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天聖経(黒表紙)にあるこの一文といえども、決して無視することはできない。
戦時下の日本の教科書よろしく、サンクチュアリ教会の黒・天聖経もこの部分だけ黒塗りにされているとするならば、それこそが 「黒・天聖経の改ざん」
というものである。
すなわち、「真の父母様」というときは「独生子」だけでなく「独生女」 が一つとなった夫婦であることを意味するものであり、これがみ言全体に貫かれている。黒・天聖経であっても例外はないということだ。ところが、サンクチュアリ教会は八大教材・教本までも「真の父母様」の記載を「真のお父様」のみの記述に変更を加えよう(改ざんしよう)、とするのか
「サンクチュアリ教会が『黒・天聖経』を改ざんしている!!」 と記事タイトルで明確にすることで、その未来が見えてきた。
これまではサンクチュアリ教会他が、天一国・天聖経は改ざんされたものだと非難してきた。ところが、実は、サンクチュアリ教会こそが『黒・天聖経』を改ざんしていることが判明した。
天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)。
(イメージ省略)
この『黒・天聖経』に書かれている「独生女」の部分をサンクチュアリ教会は黒塗りに(改ざん)しているということだ。
私の記憶に間違いがなければ、どこかが 「『天一国・天聖経』は『黒・天聖経』を改ざんした」
と騒いでいるところにサンクチュアリ教会が便乗してきた。
さらには、真のお母様が「独生女」について語られたことにも非難してきた。
ところが、黒・天聖経の「独生女」は真のお父様のみ言だ。誰も否定はできない!!
また、サンクチュアリ教会の「お母様は堕落圏から…」という主張にも決定的な間違いを、お父様のみ言から見出すことができた。
「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」の講演文
2012.9.17 清心ワールドセンター 真のお母様サタンが霊肉界の主権を掌握して全権で君臨する凄絶な摂理的状況の中で、真の父母の路程は出発しました。 6000年主権のサタンが悪の先祖として最も恐れることは、善の先祖である「真の父母」が出現することだったので、サタンはどれだけ激烈な反対とあらゆる発悪をして来たでしょうか? 真のお父様は、1960年本人とともに聖婚を通して「真の父母」の位相が定立されるまで、計り知れない蕩減の摂理路程を過ごして来られました。人類に真の父母はたった一度しか迎えることができず、一度の真の父母は永遠に真の父母様なのです。
1945年第二次世界大戦の終息とともに、真のお父様は公的生涯の摂理路程を出発されるようになりました。天が準備したキリスト教の2000年の精誠の基台の上に、 韓国の神霊運動を中心とするキリスト教が、 「摂理的 新婦 」 の使命を受け、天が送られた再臨のメシヤを新郎として侍り奉り、 「実体的 新婦 」 に侍る摂理を広めなければなりませんでしたが、 キリスト教はその摂理的責任を果たすことができませんでした。 真のお父様は、2000年のキリスト教の霊的基盤と、連合軍の勝利を通した実体的な摂理的基盤をすべて失った中、千辛万苦の摂理的事情の中でお一人興南の徳里特別労務者収容所という地獄の底から再び蕩減復帰の摂理路程を展開 なさり、ついにサタンの強烈な攻撃を忍耐して打ち勝ちサタン分立の勝利的基盤を立てていかれました。その基盤の上にキリスト教を代身とした 「 摂理的 新婦 」の資格で1954年に「世界 基督教 統一神霊協会」 を設立 なされ、その基盤の上に 「実体的 新婦 」として本人を迎え、歴史的な聖婚式を行うことで、ついに1960年に真の父母の路程が出発 するようになったのです。
……
1985年8月、ついに真の子女を代表して犠牲になった次男興進君の犠牲と真のお父様のダンベリー苦難の勝利的基台の上に荒野時代が終決し、「一勝日」を期して新しい摂理が出発しました。そしてサタン主管圏の中心人物であった共産主義の首脳ゴルバチョフと金日成に会って天の愛で屈服させました。その基盤の上に、 再び「摂理的 新婦 」格として1992年に「世界平和女性連合」を創設 して、本人は人類歴史上、最初であり最後である再臨のメシヤに侍る実体 新婦 の立場で、再臨主・メシヤ・救世主・真の父母を満天下に宣布 するようになりました。そのような基台の上で本人は、摂理の中心である真のお父様に侍り、「母子協助」の摂理を7年間展開して勝利圏を奉献し、初めて天一国時代が開かれるようになったのです。
また 、「韓流サッカーをエンジョイ」記事 からは、
クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史
であった、と韓国週刊誌でも書かれるなどして発表していた。
マタイによる福音書/ 13章 03節~09節
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」。
これは「種まき」の譬えとしても知られる聖句である。普通には「種」は「主のみ言葉」として見られているが、もう一つは 「天の血統」
としての見方も出来るのではないかと思う。
種が落ちた場所によってその種の成長が決まってくる。
神様は、「あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にも」増えるようにその畑を準備されなかっただろうか?!

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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