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昨日、G1ミニストリーの佐藤恵一さんが、ご奉仕のため、大阪に来て下さった。 G1ミニストリーは、アメリカ・アリゾナ州在住の佐藤恵一・ひろみご夫妻が、奉仕されているお働き。リバイバル新聞への連載、オリジナルCD作成や、巡回コンサート、「夫の『救い』を祈るとき」という本を出版するなどの活動をされている。(「夫の『救い』を祈るとき」は、←ここで、全文をWEB上で、読むことができます!)年間4回ほど、伝道旅行という形で来日され、とにかく、呼ばれるところなら、謝礼をいただけなくとも、どんな山奥でも、お招きするところの人数が少なかろうと、駆けつけるという、経済的必要さえ、まったく神さまにお委ねしたご奉仕をされている。 半年前、「夫の『救い』を祈るとき」を、知人に勧められて読み、聖霊の働きによって、・みことばを読み養いを受け、・祈り、・実践する ことを、鮮やかに思い出させられたというか、いつの間にか忘れていたことを、すきぃっ☆っと、言語化させられたというか、いい意味でのショックを与えられた。「100パーセント聖霊主導」っていうのかな? (2月1日の日記参照)以降、G1ミニストリーを軸に、いろんなつながりが、どんどん与えられた。さながら、サポーター・ネットワークといったところかな? さて、佐藤ご夫妻、もともと、お二人が結婚後、渡米した時には、キリスト教には、まったく無縁だったが、まず、ひろみさんが1996年に、イエス様を主として、受け入れて信仰を持ち、その半年後に、夫恵一さんが、イエス様を信じた。恵一さんは、当時、アメリカで、プロゴルフのカメラマンとして、アメリカでも3本指に入るほどのステータスに登り詰め、経済的にも、誰もがうらやむような生活を送っていた。だけど、年間200日以上、仕事のため、家を空ける生活で、また、時間的な制限だけでなく、家庭は崩壊寸前で、実に、空しい人生だったという。 信仰を持ってからも、しばらくは、カメラマンの仕事をされていた。そして、たとえば、大きな教会なんかで、成功した日本人クリスチャンカメラマンとして、証をして、献金を集め、それを、日本の弱った教会に、どっか~んとお献げしたい、などと考えておられたそう。 しかし、ある時、神さまのコール(召し)。それは「写真を手放して、わたしに従いなさい」という声。そして、恵一さん御自身ともいえる、そのアイデンティティである写真とカメラを、主の御手にお委ねし、献身する決心そされた。そして、「日本に伝道しなさい」との召し……。 もともと、日本がいやで、渡米した身。また、日本において、キリスト教がマイナーなこと、そして、佐藤さんご自身が、日本の教会から見て、型破りのようにも思われて、「中国でも、アフリカでも、北極でも行きますから、日本だけは、やめて下さい」と逃げ回るが、異教の地ニネベ宣教に行くのを拒んだヨナ同然の経験を与えられ、神さまに降参したという。献身して、最初の半年は、呼んでくれる教会もほとんどなく、ミニストリーも行き詰まるような、経済的にも、霊的にも、危機的な状況の中、9月11日の同時テロ。その時、佐藤さんは、アメリカ国内を飛ぶ別の飛行機に乗っていた。あとで、聞いた話では、アメリカを飛んでいる全航空機に対し、最寄りの空港に緊急着陸の大統領命令が発せられていて、一定の時間以降に飛んでいる航空機は、撃ち落とされることとなっていたという。そして、佐藤さんの飛行機は、最寄りの降りられる空港がなかったようで、もとの発地に戻ったが、最後の30機に残っていたそう。まかり間違えば、自分の飛行機が乗っ取られていたかも知れない……、もう少し、着陸が遅かったら、撃ち落とされていたかも知れない……。生かされている自分。 信仰4年で、これだけやっている、カメラを捨てた、そんなプライドが、取り扱われ、もはや、自分が生きているのではない、と思わされたそう。 30日夜は、教会の祈祷会に出席して下さり、今日は、午前中に「らみい」という、主に子供を持った女性対象に、また、夜は青年対象に、それぞれ、歌とメッセージというコンサート形式の集会を、開いてくださった。 いろんなことを、深~く、教えられたなぁ。 神さまと、ぴたっと歩むこと。時に、私たちは、神さまから遠いと感じることがあるかも知れない。でも、神さまの方から決して離れられることはない。それは、私たちが離れてしまっただけ。 放蕩息子が、父親に受け入れられた条件…… 少しは、体をきれいにしたから? ちゃんと反省し、悔い改めたから? 何かよい行いを、少しでもしたから?いや、父は、豚の世話をして、豚臭いままの弟を、まだ遠くにいるのに見つけ、走り寄せ、抱き寄せ、口づけし、家に連れて帰り、晴れ着を着せ、その手に指輪をはめさせ、くつをはかせ、子牛をほふって、祝宴を開いてくださった。そう、ぼろぼろの弟を、そのままの姿で、受け入れてくださった。 神さまが与えたもう試練。それは、神さまの栄光が現されるため、そして、私たちを整えるため。ティーパックのお茶は、水やぬるま湯ではなく、熱湯によって、初めて、その持ち味である、色・味・香りを放つ。クリスチャンも、試練の中で、真価を発揮。 持ち味・上からの信仰……金を精錬する人は、炉の火をどこまで熱くすべきか、どれだけ時間をかけるべきか、コンマ何度、コンマ何秒まで知って、もっともふさわしい時に、ふぅっと浮いてくる不純物を取り去る。神さまも、私たちの状態を、私たち以上にご存じで、必要な温度まで上げ、必要な時間かけて、私たちを取り扱いたもう。 神さまとの関係選択の基準 そのことが、イエスさまが喜んでいただけることか?横の関係(人間関係)より、たての関係(神さまとの関係)それは、知識ではなく、実際の神さまとの人格的関係に基づくもの。 神さまに差し出す部分「これこそが、『自分』です。他の部分は献げますが、ここだけは、残してください。」という部分こそ、差し出す部分。「人は、神と冨の両方に仕えることはできない。」そして、委ねようという思いは、まったく、神さまから来るもの。その先に、大きな大きな平安と祝福がある。 心から、Praise the Lord! と告白できる。Here I am, This is me. 全部、差し出しますから、神さま、変えて下さい。 この世は、確実性を求める。しかし、信仰の世界は、見える部分は、不確実の世界。でも、霊的には、最も確実。神さまは、私たちの思い・想像以上の、みわざをなして下さるのだから。 佐藤ファミリー、これまで、アメリカを拠点としていたが、この夏、ご家族で日本に帰国されるそう。先のことは、まったく分からないけど、先は、見えないけど、神さまの導きに、喜んでお従いする姿勢に、佐藤さんに働かれ、作りかえ続けていて下さっている神さまのみわざを、ほめたたえずにおられない。 いろんな形で、お支えしたいな、と強く思わされるG1ミニストリー。主よ、全能の御手をもって、その働きを、祝し、用い、守り、導いて下さい。
2003年05月01日
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新しい月、2月になった。 昨年の11月から、12月、1月の3か月間を振り返ってみたら、なんと不思議な日々だったのかな、と思う。けっこうエキサイティングな3か月。何がどうかは、よく分からないけど、少なくとも、3か月前とは別人の自分がいることは確かだ。目に見えること、見えないことを含め、試練と祝福があり、それは、外側の事件を通し、実は、自分自身と直面し、直視させられる大きなきっかけとなった。 そんな中、12月に読んだ1冊の本が、信仰の部分に、スパイスのような、絶妙な刺激を与えてくれた。 本のタイトルは『夫の救いを「祈る」とき』。ご夫妻で「G1ミニストリー」という働きをなさっている、アメリカはアリゾナ在住の佐藤ひろみさんが書かれた本。 ・聖霊によって、みことばの養いを受け ・聖霊によって、祈り ・聖霊によって、実践することが書かれてあった。この3つの基本をベースに、残りは、だんなの救いのための具体的な適用。自分自身、すでに信仰を持っている「夫」なので、本来読むはずのない本(笑)だけど、不思議な導きで、今思えば、最適の時に読まされ、忘れていた「神さまが主語」「聖霊100パーセント主導」の信仰を思い出させられた。他にも、前後して、教会員やネットでの交わりや文書、本などを通して、いろ~んな気づきが与えられ、それらが相関関係っていうのかな、相乗効果っていうのかな、微妙に影響しあって、混ざり合って、心の中に大きな変化を与えてくれた感じ。ただただ、神さまに感謝。 さて、この『夫の救いを「祈る」とき』の本、とびら書きだけでも、素敵だったので、引用させていただく。(佐藤さん承認済み) あなたがわたしに しっかりとつながり、 わたしのことばが あなたの心に いつもとどまっているなら、何でもほしいものを 求めなさい きっとそのようになるから。 ヨハネ15:7 G1訳 思いと願いをはるかに超えて 「わたしに祈り求めなさい。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの理解を超えたすばらしい事をあなたに教えよう。」エレミヤ33:3 昨年の8月、いまだ烈しいアリゾナの夏の日差しを浴びながら、いつものように川辺を散歩していたときのことです。川辺とは言っても、水はなく、ただ初夏のモンスーン季にそなえて、山からいっぺんに流れ出す水を受けとめるよう、かなりの幅の川底が砂漠の大通りのように、伸びています。 左手に雄大なカタリナ山脈をながめ、からりとして空気を肌に感じながら歩くうちに、いつものように声に出してイエス様に話しかけました。 「夫の救いについての本を、5年後ではなく、やっぱり今書きはじめるべきなんでしょうか?」 前の晩、主人とふたりで、これからG1ミニストリーを彼ひとりではなく、家族4人のミニストリーとしてやっていくことを、祈りつつ、決めたばかりのことでした。 そして、今後のミニストリーの活動について、いろいろと話し合ううちに、私は、主人が救われてすぐのときから、夫の救いについての本を書きたいという思いが与えられていたことを話しました。 「5年後じゃなく、今すぐ書きはじめるべきだ。きっと、その本を待っている人がたくさんいるから」という主人の声を、あたかもイエス様ご自身の声のようにききましたが、もう一度静かな場所でイエス様とふたりきりになって、返事をききたいと思ったのです。 心になにか答えらしいことが返ってくることもなく、みことばがふと頭に浮かぶこともなく、そのまま、乾いた砂漠の土手を歩きつづけました。 「ああ、イエス様。でも、あなたには、本当にどんなに感謝をしても、しつくすことができません。結婚の危機の中で、私の魂がすっかり闇に沈んでいたとき、あなたのほうから私を救いにきてくれたんですから。しかも、『どうか主人との間をもとどおりにしてください』という叫びのような祈りに、私の思いや願いをはるかに超えて、答えてくださいましたね」 5年前の自分自身の救い、それから8か月後の夫の救い、それからさらに4年後の夫の献身を今さらながら振りかえり、ずいぶん遠いところまでイエス様と歩かせてもらったなと感慨が胸にあふれます。 たったひとりのミニストリー 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」コリント第二1:4 「あなたが書きなさいというなら、私にはその力があるようには思えないけど、信じて書きはじめます。でも、人間的な早合点で、まだ時でもないのに書きはじめるのは、私は嫌です。だから、どうか今が時なのかどうか教えてください」と、またイエス様に語りました。 思えば、信仰の「し」の字も知らなかった5年前、クリスチャンの友人にあげようと思って『あなたの夫も救われる』という自費出版の翻訳本を手にしたのが、私がみことばと出会うきっかけでした。それもまたイエス様のご計画であったと、今さらながら、主の愛と知恵に驚かされます。 二年間ほど結婚の危機で苦しんだあとに与えられたそれらのみことばは、あたかも乾いた砂漠の地面に雨水がしみこんでいくかのように、私の心にしみわたり、かたくなな部分を砕いてくれたのでした。 生まれて初めてイエス様の名前で祈った瞬間、すーっと心に入り込んできた平安を今もはっきりと覚えています。その平安によって、「あと何年かかるか分からないけれど、イエス様がかならずこの結婚を修復してくれる」と信じることができました。 今から思うとあっという間に訪れた主人のすくいでした。が、期間は短くとも、激しい嵐の連続でした。さらに、そこから主人の献身までの道のりが4年間。それもあっという間の年月でしたが、そこにもたくさんの涙と鼻水と祈りとがありました。 アリゾナの青い空をながめながら歩いていると、そんな苦しい時期があったのさえ、夢のように思えました。 そのとき初めて、「家族のミニストリー始まったということは、私の『たったひとりのミニストリー』が、もう終わったことを意味しているのだ」ということに気づかされたのです。すると、青い空の向こうから、イエス様が「よくここまでがんばったね」と言って微笑んでくださっているような気がします。イエス様の愛とあわれみによって、私は人生の冬、人生の嵐をとりあえずぶじに乗り越えされてもらった。嵐はまだいくつも来るかも知れないけど、夫をイエス様にしっかり引き渡すために起こったすべての嵐は、とりあえずこれで終わったのだ。だとしたら、「今」が本を書くときなのだ、と思いました。そのときイエス様は、たしかに私の心に、「自分が来た道を引き返して、涙を流している姉妹をなぐさめなさい」と語ってくださいました。本がうまく書けるかどうか、みんなにうまく伝わるかどうか、そういういっさいの心配をイエス様にあずけ、「はい、イエス様、この小さき者を通して、あなたが姉妹をなぐさめてください」と答えるころ、散歩の終点が見えてきました。 あれから1年かかって、イエス様の恵みと、愛する兄弟姉妹に支えられてこの本ができあがりました。今、本を手にとってくださっているあなたには、まだお会いしたことがないかもしれませんが、主の豊かな祝福と恵みと励ましとが、この本を通して与えられますようにと、あなたのためにも祈りながら、書き進めてきました。主にある姉妹であるこの私が、ひとりで歩いた砂漠の道を、あなたもまた歩こうとしています。どうぞ一章、一章、いっしょに祈りつつ、あなたを愛してくださる主の御手にしっかりとつかまって歩いてください。あなたには誰よりも力強い味方がついています。天と地のすべての権能を与えられているイエス様が、あなたと同じ思い--あなたの夫に救われてほしい--を持っていてくださいます。だから、本当のことを言えば、「ふたりのミニストリー」です。だったら、恐れることは何もありません。真実な主が、終わりまであなたと共にいてくださいます。あなたの中に夫の救いに対する思いを与えてくださった主は、光りかがやく目的地まで、必ずあなたを導いてくださいます。みことばもよく知らず、どうやって祈ったらいいかもわからない、信仰の赤ん坊だった私にも、そうしてくださったのです。さあ、心を静め、イエス様に「終わりまでしっかり手をつかんでいてください」と祈ったら、さっそく出発しましょう。やがて訪れるすばらしい歌の季節に向かって。 わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。 雅歌2:10~13 ↓ (おまけ)東京でロゴスミニストリーのきよきよ先生の、G1紹介ページhttp://home.att.ne.jp/gamma/logos/kiyotae/kiyo2/02_0709.html
2003年02月01日
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