東方見雲録

東方見雲録

2022.02.05
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カテゴリ: アーカイブス



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国立公園の調査で山陰に来訪中の造園家・折下氏に計画を依頼


折下 吉延(造園家)山形県生涯学習センター写真蔵

一面の松林からのまちづくり。京都を手本に碁盤の目状に区画された都市計画原案

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先日まで山陰歴史博物館で展示されていた写真を見やすく模式図化してみました



現在の皆生温泉街。原型の近代的な区画割は活かされている


追記
「皆生温泉市街地設計図」米子市の有形文化財に指定へ
(2024)03月26日 11時43分

大正時代に、米子市の皆生温泉を開発するために描かれた、都市計画の設計図が、温泉街の成り立ちをよく示しているとして、米子市の有形文化財に指定されることになりました。

米子市の文化財に指定されるのは、日本の公園整備の第一人者だった折下吉延が、大正10年に作成した「皆生温泉市街地設計図」です。
この設計図は1200分の1の縮尺で、縦76.1センチ、横90.5センチの紙に皆生温泉の将来構想図が描かれています。
設計図では茶色で旅館が配置されているほか、一時、実際に運行していた路面電車の線路などが描かれています。
皆生温泉は、松原が広がる海岸でしたが、今から100年あまり前の大正9年から開発が始まり、この設計図はその際、基本構想として活用されたということで、旅館街の1つの区画は、今でも設計図に描かれている60メートル四方となっています。
米子市文化財保護審議会は25日、温泉街の成り立ちを示す歴史資料として、市の有形文化財に指定するよう教育委員会に答申しました。
米子市文化振興課の中原斉専門官は「四角い街区を設計し、米子駅から線路を引いたことに当時の人たちの勢いを感じる。今の地図と見比べて楽しんでほしい」と話していました。
引用サイト:NHK   こちら

皆生市街地設計図 文化財に 米子市審議会が答申 大正期制作 開発に反映
山陰
2024/3/26 04:00


 米子市文化財保護審議会(神谷要会長)は25日、大正期に制作された地元の皆生温泉の「市街地設計図」を、市指定有形文化財にするよう市に答申した。都市公園整備の国内第一人者だった官庁技師・折下吉延(1881~1966年)が手がけた。山陰有数の温泉地の成り立ちが分かる貴重な史料という。



 制作者の折下は、明治神宮外苑(がいえん)(東京都港区)のイチョウ並木の整備や、関東大震災後の復興事業に取り組んだ。鳥取県には国立公園の調査のため21年に訪れたとされ、その際に米子の実業家・有本松太郎が温泉開発のため、設計図の制作を依頼したという。

 図面に書かれた碁盤の目状の区画割りは実際の開発にほぼ生かされ、現在の皆生温泉につながる。電車線も2本のうち1本が実現し、米子駅と皆生温泉を結ぶ私鉄列車が戦前まで走った。

 設計図は有本が立ち上げた皆生温泉観光(米子市皆生温泉1丁目)が現在所有し、市立山陰歴史館(米子市中町)に保存を委託。審議を経て市指定有形文化財に正式決定する見通しで、市文化振興課の中原斉専門官は「皆生温泉が近代的な都市へ整備される過程を示す史料で、大切に保存したい」と話している。
(佐貫公哉)
引用サイト:山陰中央新報   こちら

市指定有形文化財 皆生温泉市街地設計図
皆生温泉市街地設計図(かいけおんせんしがいちせっけいず)
地方振興の一環として皆生温泉開発に着手した有本松太郎は、単なる温泉開発でなく都市計画を含む一大温泉郷開発を志しました。その構想を具体的に示したのが「皆生温泉市街地設計図」であり、当時、国立公園・公園計画の第1人者であった内務省技師・折下吉延に依頼して、大正10(1921)年に作製されたものです。本図は、その後の街路、市街区画、電車線等都市計画の骨組みとなっており、皆生温泉のなりたちを物語る重要な歴史資料です。

法量:縦76.1cm、横90.5cm
引用サイト:米子市   こちら


引用サイト:kaike-lab   こちら

関連日記:2022.02.13の日記   まとめ日記   こちら





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Last updated  2024.08.29 12:43:58
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