日本語はダメか2

日本語はダメか2

2010.06.23
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 と人気になっている(日刊ブログウォッチ livedoor ニュース)。


 エースとしてのこだわり、考えを、素人のファンに対して真摯な文面で答えている。

ハートダルビッシュ投手、楽天のエース・まー君をもっと応援したくなった。

 素人の江川さん(オーム事件を追及)の「(批判的な)反応」に対して激怒した張本さん、というニュースも巷間を賑わしている。番組から降ろそうとしている、と。


しょんぼり自分も気を付けよう。
 自分と意見が違ったからと言って立腹してはならない。


 ある新刊の絵本を二冊朗読した。「こちら、『読み聞かせ』などを『正式』に学んだわけではないが」と前置きして。
 好評をもって受け取ったレポートもあった。

 が、先のレポートは続けた。怒ってる「その上、感想文まで書かされた。読み聞かせのとき、子どもには感想文を書かせたりしない」と。
怒ってるこちらは、子どもを相手に喋っているのではない。
「司書資格取得」を目指して学んでいる学生のために、必要な「融通性」「多様性」「応用性」を身につけて欲しい、と思って話している。表面から見えるもの・分かるものだけを学ぶのが「資格取得」ではない、と思っている。それを求めて組み立てている。

「読み聞かせ」に絶対のテクニックなどあるだろうか。
クール一応の基本はあっても、要は、語り手の受け手の関係だろう。
 様々な方法があることを知ってもらおう、模索しよう、と暗示して行ったことだ。

 必要な科目を履修して単位をそろえればウィンク「司書」である、というわけではない、と。
「読み聞かせとはこうである」などという「絶対」など、どこにあるだろう。「授業とはこうである」などという「絶対」がどこにあるだろう。

 まるで「無駄なことを」と言っているようにも取れるレポートの内容だった。

星
「読み聞かせ」とは、怒ってる押しつけることではない。相手の心の中にある感性に刺激を与えることだ。
 単に「読み方が下手だった」というのなら、書き方がもう少し違うだろう。
 いや、それを直截に言えないから、原稿用紙7枚も必要としたか。

「司書は、引用する文献を必ず明示する」「司書は自分の意見を言ってはならないと学んだ」ともレポートに書いてあったが、では、こちらの発言も「どこそこの本に書いてあった」と言わなければならないのか。
しょんぼり怒ってるこちらは「司書」ではない。
 様々な本を読んで、それを自分の考えで組み合わせ、加除し、さらにこちらの思想・体験を付加して、その上で話している、伝えている。
しょんぼりなんだか「司書」を「特別」と見過ぎているような考え方のレポート。
「司書という仕事を聖職ととりすぎてはいけない」ともすでに話してあったのだが。

「その発言は、どこに書いてあったか」あるいは「『資料特論』というワクから外れている」と要求され、指摘されたようで、不快な印象が残ったままだ。
 君は「ワク」が頼りのようだね。

電話本を書く著者も、様々な所から援用した資料の上に自分の考えを付加して作成している。純粋で完全無欠な独自性、などをどこに求められるだろう。「この意見はどこそこの本の何ページ」「この考えはどこそこの資料の何ページ」などと「証明」しなければ執筆・発言はできないのか。

 これだけの文章を書くことが出来たから、この生徒のレポートも役にたったのか。
 これだけのレポートが書けたから、こちらの「反面教師」も役に立ったのか。





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最終更新日  2010.06.23 07:17:25 コメントを書く


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