日本語はダメか2

日本語はダメか2

2014.09.18
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『路傍の草』
 寺田寅彦

     六 藁が真綿になる話

 藁わらにある薬品を加えて煮るだけでこれを真綿に変ずる方法を発明したと称して、若干の資本家たちに金を出させた人がある。ところがそれが詐偽だという事になって検挙され、警視庁のお役人たちの前で「実験」をやって見せる事になった。
 半日とか煮てパルプのようなものができた。翌朝になったら真綿になるはずのがとうとうならなくて詐偽だと決定した。こんな話が新聞に出ていたそうである。新聞記事の事だから事がらの真相はよくわからない。ただこれに似た事があったらしい。
 こういう現象は古今東西を問わずよくある事である。何かしらうまい神秘的な金もうけはないかと思って捜している資本家の前に、その要求に応じて出現するものである。悪魔でも呼び出さない人の前にはそう無作法には現われない。
 欺くほうもあまりよくはないが、欺かれるほうもこの現象の第一原因としての責任はある。もし現代の科学を一通り心得た大岡越前守おおおかえちぜんのかみがこの事件を裁さばくとしたら、だまされたほうも譴責けんせきぐらいは受けそうな気がする。

 しかしそんな事は自分の問題ではない。ただちょっと考えてみたくなる事が一つある。
 警視庁で実験をやり始め、やりつつある間のその人の頭の中にどんな考えが動いていたかという事である。たとえそれまではパルプと真綿をすりかえる手品をやっていたに相違なくとも、その時には、やっているうちに、もしかするとほんとうにパルプが真綿に変わるかもしれないという不可思議な心持ちを、みずからつとめて鼓舞しつつ、ビーカーの中をかき回していたのではないかという疑いである。


 うそもしょっちゅうついているとおしまいには自分でもそれを「信じる」ようになるというのは、よく知られた現象である。いろいろな「奇蹟きせき」たとえば千里眼透視術などをやる人でも、影にかくれた助手の存在を忘れて、ほんとうに自分が奇蹟を行なっているような気のする瞬間があリ、それが高じると、自分ひとりでもそれができるような気になる瞬間もありうるものらしい。幾年もつづけてジグスとマギーをかいている画家は、おしまいには生きたジグスとマギーの存在を信じて疑わなくなるだろうが、それと似た頭の迷いが起こりはしないか。

 ビーカーのパルプが真綿に変わるまでの途中の肝心の経路も考え方によっては、ほんのちょっとした事のように思われるかもしれない。そのちょっとのところに目をふさいで見れば、確かに藁わらが真綿になるに相違ないのである。山の芋が鰻うなぎになったりする「事実」も同様である。だんだんにこの「事実」に慣れて来ると、おしまいには、そのいわゆる「ちょっとした」経路を省略しても同じ事になりそうな気がするものではあるまいか。頭の冷静な場合にはそんな事はないとしても、切迫した事態のもとに頭が少し不透明になった場合には存外ありそうな事だと思う。
 この事件は見方によっては頭のよくない茶目のいたずらとも見られる。しかしまた犯罪心理学者の研究資料にもなれば、科学的認識論の先生が因果律の講釈をする時の材料にもなりうる。
 因果をつなぐかぎの輪はただ一つ欠けても縁が切れる。この明白な事をわれわれはつい忘れたりごまかしたりする事がある。われわれの過失の多くはここから来る。鉄道や飛行機の故障などもこういう種類に属するのが多い。綱紀紊乱こうきびんらん風俗廃頽ふうぞくはいたいなどという現象も多くはこれに似た事に帰因する。うっかりこの下手へたな手品師を笑われない。

(大正十四年十一月、中央公論)
(行開け、引用者)

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最終更新日  2014.09.18 05:24:55
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