日本語はダメか2

日本語はダメか2

2011.03.03
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カテゴリ: 共生意識


しょんぼりニホンジンなら、かなりの関心を寄せるところだろう。
「八百長」「八百長」と言葉が疾走するが、「八百長」と「八百長でないもの」との間の線引きはどのようなものだったのだろう。
 相撲は、本来、経世済民を願う神事だった。普通の考えでは処理しきれないものを含んでいた。
「闘争」「殺し合星い」を模して神にささげ、祈りと反省を深めた。
200キロ300キロ400キロの肉体が「本気」でぶつかりあったら、どうなるか。
 それを、現在なら15日間、繰り返す。
相撲にまつわる話が数編おさめられている。
「相撲人」がいかに人間離れした<つわもの>であったか、を語っている。近衛府の役人によって、全国津々浦々から集められた。

 ふと思ったことがある。
「雛祭り」の雛たちは、当然「ニンゲン」を模している。なぜか。
 これも、ある種の神事、形式であったのではないか。
 これまでの部族に代わって新しい部族が政治を治めることになった。権力の座にあった階級は、追放か皆殺し、……というところ、精巧にできた「雛たち」を新権力者に納めることによって「無血の交代」の儀式とした……。のちに、それをデフォルメして再生し「飾り立て」て罪滅ぼしをし、鎮魂の祭りとした……。

「八百長」と言わず「情け相撲」といった、と山本監督が話していた。
「相撲」には、「興行」「祈り」「芸能」「形式」「代替行為」などの要素が色濃くからまっているのではないか、もとより「スポーツ」を標榜しているのだが。


 少なくとも、「自然との対立」よりも「自然との共棲」を選択してきたわれわれ民族は。
 あいまいさ、いい加減さ、陰影の濃さなどなど、本来獰猛な二本脚が互いに生き抜くための、一種の「約束事」とも言えるのではないか。
『陰翳礼讃』『陰翳礼讃』

 相撲協会は、どこまで踏み込む「覚悟」か。

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最終更新日  2011.03.03 09:56:47 コメントを書く


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