マサの部屋;心のネットワーク

マサの部屋;心のネットワーク

PR

×

Calendar

Profile

マサ1788

マサ1788

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

ガーベラ@ Re:幸福を人と分かち合えば、それは減るどころか更に増大するのです 初コメントお邪魔致します少なからずや…自…
H4O@ Re:どう思いますか?(10/24) 病院だけのせいにするのはおかしいのでは…
まさみ2240 @ 日本脳炎 三年前のワクチン積極勧奨中止のきっかけ…
Aug 15, 2009
XML
 今日の甲子園球場では、今年も正午になると試合を中断

し、選手や観客が黙とうを捧げた。

 全国戦没者追悼式が始まった1963年以来、毎年見ら

れる終戦の日の光景だ。

 第2次大戦では球児らの先祖だけでなく、多くの野球人

も命を失った。

 プロ野球・巨人の伝説の名投手、沢村栄治は召集のたび

に体をこわし、3度目の召集で戦死した。

 沢村とバッテリーを組んでいた吉原正喜も、南方戦線に



 特攻で散ったのは、名古屋のエース石丸進一。

 39年の甲子園で準決勝、決勝と続けてノーヒット・ノ

ーランをやってのけた海草中(和歌山県)の嶋清一は、プ

ロに進む前に海に消えた。

 いずれも20代の若さですべてを奪われた。

 運良く生き延びたものの、選手生命を絶たれてしまった

人も少なくない。

 高松中出身で西鉄の監督を務めた三原脩は足を銃で撃ち

抜かれた。

 高松商出身で巨人でさい配を振るった水原茂も、シベリ

アに抑留された。



 鉄道は軍隊や物資の輸送のためのもので、球遊びをする

学生を運ぶためのものではなかった。

 その時代、球場の鉄傘は武器製造のために供出され、グ

ラウンドはイモ畑になった。

 球場に響く甲高いサイレンの中で、先人たちの魂を慰め、



 野球が五輪の競技から再び外されたのも、万一どの高校

が敗れたとしても、その悔しさを味わえるのは本当は幸せ

なことではないだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Aug 15, 2009 07:29:16 PM
[マサの今日、思ったこと] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Freepage List

Archives

・Oct , 2026
・Sep , 2026
・Aug , 2026
・Jul , 2026
・Jun , 2026
・May , 2026
・Apr , 2026
・Mar , 2026
・Feb , 2026
・Jan , 2026

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: