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ガーベラ@ Re:幸福を人と分かち合えば、それは減るどころか更に増大するのです 初コメントお邪魔致します少なからずや…自…
H4O@ Re:どう思いますか?(10/24) 病院だけのせいにするのはおかしいのでは…
まさみ2240 @ 日本脳炎 三年前のワクチン積極勧奨中止のきっかけ…
Jan 25, 2009
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 古代の淡路は、一大鉄器生産の島だった-。

 こんな結論も導けそうな考古学上の大きな発見があった。

 淡路市の垣内(かいと)遺跡で、弥生時代後期(二-三世紀)の鉄器

工房跡が十棟も見つかった。

 鉄の矢尻、鉄片なども数十点が出土している。

 日本での製鉄が始まる前で、大陸からの鉄素材を加工して武器など

の鉄製品を作っていたとみられる。

 弥生期の鉄器工房は、西日本を中心に数十カ所見つかっているが、

一カ所で十棟の確認は最多であり、最大規模の工房群が存在したと



 専門家は「鉄器を加工する工業団地のようなもの」と説明する。

 このころは、古代史上の最大の謎とされる邪馬台国の成立前で、各

地の小勢力が争っていた。

 当時のハイテク素材といえる鉄を大量に手にした勢力が中心となり、

統一国家の邪馬台国誕生につながったといわれる。

 淡路が鉄器生産の一大拠点だったとすれば、邪馬台国の成立にも

大きな影響を及ぼしていたかもしれない。

 こう考えれば、考古ファンならずとも、胸が高鳴るニュースであ

る。

 邪馬台国の所在をめぐっては、畿内説と九州説が江戸時代から対立

し、近代以降の研究や発掘にもかかわらず、決着していない。



 地元とすれば、心情的にはそうあってほしいと願うところだが、専門

家の見方は分かれるようだ。

 ただ、淡路が鉄器の一大生産拠点であり、少なくともどこかへ供給し

ていたことはほぼ間違いないということだ。

 当時はすでに稲作の時代だったが、淡路の農耕生産はまだ乏しかっ



 にもかかわらず、島人口が急増したことが分かっており、理由は謎だ

った。

 今回の発見で、人口を支えたのは「工業生産」だったとする専門家の

指摘もある。

 弥生期の淡路が透けて見えてくる。

 さらに知りたいのは、なぜ淡路に大規模生産拠点ができたのかだ。

 大陸からの鉄は、弥生中期に九州へ伝わった。

 その後、山陰経由で近畿に入ったルートと、もう一つは瀬戸内から

四国止まりだったとされる。

 その四国ルートが淡路まで伸びた結果なのだろうか。

 また、淡路で加工された鉄製品は畿内への供給だけだったのか。

 謎が深まり、想像は膨らむばかりだ。

 こうした疑問を解くために、さらなる発掘や今後の研究に期待した

い。






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Last updated  Jan 25, 2009 05:58:50 PM
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