旅行記 クライストチャーチ '18.09月 0
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てっきり私は、裁判員裁判時に評議を行ったような小部屋で、裁判官、検察官、弁護士に裁判員経験者の代表者が顔を合わせ、ざっくばらんに意見交換をするのだと思っていた。だから、裁判終了後のアンケートでも、自宅に郵送されてきた意見交換会開催の案内にも気軽に参加希望の意を表した。先日、その意見交換会が高松地方裁判所において行われた。私も選ばれた経験者のひとり。裁判中は3名の裁判官としか直接話す機会がなかったから、今回は検察官や弁護士らも同席ということに多少の興味を持って高松まで足を運んだ。何より、馴染みの裁判官との再会が楽しみだった。ところが、会場に案内されてびっくり。通されたのは、結構広い会議室だった。確かに裁判員経験者8名と裁判官、検察官、弁護士がそれぞれ一名出席しての座談会形式には違いないが、向かい側には各報道関係者、その他の検察官や裁判官等、20名以上の関係者が傍聴席に座っている。中央には高松地方裁判所所長と進行役の裁判官。一気に緊張が高まる。実際の裁判でさえ平常心で臨めた私だが、この日心臓のドキドキがとまらなかった。自分が参加した裁判は一例にしかすぎず、それぞれ異なった事例があることはよくわかっているつもりだった。しかし、この意見交換において改めて痛感したことがそれだった。私が経験した起訴内容は強盗致傷。裁判当時を思い出す。私が臨んだ裁判では被告は有罪を認めており、争点となるのはそれが計画的か偶発的かということだった。被害者を殴った棒をめぐって議論が繰り返された。初日に被害者による答弁が行われた際は私の気持ちも被害者側に大きく動いた。また、裁判が進むにつれ曖昧な返答を繰り返す被告に対しても、それを弁護する国選弁護人に対しても不信感が募り、被告に向ける自分の眼が日増しに厳しくなるのを感じた。だが、実際に刑を決める段階になると、若い被告の将来について考えざるを得なかった。たぶん、いっときの出来心からの犯行に違いなかった。被害者の受けた心の傷の深さまでは計り知れないが、被害者が負った外的な傷は比較的浅く、盗まれた金品の額もそう大きいものではなかった。しかし、犯した罪は罪。罪を償うことは被告の将来においても非常に大切なことだと思った。* * *今回の意見交換会の中で、ある経験者がこんなことを言った。「被告が語った中で、自分の将来についての言葉がありました。私はそれがとてもショックでした。」私以外7名の経験者が、殺人か殺人未遂という重大な事件を受け持っていた。殺した側、人の命も未来も奪った人間が自分の将来を思う。別の経験者はこう言った。「(殺された)被害者の父親の意見陳述を聞きながら涙が止まらなかった。自分も娘がおり、どうしても感情移入をしてしまい家に帰ってからも泣きました。50何年生きてきて、これほど辛い時間はなかったです。」私は周りの人たちと自分の意見との温度差を感じた。裁判員裁判で受けた心理的苦痛も、殺人事件に携わった彼らと私とでは比較にならないほど違っていた。私は裁判後、周りの人に裁判員に選ばれたならぜひ参加すべきと伝えてきたが、果たしてどうなのだろうか。色んな思いが頭の中を駆け巡った。だが、やはり裁判員裁判を経験したことは自分の人生上貴重な経験になったと思うし、裁判で終わらず、今回のような意見交換の場に選ばれたことを有難く感じた。日々、新聞をあらゆる事件が賑わす。文字としてそれらを見るのと、実際に被告や被害者、その家族と向き合うと、その重さは全くもって違ってくる。感情的にもなるし、感情移入した状態で判決に関わるのはどうかと疑問に思うこともある。けれど、裁判に参加する機会を与えられるということは、やはり意味あるものだろう。意見交換会での私の意見が今後の裁判員制度の運用に役立つとは思えないが、自分の中で見直すいい時間になったと思っている。
2018.03.20
今年は富士山に裁判員にと、思い返せば様々な景色が浮かんでくるが、この大晦日に思うのは気持ちよく12月を過ごせたこと。年初、私は「年末大掃除をしないぞ!」との目標を立て、毎日こまめに掃除をしてきた。そのきっかけとなったのは、数年前の9月、友人の奥さんがアップしたFacebookの記事だった。「年末の寒くて気ぜわしい時に大掃除って馬鹿らしいわと気づいてからというもの、我が家の大掃除は春と秋の二回。扇風機とストーブを片付けるタイミングで」なるほど、よく考えれば年の瀬はなにかと急用が入ったり、天気も不安定だったり。冷たさや気ぜわしさで掃除が雑になることもしばしば。なによりバタバタと駆け込み新年というのも神様に対して失礼なんじゃないかと気づいた次第。遠方で暮らす友人の言葉にもハッとさせられた。「今月は来年の準備に勤しむことにします」そうなんだ、12月は新しい年を迎えるにあたり、すべてを整える月なんだ。迎えるということ。今月頭には面倒な場所はほとんど掃除が終っており、おかげで段取りよく年賀状も15日に投函済だ。師走ってこんなに長かったのかなという感じ。こんなふうに、2017年はよく掃除をした年だった。長年気になっていた箇所も整い、準備完了。来たる年はまた何か新しいスタートを切れるような気がする。今月5日、奈良県は室生寺を旅した。女人高野とも呼ばれる室生寺の五重塔の西側に如意山という山がある。弘法大師が恵果阿闍梨より授かった如意宝珠を、この山の頂上に埋めたという伝承が残っているそうだ。如意宝珠とは如意輪観音が持っている、あらゆる願い事を叶えてくれるありがたい玉。昭和21年に実施された如意山頂上の石造納経塔の調査の際、実際に琥珀玉や巻物、当時の貨幣などが見つかっているという。
2017.12.31
上野動物園のジャイアントパンダ「シンシン」と「シャンシャン」の観覧申込をした。当たったら困るなあと思いながら。笑東京までは新幹線かなあ、夜行バスもありかなあ、迷子になるから川崎に住む親友に連絡しようか、でもやっぱり予算オーバーかなあ、などと一人勝手に考えていた。だが、結果はもちろんのこと落選。残念な反面、ホッとしている。ならばなぜ、私は観覧申込なんぞしてみたのだろうか。自分でもわからない。職場のデイサービスのレク用に「シャンシャン袋」。ふと思いついて試作品を作ってみたが、超簡単なわりに思いのほか完成度の高いものができたと自負している。袋を振ると、鈴が「シャンシャン」と鳴るのが自慢。
2017.12.25
今夕帰宅すると、机の上に一通の手紙が置かれていた。裏返してみると、それは元上司から。内容は大体検討がついていた。一週間ほど前、私はまたも母と愛犬2匹と共に大分と熊本へ旅に出掛けた。大分といえば、肉厚の乾シイタケ『どんこ』。特にうちの母はそれが好きで、大分へ行くと「どんこ、どんこ」と煩く言う。今回もそんな母に従って、どんこの中でも肉厚がしっかりしている椎茸を選んで常日頃お世話になっている方達への土産とした。たぶん、その礼状だろう。封を開くといつもの優しい美しい文字。そして中身もとても素敵だった。またまたお土産いっぱいありがとうございましたpicchukoさんはお母様がお元気でいいですね最近に読んだ本の中の言葉です「うちの母は96歳までほとんど病気もせず元気でした 死の間際まで私の面倒をいろいろみてくれたのです それには助けられました母がいつまでも私のことを娘扱いするのには閉口しました」「あなた それは大変な親孝行が出来たわねお母様は娘のために生きがいが有って長生きされたのよ」picchukoさん いつも元気なお母様がそばに居てくれてお幸せですねいつまでもそばに居てもらいなさいよありがとうございました Y子
2017.05.30
現在、私は認知症型デイサービスセンターに勤務している。一日の定員10名、手厚い介護が売りの現場。リハビリもなく今流行りの特色はこれといってないのだが、みんなが和気あいあいと笑顔で穏やかにその日を過ごせたらと、認知症型には認知症型なりの難しさと向き合いながらの毎日である。そこで5ヶ月に一度、レクリェーションの順番が回ってくる。前回は去年の12月だった。 月末は次月のカレンダー作り。私は干支の酉をモチーフに、色紙やフェルトを使った作品にした。あれは12月29日の夕方、塩田さんという男性をお家まで送った時のこと。帰りの時間に合わせて奥さんが暖かくして待ってらしたお部屋に入ると、灯されたストーブの火とベッド脇に飾られた来月のカレンダーが目に留まった。それは私が作った作品だった。もう飾ってくれてるんだと、嬉しくなった。塩田さんは12月から利用されたばかりの方で、デイサービスでの初めてのカレンダーがそれになる。段々と表情も明るくなり、いい感じでデイサービスに溶け込んでいる。「来年もどうぞ宜しくお願いします!」次回の利用は1月2日。塩田さんも奥さんも私も笑顔で挨拶をして別れた。そして、明けて正月2日目。朝の申し送りで、塩田さんが大晦日の朝に急逝されたことを知る。言葉が出なかった。今月も私のレク当番が回ってきた。定番の誕生日カードとカレンダー作りを考える。本を見て簡単そうな作品を選ぶこともできるのだが、私は創意工夫と手間隙かけて少しでも多く喜んでくれる作品に仕上げようと思っている。もしかしたら最後の誕生日カードになるかもしれない。最後の6月のカレンダーになるかもしれない。そんなことを考えるのは寂しいし失礼になるかもしれないが、でも本当に最後になってしまうかもしれないのだから。だからより一層心を込めて、丁寧に。どうか明日も沢山の笑顔を引き出せますように。
2017.05.12
今年も残すところ3時間を切りました。子供の頃は大人の言う「一年が早い」という意味をあまりよく理解できていなかったのだと、自分が四十路になってから十分すぎるほど感じています。ですが、それも今後もっともっと早くなるであろうと、時の移り変わりの無情さを噛みしめる大晦日です。今年、私は二人の親しい方を亡くしました。一人は私と同い年の方。4年前にこのブログにコメントをくださったのをきっかけに交流を続けてきた新潟県燕市の男性でした。ブログからFacebookへと形は変わっても、いつも温かいコメントをくださったKさん。実際にはお会いしたことのない方でしたが、いつしか心の友として支えてくれていました。大工をされていた彼は、たぶん熱中症からの心筋梗塞で、8月下旬のある朝、永遠に起きてはこられませんでした。「いつか会いましょう。」その約束は決して果たされることのないものとなり、その「いつか」という言葉を何度も何度も怨みました。そして、「いつか」のその「いつ」は、ちゃんと自分で作らなければいけなかったんだと気づかされました。大事な人ほど。その日は誰にだって訪れること。その時は突然訪れること。これからは後悔のないよう、と心の底から感じた出来事でした。そして、もう一方(ひとかた)は9月に御年86歳で旅立たれた私が最も尊敬していた女性です。私の中でその方を一言で表現すると、「この花咲くや、つつましく」。昨今、女性の在り方が随分と変わって来て、価値観も180度といっていいほど変化し、私も色んな生き方の女性に憧れを抱いてきました。けれど、私の心の奥底から望む生き方を私自身に問うた時、私は彼女の人生、否、彼女自身だということに気づき、人生も半ばのこの時になって自分の在り方を見つめ直しています。生き方だけではありません。言葉遣いや立ち居振る舞いすべてに至るまで、「女性」とは本来こうあるべきではないかと、今も彼女は私の中で一輪、はっとするほど華やかで、ですが、つつましく咲き続けてくれています。今、静かにこの年を終えようとしています。2017年、素晴らしい年になりますように。皆さまも良いお年をお迎えくださいませ。
2016.12.31
昨秋熊本を訪れた時、阿蘇から熊本市へ向かう途中で二度「くまモン」の車とすれ違った。最初に見かけたのは、ちょうど阿蘇大橋の手前だったと思う。黒色のホンダ・フィットのフロントバンパーに赤いほっぺたが塗られ、後ろのボディには可愛いイラストが描かれていた。一瞬のすれ違いに、「あれ、絶対、くまモンだよね」と母と顔を見合わせた。なんとも愛嬌のある車だった。それ以来、「くまモン、いいね」と、母は時々思い出しては口にした。阿蘇が好きで、阿蘇の風景を母に見せたいと訪ねた熊本。あの時、「秋の景色も素晴らしいけど、きっと春になって一面緑で覆われる季節が一番綺麗だろうね。次はぜひ春に来よう」と何度も話しながら車を走らせた。九州へは愛媛の八幡浜港から船で渡れば結構近い。できれば「この春」と思っていた。もちろん、その時はまさかあのような大地震に見舞われることになろうとは想像するはずもなく。先日、地元香川で車を走らせていて、前の車に「くまモン」のぬいぐるみが乗せてあるのを目にした。地震の後だったからか、余計にその愛くるしい表情が可愛く思えた。すると、今度は「くまモンのぬいぐるみ、欲しいね」と、母が言い出した。ぬいぐるみ好きな母とぬいぐるみ嫌いの私。しかし、「くまモン」だけはいいかな、と私も思った。家に帰って、ネットで検索。けれど、ぬいぐるみって本物を見て買わないと、ちょっとした目鼻口の位置などで全くの別物になってしまうことに気が付いた。「もう少し落ち着いたら、熊本へ行ってぬいぐるみを買おう。」それまでといってはなんだが、母の健康のためを思って「くまモン体操」のDVDを母の日のプレゼントに決めた。(笑)実はわが香川県にも「うどん体操」とやらがあるのだが、正直可愛くもないし、楽しくもない。くまモンの可愛い動きと一緒に踊る方が、間違いなく足腰にもいいし頭にもいいだろう。80過ぎのおばあさんが踊ることを考えれば可笑しすぎる気もするが、その音楽を聞くだけでも元気が出る。そして、何度も繰り返される「くまもとが大好きで良かった!」というフレーズに、なんだか私まで「熊本が大好き!」と思えてくる。その大好き!という気持ちをいつか届けに、また熊本を旅する日を楽しみに、今は陰ながら、そして心の底から応援したい。
2016.05.07
素敵な器で旬のものをゆっくりと戴くと、背筋がピンとして丁寧に食事できますね。今日は、理由のない即席親孝行の日でした。(笑)美味しいものをきちんと戴ける当たり前の日々に感謝です。どこかで大きな災害でもないと、つい普段の生活ができる奇跡を思い出せない私ですが、今日は心から感謝できます。お食事は、徳島県美馬市脇町のギャラリーカフェ萩の庵にて。・鯛の押し寿司・タケノコの木の芽和え・胡瓜とワカメの酢の物・お吸い物・人参ジュース・トマトゼリーデザートの徳島産フルーツトマト「星のしずく」は、今までに食べたことのない美味しさでした🍅
2016.04.16
昨晩の、熊本での地震で犠牲になられた方たちのご冥福をお祈りし、被災された多くの方々にお見舞い申し上げます。これ以上被害が拡大しませんように。少しでも眠れますように。半年前に訪れた熊本城は、それはとても雄々しく見えました。なのに今朝、痛々しくなったその姿に言葉を失いました。熊本の人たちが再び立ち上がり、そして前を向いて歩いていけますように。熊本城が、復興のシンボルとなりますように。
2016.04.15
一瞬の出来事だった。出勤が特別遅くなったわけではないが、職員健診があったその日は朝から職場の駐車場が混み合っていて、私はいつも停めている場所より少し離れたところで車を停めた。ちょうど右手には二十歳の男子職員が到着したばかりで、車の中でスマホをいじっているのが見えた。軽く音楽を流しながら、ふふふんっといった感じで車をバックさせた私は、いつになく上手に駐車できたことに満足した。「おばちゃんでも運転はなかなか得意なのよ」って感じで。(笑)車を降りた私は、ずらっと並んである車の向こうのキラキラした瀬戸内海を眺めながら、直属の上司の車がないことに気が付いた。あれ? 今日はお休みされるのかしら?車のナンバーを目で追っていた。それは、一瞬だった。気が付いたときには、私は地面に転んでいた。車止めだ。車止めに躓いた私は、たぶん漫画のような転び方をしたに違いない。両掌の親指付け根を擦り剥き、気持ち右手親指を突き指したようだった。いや、それ以上に痛むところがある。 胸だ。転んだ先にも、また別の車止めがあったのだった。そこに胸を強打した。その時、私は背後に二十歳の男の子がいたことを思い出す。慌てて起き上がり、恥ずかしすぎて振り向けずに小走りで職員通用口へと急いだ。ああ、恥ずかしすぎる。当時頭の中を占めていたのはそれだった。 痛みなど二の次だ。しかし、時間とともに増してくる痛み、くしゃみだけでなく大きな息をしても痛い。手のひらは親指下の盛り上がったところがやんちゃな子供が転んだ後のように紫色になっている。昔からよく転ぶ私だが、今回は派手にいったなーと苦虫を噛み潰したような顔でその日は過ごした。当日は病院へ行かなかったが、夜寝がえりすら痛くてできない辛さに負けて、長い待ち時間を覚悟の上で通院した。診察室に飾られたダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図を見ながら、先生を待つ。結果、胸骨骨折だった。全治一ヶ月半だそうだ。今は胸の部分に大きなベルトを巻いている。それが3月下旬のこと。まだ時々胸は痛むが、春爛漫のこの陽気。安静にした方がいいのだろうが、やはり桜の誘惑には勝てず今年も花見がてら遠出した。昨年初めて見て以来忘れられない彦根城のお濠の桜と、その帰路立ち寄った姫路城の桜。哀れな日記の最後ぐらい、せめて写真だけでも華やかに締めくくろう。(4月6日)
2016.04.13
新年あけましておめでとうございます今年の年賀状は、乗鞍岳からの初日の出を拝むお猿さん。(笑)猿は色紙を切り抜いて、ちょっとだけですがひと手間かけました。年賀状に、そして讃岐人なら「年明けうどん」といきたいところですが、お節料理にお雑煮を戴く静かな元旦を迎えております。ご先祖様にも少しだけお正月気分をとお供えしました。御膳が二つあるのは、お仏壇が父方、母方と二つあるからです。讃岐のお雑煮は、白みそにあん餅。わが家は私が幼い頃から、ずっと白みそに何も入っていないお餅だったのですが、二年前に初めてあん餅雑煮を食べてみて以来、すっかりはまってしまいました。やっぱり讃岐人の味覚だったんだな、私、と思った次第です。(笑)白みそに餡子、意外と相性がいいので、是非お試しあれ。こちらは、5日前に食べた私のお気に入りのうどん屋さんの「白みそあん餅雑煮うどん」。以前は年越しは海外で!というのが私の常であったのだけど、こうやって穏やかに迎えるお正月がしっくりくる年頃になりました。(笑)では、皆様にとっても素晴らしき一年となりますように。
2016.01.01
今日で3日目。夜の7:30頃、社会保険事務所の職員と名乗る男から母宛てに電話があった。まずその時間に社会保険事務所から電話があること自体おかしいが、日を増して段々しつこくなってきたので私が受話器を取ってみた。私 : 「どちらの社会保険事務所ですか?」 相手 : 「本局です。 東京からです。」私 : 「掛け直しますから、そちらの電話番号と名前を教えてくれませんか?」相手 : 「08××・・・」私 : 「東京なら03ですよね。」相手 : 「掛け直されるなら、もよりの社会保険事務所まで・・・」私 : 「あなたに掛け直しますから、東京の電話番号を教えてください。」相手 : 「前回、お伝えしましたよね。 紙に書いてるはずですが・・・」もちろん、嘘である。私 : 「紙を捨てたので、もう一度教えてください。」相手 : 「08××・・・」私 : 「いえ、03からお願いします。」こんな同じやり取りがしばらく続いた後、開き直った相手は「08××-××-××××まで連絡ください」と、うちの電話番号を答えるので、「もう二度と掛けて来んな!!!」と、思いっきり受話器を叩きつけて切った。だが、こういう卑怯な真似をする人間は、やはりしつこい。その後も何度も何度も嫌がらせのように電話を鳴らしてきた。母に聞くと、最初は「きちんと年金が入ってきていますか?」という程度のものだったらしい。それが、次第に訳の分からないことをグダグダ言い出し、揚げ句に今日のやり取りまでになってしまった。電話に出なくともしつこくリンリンなる電話がうるさくて、それよりも一人で思い出していると気分が悪いので、最寄りの交番へ電話した。まあ、留守電にすればいいだけの話だが、近ごろ近所には独居のお年寄りが増えてきたし、もしも相手に住所が知られているならいい気はしない。今回のことと、少し前にもあった裁判所を名乗る電話の話もした。それは、「ある方からお宅の支払いが滞ってる連絡がありまして・・・」と電話があり、その時は「こちらから折り返して電話するので名前と電話番号を教えてください」と答えるや否や切られてしまったもの。たぶん、今回の犯人と同じ人物であろう。対応してくれた交番のUさんは大変親身に話を聞いてくれ、こちらが考えた対応策にも協力してくれることになった。「それは気分が悪いですよね。 他にこれまで怪しい電話などはありませんでしたか?」思い出せば沢山ある。その一つが3年近く前、「新生ゴールド」と名乗った明らかに詐欺の電話。それ以来、変な葉書も時々届く。「わかりました。 署内の職員全員に周知するようにします。」「交番がうちの近くで良かったです。」「通常はこの番号に電話してくださればいいですけど、急な時は110番してくださいね。 すぐ飛んで行きますから!」ナンバーディスプレイなど電話だけの解決策ではなく、あらゆる対応策を話し合った。「あ、そうそう、良ければ警察の電話をお貸ししましょうか?」「え? そういうこともできるんですか?」「ええ、できますよ。 まあ、最初に「この電話は詐欺防止のためすべて録音します」から始まるので、面倒なところもありますが。」いやあ、どうせ録音するのなら、警察の電話というだけでとても心強いではないか。「ぜひ、お願いします!」詳しい出来事と時間をノートに記録。明日は職場のみんなにもこの話をし、色んな人の対応策案を聞こうと思う。一人で抱え込まない。嫌な思いも心配事も、あとに引き摺るのはやめにしよう。
2015.12.09
お盆の法要のために、静岡から銘茶を取り寄せてみた。静岡マダム、ヴェルデさんに教えていただいた雅正庵のお茶。お茶処・静岡は煎茶文化なんだそうだ。そこで、院主さんに喜んでもらいたい私は、夏にぴったりの氷水出し緑茶を選んだのだった。説明書きに忠実に、丁寧に丁寧にお茶を淹れた。心を落ち着かせ、心を込めて、丁寧に淹れた。まろやかな口あたりに、深い渋みときりっとした爽やかさ。そしたら院主さん、「このお茶、おいしいなあ、」と読経の途中でお茶を一口ふくんだ時、不意にそう漏らした。その後もお茶の話で会話が湧いた。「わしらは、お茶一杯がすべてなんですわ。」なんとなく、もてなしの心を学んだような、そんな時間をいただいた。
2015.08.13
カリカリカリ。氷を削る音に、ミンミンミンと蝉の声。後ろの方からは、ちょっぴり遠慮気味にボーンボーンと柱時計。カタカタカタ、扇風機が回ってる。昭和だなぁ。昭和、いいな。お店のお姉さんは、どこか黒木華さんに面影が似ていた。
2015.07.31
私は決して切手収集家じゃないんだけど、外国では綺麗だなと思う切手を手にすることがたまにある。先日の英国プリンセス誕生のニュースに、そういえば・・・とごそごそ切手アルバムを引き出してみた。2001年にクックアイランド(当時はNZ領)で買った切手の中に一枚、1982年の古い切手が混じっていた。それは、その年のクリスマスにウイリアム王子誕生を記念して発行されたもの。チャールズ皇太子は描かれていないけど、若いダイアナ元妃に抱かれたウイリアム王子が可愛い。そのウィリアム王子が二児のパパ。英国のみならず、英連邦の国々も祝賀ムードに沸いていることだろう。さて、【シャーロット・エリザベス・ダイアナ】とおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おばあちゃんの名前をぜーんぶもらっちゃったシャーロット王女。次に女の子ができたらどう名付けるのだろう?ミドルネームにヴィクトリア、、、とか?(笑)ま、要らぬ心配なんだけど。
2015.05.05
私が町内の老人ホームで事務員をしていた時のこと、当時女性の施設長が毎週玄関に花を活けてくれていた。その方が活ける花は大胆で立体感があり、一つひとつの花が命を増したようにイキイキとなる。私は毎朝花に水を足しながら、その美しさに溜息をもらしていた。ところが6月のある週、施設長が県外出張で不在の時があった。だが、その日も変わらず施設に花が届けられた。誰が活けるのか?施設長の活ける花があまりに美しいせいで、「あら、今週の花は一体どうしたの?」と来客者らから笑われるのは誰だって嫌だ。絶対嫌だったが、だが私が活けることとなった。向日葵が7本、それと他にも何種類かの花が数十本あった。老人ホームの玄関の空間に合わせた花瓶に活ける花々の量は、通常の花器5つ分もある。しかも向日葵、意外と活けにくく、いうことをちっとも聞いてくれない。確か1時間くらい格闘したと思う。苦労に苦労した割に、全然綺麗じゃない。綺麗どころか下手くそ極まりない。(涙)やっと活け終わって一息ついたころ、今度は体がだるくなってきた。熱があった。知恵熱だと思った。(苦笑)「苑長、お花大変でしたっ。」 次の週、帰苑した施設長に駆け寄った。「お花を活けると心に余裕が出てくるでしょ。 楽しいでしょ!」 「とんでもない、苑長! 私、熱出したんですよ! 寝込むかと思いました!!」そんな私だったが、最近はちょこちょこ自宅の玄関やら応接間に花を活けている。庭に咲く花々を家の中にも飾ると、すごく明るくなることに気付いたのだ。春を招き入れるといった感じかな。*:*:*追伸*:*:*香川でもソメイヨシノが開花しました。まだ咲きはじめですが嬉しいですね。私のお気に入り、栗林公園の桜です。
2015.03.27
花を撮る。春を撮る。光を撮る。スマホで。(笑)
2015.03.13
私が23、4の頃、勤めていたデイサービスに100歳近いお婆さんが利用していた。その方はハンカチを口元に当て、入れ歯をカチャカチャさせながら「亡くなったお爺さんがそれはそれは優しかってねぇ」と言うのが口癖だった。ある日、私は入浴介助をしながら「じゃあ、喧嘩したこともないん?」と聞いてみた。「喧嘩なんてしたことあるもんな。 お爺さんに怒られたこともないわ。」「あ、一度だけ怒られたことがあった。」「へぇ、それはどんな時なん?」「結婚して間のない時やったかなぁ、何も考えずにお爺さんの右側に立ってしもうてねぇ。」「え? たったそれだけ?」 意外な返事だったから、この会話は今もしっかり覚えている。「でも、なんで右側に立ったらいかんの?」「そりゃぁ、女が殿方の右に出るなんて失礼やし、図々しいわな。」「そういえば、『右に出る者はない』って言葉があるくらいやもんね。」その表現をよく思い付いたと我ながら思い、手を打った。男女の優劣の話ではない。生きていれば110歳を優に超えた明治生まれの女性の話。今でも私の心の奥深くにある、何故かとても大切なことを教わったような。* * *どうしてこの話を思い出したかというと、男雛と女雛の飾り方から。私は京の飾り方である左側にお内裏様の方がしっくりくるんだけれど、こちらでも関東の飾り方が一般的になってきて、殆どが左側にお雛様が置かれている。左右どちらが上座かということでもなく、何気ない立ち位置でもそれらを大切にしていた昔の人の心配りに日本の春を感じたのだった。
2015.03.03
静かに2014年が終わろうとしている。これまでで一番色んなことを経験した今年が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。自分でもよくやったと思うところもあれば、やはり不完全燃焼で終えてしまったことばかりが後悔される。毎年、不完全。完全燃焼した年などあっただろうか。42歳になってからも早ひと月、何ひとつできていない。時間は無限ではないこと、二度と同じ時は戻らないこと、後悔は決して消えないこと。あと3時間もすれば新しい年。2015年、大切に過ごしていきたいと思う。今年もまことに有難うございました。皆様も良いお年をお迎えくださいませ。写真は、今朝、2014年最後の日の出です。
2014.12.31
「平成26年度介護支援専門員実務研修受講試験」、本日が合格発表でした。奇跡が起こり、無事 合格しておりました。今、一人地味に喜んでおります。(笑)今日はこれからご褒美に、元職場の施設長さん達と一緒に岡山へ『鼓童』の公演に行って参ります。う、嬉しい!
2014.12.10
いつだったか、親友のM子に「珈琲飲みにウィーンへ行って来る」と言って驚かれたことがあるが、ここ数年 私の海外旅行の一番の楽しみはカフェ巡りだった。カフェしか入らなかった街もある。遺跡や美術館なども魅力的だが、19世紀の宮殿を利用したカフェや原住民のアートが印象的なインテリアのカフェなど、その土地その土地の趣きある空間がたまらなく好きだ。最近は専らヨーロッパだが、中南米やオーストラリアの町外れなんかでも身震いするほど好みのカフェと出会えたりする。日本ではというと、それなりにお洒落なカフェも増えてはきたが、惚れるほど素敵な店にはまだ出会っていない。そんなカフェには結構こだわりのある私も、正直、ウィーンへ珈琲を飲みに行くと偉そうに言っても、じゃあ珈琲の味がわかるのかと言えば誤魔化すしかない。美味しいと感じれば、それが美味しい珈琲なのである。浅煎、深煎すら意識したこともなかった。苦ければ砂糖とミルクを入れる、それだけ。(笑)しかし今思えば、その苦味もいいかげんだった。苦いのが苦手と思い込み、たぶん浅煎か中煎を飲むことが多かったように思う。では珈琲の持つ酸味を満喫していたのかというと、それもあんまり。とにかく、居心地のいい雰囲気ならばそれでOK、味ではなく場所に酔うのが私だった。だが最近出逢った隣町の珈琲専門店の、「いろんな珈琲を愉しんでくださいな」というオーナーさんの一言に、私の珈琲生活が変わりそうである。近々苦〜い珈琲にも挑戦するつもりだが、私好みは中深煎〜深煎だということが大体分かった。ウィーンのザッハはどうだったかな?ヘルシンキのカフェ・アアルトは?私がこれまでで一番美味しいと感じた、オーストラリアはアリススプリングスの街角の珈琲色したカフェで飲んだ珈琲の味はどうだったろう?思い出そうとしても鮮明じゃないのが悔しいが、私が「ふむ」と思うのは、やはり酸味より苦味のある珈琲だった気がする。ほんの少し意識するだけで、珈琲の奥深さにちょっぴり感動してしまった。昨日淹れてもらったエチオピアンモカは飲んだ後、かすかに苺味が口の中に広がった。イチゴ味?「面白いでしょ?」と言うオーナーさんこそが、私の反応を面白がっているようだった。
2014.11.03
今朝、少し気分の落ち込みを感じながら、いつもより早く目が覚めた。それは昨日受験したケアマネ試験(介護支援専門員実務研修受講試験)のできばえが微妙であったからだ。この試験は7割程度が合格の目安であるが、総合点が重要なのではなく、介護支援分野と保健医療サービス分野の各々で合格基準を満たしておかなければならない。試験中は手応えを感じ、「これは、いける!」とワクワクしながら問題を解き、終了時には満足顔で答案用紙を提出したのだが、開けてみるとケアレスミスもあり、意外な点数となった。介護支援分野においては、25問中22問、88%の正解、保健医療サービス分野で、20問中14問、70%の正解。私が簡単だと思ったくらいであるから、平均点はもちろん上がるだろう。ということは、保健医療サービス分野がやや危ない。予想回答によっては1問正解が増えるのだが、期待はできない。ましてこの資格、国家資格ではなくて都道府県によって登録・任用されるもの。全国的にどうのというより、私の場合、自分の所在地である香川県の受験者レベルに合否が影響される。悲しいかな、香川県は比較的レベルが高い。全国1位の年もあった。悶々とする。合格発表は12月10日、まだ40日以上ある。何度も受験する人もいるが、私は一度で勝負を付けたかったから尚のこと微妙だ。受験会場に着いて、他の受験者の付箋やアンダーラインいっぱいのテキストと問題集に驚くようじゃダメだったかな。(笑)私など、落ち着きのない当日にテキストを開いても逆効果だと、試験会場には受験票と筆記用具しか持って行かなかったもの。過去問だけしとけばいいか!という考えも安易であったし、何より真剣さが足りなかったか、、、と反省した。勉強とは、あと1点の為にするものなんだ。と色々書いたが、結論!ダメな場合、来年受けるかどうかは今回の発表までお預けとする。決して、優柔不断なわけではない。(笑)というのもケアマネの場合、試験に合格してからの実務研修の方が大変だからだ。実務はなおさら。ならば、もしも合格していた時の為にまだまだいい加減な自分の知識を定着させる勉強をしようと思う。その結果、合格していればその後も続ければいいし、不合格であっても来年受けるならその受験勉強になる。12月10日まで、あれこれ気を揉むのはヤメにしよう。落ち込んでいた気分も、ブログを書くことによってスッキリしてきた。(笑)
2014.10.27
介護現場に復帰して1年弱。予想以上の理想と現実の違いに、今一度立ち止まっている。私がやりたいことは何か。 もう一度、考える。10月に介護支援専門員(ケアマネジャー)を受験するつもりではあるが、それは私が最も望んでいるものではなく、あくまで目標への足掛かりに過ぎない。遅々として勉強は進んでいないが、これを通過しなくては次へのステップに遅れがでる。昨年から働いている現職場で、改めて日本の介護現場の持つ大きな課題を目の当たりにした。私にできること。私のやりたいこと。考える。とりあえず10月26日のケアマネ試験、頑張ろう。
2014.07.21
日曜日、わが家に新車がやってきた。新しい車を購入する時って、他の人はどんな気分なんだろう?やっぱり嬉しいって思うものなんだろうか?私はこれまで乗っていた愛車のダイハツ・ミラジーノとの別れが非常に寂しく、できればまだ買い替えたくはなかった。だが年末に一度エンジントラブルがあり、消費税UPも後押しして、家族一同の説得に負けてしまった。ミラジーノは私の初代愛車であり、当時飼っていた愛犬の名前を付けていた。その名は「サンチェ」。過去の日記にも記したことがあるのだが、愛車を買ってすぐに天国へと旅立ったサンチェに代わり、いつも私の傍で私と一緒に走ろうね、、、そう願いを込めて名付けた車だった。サンチェに守られて10年半、事故もなく、まるで私と一心同体のように走ってくれた。お別れが辛くて当然だよね。新しい愛車には「ヨンサマ」と命名。私を知ってる方なら、それは韓流スターのぺ氏ではなく、私の4匹目の愛犬の名前であると分かるだろう。もっともっとヨンと一緒に居たかった。 ヨンと一緒に遠出したかった。そんな思いから、そう名付けてみた。新車はダイハツのミラココア。前職場の友達が気づいてくれるようにとジーノと同じナンバーにした。天国でヨンがサンチェに言ってるかな?「お兄ちゃん、長い間お疲れ様。 今度は僕が頑張るね」って。そんなことを思っていると、ジーノへの未練が薄れ、新しいココアがとても愛しく感じられるようになってきた。新車には、これまで飼っていた3匹の愛犬達の遺毛(?)を乗せてある。走りながら、みんなが後ろからついてきてくれるような、、、そうだったら嬉しいのにな。写真は、隣町をドライブ中に思わず息を呑んだ昨日の夕陽。
2014.04.24
2014年、明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。エスプレッソ片手に、ゴディバチョコを齧りながらのご挨拶。(笑)お正月ということで、ミーハーにも期間限定 午モチーフの新年ゴディバチョコを買ってみた。 なんかブランドだけになびく おばちゃんだよね、私。(爆)さて、香川といえば白味噌に餡餅入りの雑煮が定番なのだが、私はこれまで一度も口にしたことがなかった。味噌汁に餡子と思うだけで、白味噌に餡の色が溶けるのを想像するだけで、ちょっと胸やけしそうだったから。しかし私も讃岐人、ここらで一度は食しておかねばと、本日 生まれて初めて挑戦してみた。すると、これが意外とよく合う。特に、酢で味を引き締めたお節料理と一緒に食べると かなりいけるのだ。讃岐人、昔からなかなか味覚に優れているじゃないかと思ったり。(笑)というか、昨年特に感じたことがそれだった。自分の育った土地で、同じように育てられた野菜や果物、そして身近に獲れる海の幸・山の幸を、昔からその土地で受け継がれてきた味付けで食べるのが一番健康に良く、延いては自分を幸せにする一番の近道だということを身を以て実感したのだ。身体だけじゃなく、心の状態も日頃口にするものにどれだけ影響されているか。昨年、毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったのは、もちろん良い人達に恵まれたことも大きいが、まず食べ物を改善したことが底辺にあったのではないかと思っている。なので、今年も食を大切にすることを一つの目標に掲げたいと思う。 な~んて言いながら、ゴディバなんだけど。(爆)されどゴディバにあやかって、甘い年になってくれることにも期待して☆(笑)
2014.01.01
職場で綺麗な羽子板の飾り付けをしながら、日本のお正月らしいなって、日本のお正月もいいなぁってしみじみ思った。去年、10年ぶりの日本での年越しであったが、なんとなくピンとこなくて、やっと今年 日本人に戻れたような気がする。(笑)あんなに贅沢に思えた海外での年越しより、今は気持ちを正して穏やかに迎える日本の年越しの方がずっと自分らしく、そして大袈裟かもしれないが新年への覚悟が持てる気がする。たぶん、それはあらゆる意味で、私がそろそろ落ち着いてもおかしくない年頃だからだろうか。(笑)今年は9月より新しい環境がスタートした。信じられないほど毎日が楽しく、介護の現場に居ながらもキツイと感じたことは殆どない。以前は不安だった健康面も、主治医の先生が「信じられない」と思わず疑ってしまうほど今のところ不安なし。20代の仲間に囲まれて、まるで自分まで若返ったような(笑)、こんなに笑って仕事できる環境があるんだなと、驚きながらも感謝している。そんな愉快な日々ではあるが、常に心がけていることがある。それは、「今を積む」ということ、目の前のことを一生懸命するということだ。そして、利用者のお年寄りさんに事故がなく、その日を無事に平和に過ごせることを祈りながら仕事に向かうことが日課となった。福祉の世界はそれだけではないが、まだ入口に立ったばかりの私にできることを一つ一つ丁寧に積み上げることこそ、今後に繋がると信じている。「あんた、優しいな。」 そんな嬉しいことを言ってくれるお年寄りもいる。今はそれでいい。恵まれた職場、そして幼い頃より私を育ててくれた風景の中で生きることを許されている今、それがどれほど有難いことか、こんなにも噛みしめられるようになった。だから、不思議なことに今の私に遠くへの憧れは一切ない。(笑)それよりも、この仲間の中で居たい、見慣れた景色のどんな小さな移ろいも逃さずに見ていたい、そんな思いが沸々と湧きあがる。毎朝、少し遠回りをして、瀬戸内海を眺められる道をドライブしながら職場へと向かう。世界にはもっと碧く、もっと美しく、もっともっと雄大な景色は数えきれないほどあるのだが、これほど優しく包みこむような温かさで見守ってくれる景色を他に知らない。いつものあいさつなら どうぞしないで言葉にしたくないよ 今朝の天気は生まれた街の匂い やっと気づいたもう遠いところへと ひかれはしない街角に立ち止まり 風を見送った時 季節がわかったよ荒井由実『生まれた街で』私の生まれた街は高知なのだが、2歳から香川で育った私にとって この歌詞にある「生まれた街」は今も住んでいるこの町だ。昔から好きだったユーミンのこの歌詞の深さをやっと理解できるようになったのかと、ちょっぴり嬉しかったりする。(笑)後2時間で今年も終わる。こんなにも楽しかった年が過ぎていくのは寂しい気もするのだが、気持ちの上で静かに新年を迎える準備が整った今、来年はもっと素晴らしくなるんじゃないかと、都合よく思っている。(笑)きっともっと笑顔が増すだろう。そして、私の周りの人達の笑顔も増すことだろう。2013年、今年も真にありがとうございました。来る年も何卒 宜しくお願い申し上げます。素晴らしい出会いの多かった今年、とりわけ私を実の娘のように可愛がってくださる ある奥様と半年ほど前に知り合った。この豪華で美しいお節料理は、その奥様の手作り。昨日 私の家まで届けてくれたものだ。「食べた後のお重も貰ってくださいね」と、そのお重箱は40年ほど前に奥様が北九州から香川にお嫁入りした際に持って来られたもの。日本のお正月の美しさに、改めて深く感謝したい。
2013.12.31
季節が飛ぶように過ぎて行く。介護職に再就職して 早ふた月。夜勤にも入るようになり、てんてこ舞いになりながらも毎日若い仲間に囲まれて楽しく働いている。あ、今月は母の入院、手術もあったので、家、職場、病院が私の全てであった。幸いにも手術は思った以上にうまくいき、病院は私の勤め先のすぐ隣りという立地に恵まれ、私にとっても心身とも負担が少なかったことは有難い。入社早々 有給休暇も与えられており、それを気持ちよく取得させてくれた職場にもとても感謝している。珍しく、自分としては精いっぱいの日々。「忙しい」とはちょっと違う。目の前のことに一生懸命になっていると、あまり「思い出す」ってことしないんだな。もちろん、まだ余裕がないというのもあるのだろうが、「今を一生懸命」ってなんか気持ちいいものだ。
2013.10.31
冷蔵庫を隅から隅まで掃除した。とりわけ冷凍庫はおかずの作り置きを入れるため、要らないものは全て処分。だが、広い空間に冷気を感じたのも一時、今は中身が詰まった透明の容器がぎっしり並ぶ。長い夏休みが終わった。丸一年の空白を経て、9月から隣町の老人ホーム(特養)で介護をすることになった。昨日、「2日からお願いします」と事務員さんより電話があった。お世話になるのはこちらの方なのに、大変恐縮である。新しい職場は、これ以上ない最高の形で私を迎えてくれる。昨年退職した施設の先輩達も、今も変わらない優しさと愛情で私を応援してくれ、背中を押してくれる。どちらの愛情を思っても涙が出そうになる。新しい場所で精いっぱい努めることが前職場へのご恩返しにもなるだろう。私は再就職先の施設を大事に大事にしていきたいと思っている。これまでも事務職ではあるが福祉の世界に身を置いてきた。だが、これからは現場に復帰だ。長年 事務をやっていて思う。 大変なこと、汚いこと、しんどいことが多いのも現場ならば、笑いが多いのも現場だ。直接、利用者の手足になれるのが現場なのだ。今年 介護福祉士の資格を取って、改めて介護職とはプロなのだと痛感した。やろうと思えば誰にでもできるのが介護であるが、我々はプロフェッショナルでなければならない。その奥を知ろうと思えば、地球の裏側まで地面を掘っても辿りつかないだろう。(笑)不安? もちろんなくはない。だが、不思議と楽しみに思う気持ちの方が多い自分にちょっぴり嬉しい。新しい職場には給食がないので、今日は半日お弁当のおかずを作っていた。たぶん、仕事に慣れるまでは毎日疲れて弁当どころではないだろうから。だが、日頃しないことをすると段取りが超悪い。(苦笑)10種類ほど作ってクタクタになった。(笑)ハンバーグは10個捏ねた。 コロッケも8つ丸めた。 肉巻きは8つ巻いたかな。あ、肉ばかりだと思われそうなので、、、先日貰ったゴーヤで作ったキンピラがなかなかイケる。ハンバーグの空気を抜きながら、、、ずっと温かいものを出してくれた前職場の調理員の皆さんや、果ては学生時代の給食のおばちゃんにまで感謝の気持ちが沸き上がった。(爆)仕事の不安? それよりも毎日のおかずの内容を悩んでいる。目標は、コンビニ弁当はもちろんのこと冷凍食品を一切使わないこと! なんか ずれてるような気もするけれど(笑)、明日は明日の風をめいっぱい楽しもうと思っている。
2013.08.31
眠れなくて、外に出た。一日遅れのスーパームーンパワーを身体中に浴びたくなって、外へ出た。それまで黒い雲の隙間を恥ずかしそうに見え隠れしていたお月さま、すーっと姿を現わしてくれた。寝静まる夜更け、まるで私だけの為のように。瞼を閉じ、私は両手を広げた。そういえば、昔ハウステンボスでよく当ると噂の占いをやった時、「貴女は満月に近いほど体調も運気も上昇する」なんて結果が出たんだっけ。あの時は、「私は狼女かっ!」と一笑して流したが、あれはまんざらハズレじゃなかったのかも。ここ最近、嬉しいこと楽しいことでいっぱいだ。あまりに嬉し過ぎてワクワクして、逆に尻ごみなんかしたりして、、、だから、ブログなんか書くどころではなかった。(笑)だが、なんたって、スーパー十六夜?! そして、これがスーパー十六夜日記というわけだ。 2013-06-25 AM1:30
2013.06.25
問題が配られた時、「おぉ?簡単かも?」と思った。でも、緊張はした。その反面、心のどこかでワクワクしている自分もいた。で、本題。試験課題は、坂田トシさん(85歳)は、右上下肢に麻痺があります。歩行器型杖で自室に戻る途中、右膝に痛みを感じたので、歩いて自室に戻るのは「不安だ」と言っています。坂田さんが歩行器型杖から車いすに移乗し、自室のいすに座るまでの介助をしてください。車いすの点検は済んでいます。坂田さんの返事は「はい」または、うなずくだけです。(試験時間は5分間以内です。)要は、杖を持って立っている坂田さんを車いすに乗せて、部屋まで介助し、自室の椅子に座らせればいいだけのことで、ベッドから起き上がらせたり、ポータブルトイレに座らせたり、視覚障害の方を誘導して食事介助したり、、、というような面倒なこともなく、危険を伴うことの少ない、ボーナス試験だったと思っている。だから、私はまず「おぉ?いけるかも?」と思ったわけだ。たぶん、多くの受験生がそう思ったと思う。そして、試験会場で。狭い部屋の真ん中に、反対側を向いてドンッと立つ坂田さん演じるモデルの、なんとも言えないオーラに一瞬、ごくりとした。そして その直後、これも たぶん 受験生の殆どが思ったこと。何これ? 見たこともない杖!何これ? 邪魔な杖!いや、見たことも 扱ったこともあるはずの杖なのだが、実はその歩行器型の杖がクセものだった。ウォーカーケインという杖で、これを使って実技練習をした人は、たぶん殆どいないだろう。まさか、その杖から車いすに移乗せよ、とは。いやというほど練習したベッドからの移乗の方がどれほど有難かったことか。(><)とりあえず、これまで習ってきたように、丁寧な声かけを忘れず、右麻痺を庇い、麻痺のない左側の両手足を使ってもらう自立支援をし、自室の椅子移乗までの介助は終わらせたけれど、最後の安全確認と挨拶までの時間が若干不足してしまった。まあ、時間切れでも、椅子まで介助しているので、そこまでの介助が丁寧で問題がなければ合格になるはずなのだが、要はそこまでが大事。杖から車いすへの移乗のやり方にも不安が残るし、細かい部分を含めると、どうしても「できました!」とは言えない。う~ん、微妙。。。救いといえば、私と同じような受験生が大勢いたということだけだ。(苦笑)精いっぱいやっての結果がこれというのも悲しいが、ダメなら基本からやり直せということだと真摯に受け止め、もう一度挑戦しようと思う。そして、もしも合格していたら、例え介護の現場で働かなくとも、今後も介護技術の向上に努力しようと心に誓った。いやあ、それにしても、待機する時間の独特の緊張感。どこかワクワクする余裕も少しはあったが、口の中はカラッカラであった。「坂田さん、こんにちは。 お世話させていただくpicchukoです。 宜しくお願いしますね。今、右膝が痛むようですね。 それでは、私が車いすでお部屋まで介助致しますが、宜しいでしょうか?」「しっかり立てれていますか? 車いすを取りに少しこの場を離れますが、大丈夫でしょうか?」カラカラの口で、そして緊張の中、思う以上にスラスラと声かけできた自分を、唯一 褒めてあげたいと思う。(笑)合否の発表は、3月28日☆
2013.03.03
といっても、試験がボロボロだったわけではない。(苦笑)だって、試験は明日だもの。だが、その緊張と、訳の分からない疲労感でボロボロになっている。ああ、とうとう明日だ。 介護福祉士国家試験の実技試験☆わずか5分、されど5分。ああ、思うだけで、またドキドキ緊張してきた。参加している実技講習で、先日から過去問を毎日2つづつやっている。もちろん、最初の挨拶から始まって、5分間という時間も計っている。「受験番号333番、picchukoです。 宜しくお願いします。」「では、始めて下さい。」ここで、頭は真っ白になる。 頭の中、ピーってなる。(笑)*火曜日、初めて過去問をやってみた日、グループ分けの後、先生が「誰から始めますか?」と言った。すでにこの時点で舞いあがっていた私は、「間違えてもいいですよね、私がやります!」などと、超無謀な挑戦に挑んでしまった。(><)というのも、誰かがやった後だと どういう手順ですればいいか、どこが注意点かを相手の動作を見ながら、少し冷静になって考えられるのだが、最初にやるということは、その全てを自分の中でしっかり組み立てていないといけない。ま、本番の試験では、みんな平等にスタートするのだから、練習で最初に行うということは、いきなり試験会場と同じ条件に挑戦するということだ。どれくらいの緊張か、試してみたかったのが本心だが、ホント、何からすればいいのか、パニック状態もいいところ。頭では、まずベッドに側臥位で寝ている右側片麻痺の人を起こして、端座位にすればいいというのは分かっている。そのためには、まずベッドから両足を降ろせばいいことも分かっている。いや、分かっているはず。。。なのにだ。 身体が動かない。 いや、頭からしてカチンカチンに固まっていた。(苦笑)その上、起こした時点で、麻痺側の手がどちらなのか、つまり右と左が分からなくなってしまった。(爆)極度の緊張とは、パニックとは、こういうことなのだ。日頃、何気なくしていることが、全くもって分からなくなる。(笑)すでに泣きそうだった。それでも、最初に挑戦するという度胸が功を成したか、2度目の問題からは少し落ち着きを取り戻してきた。しかし、毎回のように、新しい失敗を生みだしてしまう私は、ある意味、天才か?(爆)何故か、突然いつもと違うことをしてしまう。まだまだパニックっている証拠☆まあ、そのおかげで、そういう失敗も起こりうるということを、練習の時点で知れたことは有難いのかもしれない。失敗は多い方がいいと、先生も言う。・・・が、それも練習だからこそ。本番で、いったい私はどんな伝説を生むのだろうか、、、不安がいっぱいでボロボロである。「いい? 試験が始まる前に、手のひらに合格の『合』という字を書いて飲みこむのよ!」「ふえ~ん、先生~。(><)」 完全に小学生である。(笑)参加している講習では、他の受験生(10名)も先生方もみんないい人ばかりで、もうすぐお別れというのが寂しいくらい。だが、合格さえすれば、介護福祉士会に登録もできるし、また会えることもできる。いい出会いに感謝しながら、今日 最後の講習に出掛ける。合格の自信は全くのゼロ!だが、ゼロは無限大でもあるはずだ。今は、その可能性にかけるのみ。(><)
2013.03.02
「明日、太ももが筋肉痛になってると思うよ。」昨日、介護福祉士国家試験の実技試験に向けての講習がスタートした。それは、県の介護福祉士会が主催するもので、2時間(PM7時~9時)を10回、私の家から車で30~40分離れた老人ホームで行われている。定員20名に対し、昨日の参加者はたったの4名。講師も4名ということで、つきっきりの指導だった。初日ということもあり、まずは基礎の基礎、シーツのたたみ方、敷き方、外し方から徹底的に練習。シーツ交換なんて~って思われがちだが、意外と基礎ってできていないのだ。しかも、ベッドに人が寝たままの状態でシーツ交換するなんて、きれいさっぱり忘れていた。まして、私は12年以上も現場を離れているので、全てに戸惑うやら緊張するやら。しかし、他の3名の参加者も、緊張のあまり手が動いていなかったので安心した。(笑)というのも、介護の仕事に携わっていても、施設で働くのか在宅なのかで全く異なる。施設であっても、介護度の重い利用者を相手にするのと、見守りが主の比較的元気な利用者を相手にするのとでも大きく違う。現場は12年前といっても、最初の4ヶ月を特養(特別養護老人ホーム)、後の5年を重度者の多いデイサービスセンターで働かせてもらっていた私は、現在 訪問介護や介護支援専門員をしているという他の3名よりも、実際にやったシーツ交換、おしめ交換、着脱、車いす介助等々の回数ははるかに多い。これは、すごく恵まれていたのだと改めて気付く。様々なベテランの先輩方を常に観察できるのも、施設の良さだ。だが、そこには少し落とし穴もある。諸先輩方の介護を見よう見真似で覚えたこと、それが必ずしも正しいわけではないということ。あ、間違ってるという意味ではない。今回の講習では、国家試験に向けてという前に、明日から活かせる介護方法をみっちりと指導してくれる。それは、利用者だけでなく、介護者である われわれの身体に負担をかけない介護方法ということだ。「そんなこと、せんでもええ。 しんどいやろ?」が、先生の口癖。(笑)無駄な動きや無理な姿勢というものは、知らず知らずに癖になっている。長年慣れた現場では、利用者への介助や声掛けなどには気を配っても、シーツ交換時の足の向きであるとか、腰の高さといった細かい部分まで、一つ一つ注意しあうことは少ないと思う。あ、時間と人出が足りない!というのも原因のひとつ。それを、昨日 徹底的に指導された。そこで、明らかになったのが、意外と膝を使っていないということ。これでは腰痛になっても当前だ。先生は「太ももが筋肉痛になるだろう」と言っていたが、まだまだ無駄な動きの多い私は、朝起きてみると全身筋肉痛になっていた。ま、忘れた頃に筋肉痛~よりはいいかな?(笑)「腹筋と背筋、それと太ももの筋肉を付けると介護する時に楽になるよ。腰痛も防げる。」これは介護とは関係なくても言えることだな、、、そう思いながら、聞いていた。その流れで、こんな笑い話も。 だが、実際にあった話。「何年か前の実技試験でね、僕もその時 会場にいたんだけど、会場に救急車が入って来たんだ。 なんでかって言うと、受験生がぎっくり腰になっちゃってねえ。(笑)」どうやら、その年の問題は、ベッドから降りているお年寄り(実際の試験では福祉系の学生さん)を、まず声掛けしながらベッドまで戻すというものだったらしいが、たぶん、お年寄りを起こす時点で変な姿勢をとったのだろう。その場で動けなくなったらしい。その話にみんなで笑ったが、実際は笑いごとではない!!!私も昔、職場でぎっくり腰になったことがある。それは軽症で、自力で家まで帰れたのだが、それも笑える話。なにも介護していたわけではない、その時 私はすでに事務職であった。目の前に落ちていた紙切れを、ゴミ箱に捨てようとしてギクッとなった。拾う時ではなく、捨てる時。 しかも、紙切れ。(爆)でも、それがぎっくり腰というものだ。 重い荷物を持つ時は、頭からすでに指令が出ている。 軽いものほど、思わぬ時ほど油断しがち。大きな段差ではなく、何もないところで躓くのと同じ。。。笑えない。 鍛えなくては。もう若くない、脂肪を落とすというのも大切だが、筋肉つけなきゃ。久々のシーツ交換 + 緊張感くらいで、いちいち筋肉痛になっていたのでは情けない。今日は、寝たきりの利用者に対する衣類の着脱を練習する。上から被る服と前開きの服、そしてズボンが持参物。和気あいあいと、緊張感も取れて来た。 楽しい。早く夜にならないかなあ。。。
2013.02.19
今日はサンメッセ香川において、第25回介護福祉士国家試験(筆記)を受けてきた。本当は昨年受験のつもりだったが、今年初めての挑戦となった。現在、無職である私に勉強時間はいくらでもあったはず。だから、「余裕でした~!」と報告できて当然!!!なのだが、時間というものは、あればあるだけ無駄にしてしまうのが凡人の常であろう。12月、やっと重い腰を上げ、チェックドリルというものを一通りやってみた。テキスト? そんな効き目の高い睡眠薬は初めから手を出さない。その上、12月と今日までの間には、お正月という特別な期間が存在していた。元日は勉強しなくても大丈夫よね、三が日くらい勉強しなくてもなんとかなるよね、、、、そして、気が付けば一週間前になっていた。(苦笑)年明けて三週間、一問すら問題を解いていなかった。私は慌てて模擬問題集を買い、二回通りやってみた。そして迎えた試験前日、、、昨日だ。 やっぱり勉強しなかった。実は、、、、、変なヤツだと思われるだろうが、前回の日記にも書いたアルジェリア人質事件が何故か頭から離れなかった。試験前だからと友人達からの誘いを断り、極力外出も控え、 で、テレビでアルジェリアに関するニュースばかり見ていた。(笑)遺族の方達の言葉に涙し、会ったこともない犠牲者の写真にまた涙する。運悪く、その時 ちょうど読んでいた本が「カティンの森」。第二次世界大戦下、ソ連によって虐殺された数千人のポーランド人将校と、彼らの帰還を待ちわびる家族の話だ。アルジェリアとカティンがだぶる。そして、そんなたまらなく落ち込んでいる時に、ちょうどレンタル予約していたDVD(カティンの森)が届く。すぐに見る必要もないのに、試験の前日である昨日、それを見ていた。この上なく残酷な、直視できないシーンが次々と流れる。そして、また ここでアルジェが頭に蘇る。自分でも、何故にここまでアルジェリアの事件が頭から離れないのか分からないが、とにかく信じられないくらいショックだった。国家試験のことなんて、私の中ではすっかり他人事のようになっていた、、、私は本物の馬鹿だ。当日の今日は、朝7時前に家を出た。さすがに今朝は、アルジェリアよりも試験のことが気になった。電車で問題集を開く。山をかけた。この試験は午前に「人間と社会」・「介護」、午後に「こころとからだのしくみ」と、領域を分けて行われる。問題は120問。一問一点で、正解率60%以上、かつ10科目群全てに得点があった者が合格となる。「過去問いっぱい解いたのに、今年は傾向が全然違うよね。」昼休み、そんな会話があちこちに飛び交っていた。過去問を解いてない私にはそれすら分からなかったが、かけた山はことごとく外れた。(苦笑)*結果、8割の正解。 10科目全てに得点はあった。これだけ勉強もせず、アルジェリアにばかり気を取られていた私が8割取れた理由を考えてみた。一つだけ言えることは、分からない問題でも、適当に答えを選んだものは一問もない。もう10~15年も前になるが、現場で先輩方から教えていただいたこと、実際に行っていた介護を頭に浮かべながら、一つ一つ丁寧に解いていった。それが今日の私を救ってくれたのだと思う。当時、先輩方は厳しかった。 芯は優しく温かくても、指導はとても厳しかった。改めて、あの頃 私を導いてくださった諸先輩方に深く感謝したい。さあ、次は3月頭にある実技試験だ。
2013.01.27
5時40分、私はテレビを点けた。いつものように めざましテレビをかけ、身支度を整えていた。5時45分、あれ? あと一分だよね。私は慌ててチャンネルを変えた。かろうじて、46分に間に合った。黙祷。あの阪神・淡路大震災から18年。そっか、テレビではNHK以外は黙祷すら捧げなくなっていたとは。18年、そんなものなのか。 それだけ月日が経ったということか。では いつか、3.11もそうなってしまうのか?なんか胸が苦しくなった。災害の全てに、その都度 黙祷を捧げられないことくらいは分かってる。現に9月1日に関東大震災を思い出す人は、ほんの僅かでしかないだろう。でも、1.17からは、まだ18年だ。 もう、じゃない。私は今も鮮明にあの映像を覚えている。私は被災者ではないけれど、あの日のことは忘れられない。5年前の今日、ブログにも書いたが、私はもしかしたら震災に遭っていたかもしれなかった。それが運良く広島にいて、運良く揺れさえも感じなかった。大きな何かに守られてると思った。だから余計に、あの日のこと、犠牲になった人達のこと、絶対に忘れちゃいけないと自分に言い聞かせている。だから、風化させてはいけない、という淡路や神戸の人達の思い、私も確かに繋げていきたいと思う。神戸では、14時46分、東日本大震災が発生した時刻にも黙祷を捧げるという。私も同じく手を合わせようと思う。
2013.01.17
2013年、新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。今年一番に目にした言葉は、『ダイヤモンドだね~』☆最高にパワフルでチャーミングな友達からの挨拶でした!ああ、2013年はダイヤモンドになる!って確信しましたよ。^^きっとまだ原石だけど、それはこれから私が磨いていきます! 最高の輝きを手に入れる為に。10年ぶり、日本で年越しということで、大晦日は日本人らしく「紅白歌合戦」を見ました。プリプリが歌った『ダイヤモンドだね~』、今も頭の中でぐるぐる回っています。(笑)そして、静寂に響き渡る除夜の鐘を厳かな気持ちで聞きながらの初詣。お節とお雑煮を戴くのも10年ぶりだわ。それは、讃岐ならではの白味噌と餡餅と言いたいところだけど、わが家は餡餅ではありません。三が日は、どうしても行きたい三箇所のお寺があります。どれも弘法大師さま縁のお寺。それらは家から車で15分圏内ですが、お正月にお詣りするのは本当に久しぶり。こういう新年の迎え方もなかなかいいものですね。といいつつ、写真はどれも私の大好きなオーストリアです。(笑)あ、改めて、今年は日本でお正月を迎えていますので、写真を見てお間違えのないように。一枚目は、私の愛するホーエンザルツブルク城塞。二枚目は、ウィーン国立歌劇場近くのお花屋さん。そして、三枚目はザルツブルクの街角で見つけた私の天使です。
2013.01.01
今頃になって疲れが出たのか、はたまた知恵熱か、数日前から変だ変だと思っていたら、昨日から高熱が出始めました。頓服薬を飲んでも効果は一時だけ。今も38度5分あります。皆さんのブログを訪問することも、皆さんから頂いたコメントにお返事することも遅くなってしまってごめんなさい。熱が下がったら復活しますので、宜しくお願い致します。
2012.05.24
今年は日本も世界もあまりに辛いニュースばかりが続きました。想像を絶する映像に、何度言葉を失ったことか。そして、多くの方達が苦しみ悲しんでいる中、当たり前の日常を送ることができている奇跡に深く感謝致します。今年も皆様からの温かいお言葉、お心遣いに支えられ、無事来年を迎えられそうです。いつも変わらぬご厚情を賜りまして、まことにありがとうございます。どうぞこれからも末永く宜しくお願い申し上げます。迎える2012年は、笑顔が溢れる素晴らしい年になりますように。少し早いですが、今年一年の感謝を込めてご挨拶申し上げます。* * * * * * *いつもは12月中旬に仕上げる年賀状、今年は早めに12月頭に完成しました。毎年、自分なりに自分らしいレイアウトをと、色々考えて工夫するのが大好きです。時には絵の具やパレットを引き出してきたり、写真を貼り合わせたり、今回は色紙を使って、細かい作業を3時間も掛けて仕上げました。(笑)今年の色んな思いと、祈りを込めて、写真と色紙を組み合わせたデザインです。印刷が完了した後、母に見せてみました。「すごく苦労したんだよ。」と肩を叩きながら私。「え~、普通の写真じゃないの。」と母。え"・・・?印刷したものを見てみたら、、、あらら~、私の苦労の痕が写真と同化してしまって、殆ど分からなくなっていたのでした。(><)無器用な私がピンセットも使わずに、太い指先を苦心して完成させたのに。(T_T)すでに80枚の印刷が完了していましたので、諦めてこのまま出すことに致しました。ですが、思いだけは宇宙大に込めてありますので!!!(笑)私の思い、一人一人に届くといいな~。そして、私の祈りが天まで届くと嬉しいな~。^^*こちらは、一年前の年賀状です。マトリョーシカは下手なりにも一生懸命 絵の具を使って描きました。マトリョーシカから思い出(写真)がどんどん溢れだすのを表現しようとして、でも こちらも失敗作。(爆)それでも、それは幸せが次から次へと飛び出すことをイメージして作りました。^^では、皆さまも 良いお年を!追伸 * できれば、ドゥブロヴニクから今年最後のブログ更新をしたいと思っております♪
2011.12.24
今週は4日の出勤のうち、3日間が出張でした。昨日と一昨日は、四国地区社会福祉施設協議会主催の会計研修。講師は全国老人福祉施設協議会・監事の宮内眞紀子先生です。来年度から平成27年度までに社会福祉法人の会計を一元化するということで、またまた大きな分岐点に立っております。それは、これまで二種類あった介護保険事業の会計処理を一本化するだけでなく、医療・保育・授産等の他の社会福祉法人全てを一本とするもの。会計処理の変更も重要ですが、それに伴う移行処理が大変な作業となるわけです。こういった移行処理は、介護保険が導入された平成12年度にも経験ありなのですが、当時の私はその重要性がさほど理解できておらず、また町からの委託事業からの移行であったために基本金はなく、減価償却すべき固定資産も利用者の送迎用リフト車くらいしかなかったので、事無く運ぶことができたのでした。あれから10年超。未だに措置時代から意識改革ができていない施設も多々あるわけで、たぶん わが施設も同じかな。介護保険前までは、施設にとっては措置費や補助金が主な財源であったために、その使途は限られていたものの、目的別にお金を使用して、年度末には使い切るといった運営が主たるものでした。けれど、今は利用者からの利用料で全てを賄うため、そこから施設の建て替え費用なども貯えていかなければならず、効率的な人員配置も必要不可欠となりました。いわゆる施設のトップは経営者というわけです。その経営にあたって肝心なものが財務諸表。日頃、何気なく切っている仕訳伝票の積み重ねが、今後の施設経営に大きな影響を与えるということで、、、、かなりにプレッシャーをもって研修に参加してまいりました。このプレッシャーは、顧問税理士による脅し(?)からもありまして、、、移行処理には伝票を数百枚も切らなくちゃならないよ!とか、新しい会計基準下では、勘定科目数が相当数増えるよ!とか、この会計基準についていけずに倒産する会計ソフトの会社もかなりありそうだ!などなど、一事務員である私達が逃げ出したくなるような話ばかりするのです。(><)だから嫌々の研修会。だいたい、こんな複雑なもの、税理士や会計士が全部やればいいんだ!!!と、半分投げやりで出席しました。ところが、さすがは宮内先生! 全国区の税理士さんだけありました!!!これまで受けてきた説明会では軽く流されてきた基本的な骨組みを、何度も何度も丁寧に解説してくれたおかげで、す~っと話に入っていくことができたのです。その骨組みは、それこそ理事長・施設長クラスが考えなければならない範囲なのですが、それでも、そこをしっかり押さえておかなければ、事務員とて理解しておかなければ、出来上がった財務諸表に意味がなくなってくる重要な部分。おかげで頭がすっきりしてきました。そして、これまで使ってきた勘定科目の中の、厚生労働省からの通達に直に繋がるものなど、目から鱗の内容まで盛り沢山☆税務や会計だけでなく、関係する行政からの通達を熟知しなければ会計基準など理解できるわけもなく、作れるはずもありません。税理士さんや会計士さんには、きっと並んだ数字も立体的に浮かびあがって見えるんだろうな~。一枚の財務諸表で、面白いほど会社の全てが見えてくるんだろうな~。いや~、彼らの頭の中ってどうなっているのか覗いてみたいくらいです。当たり前だけど、数字ってただ計算するだけでなく、じっくり読み込んでいくものなんですね。一つの数字から奥へと広がる浪漫を、彼らは知っているのでしょうか?(笑)久々に頭を使った時間ではありますが、おかげで不安も少し解消され、数字の世界の面白さをちょっとだけ感じられた時間でした。^^それにしても、私って超頭悪いな~~~~~。(泣)それを実感した貴重な時間でもありました。(苦笑)
2011.11.26
続けて、本日2度目の更新です!^^9月9日に開幕したラグビーワールドカップ。ラグビーなんて見たこともなかった私の中で、今年のW杯は密かなブームを巻き起こしています。(笑)というのも、今回の開催地はニュージーランド!大地震のせいでクライストチャーチが会場から外れたことは残念でしたが、"NZといえばラグビー"というほど、ラグビーに熱い国ですもの!職場でも何人かの仲良しさんに、「ワールドカップ見てね~。」と声を掛けました。もちろん、ワールドカップといえば、みなさん サッカーを思い浮かべますので、最初は「あんた何言ってんの!」って顔をされるのですが、それも楽しくて。^^そして、何よりの楽しみは、オールブラックス(NZチーム)が試合前に踊るハカですよね!あの迫力を生で見たいな~と、これまた密かに思っているのですが、試合会場よりテレビでアップを見る方が迫力満点かな~とも。ハカとはご存知、マオリ族の伝統的な踊りで、自らの力を誇示し、相手を威嚇するもの。実は私、生のハカは過去に二度ほど見たことがあるのです。一度目は、ロトルアのファカレワレワのマオリ村で見た、いたって平均的な観光客相手のマオリショー。そして、二度目がクライストチャーチ郊外のアカロアという街で、偶然出くわしたイベントでした。アカロアでは、大きく張られたテントの中で様々なショーが行われていたのですが、中を覗いた時にはすでに観客はいっぱい。所狭しと並べられたパイプ椅子は満席で、私と友達の3人は、こっそり舞台袖に座って見ることにしました。ところが、いざハカが始まると、私達にすれすれまで迫ってくるマオリ達。私達が舞台袖と思って座った場所は、お恥ずかしいことに袖ではなく舞台上だったのです。だって、きちんとしたステージがなかったので分からなかったのですよ~。(汗)刺青のある逞しい身体で、大きく舌を出し、顔すれすれに威嚇してくるマオリ達。さすがに逃げも泣きもしませんでしたが、一人だったら悲鳴をあげていたかも。ですから、あの迫力は誰よりも身を持って知っております。ですが、どうしても見たいものは、やはりオールブラックスのハカ☆だって、だって、ものすご~~~くカッコいいんですもの~。(*^^*)「あれは強いからこそやれるんだ。」と私の職場の施設長。そりゃ~、例えば あのハカを日本チームがやったとしても、全く様にならないでしょうね。自身が昔 ラグビーをやっていただけのことあって、いかにラグビーがハードなものか、施設長はしみじみ思い出したようです。ところで、ラグビーを知らない私がハカを知ったのは、クライストチャーチの語学学校の授業でビデオを見せてくれたから。Ka mate! Ka mate! Ka ora! Ka ora! Ka mate! Ka mate! Ka ora! Ka ora! Tenei te tangata puhuru huru Nana nei i tiki mai, Whakawhiti te ra A upane! ka upane! A upane! ka upane! Whiti te ra! Hi! くぅ~、カッコいい~~~☆o(≧∇≦)o これぞ真の男☆ 見ていると鳥肌が立ちます!(笑)皆さんもご覧になりますぅ~?(笑) → All Black's Haka ラグビーW杯2011・開幕戦のハカどうしても、「頑張って、頑張って行こう!」と聞こえるのですが。(笑)オールブラックス、カッコ良すぎです!!*と、ついハカについてばかり書いてしまいましたが・・・。16日の午後8時(NZ時間)から、ハミルトンのワイカト競技場で日本 vs NZの試合が行われました。オールブラックス(NZ)は世界ランキング1位のチーム。それを相手に、日本チームはどれだけ戦ってくれるのか。 少しだけ楽しみにしていました。けれど、結果は、、、7 対 83で日本の完敗☆やっぱり・・・ね。¬( ̄∇ ̄;)「開幕当日に行われたNZ vs トンガ戦を見て、ラグビーの面白さに気付き出した私。ボールを前に放ってはいけないというルールしか知らない私でも、オールブラックスの上手さと強さは一目瞭然でした。日本 vs NZ戦が終わった今、後はオールブラックスの優勝を祈るのみ!決勝は、10月23日です☆
2011.09.17
「何事にも感謝ですよ。感謝を忘れてはいけません。」テレビカメラに向かって、そう熱く語るのは、今年100歳を迎えるコツルさん。画面に大きく映し出されたコツルさんの顔は、100歳とは思えない、白くツヤツヤのお肌です。そして、もうお一方(ひとかた)、カメさんだって負けてはおりません。「ほんま、みなさんのおかげです。」手を合わせながら そう答えるカメさんのドアップも、本当に綺麗に映っておりました。*老人の日である9月15日、私の働く老人ホームへ県知事さんのご訪問がありました。マスコミ関係者も4社来苑。例年は、県からの高齢者訪問といっても、健康福祉部の部長さん、課長さんクラスの方が代理訪問されるのですが、今年は、わが施設で100歳を迎えられる方が4人もいらっしゃり、内閣総理大臣からの祝状と記念品(銀杯)の伝達式が行われたのでした。その様子は、その日のお昼と夕方の地域版ニュースで流れました。そして、コツルさんとカメさんのインタビューに答える様子も大きく映りました。こんな綺麗な100歳は、そうそういらっしゃらないのではないかと思うほど。お二人とも、お若い頃は相当の美人だったと思われます。今も真っ白な髪をこぎれいに纏め、整った顔立ちは往時の面影を残しています。見た目は、どちらも90歳にしても若いな~と思うほど!その上、ハリのある声。「コツルさんもカメさんも、本当に綺麗やったで~。^^」翌朝、私はお二人に会うために食堂へ行きました。「本当によぉ映っとったわ~。」二人は少し照れながら、「ほんまな~。」とにっこり。「インタビューの答えも良かったし…。」「ほんま、ほんまで~。ほんま、感謝が大事なんでぇ。」 今にも再びコツルさんの熱弁が始まりそうです。「まぁ~、ええことばっかりではないけどな~。」100年も生きていると、私では到底想像もできない荒波を乗り越えてきたはず。だからこそ、コツルさんの゛感謝゛の一言にずっしり重みを感じました。「今度も鶴亀揃って、元気なまま世界一になってテレビに出てな~。^^」「あはは。よぉ言うわ。^^」「うちらがおかしなことしよったら、ちゃんと言うてぇな。」とコツルさん。「いやいや、こちらこそ 何でも遠慮せず言うてぇよ。」と私。「ほんま、悪いところはお互い注意しあわなな~。」 コツルさんはまん丸い目をますます見開いて言いました。コツルさんもカメさんも、安全の為に歩行器を使っていますが、自分の足で歩き、ほとんどのことを自分でされます。もちろん、身なりも自分で整えます。今回、テレビに大きく映し出された姿を見て、私は改めて二人の大ファンになりました。(*^^*)繰り返しますが、本当に本当に、しっかりとされた綺麗なおばあちゃん達なのです。*「カメさんとコツルさんの写真、欲しいわ~。」 私は相談員の I石氏に頼みました。「なんなら、一緒に撮ってもろたらええやん。」と I石氏。「それもええけど~、うちが写らんほうが綺麗やん。」 ちょっと謙遜のつもりで言ってみました。(笑)ところが、、、I石氏、一言。「・・・そやな。」きぃ~~~~!o(><)oこんな失礼な I石氏ですが(笑)、私は日本一素晴らしい相談員だと、内心は尊敬しております。(^m^)I石氏の案で、知事さんとともに、みんなで歌った゛赤とんぼ゛はいい思い出になりましたね。常にお年寄り目線で、お年寄りとその家族思いで、そしてあらゆることに長けている I石氏。お年寄りはみんな I石氏が大好きです。これからも I石氏の元で、どのお年寄りも幸せで元気に長生きしてくれますように。^^そして、カメさん、コツルさん! いつまでもいつまでも輝いていてください!
2011.09.17
第一種衛生管理者試験に無事合格致しました!!1160番! ありました!!! この受験番号は、偶然にも大学時代の学籍番号下4桁と同じでした。だから、この番号を手にした時から、いい予感はしていたのです。ですが、発表が近づいてくるにしたがって、段々と自信がなくなってきた私。。。今日の9時30分公表ということで、ドキドキしながらその時を待っていました。あ~、本当に良かった。思わず近くにいた I石氏の手を取って飛び上がってしまったほど。(笑)どんな小さな合格でも、とても嬉しいものですね。前進するパワーをもらえたような気がします。これで安心して次のステップへと進めます! *:*:*:*:*:*:* 関西にお住まいのブログのお友達、ぽんよりさんからお祝の花束を戴きました! 感謝と感激でいっぱいです☆ ぽんよりさん、どうもありがとうございます。(*^^*) '11.08.28
2011.08.22
本日、高松商工会議所にて、第一種衛生管理者・香川地区出張特別試験を受験して参りました。9:15から試験に対する説明の後、9:30より試験開始。試験時間は9:30~12:30ですが、1時間を経過すれば退出可能となります。現在、腰椎の椎間板ヘルニア治療中の私としましては、3時間も同じ姿勢で椅子に座っているのは辛いため、10:30になるや早々に会場を後にしました。駐車場代を安くするためにもね。(笑)さて、肝心の試験の出来ですが、う~、たぶん大丈夫だと思いますが、、、。(^^;衛生管理者の試験は、主に過去問をしっかり解いていれば一発合格も簡単なはずなのですが、昨年度から少し問題に変化が見られるようになりました。21年度の全国合格率の平均と比べると分かるように、22年度は殆どの試験でそれを10%以上下回っています。合格ラインは、1.関係法令(有害業務に係るもの)10問、2.労働衛生(有害業務に係るもの)10問、3.関係法令(有害業務に係るもの以外のもの)7問、4.労働衛生(有害業務に係るもの以外のもの)7問、5.労働生理 10問 の各科目ごと最低4割、全体で6割以上の正解率で合格できることになっています。ですから、合格率が高くても低くても、自分の点数が合格ラインを上回っていれば良いわけで、他の人の点数と自分の合格とは関係ありません。けれど、合格率の低下から分かるように、難しくなってきていることに違いはないようです。私の場合、過去問を解いていても、20年度までの試験問題では軽く9割5分を上回っていたのに、昨年度の公開試験問題では8割7分、今年度4月分の公開試験問題では7割6分しか点数が取れませんでした。そして、本番である今日の試験問題はと申しますと、4月分の問題よりは簡単になっていましたが、点数的にはこれまでで最も悪い出来だったと思います。(><)それでも7割は取れているはずですので、本番の緊張分を差し引くとこれくらいかな~、とも思っています。気になるのは、有害業務に係る関係法令の分野だけ。それも半分は正解のはずですので、、、どうか、どうか合格していますように!!発表は、8月22日☆*この衛生管理者の資格試験は、職場の上司から勧められて受けることになりました。はじめは「面倒だな~」と受け身の姿勢でスタートしたのですが、おかげで自分なりの勉強の仕方、進め方、試験会場の空気など、得るものも沢山あったと思います。何より試験問題を解きながら、自分が出来た問題と出来なかった問題と、それがはっきり分かったということが大きな収穫でした。それは試験の手応えがはっきりしているということですので、今回の受験は合否とは別に、自分の中で成功したと思っております。^^受からなければ、もう一度受験すればいいだけで、高校入試や大学入試のように人生が大きく変わるわけでもなし~。(笑)久々の試験会場の雰囲気を結構楽しむことができて、満足しています。^^*明日からは、また別の新たなるスタート。そのためにも、「いつか、傷ついたクライストチャーチの力になる自分になれるように」との思いを込め、ブログのお友達である うさぎの春子さん から戴いたニュージーランドのTシャツを着て、今日は試験に臨みました。そして、同じくブログのお友達 Teaさんから届いた励ましのメールに大きな力を戴きました。あ、わが施設長からの「勝って~来~るぞ~と勇ましく~♪」のエールの歌声も忘れてはおりません。^^(いつの時代だ!爆)さぁ、これから頑張るぞ! 次の試験へ向け、そして数年先を見通して、正念場である「今」を大切に過ごしていきたいと思っております。*今朝は、最後のあがきのせいで、8:15の黙とうをすっかり忘れてしまっていました。遅くなりましたが、ここに改めて平和への祈りを捧げます。 合掌。
2011.08.06
先日、「第一種衛生管理者」の学科試験受験票が送られてきました。受験票なんて大学入試以来 手にしたことがなかったので、なんだか自分が若返ったようで嬉しいです。(笑)香川会場での試験日は8月6日。残る2週間は、過去問を解くこと、数多い有害物質の種類や関係法令などを整理すること、そして、得点源となる労働生理(体のしくみ)を完璧にすることに集中しようと思います。そして今日、「第24回介護福祉士国家試験」の受験申込書類が届きました。今年度はこの2つの資格試験の他に、「簿記検定」も受ける予定です。15年間も経理をしてきて今さら~という感じではありますが(笑)、ここらでちゃんと基本から学び直そうと思いまして、、、。社会福祉法人の会計は、普通の会社での簿記とはかなり異なる独特のもので、介護保険がスタートして以来 不安な部分も多かった上、来年、再来年には新たな会計基準が導入され、さらに難しさが増す模様。(><)福祉の世界も経営の時代。本格的に新会計基準を学ばなければならなくなる前に、仕訳や伝票処理だけでなく、財務諸表を読み込む力をもっと養いたいというのが、今回 簿記を基礎からやり直すねらいです。簿記検定は11月、介護福祉士の学科試験が1月、学科試験がうまくいけば3月に実技試験です。その他にも3月に受けたい資格がありまして、それを皮切りに少し難易度の高い国家資格を数年のうちに挑戦しようと計画しております。その為にも、一つひとつの試験を丁寧にこなすこと。たとえ簡単な試験でも、勉強せずに合格できるなんてことはありません。まして資格取得よりも、その知識を身に付けることの方が大切ですので、学生時代のような一夜漬け~ではダメですよね。これまで勉強というものをしたことのない私ですので、どこまで頑張れるか分かりませんが、どうか応援してやってくださいね。^^* * * * * * *近頃、夕陽が沈む前のわずかな時間、母と散歩に出掛けることが日課です。川沿いを歩く私の頬を、優しく風がなでてくれるのがとても気持ちいいです。川に泳ぐ亀さんや、町役場前の池にいる沢山の鯉を眺めるのも楽しみで。「この前、橋の上から川を覗きこんみょったやろ~。」しっかり同僚の I石氏にも見つかっておりました。(^^;「あはは、あそこには亀さんが沢山おるんよ~。」と頭を掻きつつ苦笑い。「そうそう、役場の池の鯉の中にね、ちょっと個性的な子がいてね、体は白色で黒と肌色の模様があるんやけど、顔がぶさいくで面白いの~。^^人間でいうと鼻の下あたりだけが赤色で、それがまるでちょび髭みたいなんよ。だから、「チョビ~、チョビ~」って呼んでるんよ。」「あはは、チョビかぁ~。」 こんな会話を昼休みに I石氏と交わした日の夕暮れのこと。いつものように池のほとりで、「チョビ~、来たよ~。」と手を叩きながら大きな声を掛けていると、、、「お疲れ~。^^」そう言いながら颯爽と自転車で駆け抜けたのは、I石氏の従兄にあたる、わが町の町長公室長さんであらせられました。は、恥ずかしい…。(*^^*)
2011.07.23
「いつの日か、ザルツブルグへお嫁にいくぞ!」 という願掛けの為に、(爆)お尻まで伸ばし続けた (放っておいた?) 長い髪を、迷いもなしに、本日 すっぱり切ってまいりました~!消えた長さは60cm 、重さ 500g。 (もっと重いと思ったのにな…。)首筋、完全に見えてます。(笑)
2011.06.25
近頃、月曜日が楽しみになりました。^^これまでなら、「また長い一週間が始まるのか~」とすごくブルーな曜日だったはずなのに。それは、毎週月曜日の夕方6:55から30分間、NHK教育で放送されている『テストの花道』のおかげです。(笑)出演者は、顧問に所ジョージさん、部長にはTOKIOの城島茂さん。その他に、美人マネージャーさんと十数人の高校生、そして的確なアドバイスをくれる現役大学生の皆さんです。可愛い子が多いな~って思っていたら、すでにモデルや女優をやっている子も沢山いて…。(^^*この番組、主に大学受験に向けての勉強方法をアドバイスしてくれるのですが、「考える力」を身につけることが基本になっているので、どんなに贔屓目に見ても高校生はありえない私(笑)でも、とても参考になるのです。昨年度から放送されているようですが、私が最初にこの番組を知ったのが今年の3月。3月28日から始まった2011年度分は欠かさず見ています。(笑)これまで、1. 計画するチカラ2. もっと疑問を持つチカラ3. 情報を整理するチカラ4. 暗記するチカラと進んできて、次回(5/2)は「文章を読むチカラ」がテーマです。ただ受け身で学ぶのとは違う、考えることの楽しさ、自分で生み出すワクワク感を一緒に感じられるのが楽しいです。そして、何よりやる気を起こさせてくれることがすごく嬉しい!!自分にもできる! そう力強く思えます!現在、私は介護福祉士の資格取得の前に、第一種衛生管理者の国家試験に向けて勉強中です。最初、その試験内容の一つである労働生理から勉強をスタートさせたのですが、こちらは昔 生物で習った体のしくみを学ぶということで、「なんだ~、余裕じゃ~ん!」と鼻歌交じりで進めていました。ところが、世の中やっぱり甘くない!(><)勉強も中盤になってきて、内容が有害作業管理に入ってくると、これまで聞き慣れていない単位や用語の羅列に、すでに頭の中がこんがらがってきております。(泣)そんな時、完璧に暗記するトレーニング方法をこの番組が伝授してくれたのでした☆その内容は、それこそ大人からすれば当たり前のことばかりなのですが、それでもちょっとしたコツであったり、面倒だからと避けてきた重要なポイントを再確認できたりと、実に参考になります。もちろん、高校生や大人だけじゃなく、小学校の高学年ともなればこの番組の面白さを理解でき、中学受験や高校受験にも役立つのでは~と思います。それに、「考える力」は一生ものですから。^^しかし この番組、私が高校生の頃に出会いたかったな~。ホント、いい番組だと思います。先日、勉強用にと小さな机を買いました。ここで毎晩、それなりに!勉強しております。(笑)
2011.04.30
「picchuちゃんは介護の仕事、向いてると思ったのにな。」これは、10年近く前に特別養護老人ホームを退職した際、ある先輩の介護職員さんから言われた言葉です。「いいえ、私は気分の斑が大きいし、すごく短気だから介護には向いていないと思います。」その時、私はこう答えました。ところが、半月後。クライストチャーチのとある老人ホームにおいて、介護ボランティアをする私がいました。もともと親の勧めで、嫌々 介護の仕事をすることになった私が、その介護の仕事から解放されたはずなのに、、、解放されたばかりのはずなのに、、、再び選んだ仕事(ボランティア)も介護だったとは。(苦笑)*「東日本大震災における介護職員の派遣をお願い致します。」少し前のことになりますが、香川県でも各福祉施設に対して、被災地への介護職員の派遣を求める通知が流れました。今日の新聞にも「介護の手が足りない…被災職員もケア必要」と介護職員の疲労の限界を訴える記事がありました。震災が起こった時、まずレスキュー隊が救助を行い、次に医療・福祉スタッフが多く求められます。物資やお金ももちろん必要ではありますが、まずは人の手、とりわけプロの手が必要なのだと、今回改めて痛感しました。*小学5年生から高校2年生まで、私の夢は薬剤師でした。ところが、高校2年の初夏のこと。当時、私が大好きだった一つ年下の男の子が、友達を庇って先生に反抗し、それが原因で退学になるという事件が起こりました。その先生が、忘れもしない 数学(微分積分)のF先生。それから私は、F先生の授業は一切ボイコットすることにしたのです。その上、独学でさえ微分積分だけは全く勉強する気になれず、理系に進んだにも関わらず1学期の中間試験で名誉(?)の零点!(爆!)期末試験では15点!!!(爆!!!)そんな単純なことで、あっさり薬剤師の夢も消え、、、。(笑)そこから夢は次々と変わり、自分が本当にしたいことは何なのか、全然分からなくなってしまいました。中学校の美術の先生を目指したこともあります。(笑)大学を卒業したばかりの頃は、インドのマザー・テレサの下でボランティアをしたいと思ったり、カンボジアを旅した後には、カンボジアに学校を建てたいと、香川の高松に本部を置くNPO団体「セカンドハンド」の集会に参加したこともあります。いつからか世界に出たいという気持ちが強くなって、ですが、では自分に何ができるのか、それを見つけられずに悶々とした日々が続きました。上司のKさん(現・施設長)からは「青い鳥症候群」だと言われても、だからといって現実に満足することはなく。ず~っと、ず~っと、この歳になるまで、「私のやるべきことは別にある」と探し続けてきました。ですが結局のところ、童話のヒントのまま、『青い鳥』は自分に最も近いところにいるんですよね。幸運にも、今の私には「介護福祉士」の受験資格だけはあります。それは、これまで拒否し続けてきた、自分が一番認めたくなかった答えでした。内容は違っても、福祉・医療の道に進みたいと思った、子供時分の思いが正解だったようです。介護から離れて久しくはなりますが、今年度の受験を目指し、その意志を施設長に伝えました。もっと早く気付いて、すでに「介護福祉士」の資格を持っていたなら、今回の大震災でもお役に立てたかもしれなかったのにと、それが唯一残念なのですが、、、。その他にも、せっかく今は事務職(総務・経理・財務)をさせて戴いてますので、その関連の勉強も今後広げていくつもりです。次回(あってはなりませんが!)は即現場に向かえる私であるように。その時、介護の視点だけでなく、幅広い視野でフォローできるように。『青い鳥』をもう二度と逃がすことのないように、ここに書き残すことにしました。* 次の日記からは「メキシコ旅行記」を再開したいと思います。写真は、マヤ遺跡のひとつ「トルゥム遺跡」で見かけた青い(黒かな?笑)鳥です。^^
2011.04.02
世界中に支援の輪が広がっている中、ブログを通じても、あらゆる場所からリアルタイムで沢山の思いが届けられています。先日、カンボジアにお住まいの「Kuracchi1969さん」が、カンボジアの様子をご自身のブログに書かれておりました。Kuracchiさんから「ブログにアップして構いませんよ。」と言って戴けましたので、私もここに紹介させて戴きます。*Mar 23, 2011 「東北地方太平洋沖地震に際する記帳」 在カンボジア日本大使館にて 曇り 朝10時から記帳受付開始だったので、大使館に10時20分頃出向いた。入り口は多くのカンボジアの人々で混み合っていて、入場の手続きに10分ほど並ぶ。記帳台が設置されている多目的ホールには、各国大使館やカンボジアの政府要人により顕花された大きな花輪で埋め尽くされていた。記帳に訪れているカンボジアの方々は、その辺にいそうなふつうのおじさん、おばさん、学生、一般の社会人、テレビ局と共に現れた政府要人などなど、いろんな方々で、ざっと約百人程が列を成していた。入り口では、募金の受付も行われていてほとんどの人々が募金していた。聞くところによると、2万ドル(160万円)の寄付を持ってきた人もいらしたそうで、総額は2000万円を超えてるのではないかということでした。記帳されている方々も、A4サイズの記帳用の本に、各人1ページづつびっしりと細かい字でそれぞれの被災者への思いを綴られてた。ほとんど全てがカンボジア語で書かれた物で、私には内容がわからなかったが、熱い思いを込めて記帳してくださっているという思いが伝わってきた。カンボジアの皆さん本当に有難うございます。(私からもカンボジアの皆さんへ、本当にありがとうございます。 あなた達が記帳してくださった沢山の温かい思いに、心から感謝致します。)*カンボジアを旅したことのある私は、例え世界情勢に疎いといえど、この金額がカンボジア人にとってどれほどのものかは分かるつもりです。え? この国からも義援金が?カンボジアだけでなく、今回 義援金を送ってくださった沢山の国の中に、正直 私にとって驚いてしまう国の名前を見つけることが多々ありました。あなた達、自分の国だって大変でしょうに。 その都度、胸が熱くなるのを感じます。「日本はカンボジアにとって兄弟の国だから、当然のことだよ。」Kuracchiさんの大家さんはそう言ってくれたそうです。日本の被災者を思って、自分達の生活に無理が生じてさえも頑張って支援してくれた貴重なお金。それは各国の人達の温かい思いの形であるとともに、これまで様々な国を支援してきた日本人の諸先輩方の姿の現れでもあると思いました。その想いと行いが、今回 巡り巡って還ってきました。次は、再び私達がその想いを廻していく番。被災された方達に代わって、私達がどういう形ででも恩を送っていく番なのだと、改めて強く思いました。 * * *カンボジア人といえば、私は旅のガイドをしてくれたサムナンくんという青年を思い出します。私にとってカンボジアといえば、彼の笑顔が一番先に浮かびます。彼はポル・ポト時代に幼少時代を過ごしました。想像を絶する大殺戮を乗り越えて、あの屈託ない笑顔になるまで、彼はどれほど心に深い傷を負ってきたことでしょう。どれほどの歳月を要したことでしょう。なのに、出会って10年以上経っても私の中で色褪せることない笑顔をくれたサムナンくん。今はどん底にある被災者の皆さんに、笑顔を取り戻せる日が一日も早く訪れますように。どんなに辛く悲しく厳しい時も、時の流れが少しでも早く笑顔を運んでくれますように。サムナンくんの笑顔を思い出しながら、人は誰しも必ず笑顔を取り戻す力を持っていると信じて祈り続けます。
2011.03.26
私の職場の老人ホームでも、東日本大震災で被災された方々に、日本財団を通じて義援金を送ろうと、先日から募金箱を設置しました。まだ2日半しか経っていないのですが、1万5千円ほど集まっています。誰かが募金をしてくれる度に、すごく嬉しい気持ちになって。みんなの思いが集まると、大きいなぁ~、心強いなぁ~って。そんな時、ふと思い出したことがあります。宮崎の方達は今どうされているのだろう。日本中の意識が東北へと集中している今、霧島山・新燃岳の噴火で避難されていた方達のニュースがあまり入ってきていません。彼らだって大変に違いない。天災の規模は違っても、災害を受けた方 一個人の大変さ、そして心の傷に大小はつけられないと思ったのです。そんな時、この記事を見つけました。【つなごう希望:東日本大震災・宮崎から 新燃被害の高原町も支援】新燃岳の噴火で降灰被害が続く高原町は18日、全国から届いた支援物資の一部を被災地へ発送した。町はマスクや保存食など全国から支援物資を受け、旧高原中学体育館や7避難所に備蓄していたが、共助の精神に立ち、緊急に必要なものを発送することにした。支援物資は、マスク約20万枚や缶詰のパン約1600個、軍手、簡易カイロなど。陸自都城駐屯地の4トン車で福岡市に運び、空自基地から空輸される。日高光浩町長は「1分、1秒でも早く届き、被災者の生活のご苦労が和らいでほしい」と述べた。思わず、涙が出ました。日本は大丈夫だ、そう思いました。そして、宮崎への義援金もさせていただきたいな~と、微力ながら思っています。
2011.03.19
東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、救助されている自衛隊はじめ多くの皆様に感謝申し上げます。まさか日本でも!というのがニュースを知った瞬間に思った事でした。それでも、まさかこれほど大きな地震とはその時は思いもしませんでした。クライストチャーチの地震では、自分のよく知る街ということで、変わり果てた街並みに大きなショックを受けたばかりではありますが、今回は、まるで映画の中のような、現実に起こっていることのように思えないほど、ただ、その恐ろしさだけが時間が経つとともに大きくなってきています。二次災害も怖いです。 もう地球上のどこも 本当に安全という場所はないのだと思います。今は無事な私達も 治に居て乱を忘れず、大事に備えておかなくてはなりません。そして、できる人が出来る事で助け合っていきましょう。どうか少しでも早く、一人でも多くの方が救出されますように。
2011.03.12
千葉に住む大学時代からの親友 Makiちゃんからメールが届きました。「picchuちゃん お願いきいてくれる? 図々しいのを承知で、単一電池を八個送ってください!」図々しいだなんて、私達 大の親友じゃないの!!!電池ぐらいでお礼だなんて言わないで!!!*私は微力です。 被災者の皆さんの為に何もしてあげる術がない。ですが私なりに、2月22日以来、そして3月11日以来、今回だけは真剣に考えてきました。私にできること。祈ること? 義援金? ボランティア? 節電? それも とても大切なこと。だけど、それだけでいい? picchuko?戦後 最大の国難に直面している日本と、ニュージーランド最悪の日を体験したクライストチャーチ。所縁ある2つの大切な国で、立て続けにこのような大きな震災が起こったということは、私のこれまでの生き方を問われているように思いました。ずっと楽な方へ易しい方へと流されてきた私。安っぽい誘惑に負け続けてきた私。小さな我欲に捕らわれっぱなしだった私。阪神淡路大震災の時に決意したはずだった。 もっと真剣に生きることを。なのに、それでも これまで甘い自分に流されてきた私。失われた多くの尊い方達へ、本当にごめんなさい。今度こそ、あなた達の為にも、日本の為にも、世界で出逢った沢山の愛すべき方達の為にも、生きる価値のある私になります。これまで勉強や資格試験から逃げてばかりだった私ですが、これを機に、日本にとってプラスになる自分、世界に役立つ自分となる勉強を始めたいと思います。自分の為ではなく、愛する人、大好きな街、大切なもの全ての為に。夢なかばに、命を失くされた方達の為にも。また、次回の旅はグアテマラのティカル遺跡へと計画しておりましたが、延期することに致しました。その為に貯めたお金は、自己啓発用の教材と、困っている友人達への支援、そして、東日本大震災で被災した方達とクライストチャーチへの義援金に使おうと思います。ですから、これを読んでいる私の大切な友達へ。困っている時は私に連絡をください。遠慮なんてしないで!小さなことかもしれませんが、何か一つでも力にならせてください。被災者の皆様にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた沢山の方達のご冥福をお祈り申し上げます。*ある女性の涙が忘れられません。涙を呑み、悲しみを押し殺しながら「家も民宿も何もかも流されてしまいました。 だけど、生きているだけでいいです。」彼女の顔と言葉が忘れられません。<お知らせ>この記事より、コメント欄と掲示板への書き込みができないように致します。皆さまからのコメントはとても楽しみでしたし、勉強になるのですが。気ままにブログは続けていきますし(メキシコ旅行記も途中ですし、、、^^)、皆さまのところにもお邪魔させて戴きますが、お返事を書く時間を勉強に廻したいと思います。今まで本当にありがとうございました。けれど これまで通り、どうぞ仲良くしてくださいね。^^そして、何かありましたらメッセージ欄からメールをくださいね!何卒、宜しくお願い申し上げます。
2011.03.11
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