日本語はダメか2

日本語はダメか2

2010.06.24
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 原稿は消えた。

 やれやれ。

 どうもレポートの中味が頭から離れない。
 特に「なぜ資料特論の授業なのに思想善導についてのレポートを書かなければいけないのか」という記述は不穏な響きがある。

 学ぶと言うことは、すべて全体との関係性の中に存在するのであって、「資料特論」が切り離されてあるわけではない。「図書館の自由に関する宣言」の中にも「思想善導」の黒い波に襲われた図書館の先輩達の反省が述べられているのだ。

 いつも学生達に伝えている。
 自分の能力を低く見るな、と。
 自分の得意なものを発揮していれば、どこで誰の目にとまるかも分からないのだから、と。


 その延長線上で、「文章教室の生徒さんが童話に絵を描いた。回してみんなに見てもらえばいいのだが、……ここで読みます。本格的に学んだわけだいが。読み聞かせの授業ではない、この絵の作者にみんなの感想を届けたい」と前置きして読んだ。

 多くのレポートは一枚。
 一枚でも良いから、と言った。
 絵本の感想が純粋に記されていた。

 問題のレポートは……。
『なんのための読み聞かせ?』

 これはこちらに言っているのか。一般論として使っているのか。

「普段子どもに読み聞かせボランティアをしている立場として、先生の読み聞かせには違和感を覚えました。専門でないから読み方がへただというのではありません。それ以前に、なぜあの絵本の読み聞かせをし、感想文を書かせるのか疑問に思いました。」
 原稿用紙の一枚目にそう書いてある。
 こちらの問題提起を全然無視している。

「わたしは司書資格を取得するためにこの学校に通っています。二ヶ月半いろいろな授業で繰り返し言われるのは、『司書は必ず出典を明らかにして利用者のサポートをする』ということです。決して自分の知識で答えてはいけないし、自分の考えではなく『○○の本にこう書いてある』と典拠を示すのが最も重要なのです。



 ボランティア症候群のような頭。
 こちらは司書ではない。

 選んだ本についてどこがどう間違っているというのか。
 無名な本など取り上げるな、ということか。


 原稿用紙三枚目。「……一般の書店でも入手不可能のカルチャーセンターの生徒が自己満足でつくった絵本を読み聞かせても、子どもと本を繋いだことにはなりません。」

 ここか、言いたいのは。
 でないとしても、随分と高飛車な視線の持ち主であることよ。君は何様? 本を選ぶ目にそれほど自信を持っておいでか。

「……子どもであっても読書はプライベートな行為です。司書は学校の先生のように指導するのが仕事ではありません。」

 こちら、一応学校に勤めている。

 五枚目の原稿用紙。「以上のように、今回の感想文にはよいことは一つも書けませんでした。ただ、先生が最も悪い司書の見本をわざと見せ、それを指摘させるのが目的なら、とてもいい例だったと思いました。また、先生が感じたように感じろという思想の押しつけであれば、なぜ資料特論の授業なのに思想善導についてのレポートを書かなければいけないのかという疑問が解決します。司書は自分が全面に立つ職業ではなく、主役は利用者であり本であることを忘れてはいけないと改めて考えさせるために、先生が反面教師になったのだと思いました。」

 選書論から読み聞かせ論から子どもに感想文を書かせる是非、などなどが放り込まれている。そのどれについても、この学生と話し合わなければなるまい。

 が、こちらの求めたことに答えることをまず学ばせよう。

 書き直し。
 応じなければ、単位認定は出来かねる。

 ピントのぼけた喧嘩を売られても。

 C文学賞『はるゆりの唄』についても、意味不明な喧嘩を売られた(上の学生は、そんなローカルの賞など、と言いそうだな)。
「遊女、問わず語り、方言……あたしが書いている物と重なるのですが」と言ったU女史、新聞に掲載された受賞作を読んで、もう一度意見を述べなさい。
 そういう骨組みは似ていても「文章・描写・構成」が違った作品が出来を競っているのです。
「結婚・不倫・逃亡……あたしの書いている物と重なるんですけど」と世界中のどの作品にいちゃもんをおつけか?








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最終更新日  2010.06.25 05:24:11 コメントを書く


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