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政治資金流用をはじめとする公私混同問題の責任を取り、21日付で辞職する舛添要一東京都知事が20日午前、都庁に入った。「最後に一言お願いします」などの報道陣の問い掛けには応じず、無言で通り過ぎた。21日は現時点で舛添氏が登庁する予定はなく、これが最後の登庁となる見通しだ。具体的な公務の日程もなく、都の職員による見送りなどセレモニーも行われないという。
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知事になる直前の2013年と2014年の正月に木更津のホテルに家族と宿泊し、会議費として37万円を支出した。同じく2013年、自宅近くの天ぷら料理店で1万8千円を支出、これらの支出について舛添氏の依頼で政治資金の使いみちを調査した弁護士は、家族旅行だったり家族での私的な食事であったと指摘した。また、マンガ「クレヨンしんちゃん」やクイズ本などを購入していたことについても家族のために購入したと見られても仕方がないと指摘されている。さらに、ネットオークションで絵画等106点、合わせて315万円分購入していたことについても、弁護士は点数が多すぎて趣味的色彩が強いと指摘、舛添知事は合わせて114万円を返金すると明らかにした。
政治資金規正法では、どこからお金をもらったかは厳しく監視されるが、何に使ったかについては自由になっている。そのため、支出の部分に関して言うと政治資金規正法違反でいうと、虚偽記載と不記載しかない。天ぷら料理店の件でも飲食費として計上している分には違法ではないという判断になってしまう。会議費は会議をしていなければ違法になる虚偽記載に当たるが、会議を行っていれば罰則の対象にはならないということで、これらが違法ではないという結論になっている。
しかし、それには政治活動に使うものという大前提があり、何が政治活動なのかと言えば、政治活動の自由を保障するためにがっちりと決まった定義というのはなく、法律上問われない形になっているので不適切だけれども違法ではないということになる。第三者なる弁護士も舛添氏をかばっているわけでもなく、法律がザル法がゆえに、このように言うしかないということになる。
政治活動の自由を保ちながらも明確に不適切だという件に関して問えないという状況がもし問題だとすれば、そこはどのような法律にするのかという議論を、今回追及した都議たちはしなければいけないとなるが、そこの線引はかなり難しいだろう。
主たる目的が政治的であるか否かという文言を付けるくらいの改正しかできないだろうし、その場合の範囲はこれから判例で重ねていくしかないということになってしまう。
就任後に問題となったのは出張費であった。中でも、去年の秋に行ったヨーロッパ視察で往復266万円のファーストクラス、一泊20万円のホテルのスイートルームに宿泊したことが問題に。舛添知事は就任から2年で9回の海外出張を行い、2億円以上支出、今年度も予算に1回の出張が5000万円に相当する2億4000万円の出張費を計上するなど、出張費の高さが指摘されている。さらに、舛添知事は去年5月からの1年間ほぼ毎週末、都庁舎と湯河原にある別荘の間を公用車で往復していた。家族同伴でのコンサートや野球観戦でも公用車を使っていて、公私混同だと指摘されている。
出張費に関しては基本的には都の定めた規定があるなか、それを大幅に上回っていた。とは言え、内規でありペナルティーがあるわけでもなく、これまでも上振れをし過ぎていたことはある。
問題は、その出張でそれに見合うような結果さえ出していれば良かったのかもしれない。
しかし、舛添知事の場合、必要であったという説明から追及されたことで、それならやめますということで説明が変わってきてしまった。しかし、そうなると本当は無駄だったのではないかという疑惑を強める結果となり、舛添氏の説明のまずさを見ることができる。
ホテルのスイートルームの件に関しても、高額な宿泊費などについて指摘をした香港メディアに対して「香港のトップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょ。」と逆切れをし、品格の問題を説明していた。ところが、その発言をまずいと思ったのか、会議を兼ねているので別途会議室を借りるよりも安いという話に変わり、最終的にはやめますという話になった。結局、その二転三転する説明の方に注目が集まっていくことになってしまった。
ただし、これは法律上の問題というよりは規定に反しているかどうかということと、あるいはメディアが注目したのは、金額感というものが無駄遣いしているのではないかということになった。
舛添氏自身が無駄なお金を使いすぎることはやめるべきだというような発言を繰り返していたにもかかわらず、本人が知事になった途端にさもしいことをするというのは如何なものかという批判が大きかった。
公用車を使っての移動に関しては、公用車自体の使用ルールというよりも湯河原に毎週末行っていたという危機管理の問題として捉えるべきことだろう。知事に服務規程があるわけではないし、24時間知事でいつづけなければならないところで言えば、安全も配慮して乗せていってもらいました、申し訳ありませんでしたと言えば、それほど目くじら立てるようなことでもないのかもしれない。もちろん、自治体によっては返金命令が出るようなケースもあるようだが。あくまでも、内規の問題で法律的にどうこういうものではなく、あくまでも道義的な問題ということになる。
しかし、違法という問題にならないからこそ具体的に都知事としての品格が問われる結果となった。
舛添知事は辞職することになったが、法的な部分からすればなぜ辞めるのかよくわからないということになる。しかし、政治的な部分においては、やめざるを得なかったということだろう。
おそらく、参院選がなく自民党と公明党が反対しなければ、都知事を続けていた可能性が高い。その点に関しては、世論というものを議員たちが判断しながら行動した結果が辞職にいたったと思われる。議会のなかでも、各党派が舛添氏に対して追及をせず、及び腰だという批判を浴びてしまうと、自分たちの首が危なくなるということを抱えていることもあり、厳しく追及しなくてはいけなかった。
また、それ以前にメディアもヒートアップしていたので都議の人たちもそこにのっていった形になった。
今回の騒動は週刊文春が主導していて、木曜日に発売されて金曜日に都知事の定例記者会見が開かれるパターン!1日後の会見があるときに最初はどうにかなるだろうという気持ちで対応していたら、それが逆手に取られ批判を増す結果となってしまった。
例えば、公用車の問題であれば、毎週末金曜日の午後には湯河原に向かって爆走していたわけだが、当初舛添氏は動く知事室だとして公用車を使い続けるという姿勢を表明していたにも関わらず、テレビのニュース番組に生出演した際にはもう公用車は使いませんと言ってみたり、初期対応がよくなかったように思える。最初からすべてさらけ出して謝ってしまえばまだ良かったのかもしれないが、個別に少しずつ妥協していくなかで、小手先で対応しようとしていることについて、自民党東京都連の人たちも批判するようになりその流れは結局止められなかったということになる。
メディア対応に失敗すると政治家には命取りになることと、一方で、それだけ力も持っていて空気を作ることができるメディア側も、ある意味、他の政治資金問題よりも叩きやすかったことがある。政治とカネの問題では、法律の細かな話になればなるほど追及しにくくなる。今回は、舛添氏の発言が矛盾していたり、発言が二転三転する面白さから突っ込みやすかったところがあるのだろう。疑惑は軽いが突っ込みがしやすいからこそ批判が大きくなってしまった。
メディア報道に関していえば、舛添知事の政治資金問題とは比べ物にならないほど非常識で不自然な甘利前大臣についてはなぜ同じように追及がされないのかという疑問もある。むしろ、避けているよいうにすら見え、追求できないメディア側の問題がこうもわかりやすい形で現れてくるとは呆れるばかりだ。
しかし、今回の舛添問題は、追求できないメディアの問題以前に、追及しやす過ぎたということもあり、ワイドショーや週刊誌、スポーツ新聞レベルまで、舛添嘘つくな、ケチくさい、というところがわかりやすかったからこそ便乗しやすかったということもあるだろう。
舛添知事を辞めさせてその後にどういう候補者が立ちうるのかということを考えた上で行動しないと、政治は結果が全てなので、例えばまたポピュリストが当選してその後また同じような大騒動になる可能性もある。
単純に新しい候補者に期待をして舛添知事を辞めさせても大丈夫だと思っているとしたら頭が単純過ぎるということになる。
人は感情的な存在だから、不快になったら盛り上がって辞めさせるとか排除するというふうになるのは当然のことかもしれないが、そこで排除した後どうなるのかを考えながら行動しないと、民主主義を健全に機能させることは難しい。
・「激しい言葉」と「鋭い質問」は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感
https://thepage.jp/detail/20160617-00000007-wordleaf
・なぜ都庁記者クラブの記者たちは「舛添都知事」の悪事に気づかなかったのか
http://president.jp/articles/-/18128
・「舛添叩き」が衆愚の極みである理由
http://hbol.jp/97596