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2006.03.04
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テーマ: 日本の歴史(1072)
外宮



はじめから(天皇家の)皇祖神・天照大神を祀った神社が、伊勢に建てられたわけではありません。
天照大神は半世紀もの間各地を転々と移動した末に、現在の伊勢の地に祀られることになったのです。
そのきっかけとなった記録が、日本書紀に見られます。


日本書紀の記述をまとめると、次のようになります。


祟神天皇の御代、疫病が流行し、国民の半数が死ぬほどであった。
そこで天照大神と大国御魂神(おおくにみたまのかみ)の二神を、天皇の宮内にお祀りした。

しかしその二神の勢いを畏れ(二神の仲が悪かったとの説も)、再び宮外に祀ることになった。
天照大神は豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に、大国御魂神は渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に託して祀った。


外宮・鳥居





大物主神を敬い祀れば国はよく治まるとのご神託があった。
しかしその後も変化はなかった。
祟神天皇の御代の災いは大物主神の祟りであることがわかり、大物主神の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主とした。
そこで初めて疫病はおさまり、国は鎮まった。


また、上記の大国御魂神を祀った渟名城入姫命は「髪が抜け痩せこけて」神を祀ることが出来なかったと書かれてあります。
大国御魂神はその後、長尾市という人を祭主にしています。


大神神社



天照大神のことは後述するとして、日本書紀の上記のような記述は何を意味しているのでしょうか。

大物主神がはじめ鎮まらなかったことや、渟名城入姫命が大国御魂神を祀ることが出来なかったことに、私は注目しています。
神道は元々、先祖崇拝から発展したものとも言われています。

大国御魂神については諸説あるのですが、本居宣長などによれば「大和」という地の神であると言われます。
大物主神も、大国御魂神も、天皇家の人物では祭主として務まらなかったということではないでしょうか。


九州からの日の神、出雲系の神、そして大和の地主神。
そしてそれらを祖神とする、天皇家と有力氏族たちの勢力バランス。

大物主神は三輪山に、そして大国御魂神は大和神社(おおやまとじんじゃ・天理市)に祀られました。

天照大神は前述のように、豊鍬入姫命が御杖代(みつえしろ)となって宮中を出ました。
はじめ大和の笠縫邑(かさぬいむら=現在の桧原神社と伝えられています・桜井市)に祀られた天照大神は、その後は丹後、吉備、淡海、尾張、伊賀などの地を巡幸します。




皇祖神を祀る神社が、なぜ伊勢なのか。
ずっと疑問に思っていました。


なぜ皇祖神である天照大神が巡幸の旅にでることになり、伊勢の地に鎮座することになったのか。

「元伊勢」という伝承が残る地を訪ねながら、その謎について考えてみたいと思います。






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Last updated  2006.03.05 07:32:47
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