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さて、50音順で日本で最初の苗字は何さん?50音順で日本で最後の人は何さん?(もう少し後で答えを書きます。考えてみてください)声優名鑑の最初のページはずっと愛川欽也だった。(今は知らん)ああ、そういえばこの人は声優だったんだなと、その時思い出すわけだが。芸能人でいうと相川七瀬もいい線いっていたんだが、キンキンにはかなわない。よくよく考えてみるとキンキンって、苗字で得をしてないか?昨日、「知識賢治」さんというカネボウの社長の名前のことを日記に書いたせいで、まさしく知識欲を刺激されて、図書館で苗字について調べてみた。「知識一族」というのは、薩摩(今の鹿児島県)の出水郡知識邑というところで発祥して、南北朝時代の南朝の忠臣を輩出した家系らしい。今は「知色」さんと表記している方が一般的だそうな。結構名門らしい。(太田亮著・丹羽基二編「新編姓氏家系辞書」 秋田書店)ついでに、芳文社の丹羽基ニ著「日本苗字大辞典」という本を手にとってみる。見るからに分厚いこの本。2000ページもあるが、ずら~~~~~~っと、苗字の表記と読みが羅列してあるだけ。なんと30万もの苗字を収録してある。この本は苗字の最初の文字の画数と、読みの50音順、最後の文字の分類の三種類あるようだ。3冊で6000ページ。ずら~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っとただ苗字のみの辞典。誰が何に使うんだ?この50音順の部を見てみると、50音の最初は、愛川さんどころの話ではない。30万の苗字の中の50音一番は何さんか?では、まず第三位から。第三位!「安々田」・「安安田」(ああた)さん。いきなり「アイ」ですら負ける!「あ」の次も「あ」。第二位!「阿相(ああい)」さん。おいおい!これ以上があんのかよ。で、輝く第一位は・・・・!「阿」・「砦」・「鴉」で、「あ」さん!!!砦とか鴉って「あ」と読むのね。意外。「あ歯科」というダジャレみたいな歯医者さんがあるけど、(タウンページで必ず最初になるので、お客をとりやすいという意味もあり)そのうち何軒かは本名かも知れんな。そうなると、最後の人も気になる。じつは、こっちの方が凄い。意外と「あ」は連想できるもんね。「渡辺」さんではないよ。さて、では30万の苗字の中で、50音順のいちばん最後の苗字はなんでしょう?第三位!「帯刀(をびなた)」さん!いきなり「を」かよ!!「たてわき」って読むんじゃないのかよ!たしかに「刀を帯びる」と訓読みすれば近いけど。ちなみにその前が「櫻坂(をさか)」さん。さらにその前が「分目(わんめ)」さんというらしい。五位でようやく「わ」とは・・・。第二位!「生実」(をゆみ)さん!読めねえ。まったく読めねえよ。「生」って「をゆ」と発音するのか・・・。では、衝撃の第一位は・・・・。その前にお知らせです。本日、午後1時30分頃、福岡県在住のぽえたりんさんが、「機動戦士Zガンダム・エウーゴ対ティターンズ」で、最終面をクリアしました。本人のコメントです。「いや~。ゲームってさ、攻略本を見ずにやると大変なんだよね。でも、苦労した分の発見もあるし。だから、自分の目で見て上手くなるのが楽しいわけじゃないの?勝因?そうだな~。『オレがニュータイプに目覚めた』だけだよ。いやあ、「宇宙」っていいよ。「そら」って読もうね」さ、自慢も織り込んだ上で(実は大したことではないらしいが)、50音最後の苗字は・・・「栂村(んがむら)」さん!!!「ん」ですよ。「ん」!昔、宮本輝の「彗星物語」という本での、おじいちゃんのセリフを思い出す。いちばんお気に入りだった孫娘・キヨミちゃんの結婚相手が「ンタニ」というアフリカ人だったんだけど、おじいちゃん、いきなりのことと、嫉妬心で、「大事な孫娘を、苗字が『ン』で始まるようなヤツに渡してたまるか!!!」と激怒したシーン。気持ちは痛いほど分かる。要はナンクセつけてでも大事な孫娘を手放したくなかったから、咄嗟にでたのね、そのセリフ。最初は大笑いしたけど。しかし、日本にもいるのね。「ん」で始まる人。ちなみに、「んのはら」「んまこし」さんという苗字が最後という説もあるらしいが確証は取れず。ただ、日本のほとんどの苗字を網羅したとされる上記の本によりました。昨夜は4時就寝。今朝は8時半起床。勉強足りず、結果はイマイチ。休憩中に、初めてZの最終面突破!クワトロ・バジーナでリック・ディアスでした。苦節2ヶ月。半泣きでした。その後、図書館で復習及び苗字の調べ物。いろいろと発見がありました。5時からバイト。終了後、ビデオを返しに行ったら、中身を間違っていた。しかし、さすがに疲れていたので、取りに帰るのもツライ。というわけで生まれて初めて「ビデオ延滞」決定。ま、200円とか、300円円のレベルらしいし。11時半に帰宅して、夕食。で、焼酎飲みながら、今に到る。
2004.03.28
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荘子です。今日は日本のサブカルチャーにおける『胡蝶の夢』について。『昔者荘周夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。』(『荘子』 斉物論 第二)→昔、荘周という人が、蝶になる夢をみた。ひらひらゆらゆらと、夢の中では当たり前のように蝶になっていた。自分が荘周という人間だなんてすっかり忘れていた。ふと目覚めてみると、荘周に戻っているではないか。荘周が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が荘周になった夢をみているのか、分からない。荘周と胡蝶にはきっと区別があるだろう。これを「物化」という。日本では古くから詩歌、俳句、随筆、小説、絵画のみならず音楽や能や歌舞伎、映画等々で何度もモチーフにされてきた、荘子を代表する寓話ですが今回は近い時代の例をいくつか。まずは、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984)』。高橋留美子原作の『うる星やつら』の世界観を、脚本・監督の押井守が大胆に再構築したアニメ史上に残る名作です。参照:うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%892_%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC温泉マークが、「永劫回帰」をするかのような世界の異変に気づき始めたシーンで、蝶が登場します。よく視ると喫茶店の中にも蝶が止まっています。そして、最後の方に夢邪鬼(むじゃき)というキャラクターが諸星あたるに語りかけます。≪夢邪鬼「あんさん夢でよかったとおもっておりますやろ。現実でのうてよかったと。夢やからこそやり直しがききまんねや。何遍でも繰り返せますねや。な。こういうの知ってまっか?蝶になった夢を見た男が、目を覚まして、果たしてどっちの自分がほんまやろ?もしかして、ほんまの自分は蝶が見ている夢の中におるん、ちゃうやろか?まあね、夢やから現実やからゆうて、所詮は考え方ひとっちゃ。ならいっそのこと夢の中で、おもしろおかしく暮らした方がええのとちゃいまっか?あんさんさえあんな無茶言わなんだら、わてなんぼでもええ夢作らしてもらいまっせ。わての作る夢は現実とおんなじなんや。せやからそれは現実なんや。」≫(『うる星やつら ビューティフルドリーマー』より)いかにもな押井ワールド。これ、そのまんま実践しようとしたのが『マトリックス』のサイファーですね。参照:Agent Smith and Cypherhttps://www.youtube.com/watch?v=Z7BuQFUhsRM同じく押井守作品『攻殻機動隊』の中でも「胡蝶の夢」に類似したシーンがあります。自分の記憶が書き換えられていたことに気づかず、尋問の途中で現実に目覚めた男。その様子をマジックミラー越しに眺めながらバトーが言います。≪バトー「疑似体験も夢も、存在する情報は全て現実であり、そして幻なんだ。どっちにせよ、一人の人間が一生のうちに触れる情報なんて、わずかさなもんさ。」(『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』より ≫『吾生也有涯、而知也無涯。以有涯隨無涯、殆已。已而為知者、殆而已矣。』(「荘子」養生主 第三)→人間の一生には限りがるが、我々の知識欲は無限にある。限りある人生で得られた知覚によって、無限の知識欲を満たそうとするのは自らを危うくさせるだけだ。さらにその知の欲望に身を委ねることは、いよいよ自らを危うくさせるのみだ。参照:There is No Ghost in the Shell: GITS Movie Analysishttps://www.youtube.com/watch?v=upwkqW6REpAここは珍しくて『荘子』の「斉物論篇第二」の最後の胡蝶の夢から「養生主篇」の最初の流れと一致する箇所です。「胡蝶の夢」だけにとどまらないところは他の作品と比較しても特徴的です。士郎正宗の原作『攻殻機動隊』は、道教の仙術をベースに、日本神話、クトゥルー神話、量子力学を織り交ぜた『仙術超攻殻ORION』の次の作品です。士郎正宗の『攻殻機動隊』のラストにも「易のピラミッド」があったり、中国の神話についての思索の展開があったりと、原作の段階から意図があります。そもそも、士郎正宗と押井守の共通のフィールドにタオイズムがあります。次、劇場版『カウボーイビバップ 天国の扉』(2001)。SFのプロットと20世紀後半の文化的事象をごちゃまぜにしたスペースオペラならぬスペースジャズアニメ。ジョン・ウーの『男たちの晩歌』やブルース・リーのセリフを入れたり、風水で一話を構成させたりと、実際の背景のみならず、思想の面でも中国的な内容の多い作品です。参照:Wikipedia カウボーイビバップhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%97≪「そいつはただ、ひとりぼっちだっただけさ。自分自身以外のだれともゲームを楽しめない。夢の中で生きているような、そんな男だった。」(上記『天国の扉』より)≫・・・映画版のビバップはのっけから夢の話で、部屋の中で蝶が舞っています。テレビ版の後半部分も「夢」にまつわる話が多いので、その延長線上に劇場版のストーリーが位置づけられていると思われます。特に「生と死」「過去と現在」「夢と現実」を描いたテレビ版最終話は、荘子の思想とテーマが重なります。参照:The endhttps://www.youtube.com/watch?v=BeR41AT-ui0劇場版『カウボーイビバップ 天国の扉』では前半と中盤と後半に胡蝶の夢を置いています。≪「その命が尽きる前に教えてくれ。俺はとっくにタイタンで死んでいて、この世界は蝶達が俺に見せている夢なんじゃないか?それとも蝶のいる世界が現実で、俺がいた世界が夢だったのか?俺にはわからないんだ。」(同『天国の扉』より)次、故・今敏(こんさとし)監督の『パプリカ』(2006)。筒井康隆原作のSF小説のアニメ化で「他人の夢を共有する」DCミニという医療目的の端末によって夢と現実の混淆を描いた作品です。『パーフェクト・ブルー』や『妄想代理人』『千年女優』と続いてきた今敏の真骨頂。Wikipedia:パプリカhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AB_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB)『パプリカ』では夢と現実の境目がなくなってくるときに、一羽の青い蝶が目印となります。参照:参照:Paprika (Anime Movie) Trailer [720p HD]https://www.youtube.com/watch?v=jJzEW_eE1G0『パプリカ』の場合、象徴的なシーンで夥しい数の蝶を描いて「胡蝶の夢」を想起させるつくりになっています。・・・これらは、現代や近未来を舞台にしていながら、紀元前の中国人の思想をモチーフにしているわけですが、すべて日本のみならず世界的に知られた作品群で、特にアメリカでの評価が高いものばかりです。参照:日本アニメ映画・全米興行収入ランキングhttps://www.youtube.com/watch?v=cn0vimpx6ZA他にも実相寺監督の『ウルトラマンマックス』の「胡蝶の夢」の回、『空の境界』、『さよなら絶望先生』、『けいおん』、『じょしらく』...これほど一貫してモチーフにされた寓話もないだろうと思われます。「夢オチ」と言われる手法のハシリでもあるので、ある意味で通過儀礼として胡蝶の夢を使う場合も多いかな。『荘子』を元ネタに使った近年の作品のなかでオススメは、『カンフーパンダ』です。"Your mind is like this water my friend, when it gets agitated it becomes difficult to see. But if you allow it to settle the answer becomes clear."(友よ、そなたの心はまるでこの水のようだな、波立っていると何も見えない。しかし、その事象を受け入れ、落ち着きを取り戻せば、答えは自ずから見えてくる。)カンフーパンダと荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5104/ま、アニメーションというのは、存在しない「夢」を描くわけですから、荘子に行き着くのは自然なことだと思います。現実なるものに距離を置いて、本だのテレビの画面だの、銀幕の世界だのに入り込んで夢を見たがる人間の性なるもの。今日はこの辺で。
2013.04.24
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今日はお休み。台風のせいか、今日は涼しくて風も心地よい。というわけで、秋の詩を。『醜奴児』 辛棄疾少年不識愁滋味 少年 識らず 愁いの滋味愛上層楼 愛(この)みて 層楼を上る愛上層楼 愛(この)みて 層楼を上り、為賦新詞強説愁 新詞を賦すに 強いて愁いを説く而今識尽愁滋味 而し今 識り尽くす 愁いの滋味を欲説還休 説かんと欲して 還(ま)た休(や)む欲説還休 説かんと欲して 還(ま)た休(や)め、却道天涼好個秋 かえって道(い)ふ、「天涼しく 好き秋なり」と若いうちに「愁(うれい)」なんてわかるはずもなかった。ただ、高い塔にでも上っていた。馬鹿みたいに高い塔に上っては、格好をつけて愁いをまとって詩を詠んでいた。そんな自分も、この歳になった。愁いの滋味を思い知っているこの歳に。しかし、いざ筆を執ると進まない。書いては止まり、また書いては止まってしまう。最後に残ったのはただ一言、「今日は涼しくて好い秋の日だ」。「白秋」の季節から「青春」を振り返るという、大胆で、かつ質実剛健な詩で、好きなのよ、この詩が。まだまだ青二才のくせに。「秋の心」と書いて「愁い」と読むことも、ベースに使っているんだと思うね。物好きでないと知らないであろう、この詩の作者は辛棄疾(しんきしつ)(1140~1207)。南宋の頃の人。彼が生まれたのは今の山東省なんだけど、生まれた場所の王朝の名前は「金」といった。このころの山東省を含めた中国の北半分は、漢民族ではなく、少数民族の女真族の王朝が支配していた。漢民族の王朝である宋は、徽宗・欽宗という皇帝を拉致された上に、金に従属した形であった。若き日の辛棄疾は、金の内部で武装蜂起を試みるも、失敗。宋に落ち延びて、南宋で地方官として、金に奪われた故国の回復のために主戦論を説き続けた。言ってみれば、純粋な愛国者でロマンチスト。ただし、南宋の側から見てみると事情は異なる。皇帝を拉致された後に、南宋の皇帝としてあてられた高宗以降の体制ができてしまっている以上、金から失地を回復すると今の体制が否定されてしまうおそれがある。日本の南北朝の動乱と同じパラドックスを抱えてしまうことになる。すなわち、正統論からいえば、今の天皇家は「異端」とされる北朝の天皇家であり、「正統」とされる南朝の家系を今頃になって復権されてしまうと困るんですな。筋を通すならば南朝だけど、今、誰もそんなことは言わんよね。まぁ、それ以前に南宋は中国の穀倉地帯を支配しているだけで、十分に豊かだったし、北半分の金も圧倒的大多数の漢民族の怒りの沸点を超えるほどまでには、悪政を敷いていなかった。中国を二分していたこの時代は、最終的には、金も南宋も元によって滅ぼされることになる。辛棄疾という人は、民族的なナショナリズムを体現するような、武人らしい実に勇壮な詩を多く残している。そういえば、武人の詩というのは「生き様」というか「人生観」をストレートに表現するものが多い。辛棄疾と同時代、というよりも少し前、日本にも西行(1118~1190)がいるね。西行というと、お坊さんか歌人としてのイメージが強いけど、彼は平将門の乱を平定した俵藤太(藤原秀郷)の9代目の末裔なんですな。代々検非違使を務める彼の家は大変な武家の名門で、西行自身も北面の武士として院の警護をしていた。「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」で知られるこの短歌も、お釈迦様の涅槃になぞらえた仏教的な詩だけでなくて、武人としての突き放した人生観と読むこともできまいか、などとも考えていしまう。「西行」とくれば、次は「東行」でしょう。万物元来始終あり人生いわんや百年の躬少なし名を競い利を争う 営々として没す 識らず何の娯(たのしみ)か この中に存せん全てのものに始まりがあれば終わりがある百歳まで生きられる人間なんて少ない(それなのに)功名心と私利私欲に駆られる者がいるそこに何の楽しみがあろうか東行といえば、「翼あらば 千里の外も 飛めぐり よろづの国を 見んとしぞ 思ふ」とか、 都都逸の「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」とか、まぁ、何と言っても「おもしろき 事もなき世を おもしろく」ですか。高杉晋作の雅号「東行」というのは、当然「西行」をもじっていて、彼の詩も俗っぽいけど、彼の人生観をありのままに表現していて躍動感にあふれている。そういえば、晋作の最期を看取った愛国の女流歌人・野村望東尼(ぼうとうに)は、福岡藩の人だな。「皇御国(すめらみくに)の武士(もののふ)は いかなる事をか勤むべき・・」の加藤司書も福岡藩。福岡の愛国者は勇壮な詩を残した人が多いな。愛国者というのは、基本的に、挫折を味わったロマンチストでないとなれないからねぇ。自分=国家という図式を信じられないとなれない。まぁ、今の民主化された日本では、自分は程度が低いくせに、現実も見ずに図々しく愛国なんぞを唱えてワガママ放題をされるといい迷惑なんだけど(たとえば、晋作の「晋」の字をもらっている今の首相とか)、血の気の多い上に文才を伴う人の詩というのは、味があって面白い。そうだ、武人の詩でした。愛国の詩ではなく。武人の詩というのは、自らを奮い立たせるものも多いけど、死と隣り合わせにいるせいか、自分自身の人生を俯瞰するというか、「死から逆算して生きている」というか、まるで他人事のように自分自身を見つめ直すものが多い。読む方にとっては、文人には真似できない潔さを感じるわけですな。特に幕末の志士というのは、「いつ暇があったのか?」と思えるほどに、詩を残しているものなんだよね。桂小五郎とか、西郷どんの漢詩は、中国人にも人気があって、日本人よりよく知っている(この話はいずれ)。しかし、悪い例もある。「燃えよ剣」を読むと、新撰組の土方歳三も大変な俳句好きであるという笑い話がでてくる。「しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道」とか、キャラに合わない上に、ヘタクソな俳句が手当たり次第残っていて、まるで交換日記を保管されているようなバツの悪いことになっている。これも考え物だね。とりあえず、この辺で。
2007.09.07
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今日は今のうちに。といっても、大して話題があるわけでもなく。つんくの嫁さんの写真を見て驚いた。元モデルの加奈子さんって、「いでみっちゃん」じゃないのよ。「ももち浜ストア」でリポートやっとった・・Google検索かけても「無かった」とこになっていることに恐怖を感じるが・・・恐るべし。つんくの政治力。確かに可愛いからなぁ。ギリギリ残っている「出光加奈子」情報がこちら。ああ、同じようにレポーターの権英恵(ヨンヘ)ちゃんの情報も減っちゃったな。しかし、出光っちゃんの相方だったケン坊は、かわいそうだよな。昔の相方の竹山はカンニングとして全国区だし、今度の出光っちゃんは玉の輿・・。ケン坊と組むと、みんなどんどん大物になっていくよな。彼を置き去りにして。タモリ倶楽部でやっていた、工場マニアな方のページを発見。ブログはこちら。萌える工場たちに、確かに萌える人はいるはず。今日はこの辺で。
2006.04.25
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はいはい、分かってますね。荘子ですよ。え~、荘子について、うんたらかんたら書いていますが、この数回の連作をほとんど理解している人がいます。「柔道」「剣道」「弓道」の次は、「まんが道」の開祖、手塚治虫であります。特に、今回は手塚治虫のライフワーク『火の鳥』の鳳凰編を中心に。まず、最初に、『鳳凰編』の舞台は、奈良時代。生まれたその日に片腕を失うという不幸に遭い村人から蔑まれ続けていた「我王(がおう)」が、陰惨ないじめに耐えかねて村人を殺しすところから物語は始まります。村から逃げ出す時に、一匹の虫を助けるという場面があります。非常に重要なシーンなんですが、これは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のプロット、参照:青空文庫 芥川龍之介 「蜘蛛の糸」http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html・・・と、誰でも気づくものですよね。でも、これ、チャップリンの『殺人狂時代』でも、使われているんですよ。参照:Monsieur Verdoux (1947) Charlie Chaplin 1/13http://www.youtube.com/watch?v=tHf6aVlsgsk開始後6:45~辺りから。(ちなみに、荘子という人は漆園の管理人でした。)冒頭で、同じように、殺人犯役のチャップリンが虫を助けています。チャップリンからの影響を自認していた手塚治虫は、芥川の『蜘蛛の糸』と、『殺人狂時代』の双方の繋がりを意識していたと思われます。事実、『殺人狂時代』のヒロインは、犯罪者である主人公の「生物に対する慈しみ」に好感を持った(彼女自身も猫と共に主人公に助けられた)わけで、『火の鳥』での虫を救うシーンというのは、キャラクターの配置においては、むしろ、『蜘蛛の糸』よりも『殺人狂時代』からの影響が強いと思われます。『モダン・タイムス』のヒロインは、茜丸の恋人で、恵まれない境遇ながら、自由に生きようとするブチのキャラクターと、『殺人狂時代』のヒロインは、極悪人の心の中に光を見出している我王の恋人、速魚(はやめ)のキャラクターに見事に一致しています。出会いも同じです。参照:当ブログ 荘子と進化論 その13。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200909080000/次に、『鳳凰編』では、仏師としての茜丸と、奇跡の才能を持った我王の、仏像を彫り上げるシーンが多いわけですが、これは夏目漱石の『夢十夜』からですよね。これは、すでに書きました。参照:当ブログ 荘子と進化論 その6。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200907250000/あとは、「鼻」。『火の鳥』の連作の中でも重要なテーマですが、これも芥川龍之介の『鼻』であることは、明白ですよね。参照:青空文庫 芥川龍之介 「鼻」http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42_15228.html・・・ここで重要なんですが、「鳳凰編」の中で、茜丸は「輪廻転生」を、我王は「遺伝」と「生死」をテーマにしているというパラレルな流れです。我王の鼻は、遺伝で子孫に受け継がれていまして、輪廻ではありません。『ブッダ』を描きあげる前の手塚治虫が、禅宗に近い表現で、我王の悟りを表現していることを理解出来ている人が少ないですね。奈良の大仏建立の描写は、仏教と政治の癒着によりドグマ化すること、というか、「仏教がさらに仏から遠ざかる」ということへの強烈な批判です。あれは、禅ですよ。手塚治虫は、荘子を意識しながら描いています。『癩之人夜半生其子、遽取火而視之、汲汲然惟恐其似己也。』(『荘子』 天地第十二)→らい病の人は、夜中に子供が生まれると、急いで灯火を点けて、生まれたばかりの子供の顔を覗き込む。ただただ『自分の姿が子供に似てしまってはいないか』ということを恐れているのだ。癩之人というのは、現在の呼び名では、ハンセン病のことです。まさに、我王の「鼻」のネタはここから導き出されたと思います。容姿が遺伝によって、我王の場合には「業」として、受け継がれていくという発想・・輪廻ではないです。「荘子」には、多くの病人や障害者が出てきますが、差別的な表現とは言えないものばかりでして、「癩與西施。恢詭譎怪。道通為一。」(おかしな譬えかもしれないが、ハンセン病の患者と、絶世の美女西施は、「道」においては一つである。)(『荘子』斉物論第二)としています。容姿による差別なんて、万物斉同の世界では当然無価値です。 当然、「鳳凰編」にも「夢」と「蝶」は出てきます。これも上手く使っていますね。もちろん「胡蝶の夢」です。ちなみに、「鳳凰編」という割には、途中で「ホウ」とカタカナ表記で火の鳥を呼んでいるシーンがありますね。「鯤(こん)の大きさは、幾千里か分からないほどだ。化して鳥となり、鳥になった鯤は鵬(ほう)という。」(『荘子』逍遥遊篇 第一)という、荘子の冒頭で大いなる旅に出る「鵬(ホウ)」という大鳥を意識したものかも知れません。参照:荘子と進化論 その3。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200904180000/同じく傑作として名高い『未来編』においても、荘子からインスパイアされたと思われる箇所が数多く見受けられますが、面白いところでは、ナメクジの戦争ですね。人類が滅亡してしまった後に、地球に君臨することになるのがナメクジで、しかも知能が発達してから、また同じような争いをするようになる・・・。これは、もう間違いなく「荘子」の「蝸牛角上の争い」です。『戴晋人曰「有所謂蝸者、君知之乎?」曰「然。」「有國於蝸之左角者曰觸氏、有國於蝸之右角者曰蠻氏、時相與爭地而戰、伏尸數萬、逐北旬有五日而後反。」君曰「噫!其虚言與?」曰「臣請為君實之。君以意在四方上下有窮乎?」君曰「無窮。」曰「知遊心於無窮、而反在通達之國、若存若亡乎?」君曰「然。」曰「通達之中有魏、於魏中有梁、於梁中有王。王與蠻氏、有辯乎?」君曰「無辯。」客出而君尚然若有亡也。』(『荘子』則陽第二十五)→戴晋人は尋ねた。「王様は蝸牛(かたつむり)というものをごぞんじですか?」王「無論。」「このかたつむりの左の角の上に触氏の国がありました。また、右の角の上には蛮氏の国がありました。あるとき、両者は領土の争いで数万の犠牲を払いました。そして、残敵を十五日間にもわたって追いかけた末、ようやく引き上げたそうです。」王「それは、単なる戯言ではないか。」すると、戴晋人は、「では、現実の話に戻しましょう。王様は、宇宙の東西南北と上下に際限があると思われますか?」王「無限だろうな。」戴晋人「ならば、この無限の世界からみて、我々が行き来している国などは、大きな存在だといえるでしょうか?」王「ん~~。」戴晋人「この国々の中に魏という国があり、魏には梁という都があり、梁の中に王がいらっしゃいます。この宇宙の中で、王と蛮氏との間で何の違いがございましょうか?」王は答えた。「確かに、そうなるな。」人間の争いと、カタツムリ「右の角」と「左の角」の戦争。そして、この宇宙と人間社会の関係を、ミクロとマクロで考えている、荘子らしい話です。「火の鳥」においても、ナメクジは争い、そして滅亡してしまいます。最後のナメクジはこう呟きます。『なぜ、私たちの先祖は、かしこくなろうと思ったのでしょうな。 もとのままの下等動物でいれば、もっとらくに生きられ・・死ねたろう. に・・進化したおかげで・・』(手塚治虫『火の鳥』未来編より) 「未来編」の最終的なオチは・・YouTube pearl jam- do the evolutionhttp://www.youtube.com/watch?v=FS69fuCOhTM&feature=relatedorYouTube DO THE EVOLUTIONhttp://www.youtube.com/watch?v=FoNmNmXExZ8&feature=relatedこれと同じなんですよね。参照:荘子と進化論 その12。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200909070000/あとで、推敲します。今日はこの辺で。
2009.09.09
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明日、新しい元号が発表されるんだそうで。今回の元号の選考に関しては、安倍内閣ということもあり、中国古典や中国文学の専門家の数も削減され、平安以来続いてきた中国古典からの出典という元号の伝統が断絶される可能性も報道されています。また、今回の「元号に関する懇親会」のもメンバーにも中国古典に造詣のありそうな方が少ないですが、そのなかで、中国古典のお話を好んでなさる方がいらっしゃいます。京都大学のips細胞研究所所長で、ノベール生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授です。参照:「平成27年度近畿大学卒業式」iPS細胞研究所 山中伸弥教授メッセージhttps://www.youtube.com/watch?time_continue=9&v=m0OqmlwJfMI・・・山中教授が好んで使うのは『淮南子(えなんじ)』の有名な寓話「塞翁が馬」のお話です。-----(以下引用)--------------------------------------------- ということで、卒業生の皆さん、今日、皆さんに私の大好きな中国のことわざをお伝えしたいと思います。それは、「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」。略して「塞翁が馬」。こういうことわざです。 「塞翁が馬」塞というのは、お城です。中国のお城の近くの村に、「塞翁」の翁というのは「おきな」おじいさんですね。おじいさんが、いたらしいです。そのおじいさん、唯一の財産は、一頭の馬。そして、一人息子さんと住んでおられたらしいです。 ところがある日、その唯一の財産の馬が逃げてしまいました。すぐ、村人たちが集まってきて、おじいさんを「大変ですね」と慰めにきました。でも、おじいさんは冷静に「いやいや、これは何か良いことの始まりかもしれない」と言いました。 そうすると、2,3日すると、その馬が帰ってきて、しかも、その馬よりもさらに良い名馬を一緒に連れて帰ってきました。すると、村人はまたすぐ集まってきて「いやーおじいさん素晴らしい。良かったですね」とやってきました。でも、またおじいさんは「いやいや、これは何か悪いことの始まりかもしれない」と。すると、その息子さん、やってきた名馬に乗っていましたが、落っこちてしまって、足を複雑骨折してしまって、歩けなくなってしまいました。 また村人がやってきて「おじいさん、えらい災難ですね」とやってきました。しかし、おじいさんは「いやいや、これはなにかいいことかもしれない」と。しばらくすると、戦争が起こりました。村の若者は、ほとんど全員が死んでしまいました。でも、おじいさんの一人息子は、脚を怪我して歩けなかったので、戦争に行かずに生き残れました。 そういう話らしいです。村人の様に、一喜一憂するのではなくて、おじいさんの様に、こうどっしり構えよう。そういう意味だと思います。---------------------------------------------(引用終わり)-----参照:「塞翁が馬」から生まれた/山中伸弥 iPS細胞研究所長 (動画&全文)https://kindaipicks.com/article/000441内容それ自体も、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと大変よく似ています。実は、現代でいうところの「偶然性」は、タオイズムを語るうえで重要な命題です。参照:スティーブ・ジョブズと禅と荘子 その5。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5177/❝夫禍福之轉而相生、其變難見也。近塞上之人有善術者、馬無故亡而入胡。人皆吊之。其父曰「此何遽不為福乎?」居數月、其馬將胡駿馬而歸。人皆賀之。其父曰「此何遽不能為禍乎?」家富良馬、其子好騎、墮而折其髀。人皆吊之。其父曰「此何遽不為福乎?」居一年、胡人大入塞、丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九、此獨以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。』(『淮南子』人間訓)❞→幸福が不幸に、不幸が幸福に転じる人間社会のありようは、その変化を見極めるのが難しい。城砦の近くによく道術をわきまえた人がいた。その人の馬が勇壮な胡の国に逃げてしまった。人々は皆彼に同情した。するとその人は「このことが幸福に転じるかどうか分からないさ」と呟いた。数ヶ月経ってみると、逃げ出したはずの彼の馬が、胡の国の駿馬を何頭か連れ立って帰ってきた。人々は皆彼をお祝いした。すると彼は「このことが不幸に転じるかどうかわからないさ」と呟いた。駿馬のおかげで家は豊かになり、彼の息子は騎馬が巧みになったが、ある時息子が落馬して骨を折る大怪我をした。人々は皆彼に同情した。すると彼は「このことが幸運に転じるかどうか分からないさ」。一年ほど経って、胡の国の兵が城砦に攻め上ってきた。城砦の若者は全て駆り出され、十人のうち九人が命を落とすほどの激戦の末、城砦は辛くも守られた。大怪我をおった彼の息子は、徴兵されず息子の命は奪われずに済んだ。幸福が不幸となり、不幸が幸福となる、その変化は見極めがたく、又、推し量り難いものである。・・・『淮南子』は、『日本書紀』の天地開闢や「民のかまど」のお話のネタ元でもありますが、日本人が最初に出会った中国古典の中の一冊です。参照:『淮南子』と『日本書紀』 ~天地開闢~https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/参照:「民のかまど」と中国古典。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5190/山中教授がおっしゃる、「一喜一憂しないという態度」を、はっきりと示しているのは『荘子』もまた同じです。たとえば、朝三暮四のお話もその一例です。参照:荘子と進化論 その207。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201811100000/偶然、といえば、山中教授と同じ京都大学出身でノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんも、素粒子理論について『荘子』の渾沌の寓話で説明をすることがありますし、山中教授がされている夢の話なども、夢の中のアイディアを活用する湯川さんの逸話とも重なります。タオイズムというのは、理系と相性がいいとつくづく思います。参照:湯川秀樹と渾沌。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5118/参照:長岡半太郎と荘子 その2。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5117/今日はこの辺で。
2019.03.31
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『礼記』を中心に、儒教の冠婚葬祭の続きを。参照:儒教の葬儀と位牌http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201405310000/今日も『論語』から。『朋友死、無所歸。曰「於我殯。」朋友之饋、雖車馬、非祭肉、不拜。』(『論語』 郷党)→友人が死んで、葬式が挙げられない時に、先生はおっしゃった。「ならば、私のところで殯をすればよい。」先生が友人から贈り物を受け取る場合、祭祀にお供えする肉でなければ、その贈り物が車や馬であっても、拝して受け取ることはなかった。『論語』の中に「殯(もがり・かりもがり)」という言葉がでてきます。この殯(もがり)というのは、納棺をしておいて、その後、埋葬するまでの間に、一定期間保管する儀式のことを言います。おそらくは風葬の名残であったと思うんですが、生と死のモラトリアムが長いというのが、儒教の葬儀の特徴です。日本では荒城(あらき・大荒城とも)といったりもする風習です。『子思曰「喪三日而殯、凡附於身者、必誠必信、勿之有悔焉耳矣。三月而葬、凡附於棺者、必誠必信、勿之有悔焉耳矣。喪三年以為極、亡則弗之忘矣。故君子有終身之憂、而無一朝之患。故忌日不樂。」(『禮記』檀弓上)』→子思曰く「亡くなってから三日で殯(もがり)をする。死者が身に付けるものはものは誠実に、悔いの残らないように整えること。三月の後に葬るが、副葬品は誠実に、悔いの残らないように整えること。喪に服するのは足掛け三年を限度とするが、それでも、父母のことを忘れることはないだろう。故に君子は、父母を失った憂いを一生の心残りとしても、日々これを悔やむというものではない。忌日に音楽は流さないものである。」復(魂よばい)、沐浴(湯浴み)、飯含(死者への食事)、小殮、大殮(衣替えと重ね着)の後くらいに、殯をするというのが大体の流れです。『天子七日而殯、七月而葬。諸侯五日而殯、五月而葬。大夫、士、庶人,三日而殯、三月而葬。三年之喪、自天子達、庶人縣封、葬不為雨止、不封不樹、喪不貳事、自天子達於庶人。喪從死者、祭從生者。支子不祭。天子七廟、三昭三穆、與太祖之廟而七。諸侯五廟、二昭二穆、與太祖之廟而五。大夫三廟、一昭一穆、與太祖之廟而三。士一廟。庶人祭於寢。』(『禮記』王制)→天子は死後七日で殯(もがり)をし、七月後に葬る。諸侯は五日後に殯して、五月後に葬う。大夫、士、庶人の場合は、三日後に殯して、三月後に葬う。三年の服喪は、天子から庶人まで同じである。庶人の場合、棺を綱を使っておろし、葬儀を雨で中止したり、墓に盛り土をしたり、木を植えてはならない。天子から庶人にいたるまで、服喪を優先し、他事は二の次にする。喪中の礼は、死者の地位や身分による。喪を過ぎると、祭主の地位や身分による。嫡子以外は祭祀をしない。天子の場合、廟は七、昭が三、穆が三、これに太祖の廟で七つ。諸侯の場合、廟は五、昭が二、穆が二、これに太祖の廟で五つ。大夫は三廟、一昭一穆、太祖の廟で三つ。士は一廟。庶人は寢所に祀る。・・・『礼記』によると、殯の期間は天子の場合が七ヶ月、諸侯が五ヶ月、それ以外の者の場合は、三ヶ月としています。身分によって、ルールに相違があります。ちなみに、「死」という言葉も身分に影響されます。『天子死曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不祿、庶人曰死。』(『禮記』曲禮下)→天子の死を「崩」という。諸侯は「薨」といい、大夫は「卒」といい、士は「不祿」といい、庶人は「死」という。現在でも「崩御」、「薨去」という使い分けがなされるのは、『禮記』の影響です。『曾子問曰「天子嘗禘郊社五祀之祭、簠簋既陳、天子崩、後之喪、如之何?」 孔子曰「廢。」曾子問曰「當祭而日食、太廟火、其祭也如之何?」孔子曰「接祭而已矣。如牲至、未殺、則廢。天子崩、未殯、五祀之祭不行。既殯而祭、其祭也、尸入、三飯不侑、酳不酢而已矣。自啟至于反哭、五祀之祭不行。已葬而祭、祝畢獻而已。」曾子問曰「諸侯之祭社稷、俎豆既陳、聞天子崩、後之喪、君薨、夫人之喪、如之何?」 孔子曰「廢。自薨比至於殯、自拓至于反哭、奉帥天子。」 』(『禮記』 曾子問)→曾子が質問した。「天子が五祀の祭を執り行っていてお供えをする間に、天子や王后が亡くなった場合にはどうするのでしょう?」 孔子曰く「中止する。」曾子が先生に質問した。「祭の時に日食が起きたり、廟で火事が起きた場合、その祭りはどうなるのでしょうか?」孔子曰く「省略して早く済ませる。もし、生贄の牛や豚が殺されていないならば、祭りを中止する。天子が崩御して、未だ殯(もがり)が行われていないならば、五祀の祭は行わない。既に天子の殯が終わっているならば、祭りをしてよい。ただし、この場合の祭りでは尸(かたしろ)が入ってきてから、三口食事を摂ったらそれ以上を勧めず祭主への返杯も省略する。天子の啓(啓殯・本葬のこと)から反哭(帰宅した後の哭のこと)を終えるまでは、祭りを行わない。天子の反哭が終わってから祭りを行うが、その場合でも、祭主が尸に酒を献上するところで終わらせる。」曾子が質問した。「諸侯が社稷を祭っていて、お供えをする間に、天子や王后、君主、夫人が亡くなったとの報を聞いた場合にはどうすればよいのでしょう?」 孔子曰く「中止する。薨去から殯葬、啓殯から反哭までの期間に祭りを慎むのは、天子の場合に準ずる。」・・・Q&A方式の曾子問篇では、こういった細かい事例も載っています。『礼記』を含めた三礼は、儒教の書物としては非常に早い段階で日本に輸入され、積極的に導入されました。たとえば、日本の初期の律令である大宝律令や養老律令に服喪規定があるのも、「禮」の影響です。当然、宮中における葬儀においても、『礼記』に由来するものがあります。参照:養老律令 第二十六 喪葬令 全17条 http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro26.html鎌倉時代に神祇官として宮中に出仕していた兼好法師は、『徒然草』でこう記しています。≪諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。 倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額(もこう)あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。(『徒然草』第二十八段)≫後醍醐天皇の母である談天門院が亡くなって、後醍醐天皇が喪に服していたときの回想をしています。ここにある「諒闇(りょうあん)」、「倚廬(いろ)」ともに、『礼記』にあります。『《書》曰「高宗諒闇,三年不言」、善之也。王者莫不行此禮。何以獨善之也?曰「高宗者武丁」武丁者、殷之賢王也。繼世即位而慈良於喪、當此之時、殷衰而復興、禮廢而復起、故善之』(『禮記』 喪服四制)→『書経』にいう「高宗は諒闇において、三年の間不言であった」よく服喪を守ったということである。この禮を行わない王者はいなかった。何をもって彼は服喪を守ったのだろうか?「高宗とは武丁のことである」、武丁は殷の時代の賢王であった。前王の後を継いで即位した彼が喪を慎み深く行ったのは、当時、衰えを見せ始めた殷を復興し、廃れつつあった礼を復起するという意図があったが故である。元は『書経』にあるとして、殷の高宗が、三年間発言をせずに服喪したことを「諒闇(りょうあん)」としています。諒闇は、現在の皇室も使っている用語で、明治時代に発布された「皇室服喪令」にもあります。参照:Wikipedia 皇室服喪令http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E6%9C%8D%E5%96%AA%E4%BB%A4参照:Wikipedia 諒闇http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%92%E9%97%87『父母之喪、居倚廬、寢苫枕塊、不說絰帶。』(『禮記』間伝)→父母の喪では、喪屋で過ごし、苫で就寝して土を枕とし、麻帯で過ごす。齊衰の喪では茣蓙で就寝し、大功の喪ではむしろを敷いて土間で寢る。父母が亡くなった場合に、掘っ立て小屋を建てるんですが、この喪屋のことを「倚廬(いろ)」といいます。殯(もがり)の儀式も、『古事記』や『日本書紀』にも「殯宮」という形で記録されています。ちなみに、昭和天皇の大喪の礼の際には「殯宮」として、正殿・松の間が使用されました。参照:宮内庁ホームページ 宮殿の写真http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kyuden-ph.html≪明仁謹んで御父昭和天皇の御霊に申し上げます。崩御あそばされてより、哀痛は尽きることなく、温容はまのあたりに在ってひとときも忘れることができません。櫬殿(しんでん)に、また殯宮(ひんきゅう)におまつり申し上げ、霊前にぬかずいて涙すること四十余日、無常の時は流れて、はや斂葬の日を迎え、轜車にしたがって、今ここにまいりました。(昭和天皇の斂葬の儀 御誄(おんるい)より )≫参照:Wikipedia 大喪の礼http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%96%AA%E3%81%AE%E7%A4%BC今日はこの辺で。
2014.06.08
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今はとにかく暇がないので後で訂正加筆いたします。タイトル通りの内容ですので、タイトルを読んだ上で不愉快になられても責任は取れません。教科書問題や領土問題などで、兎角、歴史という言葉を耳にする機会の多い昨今。本来歴史というのは、過去に起きた事象の全てについて対象とすべき分野である。しかし、いつどこで戦争が起きたとか、どちらがどれだけ悪いことをやったのか、などという特化した出来事のあら探しをして楽しんでおる不健全な連中ばかりが跋扈する分野になりつつある。「人の営み」が見えてこない歴史ばかりがもてはやされる。こういった現代社会に一石を投じる「タモリ倶楽部」のカーセックス特集。「雑誌から時代を読むシリーズ」の第一弾と銘打っているが、この番組における史実や人物を再発見しようとする真摯な報道姿勢は今に始まった訳ではない。子宮内に装着する避妊具、グレフェンベルグ・リングを発明し、あの「Gスポット」を発見したドイツの産婦人科医エルンスト・グレフェンベルグ(Ernst Gräfenberg 1881~1957)博士の人物伝を放映し、世紀の偉人の再評価に繋がったことは記憶に新しい。また、「第一ガマン汁」カウパー氏腺液の名前の元となった研究で知られる、ウィリアム・クーパー(William Cowper 1666~1709)博士の功績の影に盗作疑惑があること、イギリスの「サセックス」出身であるという事実を発表したことは業界のみならず、社会全体にも波紋を生じさせる結果となった。さて、そこで今回の「カーセックスの歴史」。世界第二位の自動車生産国である日本におけるカーセックス事情にメスを入れる。カーセックスの雑誌記事を担当した経験もある山田五郎氏、「Love and Sex」を執筆したばかりの鴻上尚史氏、そして、「セックスのプロ!」タモリというメンバー。まず、我々がカーセックスを考える上で決して忘れてはならない命題は、「自動車の発明がなければ、カーセックスはできなかった。」ということである。車がなければカーセックスはできないのである。我々はこの命題から永遠に逃れることはできない。1885年ドイツ人カール=ベンツが三輪のガソリン自動車を発明し、1886年にはゴードリップ=ダイムラーが四輪自動車を発明した後、急速に発展して今や現代社会になくてはならない自動車。字数制限もあり、その歴史については、自動車の歴史に詳しいのでそちらに譲ることにするが、自動車の意義と必要性を、我々は当然のごとく理解しておかなければならない。人類の文明を理解する上でも。カーセックスを理解する上でも。本題に移る。日本で初めてカーセックスについて言及された文献というのは、やはり、というべきか「平凡パンチ」の1967年11月27日号である。タイトルは「動く部屋 クルマのなかのsex」。羽田や駒沢でのカーセックス事情について、おなじみのレポーター「パンチ野郎」が突撃取材である。すでに駒沢公園付近では60年代当時から赤まむしを販売していて「ペアで飲もう赤まむし」という看板も。パンチ野郎と取材を共にしていたS嬢の「みんな、チュウチュウチュウの中納言ばっかりだわ」というコメントは、時代の平衡感覚を麻痺させるのに十分である。68年の「週刊現代」では衝撃的な「外国人女性は日本男児を狙っている!!」という記事が。何でも「先進国」であるところのあちらの女性は、日本人男性とのカーセックスを狙っているとのこと。運転中に事に及んで事故死したケースもあったらしい。一種の自爆テロか?当時は国際問題化しなかったのだろうか?しかし、視点を変えると60年代当時の日本の自動車保有数は僅か200万台。日本のカーセックスの黎明期、まだまだ自動車は特権階級の乗り物であった。したがって入れ食い状態であったことはほぼ間違いない。「週刊現代」も記事の冒頭に、「マイカー族である限り ハントしない方がバカ!!」と力説するように、車さえ持っていればモテるという恐ろしく単純な図式は成立していたように思える。・・70年代以降については後々に。
2005.03.21
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もう昼か。なんか、また外出しなくてはならなくなったので、その前にバラバラにメモ。現在読んでいるのは「横井小楠 維新の青写真を描いた男」(新潮新書刊 徳永洋著)。最近は忙しいので、2週間くらいかけてえっちらおっちら読みます。横井小楠という人は、幕末の熊本藩士で、思想家というか儒者。開国通商・殖産興業・富国強兵の「国是三論」を説いて、「船中八策」「五箇条の御誓文」のベースになった「国是七条」「国是十二条」を発案した人物で、明治維新に至る経緯での思想的な枠組みを担った。勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬、井上毅などにも影響をあたえて、吉田松陰、高杉晋作も長州に招聘したいと画策していたという傑物。特に、横井小楠への人物評として有名なのが、勝海舟の「氷川清話」における、「おれは、今までに恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。」という記述。目立たない人なんだけど、とんでもない人なんですな。この人は、頭の堅い儒者なようでいて、咀嚼力がとんでもない。例えば、「アメリカではワシントンの子孫が何をしているのか誰も知らない」という福沢諭吉の記録は、当時の日本人が、江戸期の封建体制と、共和主義的な大統領制のシステムとのギャップに大変驚いた、ということを分かりやすく説明している(ただし、ワシントンは養子はいたものの、そもそも実子はいない)。まるで違う制度だと考えるのが普通でしょうところが、日本人がまだちょんまげを結っていた時代に、勝海舟が横井小楠に、選挙で大統領が選ばれるアメリカの政治体制を説明すると、「ハハア、尭舜の政治ですナ」と答えるんですな。民主共和制という制度を、小楠は、聞いたこともない新しい政治だなどと考えずに、殷や周の時代よりも遥か昔、伝説上の名君である尭や舜の時代の「禅譲」というシステムだと理解した。前任者の任期終了後に優秀な人材を新たに登用するというアメリカの大統領制は、世襲ではなく、平和裏に賢が賢を継ぐ「尭舜の世」の理想の政治なのだと。・・考えてみれば、今の日本の安倍政権は、国民の選挙によって選ばれたのではなく、事実上小泉政権から「禅譲」という形になっておるよね。(横井小楠は「九州街道ものがたり」でも紹介されていたらしいんだけど、見逃したんだよね。上の話は、多分、司馬さんの「街道をゆく」にも載っている。)小楠は、肌の色は白いもののワシントンこそ尭舜の政治の体現者であると尊敬して、後にワシントンの肖像画を購入して家に掲げるほどであったという。ただし、彼は、欧米の制度や技術力の高さを認めながらも、功利主義を嫌い、イギリスの植民地支配も否定している。道義を知らない覇道であり、東洋の王道とは程遠いと。むしろ道義を持った日本人が西洋の技術を学んべば、世界に真の道義国家を樹立できると考えた。激動の時代にありながらイデオロギーに走らず、現実主義的な考えをもち、同時に儒者らしく道義を語ると言う人だったんですな。小楠は、アメリカに留学する甥に詩を贈っている。尭舜孔子の道を明らかにし西洋の器械の術を尽くさば何ぞ富国に止まらん何ぞ強兵に止まらん大義を四海に布かんのみ今考えたいのは「横井小楠」と「水戸学」との関係。横井小楠は、大変現実的で柔軟な思考もできていて、気になるのよ。結局、読み始めたばかりの横井小楠の話で終わってしまう・・本の内容と違っていたらどうしよう・・・。ついでに。途中で投げ出してしまった「貝と羊の中国人」という本の著者、加藤徹さんがNHKの「知るを楽しむ」に仮装して出ている。「日中二千年 漢字のつきあい」というタイトルでいろんな意味で面白いお話。この人の「貝と羊の中国人」という本は「トンデモ」に近い要素が満載で、決め付け方が産経抄並みに乱暴なんだけど、売れているらしい。国家の品格みたいな本で、途中で耐えられなくなって読むのを辞めた。タイトルの「貝と羊」が、途中でどっかいっちゃってしまうのよ。中国人をバカにするのはまだ分かるけど、その矛先がおかしいし、日本史に戻ると古事記とか日本書紀の時代ばっかり出てくる。一番耐えられなかったのが、「中国には流浪の将軍がたくさん出てくるが、日本にはいない。せいぜい神武天皇くらいだ」なんていうところで、足利尊氏はどうなるんだよ!と、ツッコミを入れて辞めた。とはいえ、NHK教育の「知るを楽しむ」の言霊の話は、結構面白かった。ややオカルトっぽい内容なんだけど、世界観ができている人ではある。基本的には反中の意識が強いくせに、漢字の世界にどっぷり浸かっているという二律背反の姿勢が面白い。はい、時間切れ。今日はこの辺で。
2007.04.09
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荘子です。『雨月物語』と荘子の続き。参照:「怪」を綴るひとびと。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5107『雨月物語』と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5113参照;夢応の鯉魚http://mouryou.ifdef.jp/ugetsu/muou-no-rigyo.htm『雨月物語』の「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」を、元ネタの中国の白話小説ではなく、そのさらなる源泉たる『荘子』の寓話と対比しています。「夢応の鯉魚」での主人公の興義(こうぎ)が、夢の中で魚になり、魚としての生を楽しんでいたものの、餌の誘惑に駆られ、運悪く釣り上げられまな板の上の鯉になったところで目が覚めるという部分は、日本で最も売れたシングルの元ネタであります。参照:【動画】およげ!たいやきくん http://www.youtube.com/watch?v=kmPCD4bwa2w&feature=related「夢応の鯉魚」は、鯉に跨って空を飛ぶ仙人、「琴高仙人(きんこうせんにん)」が登場したり、道教において珍重される桃が出てきたりと、神仙思想や道教の影響が強い作品でもあります。しかし、「生と死」であったり、「夢と現実」であったり、「籠の中の鳥」「魚の楽しみ」などの要素は、『荘子』のテーマとも一致します。参照:曳尾塗中と籠の中の鳥。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5085荘子とクオリア。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5098/で、もう一つ欲しいのが外物篇のこの寓話です。『宋元君夜半而夢人、被髮?阿門、曰「予自宰路之淵、予為清江使河伯之所、漁者余且得予。」元君覺、使人占之、曰「此神龜也。」君曰「漁者有余且乎?」左右曰「有。」君曰「令余且會朝。」明日、余且朝。君曰「漁何得?」對曰「且之網、得白龜焉、其圓五尺。」君曰「献若之龜。」龜至、君再欲殺之、再欲活之、心疑、卜之、曰「殺龜以卜、吉。」乃刳龜、七十二鑽而無遺筴。打開字典顯示更多訊息。仲尼曰「神龜能見夢於元君而不能避余且之網。知能七十二鑽而無遺筴。不能避刳腸之患。如是、則知有所困、神有所不及也。雖有至知、萬人謀之。魚不畏網而畏鵜?。去小知而大知明、去善而自善矣。」嬰兒生無石師而能言、與能言者處也。』(『荘子』外物 第二十六)→宋の元君が夜中に夢を見た。髪を振り乱した男が門の外から覗き込むようにして「私は宰路の淵というところから参りました。清江の使いとして河伯のところへ向かう途中、余且という名の漁師に捕らえられてしまいまったのです。」と訴えていた。元君はそこで目が覚めた。家来に夢占いをさせると、「それは神亀です」という。元君は「漁師の中に余且という名の者はおるか?」と尋ねると、左右の家臣が「おります」という。元君は「明日、その余且なるものを連れて参れ」と命じた。翌朝、余且に「漁をして何を獲った?」と尋ねると、余且は言った「私の網に白い亀がかかりまして、その大きさは五尺四方にもなります。」「ならば、その亀を献上せよ」と元君は命じた。その亀を元君は、殺すべきか、生かすべきかを悩んだ末、占いに頼ることにした。占いでは「亀を殺して、その亀で占えば吉」との結果が出た。そこで、亀の甲羅を裂き、占ってみると七十二回ともハズレがなかった。この話について仲尼曰く「この神亀は元君の夢枕に立てるほどのちからがありながら、漁師の網から逃れるちからすらなかった。七十二回も未来を的中させながらも、腸をえぐられる苦しみから逃れるちからがなかった。このように、知にも人知を越えたちからにも行き詰まるものがあり、人知を越えたところで俗人の網にかかるものだ。魚は、鳥におびえていながら、人の網を恐れることを知らない。さかしらな知に囚われず大いなる叡智と共にあり、世俗の善を捨てされば、自ずと善のこころが芽生える。赤ん坊が生まれたままの状態から、大先生の教えなど請わずに立派に言葉を話せるようになれるのは、ただ、話のできる者と共にいたからだ。」 ・・・雑篇にさらりと載っているすごい寓話です。漁師の網に捕らわれ、その声なき叫びを宋の元君の夢枕に届けたり、未来を的中させるだけの神通力を持った亀が、「未来を占うのに役に立つ」という理由で、無惨にも殺されてしまいます。前半の「元君の正夢」の部分は「夢応の鯉魚」のものと一致します。よくよく読んでみると気づくと思います。この亀は、決して一匹ではなかったようでして、ある時は亀好きの作家に拾われて、ある女の子の大切な友人となります。≪なぜわたしの本にはいつも亀が出てくるのかと、よく問われる。そう問われてはじめてこの事実に気づいたことを告白しなければならない。実を言えば、どの亀(“ウシャウリシュウム”“モーラ”“カシオペイア”“トランキラ”など)も、いわばもっぱらおのずからあらわれたのだ。わたしが意図したわけではない。ここで神話やおとぎ話の絵言語を見れば、この問いの、少なくとも部分的な答えになるのではないか。 世界の神話には亀がやたらと出るものだ。北米インディアンのノアは、旧約聖書のノアのような箱船ではなく、家族を引き連れて巨大な海亀の背に乗り、大洪水の難をまぬがれる。インドの神話では世界は宇宙の亀の甲羅の上に乗っている。『易経』という、変転について記した中国の書を開けば、漢字の原型といわれる六十四の原六角形は先史時代の賢者が、ある亀の甲羅のここの六角パターンから読みとったと書かれている。(『モモ』の読者はカシオペイアの連絡方法を思い出すのではないか)。このような例はいくらでも見つけることができる。 私が個人的に亀(ここでわたしがいう亀とは地中海の陸ガメ)において好ましく感じている点は次のことだ。 一、その全くの無用性。亀は自然界に友も敵も持たない(もちろん人間を除いてだが。こんにち人間は全ての被造物にとって、最も危険な敵になってしまったが、“自然に生じた”天敵ではない)。亀は誰の役にも立たず、誰の害にもならない。亀はひたすらそこにいるだけである。このことは「全てが効用から説明される」という、現代の世界像の中で、特筆すべきほっとする事実だと思う。 二、その無欲。亀は生きてゆくのにほとんどなにもいらない。一日に葉っぱが二,三枚あれば、それだけで何週間も何ヶ月も生きることができる。(以上『エンデのメモ箱』「亀」より引用)≫何度も言いますが、荘子は占いを信じることを否定しています。参照:亀甲獣骨文字 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B2%E7%8D%A3%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97ミヒャエル・エンデの父、エドガー・エンデはシュールレアリズムの画家でして、ユングの影響で禅や老荘思想に没頭していた人でもあります。ミヒャエル・エンデの東洋趣味は、幼い頃に父親に聞かせてもらった東洋の寓話を下地にしています。『エンデが読んだ本』の最初に『荘子』があるのは、自然のなりゆきです。参照:ユングと鈴木大拙。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5095エヌマ・エリシュと老荘思想。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5051泥の中の亀なんてのも、エンデの作品にでてきますが、亀は『荘子』を代表する動物です。≪子安 ああ、それで、エンデさん、あの「モモ」という女の子の名前ですが、日本の読者はみんな、エンデさんが「桃」という日本語を知っていたのだろうかと思うんです。でも、ご存じなかったそうですね。エンデ 知りませんでした。でも、それだけにあとで日本に行ったとき、「桃」だと知ったときのよろこびは大きかった。「モモ」という名前は、本を書こうと思ったときの私に、ただむこうからやってきたのです。子安 それも、エンデさんのありとあらゆる過去の総和から、やってきたのかもしれませんね。とにかく日本人から見て、ふしぎな感情をよびおこされます。日本には「モモ」「モモコ」などの名前はめずらしくないし「モモタロウ」という物語もあります。それからカメが彼岸と此岸を仲介する役目になっているお話もあるんです。モモを時間の国につれていくカシオペイアのように、ウラシマタロウという少年をカメが龍宮城に案内する--でも、そんなことをまったく知らなかったエンデさんのお話とのふしぎな一致がおもしろい。エンデ ええ、きょうもさんざん話したように、私たちが因果論の思考から自由になるとき、あらためて見直さなければならないのは、「一致」という事実のうえに立つことです。その意味で、私には私の本をいろいろ解釈してくる人たちにたいして、正しいとか、まちがいだ、という判断をくだすのがむずかしくなります。たいていの人は、私自身が知らなかったことを、知っていたのだろう、というふうに因果論的に結論づけようとするのです。では、私が知らなかったのだから、その解釈がまちがいか、というと、それはわかりません。ひょっとしたら正しいのかもしれません。『エンデと語る 作品・半生・世界観』より≫ちなみに、桃は中国語で“tao”と発音します。参照:Kung Fu Panda a Gift http://www.youtube.com/watch?v=KhYMwUwR7ZM&feature=relatedShifu & Oogway http://www.youtube.com/watch?v=T_Og8K81M6E&feature=relatedカンフーパンダと荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5104今日はこの辺で。
2012.03.25
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大河ドラマ『西郷どん』放送開始記念。 本日は、西郷隆盛(1828-1877)と儒教について。参照:Wikipedia 西郷隆盛https://ja.wikipedia.org/wiki/西郷隆盛言わずと知れた維新の元勲、西郷隆盛は、歴史的な功績はもちろんのこと、その人柄も多くの日本人に親しまれてきました。しかし、生来寡黙な人物で、また、西郷自身から進んで思想を発信したということも少なく、著作というものもありません。ただし、戊辰戦争以降に西郷と親交を深めた出羽庄内藩(現在の山形県庄内地方)の藩士たちが取りまとめた言行録『南洲翁遺訓』がありまして、この『遺訓』によって、我々は西郷の思想を窺い知ることができます。❝命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个樣(かやう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるゝに付、孟子に、「天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば獨り其道を行ふ、富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能はず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の氣象は出ぬ也。(山田済斎 編 『西郷南洲遺訓』岩波文庫より)❞❝學に志す者、規模を宏大にせずば有る可からず。去りとて唯此こにのみ偏倚(へんい)すれば、或は身を修するに疎に成り行くゆゑ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては濟まぬものと思へよと、古語を書て授けらる。恢宏其志気者。人之患。莫大乎自私自吝。安於卑俗。而不以古人自期。古人を期するの意を請問せしに、堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。(同上)❞・・・幕末の武士ですから、西郷に儒学の素養があるのは当然です。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。」という有名な一節は『孟子』が引き合いに出されています。『論語』でいうとこのあたり。❝子曰。飯疏食飮水。曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴。於我如浮雲。 (『論語』述而第七)❞→先生はこうおっしゃった「野菜を食らって水を飲み、肘を曲げて枕にする。そんな生活の中にも楽しみはある。義に背いてまで豊かになったり高い位に就くなんて、私にとっては浮雲のようなものだ。」「命もいらぬ」というと、「志士」の語源のこちら。子曰「志士仁人,無求生以害仁,有殺身以成仁。」(衛霊公第十五)→先生はこうおっしゃった、「志士、仁人は仁を損なってでも生を求めるものではない、我が身を殺してでも仁を成すのである。」また、西郷が「堯舜を以て手本とし、孔夫子(孔子のこと)を教師とせよ」という箇所がありますが、「克己(こっき)」「修身」など儒教において重要な字句が並んでいます。特にここは朱子学で強調されるところですが、己に克つ、「克己(こっき)」は『論語』に由来する言葉です。❝顏淵問仁。子曰「克己復禮為仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。為仁由己、而由人乎哉?」(『論語』顔淵第十二)❞→顔淵が「仁」について質問した。先生はこうおっしゃった「己に克ち、礼に復して仁を為す。一日自分に打ち克って礼に立ち戻ることができれば、天下は仁に帰するであろう。仁を為すというのは己自身の問題である。他人に頼ったところで意味があるだろうか?」・・・別名『西郷論語』とも称される『南洲翁遺訓』は論語からの影響が特に濃厚でして、例えば『論語』における「仁」の使い方に注視して照らし合わせると、西郷の意図を汲み取り易いのではないかと思います。❝文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些(ち)とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。(上記『西郷南洲遺訓』より)❞❝子曰。不患人之不己知。患不知人也。 (『論語』学而 第一)❞→先生はこうおっしゃった、「他人が自分を理解してくれないと心配しなくてよい。自分が他人を理解していないことを心配しなさい。」❝子曰、「默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」(『論語』述而 第七)❞→ 先生はこうおっしゃった、「静かに事物を知り、学ぶことを厭わず、倦(う)まずに人を教え続ける。私にはそれだけなんだよ。」❝西洋の刑法は專ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑒誡(かんかい)となる可き書籍を與へ、事に因りては親族朋友の面會をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡(かんか)孤獨を愍(あはれ)み、人の罪に陷るを恤(うれ)ひ給ひしは深けれ共、實地手の屆きたる今の西洋の如く有しにや、書籍の上には見え渡らず、實に文明ぢやと感ずる也。(上記『西郷南洲遺訓』より)❞西郷が、西洋の制度を評価する場合にも、徳治主義に近い部分についての共感があります。❝子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格。(『論語』 為政第二)❞→先生はこうおっしゃった「人々を導くのを政によって、人々を正すのに刑罰をよってすれば、民はその政や罰から逃れる事ばかりを考え、恥じることがなくなるだろう。人々を導くのを徳によって、人々を正すのを礼によってすれば、人々は恥を知り同時に道理をわきまえるようになるだろう。❝漢學を成せる者は、彌漢籍に就て道を學ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし、苟も當時萬國對峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏傳を熟讀し、助くるに孫子を以てすべし。當時の形勢と略ぼ大差なかるべし。(上記『西郷南洲遺訓』より)❞ちなみに、西郷のオススメは「左伝」なんだそうで、ここは福沢諭吉と同じですね。参照:靖国神社と中国古典https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201403070000/・・・西郷といえば「敬天愛人」。西郷はここでも「克己」を強調します。❝道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己(こつき)を以て終始せよ。己れに克(か)つの極功は「毋意毋必毋固毋我(いなしひつなしこなしがなし)」と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。(上記『西郷南洲遺訓』岩波文庫より)❞❝道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。(同上)❞ ❝子絕四「毋意,毋必,毋固,毋我。」(『論語』子罕第九)❞→先生は以下の四つを断たれた「意地になるな、拘るな、頑なになるな、我を張るな。」・・・「敬天愛人」の思想は、朱子学や陽明学ではよく見られる展開ですが、今回は王陽明の『伝習録』から。❝夫聖人之心,以天地萬物為一體,其視天下之人,無外內遠近,凡有血氣,皆其昆弟赤子之親,莫不欲安全而教養之,以遂其萬物一體之念。天下之人心,其始亦非有異於聖人也,特其間於有我之私,隔於物欲之蔽,大者以小,通者以塞,人各有心,至有視其父、子、兄、弗如仇仇者。聖人有憂之,是以推其天地萬物一體之仁以教天下,使之皆有以克其私,去其蔽,以復其心體之同然。其教之大端,則堯、舜、禹之相授受,所謂「道心惟微,惟精惟一,允執厥中」而其節目,則舜之命契,所謂「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信」五者而已。(『伝習録』)❞→聖人の心とは、天地萬物をもって一体となし、天下の人を見るのに内と外、遠近の区別なく、およそ血の通う者であれば、身近な親類の子弟のように安んじて見守り、万物一体の教えへと導こうとするのである。天下の人心も、その始まりにおいては聖人の心と異なることはない。己が内に我執がはびこり、物欲が感性を隔てるようになると、ゆったりとした心がちまちまとなっていき、やがてふさぎこんでしまう。そのうち人心がバラバラとなって、親子や兄弟ですら、まるで敵同士のようにいがみ合うようになった。聖人はそこを憂い、天地万物と一体の仁を天下に教え広め、皆にある我執や物欲に打ち克ち、本来人間の有する聖人と同様の心に復しようとした。その教えの始まりは、すなわち堯、舜、禹の時代に授かり「道心はただ微妙であり、ひたすら精神を一とし、中庸をとらえて失うな」という教えのみであった。その守るべきものというのは舜が契(ケイ)に命じて教授した「父子に親有り、君臣に義あり,夫婦に別有り、長幼に序有り,朋友に信有り」という五者のみであった。ちなみに、『論語』の中で、「仁」について問われたとき、孔子は「愛人(人を愛することである)。」と説いています(顔淵第十二)。❝忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、萬世に亙り宇宙に彌り易(か)ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。(『西郷南洲遺訓』岩波文庫より)❞参照:教育勅語と儒教。https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201705070000/・・・西郷の場合には、薩摩の郷中教育や、私淑していた藤田東湖、『言志四録』の著者である佐藤一斎などの影響は明白で、大塩平八郎や、三島由紀夫などと同じように、西郷と新儒教、特に陽明学との関係を指摘することが多いです。例えば、内村鑑三の『代表的日本人』。西郷隆盛はその筆頭に挙げられています。“(西郷は)若いころから王陽明の書物には興味をひかれました。陽明学は、中国思想のなかでは、同じアジアの起源を有するもっとも聖なる宗教と、きわめて似たところがあります。それは、崇高な良心を教え、恵み深くありながら、きびしい「天」の法を説く点です。わが主人公の、のちに書かれた文章には、その影響がいちじるしく反映しています。西郷の文章にみられるキリスト教的な感情は、すべてその偉大な中国人の抱いていた、単純な思想の証明であります。あわせて、それをことごとく摂取して、あの実践的な性格を作りあげた西郷の偉大さをも、物語っているのであります。 西郷は、ほかにも、仏教の中ではストイックな禅の思想に、いくらか興味を示しました。のちに友人に語った言葉からわかるように、「自分の情のもろさを抑えるため」でありました。いわゆるヨーロッパ文化なるものには、まったく無関心でした。日本人のなかにあっては、たいへん度量が広くて進歩的なこの人物の教育は、すべて東洋に拠っていたのであります。 ところで、西郷の一生をつらぬき、二つの顕著な思想がみられます。すなわち、(一)統一国家と、(二)東アジアの征服は、いったいどこから得られたものでしょうか。もし陽明学の思想を論理的にたどるならば、そのような結論に至るのも不可能ではありません。旧政府により、体制維持のために特別に保護された朱子学とは異なり、陽明学は進歩的で前向きで可能性に富んだ教えでありました。 陽明学とキリスト教との類似性については、これまでにも何度か指摘されました。そんなことを理由に陽明学が日本で禁止同然の目にあっていました。「これは陽明学にそっくりだ。帝国の崩壊を引き起こすものだ。」こう叫んだのは維新革命で名をはせた長州の戦略家、高杉晋作であります。長崎ではじめて聖書を目にしたときのことでした。このキリスト教に似た思想が、日本の再建にとって重要な要素として求められたのでした。これは当時の日本の歴史を特徴づける一事実であったのです。(『代表的日本人』内村鑑三著、鈴木範久訳 岩波文庫)”朱子学と対比する形で、陽明学を「革命思想」ととらえ、西郷の思想の源泉とする内村鑑三の見方は、伝統的な西郷論としてオーソドックスなものですが、当ブログとしては、西郷の言葉は儒教全般にわたり、陽明学の影響はあるものの、西郷の思想を「陽明学」の棚に分類するのには抵抗があります。彭祖、何ぞ希わん 犬馬の年塵類に牽かれず 閑権を握る新生祝賀 人と異なる静かに誦す 南華の第一篇彭祖のように長生きができても、犬馬のように縛られた年月を経たくはない塵や芥のような世事に流されず、長閑に時を過ごしたい新年を祝うめでたい日にすら、世間の人とは違ってしまったのだな静かに荘子の第一篇を読み、天地を逍遥するのだもちろん、儒教の枠だけに留まるものでもありませんし。本年はこの辺で。
2017.12.31
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いつのまにやら衆院解散。カルトと一心同体・産経記者による安倍ちゃんの接待記事を記録。>何よりたらふく食べ、飲む姿がお蔵入りするのは忍びない!という水内記者の心意気を買った!参照:【水内茂幸の夜の政論】よく食べ飲む安倍氏 民主との連立慎重http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121118/stt12111818010007-n1.htm 安倍ちゃんの本音が聞けるのは産経くらいのものですから。----(引用初め)-------------よく食べ飲む安倍氏 民主との連立慎重 2012.11.18 18:00 野田佳彦首相がついに衆院を解散した。本会議場の記者席で水内の脳裏に浮かんだのは「こりゃ大変」の一言。なぜなら解散の約1週間前、自民党の安倍晋三総裁に政権を追い込む手法などを伺っていたからだ。政治状況の一変に仕切り直しも考えたが、民主党への厳しい思いや「太陽政策」の真相、目玉の金融緩和策、何よりたらふく食べ、飲む姿がお蔵入りするのは忍びない!速いペースで焼肉を平らげ、日本の処方箋を語る安倍さんには、政権を担う気力、体力がみなぎっていた。12月16日の決戦に向け準備万端だ。 安倍さんと待ち合わせたのは、東京都渋谷区の炭火焼肉「可禮亜(カレア)」。店は甲州街道沿いの目立たない場所にあるが、ダウンタウンの松本人志や宮沢りえ、劇作家の野田秀樹らが通う隠れた名店だ。安倍さんは官房長官時代の平成18年から通い始めたという。 「僕は特に内臓系が好きでね。知人にこのお店を紹介されたんですよ。自宅にも近いから」安倍さんは早速「お姉さん、ビール!」と注文。「お酒は大丈夫なのか」と驚く水内を横目に、手はサッとメニューに伸びる。 「まず特選ネギタンを2人前。ハラミ3人前。カルビは3人前。あとホルモンだよね。特上ホルモン2人前。ミノも2人前。ハツもいっちゃうか。丸腸もね。サンチュ2人前。野菜サラダをどれくらい頼みましょうかね。トマトも2つ欲しい。キムチの盛り合わせはたくさんがいいな」 取材には、カメラマンの酒巻氏に弊社記者2人も同席しているが、結構な量ですよ・・・。 「ホルモンは女性が苦手だよね。僕らがクラス会をやると女性はなかなかはしを伸ばさない。だが僕ら世代の女性は難敵でも、最近の若い女性はそうじゃないんだよな。だから昔より今の方がホルモンははやっている。ちょっとうれしいよね」 早速ビールが運ばれてきた。乾杯! 安倍さんは「あーうまい」とのどを鳴らす。この日は地方講演を終えた足で、東京駅から駆けつけてくれたのだ。 「僕はグルメじゃないが、コース料理じゃなく、自分で注文するアラカルトが好き。居酒屋形式だよね。昔はコース型の宴席に出る機会も多かったが、今はほとんどなくなった。コースがあふれる料亭政治も、僕らの一世代前が最後じゃないかな」 そういえば最近の民主党の首相経験者には、退任直前、ご家族で赤坂の料亭に繰り出す方もおられました。「そりゃ権力者が政権末期に陥る典型的なパターンだよね」----(引用終わり)-------------ひとまずカット!ここまでの文章で、具体的な政治の話題はないです。さりげなく韓国の家庭料理のお店の宣伝を入れるため・・・ではなく、安倍ちゃんの実像を伝えるための演出にちがいない!ちなみに、潰瘍性大腸炎という大変な難病に悩まされ、アサコールという薬を飲んだだけで、奇跡的にケロッと「完治した(本人もフェイスブックで証言済み)」安倍ちゃんだから許されることで、本当に苦しんでいる人は、刺激物の多いキムチのおかわりを注文したり、マッコリやビールをがぶ飲みするものではないと思います。まともなお医者さんなら忠告します。参照:潰瘍性大腸炎 田淵 正文 東京大学大腸肛門外科非常勤講師http://www2u.biglobe.ne.jp/~a000/uc.htm>C。食事療法 緩解期は基本的には何を食べてもよいが、患者によって悪くなる食物がある。多いのは、唐辛子やビール。人によっては、かんきつ類などで悪化する場合もある。古い食べ物で悪くなることが多い。大腸内に炎症を治める酪酸を誘導する発芽大麦、青汁などが勧められている。 活動期には、低残渣食とする。残渣が多いと便量が増えて、大腸が刺激されて下痢の回数が増えてよくない。安倍ちゃんかかりつけの慶応大学病院の消化器内科の日比紀文教授と高石官均氏は、患者に何を教えているんでしょうか?国、潰す気ですか?参照:安倍首相辞任表明 Japanese Prime Minister S. Abe Resignedhttp://www.youtube.com/watch?v=IkOtFxgIuJI大好物のホルモンを食らい、お酒もたらふくいただいた安倍ちゃん。韓国料理店で、気のおけない産経新聞の記者との話もはずみます。----(引用初め)------------- 安倍さんが衆院選で目指すのは、民主党政権の打倒。「無駄削減で16・8兆円の財源捻出」「米軍普天間飛行場の沖縄県外移設」など、この3年半の政局は内政・外交とも混迷を極めた。 水内も「チルドレン・ファースト」という民主党の政策に少しばかり期待し、3人も子作りに励んでしまった。だが子ども手当は1人あたり月額2万6000円から1万円(0~2歳、第3子以降は1万5000円)に削られ、年少扶養控除は廃止。はーっ。期待した僕が浅はかでしたよね。 安倍さんは「ハハハハ」と笑いながら、水内の郷里・新潟出身の田中真紀子文部科学相を切り口に、民主党の病巣を語り出した。 「真紀子さんの幻想ってなくなったよね。彼女は父・田中角栄元首相の天才的なカリスマ性を引き継いだが、マネジメントはメチャクチャだ。今回の3大学不認可問題でも、彼女は1分で分かる認可のシステムを『お黙り!』なんて怒鳴り上げ、役人に説明させなかったのではないかな。『認可しないのに勝手に建物を作って』というが、建物を立ててから認可申請するのが今の規則。これを理解できなかった。岡田克也副総理も役人出身なら分かるはずなのに、真紀子氏を擁護して恥をかきましたよね」 店のおかみさんが炭に火を付け、「特製ネギタン」が届いた。「ゴーッ」という音が期待を高める。安倍さんは「焼くと結構縮むね」といいながら、次々と口にほうり込む。適度の脂加減が絶妙だ。 「大臣になって日が短いのに、彼女はやらかしましたよね。朝鮮学校の授業料無償化問題も再浮上してきた。彼女は北朝鮮の日本人拉致事件を抱える新潟出身なのにさ」 安倍さんは自らトングを握り、肉をひっくり返し始めた。次期首相最有力候補に肉を焼かせるなど上司に怒られそうな場面だが、安倍さんはニコニコしながら焼き上がった肉を届けてくれた。 「そういえば、仙谷由人元官房長官から内容証明郵便をもらったな」 仙谷氏は、安倍さんがフェイスブックに載せた「政治家としての『中道』とは何か」という問いかけに憤慨し、内容証明で公開討論会を申し込んだ。 「『内容証明』というやり方に、最初はどんな左翼弁護士が手紙を寄こしたのかと思ったけど、仙谷さんだったね。野田さんなら党首討論でぶつかるが、残念ながら個別議員すべてに対応できる時間はない。だから『フェイスブックに意見を書き込んで。私も答える』とメッセージを出したんですよ」 でも、フェイスブックだと「友達」申請しないとメッセージが書き込めないのでは。仙谷さんと友達になりますか。 「大丈夫。僕は友達申請しなくても書き込めるようにしてあるから!」 小気味よく民主党の重鎮を斬る安倍さん。トングは「特上ホルモン」に伸びる。「ホルモンってどれくらい焼いたらいいか分からない。みんな『半ナマ』で食べる勇気を持たないでしょ」とくったくない。 店自慢の特上ホルモンはプルンプルン!脂はしつこくなく、かつジューシーなできばえだ。安倍さんも「うまい」とうなる。特定の産地にこだわらず、時々で最上な国産大腸を仕入れているのだそうだ。(中略) 政権維持のためうそをつきまくった民主党だけに、「握る前にバンバン譲れ」という手法に不安はありませんでしたか。 安倍さんは炭酸入りマッコリをのどに流す。(中略) 付けタレに野菜と果物をふんだんに使った丸腸、ミノ。A5ランクの和牛で仕上げたカルビ・・安倍さんは「途中でペースは落ちるね」といいながら、結構食べていますよ。 紹介できない超毒舌トークも飛び出した後、安倍さんは「あーおなかいっぱい」と一言。丸山さんが締めのアイスクリームを運んできた。「政権に戻ったら、自民党は経済政策を大きく変える。デフレ脱却にグンと比重を置きますよ」 安倍さんがスプーンを握りながら語り出した。 安倍さんの一貫した考えは大胆な金融緩和で銀行の資金貸し付けを増やす景気浮揚策。だが、財務省やメガバンク関係者には異論も多い。 「デフレ脱却には、中央銀行の徹底した意思が必要だ。円高克服もその1点に尽きる。かつてスイスはフラン高に悩み、市場介入でもうまくいかないとき、中央銀行は『フランが目指すレベルに下落するまで無制限にフランを発行する』と鉄の意志を示した。ファンドはお金を刷る中央銀行と敵対ポジションを取れなくなった」 「日銀が一般銀行にドンとお金を預け続けることで、冷え込んだ心理も変わってくる。今一般銀行が日銀に預ける際の利息は0・1%。一般向けに0・0何%の利息で集めた金を日銀に預ければ、自動的にもうかる仕組みになっている。これじゃ日銀に金が集まるだけだ。金融緩和で市場の通貨量を増やし、一般銀行の貸付金利を下げる。それが投資を生み、経済成長につながる。一時的に日本国債の金利は上がるだろうが、1%の成長で4%税収は伸びる。財務省も改革を恐れちゃダメだ」 まだ衆院選前だというのに、市場は即座に安倍さんの発言で反応する。15日には「日銀は貸し出し圧力を強めてほしい」と講演した途端、円は終日対ドル・対ユーロ安の展開となった。すでに自民党政権の復帰を織り込んで動いているのだ。 そんな安倍さんが目の前で、ニコニコしながらアイスを平らげている。何とも不思議な感じだが、食べた肉とお酒の量から類推するに、政権を再度担う準備は整ったようだ。何より抜群に明るい! 米国との関係修復、対中外交、景気対策・・。野田首相が自民党を皮肉った言葉を借りれば、民主党政権の「負の遺産」はあまりに多い。安倍さんが即座に手術すべき懸案ばかりだが、ヤブ医者に愛想が尽きた国民は、名医の登場を待っている。 【炭火焼肉 可禮亜】東京都渋谷区本町1ー17ー10。電話03ー3378ー4129。営業時間は日~木が午後5時~翌午前1時。金・土が午後5時~午前3時。水曜休。----(引用おわり)-------------アイスクリームまで食べちゃってます。会計は?気にしない、気にしない(笑)。同志なんだから!今日はこの辺で。
2012.11.20
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荘子です。今年の芥川賞の受賞作は、両方好きなんですけど、当ブログといたしましては、『道化師の蝶』を外す訳にはいきません。実験小説としてとか、衒学として片づけられる(論評の対象にならないというただそれだけのために捨てられる)可能性もあるとは思いますが、フランツ・カフカと荘子の関係を読む上でも興味深い作品です。≪「真のリアリティはつねに非リアリスティックです。」とフランツ・カフカは語っている。「支那の色彩版画の明澄さ、清純さ、真実さをご覧なさい。あのように語ることができるということ-確かにそれは何ものかです。」(G.ヤノーホ著 『カフカとの対話』より)≫参照:カフカのリアリティ。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5110『道化師の蝶』は、胡蝶の夢をモチーフに使いながら、言語学者が「言語の起源」に迫る『コッポラの胡蝶の夢』に似ています。後は、司馬遼太郎の『胡蝶の夢』とか。円城塔さんの場合、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品群からの影響が非常に強いものだと思います。参照:YOUTH WITHOUT YOUTH theatrical trailer http://www.youtube.com/watch?v=mn0XGlwTKCI参照:インセプションと荘子とボルヘス。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5074≪「捕虫網というのは会話のきっかけとしてうまいやり方ですが、どこで思いつかれたのですか」 あるインタビューで尋ねられ、強い調子で返答している。 「あなたはわたしの話を完全に勘違いしている。この網は実際に着想を捕らえるのです。」 「本当に物体が捕まるのですか」 網に物が絡まるのは当然といえば当然の事柄である。 「あれは一九七四年、スイスに向かう機内でした。顔を煽っていた帽子のなかに、蝶が一枚飛び込んだのに気づいたのです。」 「飛行機の中に蝶がいたのですか」 エイブラムス氏は憤然として、 「あなたはわたしの話を完全に勘違いしている。その蝶は帽子をすり抜けましたよ。この世のものではないという明白な証拠だ。それと同時に見えているのだから物質なのです。実在しているものなのです。」(『道化師の蝶』より)≫度々登場する「蝶」は、間違いなく荘子の『胡蝶の夢』です。≪「ここにパスポートが4つあります」「ここにパスポートが4つあります」わたしはおばあさんの手から一つを取り、首を傾げて静かに言葉を待っている。「パスポートが3つ」「パスポートが3つ」そう繰り返し、もう一つ取り戻す。(同上)≫これは、だれがどう見ても「朝三暮四」です。参照:朝三暮四の認識論。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5101≪想像される能力からは、多言語を用いて書かれた小説や、独自の言語の開発などが期待されるが、彼の残した文章にそうしたものは見当たらない。渾沌の形をとったはじまりの言葉はあるものの、発音を写しただけのように見えるその連なりは、基本的にはその地のアルファベットをたどたどしく用いて記され、文法的には以前に滞在した地の言葉をひきずっている。(同上)≫・・・ここには、【渾沌】とあります。「混沌」ではなく。「世之所貴道者、書也、書不過語、語有貴也。語之所貴者、意也、意有所隨。意之所隨者、不可以言傳也、而世因貴言傳書。世雖貴之我、猶不足貴也、為其貴非其貴也。故視而可見者、形與色也、聽而可聞者、名與聲也。悲夫。世人以形色名聲為足以得彼之情。夫形色名聲果不足以得彼之情、則知者不言、言者不知、而世豈識之哉。」(『荘子』天道 第十三)→道を学ぶときに、世の人が学ぶのは書物である。書物は言葉を載せているものに過ぎない。一般に言葉は貴いものであると思われている。言葉が貴ばれるのは、それに意があるからであって、意には何らかの指し示すものがある。その意を指す「本質的なもの」ものというのは、言葉では伝わらない。にもかかわらず、世の人々は書物や言葉で、本質が伝わるとでも思っている。世の人がそれを貴ぼうとも、それは貴ぶべきものではない。目で見えるのは物の形と色、耳で聞こえるのは物の名前と音だけだ。悲しむべきことだな。人はそんなもので相手の心のうちまで理解できると思い込んでいる。だから言うのだよ。知る者は言わず、言う者は知らず、とね。このことが、世の人に理解されないのだ。≪自分の飽きっぽさに関しては、変に何かが見えるせいのような気がする。それが何かはあまり言葉にしたくない。原理とも法則とも呼ばれてしまいそうだが、体感は違う。単調な繰り返しが嫌いなわけでは決してなく、そもそも繰り返しは単調ではない。作業自体は同じでも、瞬間瞬間周りの空気は異なっている。ホルバイン・ステッチとフェズ刺繍の実体が全く同じものであっても、二つの刺繍は同じで違う。一つの針の目、一つの縫い目は、別々の音のようにわたしに響く。上面を撫でたところで何かをやり遂げた気になってしまって、頭の中で完成品をつくり終わって飽きるのだと思いたくない。それでも体が勝手に働き、足はわたしをどこかへ運ぶ。(『道化師の蝶』より)≫参照:夏目漱石と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5011ここは、梓慶(しけい)のお話。『道化師の蝶』には達生篇の蝉取りの名人まで出てきまして、荘子と対比すると非常に面白い。裁縫の話あたりになると、最近の癖でミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』や『影の縫製機』を連想してしまいます。≪昔の女はこればかりでね、外へ行きたい子供があっても、女の子というだけでとにかく刺繍をしなきゃならない。そりゃまあ、終われば好きにしたって良いのだけれど、これがまた良くしたもので、いつまでやっても終わらないようにできている。あんたももうわかっただろう。ほんのベッドカバーを作るだけでも一年二年とかかったりする。 屹度、そんな内容を話しているのだ。ほとんどそれは言葉というより、手芸につきものの一種の儀式をなしている。多くの国で、同じ内容が語られ続ける。理解するのに言葉が必要なくなるほどに。わたしはお婆さんの手元を注視しながら、言葉に耳を傾けている。何を言っているかは分かるのに、言葉の意味は分からない。聞いたなりにそのまま返し、お婆さんの手が止まる。 おやおや。と、皺の間の目が開く。 おやおや、わたしゃあんたに言葉を教えなきゃならないのかい。(『道化師の蝶』より)≫桓公讀書於堂上、輪扁?輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰。「敢問公之所讀者何言邪?」公曰「聖人之言也。」曰「聖人在乎?」公曰「已死矣。」曰「然則君之所讀者、古人之糟魄已夫!」桓公曰「寡人讀書、輪人安得議乎!有説則可、無説則死。」輪扁曰「臣也、以臣之事觀之。断輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以?臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老断輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣。」(『荘子』天道 第十三)→桓公が書物を読んでいると、輪扁なる車輪を作る職人が「何を読んでいるんですか?」と聞いてきた。桓公は「聖人の言葉だよ」と答えた。すると職人は「その聖人様は生きているんですか?」桓公「いや、亡くなっておられる」職人「なんだ、あなたさまは死んだ人の残りかすみたいなものを読んでいるだけじゃないですか」桓公が怒って「お前なんぞの身分でわしの学問をバカにするのか、答え次第によっては命はないぞ!」というと、輪扁なる職人は「車輪を作るときに、ぴたりとはめ合わせる技は、言葉で伝えることも出来ませんし、私の息子にも教えることができませんでした。自分の経験と勘を継がせる事ができませんで、私を越える者もおらず、七十の今になっても車輪を作る仕事をしています。さて、今でも働いて報酬をもらっている私に言わせてもらえば、お殿様の読んでいる本は、今を生きていない死んだ人の書いたもの。いわば、古人の糟魄ではありませんか?」・・・全ての事柄に通じることでもありますが、本当の仕事にマニュアルはありません。職人の勘や経験、学者のひらめき、芸術家のインスピレーション、宗教家の目覚め。これらを言語という不完全な道具で伝達することは非常に困難なことです。それは、自他共に今何を考えているかというレベルにおいてすら、完全なる説明が不可能なのと同じです。解剖したって分かるものではないわけですから。参照:The Karate Kid clip 'Jacket On' http://www.youtube.com/watch?v=T10ycFr770g&feature=relmfuFinger Pointing to the Moon - Bruce Leehttp://www.youtube.com/watch?v=sDW6vkuqGLg高度な精神性と身体性を要求される武の道も又然り。この「古人の糟魄・糟粕(そうはく)」は、大阪大学理学部に揮毫された長岡半太郎さんの書にもあり、朝永振一郎さんの著作にも度々出てきます。参照:勿嘗糟粕 甲戌夏日 楽水http://www.sci.osaka-u.ac.jp/students/handbook2009/graduate/intro.html下にある湯川さんの書「天地有大美而不言(天地は大美あれども言わず)」は同じく『荘子』の知北遊篇です。湯川秀樹と荘子 その2。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5009で、≪カフカは私の睡眠不足に気づいた。感興のあまり明け方まで書いていまいました、と私はありのままを言った。カフカは、大きい木彫りのような両手を机の上において、ゆっくりと言った。「内部の感動をそれほどスムーズに放出できるならば、大きな幸福です。」「なにか酔ったようでした。僕は自分が書いたはずのものを、まだ読んだことがありません。」「当然です。書かれたものは、体験の単なる残り滓なのですから。」(G.ヤノーホ著『カフカとの対話』より)≫フランツ・カフカは、この教えを知っています。参照:カフカと荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5106カフカと荘子 その2。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5108今日はこの辺で。
2012.02.26
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