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この季節、落葉広葉樹の木に、ひときわ目立つ茂みを見つけることがあります。「ヤドリギ(寄生木)」です。一緒の枝から生えていますが、寄生される木(寄主)とは別の種なので、寄主が葉を落としても、ヤドリギだけは、独自の枝で茂っています。寄主の枝に、くさび形の根を張り、水分と養分をもらいます。また、木の高いところに茂っているので、太陽からの光も存分に浴びることができます。この植物、どのようにして高い木の枝に、根を下ろして寄生できるのか、不思議に思われるでしょ?種がタンポポのように風に飛んでいくわけでもなく、ましてや地面に実が落ちてしまうと、高い枝には登れないし・・・ここで、繁殖のために、助けを請う相手がいます。「鳥」です。ヤドリギは鳥たちに、自分の種をおいしい果肉で包んだ実を用意します。鳥たちは、われ先にと熟した実をついばみます。普通、鳥はのべつまくなしに、どこへでもフンをしますが、ヤドリギもここはちゃーんと考えていますね。種を包んだ果肉は、粘り気が強く、鳥がフンをしても簡単には落ちません。困った鳥は、粘り気のある自分のフンを、木の枝になすりつけて取ろうとします。そのなすりつけられた木の枝に、ヤドリギの種がしっかりとまとわりつき、徐々にくさび型の根を張るのです。繁殖方法から、生きていくまでの知恵は、半端ではありませんね。何から何まで、他者のお世話になる存在ですが、寄主以上に大きくなったり、たくさんの株をつけようとはしません。寄生植物といえど、寄主に対する寄生の「ほどほどな加減」というものを、わきまえているのかもしれませんね。たくましく生きる「木の上の知恵者」は、雑木林や公園、街路樹が生えている場所に、今なら簡単に見つけられるでしょう。
January 16, 2006
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こんなに寒い日には、甘酒にしょうが汁を少したらして、フーフー言いながら飲むのは、最高においしいものですね。ここで一句・・・ 「寒い夜の 身を暖めし 甘酒や」う~ん、我ながら上出来上出来...でもこの俳句、何かがおかしいと思いませんか? (これが分かったらスゴイ!)...実は、俳句の世界では「甘酒」の季語は「夏」なのです。その昔、クーラーや扇風機、冷蔵庫の類が全くなかった頃の夏は、人々にとっては、過酷な季節で、脱水症状や熱中症で農作業中の人、または体力のないお年寄りや子供たちの中に、命を落とす人も多くいたそうです。酒を作る際に副産物としてできる酒かすは、米を麹菌が分解した栄養価の高い食品です。米のでんぷん質をえさとして活動する麹菌が出すビタミンや必須アミノ酸は、体にとって欠かすことのできない重要な栄養源でした。納豆でも同じことが言えますよね。そのまま大豆をゆがいて食べるよりも、納豆菌によって発酵がなされたほうが、より栄養素が多く含まれていて、栄養価が高くなっているという事実もあります。甘酒は今で言う「滋養強壮剤」のようなものだったらしく、たくさんの人の命を救う結果にもなりました。その頃から今に至るまで、俳句の世界では「甘酒」の季語は、冬ではなく「夏」なのです。
January 15, 2006
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ポストから取り出した新聞の広告欄にふと、目が留まりました。 「すべての過労は、倒れるまで ただの疲労でした」あっちゃ~、まさに今の自分を言い当てられたような感じです。実は、この4日間、過労で倒れて寝込んでおりました。昨年11月末から今まで、ちと思うところがあり、朝早くから夜遅くまで働き、ほとんど休みなしで働いておりました。睡眠時間も平均4時間、正月もそれほど休める状況にはなく、心身ともにいっぱいいっぱいの状態だったんですね。倒れて(というか動けなくなって)床に臥せって1日目は、寝床から手が届く場所にあるミカンを5~6コ食べて、一日をしのぎました。これじゃあ、干からびてしまうな、と思い2日目からは、何とか重い体を動かせて食事らしい食事を摂ることができました。一日ゆっくりと寝たら回復すると思っていたのですが、なかなか熱が引きません。せきやくしゃみもなく、鼻が詰まることもないので、まさに過労が原因でしょうね。こんなときは、ひたすら体を休めることに専念しないと、と思い一日24時間のうち23時間くらいは寝床に臥せっていたでしょうか。ま、これも神様がくれた休養時間だと思って、ありがたく休ませていただきました。あんまり無理をしちゃあ、いけませんね。みなさんも、あまり無理をしないように、お気を付け下さいよ。 ...あまり、説得力がない言葉ですね、ハハハ・・・ 追伸: 体調不良のため、更新できなかったこのブログも、1月10日分からまとめて 書き加えています。
January 14, 2006
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以前、大阪で会社を経営していたとき、筋向いに新しくカレー屋さんがオープンしました。経営者はインドの人で、小さな店舗には7~8人入ればいっぱいになるくらいのスペースです。大通りから見通しの良くない場所だったので、最初、それほど人は入らなかったのですが、お昼のランチに、手ごろな価格で提供したためか、お昼だけは近所のサラリーマンやOLで盛況でした。夜になると、ほとんど人通りが途絶えるので、いつも店主は暇を持て余していました。こちらとしては、ちょうどお腹がすいたときに、近くなので、ちょくちょく足を運んでは、彼の作ってくれるカレーを食べるようになり、そうしているうちに仲良くなり、カレーについても、いろいろなことを教えてもらう機会を得ました。ま、彼のカレーにヤミツキになったことも、ちょくちょく通う理由にもなりましたけど・・・「ちょうど今からカレーのルーを作るところだから、どんなものが入っているか見せてあげる」たくさんの香辛料が入ったボールの中を見せてもらうと、見たこともない、いろんな種類のものがブレンドされています。インドの彼の出身地で食べられている地方のカレーを、20種類以上の香辛料を使い、独自の配合比率で混ぜ合わせ、作っているのだそうです。「カレーというのはね、見ての通り、いろんな種類のスパイスを使ってるでしょ?これらみんな、インドの伝統医学アーユルベーダで用いられているものばかりなんだよ」と彼は説明してくれます。中国でいう「医食同源」の思想、つまりカレー自体主食であり、薬でもあるというのです。事実、風邪を引いたときなどに、このカレーを食べると、なぜかしら回復が早いのです。彼が言うことも、納得がいきます。体調が優れないときなど、カレーがなかなか効きますぞ。是非、お試しアレ!
January 13, 2006
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毎晩自宅の最寄の駅に着いたら、必ず寄る場所があります。それは「神社」です。特に信仰している宗教というものは、ないのですが、昼間の「動」の環境から、心身ともに落ち着かせる「静」の環境への切り替え場所、のように思っている所です。クールダウンする場所、とでも言えましょうか。うっすらと氷が張っている手水舎で手を洗い、口をすすぎ、神社の本殿前で賽銭を入れ、二礼二拍手して祈りをささげます。神様にお願いをするというより、自分自身に向きあう時間を持つ、といったほうが、正しいかもしれません。一礼を終えた後には、気持ちもリラックスして、昼間の出来事や通勤電車での喧騒をまったく忘れてしまいます。神社でなくても、家で寝る前に、身も心もクールダウンさせ、リラックスするために、瞑想をする人もいます。人それぞれのやり方がありますが、メリハリのついた一日を送ることが、また明日への活力ともなるし、ストレスを持ち続けない点で、心身の健康が保てますよ。
January 12, 2006
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本当に寒い日が続きますね。先日購入した目覚まし時計に、室温が計測できる機能がついていたので、温度を計ってみたら、5.1度でした。ほぼ、冷蔵庫の野菜室なみです、これは寒いわけだ。この寒さを北海道出身の同僚に言わせると、「暖かいほうですよ、だって氷点下ではないでしょ?」ハイ、そうです、氷点下ではありませんネ、スミマセン...その人は一度、マイナス18度という気温を経験したそうで、息をしたら、肺が凍結しそうで「痛い」のだそうですよ。ああ、本州に住んでいる者には、想像もできない世界です。朝の寒さは、身にこたえますけど、毎朝食べるバナナの日持ちがいいのも、この季節ならではの良さかな、とも思います。夏場だと、2~3日ですぐに傷んでしまうバナナも、1週間経ったあとでも、そのままの鮮度が保たれて、少しも痛んでいません。果物を専門的に扱っている「町の果物屋さん」といわれる店で、いつもおいしいバナナを売っているところがある、と聞いたことがあります。バナナ自体は、熱帯の国から輸入されるとき、病害虫が国内に入ってこないように、まだ青いものが入荷されます。日本の倉庫で時間を置き、黄色く熟した時点で店先に並びます。バナナについてよく熟知した果物屋さんは、この熟する時間と温度の関係を良く知っており、バナナにとって最適な時間と温度を調整しながら、地下室などの冷暗所で、その時を待ちます。バナナが「もうそろそろ一番おいしい頃だよ~」と店主に声をかけるのかどうかは知りませんが、その判断で店先に並ぶので、同じ時期に輸入されたものでも、味の違いが格段にあらわれるといいます。スーパーで買うのもいいですが、たまには町の果物屋さんでも買ってみましょう。「お、いつものよりおいしいね~」と思われるかもしれません。
January 11, 2006
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このブログを書くときに、今日はどんな記事を書こうか、いつも直前まで呻吟しています。書きたいテーマが決まると、あとはすらすらと書けるので、テーマをいくつか決めておいて、書く段階でどれかをチョイスして書けば、時間もかからず、あっという間に更新ができると思っていました。「そのためには、テーマを箇条書きにしてためておくこと」これに専念した時期がありました。部屋にホワイトボードを貼り付けて、思いついたテーマを書き連ねます。歩いている最中に思いついたら、ケータイメールで、自宅のパソコンへ送ります。電車の中だと、ポケットに忍ばせてあるミニノートとボールペンで書き留めます。これだけたくさんテーマがあれば、数日間はあっという間に更新できるぞ、と思っていました。しかし、これがうまくいかないんですねぇ~。そのテーマは、その思いついたときに「旬」であって、いざ書こうとしたときには、もう書きたいものではなくなっているのです。仕方なく、またパソコンに向かって、うんうん呻吟しながら書くことになります。旬なテーマ(= 今、何を考えているか、思っているか)しか、書けないんです。こだわりすぎでしょうかねぇ?
January 10, 2006
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最近、とみに変わりつつあるもののひとつとして、「人の心」と感じています。ひと昔前は、社会自体が「モノ」を追いかけて、その生産効率を上げるために、会社は、やり方を統一し、その方法に人を合わせていました。上意下達、そのための人身掌握術として、アメとムチを使い分け、全員が一丸となって働いてきました。その「報い」となるもの(経済力、マイホーム、豊かな老後など、)が将来約束されていた(と思っていた)時には、機能したことが、今では、この先どうなるか予測がほとんどできない状況下で、誰かが決めた目標など、消えうせてしまいました。今ようやく、自分自身が大事なんだなと思い返して、その人独自に指針を持ち、歩み始めた人が、たくさん出てきています。「恐怖」で動かされるよりも「自発的」に動き、生きる目的を、他人に示してもらうよりも、自分の本質に尋ね、「モノ」より「心」をより大事に扱う、そんなことが当たり前のように、思えるようになってきました。一人一人の心の中のパラダイム(その時代に「常識」として考えられている基準)が、明らかに変わってきたのです。追伸またいくつか例を挙げて、今後もこの件に関することを、書いていこうと思っています。
January 9, 2006
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昨日「一日」の繰り返しである、今日「一日」にしないために、何ができるかなと考えてみました。こまめに気付いたことを「メモ」することかなと思い、朝起きて、自分をほめる所、気付いたこと、ちょっと気になったことなどを、電車に乗るまでにポケットに忍ばせていたメモに書いてみました。 ・ むちゃくちゃ眠たかったけれど、「楽天ブログ」を書いた。 ・ 朝、公園を通った時に、いつもより多くの、そして見慣れない鳥がいた。 ・ 近くで見たときの「カラスの羽」って、きれいなものだなぁ。 ・ 通りかかったお寺の庭がきれいで、凛とした雰囲気があり、1分ほど眺めた。 ・ 着物姿の女の人がプラットホームにいて、見とれた。 ・ 入線してきた電車にのドアが開いたとき、この着物の女性の知り合いが偶然出てきた。 ・ 「えー!どこ行くの?」と同時に2人が声をあわせて尋ねた。 ・ 横に立ったおじさんが広げた新聞に、いい言葉が並んでいたのを見つけた。こんなことを、朝、電車の中で書いていました。今、夜にこのような事を読み返してみると、本当~にくだらないことを書いたなぁと思ってしまいますね、ハハハハハ・・・。でも、こんな風にちょっとしたことを書くだけでも、「昨日一日」と違う「今日」になりました。毎日同じの「一日」とはちがう「今日一日」のために、みなさんは何をされていますか?
January 8, 2006
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実は私、生まれつきくせ毛で、両親も同じくくせ毛です。その関係もあって、まつ毛も軽くカールしています。面白いことに、隣り合わせて座った人や、近くによって話をした人から「まつ毛がカールしているんですね!」と必ず指摘されます。もちろん100%女性からです、男性からは一人として指摘されたことはありません。面白いものですね。普段からカールする機器を持っていて、まつ毛を手入れしている人には、すぐにわかるということです。男でそんな人はいません、だから気がつかないのです。これは一種の「カクテルパーティー効果」と言えます。パーティー会場では、たくさんの人が集まり、思い思いに近くの人と話をするので、ガヤガヤした雰囲気になります。当然、一人一人の話は聞こえません。数メートル離れた人が、仮に自分の名前を出して話をしていたら、その話だけが聞こえたりすることはありませんか?自分の関心のある言葉や話が出たときに、その言葉や話だけが聞こえたりするのが、「カクテルパーティー効果」です。新聞などを見ても、自分の関心のある記事は、サッと見つけられたり、百貨店の売り場などで、探していた洋服がパッと見つかったりするのも、自分が普段から関心を持っていて、その情報のアンテナを張っているからです。これは、意識的に利用したりすることもできます。普段からこんなものが好きだとか、こんなものに興味を持っているというものを、絶えず意識しておくと、たやすくその情報を、いろいろな所で発見できたりします。
January 7, 2006
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大阪から東京に帰ると、少々戸惑うことがあります。言葉? 食べ物? 風呂の熱さ? ハイ、そんなものもありますが、まず違うのは、エスカレータの乗り方です。東京では左に立ち止まる人が寄って、歩いて昇る人のために右を空けます。大阪ではその反対ですよね。以前、大阪にユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、JRの中継駅や最寄の駅で、少々混雑があったと聞いたことがあります。東京から来たお客さんが、左側に立ち止まり、大阪のお客さんは右に立ち止まるので、どちらもふさがり、歩いて昇る人が立ち往生する事態が発生したそうです。そもそも、エスカレーターを歩いて昇ること自体が、せっかちな人だなと思いますけどね...(...という私は関西人ですので、必ず歩いて昇りますが・・・)その昔、江戸は武士の町、刀を左に挿しているので左側を歩き、上方は商人の町、「時は金なり」とばかりに商いに励んだので、その頃の風習が今に残ったのかもしれませんね。(勝手な推論ですけれど・・・)ちなみに世界の趨勢(すうせい)を見てみると、大阪式(右に乗って、左を空ける)方が、多いそうですよ。
January 6, 2006
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ある日の早朝、ふと東の空に昇る朝日と、欠けた月を見て、心底驚きました。その日は、栃木県のとあるビジネスホテルに泊まっていて、朝も暗いうちから起きだして、朝一番の新幹線で、東京に向かいました。やがて空が白みだし、左手に見える東の空から、濃いオレンジ色の光がさしたかと思うと、山の端から明るく黄色に輝く、太陽が顔をのぞかせました。その近くの同じ東の空(太陽から30度くらいの角度)に、欠けた月が見えました。感覚からすると、太陽が山の端から昇っているから、太陽に照らされた月が半月に見えるように思うのですが、ほとんどが欠けた薄っぺらな月(月齢1か2)なのです。つまり、ほとんど月の影の部分しかみえない。それは、どんなに太陽が、月や地球から遠く離れたところにあるか、ということを示しているのです、それに気がついて驚いたのです。一秒間に30万キロメートル進む光だと、月の光は1秒強くらいで届きます。ところが、太陽からの光は8分20秒もかかるのです。太陽と月の大きさがほぼ同じに見えるのに、これだけの距離があると分かると、太陽がどれだけ大きな天体か、ということが想像できると思います。ちょっとした発見なんですけれど、ホント驚いてしまいました。東の空に月が見えるとき、早朝、起き出して日の出と共にご覧頂くと、「ホーッ!」という声が、自然と発せられますよ。「夕日と西に見える月」という組み合わせでも、OKですね。
January 5, 2006
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もうお正月気分も、とうの昔に消えてしまったか、まだ余韻が残っていらっしゃるか。皆さんは、如何でしょうか。公務員の方や一部の企業では、もう4日から仕事が始まっているのですね。24時間営業の店、その他サービス業で従事しておられる方は、年始が一番いそがしく、家でお正月気分なんて味わえなかったことでしょう。最近は、正月元旦から営業している百貨店・スーバーが増えてきており、お正月の静かな雰囲気がなくなってきていますね。昔はよく「この季節、風邪なんかひいたらあかんよ、お医者さんも休みやから」と言われたものです。スーパー・売店は1月4日くらいまで、お医者さんなどは5日くらいまで正月休みというのがザラでしたからね。中には、10日くらいまで休みというところもあったと記憶していますが...お正月のために、年末はいろいろ買い込んでおかないといけないと、たくさんのおせち料理の具や、その他いろいろものを買ってきては、冷蔵庫にいっぱい詰め込み、収納に乾物などの食品が、これでもかというほど入っていましたね。その気分の余韻が残っているからか、まだお正月用の食品がこの時期になっても食べきれずに残っています。ま、10日くらいまでには消費できるでしょうか。今年、「お正月用食品」によるお正月気分は、いつ頃まで続きそうでしょうか?
January 4, 2006
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お正月3日は毎年、母が使っているパソコンのメンテナンス日です。機械類に弱い母に代わり、そのまま更新されていないインターネットのセキュリティーチェック&更新や、周辺機器の購入に付き合ったりします。今年は、メールができるケータイが欲しいということで、買いに出かけました。今まではPHSを使っていたのですが、操作性がよくなく、使いづらいものでした。今のケータイは簡単機能がついているので、操作がしやすいということです。...が、やっぱり難しいですね。確かに少ないボタンで、いろいろな機能を使えるようにするため、あれを押し、これを押しということで、かえって混乱してしまうようです。 「おっ、それ買ったの?」 「そうなんだよ、娘が持て持てって言うからねぇ~」 「簡単そうじゃない!」 「簡単なんだよ~!」とCMでやっている表示画面なしのケータイは、「あれはむっちゃ年寄りが使うもんや」とそっけなく、ちゃんと一通りの機能がついていて、大画面&大きな文字で表示されるものを購入しました。(ちなみに、近視なので、老眼がまだ出ていないようです)しっかし、パソコンのときもそうでしたが、それからが質問の嵐です。ま、仕方がないとはいえ、毎度毎度同じ事を聞かれるのも、気がめいってしまいます。「しゃーないやん、覚えられへんねんもん!」ま、確かに、、、ねぇ・・・こうして、母のケータイとの格闘は、深夜まで続くのでした。
January 3, 2006
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「バービー」というアメリカの人形を知ってますか?日本で言うと、「リカちゃん」ですけど...この季節、毎年恒例となっている行事として、元旦の昼から翌日の昼まで、重度の身体障害を持った友人の、生活介護(泊まり介護)があります。その友人とは、学生時代からの長い付きあいです。毎年お正月は、介護者の大学生やセンター職員が里帰りするため、人がおらず、急遽呼び出されたのが縁で、そのまま何年も(10年以上かな?)正月介護に入っています。今年も、例年通り行ってきました。彼は、グループホームというところで共同生活をしており、3階建てのホームに3人の方が入居されていて、24時間体制で、誰かが介護に入る体制になっています。近くにも別のグループホームがあるので、年始のあいさつ回りに一緒に行きました。ここのところ寒い日が続いていたので、なかなか外に出られず、家の中に閉じこもりきりになっていた人もおり、突然の訪問に喜んでおられました。(夏ごろに、このブログで書いた「障害者との交流キャンプ」の参加者です)話が海外旅行という話題になったとき、ハワイに行ったときのお土産の人形を、家に飾ってあるというので、見せてもらうことにしました。それが、バービーのお友達「ベッキー」です。そのベッキーは、車椅子に乗っています。設定では、バービーと同級生で、学校での行事などの写真を撮る係として、学園内で活躍している女の子です。おおよそこんなところが、ハンディキャップを持った人を受け入れようとするアメリカでのひとつの考え方で、子供の玩具にも取り入れていこうとする姿勢ですね。(アメリカ社会にも、様々な差別はあろうけど、、、です)日本のリカちゃんのお友達に、障害者という設定での登場人物を見たことがないですね。多民族国家であることも配慮されており、黒人のお友達もいるそうですよ。正月元旦に「へぇ~」と思った、小さな発見でした。
January 2, 2006
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新年明けましておめでとうございます。年末から大阪の実家へ帰っており、穏やかな天気でお正月の元旦を迎えました。大阪で一人で住んでいたころ、年末年始は、四国の高知県にあるお寺のユースホステルで過ごすのが、通年の年中行事でした。大晦日は除夜の鐘を撞き、一年の煩悩を払い(それでも煩悩だらけでしたが^_^;)元旦の朝には、早朝から寒い本堂で、宿泊した人たちが気軽に参加できる、住職主宰の「座ろう会」で座禅を組みました。凛とした雰囲気に、吐く白い息、寒さも忘れて、澄み切った静寂の時間を過ごしたことを覚えています。「座ろう会」が終わると、住職さんがお話をしてくださいます。住職曰く、この正月元旦には、ぜひ願を掛けていただきたいと。一年の決意でもいいし、こうなりたい、こんなことがしたいと、一年の始まりに、祈りとともに、自分に言い聞かせると、きっとその願いはかないますから、とおっしゃいました。このお話を聞いて、願を掛けたら本当にかなった年がありました。その年、英語がしゃべることができますように、と願を掛けたら、その年の春に海外からグループ企業の研修生がきて、一年間、彼らの生活面でのお世話係りに任命されるということがあり、たどたどしくも日常会話くらいなら話せるようになりました。ぜひ、年初に当たって、こうなりたい、こんなことがしてみたいなど、願を掛けられて、その願いが今年、かないますように。今年もどうぞ、宜しくお付き合いをいただけますよう、お願いいたします。
January 1, 2006
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