ちたいものです。ピリピ1:1~12 1:1 キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。1:7 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。1:8 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。1:9 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、1:10 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。(新改訳2017)本日は9節~11節です。9節には再びパウロは自分の祈りを明らかにしています。ピリピの人々が愛、知識、識別力が豊かになるようにでした。ピリピの人々はパウロに対する愛の豊かさは大きなものでした。加えて知識がより豊かになるように祈ったのでした。知識が豊かになることはあらゆる場面で益になるものです。そして識別力です。時代を生き抜くため信仰をまっとうするために識別力が働くと失敗や無理解が少なくなり健康な信仰生活ができるはずです。続いて10節へ移ります。大切なことを見分ける力、それはキリストの日と表現された再臨に備えること、その備えは純真で非難される事のない人柄を身に着けることでした。そこには11節のように義の実に満たされ神の栄光と誉が現わされることでした。念の入ったパウロの祈りに圧倒されるばかりです。こんな祈りがささげられるようにと願う者です。ピリピ1:1~12 1:1 キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。1:7 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。1:8 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。1:9 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、1:10 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。(新改訳2017)本日は7節8節です。7節の初めは6節までの記事を受けています。続いてピリピの人たち理解でピりびの人々はパウロの獄中生活を理解していました。決してパウロのことを忘れません。このような協力を限りなくパウロは感謝したのでした。パウロの活動を理解していたピりピの教会の人々の祈りと愛を感謝したのでした。指導者を理解し愛を込めて祈るピりピの人々への思いを明かししてくださるのは神であると基本的なことを忘れないパウロの姿を見ることができます。牧師が教会の人々をよく理解することそして教会の人々も牧師を理解して支えあうことの大切さを思い知らされます。
August 25, 2026
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初恋草と変色したローズマリーの押花作品です。
August 25, 2026
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レンギョウとビオラの押花作品です。
August 24, 2026
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胡蝶蘭の押花作品を紹介いたします。
August 23, 2026
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水仙一輪だけのものが押花作品になりました。
August 22, 2026
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聖書の言葉入り押花作品です。
August 21, 2026
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散サクラの押花作品です。
August 20, 2026
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ミニ胡蝶蘭と大きな花が押花作品になりました。
August 18, 2026
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ビオラの花かあふれています。
August 17, 2026
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レンギョウと白い花そして背景がすてきです。
August 16, 2026
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水仙が丸い輪の中へ入りました。
August 15, 2026
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四角い枠の中に水仙が入りました。
August 14, 2026
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水仙とビオラの押花作品です。
August 13, 2026
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