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実家に親と住んでいたときには、全く興味のなかった食器。自分で買うようになってから、目が向くようになりました。きちんとしたブランドのもので、初めて「欲しい」と思ったものは、とってもよく覚えています。池袋東武の食器売り場でみた、アラビアのバレンシアシリーズ。ぽってりとした厚めのフォルムに大胆な藍色のハンドペイント。当時はクニエダヤスエさんの本に影響を受けて「和食にも映える洋食器」というのがいいなあ、と漠然と考えていたので、バレンシアをみた瞬間「いい!」と思ったのです。そして値段をみて・・・・。就職したての食器初心者には、とても出そうと思える値段ではありませんでした。それからアラビアは、私の中でクリステルのお鍋やバーミックスと共に、「いつかは買いたいな」と思う憧れのものになりました。アラビアを扱っている店はそう多くはなくて、池袋に行く度に東武をのぞいて・・・。それでも月日の流れとともに、食器も増え、私の好みも若干変わり、アラビアのような厚い陶器よりも、薄手のモダンなものが好きになって、アラビアへの興味も薄れつつありました。そんな中、なんとアラビアはイッタラに吸収されてしまいました。買わなかったけれど、憧れのブランドだっただけにちょっとショックだったなあ。バレンシアも生産が中止になってしまいました。ハンドペイントを受け継ぐ職人さんがいなかったらしくて、時代を感じてしまいました。今、アラビアの名前で出ているのはムーミンマグや一部の復刻柄など、ごくごく一部のアイテムになってしまいました。あの時思い切ってバレンシアを買っておけば、今やヴィンテージだったのになあ。まあ、それだけのお金も度胸もなかったということですが(笑)先日、イッタラのマグを買いました。私の初イッタラです(^^)マグカップには、人それぞれ好みがあると思うのですが、私は「まっすぐの縦長で、薄めで、もち手の穴が大きめのもの」がよくて、フランフランのアウトレットで見つけたものが、私にとっては「完璧」だったのです。ペアで持っていたのですが一つ欠けてしまって、買い足しにいったら、もう売っていなかった・・・。本当にショックだったなあ・・・。それからずっーとマグを探していたのですが、なかなか「これ!」というのはなくて。そして見つけてしまったのです♪「bottna iittalaxmarimekko」イッタラのティーマにマリメッコのボットナ柄をプリントしたシリーズ!(一緒に写っている白いマグはフランフランのものです。)ティーマのフォルム自体は、私の思い描く「理想のマグカップ」とは全然違うのですが、イッタラxマリメッコなんて、北欧デザイン好きにはたまらない組み合わせ。白地に黒のモダン系デザイン、というのがかなりツボです。もう大人になったし、欲しいと思ったものは欲しいときに買ってしまえ!と入手しました(笑) iittalamarimekkoこの底マークがいいよね~、と自己満足に浸ってマス
May 31, 2007

今発売中の『新潮45』の広告にに「恥はかかせろ、いじめはなくすな」という見出しがあります。「恥はかかせろ」はともかく、「いじめはなくすな」というのはどんな論理??と思ったら、書き手はあの戸塚ヨットスクールの戸塚宏でした。あの事件の是非を今更ここで論じようとは思いませんが、今でもその方針には根強い支持者がいます。意外と知られていないかもしれませんが、戸塚ヨットスクールの教育方針を支持する「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長は石原慎太郎です。(石原慎太郎が大嫌いな人にはよく知られていると思いますが・・・。)少し前のテレビ番組(報道2001)では、『国家の品格』の著者の藤原正彦が「子供が悪いことをしたら張り倒せ。理屈は説明する必要はない。」と言っていました。私は『国家の品格』は読んでいませんが、これをきいてますます読みたくなくなりました。こんなことをいう人に、私は全く品格を感じられません。(この人を育てた父親かと思うと、結構好きだった新田次郎の本まで嫌いになりそう・・・。)子育てをしていていつも感じるのは、子供は大人のすること吸収して行動する、ということです。娘が弟を叱る姿は、自分を見ているよう。私の叱る姿を見て、彼女は叱り方を身につけたのだと思う。時々「そんな言い方ないでしょ!」と思うときがある。でも考えてみると、確かに私が娘に時々いうことだ。反省しきり・・・。以前、皇太子さまが誕生日の会見で朗読された『子ども』という詩があります。 『子ども』 ドロシー・ロー・ノルト作・川上邦夫訳 批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなるしかし 激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる 寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる賞賛を受けた 子どもは 評価することを おぼえるフェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる友情を知る 子どもは 親切を おぼえる安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる 私も叩かれて育った子供は、力に頼る大人になるのでは、と思っています。結局『新潮45』は、戸塚氏のところだけざっと覗いてみました。記憶なので正確な文言ではないのですが、戦後教育は力を悪だと教えたのがまちがい、力は善だ、というような文がありました。私は「力は悪だ」と教えられた記憶はありません。私が学んだのは、「自分の意見を通すために力に頼ることは悪だ」ということだと思っています。『子ども』の詩はこの本に収められています。あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書 同じスウェーデンの国民的作家、アストリッド・リンドグレーンは「子供は絶対に叩いてはいけない」という信条の持ち主でした。ところで、記事の見出し「いじめはなくすな」というのがどんな趣旨だったのか、というと、こちらは更に言語道断。以下、要旨をまとめると・・・「いじめには悪いいじめと正しいいじめがある。その人の行動(足が遅い、ヨットの扱いが下手、など)をいじめるのは正しいいじめだ。その行動が正しくなった時にいじめはやむ。」足が遅いのは、正しくない行動なのか。ここに見てとれるのは、ただの力の信奉、弱者切捨ての思想だ。石原慎太郎が共鳴するだけのことはあります・・・。いっそのこと、都知事選挙の時に応援演説でもしてもらえばよかったのに・・・。
May 21, 2007
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慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に3歳の男の子が残されていたということ。どんな母親が どんな気持ちで 彼をそこに置いていったのか・・・。「こうのとりのゆりかご」についての賛否両論。どちらにも一理あるので 正解というのはありませんが、親に捨てられ 施設で育つ子供、育児意欲のない親に(時に命にも関わるような状況で)育てられる子供、どちらがより不幸なのか。映画『誰も知らない』を思い出してしまいました・・・。実際にあった事件をモチーフにした映画ではありますが、事実とはだいぶ異なるストーリーになっています。(実際の事件は、映画よりもさらに悲惨なもので、イメージするのも辛いくらい・・・。)ちょっときれいに描きすぎてるかな、とも思うのですが、映画としては好きなタイプの作りです。映画の中では、たくさんの他者が彼らに少しずつ関わる。コンビニの店員など、彼らを気遣いつつも、もう一歩は踏み込まないその希薄な人間関係に、リアリティを感じました。どうして、そこでもう少し手を差し伸べてあげられなかったのか。自分だったら何かできたのか。「誰も知らない」子供たちが暮らすのは、私の家のすぐ近くかもしれない。そんなメッセージがこめられているように思いました。安倍首相は冒頭の件について「児童相談所などに相談して欲しい」という趣旨の発言をしていましたが、同時に「子供を育てるのは親の責任」とも言ってました。「子供を育てるのは親の責任」なんていうことは、誰だってわかっているし、もちろん慈恵病院の方々も、そして子供を捨てた親もわかっているでしょう。わかっているけれど 育てられない人がいる。事情があって、ということではなくて、「育てたくなくて」育てられない人がいる。正しいことではないけれども、事実は事実・・・。児童相談所に行って、「お母さん、がんばってみましょう」とかお説教されるのは面倒だから、「子供を育てるのは親の責任」という正論を振りかざされるのは嫌だから、子供を捨ててしまう、育児を放棄してしまう、子供を殺してしまう。安倍首相にはわからないのかもしれないけれど、そういう人が実際いる、という事実は受け止めないといけないんだろうと思う。ここ数年の社会のあり方を象徴するような『自己責任』という言葉がある。たとえ不利益を受けても、それは自分のせいだからしょうがない、という理論で社会的弱者の救済を放棄する際に頻繁に使われているように感じる。でもこの場合、不利益を被るのは無責任な親本人ではなくて、子供達。救済策を講じるのは、親の無責任を助長するためではなくて、子供を救うためだ。「子供を育てるのは親の責任」という正論を振りかざすのは簡単だけど、なんの解決にもならない。「こうのとりのゆりかご」を批判するならば、併せて現実的な対応策も検討して欲しいと願う。
May 17, 2007

昨日の日記のバッタの赤ちゃん、booska999さんに>バッタの赤ちゃん発見ならず。。。いずこ?というコメントを頂いたので、答えを載せてみました。ほんっと小さくて、肉眼でみると濃い緑と薄い緑のグラデーションになっていて、とってもきれいだったんですヨ。最初は綿毛の上にのっていて、もっとフォトジェニックだったのですが、ちょうど携帯を持っていなくて、取りにいっている間に移動してしまった・・・(言い訳)バッタやカマキリは卵から、大人と同じ形で出てくるんですよね。昆虫、と一口に言っても、大人になるまでの道のりは虫それぞれなんだな~。さなぎになる昆虫は、さなぎの中で1回どろどろになるそうです。同じ材料(?)で、閉じられた空間で、体の組成を組み替えて、まったく新しいものになるなんてまるでSF!昆虫って本当に不思議。この話は漫画の受け売りです(笑)無類の昆虫好きでファーブルとあだ名される警視庁の鑑識官を主人公にした『昆虫鑑識官ファーブル』。絵はイマイチなのですが、昆虫トリビアがおもしろい。虫好きの人はハマります。こちら↓の日記には、背中に黄色のハートが入ったカメムシの写真があります♪自然の造形って面白い。■自然の中のハート♪(ハート柄のカメムシ) http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200606260001/
May 11, 2007

ゴールデンウィーク・・・ 我が家は結局東京からは一歩も出なかったけれど、それでも自然たっぷりの休日を過ごしました。西東京って、本当に緑がいっぱい!後半は、いつもよくいく多摩川上流にキャンプに行きました。何度も書くようなのですが、多摩川って本当にきれい。澄んだ水に新緑が映りこんで、なんともいえない美しさでした。今回は、ついに娘がカヤックデビュー♪大人用のパドルが重くて、漕ぎあがるのはちょっと無理で友人に牽引してもらいましたが、ちゃーんと対岸まで渡ることもできたし、本人もかなり満足(*^-^*)ところでキャンプをしていて、最近夫と議題になるのが、「いかに荷物を減らすか」ということ。キャンプって、結構びっくりするほど荷物が多い。テント、シュラフ、テーブル、椅子、照明、グリル、調理器具、食料 etc.車にいっぱいの荷物です・・・。オートキャンプ場でキャンプをする訳ではないので、車から設営地まで荷物を運ぶのが一苦労。でもこんなに荷物がなくたって、本当はキャンプなんてできるのに・・・。私は子供の頃、毎年必ずキャンプに行きましたが、家には車がなかったので、全て電車でした。バンガローに泊まることもありましたが、テントを持っていくことも。テント、シュラフ、その他の荷物を全部しょっていってたんですよね。もちろんテーブルも椅子もないし、食料も最小限。夜は必ずカレー。昼食はカップラーメン。普段は絶対カップラーメンなんて食べさせてくれなかった家庭だったので、そのカップラーメンが嬉しかったなあ・・・。自分達が持てるだけの荷物で過ごす、これがキャンプの原点のような気がします。いつも夫と争点になるのが椅子とテーブル。「椅子なんてなくたって、地面に座ればいい」という私に、「くつろげない!」と絶対ゆずらない夫。気持ちもわかるんだけど、そんなこと言っていたら荷物なんて減らないよ~。以前の日記に書いたのですが、オートキャンプ場に行くと椅子どころか扇風機(!)まで持ってきている人も見かけます。車で動くようになって、日常の便利さを自然の中まで持っていくのが当たり前になっちゃたんだろうなあ。今回、テーブルについては、もう大きなテーブルを持っていくのはやめよう、ということになりました。他の荷物も見直して、できるだけシンプルなキャンプを目指そう(荷物を運ぶのも辛いしね)、と思うのでした・・・。バッタの赤ちゃんを発見♪どこにいるかわかるかな?
May 9, 2007
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