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hwadoさんへ質問です。さて、ここで「 原理講論にはひとたび完成すれば再堕落はしないとも書かれており 」だが、原理講論の創造原理P.66~からの引用。
お父様のみ言葉「独生女」が在るのはご存じですね。では、それをそのままに信じることが出来ますか?
また、お母様が語られた「独生女」とに何か違いでもあるというのでしょうか?
父母様のみ言葉も信ずることが出来ないとすれば、家庭連合に無理に留まる必要もないと思われます。
次に、韓総裁(あえてこう書きました)は完成したエバだと見ておられるのでしょうか?
もしもそうでないならば、同様によその宗教へ行かれることをお勧めします。そこには救いも何もありませんから。
三番目、韓総裁が完成したエバだと見られたとすれば、現在の韓総裁はどうでしょうか。
再堕落したエバですか?
完成したとしても再堕落があるというのであれば、希望がありません。
私も外を探すでしょう。
原理講論にはひとたび完成すれば再堕落はしないとも書かれており、三男派のいうところの韓総裁批判はそれと矛盾するものです。三男派には原理講論がないというのであれば、考え方が違うということで、三男さんが別路線を行くと声明を出されているのですから、静かに自分の思うところをされたらいいでしょうに。
伝統を破られた上に「混乱」までは、いい迷惑です。
神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリントⅠ三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる。このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、したがって、神の実体対象となる。ここで、その心と神は、このような実体対象からくる刺激によって、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるので、喜びに満ちることができるのである。それゆえに、人間が神の第一祝福を完成すれば、それは神の喜びのための善の対象となるのである。 このように、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、 神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。ところが、三男派御用達のビデオ講師「栄養学博士」は、「お母様の主管性転倒」などと堕落性本性を挙げながらお母様を(再)堕落エバだと主張していた。
婚宴の宴会、すなわち子羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を捜し出さ差なければならないのです。その新婦とはだれかと言うとエバなのです。堕落する前のアダムとともにいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二番目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。 そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを捜し出さなければなりません。堕落していないエバを捜し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。
……子羊の宴会をするのは、善なる父母として即位するためです。
"完成したエバを復帰"と言う意味はは明らかに間違った解釈であったことがお分かりいただけたと思う。
堕落したエバを完成したエバに復帰すると言うことです。
完成しているものは復帰する必要がないからです。
ところが、『原理講論』、特には「キリスト論」の中からの 第4節 重生論と三位一体論 に「善の父母」――「独生子」「独生女」のことが書かれていることをこれまでも指摘してきた。
ここでは「イエスと聖霊」という言葉もそれに置き換えて読むことが出来る。
…(中略)…
私からは 『 独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!! 』 ということで、『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
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世界平和を願う 奇知の外の凡人
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