東方見雲録

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2023.01.14
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カテゴリ: 政経
2006.01.14の日記 こちら


東京国際フォーラムは旧都庁舎の跡地に建てられた


参考サイト:Wikipedia情報  こちら

参考サイト:旧都庁舎風景   こちら



引用サイト: こちら

平成都政史・都庁移転 首都改造の起爆剤に

平成の時代、鈴木俊一氏から小池百合子氏まで6人の知事がつかさどった東京都政。この30年間には様々な出来事があり、ニュースが巷(ちまた)を駆け巡った。今の東京をひもとくカギが、その歴史のなかにある。

対象者1万3千人、総費用10億円――。まさに史上最大級の引っ越しだった。

1991年の丸の内から新宿への東京都庁の移転である。4月1日の開庁式で、当時の鈴木俊一都知事は「世界都市・東京の自治と文化のシンボルだ」と胸を張った。

都庁の移転は「マイタウン東京構想」を掲げる鈴木知事の悲願だった。当時、都心部を中心に地価が高騰し、会社員の多くは郊外のマイホームから遠距離通勤を強いられていた。

この問題を緩和するため、丸の内などに集中する業務機能を新宿や渋谷、池袋などの副都心に分散し、職住の均衡がとれた多心型都市に変える。その象徴的な事業が都庁移転だった。



都の取り組みの背景には、国が打ち出した首都機能の移転、いわゆる「遷都」論への対抗という意味もあった。東京一極集中を是正するために、国会や中央省庁を丸ごと地方に移そうという国の構想に対して、都は「展都」を掲げ、都心に集中する機能を首都圏全体に分散させようとした。

ただ、都庁移転は簡単に進んだわけではない。都議会は「丸の内派」と「新宿派」に二分され、議会審議は難航した。移転に慎重な議員らの懐柔策として、都は様々な施設を建設する。

旧庁舎跡地の「東京国際フォーラム」、墨田区の「江戸東京博物館」、江東区の「現代美術館」。これらはすべて都庁移転の副産物だった。その代償は大きく、バブル経済の崩壊もあって都財政は急速に悪化し、鈴木氏を継いだ青島幸男知事時代に、都は「財政危機宣言」に追い込まれる。

副産物は箱物だけではない。総事業費5千億円強の「弾丸道路」計画も浮上した。東京の地下深くを走る高速道路で、丸の内と新宿をわずか8分で結ぶ構想だった。

大型車は通行できない日本初の乗用車専用道路で、出入り口は都心側と新宿側のみに設ける計画だった。地上部の渋滞をよそに丸の内と新宿を直結させる大胆な試みだ。

実現していれば、現在計画中の日本橋周辺での首都高地下化を上回る大規模事業になっていただろう。しかし、鈴木知事の引退とともに、計画は泡となって消えた。

鈴木知事が都庁の移転先に新宿を選んだ理由のひとつに、都の「人口重心」の変化があった。多摩地域に延びる私鉄の沿線開発で当時、人口重心は西に移っていた。今、その重心は住宅の都心回帰もあって東へ、東へと戻り続けている。

■「バブルの塔」との批判も

丹下健三氏が設計した新宿の都庁舎はツインタワーと議会棟からなり、建設費は約1600億円に上る。第1本庁舎の高さは243メートルと当時では日本一だった。完成当時はその外観や内装の豪華さから「バブルの塔」などと批判された。

西新宿にはもともと大規模な都の浄水場があり、1970年代以降、跡地に超高層ビルが続々と林立。新都庁舎もその一角に建設された。

新宿を副都心に変える計画は、鈴木俊一氏が都の副知事だった60年に策定されている。30年かけて都庁移転を実現させたともいえる。


(編集委員 谷隆徳)


引用サイト:日本経済新聞  こちら





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Last updated  2023.07.05 17:32:57
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