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楠久炭鉱がここにあった9年間この道を歩いて小中学校へ通学したのだからうそじゃない ホゲイワの坂をおりてきたらまずトロッコの線路があった朝はよくトロッコが坑道に入ってゆくのにであった待っていたらいつまでも時間がかかるのでトロッコとトロッコの間をすばやくすりぬけるのが俺ら低学年にはかなり難度の高い技だったケンチャンやマーボちゃんに「キヨ!はよこい!」と怒鳴られながら走るトロッコの隙間を抜けるのはちょっとスリル満点だった・・・ JR松浦線のすばにはこのナガシマ商店があったそのむかしは配給所があっていまのスーパーみたいな豪華な店が存在したんだ昭和30年代40年代の奇跡のような店だった入り口の水道でよく水を飲んだナガシマ商店の店の前ではよくポンポン菓子をつくるおじさんがいてポンポン菓子の飛び散ったのを拾って食いたかったがそれができなかった・・・ 写真の下にFUJICOLOR88というのが貴重な記録である1988年国鉄なのかJRなのかは問題ではないまだこんな素晴らしい電車が走っていたんだ国鉄松浦線なんと耳障りのいいひびきであろうか!風景写真には年月日が必要だ! 配給所(俗称「売店」)前あたりから眺めた風景配給所前の海とつながった沼のような池もありホゲイワの坂も見え松浦線の電車も見られ楠久津、楠久、ホゲイワの人間にはたまらない1枚の写真だと思う!これからのブログはこのように後世に残るようなブログをめざすべきだ・・・ 白い西田病院もいまはここにはない葦?茅?などの枯れ草の場所にかつて多くの炭鉱マンが住み炭鉱住宅が行儀よく立ち並んでいたその中心には銭湯もあって炭鉱マンたちが真っ黒になって帰ってくる前に炭鉱ボーイ炭鉱ガールたちはお風呂にはいっていたその横を漁村に育った俺らはとぼとぼつかれた足をひきずって帰るのだったまだ我が家まで1キロはあった・・・ この写真はセツコの家のあたりからといっても一般読者にはわからないだろうが・・・湯の谷から204号線を楠久方面にきたところといったところで伝わらないだろう・・・とにかくこれがわが松浦線である蒸気機関車も走っていたわがふるさとの松浦線である!1988年に奇跡的に撮っていた俺と俺のカメラに感謝します!感謝しなさい!
2011.12.22
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河東碧悟桐(かわひがしへきごとう)蔭に女性ありのびのびのこと枯柳菜の花を画かば酒銘ふさはしき相撲乗せし便船のなど時化となり此日巡遊興のなかりし足袋はらふ狐狸を徳とす藪主に草餅日あり
2010.06.01
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Let's 福岡弁ケロログ
2008.07.16
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