東方見雲録

東方見雲録

2022.02.14
XML
カテゴリ: 私見
東京で総武線から見えた市川の松林。

松林あたりが昔の海岸線。砂地に強い松が優占し、今でも面影を残しているのだろうと想像しながら眺めていたものだ。30年以上前の思い出。

いまはどうなっているのだろう?

ネットで検索してみると、市の保存地区となっており、健在と思われる。
景観は愛着だけではまもれない。しっかりした「公」目線での取り組みが必要と実感。

​市川市指定 ​ 平田特別緑地保全地区​ ​

​ 散策路紹介記事 ​ ​

​ 市川市の巨樹紹介記事 ​ ​





図は絵師・松井天山によって描かれた『千葉県市川町鳥瞰』を加工し、施設名などを記したもの。松井天山は1927(昭和2)年から1938(昭和13)年までの12年間で千葉県内27市町、29枚の鳥瞰図を描いており、市川町の鳥瞰図は1928(昭和3)年に制作された。図からは昭和初期の景観や人々の生活の様子が窺える。

1885(明治18)年に「陸軍教導団」が置かれた国府台は、終戦までの間『軍隊の町』として発展した。図でも「野戦重砲第七連隊」が大きく描かれるなど、重要性が窺える。「江戸川」に寄り添うように走る「松戸街道」沿いには多くの商店などが立ち並んでいるが、軍隊相手の商売を営む店も多かったという。

図左を流れる「江戸川」沿いに注目すると、東京から銚子方面へと航行する蒸気船の発着所である「東京通船銚子汽船扱所」の桟橋も描かれている。江戸時代から流通を支える重要な役割を果たしてきた「江戸川」の舟運は、1894(明治27)年に総武鉄道(現・JR総武本線)、1914(大正3)年に京成電気軌道(現・京成本線)がすでに開通しているなかでも、沿岸町村の貨客輸送の一端を担っていたのである。

鉄道路線開通後、市川市域で本格的に市街地開発が始まったのは1938(昭和13)年以降のこと。しかしながら、両沿線間にある、江戸時代から宿場町として栄えた「千葉街道」の沿道には建物が多く、この時代も賑わいがあった様子がわかる。


千葉街道、京成電鉄沿線は松林が描かれている。
総武線から見えた松景観はこのあたりのもの。





市川市北部の台地付近は、縄文時代に遠浅の入江となっていて絶好の漁場であったため、台地上には1893(明治26)年に発見された「姥山貝塚」をはじめ、「曽谷貝塚」、「堀之内貝塚」の『三大貝塚』を含む貝塚が55ヶ所発見されるなど全国有数の貝塚密集地域となっている。また、「千葉街道」沿い南北約0.5~1km、東西約4kmの範囲に「市川砂州」と呼ばれる地形が広がる。砂州上にはかつて防砂林などに利用された黒松が群生しており、独特の景観をつくりあげてきた。写真はかつて「千葉街道」沿いにあり「三本松」と呼ばれた老樹。明治天皇から行幸の際に賛辞を賜ったという。
【画像は大正期】


↓

現在も「市川砂州」上の市街地では黒松を見ることができる。「千葉街道」の中央分離帯には、近年まで「名所 三本松」と記された石碑とともに街路樹も植えられていたが、2017(平成29)年頃に道路拡幅のため街路樹は伐採され、現在は「名所 三本松」と記された石碑のみが残されている。


引用サイト:三井住友不動産   こちら  2023.12.08 加筆

参考サイト:<つなぐ 戦後75年>クロマツに残る傷痕   こちら

新田春日神社のクロマツに残る、松やに採取の傷痕=いずれも市川市で



参考サイト:松のある風景   こちら


参考サイト:市川手児奈通りの街路樹が、松   こちら   2023.12.09追記


ちょっと寄り道:弓ヶ浜半島 松林の名残






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.12.09 18:24:57
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: