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国際弁護士の石角完爾さんが書いておられた。ニューヨークにある北米最古のシナゴーグ、シェリルイスラエルは1654年建立された。ここの名誉ラビであるマーク・エンジェル氏から聞いた話だという。バベルの塔の物語には一般に知られた解釈と別の解釈がある。ノアの洪水の後人間が天にも届く高い塔を築き始めたのを見た神様が人間の思い上がりに怒り人々の言葉を混乱させて建築を中止させた。これが一般的な解釈。これに対して別の解釈は。神が人々の言葉を混乱させた点を強調する。塔が建設される頃の社会は誰もが1つの言葉を話し1つの価値観に統一されてた。誰もが中央集権にひれ伏した全体主義で中央集権的世の中だった。神はそのような人間を嫌い言語を混乱させることによって人々の考えや価値観に多様性をもたらし、人をして個の尊厳と議論の大切さに目覚めさせた。疑うことも考えることも議論することもなしに権力者の命令に盲従してバベルの塔の建設にいそしむ人々。神様はこういう傾向を嫌った。というのである。私流に考えれば、バベルの塔を築くくらい建築技術が発達した世の中になれば多様な価値観が生まれてくるだろうし 人と同じ生き方などしないだろう。 石角完爾さんは60過ぎてユダヤ教の試験受けてパスしユダヤ教徒になられました。その後奥様もユダヤ教に改宗されました。 日本人でユダヤ教の試験にパスする人は10年に一人いるかいないかです。外国人も同じだそうです。 石角さんの苦労も大変だったけどつきあったラビのヘンリー・ノア氏の苦労も大変だっただろな。 病院についていって医師が割礼の手術するのまでずっとつきあうんですからね。 試験は論述試験、口述試験、最終試験と3回あります。20問の問題を一か月に1,2問づつ出されA4の紙に回答書いて提出してラビの評価を受ける。その後ラビと議論する。ヘブライ聖書の内容やユダヤ人の歴史などきかれます。イスラエル憲法における国籍法について述べよ。とか専門的なことを聞かれます。 日本の国家一種や司法試験よりよっぽど難関菜試験を受けたあと割礼の激痛を乗り越えないといけません。その後「バスジャックに遭った。ユダヤ人から殺す手をあげろと言われたらあなたはどうしますか、、というような質問をえんえんとされ全部パスしないといけません。 最後にミクベーと呼ばれる水浴の儀式があります。 男女とも一糸まとわぬ全裸になります。生まれた状態になり羊水から出てくるんですからね。 石角さんは東京に近い海岸でミクベーを行いラビのノアさんも海に入りました。完全水没を2度行ったが真冬だったので大変な思いだった。 女性の場合は室内で行う場合は男性ラビはドアの外に立ち海でおこなう場合は後ろ向きになって全裸を見ません 石角さんのあと奥様も改宗されたのですが。ニューヨークでラビの教授から個人教授を2,3日に一回受け半年かけてユダヤ教に改宗されました。 奥様も海に飛び込んで大変だった。その後ユダヤ教の結婚式をされたそうです。ユダヤ教徒の試験にパスすると世界中のシナゴーグへ行って「ユダヤ人」と言うだけで入れてくれるそうです。 相手がユダヤ人だと配偶者は比較的ユダヤ教徒に改宗しやすいのですが今日、ユダヤ人同士結婚するカップルは半分もいなくて配偶者がユダヤ教徒になる例は5%だそうです。ユダヤ教徒になる試験2 悪いのは誰?今まで真面目に勉強してきた学生が、ふと通りかかった家に鍵がかかっておらず ドアが少し開いてたのでつい出来心が生じて物を盗んでしまった。この学生は警察に捕まり裁判にかけられたが「つい出来心で」という弁解は裁判で通らない。学生は有罪になり大学退学処分になって就職もできず心がすさんで今度は本気で盗みに走るようになった。この学生の犯罪で沢山の人が物を盗られる被害に遭った。もし最初の家の人が鍵をかけていればこの学生は道を踏みはずすことなくまっとうな人生を歩んでいたかもしれない。 一体誰が悪いのか。「神の目から見たら誰でしょう?」ラビから聞かれた。ヘブライ聖書のノアの方舟の話ノアの方舟には男と女。動物も雄と雌一匹づつを乗せられた。 最後に善が方舟に乗ろうとしたとき神は「カップルでしか乗せない」と善の乗船を拒否された。そこで善はもう一人の善を連れてきたが神は「善と善はカップルでない。」と言われ乗船を拒否された。やむなく善は大嫌いな悪と手をつないでやってきたところ神は乗船を許可された。 善と悪は別々にいない。いつも一緒にいる。ノアの方舟にはカップルでしか乗船できなかった。 善と悪、苦と楽、福と禍。富と貧、矛盾する2つが常に一緒にいた。 善人と悪人が同じ顔してることもある。悪魔が善人の顔をし善人が悪魔の顔をしてる場合もある。
2015.04.06
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子供の頃、若草物語、、小公女、クオレとか児童文学を読んだけど、どれよりも圧倒的に印象的なのが「アンネの日記」だった。やっぱりフィクションよりノンフィクションである。隠れ家の住人8人のうちオットーフランク氏以外はことごとく絶えてしまった。ペーターもペーターのお母さんもドイツの敗戦頃まで生存したらしいが何故か生き残れてない。不思議なものを感じる。アンネのお父さんが死に、別の人が生き残った場合あの日記は世に出たであろうか?歯科医のデユッセル氏の妻と息子は最初オットーの取材に協力的だったけどアンネの日記が夫の悪口だらけだったのを知ってから気分を害し死ぬまで会おうとしなかった。アンネのお母さんやお姉さんが生き残っても妹の日記を抱いてアムステルダム中の書店を回って売り込む執念などあっただろうか?何も行動しなかったのでは?日記はファンダーン家の悪口だらけなのであの家の人が生き残ってたら出版にさしつかえたと思う。オットー氏は太陽みたいな人で彼が居るだけで部屋がぱーっと明るくなったという。アンネは父オットーの結婚前の恋愛について異様に関心を持ち父が何故大失恋したのか?しつこく知りたがってオットーは困ったという。相手の女性の家のほうが大金持ちで上昇気流なのに比しオットーの家は斜陽だった。父の失恋の痛手にこれほど関心があるとは。将来作家希望だったからだろか?アンネは日記にクラスメート全員のことを書いていた。「Bはいい人です。勉強がとてもよく出来ますが、がり勉してるのであって頭がいいわけではありません。彼女はxxシュトラーセというとこに住んでるけどアムステルダムのどこにあるのか誰も知りません。身なりが悪くて、もしかしたらひどい地区かもしれません」このクラスメートが一番先にクラスから消えナチス犠牲者第一号になった。アンネに大嫌いなライバル少女が居てこの人のことはぼろんちょんに書いていた。しかし二人はベルゲンベルゼンで再会した。この少女ナネッテは骸骨みたいにやせ細ったアンネを見てショックを受けたという。戦後オットーはこの人を訪ねて娘の様子を詳しく聴いて帰った。2歳年下なのに飛び級しててクラス1よく出来る少年が居た。この少年は生き延びて戦後一番乗りで復学してきた。アンネがベタぼれして結婚したがってた美少年ペーターベッセルはアウシュビッツで死去してしまった。隠れ家生活してた時、野菜を安く売ってくれる八百屋さんが居たがある日秘密警察のトラックが止り中からユダヤ人二人を引きづりだし八百屋さんも連行されてしまった。一部始終を目撃してたペーターは泣き伏した。「僕は卑怯だったんだろうか。八百屋さんの庭にキングサイズのパジャマが干してあってどう見ても小柄な八百屋さんのものでない。ユダヤ人を匿ってるのがばればれだった。僕は八百屋さんにパジャマを干さないよう忠告したかったが自分の存在を悟られたくなくて黙っていた」オットー氏は学校時代アメリカのメーシーズ百貨店のオーナー一族と同級だった。その縁で若い頃ニューヨークのメーシーズで働かせてもらっていた。戦後生還したオットー氏にこの友達が送金してくれた。オットー氏はそのお金で孤児になったアンネの友達リースと妹の世話を焼き学校に行かせてくれたという。収容所でオットー氏と一緒だった男性が語っていたが。「ある日フランク氏が言うんです。君、私のことをパパと呼んでくれないか」私は驚いて拒絶しました。「貴方のことをパパなんて呼べませんよ。僕には父親がいてもし生きてたらまだオランダで隠れ家生活してるはずです」すると彼は「私は君のためにパパになりたいんじゃない。私のためにパパと呼んで欲しいんだ。私は誰かのパパをしてないと生きていけないんだ」オットーは滑稽なくらいアンネを可愛がってた。アンネもパパが好き。ママは嫌いと言って母親を悩ませてた。オットーは父性愛というかパパ性愛が洪水みたいにある人だった。もしペーターが生き残ってたらペータのためならエーンヤコーラでペーターを可愛がったと思う。アメリカで理想的な父親コンテストをした時、オットー・フランクが一位に輝いてた。https://www.youtube.com/watch?v=FnaoxdqLNmA アンネの憧れペーター・シフオットーがアウシュビッツで生き残れた理由は知り合いの不動産業のユダヤ人マックス・ストッペルマンがブロック長でやさしくしてくれたからです。マックスはオランダでオットーと知り合いだったのです。その男が手配してくれて病院に入れてくれた。ペーターがマウトハウゼンへ移動の前日オットーのとこへきて「マックスのそばを離れないから心配しないで」と言って別れたのです。だけどマウトハウゼンで生き残れてないのを見るとマックスと離れちゃったんだと思う。マックスはどういう事情か知らないけど収容所で力を持ってたのですね。1945年3月ごろアンネとマルゴットは相次いで亡くなった。 姉のマルゴットはベッドから落ちて亡くなり アンネはバラックの外の汚物だらけの水たまりに顔を突っ込んだ状態で死が確認された。アンネは渇きに耐えられず汚物だらけの水を飲もうとしたのだろうか。もう一月英軍が到着するのが早ければアンネは助かってたかもしれない。 アンネとマルゴットの死体を穴に運んだブランデス・ヤニー ペーター彼女からアンネが汚物にまみれた水たまりに顔つけて死んでしまったと聞かされた時、オットー・フランクはどう感じただろう?オットーはヤニーの家にアンネとマルゴットの最後について聞きにきたという。歯科医のプフェgファ氏ペーターの父
2007.08.14
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