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まさみ2240 @ 日本脳炎 三年前のワクチン積極勧奨中止のきっかけ…
Mar 27, 2008
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テレビで見た話です。

とある女の子(十代後半から二十歳そこそこの年齢)がアルバイトの面

接を受けていました。しばらく担当者と話していると、彼女の携帯電話

が鳴り出しました。彼女は話の腰を折って、何の躊躇もなく電話に出

ます。

その上「じゃあ、五時にいつものところで」と約束します。

面接官は彼女に言いました。

「こんな時、携帯電話の電源は切っておくべきじゃないですか」

別に怒鳴るとか叱るとかそういった口調ではなく、いたって穏や

かでした。その時の彼女の答えです。

「そんなこと聞いてないもの。だったら、初めにそう言ってくれれ

ばいいでしょう」

「それが常識ってものでしょう」

「そんなの誰が決めたの、そんな常識知らないもの」

「あなたはお友達と五時に約束しましたよね。それま

でにはもう時間がありません。仕事内容の説明など

にあと30分はかかります。どうするともりですか」

「そんなにかかるって聞いてないもの」

「・・・・」

「私は悪くないもの。そんなこと、誰からも言われて

ないもの」

それを観ていて呆れるというより、腹が立つというより、

何だか力がぬけてしまいました。

本当にこんな子がいるんだ。こんな子が、もう大人と呼

べる年齢になって、堂々と町中を歩いているんだ。

どうして自分の非を認められないのでしょう。起こった事

はすべて他人のせいであり、自分は決して悪くない。

まるで認めることが損をするかのように。

認めないことが得をするかのように。

小さい頃、誰でも経験はあると思いますが、自分を守るためにいろんな

言い訳をしたものです。たとえば、戸棚のクッキーをこっそりつまみ食い

したとしましょう。

「あなたが食べたの?」

と、言う母親の追及に対して、

「ううん、違う」

「食べたのなら正直に言いなさい。お母さん怒らないから」

「違うもん、クッキーの方が勝手に私の口の中に入ってき

たんだもん」

こんなことが通じるのはせいぜい3歳までです。それだって

幼いながらも、心の中ではいけないことをしたという認識を

持っているはずです。つまり、さっきの自分の非をあくまで認

められない女の子は三歳からまるで成長していない、いえ、

それよりもっと幼稚ということになるでしょう。

彼女に対して危惧することは、他にもあります。彼女は自分

を顧みない限り、たぶん、今までそうやって通してきたと同じように、これからもそれを

 通してゆくだろうということです。そうして、世の中はそれでいいんだと思い、自分にと

って、都合のよいことだけが正しいというような錯覚に陥っていくのです。

やがて、自分の子供にも無意識のうちにそれを教え込むことになるでしょう。それだけ

でなく、子供に何かあった時も「私のせいじゃない、そんなこと聞いてない」と片付けて

取り返しのつかないことをしでかしてしまう可能性もないとは言えません。

真夏に子供を車の中に置いてパチンコに熱中するなんて、その最たる例かもしれませ

ん。

私だって、ごりっぱなことを言えるような人間ではありません。自分が悪いと分かってい

ながら、意地を張って謝らなかったこともあります。その時は、確かにそれでうまく乗り

切ったような気もしました。けれども、ひとつだけ言えることは、それで得をするなんて

ことはまったくなかったということです。

自分の非を認められない。それはある意味で、自分の中の大切なものを失っていくよ

うなものです。少なくとも、彼女はアルバイトを失いましたが、彼女が家族や友人や恋

人に対しても、そういった姿勢をとり続けていたら、いつか周りからみんなが消えてゆく

に違いありません。すべてを人のせいにして、あくまで自分を悪いとは思えない人間と

なんて、付き合っていけるわけがありません。

損得、ということを考えていちばん最初に頭に浮かぶものはなんでしょう。

お金、もしくは物、ということはありませんか。正直言えば、私にもそういうところがあり

ます。

損得勘定をして何が悪い。お金や物のことを考えるのは当たり前だ。

たとえば、こっちの銀行の利率の方がいいから、とか、あっちのお店の方が安く

売ってるとか、そういう物質的なことに限っては、それでいいという気もします。

けれども、人の思いや生き方に関わることまでも、お金や物での損得勘定を持ち

出すようになってしまったら、手痛いしっぺ返しをくらってしまうのではないかと思う

のです。

ある母親が子供のことで愕然とした話、というのをしましょう。

その子は勉強もできるし、問題も起こさない、とてもいい子でした。母親にとっても

自慢の子供だったのです。

ある時、親戚に不幸があり、その手伝いをするように子供に言いました。

その時の子供のセリフはこうだったようです。

「いくらくれる?」

母親は驚いたそうです。

「お金じゃないでしょう。困ったときは手伝うのが当たり前でしょ」

「ただ働きしろっていうの?そんな損なことしたくない」

「あなた、いつからそんな子になったの」

「いつからって、ずっとそうよ。何かすれば、報酬がもらえる。世の中、そんなもの

でしょ」

そう言い残して部屋に戻っていく子供の後ろ姿を見ながら、その母親は初めて自

分の子供の育て方に何か問題があったのではないか、と思ったそうです。

なぜかというと、母親はいつも子供にこう言ってきたからです。

「今度の試験で5番以内にはいったら、お小遣いを倍にしてあげる」

「お手伝いをしてくれたら、ゲームを買ってあげる」

「嫌いなピーマンを食べたら、プリンを食べていいから」

といった具合に、努力はいつも何かと引き替えでした。そんなことを繰り返してい

るうちに、何も引き替えるものがなくても努力する、というようなことができない子

供になってしまったのではないかと思ったのです。

大事なことは、「引き替えるものは何もなくても、それはあなたのためなのよ」とい

うことを教えなければならなかったのでしょう。

人の心の中には天秤があります。何かしようとする時、何か頼まれた時、誰かに

関わる時、天秤のお皿にそれを乗せて、もう片方のお皿には何が乗るだろうかと

考える。

お金であったり、物であったりすることは多いかもしれません。けれども、そこには

目に見えない何か、それでいてずっしりとした重さを持つ何かがあることもあるは

ずです。時に、他人から見ればそれが「損」に映ることもあるでしょう。けれども、

その価値を自分が知っているなら、自分で理解できるなら、他人にどう思われよう

と構いません。自分の天秤は、自分の生き方にしか使えないのだから。

自分にとって本当に得なこととはいったい何なのか。損の中にこそ、大きな得が

隠れているのではないか。

そんなことをじっくり考える時が来たのかもしれません。






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Last updated  Mar 28, 2008 01:46:40 AM
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