昭和 PLAYBOYS

昭和 PLAYBOYS

February 15, 2006
XML
カテゴリ: ヴィンテージ車



まだ鈴鹿サーキットしかなかった1960年代半ば、富士よりも早く

関東初のレース場 {伝説の船橋サーキット} が誕生した♪

記念すべき全日本自動車クラブ選手権、開幕戦、通称CCCレース

(1965,7,18)は中止された日本GPに替わる、

65年随一のビックイベントとなった!

最終GT-Iレースを沸かせた終盤の首位攻防戦は雨天の中、観客を総立ちにさせた!トヨタスポーツ800にてGT-1クラスに参戦した浮谷東次郎が途中でクラッシュするもピットでの応急処置後に追い上げ、
生沢徹 を抜きついにトップに立ち優勝する。

「現船橋オートレース場の場所に確かにありましたね。私の幼年期の船橋大娯楽場といえば船橋ヘルスセンターと谷津遊園地でした、遊覧軽飛行機の事故での中止、滑走路の跡地をレース場に変えたようです。その後ヘリコプターだけは一人¥5、000位で乗れたのを覚えていますけど。。。」

今回は千葉県は市川市出身、童顔メガネのおぼっちゃま、速すぎた伝説のレーサー、
浮谷東次郎(1942~1965) にスポットを当ててみよう。

中学3年生の夏休みに50ccのバイクで市川~大阪を往復した体験記 『がむしゃら1500キロ』 で知られる。その後独力でアメリカに留学し、帰国後はトヨタの契約ドライバーとなる。「当時初任給1万円程度の時代、ドイツ製のバイクを中学生に買って貰える相当裕福な家庭に生まれましたな~?元々裕福でなければレースはできませんけど。。。人に聞いた話では市川市一帯の大地主の家らしい。なるほど。。。」

1965年5月30日の第2回クラブマン鈴鹿にてGT-1,T-2の2クラスを制覇。
同年7月18日 第1回全日本自動車クラブ選手権でも 同クラスを制覇。
toji4.gif
この出来事は 日本の自動車レース創世記の「奇跡のダブルウイニング」
として今でも語り継がれている。。。

また、日本におけるモータースポーツ創生期を支えた 本田博俊(無限) ・ 林みのる(童夢) や生沢徹、式場壮吉、福澤幸雄、杉江博愛 (現:徳大寺有恒) らドライバーや技術者とは友人かつライバルであった。鈴木亜久里の父も顔見知り。
( 本田宗一郎 に「あなたの息子の博俊さん(無限代表)と知り合いに成りたいのですが」と手紙を出したのがキッカケらしい。)

本田宗一郎と「昭和の男」たち

浮谷東次郎

当時は日本人で一番F1に近いドライバーと言われていたが、1965年8月20日に三重県の鈴鹿サーキットでの練習中、コース内に入りこんだ人物を避けようとして事故を起こし、翌日脳内出血により23歳の若さで没した。プロレーサーとしての活動はわずか2年足らずであったが、いまだ語り草となる人物である。
「まるでJ・ディーンのように絶頂期に栄光だけを握り締め、散って行ったカーキチ男でした♪」

明日への全力疾走(フルスロットル)

俺様の宝石さ

チョロQ トヨタ スポーツ 800 No.20 浮谷東次郎車

チョロQ トヨタ スポーツ 800 No.20 浮谷東次郎車


e-shops


ポちっとThank you♪Thank's Click!








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  March 4, 2006 03:42:55 PM コメント(2) | コメントを書く
[ヴィンテージ車] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: