日本語はダメか2

日本語はダメか2

2009.01.26
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 生徒さんの一人が立っていた。
「大丈夫でしたか?」
「え? 何?」
「あたしが出てくる時は雪が降っていたのです、F市では」
「ほう、雪ね」
「そうなんです。なのに、こちらに来たら太陽が出ていて」
「ワシの方は雨だった」
「ほんとに、今は大変ですね」


 彼女は書き始めてまだ日が浅い、というのに、なかなかの作品を書く。周りの生徒さんもつい、「ウソでしょ?」「長く書いているんでしょ」などと冷やかすくらいに。

 そんな履歴なのに、09年度のF市文学賞佳作に入った。

 毎月提出する作品にも期待が持てる魅力が詰まっている。が、まだ観察が浅い、文章に切れ味がない、描写の掘り下げが足りない、語彙の不足、などの課題も多い。
 ここが<佳作>で止まった修行の浅さ、かも知れない。

 これらは書き続けることによって進歩するものなのかどうか。
 天性のもの、などと断定してしまうことは出来ないが。

「題材と文章」あるいは「目線の定め方・絞り方と文章」。
 体験、思考、観察、感性、読書、見聞などを通して、その作者ならではの「視線」「哲学」を以て作品に「形」をつける、「魂」を入れる……。

 作者と読者はまた恋仲の関係である。

<恋人>を「読者」と想定して書く手もあるかも知れない。そのヒトだけには読んでもらいたい、との祈りをこめて。<恋人>がいなければ、仮の恋人を熱く設定しよう。今いるなら、その人のハート

 だからと言って、褒められる、甘い言葉が欲しい、などとさもしい期待を持ってはならぬ。だから、想定する相手を選ぶのも、「書くワザ」の一つに入ってくる。 
 高校時代の国語の先生でもいい、幼稚園の時の同級生でもいい、今も気になる初恋の人でもいい、誰かを「読者」と想定して書き続けてみよう。

 ひょっとすると、自分の中にいるもう一人の自分をはっきりと見据えて、構えて、書くこともいいかもしれない。
 文句を突きつけたいヒト
 作品を担う言葉は、単純な怒りや悲しみ、歓喜や逡巡からは生まれない。登場して下さった人物を通して、「その場」「その場」を分担させ、組み合わせて生かして行こう。

 当方の声調も抑揚も表情も仕草も伝わらぬこのような言葉を並べる恥ずかしさ、むなしさ。
 夜は寒い。



       旅寝する夢路は許せ宇津の山 関とは聞かず守(も)る人もなし
                        (新古今 藤原家隆朝臣)


 また旅の空の下にいるこの身。寒い。腹も空いた。
 だから、好きな人を思いやって胸を掻きむしるくらいのことは許してくれよ。
 それに、ここには関があって、「思い」を見張ったり交通整理したりしているわけでもないのだし、お役人・お節介人が差配する縄張りがあるわけでもないだろう、な、思うのは、想像するのは自由だ。
 関がある、と万一譲っても、そこを守る係もいないんだから。
 いたとしても、深い居眠りをむさぼっているじゃないか。
 さ、今の内に、届けよ、我が思い。

(旅寝する夢路は絶えぬ須磨の関 通ふ千鳥の暁の声   拾遺愚草 藤原定家)を意識して詠まれたようだ。

  もともとの  本歌  駿河なる宇津の山辺のうつつにも
                    夢にも人に逢はぬなりけり

「宇津の山」は「駿河国」の歌枕。「鬱」も掛けているか。夢の中でも現実にも、あのヒトに逢えない、なんて悲惨だなあ、気の毒だなあ。


 今日、出かける先での話はしょんぼり重い。
 せめて、パソコンの上で夢でも見よう、ベッドに潜り込む前に。世間を忘れて。
 でも、ダメだよ、おタクになってしまっては。生身の人間が怖い、などと言ってはいけない、山本君。













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最終更新日  2009.01.26 02:51:46 コメントを書く


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