明日に架ける橋 Bridge Over Troubled Water    ケン高倉☆彡

明日に架ける橋 Bridge Over Troubled Water ケン高倉☆彡

最終章


昭和47年、10月19日次男の英二郎が、風邪をこじらせ、心臓発作を起こし、亡くなりました。その前、昭和35年に白血病で、長女のいき子を亡くしていました。子供が、自分より先に逝かれてしまうと言う事は、この世で一番辛い事です。祖父は、大正12年に始めての子・政夫を亡くしているので、3人の子の死に立ち会って来ました。また、戦争などで、多くのきょうだいを亡くし、想像できない位の哀しみを背負いながら生きてきました。

祖父は、7人兄弟の長男に生れ、栃木の家族のモトで自分の兄弟と暮らした事は、無かったも同然の寂しい人でした。だからこそ、気を紛らわす為にも いや、それだけじゃない、自分のしてきた事への罪滅ぼしでも遭ったのでしょう。自分の城を作り、そこに親族を集め、自分の孤独と戦っていました。
再婚した祖母が20歳違いだったので、やはり、歳の差が生じ、遊び方も考え方も違いだし、義祖母のお姉さんと、遅くに出来た自分の子供の世話ばかりで、祖父は、家に居る事を好まなくなって、映画館は、父に任せ、自分は、競輪 競馬に走り、福島の湯本の温泉地に居る事が多く、祖母は、旅行や株に走り、大損したり、祖父が年老いてからと言うものあまり、傍に居た事がありませんでした。

祖父と言う人は、わたしが、「おじいちゃん」と言うのを嫌がり、自分は、若いのだと言いながら、従業員や家族に「おとうちゃん」と呼ばせ、わたしも子供の頃からずっと『おとうちゃん』と呼ばせられていました。


我が親愛なる友tonoちゃんへ!貴方が天に召されても、永遠にこの詞は此処に保存して、ご冥福をお祈りします。 安らかに!
この物語はtonoちゃんの祖父さまの実話です。

                  保存者 ケン高倉


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