ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

「国際人」?



でもここでも頭くるのは留学先の語学学校で「えっ?本当に日本人?!うそ!あっ、でも何か混じってるでしょ?」と偉そうに聞いてくる日本人&非日本人。

日本人の反応はそりゃ、説明しなくてもわかるでしょう。日本にいる人とおんなじ反応です。詳しくは「固定観念」、もしくは「ナナの出身地」をご参照あれ。(ちなみに、両方とも基本的にはフィクションですよ。)

個人的な独断と偏見に基づいた(そして嫌な思い出に多分に彩られた)感想だけど、日本人の反応は他の東アジア人(韓国在外韓国人&中国人)に比べても一番イモ臭いって気がする。もう何度も話してわかってることなのに私の親の出身国が違うってことをいつまでも話題にする。他にも話すことはいっぱいあるのに。

私の「変わった」部分とかに興味あるんなら、今までの留学体験のこととか専門分野のこととか、ここでの生活のこととか、友達のこととか他にも聞けばよ良さそうなことなんてごまんとあるなのに。いつまでも、「じゃあさじゃあさ、英語とかもしゃべれるの?」って、あーた、あなたもしゃべれるんでしょ。

と言うのも、大体日本から韓国語習いに来てる人なんて、在日コリアンかすでにひととおり英語話せる人がほとんど。英語を習うための語学留学先で韓国人と付き合いだしたとか、韓国人の友達がいっぱいできたから韓国に興味を持ち出したって人がすっごい多い。ここでまた「完璧な」とか「純粋な」とか「普通の」日本人と私や「在日韓国人・朝鮮人」の人と自分の線引きを始める人を見てると、本当、なんで外国に来てまでその日本(=「フツーの日本」)中心意識を捨てきれないんですか?って思わざるを得ない。

でも、それよりも一番頭来る反応をするのが、自分は「誰が何々人かすぐ見分けられる。いろいろな所に行っていろんな人を見てきたから!」と言う妙な自負を持った輩。誰が何々人かを見かけで見分けられることが国際人の証拠だと思ってる人にはもう何人もあってきたけど、私には「へん、くだらないね」としか思えない。

この間もバングラデッシュ人だという人に「おっ、本当に日本人か?でも、それにしちゃあ、顔が西洋人っぽいねぇ」と言われた。それで「ええ、でも日本人ですよ?」と念を押した後に、まあでも一応、「アメリカ人の」(と言ってなんで見かけの違いが説明できるのか不思議でもあるけど。「アメリカ人」って見かけが「白い」人も「黒い」人も「黄色い」人も「赤い」人もその他いろいろいるし)親がいるとやっと「認める(どちらかと言えば白状してる気分に近い)」と、「そうか、やっぱりね。いや、私にはわかるんだよ。いろんな人を見てきてるからね。」と自慢された。私はコスモポリタンなんだ(国際的で世の中を良く知っていらっしゃる)と言うことを証明したくてたまらなかったらしい。

そう言えばついこの間もフランスで宣教師を長年していると言う韓国人のおじさんが前のクラスにいて本を借りてる人の前にたまたま座ってたから無理矢理話し相手にさせられて、どこ出身だって言うから「日本だ」って言ったら、やっぱりまた「でも」あーだこーだが始まる。その時もやっと白状したら(なんで「白状してる」気分になるかも不明)「やっぱりね、そうだろう。私にはわかるんだよ。いろんなところに行ってるからね。」と偉そうに言われた。胸くそ悪い。

私に言わせれば人の見かけでその人のアイデンティティーを親切にも割り振ってくれる人の方がよっぽどアホです。コスモポリタンであることがあなたにとってそんなに大切なんだったらそういう事を言う方が、よっぽどそうじゃないってことを自らばらしてて、私が変わりに顔を赤らめてあげたくなっちゃいます。

今日はロシア人にも同じ質問をされ、「じゃあ、英語しゃべれるの?」と、嬉々として聞かれた。(この人の場合は単に英語の方が楽だからそっちで話したい、って感じだったけど・・・。私もあなたも韓国語習いに来てるんだよねぇ?で、あなた、もうロシア語話す相手、いっぱいいるじゃないですか。)

基本的に私はここでは英語を話さない人ってことで通ってます。日本語と英語が話せると誰とも韓国語を話す機会がなくなるので勉強にならない。と言うわけで、英語話せるか、と韓国語または英語で聞かれたときの答えは「まあ、一応ね。」(話したくない態度を顕にする)そして日本語で同じ質問をされたときには「まあ、留学したからね、8年も。」(「血筋」とは関係ないことを強調。)

自分のために日本語は話せないとだめだけど、(落着かない)基本的に英語はネイティブの人と本当に困ったとき(または面倒くさくなったとき)にだけしか使いたくない。本当に、これで英語話せなかったら、または留学しなくて日常会話程度の英語力しかなかったら、それはそれで聞かれるたびにいちいち「英語しゃべれそうな顔してるのにしゃべれない」コンプレックスに悩まされて大変だっただろうと思う。ああ、人の思い込みの罪深さよ。(だって「英語しゃべれそうな顔」ってどんな顔?そんでもって「英語話せなさそうな顔」って?)

覚悟はしてたけど、逆に(学校の先生方はもちろんのこと)そこらへんにいる在韓も韓国在外も含めた韓国人や中国人や華僑の人の方が私の見かけに変なこだわりを持ってなくて静かに驚いた。やっぱり華僑とか在外同胞とかが普通にいるから慣れてんだろうなあ。素敵なお国柄だわ。(いや、でもそう言えばはるか昔タイの華僑の子に散々「本当に、本当に、日本人か?」と問い詰められたのを思い出し、やっぱり個人差は十分ある、と自分を戒める。)

(2003年10月15日の日記、『異国で「ガイジン」すること』を2003年10月29日、改訂してアップ。)


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