奇   知   外   記

奇  知  外  記

PR

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Category

カテゴリ未分類

(328)

天の父母様聖会_世界平和統一家庭連合

(874)

天の父母様聖会

(41)

文鮮明先生み言葉選集(講演文)

(683)

天心苑TV[CheonShimWonTV]

(21)

天心苑特別徹夜精誠

(69)

独生女考

(108)

真の父母論

(6)

天一国摂理史

(126)

韓鶴子総裁御言選集

(101)

平和の母・平和を愛する世界人として

(428)

自叙伝で歌を!~「平和の母」オリジナルソング集

(34)

宗教/天地創造

(655)

ブログ村

(235)

UCI、サンク

(374)

分派(祝福権委譲と異端者・爆破者宣布ほか)

(360)

虚偽「ONE TRUHT」

(21)

夜昼の神様

(6)

石川能登地震

(20)

統一運動

(251)

国際勝共連合 UNITE(ユナイト)

(42)

天の父母様聖会_世界平和女性連合

(5)

日韓トンネル・ピースロード

(87)

日韓関係

(108)

韓国

(310)

米国

(29)

人権・拉致

(166)

ネット拉致・不正アクセス関連記事

(150)

龍辰憲院長真の父母様の生涯路程

(11)

原理本体論

(1)

天の父母様聖会 希望前進礼拝

(1)

文鮮明総裁聖誕100周年

(22)

PeaceTV、U-ONE News

(219)

ユナイト

(5)

平和

(173)

世界情勢

(5)

環境保護

(8)

郷  土

(86)

家庭・家族

(58)

ドラマ

(17)

仕事

(6)

驚くほどの古今東西の予言書

(34)

韓流サッカー

(388)

サッカー

(231)

ピースクィーンカップ

(63)

ピーススターカップ

(46)

城南(ソンナム)

(68)

ソロカバ

(2)

MIRAIOH TV

(4)

PeaceLinkTV

(88)

天苑宮天一聖殿入宮式

(16)

光言社キャラクター・こうたん

(1)
2021.09.07
XML
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 「祝賀パーティーにおけるみ言」


1976年6月2日
ベルベディアにて
万物の日


 きょうは話すことが多いのですが、時間の関係で、時間を節約しなければならないし、一つ心配なことは、皆さんはゆうべ睡眠をとっていないのですから、先生の話よりも、横になった方がいいのではないでしょうか。(ノウ)

 では、今から話すことにしましょう。皆さんは、きょうがどういう日であるかを知っています。万物の日といえば、五月二十八日の日が、そうでありました。しかし熾烈な活動の中にあって、その日を記念するということは難しく、きょうに延期させ、このヤンキースタジアム勝利祝賀パーティと共に挙行するものであります。

 このような場に、初めて来られた方もいるでしょうが、年次的に行われる都度に、行事の内容は説明しておりますので、簡単に要約した後、ヤンキー大会勝利のパーティに対する内容にふれたいと思います。
 この世では、この「世界の日」や、「万物の日」というものを知りません。世界には数多くの民族が住み、数多くの国がありますけれども、また行われる記念や祝賀のための日も数多いのですが、このような日を迎えて祝う群れは、この統一教会以外にはないのです。その内面的意義が世界史的であり、宇宙史的であることに対して、私達は少なからず、□持と自負心を持たなくてはなりません。

 今年で十六回目の万物の日です。人類が堕落せず、本来の神の御旨がなっていたならば、この世界は今日のような、悲惨な世界にはなっていないのです。人間は、自由と幸福を求めて生きるものです。自由と幸福というものは、今日の人々が語ったり、世間で見受けるような自由や幸福ではありません。永遠に不変なる神を中心とした自由であり、愛であり、幸福が、本来のものであることを、私達は知らなければなりません。

堕落をしなかったならば、本来の愛の主人、幸福の主人、自由の主人の中心は神であるのです。 したがって、神と共に愛し、神を中心にして自由であり、神を中心にして幸福であるのが、本来の間でありました。ところが堕落することによって、神を中心にたてなければならない、本来の愛、本来の幸福、本来の理想をなすことができなかったのです。それをなすことができず、人間は堕落してしまったのです。

 堕落とは、落ちたということなのです。自由ということを考えてみると、自由とは原理を離れてはあり得ないので、自由の観念は、神あってこそ、成立するものです。それを知らずして、人間だけの自由、あるいは愛、あるいは幸福の追求が、堕落した圏内での人間であることを、私達は知っています。

 皆さん、愛いうものを分析してみましょう。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛など、どのいずれもが、神から出発したものでなければなりません。しかし、堕落によって、本来の愛の結実を見ることはできませんでした。落ちた立場から、本来の形態とは逆の立場の愛を中心にした、人間からの出発がなされたのです。

 永遠の愛

 愛の本質は、永遠を追求するものであります。永遠を中心とした、永遠なる幸福を追求しているものです。しかしながら、今日の人間世界には、永遠なる基準を捜すことができません。夫婦の愛、子女の愛などと言ってはいますが、永遠なる基準において一致されていません。したがって、どのような愛を求めたといっても、束の間の一時的なものに終って、永遠なる基準に到達することができないのです。

 人間はいつの時も、愛の道を探し求めてきました。幸福の基準をも定めようとしました。にも拘わらず、それが真と、永遠の幸福であり、愛であると主張される歴史的な証しは一つもありません。

 そこで、今日神が摂理される目的は、何であるかを今一度考えておきましょう。非原理的な立場での自由と、幸福と、理想、愛をとり除いてしまい、本然の神を中心としてなされるべき基準を、如何に再度、結実させるかという、この復帰摂理が、即ち神の人間救済のための摂理の中心理想なのです。そのような観点から、神を中心とした人間始祖が、完全に一つとなったならば、この万物も、この宇宙も完全に一つとなって、完全に統一されたでありましょう。それは神を中心とした愛をもってなそうとしたのです。

 救援摂理、救援とは何でしょうか。元に戻すことであります。病気になった人を、元の健康体に戻すことを、救援というのです。それと同じく、神の本来の理想的御旨を中心にかかげて、病気になり、故障したものを、本来の基準に帰すのが、救援摂理で、原理で言う復帰摂理であります。

 かといって、神の愛が変わったわけではありません。神は永遠に中心とされているために、永遠なる愛の主体であります。変わったのは、人間の方です。この愛の位置を、個人的に開拓して、僕の立場から養子の立場に、養子の立場から息子の立場に、そして父母の立場に至るまでの、再復帰のために、神は歴史を通して、摂理してこられました。宗教がおきたのは何故でしょうか。理想の神の愛の世界に導くための、訓練道場として、人間の本然の位置に到達せしめるべく、その一段階、一段階を上らせていく使命を、世界的宗教は分担し会ったのでした。

 人間始祖が堕落せず、神の愛と一つになったならば、そこに永遠なる幸福の基点は定められたはずでした。これを再び定め直すには、それを決定づける中心思想をもった、中心存在が必要であります。それが即ちメシヤであり、メシヤはその使命を果たすために来られます。

 堕落したために、神の摂理を中心とした、神の喜びの日を持つことができませんでした。人間の堕落のために、これらの万物も、神の物として、愛される圏内に入れなくなったのです。もし、これらのものを、元通りにしない時には、この世界は生きる道をなくしてしまうのです。それは神の愛を捜し求める道がないという結論です。

それで、今日統一教会が記念日とする父母の日、子女の日、万物の日、神の日、この四大名節は、別々にあるべきでなく、一日とされるべきなのであります。アダムとエバが家庭をなして、神の愛を中心とした祝福を受け、神の愛を中心とした血統的直系子女圏内に、入籍するその時間が、これら全ての完成となるのです。その完成は、個人的なものでなく、宇宙的で、世界的なものです。

ロマ書八章 の中には、人間が堕落することによって、神の嘆きが始まり、その次には、人間の嘆きと万物の嘆きが生じたことが記してあります。なぜ嘆かなければならなかったのでしょうか。もはや、神は愛を授ける子女をなくし、人間を愛してくれる父母をなくし、万物を愛してくれるべき主人をなくしたからです。

 そこで、今日の人間が果たすべき使命について、考えてみましょう。人間を中心とした社会、国家、世界に対してです。この嘆息圏をとり除くことが、人間の使命であるということを、全世界の人々は知らないのです。人類が知らなければ、いずれかの宗教団体が、このような使命を背負って、道を切り開かねばならないのです。その使命を果たすのが、他でもない統一教会であることを、皆さんが良く知っているということです。

 神に会う道

 さて皆さん、男性と女性に対して、一言言いましょう。それは創造本然の男女ですが。男性は堕落以前のアダムにもどり、女性はエバにもどって、堕落とは関係のない愛をもつことのできる基準を、各自がたてるのです。それが、個性完成の基準につながることを、私達は知っております。今の私達には、そのような位置に到達せしめる環境ができあがっていないのです。

 それで皆さんの背後に、世界がかかっております。民族がかかっております。氏族がかかっております。家族がかかっております。皆さんの生活的な事情がかかっているのです。こういう状態に置かれている私達の取るべき道は、何でありましょうか。それは真の愛を求める道であります。そのためには、偽りの愛でもってつくられた環境を押しのけた勝利が必要です。堕落圏を越えない限り、本来の基準に達することができないというのが、堕落人間の行くべき道に対する原理的観念です。

堕落したこの世の中で、真の神を求めようとするならば、堕落圏内にある環境の中では、如何なる条件があったにせよ、自己を肯定してはなりません。その肯定の場では、真なる神に会うことができないからです。完全否定してこそ「真」が生まれるのです。少しでも肯定するならば「真」を見いだすことはできません。これが真の宗教としての基準でもあります。さて、個人における自己否定はできますか。それは仲々できるものではないのです。それを否定するのです。自分の家庭を否定しなければなりません。社会が否定されなければならないし、国家が否定されなければならないのです。



 真なる宗教を通して、愛の世界をたずねようとする人にとっては、この地上で、愛していたもの、一番重要視していたものが、自分自身を打つ、十字架の対象となることを知って下さい。そのために、二千年前にイエス様も、爆弾的な宣言をしたのです。 「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこ娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」 とこのように。 「地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである」 と。

 迫害をのりこえて

 聖書には二律背反した言葉が多くでていますが、このように二律背反した宣言をせざるを得なかったことに対して、今日の諸宗教は、何も気付いておりません。その根本を堀り出そうなどとは、考えてもいないのです。さて、このような観点から、宗教が真に行くべき道が何であるかを知ったならば、今日、世界の宗教を信じる団体、または人々のなかで、そのような道を主張するものがあるならば、それこそ神が願われた真なる宗教であるという結論が下せるのです。

 この世界をみてみましょう。そのような宗教は、現世において、ただ一つ、統一教会以外にないのです。これは当然なことです。それで皆さん、皆さんはこの世の如何なる男性よりも、神側に立った男性であるということです。それは絶対的に神の御前に近いのです。世界の全ての男性と比較されたとしても、頭角を表わすことのできる自信を持って下さい。女性も同じです。皆さん、そうでしょう。(イエス)公認されるためには、個人的に迫害され、家庭的にも迫害され、全民族からも迫害され、世界的にも、共産党からも、全てからの迫害を受けなければなりません。

 それは何年間でしょうか。何年間、それを克服すれば良いのでしょうか。四十年、四十年期間を越えて行かなければなりません。それは、先生をしていうならば、三三年目になります。三三年目! さあ、これからは世界各国から迫害されるでしょう。全世界が、レバレント・ムーンを攻撃するために、ニューヨークタイムズが色々と書きたてたり、ワシントン、ボストンなどの全紙が騒ぎ出して、レバレント・ムーン追放と叫んだりしています。このようなことを神は知っているのです。神は生きておられるのです。背後の力が如何に大きいと言っても、神以上の背後力はないのです。

 皆さん、統一教会の皆さん、花のような青春期を迎えてる皆さんの顔は、まるで紅い桃のようで、希望に満ちております。一人ひとりが美男子であり、美女であります。希望の相手を選んで結婚する時期でもあります。ところが、統一教会に入って、先生の話しを聞いてみると、それどころではないのですね。これからも、七、八年以上しごかなくてはならないからには、考えものですね。だから、きょうでも遅くはありません。それを願わない人は、風呂敷包みをもって帰っても良いのですよ。(ノウ)

皆さんも知っている通り、父兄達が立ち上り、ヘルメット姿で拉致事件だと騒ぎました。しかし、もし神のみ旨を愛するなら、連れ戻されることの一、二回がたとえ百回に及んだとしても、皆さんは、ここに帰ってくるでしょう。最高に反対された時には、父兄に連れていかれたという報告が、毎日のように入って来ました。毎日のように。もしあなたがたの両親が皆、連れて帰るなら、それでも良いでしょう。そうして、みんなが連れ帰されたとしても無くなったはずの、その統一教会から皆さんを訪ねて行こうではありませんか。

 皆さん、一度連れ戻されてみたいですか。そのようなことがあっても、お父さん、お母さんを拉致してはいけません。たとえ、国全体が刑務所になったとしても、また世界がそうであっても、私達は勝たなければなりません。 皆さんも知っていることですが、私は韓国でも、与野党から攻められました。新聞でも、たたかれたのです今にでも押しつぶされてしまったと思ったでしょうがどうでしょうか。死んで、影すらも見えなくなると思っていたにもかかわらず、私はアメリカの全地をかけ廻っているではないですか。
 日本に行けば、日本でも大騒ぎします。私が行くところは、天下が騒然とします。その騒ぎがあってこそ、普通の人達と同じにならないでいられるのです。騒がれるから違うのです。もし、神が世の中を見下ろされて、希望をもつとするならば、その騒ぎを起される人に望みをかけるでしょう。

 一カ所で平安に住むだけでなく、また愛とか幸福とか、善なる生活とかを論じたり、生命がけで実践したり、あちらこちら、このように一廻りしてみると、これもまた素晴らしいということが分かるのです。そういう訳で、どんなに反対されても、ビクともしないのです。

 子を訓練する虎

 私達には新しい目的があります。新しい主体としての神がおられます。新しい愛の思想を学びました。愛を中心とした自由と、愛を中心とした幸福、愛を中心とした一つの世界が成就されることを知ったのです。そして、神の愛を受けることのできる息子、娘になれるならば、どんなに良いでしょうか。

 では、その神とは一体何ですか。何をもって神と言うのでしょうか。神とは何ですか。神は私達の父です。すると神様のものは、その息子のものであります。私のものです。神のものは、私のものであります。この世界は誰のものですか。このアメリカ大陸はアメリカ国家のものではありません。アメリカの主人は誰でしょうか。神です。アメリカの人々が、国を知っても、神を知ることができないならば、神からみると、これはドロボーと同じです。

 私達が主人の息子になったのであれば、堂々とこれを是正してゆき、場を整備して、神の国として、お返しする責任を果たした後、主人としての権威をもつことができます。皆さんは、神の息子、娘になっていますか。(イエス)それは何を証拠にして信じれば良いのでしょうか。

 では、世界は誰のものでしょうか。神のものですか。世界が神のものであるならば、世界も私のものであります。この万物も神のものであるならば、それは私のものでもあります。では、世界を廻るには、私がふさわしいでしょうか。墓場に行く日の近い、年寄りを候補者に立てるのが適当ではありません。だからこそ、私の行く所に、青年が必要なってくるのです。花のような青春時代の青々とした青年達のみがふさわしいのです。(イエス)

 神が生きているとすれば、世界中の誰にそれを委ねるでしょうか。一番若くて、しっかりした人間を選びたいのであって、残りかすのような、ヒッピーのようなものは、全部ゴミ箱に入れてしまえば良いのです。そのような人々は願いたくないのです。ゴミ箱は、家造りが、全部終った後に、取り出して見れば良いのです。皆さんは若者でしょうか。(イエス)立派な人でしょうか。(イエス)アメリカには自分以上に立派な人がいないと言える位にならなければなりません。それが出来ない人は、ここに入ってきても、もたないのです。

 ライオンはその子を、ライオンに育てる責任があります。虎は虎の子が生まれれば、虎に育てる責任があります。(テープ交換)レバレント・ムーンは虎にたとえることができます。私が虎であるとすれば、皆さんを虎の子として育てなければならないと思っています。

 アメリカは何故私に反対するのでしょうか。アメリカのどこに行ってでもです。日本も同じです。世界もそうです。前は韓国の政府から反対され、今はアメリカの共産党が私を追放しようとしています。それはなぜでしょうか。それは恐いからではないかと思います。私はそう思います。

 私は全人類のために、生命を投げる覚悟をしてきた人間です。刑務所には何度も往き来しました。その訓練は三十年間もしてきたので、まるで隣の家に行って来るようなものです。反対されれば、反対される程、私は若人達の教育に励むのです。子を育てるのです。(拍手)皆さん、世の中に向ってこう叫びましょう「私は神の息子だ」。皆さんは考えるのです「私は神の息子である」と。女性も「私は神の娘である」と。

 神を解放する子女

 今から何年前になるでしょうか。約二十年前、北韓から南下する時、私の手には何も持っておりませんでした。立派なものではありませんでした。しかし二十年後には、必ずやこの手でもって、アメリカを救い、世界を救うであろうと、今日の私を知っておりました。当時は誰もそれを信じてくれなかったのです。私の心に国があり、私の心に世界があり、私の心に神がおられるのです。

 その国は、不正の国でなく正義の国であり、その世界は、不正の世界でなく正義の世界であり、神は全能なる神であります。今日、この世界に多くの人がありますけれども、永遠、または正義の国として見ることはできません。この世界が、永遠に残ることのできる正義の世界として、みることはできません。この世界が信じている宗教の神は、正義の神としてみることができません。私の心と私の手にある神と、国と世界は永遠なるものです。

 私は思うのです。このレバレント・ムーンの手が届くところ、物が必要であれば、物をつくり出すのです。人が必要となれば、人をつくりあげるのです。団体が必要であれば、団体をつくるのです。そのような自負心をもっています。真に生き残り、発展できるかどうか、という力の比較において、凌駕できる主体とならなければならないのです。主体に、主体にならなければなりません。

 スポーツの世界でみるならば、ボクシングの選手になるためには、全部の相手を倒して、はじめてチャンピオンになれるのです。このハンマーでいうならば、ハンマーの頭の部分になりたいだろうか。柄の部分になりたいだろうか。(ヘッド)何故でしょうか。いつも打たれるのは頭であるのに。ゴツンゴツンなぐられてもいいのですか。(イエス)なぜそうでしょうか。それはそうすることによって、幸福の種が広がっていくからです。これを持って、悪いものを打ちましょう。私達が死ねば、天国に行くのです。神の愛、より高い愛の圏内に抱かれることのできる世界に向かっていくのです。死ぬ事、先生のような人は、死ぬことに対して、既に清算ずみなんです。私が死んだら、皆さんはどこに行くのですか。私が死んだら、そのまま後退するのでしょうか。先生の身代りになって、死の峠を乗り越えていくのでしょうか。それとも……。何の利益になるのでしょうか。こんなことをして。世界をよみがえらせ、ひいては神の怨みを解いて、神を解放できることを知らなければなりません。神の監獄に、愛の監獄に囚われているようなものです。

 ここまで考えてくると、レバレント・ムーンの言っていることは、本当かうそかわかりませんが、かっこうのいい話ですね。神が愛の監獄に囚われているとすると、この監獄を誰がぶちこわすのでしょうか。息子、息子、娘以外にはありません。真の息子、娘以外には解放することができないのを、知らなくてはなりません。神はアダムとエバによって、囚われの身となったので、アダムとエバ以上の息子、娘が現われて来ない限り、神の解放ができないのです。それは愛による解放です。わかりましたか。(イエス)

 神と人類を解放する結婚

 こうしていくと、時間がドンドン過ぎてしまいます。困ったね。さあ、結論を出しましょう。統一教会の男性と女性は、昔堕落したアダムとエバとは違う自分でなければなりません。アダムとエバは過ちを犯した結果、世界の全てをサタン圏内にしてしまったけれども、私達は、サタン圏内をけとばして、勝利した一つの基準以外は、私は悪なる者とは相対せず、善なる神と相対するのであると、主張することができなければなりません。

 そうして、神の愛をもった息子、娘として夫婦になった後の私達は、他の人々とは違った生活をするという、そのような家庭的理念をもっているのであり、社会的理念があり、国家的、世界的理念が備えられなければならないのです。すると、結婚は父母が決めた結婚がいいだろうか、自分達で決める結婚がいいのでしょうか。(父母)なぜですか。愛は自分達のものではないからです。愛はどこから来るかと言えば、神から父母を通して来るのです。ですから真なる家庭の伝統も神から父母を通して、受けつがなければなりません。

 家庭の夫婦、父母を基準として、その生活と愛と全体を受け継ぐのであるから、父母を通さなければなりません。したがって自由結婚は成立しないという結論になるのです。わかりましたか。(イエス)皆さんは、結婚する時はどのようにしたいのですか。自由結婚をしたければ、きょうでも行って、自由ですよ。好きなように離婚して、好きなようにフリーセックスして。(ノウ)それではどうしますか。合同結婚式ですか。問題が多くて、騒々しくて、悪口をあびる合同結婚式をやるのですか。(イエス)だから、あなた達は気違いだと言われるのです。皆さんが何もしないで、じっとしていれば、私は悪口を聞かなくてもすむのに。皆さんが、そうするから私は悪口を言われるんですよ。仕方がありません。(笑い)

 さあ、それから統一教会の信者達は、結婚するとしたら、白人は白人同志で、黒人は黒人同志で、黄色人種は黄色人同志ですると、こうなっているんですか。(ノウ)国際結婚ですか。さ(イエス)みんな私よりも立派ですよ。本当にそう思いますか。さあ、そうすると神が本来願われていた、神を中心とした愛の世界、このような原則的基準を、探し求めていく事実を私達は知っているために、世間では何を言おうとも、自分が結婚するのは、自分のためにするのではなく、人類を解放するために結婚するという結論になるのです。

 さあ、どうしますか。これは、神の愛を受けることによって、神が少しも余されることなく満ち給うことができるように、夫婦が愛し合うことによって、神の直系の愛が注がれた夫婦からは、世界を支配することのできる息子、娘が生まれるのです。真の夫婦の愛から生まれるのだから、真の息子、娘が生まれるのです。さあ、皆さん、そのような息子、娘を生んでみたいと思いますか(イエス)そうすれば、世界を支配することができます。

 真の愛の味

 統一教会で祝福された息子、娘は頭がいいのです。どこに行っても、学校でも一番です。(拍手)このように結婚観は違い、社会観が違い、国家観が違うのです。このように全部が違う観とは、一体何観でしょうね。統一教会レバレント・ムーン観ですか。それは神の観です。神の観、神観です。(イエス)みてごらんなさい。レバレント・ムーンも五十歳を過ぎています。いずれは死んで行かなければなりません。しかし、私の語る言葉は、神の観であり、神の思想であるために、永遠に残るでしょう。(拍手)

 そのために、この世の中は、真を考える次代の後孫が残され、人間が残されているのだから、発展する以外何もないのです。何故でしょう。背後に神がいらして、調整されているからです。根が生きているからです。いかに土が落されていたとしても、春になれば、一度にその根に該当することのできる幹が伸び始め、枝が出て、葉がつき、実を結ぶのと同じであるために、この世の中は、世界は、征服して余りあることでしょう。

 それで、統一教会の信者達は神の如く、人類を救おうとするのであり、神の如く、万物を創った主人となって、万物を愛する人間にならなければなりません。神は嘆いたことがありました。神が嘆いたのは、人間を愛せなくなったからです。万物も嘆きました。万物が嘆いたのは、主人たる人の愛をうけなくなったからです。この三段階をうち砕いて、神が愛することのできる息子になり、万物を愛する主人となることによって、結び合っている三大嘆息圏を、一斉に清算してしまおうとするのが、統一教会の正常的路程です。このようにして、皆さんの体と心に残されている嘆息圏をうち砕いた後に、何を与えれば良いのでしょうか。真の愛の味であり、真の愛の道であります。

 神と共に、宇宙的愛の感情を体恤することのできる圏内に、導いていくのが、統一教会の使命です。そのために、レバレント・ムーンがアメリカにやってきたのは事実です。しかし、よりによって、皆さんが私の話を聞かなければならないのはなぜでしょうか。世界には、レバレント・ムーン以上に有名な教授がおり、博士もおります。立派な宗教指導者がいないでしょうか。大統領がいないでしょうか。アメリカの国民と言えば、その国民姿勢からしても、世界的に最も指導的な皆さんです。そういう皆さんが、人の話を必要とするでありましょうか。この韓国人のレバレント・ムーンのお話など聞くに及ばないのです。それを皆さんは、なぜ聞くのでしょうか。愛の味を知ったのです。真の愛ですね。(イエス)

 その愛の味とは、どこで味わうのでしょうか。居心地のよい、このようなビルディングの奥まった部屋で、最高に接待されながら、おいしいものを食べ、素適な布団に寝て、酒に酔うところに、愛があるのではないのです。死が行き来する場において、サタンと接見する、その悲惨なところから、より高い愛が体験されるものと考えるために、統一教会は、自ら悲惨な所を志願していく道であることを、明確に知っておかなければなりません。

 皆さん、神がいらっしゃるのであれば、神の真の愛はどこにあるのでしょうか。このアメリカの白亜館でしょうか。そこはアメリカ国民の慕うところであり、往き来するところです。しかし、白亜館ではないのです。悲惨な所、それは売春の巣窟であり、人間地獄の底辺に、神は不幸を取り除くための苦労をされているのです。

 さあ、それで「レバレント・ムーンは何故働かないのか、働かないで、立派な家で生活しているじゃないか」というのが、今アメリカの人達から受けている攻撃なんですね。皆さんもそう思いませんか。(ノウ)どうしてですか。皆さんゆうべは寝ていないのでしょう。私は寝たんですよ。それでもいいのですか。又皆さんは一部屋に五人とか三人で生活していますが私は立派な家に住んでいると言われているんですよ。

 皆さんは、自由という思想を中心にした教育を受けてきたアメリカの国民です。このような者達を全部一つの目的に進ませようではありませんか。そして苦い味を甘くかえさせるのが、やさしいでしょうか。それとも売る方が簡単でしょうか。商売をしながら夜明かしして働く方が簡単か、仕事をそのようにせざるを得ないと、そのようにするのが簡単でしょうか。どちらがやさしいと思うか、考えてみなさい。アメリカにそのようなことをやる人がいないために、私はここに来て、拾い乞食の役割をするようになったのです。

 世界中にそういうことをする人が、一人もいないために、私が統一教会の基準となっているのです。世界が恐れる人間になったんですよ。

 伝統的思想

 今度、なぐられて死んだ人がいます。その人は、死ぬ時に、「統一教会の先生のいうとおりにしたお陰で、ニューヨークの路上で殺された」と言ったでしょうか。そういう恨みを、そういう見方をしている人は、一人もいないと思います。(イエス)統一教会の信者であるならば、より永く生きながらえて、み旨のために大きく働けなかったことの許しをこう祈りを神に捧げながら、死んでいくはずです。それが統一教会の青年達のあり方であると思います。広い意味で、皆さんもそう思いますか。(イエス)

 私がこの道を歩んできて、過去には迫害をうけ、監獄に入れられて、血を吐くなど、ありとあらゆる試練をうけましたが「神よ、私を助けて下さい。私にこういうことはできません」などとは、一度も祈ったことがありません。これが先生のもっている思想です。(拍手)皆さん、それが私達統一教会の伝統です。私達が学んだ神は、愛する息子が苦労するのを知っているために、迫害を受ける時には、事実、神も共に受けておられるということです。ところが、その息子が「お父様、私はなぐられました。くやしくてたまりません」などと言うべきではありませんね。この世を救おうとされている神に対して、そのようなことは許せません。「私は生きております。まだ死なずに、私は生きておりますから、どうか心配しないで下さい」とこういかなくてはなりません。

 愛する息子、娘の苦労する姿を見たいと思う父母がいるでしょうか。真の師が、その弟子達に苦労させようとは考えるはずがありません。苦労させるならば、その息子の将来を思って、立派な息子になることを願い、その弟子が立派な弟子とならしめるために、苦労させるようなことがあっても、それを利用するための苦労をさせる人は、真の父母でもなければ、師でもありません。

 皆さん、信仰生活の中で、神秘的なこと、霊的なこと、神がいることを生活圏の中で体験しているでしょうか。霊的に、祈りの中で、あるいは夢の中で、先生と常に会って指導を受ける人は手をあげてみて下さい。見てみなさい、百パーセントです。それは私達のみが持っている力であり、私達のみが持っている誇りであり、そしてまた私達のみが持っている宝でもあります。

 今までの宗教は、体験的なそういう過程を持たないために、定めがきかず、いつの間にか俗化してしまったのです。統一教会の信者達は、後に立っている神を知っているために、どのような風波と洪水が押し寄せてきても、これを押し分けて進むであろうし、死ぬようなことがあっても、明日に向かっての希望を遺言にして死ねる、そのような男性であり、女性であります。これは実に驚くべきことです。

 神をも感動させた歌声

 皆さん、今、幸福ですか。(イエス)昨日は全部雨にぬれたままで、夜通し大変でしたね。昨日雨が降ったのは良かったですか、悪かったですか。(ベリーグッド)なぜでしょうか。私は良かったと思っているんですよ。

 私は雨が降り出したという報告を聞いても、少しも驚かなかったのです。「神様!御安心下さい」と言って、神を慰めたのですよ。「万一、大会がでなくなれば、ボールルームに於て、もう一度大会のやり直しをします」と言ったのです。「お父様、外的な環境の悪条件にあって、たとえ全員が打ちのめされたとしても、理想と結果に向かって、私はやってみせます」。そうすること三時間、じっとそのままでしたよ。考えてごらんなさい。人間が希望を捨てたら、もうだめなんですよ。何もやれなくなってしまいます。

「オーマイサンシャイン」 を歌ったりして、こういう歌声を聞く時に、神様も感動せざるを得なかったのです。(拍手)

https://youtu.be/fQXlglbh3V8?t=328

​​

 「ああ、雨が降らなければ、どんなに良かったか」とまだスッキリしない人がありますか。それでは、もしも、もう一度一週間以内に、ヤンキー大会をしましょうと言ったらどうしますか。やりますか。やりませんか。果して満員できるかどうか問題です。自信ありますか。自信のある人、手をあげてごらんなさい。だから、もう仕方がありません、やる必要がないのですよ(笑いと拍手)

 さあ、今日は万物の日ですね。ここに来られているお客様達は、万物の日が、何なのか分からないと思いますが。誰かが、皆さんを訪ねてきて、いろいろ言ったり、また連れていこうとしたりしたら、皆さんはどうしますか。考えてごらんなさい。平和賞をうけた人とか、ビリーグラハムのような人が、十人、百人来たとしても、皆さんを連れて行くことは出来ません。何故でしょう。それは思想があるからです。

 皆さん、お金が必要でしょう。(ノウ)知っているんだね。(笑い)神様とともにいるならば、お金もあるし、権力もあるし、何でもあるということを。レバレント・ムーンは今は、何も持っていませんよ。財布の中にお金が入っているかな。財布もありませんよ。(笑い)

 先生は三年間に、アメリカに何千万ドルの財産をつくり、全アメリカを騒がせ、レバレント・ムーン、ゴー・ホームと言わせる位に話題をひきおこしているんですね。それは三年間でなしたことです。このように驚くべき仕事を成し遂げている事実は、私がやっているのではありません。分かりますか(イエス)

 私にお金が必要ならば、お金を、私は何でも神様と相談しながらやるのです。人が必要ならば、人の用意ができるように、神様が工作して下さるのです。私は元々目立つことは好きではありません。だら有名になることをとても嫌いました。妨害が多いし、それは仕事に支障が多いのです。ニューヨークではどこに行っても、食堂に行っても、大学の講堂に行っても、レバレント・ムーンと言って知らない人はいないんですよ。(笑い)
 だから、私はニューヨークに住みたくないんですよ。明日にでも他の国に行ってしまいたいと思うのです。(ノウ)とにかく私がいなくても、皆さんは私の責任を引受けてくれますね。(イエス)ワシントン大会が終ってから、私はアメリカの十年後を預言します。こうこうなるであろうと。そして十年たって、私の言うとおりになるかどうか。その時は、アメリカ人達が入れかわり、立ちかわり訪ねてくるのです。

 私は韓国にいた時、韓国の将来がどのようになるかを知っておりました。今から数十年前、十八才の時からです。準備されたそれらの事が、私のいうとおりになっていったのです。日本の今の状態も十年前に預言しました。そのとおりになっていったのです。日本の今の状態も十年前に預言しました。そのとおりになっています。
 皆さん、イエスを裏切ったイスラエル民族は、歴史の中で、二千年間国のない民族として遊離し、どの国に行っても踏みにじられ、剣で突き刺されたり悲惨な歴史を背負ってきたのです。あの第二次大戦では、アウシュビッツでは六百万人のユダヤ人が虐殺されたのです。それは、イエス様と一つになれなかった故であったということを知ったならば、それと同じく、キリスト教が、今日神のみ旨で一つになれないとするならば、共産世界になって、六億または六千万とかが虐殺されるのです。

 これを誰が責任を持つのでしょうか。それを知っておかなければなりません。そしてアメリカの指導者の人達に、そのことを伝えなければなりません。教会の責任者とか、誰でもにその事を伝えなければなりません。神側から見る時に、そういう時が今後必ずくるというならば、これは誰の責任になるのでしょうか。レバレント・ムーンは責任を負わなければならないのです。私の手で防がなければなりません。

 心を一つにして

 皆さん、昨日雨が降ったとき、雨の止むのを待つ、皆さんのその心情、暖かく、涙ぐましい、その切なさを感じた時、ありがたく思ったのです。近のみ旨を成すために、神御自身からするならば、人類を救うために、如何なる瞬間においても、忘れることのできないという、それ以上の心情をもって、人類の後を追っていらっしゃるということを、私達はここで気付かなければなりません。

 そういう立場で、アメリカで批難をうけても、一九七八年を越せばいいのです。アメリカに今までは、レイバーユニオンというのがあって、国家に協助してきたけれども、これからは左翼の思想をもって、八十パーセントが裏切っていくんですよ。労働組合が、アメリカの政府についていくと思いますか。この共産党のスパイが、そこの要職に何人かが入って、一つになって動き始めると、これは完全に左翼系の方に一遍に向かってしまうのです。

 このようなことを考える時、レバレント・ムーンは、この国にとっては絶対的に必要であり、私がいなくてはならないということを私自身が良く知っているけれども、信じてくれないために、一つは、皆さんを何とか説き状せて、これを信じせしめる責任を立て、この責任を負わせるために、あなた達を召命したということを知らなければなりません。

 皆さん、ここでヒッピーだった人たち、手をあげてみなさい。ウーン、全部じゃありませんか。九十パーセントだね。こういうことも知らないで、反対父母の会の父母達が反対するんですね。これは共産党が操作しているんです。皆さん、そうなんですよ。だから皆さん、私達は休む時間がないのです。時間がありません。先生はそういう気持ちをもって、生きているのです。一瞬間といえども、一秒間でも、その思いをもって「お父様、どうしましょうか。私には手がなく、足がありません」と。

 反対されることに対して、反揆したり、ケンカをしたりしている時間がないのです。ケンカをしている時間がないのです。そうして七八年まで、神側を結束させて、アメリカの指導層の基盤を作り、アメリカ以外国々に影響を及ばさせるのです。そして軍隊を強化しなければなりません。あなた達、それができますか。(イエス)

 十年後にアメリカが滅びるとするならば、十年間辛抱しなければなりません。万一、それを知った人がやらなければ、その責任は追求されるのです。それは神様の前で「レバレント・ムーン、責任をもてるか」と言われれば「私が責任を負います。神様!これは私がしなければなりません」。神様が助けて下さるんです。だから問題を起こすことができるのです。

 そういうことで、きょう、万物の日を迎えたのですが、より本質的な愛をもって、万物を愛する時、万物はついて廻るのです。(テープ交換)きょう、意義ある万物の日を迎えるにあたり、私達は心を一つにして団結しなければなりません。

 今や、私達は本来の神と人間と万物の愛の関係を知っているのです。堕落により切断された、それらの愛の関係と、嘆息圏をとり除き、新しき愛の系統と伝統をたてるその責任を果たすべく、個人が必要であり、一つの家庭、団体、民族、国家、世界にまで発展していこうとするのが、我々統一教会の使命であることを知らなければなりません。

 このような内容を確認して、決意して、日々努力するならば、きょこのように万物の日を祝った意義があると思っております。きのうのみなさんは、打撃をうけて、暗い感じで疲れていましたけれども、このように決意して、またこの時間が整理をする時としましょう。(拍手)もうお話してから、二時間すぎてしまいました。そろそろ終りにしなければなりません。

 きょうは何ですか。祝賀の日ですね。ヤンキー大会の大勝利の祝賀をするんですね。ヤンキー大会は勝利しましたか、しませんでしたか。神様もきのうは、知らず知らずのうちに涙を流したはずですよ。神様が涙を流すのを見ることができませんけれども、皆さんを通して、心の中で涙を流したことでしょう。君達に同情して、それで神様はきのうよりも、もっと希望にふくらんだその心情をもって出発するきょうは、もっと大きい祝福が準備されていることでしょう。それは当然のことですよ。(拍手)

 大きな希望をもって、目を大きく開けて、活動も大々的にやって、今度はニューヨークではなくて、ワシントン、ロスアンゼルス、シカゴでもどこでも私達のいくところでは、旋風をまきおこすのです。(拍手)ワシントン大会を勝利して、大いに祝いましょう。私は、神様が本当にレバレント・ムーンを愛しておられると思っているんですよ。

 そして今は、もうワシントン大会五十万名を、どのように集結させるか、それを考えているんです。さあ、ワシントンには八十万人が住んでいます。全体で百二十万人なのに、五十万はむずかしいことです。不可能なことです。そうしようとするならば、どうしますか。せいぜい、どんなにやったとしても、十五万から二十万満たしたならば良い方です。そうしたら、三十万人は自動車で運ばなければなりませんし、飛行機、汽車、自転車で運ばなければなりません。(拍手)

 そういうことを相当、先生考えましたよ。そして、それを誰がするのでしょうか。神が、私達がやらなければならないでしょう。さあ、そのような深刻な仕事を誰が責任もつのでしょうか。ヤンキースタジアムは五千名だけ集ってもいいというのです。ワシントンです。ワシントンは五十万です。集められますか。(イエス)その秘訣は何でしょうか。神様がその秘訣を教えて下さったんです。

 神様は偉大なる神様ですね。雨が降って、ただ雨にぬれて、みんな逃げていくかと思っていたのにユーアヽマイシャインと歌いはじめたんですね。口は歌っているけれども、涙がでて、雨水、涙混って……。雨よやめ、声をだして叫びたい気持ちだったけれども、声をださないだけでした。(笑い)その思いで、みんな完全に統一しましたね。統一です。これを見た時に、神様は「ヤー、私の作戦がよくも見事に的中した」と。(拍手)

 さあ、それで今度は、もっと大きな贈物を間違いなく下さいますよ。それを間違いなく受けとれますね。受けとることのできる教育の材料を、私達はきのう学びました。それは、雨が降らないように願ったその心を持って、これから、この二カ月間を完走しましょう。間違いありませんね。二十分の間で、そのような教育をすることのできる能力を、神様は持っているのですね。私は「ああ、私の愛する神よ「と感謝祈祷しました。

 雨よ降らないでくれという、必情をもって、世の中を愛することができるような場所が、神の心情の場です。分かりますか。神の心情がわかりましたか。(イエス)この数千名が、このような心になったというのは偉大なる賜物です。偉大なる贈物をうけたのですよ。皆さん、その時の心を持って、一生を何かの仕事をする時には、きっと大成功することでしょう。神が協助して下さるのです。

 そういうことで、神は統一教会を愛されて、この贈物をニューヨーク市の批判をする人々に与えるよりも、統一教会に与えるべく、そのような時間を下さったのです。本当に感謝です。そういう意味で、今日は大勝利、祝福という言葉がふさわしいのです。

 混乱と試練の峠を越えて

次に、一昨日、三日前に語ったように、この三日間は、イエスが十字架上でなくなられて、地獄に行って伝道する三日間に該当する期間です。するとイエス様が十字架でなくなられたのは、霊と肉が別々になったことなのです。半分がみ旨成就して、半分がみ旨成就していないために、このような結果が、この私達の集会にもあり得るという予感があったのです。それで心には「何事かあるであろう」と。その時には、イエス様が祈祷されたと同じく「父よ、父よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と祈られる時も、そのイエス様を見捨てず、共に一つになって行くことのできる動きが展開されたのです。

 まさにその時、全てが散り、全てが去って、私達は団結して「お父様」と叫び、お父様と一つになれる良いチャンスになったと、先生はみるのです。イエス様が十字架でなくなられた時には、三日間の暗闇があったのですが、統一教会は三分、三十分にならないうちに光明な陽の光が照らしだしたのです。それ希望です。そういうことで、統一教会は混乱と試練の一峠を越えて、勝利の光輝くワシントン大会に向って前進するのです。ワシントン大会は、間違いなく勝利するのです。(拍手)

 皆さんが、原理を中心にしてみる時に、縦的な歴史を、横的に展開させて蕩減復帰するという、その原理が公式的に、今度の集会を通して、世界があるいは宇宙的摂理、歴史的摂理、全ての、全体の思いが一致した内外の条件を備えて、私達が会ったという事実は、驚くべき「福」をもたらせる、一つの条件となったということを知らなければなりません。

 それから、第三番目に、皆さんの父兄が七百名近く来ており、なおのこと韓国の僑胞達が来ているということです。これは歴史的にみると、カインとアベルがピッタリと同じ立場であるということです。批判的であり、不平をもち、自分の目でもって全部見てきたけれども、この時間だけは一つになりました。これは驚くべき事実です。(拍手)歴史はカイン、アベルの戦いに分立され、これが一つにならなかった事実を、ここでカインとアベルが、内的外的に一つになったということは、世界的勝利であったということを知らなければなりません。

 さあ、これを見る時に、韓国は、国が一つになる立場を代表し、君達は家庭が一つになれる代表となったため、これさえ一つになれば、世界を動かすことのできる起源がここで成立しました。世界が新しく出発することができるのです。そうしてこそ原理にかなうのです。

 ここに僑胞の皆様方が来ておられますが、壇上から失礼しますが、みんな兄弟のようであるし、家族のようですので、私はお話をします。何のために、このヤンキー大会を、複雑なこういう時に、バンケットをしたり、ヤンキー大会をしたり、ワシントン大会、シカゴとか、ロスアンゼルスとかそういう活動をするのでしょうか。それは韓国の体面をたてるためです。

 これを成すことによって、今まで、大韓民国がこのレバレント・ムーンに反対しました。わかりもしないで反対したということを、ここで一つの教訓とするために、そうしたのです。今度は、それが的中したというのです。(僑胞の方方拍手)

 ワシントン大会勝利をめざして

 さあ、このようにみ旨を中心に見た時に、アメリカに影響を与えるワシントン大会が私達の前で門を開くことができ、また、イエス様が十字架上でなくなることにより、地上にやり残したみ旨、家庭的分裂全ての分裂を、統一する機運がここから生じ、結合させることができるのです。この事実は偉大な賜物であり、その勝利を大々的に宣布できるということを知っております。それがワシントン大会です。これを合格すれば良いのです。ワシントン市民が、この大会で、韓国僑胞がレバレント・ムーンを思う以上の心情を抱き、また父兄達が一つになって同情したより以上の心情を抱くようにするにはどうするか、その問題が、ワシントン大会を大勝利に導くか否かの、決定的鍵になります。(拍手)

 皆さんが雨に打たれ、バンドは演奏できず、そうしたと同じく、ワシントンでもそうするのです。その心情をもって、一つの心を始めから終りまで、もって歩むのです。そうすれば間違いなく、天の祝福を、私達が代表してうけるでしょう。(拍手)そういうことで、悪口を言われても、打たれても、そのままやるのです。そのような心で二十四時間歩む時、ワシントンには大旋風がまきおこるでしょう。このような大会勝利のために、今、私達は新たに決意を固めてワシントンに向かって総進軍するのです。アーメン。(拍手)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村 ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.09.07 21:29:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: