古くから来宮大明神と称し、
熱海郷の地主の神であって、
伊豆の来宮の地に鎮座し、
来福・縁起の神として古くから信仰され、
「延喜式神名帳」には
「阿豆佐別神社」(アズサワケジンジャ) の名で
記されております。
平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は
戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられ、
現在では 全国四十四社のキノミヤジンジャの総社
として、
信仰を集めております。
御祭神
五十猛命は熱海に鎮座される際、
地元民と入来たる旅人を守護しようと神託をつげられたことから、
伊豆に来る旅行者が多く参拝されます。
国指定天然記念物に選定されております来宮神社のご神木
「大楠」は樹齢2千年を超え、
平成4年度の環境省の調査で、
全国2位の巨樹の認定を受けており、
幹周り約24米の迫力に人々は畏怖し、
自然と手を合わせます。
是非大楠に手を合わせ
悠久の時の流れを感じてください。
由縁
古くから 来宮大明神 と称し、
熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、
来福・縁起の神として古くから信仰されています。
奈良・平安期の 征夷大将軍
坂上田村麻呂公は 戦の勝利を祈願し、
熱海来宮神社の御分霊を 東北地方を始め、
各地を統制して行った と伝えられます。
おおよそ、 今から1300年前
、
和銅三年六月十五日に熱海湾で漁夫が網をおろしていたとき、
御木像らしき物がこれに入ったので、不思議に思っていると、
童子が現れ 『我こそは五十猛命である。
この里に波の音の聞こえない七本の楠の洞があるから
そこに私を祀りなさい。
しからば村人は勿論いり来るものも守護しよう。』 と告げられ、
村民達が探し当てたのが、この熱海の西山の地でした。
(⇒ 下記囲み参照)
日本武尊は
人皇第十二代、景行天皇の御代、
御東征に出陣せられ、
箱根路からこの地に軍を進められた時、
住民を労り、
産業を奨励した功績と
武勲を称えたためまつられたと
伝えられる。
五十猛命は素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子であって、
尊と共に朝鮮に渡られ、
樹種を持ち帰り
日本国土に
播種した神であります。
当社へは和銅三年六月にまつられました。
大巳貴命は素盞鳴命(すさのおのみこと)の御子であって
又の名を、大国主命(おおくにぬしのみこと)、
俗に「ダイコク様」と云われ、
古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、
この熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ
風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い
此処に住居を定められたとき祀られたと伝えられています。
今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ
漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので
不思議に思っていたところ、ふとそこに童子が現れ
「我は五十猛命である。」
此の地に波の音の聞こへない七体の楠の洞があるから
そこへ私をまつれ、
しからば村人は勿論
当地へ入り来る者も守護するから
と云うと同時に
童子は地に伏してしまったので、
村人一同で探し当てた所が、
今の此の地であり、
毎年六月十五日
(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て
当時を偲ぶお祭りを行う。
(七月の例大祭。こがし祭)
当時海辺で神に麦こがしをお供へした故事にならい
今でも古くから引き続いて
これを神に供えて、
尚、
国の天然記念物に指定されている
此の大楠は、
当社の御神木(ヒモロ木)であって、
太古は此の楠へ
神の霊をお招きして
神をまつっていました。
いわゆるヒモロ木神社である 事は
故宮地直一、
加藤玄智両博士の著書にも
述べられています。
奇妙な記述の一つ、日本書紀の第十代崇神天皇、第十一代垂仁天皇の条だ。
そこで語られる
伊勢皇大神宮(内宮)の由来記
(天照大神の祭祀を皇居から分離したこと) と、
出雲大社をめぐる激動。
崇神天皇は
「出雲大神の宮に秘蔵されている武日照命が天よりもち来れる神宝を見ま欲し」
・・・ところが奇妙なことに
一度朝廷に回収した神宝を出雲大社に返還した。
出雲大社の神宝とはそもそも何か。