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ヨンギ氏の別ブログ「マキチャンネル」で挙げた書類写真(画像) の一部をテキスト文にしただけでさほどの違いはない。
金孝律補佐官父母様宣布文の下書きをした。彼は下書きをチョソンイル氏の方に文国進/文亨進会長宛てに報告して、真の父母様の署名を受けようと、ヤンチャンシク会長を麗水に向わせたが、彼は手ぶらで帰って来た。金孝律補佐官が作成した英語公文書の下書きをここに公開する。これは宣教本部で兄弟二人のために英語で翻訳したものだ。ファイル名に(世界宣教本部)と明らかに記されていた。
(以下略)

神様のみ旨を真の父母様だけが分かるのではなく、既に私たちも知っています。私たちはどういうことが原理的か否か、神様のみ旨に整列されているか否かを判断することができる能力を皆が持っています。私たちが真の父母様がなさることを以前には分からなかったかも知れないが今は何故どのように摂理を導いて行かれるかを知ることができ、必ず知ることができなければなりません。成人になった子供が、年老いた父親がなさることが分からないとしたら、話しになりません 。もし私たちがお父様がなさることが分からないと言うなら、天一国はこの地に成し遂げることができません 。数十年をお父様と共にした子女たちも分からないのに、世の中の人々に分かるはずがありません。 それでは世の中の人々が同参することができません。それでは天一国は射程外に消えて行きます。全ての宣言文、全ての宣布文、全ての発表文、全ての指示文、全ての決議文、これが真となる為には結論は、「真の父母様宣布文」が神様から出ているかどうかがその真偽の判断基準だと言いたいのだろが。
誰がどのように書いたのか、お父様の裁可があったのかが重要ではなく、原理的で神様のみ旨と方向性が合っているかなのです。そうでなければ、たとえ真の父母様が発表されたように見えたとしても、その宣言文や宣布文は間違ったものであり、今問題になっている宣布文が原理的であり、神様のみ旨と一致しますか、そうであれば、その宣言文は真となることができます。今問題になっている宣布文が原理的でなく、神様のみ旨と一致しないとしたら、その宣布文は真となれません。『真』のお父様から出たとはなりません。
今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、 すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。
(出典:1985年8月16日)
誰が間違っていたか。子女様といえども例外はないということだ。
ましてや、長男(祭司長)でない「三男さん」だ!!
国民が捧げる祭物の精誠、祭司長でもない三男さんが自分勝手にしても良いという法は何処にもないはずだ。ビデオ「盗賊認定」が物語るところのそれだ。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
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