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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)今日は久々に自分の団体のセミナーに参加してきた。内容は「パラダイム・フレーム」「んんん??」と思う人もいるはずなので、簡単に説明をいたします。「人は自分の価値で物事をとらえている」あぁ、簡単だ。でも、本当にこういう内容。「それは個人の見方があって当然だろう」と感じるであろう。では、なぜこの内容をセミナーとして行うか?それはネガティブなフレームをかけている人がたくさんいるからである。フレームは様々なことがあるが、例えば、・○○という経験は失敗だ・邦画は面白くない・女の子との可愛いはあてにならない・自分の夢は実現しない・Pochiはダメ人間だ・Pochiは才能がない・Pochiは神ではないなどと、悪い方向にフレームをかけてしまう。これでは成長が存在しない。これが、例えば、・○○という経験は自分を成長させる・邦画も思考を豊かにしてくれる・女の子は友達をとても大切にしている・自分の夢は困難だが、実現のために行動することはできる・Pochiは神であると、自分の捉え方を改善すれば、次への活力となるはずである。また、フレームには効果的な役割を持つ。先に例題を挙げよう。「今から、とってもスタイルの良い子が話をします」「○○という漫才師のボケの方は面白い」「このラーメン屋のスープが美味しい」「Pochiという人間は相手の心理を読む」という具合である。これらの例は、先に特徴を述べることで、相手に焦点を絞らせ、効果的に伝え、興味をひくことができる。このような「フレーム」のかけかたは様々な場所、場面で使うことができる。皆さんも自分自身でフレームをかけることを意識して欲しい。私の周りでは・Pochiは優しくない・Pochiはよくサボる・Pochiは悪魔だ・Pochiは人の饅頭を食べるという悪しきフレームをかけている。早くみんなのフレームを改善してあげなければ、みんながきっと損をしてしまう。。。
2004年11月30日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)今日テレビをつけたらペ・ヨンジュ氏が来日したらしく、その時の混乱の様子が面白おかしく演出され、放送されていた。あのぺ氏を追う、少し年配の女性の方を見て「なぜ・・・?」と疑問に思った。一応若いとされている女性はぺ氏のことを好印象として捉えている人は0人である。あくまでも私の周りの女性を対象としているので、その信憑性は確かなモノとは言うことはできない。女性かどうか?人間かどうか?と言われたら、私は恐くて答えることができない・・・とりあえず、私より力持ちであることは事実である。さて、この人気を検証してみた・ドラマの影響・顔がカッコイイ・スタイルが良い・ブームにただ乗っている・目が悪いと様々な要因が考えることができるが、最も自分の中でひらめいた考えは「追っかけたい」という欲求が強いためだと思われる。若い女性は俳優やミュージシャンを追っかけていても変だとはあまり思われない。ただ、追っかけている人間、その人が変かどうかはここでは問題とはしない。ジャニー○とうはまさに、その際たるものである。しかし、若い人のなかにまぎれて、そうした対象を追っかける年配の女性はさほどいない。きっと周りの目と言うものを気にする傾向が強いのである。しかし、ぺ氏は別である。初めから年配の方がブームのきっかけを作った。つまり年配の方のモノである。だから、思いっきり追っかける。「最近の年配の女性=ぺ氏好き」という方程式が少なからず存在しているので、自分達を正当化することが可能なのである。逆に、自分達のモノではない若い女性には「若い女性=ぺ氏はあまり好評でない」という方程式が存在しているので、追っかけることができない。そこで否定を始める。自分が不可能であることに対して、人は否定するか、存在を認めないという形をとることが多々あるのだ。おそらくぺ氏のブームはこうした背景に支えられている。しかも、年配の方のほうがお金を持っているのも事実である。旦那さんは無いのにも関わらず・・・世の中の若い女性よ、ここで否定するのではない、ここに私という、いつでもマンマークでき、追っかけれる人間がいるのだ。いつでも追っかけて欲しい。素敵な笑顔を振りまこう。しかし、未だにブームが来ないのは、なぜであろうか?
2004年11月29日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)本日ドロケーをしてきました。「なんだ、ドロケーかよ。。。」と思う方もいるかもしれませんが、今日のドロケーで私は本当に素晴らしい経験をすることができた。どういう経験ができたのか?というと、・16名もの2005年度卒業生が参加してくれた・参加者と無邪気にはしゃぐことができた・みんながとても良い雰囲気で話をしてくれていた・怪我なく終わることができた・木の上で30分過ごした・ふぇんぶrbvんfんb(夜の公園らしき人たちを見た)などなど、様々な経験をすることができた。なぜ、これほどまでに興奮をしているのか?というと、実は。。。初めて自分で企画、立案、広報と中心となって行ったイベントだったからだ。これまでイベントは何度も関わってきたし、それに対してあれこれ意見を言うことはしてきたが、自分がイベントを起こしたことは実はなかった。開始前は緊張した。ストレスになることもなかったわけではない。でも、いつも自分が不利になる状況下におかれるとすぐ引っ込んでしまう自分の弱さを改善するため、そして、、、過去を追い越すため、今日、こうしてイベントを行うまでに行動をした。そして結果は、というと。イベントを主催者としてはボロボロであったと思う。改善点も多数ある。しかし、全ての参加者が私をバックアップしてくれたことが何よりも嬉しかった。GONN、さおっぺ、白兼くん、まちゅ~、あるふ、梢介、真弓ちゃん、ユッキー、徹ちゃん、もっくん、なよん、トモ、とみー、なつ、そして一緒にこの企画を行った大作。本当にありがとう。そして、私の不手際で迷惑をかけ、参加できなかった多くの仲間、本当に申し訳なかったです。このイベントに関わってくれた人、誰がかけていても、今日の素晴らしい経験はできませんでした。本当に素晴らしい経験をさせてくれてありがとう。今、心からそう感じてます。
2004年11月28日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)私はNPO団体を創り、それを運営している(↑とはまた別)。「どんな団体か?」と聞かれたら、「多くの夢を持つ学生が、いかに夢をつかむか?いかに夢に向かって進むか?ということを、共に学ぶセミナーと、自分達が行いたい好きなイベントを行うコミュニティー屋です」と答える。そうすると大抵の人は、「へぇ~すごいねぇ~」という。そこで私は思うわけである。「何が凄いのか?動き出せば、あなたの方がすごいはずだ・・・」と。今、「やりたいことはなんですか?」と聞かれると答えることのできる人は少ない。でも、「自分の好きなこと、やりたいことを見つけてやりたい」「何か特別なことがしたい」と言う。その割には、「あぁ~つまんねぇ~」「何かしないとなぁ~」と言う。「私は違う!」「私はサークル、ゼミなど行動している!」と感じた人。本当に違いますか?自信を持っていえますか?変化は自然に起こるものではない。なんとなく待っていて、起きたことを必然と感じてはいけない。それは確実にスピードが遅いのである。しかも、世界は広い。その中で満足しては、あなたという価値がもったいなすぎる。本当に何か変化を起こしたい!自己実現したい!そう思ったら、とりあえず何か行動してみなければ・・・待っているだけではいけない。私もはっきり夢を言えるか?というと答えは「NO」である。しかし、行動はしている。それでもまだまだ自信がない。まだまだ未熟であると思う。あなたの本当にやりたいことはなんですか?変化を起こしていますか?
2004年11月27日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)よく聞かれることがある。「あなたの夢はなんですか?」私はこう答える「私の夢は夢を見つけることです」ここからは私の独壇場。様々なことを話しまくる。後付論に関しては、誠の天才であるように自覚している。そのほかにも、・言い訳論・言い逃れ論・言い抜き論・良い漬物論・飯と漬物でロンについては正直、天才だと思っている。天才とはどんな定義かといえば、自称「天才」であれば、天才だと思われる。さて、本題に戻ろう。私は「夢」を持っていない。何が夢なのか、何をしたいのか?ということにあまりひらめくことがない。「あぁ、なりたい」「こういうことをしたい」そうしたことに、あまり想像が沸かない。就活中にかなり考えた。今でも相当考えている。でも、何かに興味をもつことはあまりない。いや、逆かもしれない。全てのことに興味が沸く。だから、「これだっ!」ということがどうしてもわからない。思いついたのは、・人に感動を与えた瞬間・感動の中に存在した瞬間・素敵な空間に行った瞬間・別れの瞬間・牛丼ではなく、豚丼にした瞬間などなど、思いつく瞬間はある。しかし、将来にやりたいことはない。不安はある。ふしろ不安だらけである。恐くて、恐くて震えてしまうこともある。それが今日、再び感じてしまった。私は今幸せであろうか?私の未来はこれで幸せだろうか?私は幸せの中に存在していれるのだろうか?疑問は重なる。重なれば、広がる。広がれば、重量を持つ。そして、、、潰れる。ある人たちは言う「お前は自分でなんとかしろ」ある人たちは言う「お前は自分でなんとかできる」あぁ、わからないさ。だから、今生きてるんだよ。答えが知りたい。知れなければ、、、
2004年11月26日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)人の欲求について考えてみた。欲求というと私の知っている知識としては、「マズローの5段階欲求」というのがある。これは人がどのような順序を追って欲求を満たしていくのか?ということをうまく表現し、大変理解しやすい説である。その中の下から3番目、上からも3番目に位置する「共存」という欲求を今日感じた。人はコミュニティーなしでは生きれないのかもしれない。学生も社会人もギャルもフリーターもアーティストもホームレスも引きこもりの少年も人は常に群れをなしたがるコミュニティーを求める。弱いからではない。必ず求めたがる欲求なのである。むしろ、1人でいることが強いと感じる人間ほど、弱いのかもしれない。あくまでも推論だが・・・
2004年11月25日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね、ぜひ書き込んで♪)今日ようやく東京に戻ってきた。約1週間・・・今の時期の1週間は随分と長く感じ、若干ではあるが、気がゆるんでしまった。しかし、近頃の日記には書いているが、ここ数日の経験、出会いは私に良い影響を与えてくれた。次のステージに進むと言うことはなかなかでいないようにも感じている人がいるが、実は簡単なほどに進めると私は思う。その大きな原動力は「感動」である。「感動こそ、なかなかできないではないか?」という声が聞こえてくる。確かに感動と言うのはなかなかできないと思われている。「感動の瞬間はどんな時か?」というアンケート調査を行ったところ、・あの映画は感動した(2票)・あの人との出会いと別れは感動した(2票)・LIVEで感動した(2票)・小泉首相のモノマネで「感動した!!!」(1票)・Pochiさんの姿に感動した(1票)・Pochiさんの行動に感動した(1票)・Pochi様のキラーパスに感動した(1票)という結果になった。自分による投票が10票もあるが、そのあたりは私が調査をした結果なので、問題はないはずである。この調査の結果を考察してみた結果、「感動」ということを考えると、「感動」というものは自分の意思によるということが言える。つまり、何事にも感動をすることができるといえる。・出会った人に感動・しかってくれる人に感動・自分の嫌いな人に感動・環境に感動・地球に環境・Pochiに感動・Pochiの行動に感動・Pochiの薄い存在に感動と、どんなことにも、自分の意思で「感動」することができるはずである。つまり、先ほど言ったように次のステージに進むというのが「感動」と関連性があると説いたのは、「何事にも常に感動し、そして常に自分を鼓舞する」ということが重要である。。ということが、遠まわしではあるが言いたかったのである。より多くの人にこうして自分を鼓舞してもらいたい。こうした思いを伝えるために、私が調査を捏造し、自分に感動している人がいるようにするのはおそらく犯罪ではないように思える、いや、むしろ、正義であると思われる。
2004年11月24日
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2005年度大学卒業生HPhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=pochi2005(ぜひ見てくださいな♪作ってる途中だけどね♪)昨日、今日と神戸においてNGO関連の団体のお手伝いをしてきた。お手伝いというよりも、私はかなりのお荷物であったようにも思えたが・・・何しろ、その団体はほとんどの人が外国の人、、、英語を松井秀喜よりも話せない私にとって、しかも松井秀喜ばりの顔の私にとって、その環境にいることはとても緊張した。緊張のあまり、心臓が飛び出るかと思ったが、緊張で心臓が飛び出すという歴史的、人間的新事実となっておらず、今こうして大阪の某所でひっそりとプログを書くことができている。しかし、そうした環境にいたことは何よりも刺激があった。まず、英語を話せないということに対して、かなり恥ずかしく、もどかしかった。「恥ずかしい」「もどかしい」ということは、何よりも自分が興味を持っているということであり、英語を(特に会話)学ぶということに対しての意欲と、欲求が出てきた。自分が恥ずかしいなどとマイナスに心に引っかかるのは、その点をプラスに移行させたいという欲求の裏返しであるということが、身をもって経験できた。次に、今まで経験したことのないことがいくつもできた。・外国の人に囲まれて生活・お祈り・ホームパーティー・インターナショナルスクール訪問などなど、一瞬、一瞬が刺激的であった。あまりの自分の感覚を開いていたため、一気に疲れがたまるが、次に訪れる刺激でまた反応してしまう。。。めまぐるしいほどのONとOFFの反転の繰り返しであった。これほどまでの経験をさせてくれた親愛なるP、そしてNGOの方には本当に感謝している。今回の経験を通じ、1、英語を学ぶ(日常会話)2、異文化をさらに知る(交流)3、松井を追い越す(英語力)4、松井の顔も追い越す(整形)5、松井の野球技術も追い越す(気合)という壮大な目標ができた。松井のおかげで、また自分の夢に1歩近づき、2歩後退してしまった。。。
2004年11月23日
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のお手伝いもあり、PCが使えませんでしたわ。
2004年11月22日
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何もなかったですね。
2004年11月21日
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人は様々なことで葛藤を繰り返すその理由として・過去で得た経験を学びとして活かしていない・結果をマイナスで捉えている・未来の目標を持っていないということが言われている。私も葛藤することが多々ある。・牛丼か豚丼か・新幹線で行くか、バスで行くか・総理大臣になるか、皇族になるか・月に旅行しに行くか、火星に旅行しに行くかとうとう、毎日低レベルではあるが、葛藤し、無駄に頭を悩ませていることがある。しかし、こうした葛藤に悩む時間がやはり時間をさいているように思える。だから、先ほどあげた理由を改善しなければならない。そうすることで葛藤する日々から抜け出し、晴れ晴れとした気持ちで毎日が過ごせると思われる。私が実践した結果では、・毎回豚丼(安い&松屋好き)・バスで行く(新幹線のお金がない)・一般人でいる(普通の人間でいたい)・地球にいる(1人で遠くに行けない)と完全にフィードバックをし、完全に葛藤することなく日々を過ごせた。皆さんも是非葛藤に悩むなら、プラス思考で改善してもらいたい。ちなみに、「100万円を犬にあげようか、人にあげようか」と葛藤していたらすぐに声をかけていただきたい。私があなたの葛藤を解決いたしましょう!なぜなら、私のあだ名はPochiだから。。。
2004年11月20日
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最近、よく人に会っているように思える。1年前、就活を始めたときは人に会うのが楽しかった。しかし、途中で人に会うことが苦痛になったため、あまり人と交流することに関心が薄れていた気がする。。。それでも、イベントを行ったり、様々な場所に顔を出していることもあり、よく人に会っていたように人には思われているが、相手に対して興味や関心が沸かなかった時期が正直あった。しかし、最近は何かと人に会って、人に関心を持つことが多くなってきた。自分の中で何か変化があったのかもしれない。どんな変化があったか考えてみたところ・学生生活が残り短くなってきたのに気がついた・やたらと熱い人に出会うことがある・ヤックルが可愛いことに気がついた(も○のけ姫参照)・気合ダァ~(アニマル参照)これだけではどうも大きな変化のような気がしない・・・・ノーベル賞を受賞した・無酸素宇宙旅行達成・未確認飛行物体を確認・牛丼から豚丼へこれぐらいの変化があって始めて変化と言えよう。残念なことだが、それほどまでの変化があったとは私にあったとは考えにくいせめて、ノーベル賞ぐらいは手にしておきたかった。。。今日も素晴らしく熱く、魅力的な人物に出会った。その人の話を聞いていて、人の変化の素晴らしさ、向上することの面白さを知ることができたように思える。こうした出会いを通じて、また変化を繰り返す、いつか変化の繰り返しで、人に会うことが退屈に思える日が来る可能性もあるが、それもまた楽しみである。それまで、ノーベル賞を受賞することは控えておかなければ。。。
2004年11月19日
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人には目的が存在している。いや、確実に目的が存在している人はなかなか少ないので、目的が存在している人の方が多い。と言ったほうが正確なのかもしれない。しかし、よくあるパターンとして、人は目的を見誤る。自分の人生をより良くする目的が「偏差値の高い大学に合格する」という最終目的に・・・ダイエットをする目的が、「ダイエットできない言い訳を見つける」という最終目的に・・・ある人を愛するという目的が、「ストーカー」という最終目的に・・・一戸建てで、幸せな家庭という目的が「ローン返済」という最終目的に・・・最終目的を見誤ってませんか?確かに変化するということは可能性として、大いに考えられることでしょう。私だって変わることはたくさんあります。あなたの考えている目的は、本当に最終目的に直結をしてますか?その先を見越すことなく、知らず知らずの間に、深い溝にはまっていませんか?気をつけてください。。。私のように悲惨な事件が待っているかもしれません。今実家に帰っている私の目的は「家でゆっくり過ごす」という目的でした。昨日の夜、親は明日は家にいるといっていたので、久々にぐっすり、睡眠・・・zzz。しかし、現状では、母親が手紙を1枚置いてゆき、その手紙には「友達とドライブに行ってくるので、適当に過ごしてください」と・・・私が起床して、はや10時間・・・家には食べ物と言う食べ物はなく・・・近くのコンビにまでは徒歩30分近く・・・昨日洗濯に出した洋服は乾くことがなく・・・当然車も自転車もなく・・・そして、外は雨・・・私の最終目的は「母親が帰ってくるまで、なんとか空腹をごまかす」に変わりました・・・皆さん、最終目的は常にイメージしておきましょう。。。
2004年11月18日
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自分は様々な大義名分を駆使している。「大義」というと、たいそう立派なことのように聞こえるが、ほとんどの場合、「言い訳」と隣あわせであることを忘れてはならないよく寝る友達の大義名分は「私は9時間以上寝なければやっていけない」異性と仲が良すぎることを、パートナーにごまかす人の大義名分は「その人をほかっておいたら、何をしでかすかわからない」よくお菓子を食べる人の大義名分は「遭難する前に供えておくのよ」学生の大義名分は「近々レポートの提出があるから」就活生の大義名分は「景気が悪いからなぁ~」決して、全てが「言い訳」というわけではない。当然、やらなければならないこと、必要であることはある。しかし、人は大義名分を駆使し、自分の思うようにことを進めようとする。少しでもやりたくないことをやらないため、少しでも自分の興味のないことを上手に断るため、少しでも楽しい時間を引き延ばすため、少しでも都合の良いコトへと導くため、決して人を信じていないわけではない。むしろ最近では信じすぎているぐらいだ。私が言いたいのは、自分の大義名分で大切な機会、経験を逃していないか?ということに疑問を常に自分に言い聞かせて欲しいということだ。目の前にきっかけはゴロゴロ転がっていると私は思う。それを逃して、何かを求めることは困難である。目を凝らして、耳を澄まして、体を震わせて、感じ取って欲しい。最後にある瞬間を再現しよう友D「Pochi~○○してよ~」P「いや~その日はバイトもあるし、卒論の提出もあるし、NPO関係の仕事も あるし、っていうより、急にそんなことを言われたってなかなかできないよ、 そもそもさぁ~いきなり説明なしでそういうことを言われてもできないと思わない? 今はいいかもしれないけど、社会に出たらそんな説明ではいけないと思うし・・・」これは改善点を見つけたということだ、決して反省をしていなわけではない。改善点を見つけるということは、今後の自分の人生におていは欠かせないことで、しかも、ポジティブに考えることも大切なことで・・・うんぬんかんぬん・・・私は大義名分の天才児かもしれない・・・大義名分として、「友達に嫌われないよう努力する」ということを早く付け加えないといけないが・・・
2004年11月17日
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「WEB上で出会った人間と団体を立ち上げる・・・伝説だ・・・」3月についに学生生活を終えてしまう。。。それまでに何をしたいのか?ということを考えようと思い、寝ながら考えたら、夢だった。。。やはり寝ながら考えると言うことは不可能らしい・・・そこで今度は寝ずに考えてみた。・自分の立ち上げたNPO団体のメンバー100人・これまで出会った人にお礼が言いたい・今までやったことのない経験がしたい・そうだ、京都へ行こうそして最後に思いついたことが一番初めに書いた、もう1つ団体を立ち上げるということだ。決してNPOとかは関係ない、ただ、純粋に色んな人と出会いたい。そして、ただ純粋に出会いたいという人たちを集めたい。きっと、もしかしたら、可能性的には、う~んなんとなく、この日記を見てくれる人で今年卒業する大学生はいると思う。それで、その人は「いや、無理な話でしょ・・・」「忙しいし・・・」「やりたいことがある・・・」と様々な理由を思いつくであろう。しかし、それは何かから逃げてはいないか?当然、私も卒論もあれば、やりたいこともあれば、バイトもあれば、NPOの仕事もあれば、逢いたい人もいれば、会社の研修もある。。。でも、そんな縛りの中で、もう、社会人になるため、という理由で、自分を縛りたくない!一緒に立ち上がりませんか?拒む人、一度話を聞かせてくれませんか?もしかしたら、あなたが合っているかもしれない。もしかしたら、私が合っているかもしれない。話をしましょう!
2004年11月16日
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久々に実家に帰ってきた。そこで今年大学3年の友人に相談をされた。友「あのさ~俺の友達が今、就職するか、バンドで食っていくから悩んでるんだよね~どう思う?」P「好きなことをやればいい」友「えっ?」P「だから、その人がバンドをやりたいならやればいいじゃない?」友「そんなことを言っても、成功するのは難しいし、人生にやり直しがきかなくなっている年じゃん」P「俺は、お前の友人ではなく、お前が同じ質問をしてきたら、好きなことをやれと絶対言うよ」友「なんで?」P「だって、バンドで失敗しても死なないじゃん」友「死ぬってさ・・・でも、食えなくなるじゃん」P「俺はお前が何かに失敗しても絶対友人であることに代わりはないっていうことに自信があるからね」友「まぁ、きっとそうだろうけど」P「もし、お前が友人に対して人生の責任を取る気があるなら、真剣に考えて、そいつに言ってやりな。俺はお前の友人とは面識がないから、好きなことをやって暮らす人生のほうが後悔せず、苦しまないと思ったから言ったんだよ」友「それって俺の友達に対して無責任じゃない?」P「無責任だから、俺は自分の考えのみで話してるんだよ」友「そっかぁ~」P「とにかく、好きなことをやればいい」終了こんな内容だった。この話について意見は賛否両論であると思う。でも、私は「自分の仲間を一生大切にする」という想いがあるから、こんな話になった。きっと自分自身にも言い聞かせているのだと思う。「言うが易し、行うは難し」十分承知である。でも、先の見えない道に悩む人がいて、「あぁ~確かに難しいよねぇ~将来なんてわからないし・・・」という程度で話をするのなら、仲間にははっきり伝えたい。「好きなことをすればいい」そいつが笑顔でいれるなら、私はそれを望む、笑顔でなければ、私が笑顔にする。相談をしてきてくれた大切な友達、ありがとう。
2004年11月15日
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昨日、隠れ家において、ちょっとした顔見知りの人と語ってきた。顔見知りとはどの程度の人物なのか?といえば、・お互いが1度会ったことがある・お互いが1度話しかけたことがある・お互いが見るに耐えない顔をしていないという状況下で、ようやく顔見知りという環境が創れる。つまり、私の顔は見るに耐えれる顔である。4次元での説明において、なんとも分かりやすく、親切な自己説明であると思われる。さて、人と語るということは、どちらかが一方的に話し続けては語るとは言えないお互いの意見、感想をぶつけ合い、組み立てて、その結果、違う知識、考え、発想が生じて、初めて語ると言えると思われる。つまり、語るためには様々な要因が必要なのである。まず、相手が言葉を用いることが可能であるということ。次に、自分がその場にいなければならないということ。そして、自分と相手の言葉が伝わりあうということ。以上の点から、私が、1、動物や宇宙人ではない。2、スコットランド、ベルギーに住んでいない。3、スワヒリ語は喋れない。ということが理解していただけたと思う。本題に入ろうと思ったが、書いていた文章があまりにも駄作なので、これにて終わりたいと思う。なぜ人に歴史があるのか?その質問の答えは、、、
2004年11月14日
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