超ポジティブ生活

超ポジティブ生活

その3




それはそれは苦悩の末、教育委員会に私は電話をかけた。
「苦悩の末、普通学級に入れることに決めました。」と担当者に言った。
いろいろな人から、ひと筋縄じゃいかないとか、色々と圧力がかかってなかなか希望が通らない等と聞いていたのだが、担当者の返事は「それでは一学期間はそれで様子を見ましょう」ということだった。とりあえず就学先の校長先生と話をしなければならないらしく、学校に電話をして日時を決めてくださいと言われて電話を切った。

意外な程あっさりと希望が通って正直驚いた。なぁ~んだ、そんなに大変なものでもないのね!なぁんて肩の力がいっきに抜けた。
のんびりしていられないので早速学校に電話を...
「校長は今、別の電話にかかっています」と言われたので後でかけ直すことにした。別の電話~?!いや~な予感がした。

その瞬間、うちの電話が鳴った。さっき話をしたばかりの教育委員会の担当者からだった。
「さっきの件なんですが、もう考える余地はないんですかねぇ。」
ときた。さっき肩の荷がおりてフッと軽くなった気持ちが一気にどん底に落ちた。やっぱりなぁ、そうは問屋が卸さぬってか。さっき校長と話してたのは多分この担当者だったんだな。

でもこちらも考えに考えて苦しんで出した結果だ。そう易々と変えられる訳はない。それに悩みに悩んでいた時ある人から「そう言うときは可能であれば本人の希望を聞くのが一番いい」とアドバイスをもらってさぁちゃんに聞いてみたところ「お友達と一緒のクラスがいい」と何度聞いても言ったのである。さぁちゃんの意思は固かった。それもあって私はやはり普通学級に行かせたいと強く思っていた。

「苦悩の末、やっとの思いで決めたことですから」と言うのが精一杯だった。案の定、更に子供の為を思ったら心障に入れるべきだとか、親としてもっと考えなければならないだとか、なんとか心障学級に入ってもらおうと必死に説得してきた。

自分達の出した結論に自信があるわけがない。実際に入ってみなければそれがよかったのかどうか分からないのだ。私達はさやかの可能性に賭けたのだ。それは誰にも予測がつかない。私も不安で一杯だったが、それだけを信じてなんとか頑張っていた。
だから教育委員会からの説得に自信をもって対応できるはずもなかった。しっかり考えて出した答えがグラグラ揺さぶられた。
結局一度校長と教育委員会の担当者と一緒に話し合いをしましょうと言われ承諾した。

弱いわたし。帰ってきた主人に話すと「どうして承諾したんだ、話し合いの余地はありませんってハッキリいえばよかったのに」といわれた。自分でも自信をもてないことをハッキリと通すだけの強さは私にはなかった。

その日まで教育委員会に対して私は悪いイメージをもっていなかった。しかし、その電話でのやりとりは実に私を小バカにしたような話し方で、その裏側にあるお役所的な事情がハッキリと見えた気がした。「障害児は健常児と別にしないとダメなのよ」というようなことを子供に言い聞かせるかのようにまわりくどい言い方で言われた。私はこの電話の対応でこの担当者に対して不信感を持った。
絶対に親身になって考えているわけじゃない。とにかく就学委員会の決定通りに従ってほしいだけなんだ。そのために何とか説得しなければならないと思っているんだ。
私がまだ若いからか、子バカにしてあきれたように笑いながら話をし続ける。たまらなかった。この担当者に対して怒りがこみあげてきた。
絶対に負けないぞ、戦ってやる!!
こう決意させるほど見下された対応をされたのだ。




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